荒らしにまともに取り合わない、罵倒されても受け流す、など考えられるが、
共通しているのは「その場の感情に流されない」ということだろう。
ここでポイントなのは、我慢あるいは感覚を鈍らせろというわけではないということ。
もちろんそのように頑張ってもいいが、慣れが要るし体に悪そうではないか。
感覚以前の時点でシャットアウトしたらどうだろう。
他人ごとのように聞くのだ。変わり身の術や串を刺すみたいに、あるいは操り人形のように。
ふーんそうかもねーと割り切って聞けば、ストレスがたまることも自然な感情が変質することもない。
もちろんとっさに切り替えろというのは無理な話なので、普段から念頭に置いておく必要はある。
それでも他の方法よりは実践投入しやすく身に付けやすいのではないだろうか。
少なくとも自分は、気付かないうちにこの方法で身に付けていた。
そんなことを考えていたらこんな記事を見つけた。余談だが。
「ブランドへの批判は自分への攻撃」 « WIRED.jp 世界最強の「テクノ」ジャーナリズム
きっとこれは今言ったことの逆なのだろう。