はてなキーワード: クイズとは
・相席食堂
・机上の空論城
など
好きな芸人は千鳥、かまいたちなどで、かまいたちのYouTubeチャンネルは何個か見たことあるけど、それだったらかまいたちが出てるテレビ番組の方が面白いなぁと思う。出演者の面白さに加えて、企画・演出なんかの面白さが合わさって相乗効果が生まれる感じ。
私が知りたいのはテレビには全然出てないけどすごい面白いYouTuberがどこかにいるんだろうなぁということ。
見たことあるYouTuberはあっちゃんのYouTube大学とかひろゆきとかホリエモンとかメンタリストDaiGoとか。勉強になったり、なるほどと思ったりクスッと笑えたりするのは見たことがある。それはそれでいいんだけど、もっと純粋にただただ笑えて見終わった後何も残らないようなのが知りたい。
お笑い好きとは言っても王道というかめちゃくちゃ売れてる人しか知らないから、売れてない芸人さんのチャンネルでもいいし、YouTubeは面白いけどダメな人のチャンネルとかなんかとにかくオススメいたら教えてもらえませんか!!!!!
https://anond.hatelabo.jp/20231022194834
真っ暗闇の所に、いきなり金ぴか衣装の司会者が自分で拍手しながら現れ
「みなさんこんにちは、レディースアンドジェントルメン、おおっと、レディではない昔のお嬢様も、老い先短いおじいさんも、ここではみ~~んなレディースアンドジェントルメン!」
「さあ、この後は、皆さんが楽しみにしている山崎まさよしライブコンサートです。みなさま、準備はよろしいですかな?」(耳を澄ますようなリアクションをして)「はあい、わかってますとも、早くまさやんを出せって、そういうことですよね、でもチョットだけ待ってください」
「それでは拍手の練習しましょう!さんはい、わーーーー、でもちょっと拍手小さいかな?はーい、よーし、オッケーです。次は黄色い声援を飛ばしましょう。せーの、まっさやーん!おやおや?ちょっと黄色が濃くなった茶色い声がまざってましたが、まあいいでしょう」
などと前説をし始める。
そして最後に何の脈略もなく上着の影から花をボン!と出して、それを振りかざしながら、「それではみなさん、山崎まさよしの登場です。張り切ってどうぞー!」とかやる。
その後、暗転して山崎まさよしが出てきて、何事もなかったように歌う。
司会者が登場して「さすが希代のスーパースター山崎まさよし!すばららしい演奏、ありがとうございました!」等と言っている間に、山崎まさよしは奥に引っ込んで出てこなくなる。
そのあと、司会者が「矢崎まさよしクイズ!」や、頭のなかからまさやんのカラー写真パネルがにょきっと生えるといったよく分からないマジックなどを見せられて15分。
「それでは次は、まさやんを救った? スマップの夜空のむこう、張り切ってどうぞ~!」
会場がバーンと暗転して、スポットライトで山崎まさよし氏が浮かび上がって、何事もなかったように歌う
何故かゴンドラに乗って登場(結婚式会場が会場のため。当日入りしたまさやんが見つけてノリノリで急遽追加される)そして一曲歌い、
今日は僕ひとりだと場が持たないんで(笑)という形で司会者を呼び込み、軽快なトーク。お昼ご飯はご当地自慢のサーモン丼をいただいて大変おしかったーみたいにやる。
そうして「ではそろそろ次の曲準備を」と司会者に促されて、次の曲。その間15分。
隊終わったあと、司会者がまた出てきて、セット暗転している間に「いやあ、いつ聞いてもまさやんの曲は心に染みますね」とかいってちょっと時間を稼いでいる隙に、喉を潤して再登場。
ここで何の前触れもなく「山崎まさよしクイズ」とか始まって、なぜか山崎まさよしも応えさせられるが、妙にノリノリ。ファンなら誰でも知ってるクイズと、本人すら分からない異様にマニアックなクイズと交わって出される。
そして、20分ぐらいやったとで、それでは次の曲準備お願いします。、とかになる
当然次のMCコーナーでは、曲にまつわる寸劇などをやらされる
書店で問題集を買ってきて、ふたりで一緒に、なるべく毎日、その問題集の1単元ずつやっている。
60~70問くらいの問題をウンウン言いながら解き、大学ノートに答えを書きつけ、終わったら交換して互いに採点しあう。
検定を受検して級をとろうとは特に考えていない。単に大人として一般教養をかためておこうよ、それくらいの動機。
そもそも夫婦ともに机に向かってお勉強をすることじたいン十年ぶりなので新鮮。
「あー! ここまで出かかってるんだけど!」
「読めるけど書けない!」
「点、つくんだっけつかないんだっけ?」「ここ突き抜けるんだっけ?」
「こんな部首知るか!」
「ほんとは書けるんだよー!ど忘れなんだよー!」
みたいにキャーキャー騒ぎながらクイズ感覚、ゲーム感覚で楽しんでいる。
ひとりでやったらたぶん全然おもしろくないと思う。ふたりでワイワイやるから楽しめている。
※恥ずかしいので級は明かさない。少なくとも準1級や1級ではない。
よくテレビのクイズの一般正解率とか何々を知ってる人の割合とか出るときどんなに低くても数%で0ってことがないか、あるいはこれ以下の水準の場合そもそも調査人数が多くても数百人止まりだったりするわけだが、逆に正真正銘100万人に1人知ってる人がいるかどうかみたいな知識ってなんだろうか。どういうことで調査すればそういう数値が出るのだろうか。
もちろんある人がある日履いてたパンティの色みたいな個人情報は除くとして、誰でもその気になればアクセス可能な公開情報に限るとする。
たとえばマイナーな専門書学術書で何ページの何行目に書かれていることを一字一句違わずに答えるとかだったら1000万人に1人ぐらいの正解率になるかなあ?
専門書にも載っていしそもそも日本の文字表記がまだない弩マイナー部族が独自に話してる言語について〜はその部族の言語の文法に即して何というみたいな問題出したらどうかなあ。論文にもまだまとめらてない実際にその部族に接触した人しか知り得ない言語ね
組織のルールで明確に「残業は月45時間。年間で360時間ですよ」と決まっていることを毎月のように周知しているのですが、全く守る気のない部下を多く抱えており参っております。
本人たちは強い責任感を持って業務に邁進しているという感覚なのでしょうが、「頑張ろうという気持ちさえあればいい」とダラダラ残業ばかりされては昨今のコンプライアンス的には大問題なのです。
どこかでクオリティだったり、人の良さだったりに見切りをつけて、スピード感を持って業務を終わらせるくせをつけて欲しいと感じ、日頃口を酸っぱくして「どうしたらもっと早く出来るか考えなさい」と指導しているのですが、まさしく蛙の面に水としか言いようのない状況です。
毎月の残業時間申請をするたびに、上司に呼び出され「いつになったら改善するんだ。改善する気があるとは思えない」と言われますし、時には更に上の上司から「組織の方針で決まっているものを守らせられないのは管理者としての怠慢である」と自分のことを棚に上げて言われるのにもいよいよ我慢なりません。
結局のところ、ヒト・モノ・カネに限界がある以上はどこかで鶴の一声を持ってして「クオリティか量のどちらかを諦めましょう。我々は十分頑張りました」と言っていただかないことにはどうしようもないわけですが、組織のトップに近づくほどに「自らに課された責務を最優先するという気持ちがなにより重要である。休みが欲しいだの早く帰りたいだのと権利ばかりを主張するな。まずは義務を果たせ」と言ってくる癖に、いざワーク・ライフ・バランスの話になれば「なぜもっと早く帰らせないのだ。計画的に仕事をしていないのが悪いのだ」と好き放題言うのだから勘弁して欲しいものです。
ですが上の言う気持ちも分かると言いますか、最近の若者、Z世代やゆとり世代というものはどうも「最低限度の仕事」というものを軽く見積もっていると言うか、ツメの甘さが目立つ所があり、こちらも「最低限はやっているんだから、もうちょっと手を抜いてもいいんじゃないか?」とは言い出しにくいものがあります。
ゲーム感覚というかクイズ感覚というか、「仕事というものは任された以上は一所懸命で完遂させねばならないのだ」という気概が感じられないのです。
分からないなら人に聞く、人に聞く前に自分で調べる、調べたり教わったことはちゃんとメモを取る、何度も何度もヘラヘラと同じことを聞いたり同じ間違いをしない、そういった我々の時代であればゲンコツがいつ飛んできてもおかしくないような「社会人としての当たり前」が出来ていない。
出来ていないと言うよりも、「しなければいけないことをそもそも知らない」という印象があります。
そういった彼らの意識がどこかで甘えを産み、仕事のスピード感を奪っているのだろうなと感じつつも、コンプライアンスに厳しいこの時代、彼らの目を覚まさせるのに愛の鞭と言えるものはたとえ言葉であっても振るってはならないわけでして、どうにもヌルい言葉でそっと諭すのを根気良く続けるしかないのが現状です。
この時代の中でも、上手くやっている人たちは恐らくいるのでしょうが、どのようにそれを実現しているのかどうかご教授願えないものでしょうか?
やはり、一人一人に対して酒の席などで腹を割ってお互いの気持ち、私が如何に彼らの将来を案じているのかを多少の厳しい言葉を交えて伝えるということぐらいしかないのではとも思うのですが、今の若者の考えが全く分からず、そんなことでさえ「アルハラだ」「パワーハラスメントだ」「心が傷ついた」と言われるのではとビクビクしております。
傷つきやすいことなど単なる弱さでしか無いものを「どうだ見ろ俺は繊細だろう。違いが分かる男だろう」とばかりに見せつける今時の若者を前に、どう接したら良いのかもう自分では皆目わからないのです。
どうかお知恵をお貸しください。
ケーブルテレビSTBでは見られない場合が多いようなのでBSパススルーとか
地域によってはSTBで見られるようになったかもしれないので最新情報要確認
・02 ツタ(蔦)
・03 卓球
・04 ガリレオ
・05 兼近大樹 かねちかだいき
・06 [すべて][5答]チリ フランス スペイン イタリア オーストラリア
・07 フィート
・15 ニーチェ
・19 C
・21 ヨシタケシンスケ
・22 CANOE カヌー
・25 [3択]フルート
・26 [国]タイ
・27 10(通り
・28e 遠藤航 えんどうわたる
みたいなクイズ
A1トン B10トン C100トン
だと「C!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」って言ったらそんなにはないかな……ってなっちゃうから
じゃあCかな
すげぇどう
どうすればいいのかわかんなくなる
すげえなにこれ
Bかな?
の流れにしたいのかなって思うとすごい選びづらい
たまにBのときもあるけど(適正量を選ぶ)
あと何ができるでしょう 選択式ABCDE
正解は全部
のやつもちょっとヒュッとなる
あ~~~~~んってなるようになっちゃって
ただいったん真剣に考えさせられて
そこに文脈が載るやつは苦手だ…
たしかなんか道徳の教科書で障害のある人のできることってどーれだってクイズで
正解は全部
でなんか脱力しちゃって
それ自体にはぜんぜんすごいって思うんだけど
いったんひっかけられたのが悲しかった
※この記事の趣旨は決して「昔こんないじめに遭った、ひどい」ではありません(世の中にはもっともっと凄絶で深刻ないじめが蔓延しているのだから、大昔のこの程度のことを訴えるために書いたのでは当然ない)。
しいて要約すれば「男性の優しさを厳しく見極めようとしてしまう変な癖がついてしまった人生」の話です。
私はアラサーになった今でも「子どもの頃スポーツが得意だった」「明るくて優しい」男性のことを一切信用できない。それゆえ、好意を打ち明けてくる男性がいると必ず変な尋問にかけてしまう。
小学生の頃、一日だけいじめにあったことがある。原因は私にもほかの誰にも、おそらくいじめてきた男子本人にすらわからない。ただある日突然、クラスのひとりの男子がこう宣言したのだ。「俺は今すごくイライラしているから、今日一日だけ、誰か一人をターゲットにしていじめる」と。その標的になったのが私だった。その男子は普段いじめっ子ではないし、また私も普段いじめられっ子ではなかった。たしか「だれにしようかな」とかでランダムに選ばれたのが私だったけど、その男子は足が速くて、私はめちゃくちゃ足が遅かったので、小学校でありがちな強者と弱者の構図にぴたりとはまっていた。
それで何をされたかというと、かなり記憶が薄れてはいるが、覚えているのは体育館でひたすら一対一でドッジボールか何かの硬いボールを繰り返し投げつけられて私が逃げまわるという光景だ。あれが体育の時間だったのか休み時間だったのか、私がそこに行かない/そこから逃げ出すという選択肢はなかったのか、同級生や先生たちはそのとき何をしていたのか、その場面に至るまでの状況は残念ながらもうまったく思い出せない。
普段問題児でもない子が、普段からいじめに悩んでいるわけでもない子に、一回限りだと宣言してやったことだから、周りの人たちもまあ反応に困っただろう。ボール遊びをしていて(同時に罵倒もされていたが)私が一方的にボールを当てられてしまうのは、単にその子の運動神経がよくて私がどんくさいから、とも言えるかもしれなかった。
このほかにも、たぶん私がトロいせいで、小学生男子の有り余るエネルギーを暴力として喰らってしまったことはある。掃除の時間に床の雑巾掛けをしていたら男子がいきなり頭の上に座ってきて、床に顔面を強打したことがあった。どうもその男の子は、雑巾掛けをしている子たちの上に次から次へのしかかろうとして、雑巾係はその股の下を潜って避けたらセーフみたいな遊びになっていたらしかった。でも私はトロいから避けられなかった。床にぶつかった衝撃で鼻の付け根がツンとして涙がぽろぽろ出たが、目の辺りを打った生理的反応だと思われたのだろう(実際そうではある)、周りの子たちに「目、大丈夫⁈」と聞かれたのに対して咄嗟に「うん大丈夫だよ」と答えてしまったらそれ以上はなんの騒ぎにもならなかった。
上記の男子の二人とも、もし小学生の頃の様子を友だちとか親とかに語らせれば、「スポーツが得意で明るくて優しい男の子でした」という具合になるんだろうと思う(知らんけど)。でも、私はそうじゃないことを知っている。だから私はいまだに信用できないでいる。「子どもの頃スポーツが得意だった」「明るくて優しい」男性のことを。
私は男性に好意を打ち明けられると真っ先にする質問がある。「小学生の頃、女の子にボールをぶつけたことはある?」だ。平成生まれのわれわれの多くはドッジボールというきわめて暴力的かつ非人道的な競技を強いられていたはずだから、「ない」と即答されるとむしろ変だなとか思ったりしつつ、まあその後もいろんな質問をしてみる。これはべつに答えだけのドボンクイズじゃなくて、表情とか言葉の選び方から私は相手が「件の男子」からどれだけ遠いかを必死に見定めようとする。そんなことは不可能で無謀だとも思うし、「本当の優しさとは何なのか」なんて私にもわからないけれど、どうしても探らずにはいられないのだ。
(ないと思うけどもし万が一この尋問に覚えのある人がこの記事を読んでいたら、どうか私の身元はバラさないでそっとしておいてください。)
大人になった今考えると、当時のそういった男子たちは有り余るエネルギーだけではなくて中学受験勉強のストレスなんかも抱えていたのかもしれない。私が通った公立小学校の学区域は地価の高いエリアが含まれていて、ハイレベルな中学受験をする子が非常に多かった。エネルギーにせよ親からのプレッシャーにせよ、それを正しく言語化できずに誤った仕方で発散してしまう子どもはきっと少なくないのだろう。
過ちという点で言えば、私だってその後の女子校時代や大学時代には、性格が弱々しいタイプでもなかったから(運動神経が悪い=弱者という動物的慣習は小学校で終わるのが世の常だ)、言動を誤って他人を傷付けてしまったことは何度もある。だから「小学校時代の」「男子の女子に対する」「身体的暴力による」いじめだけをあげつらうつもりはない。言葉による暴力がどれだけ深く他人を傷付けうるか知っているつもりだし、自分がやってしまったそれは一生後悔し続けると思う。
私がここで語りたいのはもっと軽薄なことで、ようするに、結婚式の回想ムービーだかスピーチだかで「スポーツが得意な、明るくて優しい男の子でした」とか形容されてニコニコしているけれど実際は猿から人間に進化しきれていない野蛮な小学生だった過去のある男性がそのイメージを保ったまま幸せな結婚をして平凡な家庭を築いているケースは日本全国そこらじゅうにわんさか転がっていると思っていて、ただ私だけは絶対にその類の男性にだけは引っかかりたくないし、そんな男に抱かれた日には死んでやるという気持ちで生きているということだ。
私が今のところ最も「優しい」と思えるのは、「自分の優しくなさや社会の優しくなさ(政府とか入管とか)に対して厳しく在ることのできる人」だ。いつでも穏やかにニコニコしていることとか、横にいる人の荷物を持ってあげることなんて、誰でも思いつくし誰にでもできる(下心があれば尚のこと)。「優しいは作れる」のだ。そんな小手先の優しい行為からは、その人が他者の痛みにどれだけ鋭敏で、自他の暴力性にどれだけ怒れるかなんて窺い知ることはできない。だから、私が無駄な問答を通して知ろうとしているのはおそらく、その人が自分の無意識の暴力の可能性をどれだけきちんと検討できるのか、みたいなことだと思う。
ケーブルテレビSTBでは見られない場合が多いようなのでBSパススルーとか
地域によってはSTBで見られるようになったかもしれないので最新情報要確認
・02 天高く)馬(肥ゆる秋
・05 めいけん)チーズ
・06 [読みましょう]けいとう・きく・つつじ・ほおずき・すすき
・07 『西遊記』
・08 小田和正 おだかずまさ
・09 [近似値]11,495
・13 [3択]鈴 虫
・15 ニュートラル(コーナー
・16 東野圭吾 ひがしのけいご
・19 ブルース・リー
・21 土方歳三 ひじかたとしぞう
・25 松前(漬 まつまえ(づけ
・27 隋