はてなキーワード: ノーベル賞とは
このまま大衆の1人として死んだら悲しすぎる。
ノーベル賞とか億万長者なんて言わないけど、ジョージ・ワシントンやベンジャミン・フランクリン、トマス・ジェファソンくらいの功績と知名度を残したい。
砺波平野の散居村が美しい
https://dailyportalz.jp/kiji/Scattered-villages-in-Tonami-Plain
珍しく地元の話題をホッテントリで見かけて面白かったので書いた。
書いてみたけど北海道の農家とかの方が大変そうだよねこういうの。
上下水道が来ているところもあるけど、井戸水と浄化槽のところも結構ある。
井戸と言っても電気で汲み上げるので普段の使用感は普通の水道と変わらない。
井戸水は夏冷たく冬暖かいとかのメリットもあるけど、停電すると水も止まるとか、地震の後は水が濁るとか面倒なところもあるらしい。
浄化槽は庭に浄化槽を埋めて下水がそこに流れ込むようになってるやつ。
井戸+浄化槽+プロパンガスまでは割と独立した感じがあるから、電気も自前の発電機で賄うようにしたら最強に見えるかもしれない。
道路自体は普通に管理されてるけど、道路脇の用水にフェンスが無いので定期的に用水に人が落ちる。富山県が全国で一番用水への転落事故が多いらしい。
散居村の用水全てにフェンスを付けるのは無理なので困ったねみたいな話がニュースになったこともありました。
道路といえば田んぼの真ん中に家があるので、家の敷地内に長い私道があるお宅が多い。どこまでが私道でどこからが公道なのかは住んでる人間もよくわかってない。
水田は洪水を防ぐはたらきがあるので、家が水田に囲まれてる散居村の水害防御力は多分高い。
先人が庄川の治水を頑張ったお陰でここ数十年は水害らしい水害は無いみたいだけど。
幹線道路は融雪装置が付いていたり早朝に除雪されたりするけど、散居村の家の前の細い農道にそんなサービスは無い。除雪車が来るとしても昼。
従って通勤のために車庫~除雪されている道までのルートを自力で切り開かなくてはならない。
上にも書いた通り散居村の私道は長いし、家の前の農道も除雪となると結構な距離になるので、農作業用のトラクターを除雪仕様に換装して除雪する。
トラクターの無い家でも手押しの除雪機持ってる家は多いんじゃないかな。ママさんダンプじゃなくてガソリンエンジンのやつ。
雪は温暖化の影響なのか昔に比べるとかなり少なくなった。
昔は12月に雪が積もると春まで地面が見えなかったけど、最近は一気に沢山降ってすぐ溶けるのを年に2~3回繰り返すみたいな感じになっている。
たくさん降りそうなりそうなときは前日から学校が休校決めたり、会社の社員食堂が食材の仕入れができないって言い出したりするので、
じゃあもう会社も休みにするかとなることが増え、昔よりかなり楽になった。休みなら早起きして除雪しなくていいからね。
ブラックキャップを開発した人はノーベル賞とか貰ったら良いと思う。
最近は温暖化の影響なのか昔は見なかったヤモリが家に入ってくるようになった。勘弁してほしい。
ブコメで見かけたけどあの景色のどこに騒音を見出したんだろう。カエルか?
カエルは実際五月蠅いらしいけど、地元民には聞こえていない(強く意識しないと音と認識できない)ので騒音にはカウントされない。
散居村は楽器やりたい人なんかには良いところってのはよく聞くけど、時期によっては3km離れた城端線を列車が走る音が聞こえるくらい静かなところなので、
季節と時間帯を選ばないと演奏が砺波平野に響き渡ってしまうかもしれない。
見ての通りド田舎なので、散居村を構成する家々は空き家が増えているし、高齢化もすごい。
もうじき敬老の日の催しがあるけど、75歳以上が老人として扱われ、会場の設営を70歳の若者がやっている。
屋敷林の管理や農作業、冬の除雪など、力仕事のできる人間が複数居ないと維持管理が難しいんだよな散居村の家。老人だけでは厳しい。
昭和初期生まれくらいの世代ではきょうだいが10人居るとか普通だったそうだし、そういう一世帯の人数が多かった時代のものなんだろうなと思う。
観光資源としてPRしてるけど、個人の農地と家が平野に並んでいるだけのものだから保全も難しい。土地の持ち主が田んぼをやめるのを止めることはできない。
そんな訳で今しか見れない景色かもしれない散居村、季節によって違う良さがある。
田んぼに水を張る季節が一番フォトジェニック。散居村の水田に映る夕焼けは観光案内なんかでよく見る。
高いところから見下ろすのも良いけど、城端線の車窓から見るのも良いのよって会社の先輩が言ってた。
また、砺波ではチューリップの球根の栽培が盛んで、GWごろには「となみチューリップフェア」というのをやっている。
チューリップ公園で大量のチューリップが咲いているほか、実際のチューリップ畑を見学したりもできる。
夏の散居村を車で走り抜けると草原の中を走ってるような感覚になるので個人的に好きな季節。
稲穂で一面黄金色なのも良いし、稲刈りの終わった後の寂しい感じも人によっては好きかもしれない。
散居村展望台の近くにある夢の平スキー場は秋になると一面の秋桜が咲いてるので結構人気がある。
雪景色が綺麗。積もりたてが特に綺麗だけど、そういうときは大抵公共交通や路面状況が死んでるから観光で来るのは大変そう。
いや公共交通は普段から瀕死だけども。バスも電車(城端線は電車じゃないけど)も本数少ないから、使うなら時間ちゃんと調べた方が良い。
村上春樹が欧米で評価されてるから村上春樹がすごいということにはならないと思う。
評価のために読まれるには翻訳されなきゃいけないが、まさか売り込みもなしにこれだけ「層の厚い」日本の小説コンテンツにおいて、外国の方からピンポイントで作家を見出して「翻訳版出してくれない?」なんて声がかかることはないだろう。そも翻訳版ない状態ではほとんどの外国人にとってどの作品が翻訳に値するか内容を理解することができない鶏卵の構造なのだが…
多分村上春樹の場合も出版社側がこれは欧米でも通用するとの自己判断で翻訳版を出したのだろう。逆に作家本人がどう思っていても出版社が認めない限り著作権の関係で自費出版もかなわないのだから、翻訳してもヒットしてた可能性があるものも出版社の意向のせいでその道が断たれてる作品だってあると考えるのが普通だ。
さきほど層が厚いと言ったが、これほどまで物書きじゃなくても小説を書く人がいてそうやって趣味で書いてたのが高じてプロにジョブチェンジする事例を豊富に抱える土壌を持った国は他にないと思う。
海外はブロガー文化で評論家的なことを書く人はたくさんいるが物語を書くことにここまで国中が夢中な国はないんじゃないか
そのなかで小説書いてたらノーベル賞に選ばれるのと、圧倒的に小説を書く人が多いこの国だとどんなにいい作品を書いてもそれに比肩する作品がごまんとあるような状況から抜け出せないであろうこの国で目立つことができないために翻訳版が出されずノーベル賞が取れないのと、どっちの方が小説家として実力が上なのか単純に比較できないと思う
彼の発言は垢消しで残っていないが
わかり手こと小山が最近の持ちネタ、ゴールディンの主張=アンチフェミと大体一緒を展開してたところ
デビットライス「ゴールディンの本なんて読んでないけど彼女の問題意識の解釈として間違ってる」
小山「読んでない本の著者の問題意識がわかるのすごい。エスパーかな?」
小山@iikagenni_siro_
デビット・ライス、かねてより馬鹿だとは思ってたけどついにふくろうおばさんと同レベルにまで堕ちててほんま真顔になるな。党派性に凝り固まってテクストを読まず妄想で物事を判断するようになったら言論人としては終わりやで。
昨日も言ったけど「ちゃんと読んだ上で反論する」人たちと「読まずに妄想で反論する」低脳は明確に違うからね。前者に対しては一切悪感情ないけど後者は一生黙ってろカスとしか思えん。これは党派性ではなく知的誠実さの話。
要するに彼にあるのは「俺は作者の意図が全部わかる!」という妄想なんですよね。芸術作品にせよ学術的成果にせよ自分は製作者の意図や問題意識が全てわかっており、それに沿わないものはどれだけ根拠が並べられていようが悪辣な扇動だ!となる。俺に言わせりゃもう一種の病気だろと思うんだけど。
映画「バービー」評にせよ、ゴールディン評にせよ、通説を論駁するためこっちはひたすら根拠を積み上げてるんだけど、彼は一切根拠を示さず「アンフェよる扇動だ!」というレッテル貼り一本槍で勝負しており、なぜそこまで自説に自信が持てるのか本当にわからないんですよね。
本のエア解釈をしだす大馬鹿を晒したのもそうだが、人文っぽい態度をとりながら知的不誠実の極みをし続けるのには反吐が出るね。
アンチフェミはフェミニズム本だけでなくて、なんならデビットライスの本すら買って読んでいるが、デビットライスは彼らの主張を読むことすらせずに脳死で批判し続けた。
https://twitter.com/iikagenni_siro_/status/1713806522701205612
反アンチフェミをこじらせすぎて、「彼らは間違っているなぜならアンチフェミだから」をやりすぎて
ノーベル賞受賞作者の内容すら読まずに反論とい始末は目も当てられない。
まあ、彼からしたら嫌悪してるアンチフェミ連中にボコボコにされて堪忍袋の緒が切れたってとこで一切の反省はしなさそうだけど。
脳が雑にできてるやつらは単純でいいな。
たとえば
育児ではなく出産だし、出産自体ではなく出産するという見込みな。
雇用する側は、女性は出産でキャリアが断絶する見込みがあるので、男性にするような期待をかけず、その結果としての賃金格差が生まれる。
また、女性自身の側でも、将来そうしたことが見込まれるので男性ほどガチガチにキャリアに投資せず、それがさらなる格差を生む。
育児が原因なら、保育園なりシッターなり祖父母のヘルプがあればいいじゃねえかということになるが、それでは格差は埋まらない。
出産自体が原因なら、生まない女性には差がつかないということになるが、それでも格差は埋まらない。
女性が生む計画自体を人生設計から外せば差は埋まるかというと、雇用者側の見込みにも格差を生む原因があるので、それでも格差は残る。
そんな当たり前の研究結果でノーベル賞を取れるのかというやつらもいるが、数ある可能性の中で統計データで実証された格差の原因がこれだ、ということに意義がある。
そういうことを全部すっ飛ばして適当につまみ食いして参照するだけの雑な脳味噌の連中は、ほんと、簡単な世界に生きていて羨ましい。
文化資本ゼロ家庭で育って大したことない普通の中高を出て旧帝大・院と進んで有名企業で研究職やってる身としては、家庭と才能に恵まれて幼少期からいい学校に通ってレッドカーペットの上を歩いてきたのに結果的に俺と同レベルの職場で働いてるような連中が理解しがたいんだよね。そんなピカピカの生まれ育ちだったらノーベル賞取るなりそこまでいかないにしても世界トップクラスに上り詰めてて当然なんじゃないのか?と思っちゃう。
“女ども、入門だけしといてその先へ行く気はないのか?"ないわけなく、それを解きほぐしていかないとねってずっとみんな言ってると思うんですが…