はてなキーワード: リスペクトとは
先日飲み会があって、この話題を振られた時に、何となく「機動戦艦ナデシコ」と答えた。なお、今でも後継作品(not2期)を期待しているけど、もし作られたら作られたで、初代をリスペクトされてない作品になりそうで怖い感じもある。
なおナデシコが一番好きな作品の理由は、自分の多数の性癖(タイムループSF、ホシノルリ、リアル/スーパーロボット※エステバリスとゲキガンガー、戦略がある物語展開、まじめな中のギャグっぽい会話など)を植え付けたのが理由なのだけど、他に良い作品ないかなー、と頭の片隅で考えていた。
勿論エヴァやビバップも名作で好きなんだけれど、1番ではない感じ(自分の好みで、悲劇性が強すぎる)。次に十二国記が思いついたけど、性癖の植え付け度ではナデシコに一歩劣る。
他に印象に残ってる作品も考えたけど、どれも名作ではあるが、やはり1番ではない感じ。(ちなみに、ゼーガペイン/ムリョウ/プラネテス/蟲師/物語シリーズ/まどマギ/Reゼロ/転スラ/このすば/本好き/灰と幻想のグリムガル/まおゆう/異能バトルは日常系のなかで)
参考までに、増田さん/ブクマカさんが「一番好きなアニメ作品」を選ぶとしたら、何になるか教えてください。
・追記
個別に感謝の言及/コメントをしたいのですが、それはそれでウザいと思うので、こちらで。言及/コメントしてくださった皆様、ありがとうございました。
駿って女性を蔑視するというよりも女の持つ母性に過剰な理想というか期待を抱いている方だろ。リスペクトが過剰というか。ジブリ作品女性陣はどんなにひ弱そうに見えても作品の中で適応力を発揮してみるみる逞しくなる。嘘くさいほどに。あれは駿の母性に対する過剰な期待のように感じる。男性は逆に右往左往ばかりしてる。アシタカなんて両陣営の話聞いて理想論振りかざして何もできないで終わってる
クソみたいな増田を書いておいて今さら真面目ぶるのも恥ずかしいんだけど、
ブルカ着用の強制については、向こうの文化へのリスペクトを持ちながら考えていきたいよね。
服装を選ぶ自由!とか言って下着姿で歩かれたら社会の秩序が乱れるでしょ。
ワールドトリガーは胸のカップ数表記をやめてほしいという話(※この増田を元増田と表記)
ざっと挙げるだけでも
>キャラクターを、たとえ未成年でも性的に見ることを『作者が推奨している
>実際、価値観の遅れを嫌ってワートリを読むのをやめていった知人もちらほら居る
というものすごく強い言葉を使った指摘であり、強い批判だと思うんですよ。
常識的な匙加減で言って「未成年女子を性的に見る事を推奨している」「差別につながる」「価値観が遅れている」って、そのまま放置してOKなやつでは無いじゃないですか。一部の国会議員が「法規制は無理でも、社会的な合意を作って排除して行く必要あるよね」とか動き出すほどの悪徳。けしからん!
ただ元増田本人も理解してる通り、感情ベースの好き嫌いに近い話という面もある。感情論つったら揶揄のニュアンスがあるけど、何と言うか、それがきちんと「感情に基づく論」であれば僕は悪いと全く思わない。感情に基づく論と「お気持ち」は違う。元増田のは前者。ロジックと整合を図るのはその次の段階であり、初動は感情でも良いと思う。
ただこの手の件は、感情と干渉するのが他者の表現の自由という基本的人権なので、すごく難しい問題になっている。程度問題もバリバリに利いてくるし。
……っていう色んなやつはあれども、そう言うのは置いといて。
増田なりにきちんとバランス取りながら、留保を重ねて、作家へのリスペクトと不満を切り分けて両立させたり、雑に飛び交う例えば「性的搾取」には乗っからないという意思も分かる。ガッツが伝わる。ものすごいコストを掛けて長文を書いた元増田は、本当にそれだけで十分に偉いと思う。意見への賛否以前に、まずそこに敬意を払うよ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20221010163416
元増田のハイコスト長文を、何を外野が勝手に「ちょっと○○してほしいって声を上げただけ」とかいう超矮小な話にしてんの?
侮辱じみた強めの反論が来たので、あっ!これは俺たちが守ってあげなきゃいけない! よ~し「ちょっと声を上げただけなのに言い過ぎだろ!」みたいなルートで行くぞ! って。元増田は覚悟を決めた一人の戦士なのに、それだと自分が騎士様ぶって気持ちよくなれないから、外から勝手にか弱き庇護対象に書き換えてんの。ゲッターロボとかマジンガーZ並のヒロイン観。ド直球の慈悲的差別。
なんか味方みたいな顔で繰り出してるけど、何よりも元増田に対して一番無礼だろ。元増田を読んだ上でのコレは無い。世界やレスポンス増田の方が狂ってるかどうかはともかく、お前らは確定で狂ってるよ。
読まずに★つけた? それはそれでめちゃありそう。だったら狂う狂わん以前の問題だけど。狂うだけの知能すら無い、党派性に合わせて脊髄反射するだけの動物。電気信号の奴隷。
子供が生まれて1LDKが手狭になったので嫁実家近くの戸建てを買うことになった
自分は賃貸派だが、4LDKで築浅となるとなかなかいいとこもなく、まぁ家賃と同じくらいならしゃーないかと納得はしたつもり
それでも未だに若干踏ん切りがついてないのは嫁の態度にもやもやしてるんだと思った
嫁実家に近くて頼れるのは確かにそうなんだけど、今より通勤時間は1.5倍ぐらいになる
リモートなので問題ないとはいえ向こう10年後にどうなってるかわからない
最近歩き出した子供を見ると戸建てなのも悪くないとは思うが、都内までの距離を考えるとそれがほんとうに子供のためなのか?ともおもったり
子供のブール遊びが…というけど、年に数回、数年くらいのことに対してそんなに気合を入れる必要ないじゃん?って思うし、子供を言い訳にして慣れ親しんだ地元に帰りたいだけなんじゃないの?って感じちゃう
そもそも新築戸建てなんて究極の贅沢なのに資産みたいな顔してるのもモヤモヤする
詰まるところ、お金は出さないくせに、地元最高!広い家ですくすく育つ!早く持ち家を持たないと!みたいなのを勝手に決めつけて、こっちがなんか言うとブーブー言ってくるのがムカつくんだよな
はあー
そもそもひろゆきみたいな奴をありがたがってるこの世の中がおかしい、というのは大前提の話として。
今回のひろゆきの騒動に関して思うことは、反ひろゆき派が叩いている「ひろゆきにいいねした人たち」の中には、たくさんの「ニワカ(今はその問題にそれほど興味がないけど、将来的には参画してくれるかもしれない潜在層)」がいるかもしれないことをもう少し考えてほしいということです。
よく「古参ファンがニワカを叩くとそのジャンル自体が衰退する」といいますが、社会運動ではまさにそうした状況がよく見られます。
そうした状況が長く続いた結果として、多くの社会運動団体で高齢化が著しいことになっています。まさにジリ貧です。
みんな最初は「ニワカ」なんです。その中から、それぞれの人なりのタイミングで問題が腑に落ちたときに社会運動に参画してくれればいいのです。
その人なりのタイミングがまだ訪れてない人々に対して「お前は間違っている」「勉強が足りない」「リスペクトが足りない」といちいち激詰めしていたら、彼らは「ここは私たちのいるべきところではない」ということだけを学んで去っていきます。
古参はニワカを詰めるのを止めてください。説教癖を直してください。正しいことをしているのだからその正しさを説きましょうよ。
しょーもない議論だったので書き起こし 残り部分暇な人いたら埋めて
大空:NPO法人あなたのいばしょ理事長 新著に「死んでもいいけど死んじゃだめ」23歳
阿部:沖縄タイムス記者 基地問題を精力的に取材 著書に「ルポ沖縄 国家の暴力」など
~~略、誰か書き起こして~~
大空:これは3000日以上ということは8年以上ですよね
ですからそれだけ長い間、雨の日も風の日も台風の日もそこで座り込みをして抗議の意思を示してきたと
やっぱりそこにとくに本土の人間は安全保障上の問題で、日本全国の問題なんだけれども、やっぱり一定のリスペクトはあって良いだろうと思いつつ
さっき阿部さんはこの座り込み論をまだやるんだと、決着したと、で、せやろうがいおじさんは枝葉中の枝葉の議論だとおっしゃったんですね、座り込みの定義の問題を
大空:でも僕はそう思わないんです。僕すごく共感する部分あるんですけど、抗議運動に。
ただ座り込みとかハンガーストライキってたとえば、刑務所の中にいる人とか、入管の施設にいる人とか、自らの身体のみを用いて、抗議運動を示すわけですよ。
それが非常にカジュアル化しているということはその行為が持ち意味自体をものすごく弱体化しているということに気づかないとダメですよ。
阿部さんさっきね、あそこはひろゆきさんが笑ったと、笑える特権があると、おっしゃったんだけれども、
いやいや、自分で10分なり15分なり、1日3回選んでやるかやらないかということを、座り込みするかしないかということを決められる権利があるあの人達には
そういった意味ではあの人達も特権階級にいるわけですよ。抗議運動をしている人たちも。だから本当に、運動論として完全に僕は失敗だと思いますよ。
完全になにも手足も拘束されて、なんの抗議の意思も自分の身体を用いて以外、選択肢がない人たちのために、
やっぱりハンガーストライキとか座り込みとか、自分の身体を用いる抗議運動の選択肢はとっておかないといけなかったのに、
最近、原発のこともそうだし、気候変動のこともそうだし、若い人も含めて、非常にカジュアルにハンガーストライキとか座り込みとかやってるんですよ。
これ本当に入管の施設でそういうふうなことをしたときに、ああ、どうせカジュアルなのね、となっちゃう可能性が僕はすごくあると思うんですね。
大空:僕はいま23歳ですよ。大学生のときに孤独対策担当大臣を作ってくれと政策提言したんです。いま日本は3代目の孤独担当大臣置いてますよ。
やっぱりリベラル側はね、体制に対してのものすごい批判的な見方があって、政策提言とかアドボカシーとか、
そういった抗議とか書面運動以外の、民主主義的なプロセスをやっぱり軽視してきた部分もあると思うんですね。
やっぱりリベラルの運動論自体がアップデートしていく、あの場におじいちゃんしかいなかったじゃないですか、
やっぱりそこをもっとアップデートしていくということをリベラル側が努力してやってかないと、
この問題、なかなか進まないし、若い人に関心持ってもらえなくなると思う、そういった意味ではこの定義ってめちゃくちゃ大事だから、
これを機にね、定義したらいいじゃないですか、僕はそういった良いきっかけになればいいなと思いますね。
平石:ありがとうございます。阿部さんいかがですか、いまの話。
阿部:ええ、ありがとうございます。いままず座り込みとハンガーストライキを大空さんがごっちゃにして話されてたので
大空:いや、ごっちゃにしてない。2つのことを指してるんです。ごっちゃにしてない。
阿部:なんで違うかというと、ハンガーストライキはあれじゃないですか、ずっとやらないと、それこそ2日やった3日やったと言えないですけど、
座り込みはトラックが来るのを止めるために座り込みをできるわけですから、ハンガーストライキは連続性が求められるわけですね。
ですけど座り込みはそうではありませんから、いま別のことを1つにされるのはちょっと、ハンガーストライキの話は置いておきましょう、というだけのことです。
大空:ハンガーストライキも実は最近の抗議運動でやってるんですよ、記者さんだったらご存知かと思いますけど、
やってますよね経産省の前とかでね、1日限定とか2日間3日間だけ若い人がやってるわけじゃないですか。
阿部:ええ、沖縄でもハンガーストライキはあるんだけれども、あの僕が言いたいのは連続性の話ですね。
ハンガーストライキは連続性がないといけないので、座り込みとは違いますね、というそこです。
~~略、誰か書き起こして~~
大空:いや、そこじゃなくて、さっき申し上げたのは、座り込みだとかハンガーストライキだとかごっちゃにしてるはどうでも良いんですが、
座り込みってところをとると、そもそも抗議活動っていうのは、連続性というものがある程度効果が得るわけですよね。
だから昔は連続って書いてらっしゃったわけですよね、あの看板に。だから連続性が持つ意味合いがよくご理解いただいでると思うんですけど、
僕がさっき言ったみたいに、座り込みもしくは自分の身体のみを使っておこなう抗議運動というのは、
本当に拘束されている人とか、入管の施設にいる外国人の方とかね、ああいう人がやることによって非常に意味が生まれると。
ああいう人たちが行う選択肢を奪っているわけです。そうやって別に座り込みじゃないとか、座り込みは数日でも数分でもその場限りでも良いとか言っちゃうと
だって意味なくなっちゃうんですよ。署名運動とか政策提言とかあの中にいる人たちはできないわけですよ。
ハンガーストライキとか座り込みしかできないのに、まさにそういう行為がもっている意味が弱体化してしまうから、リベラルはそこから逃げちゃだけだと思うんですね。
大空:だからこの機会をね、いま全然前向きな議論をぜんぜん何十分間できてないから、これを機会にいいじゃないですか、
座り込みをリベラルの方はどう思うのか、ひろゆきさんがどう思うのか色々あると思うけど、ある程度決めて、この番組が別にどれだけ影響力あるかわからないけど
でもきっかけになったら僕はすごくいいと思うので、座り込みの持つ本当の意義ってところをまだ決着してないと思う、ここをちゃんと話し合うべきじゃないかなと思いますけどね。
大空さんが入管施設の方の話をされますけれど、その入管施設にいるわけでもない大空さん。
そして、沖縄で民意を踏みにじられて、どんなに反対を選挙で言ったり、県民投票で言っても、市長を作られてしまって、
止むに止まれず座り込まないという立場にもいない大空さんが、なぜ、座り込みについて講釈をしているのかというのが、
やっぱりそこが特権なんですよ。最初に私が言った。あのそれを考えられたほうが良いんじゃないかなと。
大空:当事者以外話すなというこの排他性をいかにリベラルが抜け出すかということが、やっぱり日本の一番大きな課題だと思いますね。
自分の責任を引き受けて、発言をしなければいけないので、その排他されたというということではなくて、
自分の立場を考えて、自分がここでなにを言うべきなのかをきちんと踏まえて、言うべきだと思ってますね。
~~略、誰か書き起こして~~
そういえばクレしんにしてもワンピースにしてもアニメにおける「非実在オカマ」は叩かれなくなったなと思ったら
元増田を見て、やっぱ現実のトランス女性は怖いって事にフェミニストやそれに近しい女性陣が気づき始めたんだな~、と
特にオカマキャラの中には性犯罪者みたく描かれてるのがあってそれが一番批判されてたけど、自称女性に抱く本物の女性の恐怖心を考えればあっちの方がリアルだし
強いて言うなら同性愛の面から批判はできるけど、オカマキャラは性自認が女だったりどちらでもない事が多いからそういう批判も的外れ
オタ優ギャル概念に関してはギャル文化へのリスペクトの無さが叩かれてたけど、オカマキャラ概念に関しては現実のオカマの方が女性に対してリスペクト無いし、叩く要素が全くない
花束男が言うようにやっぱりその前の試合での天心に対する舐めた行為はやはり誰かがとがめるべきだったんだよ
一気にメイウェザーは聖人君子になってしまったけど練習もなくルールに細かく口出ししてギリギリまであれこれ注文つけて最後まで舐めた試合をしてた罰だよ
行為としては花束男がマットに叩きつけた侮辱行為だけど因果応報でしかない
安倍さんが撃ち殺されたのも似たような構図だと俺は思ったんだよね
安倍さんも宗教を票のひとつとして利用しようと悪巧みを考えたから思いも寄らないところから悪意がやってきて銃弾に倒れた
ほんと、ただの因果応報
生まれつき過敏な人どうこう以前に声を荒げたり激詰めする人はNGな世の中になってる
労働動問題の時にはそういういった問題に対してことさら意識を向ける・騒ぐのに、
気の置けない友人たちとリアルでの居酒屋政治漫談、5chや増田みてーな匿名掲示板での与太話ならいいけど、
真面目に何かを不特定多数に向けて主張しているつもりなら、言葉が与える印象考えましょうって思う
まぁバカ向けにわかりやすくしてるつもりなんだろうけどぶっちゃけ無駄だから
近年、発達障害やグレーゾーンの問題やAIで失業ガーとかあるが、
ひとりの人間としてリスペクトだけは忘れないようにし理解を求めるのは諦めよう
通じる人にだけ向け、真摯で落ち着いた態度を見せ続ける方がずっとよろしいです
なぜポリコレを許さないかというと、俺としては「ポリコレだからダメ」なのではなく「ポリコレとしてダメ」なんだよな。
だから「◯◯はポリコレを入れたからダメになった」と騒ぐネトウヨはもちろん論外だが
それに対して「それはポリコレだから良い」的な「反論」で「論破」したつもりになってる偽善者リベサヨをも俺は許さない。
俺は指輪物語なんか原作も映画も見た事ないんで何も知らないんだけど
ガチ勢の話によると指輪物語においてエルフは「自分たちは高貴な種族であると傲慢に思いあがって他の種族を見下しているのだが、話が進むにつれ、その考え方は間違っていた事に気付き、かつて見下していた他の種族と協力していろいろ頑張るようになる展開が、胸アツ」って事らしいじゃん。
繰り返すが俺は原作も映画も見てないんでガチ勢の言う事を信じるしかないのであり、これらが間違ってたかガチ勢の独自解釈にすぎないとすればそれは俺が騙されてただけであり、
キリないんでここからの全ての話は「ガチ勢が言ってる事が正しいとすれば」を前提にした考察でありもし間違ってたらそれまでの話にすぎないのだが
とりあえずもしガチ勢の言うとおりだとすれば
「指輪物語のエルフは断固として白人でなければならない。以上。」で終わりなんだよ。
それ以外は何も言うべきではない。
それでもポリコレ信者の偽善者リベサヨがうるせーから論破を続けるしかないんだけど
ガチ勢の言うところによると、指輪物語においてエルフは「多様性が無いから衰退した種族」として描かれてもいるらしい。
ならばやはりエルフに黒人もいる事になったら設定ブチ壊しであるばかりじゃなく、作者が作品に込めたメッセージもブチ壊しになってしまう。
ガチ勢の言うとおりだとするならば、エルフはあきらかに「白人のメタファー」として描かれた存在であり、「絶対に白人でなければならない」としか考えられないのだが。
反ポリコレ勢は「作品にポリコレを入れるとダメになる」と主張し、ポリコレ信者は「ポリコレを入れると良くなる」と主張するが、これはどちらも間違っている。
ポリコレを入れる入れないではなく、「最初からポリコレだった」のである。
(しつこく繰り返すが、「ガチ勢の言う事が本当に正しいとすれば」の話だからな)
反ポリコレで騒いでるネトウヨキモヲタの場合は「ポリコレそのものが気に入らない」のだろうが
俺の場合は「ポリコレ自体は正しい」としたうえで、「昨今の風潮で「ポリコレ」とされているものは真のポリコレとは程遠い偽物にすぎないから許さない」なのである。
と、いくら言ったところで「我々の絶対的に正しいポリコレに逆らう奴はただちにネトウヨでレイシスト」という固定観念が強固に植え付けられたポリコレ信者どもにとっては、みんな雑に「同じこと」なのだろう。
だが昨今のポリコレ信者どもがいかに傲慢で思い上がっているか、それは、自分たちが全人類の歴史ではじめて「差別反対」とかそういう真実に目覚めた偉大な世代であるとか勘違いしてちょうしこんでるから許さない。
反ポリコレのネトウヨキモヲタは「ポリコレとかいう政治的思想をゴリ押しされて作品がダメになる」と信じてポリコレ叩きし
偽善者リベサヨのポリコレ信者は「過去のあらゆる作品にはポリコレなんかいっさい無かったから俺たち新しい目覚めた世代がポリコレを入れて改変しなければならない」とかいう勘違いした使命感に燃えているのだろうが、
どちらも間違っている。
最初からポリコレだったのに、最初からあったポリコレを、勘違いした「ポリコレ」の名のもとに潰したから、ダメなのである。
反ポリコレのキモヲタネトウヨは「コンテンツに政治的主張を入れるのがクソ」と思ってるのだが俺なんかむしろ全てのコンテンツは政治的プロパガンダの道具だと見てちょうどいいと思ってるくらいなんだよ。
ていうか俺がどう思うかじゃなくそもそも全てのあらゆるコンテンツは好むと好まざるにかかわらず政治的プロパガンダとして機能してしまう宿命から逃れられない。
政治的思想いっさい無しのお気楽コンテンツさえ「いっさいの政治的事象から目を背けよ」という「政治的プロパガンダ」として機能してしまうのである。
だったらいっそ、「差別をなくそう」とかいう、誰がどう考えてもいっさい間違っていないにも関わらず誰がどう考えても難しすぎて無理っぽい政治的改革路線を起動に乗せるには
「大衆の支持を集めやすい娯楽コンテンツに「差別をなくそう」という政治的プロパガンダを刷り込む役目を背負わせる」という作戦が「ベスト」なんだよ。
というなら俺はポリコレ信者になってもおかしくないはずなんだが、俺はポリコレを許さない。
それは「ポリコレだから許さない」のではなく「ポリコレだと言いながら全然ポリコレじゃないから許さない」のだ。
人気作品に便乗して「差別をなくそう」という政治的プロパガンダに利用しようとするなら、作品の内容自体にそういうメッセージを込めたりするものだろう。
それをキャスティングでやろうとするのがクソなんだよ。
てきとうに「何の役でもいいからとりあえず黒人を出しときゃいいだろ」なんてのはとうてい真面目に「差別をなくそう」と考えてるとは思えない。
主に原作ファンが「勝手に設定を改変するのは原作にリスペクトが無い」と怒っているのだが
「こいつらチョロいからテキトーに映画に出してやれば差別が無くなったと信じて喜ぶだろ」とバカにされてんだよ。
ガチ勢の言うとおりだとすれば原作者は「エルフという種族は他の種族を見下して多様性も無いから衰退した」としてるわけでこれでもう既にポリコレ的な政治的メッセージ足りうるわけだよ。
反ポリコレ勢は「原作の世界観を壊したから許さん」と言うのだが、ならば俺に言わせれば「原作のポリコレ的メッセージを壊したから許さん」というわけなんだよ。
(自称)ポリコレが(真の)ポリコレを破壊したというのが全ての真相だと思うんだよ。
あとまたガチ勢が言うのが事実だとしたら、エルフを無理やり黒人にしなくとも、話が進めばそのうち南方の種族とかも出てきて、それはべつに肌が黒いとはされてないが南方の種族なんだから黒人が演じても世界観を壊す事にはならないらしいんだよ。
エリザベス女王死んだな〜とおもいながらスプラ3の合間に各種SNSを覗いていると、
ヨーロッパの友人たち(左寄りが多い)が「植民地帝国の象徴が死んだ」と女王をコケにするようなミーム画像を投稿しまくっていた。
まあたしかに政治的な実権はなかろうが、象徴ですと言い募ろうが、王族とは生まれながらにして他の人々と「地位の違う」人間だ。
平等を謳う左翼なら存在自体許容できないのはわかる。しかもあの女王の場合、長生きした分だけ古い時代の罪業みたいなものも背負っている。
翻って日本の友人たち(こちらも左寄りが多い)を見てみると一様に悲しんでいる。リスペクトさえ表している。
やっぱり同じような「象徴」を奉じている国の国民で、しかも今の天皇にも前代の天皇にもさほど悪感情を抱いていないとなると、リベラルでもなんとなく他国に対するロイヤルファミリーに敬慕の念を持つのだろうか。などといいながら、自分もこちら側の感情に近い。
でもスワジランドの王族とかが死んだとしてもあんまり悲しくはならないんだろうな、って思うと単に王族だからとかの問題でもない気がする。
ちなみに前述のヨーロッパの友人たちは安倍元首相が死んだときは「日本の偉大なリーダーのひとりが不幸な事件で亡くなったこと」について哀悼の意を表していた。