はてなキーワード: イコールとは
アメリカには、Financial Psychology と書くが、投資心理ではなく、
自身の不合理なお金の信念に気付き/手放し、お金との付き合い方を健全化しましょうという主旨のセラピストもいたりなんかする
・お金の回避
(教育レベルが高い人/福祉系に人にありがち。十分な報酬を受け取らない。むしろ無意識的に拒否する)
・お金の崇拝
(そのまま。稼げば稼ぐほど幸せになると信じており、それと同時に自分は充分な額を稼げないと信じている。高額商品を購入したり買い物依存症だったりする傾向が強い)
・マネーステータス
(自己資本や年収と自己価値をイコールで結び付ける)
・ドケチまたは病的な貯蓄屋
(お金に対し異常な警戒心を持っている。いくら貯蓄しても永久に安心出来ない)
だそうな
そうすると「どういうプレイが好きなの?」
ってニヤニヤと聞かれるパターンが多い
そしてそれを聞かれた途端に萎える
私がドMであるというカミングアウトは、イコールある程度の範囲内なら何をしてもいいですよという意味で、私がドMであると知った相手が、これはしてもいいかな?これは効くかな?好きかな?駄目かな?って手探られながら好き勝手にプレイされるのが好きなのだ
要は相手の要望や欲求にどこまで答えられるか自分の身体を使って試すや知らない快楽を味わうのが好きなのであって、だから絶対にどういうプレイが好きかなんて答えない
答えられる筈がないのだ
オレもたぶん増田から見たらはてサの一員だと思うんで、いっちょかみしていい?
あのさー。そもそもあの弁護士センセの話は、「ダイバーシティの尊重」イコール「制服の否定」という例から始まっているけど、たとえば「制服」によって同列に並べることで初めて個々の違いを尊重できるというケースもあるのだから(たとえば身分制社会においては、貧富の差を感じさせないことで各自を社会的階層に固定せず多様な性質の発露が期待できる)、制服イコール画一主義という発想があまりに単純でおかしいのね。従って、この人は極めて単純で形式主義的なダイバーシティ尊重の話をしている(あるいは堀弁護士はそもそも形式主義的なもととしてしかダイバーシティを理解していない)ということになる。
その前提の下で「多様性(ダイバーシティ)尊重という主張は形式主義的だ」「本当に大切なのは個性尊重だ」とか結論付られても、それは「アナタノ定義デハソウデスネ…」としかいいようがない。その「あなたの定義」がそもそもおかしいので、話にならないんだわ。つまりこれは典型的な案山子論法だってこと。「自己の考えたおかしな主張」を引っ張り出し、実在ならぬ「案山子」を相手に勝負を仕掛けて「お前はここがおかしい!」とドヤって勝利宣言。そりゃ勝ったように見えるよ。だって相手は案山子だもの。
こういうお話を真面目に相手するやつがいると思わなかったので、今回の弁護士の記事はさくっとスルーしたよ。けど、案外騙されやすい人も多いもんなんやなって。
「多様性の尊重」というスローガンは捨てた方が良い件|弁護士ほり|note
https://note.com/horishinb/n/n99e0a9e9d7a3
というエントリで
要するに「多様性の尊重」ではなく「個人の尊重」が重要だったのです。人間は一人一人違う存在なのですから、個人というのは言うまでもなくもともと「多様」です。つまり「個人の尊重」は「多様な個人の尊重」というのとイコールであり、わざわざ「多様性」という言葉を使わなくても、「個人の尊重」と言えば良いだけだということなのです。
この意見に対して賛同する向きや自分の都合のいい解釈をする人たちが観測されるが、重要な批判がなされていないのでしておこうと思う。
多様性、英語ではダイバーシティ、を推進しよう大事にしようと言い出した/言っていたのは主にどんな主体だったか。
元記事の主張では憲法を引き合いに出して、個人の権利が大事なのだ、とそれ自体は常識的な事を言っているが、
そもそも国家や個人はそれ自身ダイバーシティを大事にしよう等とは思っていないし言っていない。
国民の多様性を上げるために移民を導入したり日本語のわからない人口を積極的に増やしたりするだろうか。
家族構成の多様性を増やすために自分以外の子供も引き取ろうとしているだろうか。
Noである。
ダイバーシティを取り入れる事を主張し始めたのは、主にアメリカやヨーロッパの企業や大学、あるいは官公庁などの組織である。
これらの国では歴史的経緯によって国の構成員は多様化していたが、人種や出身階級、母語によって、そう言った組織での明らかな加入難易度や待遇の区別があった。
それには一定の合理性は当初存在した。白人キリスト教徒は黒人やイスラム教徒よりも優位に裕福な家庭で生まれる率が高く、犯罪率も低く、よって有能な人材の割合も高かった。
このあまりに簡単な理屈は、容易に各種の組織で広まり保存される。本来評価したいものとは全く別のものを評価しているにも関わらず、である。
本来評価したいパフォーマンスとはなんなのか、という議論はかなり奥深いテーマであるが、国や社会の構成要員がすでに多様化しているならば、組織の顧客も多様化している訳だから、
自組織の人材ポートフォリオもそこに合わせて多様化するというのは、当然一つの選択肢である。
ポートフォリオ目標値を設定すると、人種などの単純属性のソートだけでは選別できないので、もう少しマシな別の要素を評価に入れる必要がある。
個人が出世が適正にできるとか、入りたい組織に入れる、などという事は考慮されていない。
この間、「休日は翌週の準備に消える」という状況で、コロナの影響もあって出歩くことも減ったし、それが推奨されたので、何となく自分を肯定されたような気がして半年やり続けてしまった。
で、この4連休はようやく休める状況になったんだけど、いざそうなると何をしていいか分からない。ひたすら寝て、Youtubeとかネットサーフィンして過ごしてしまった。3日目の夜にしてやっと「あ、本読んだり映画見たりすればいいのか」と気づく有様。
自分自身の問題も自覚してるけど、余暇を過ごすにもコツというか、放っておくと減退するスキルのようなものが存在するんだろう。余暇を過ごせないほどに忙しいと、余暇を過ごすスキルが減退し、自ら「何かやりたい」と思う気持ちが削られる。
もちろん「仕事と趣味はイコールです」みたいな人もいるし、そうなれれば良いのかもしれないけど、現状自分がそっちに行ける気配はないし、余暇活動を新たな稼業にできるほどの余暇スキルもない。
悪い意味で、「定年退職後に何もすることがない初老男性」の気持ちが少しわかってしまった。すぐに解決する問題ではないかも知れないけど、一応定年と呼べる歳になるまでには数十年あるので、何とか上手く時間配分していきたい。
そりゃ本場の西海岸なんかでどういう風に考えられてるのかは知らんけどさ
「そもそもなんでポリコレなんか強制されなきゃいけないの?」って聞かれたら「そうしないと売れないからだああああ!!」つってたのがはてなのポリコレ信者なんだぞ
つまりポリコレイコール想定顧客層に対する忖度あるいは媚びとして必要なもの、としか解釈してなかったわけ
まあね、一方的に正義を押し付けている自覚なんかしたくないのはわかるんだよ
でもそれならチャイナマネーのためにあっちにも媚びるのだって当たり前じゃんね
「思想の押し付けではなく、商業主義の帰結に過ぎない」というのであれば当然そういうことになるし、実際今までは見過ごされてきた
それが炎上した途端にいきなり「中国に配慮するのはポリコレではありませええええん!!」ってさあ、手のひら返すのもいい加減にしろやって言いたくもなるだろうが
確かに最近のディズニーが先陣切ってポリコレを推し進めてきた事実はあるにせよ、一方でディズニーはハシゴを外された被害者であるとも言える
価値観が決定的に違う奴ら全員にああやっていい顔をしてきたのは、何もディズニーに限った話ではない
ポリコレとは関係ないけど日本の外交もだいたいそういう感じだった
でもそういうのが今までナアナアで済んでたことの方がおかしかったんだよ
俺が読んでた頃のジャンプでトラブルとかの乳首が週刊誌では規制されてた(単行本ではモロだったけど)のは法律じゃなくジャンプの判断だから別件。
俺は持論としてAVにしても一部の性器の露出がある映画においても、対象年齢のゾーニングをしたうえでの表現物において性器に修正を加えないといけない法律は表現規制圧力だと思ってるよ。
>別に圧力呼ばわりする事は賠償責任を求める事とイコールでは無いのは自明ですよね?
自明だ?wしらねえよwwじゃあむしろおまえは「自分が気に入らない消費者の反応」を「圧力」扱いしてどうしたいんだよwwwマジでただ「圧力」と呼びたいだけなの?wwwなら勝手に呼べばwww
ん? 法的根拠に基づいた行動ならむしろ正当という見方もできるのでは?
例えば週刊少年ジャンプの表紙に無修正の性器が載せられていたら、恐らく「法的根拠に基づいた」規制の対象になると思いますが、それは出版社の自由判断を蝕む「圧力」であり正当ではないと考えるのですか?
あるいは、ある女性がアニメのポスターに対して批判を行った時、そこに法的根拠が有れば「圧力」であり不当で、法的根拠が無ければ「圧力」ではなく正当、という事に成るのですか? あべこべでは?
一般の消費者によるいかなる批判・抗議活動も「法的拘束力はなく」「それに従うか否かは企業の自由判断によるもの」が圧力に該当しない根拠になるのであれば、
法的は兎も角、権力による場合は、政治家によるかなる批判・抗議活動も「法的拘束力はなく」「それに従うか否かは企業の自由判断によるもの」と言えてしまうのでは?
「人事によって発生した労働者の損失の賠償責任を消費者に求める(=「"批判"を"圧力"呼ばわりする」)」は俺ルールかと、
別に圧力呼ばわりする事は賠償責任を求める事とイコールでは無いのは自明ですよね?
また、「直接的には無関係であり」とありますが、間接的には関係は有るのでしょうか?
また、「直接的には無関係であり」が圧力でない事の根拠になるなら、法的または権力による働きかけの場合も「間接的な関係である」事が示せれば圧力に該当しない、と言えるという事でしょうか?
私は2歳の娘を持つ母親だ。性自認は女性。そして、小学生の頃からずっと女の子のマンガ絵を描いてきて、今では萌え絵に分類される絵を描いている。
私が萌え絵を描く理由、それは自分の中の可愛いと思う気持ちを表現したいからだ。お金のためじゃないし、誰かに強要されているからでもないし、誰かに褒められているからでもない。
ただ、その可愛いという気持ちの中に性的なものが含まれていないのかと言われると自信がない。女の子の腰回りを描くのが好きだという自覚はあるが、それが性的な視点でないのかと言われると自分でもわからないのだ。
そして、萌え絵に性的加害性があると言われるともっとわからなくなる。私自身は思春期にPS版のTo HeartやDC版のKanonなどに親しんだ人間で、萌え絵に積極的に触れる思春期を過ごしたが、それが私に何か加害したかと言われると心当たりがない。むしろ萌え絵に多大な影響を受けながら絵を描いていた。
しかし、これはあくまで私の場合で萌え絵に加害された思春期を過ごした人もいるのかもしれない。
そんな中で、娘が生まれてもなお萌え絵を描き続けている自分はなんなのだろう?このまま娘が育っていくといつか「あなたの描く絵がキモい」と言われる日がやってくるかもしれないのに。そんな日が来たとして、私は萌え絵を描くのをやめるのだろうか?と考えるが、それでもやめないとは思う。
正直、子供が生まれる前はきっと生まれたら絵を描くのをやめると思っていたが、実際に生まれて見ると別に創作意欲が下がるということは全くなかったことに自分でも驚いている。だから、たとえ娘からでも「キモい」と言われた程度ではもうやめることはないだろう。
一方で、私の好きが誰かの気持ち悪いであるというのはきっと事実なのだろう。私も気持ち悪いと思うものがあるが、それを好きな人のことも知っているので安易に気持ち悪いと言うのは避けているからだ。
キモいと性的加害性があるというのは必ずしもイコールではないが、今でも誰かに気持ち悪いと思われているであろうことを自覚しながら絵を描いているのと同じように、誰かを性的に傷つけていることがあったとしても絵を描くことをやめないかもしれない。発表する場を考えることはあるだろうけど。
だって、好きなものを好きなように描いている間は本当に楽しくて、ほかの人のことなんて頭からみんな追い出してしまうのだから。
Dr.ナイフとかいうやつが白井聡のことを無名呼ばわりしてる。
おれは白井聡のファンでもないし、白井聡の思想に共感しねーし、白井聡のツイッター書き込みは普段から口悪すぎて下劣だと思うし、今回の「松任谷由美は夭折しとけば良かったのに」ってつぶやきはホントに最低だと思うけどな、
Dr.ナイフ曰く、
「白井聡のこと知ってました?
僕は知りませんでした。
だと。
あのなあ、おまえが白井聡を知らねえのは、白井聡が無名なんじゃなくて、おまえが教養のない人間だからだよ。
白井聡のデビュー作『未完のレーニン』 は、若者が書いたマルクス主義やソ連についての本ってことで出版当初ちょっとした話題になったんだよ。
おまけに2013年に出版された『永続敗戦論』は、角川財団学芸賞を受賞して、これはかなりの話題になり、新聞や雑誌の書評欄でも取り上げられたし、書店の人文系の棚に行けば平積みされるくらいだったんだぞ。
そのおかげか知らんけど、白井聡は毎日新聞とか朝日新聞で定期的に書評や時評を書いたりもしてんだよ。
もっと言えば、Dr.ナイフが執筆依頼されたあげく、やっぱり匿名アカウントは不味いだろってことになった、あのウェブ論座にも白井聡は何度もコラム書いてんの。
何が言いたいかっていうと、白井聡っていう名前は、朝日新聞とか毎日新聞を定期的に読んでいたり、月1でも本屋やAmazonの人文系棚や話題作をチェックしてたり、ウェブ論座を見てる人であれば絶対に目にする名前なの。
百歩譲って本を読んだことなくても(偉そうにいってるおれも、『未完のレーニン』しか読んだことないわ)、多少なりとも政治とか政治哲学とか思想とかに興味があれば、白井聡っていう名前は知ってるはずなんだよ。
だからDr.ナイフの「ぼくは白井聡なんて人知りませんでした」 ってつぶやきは、イコール「ぼくは新聞もろくに読まなければ、書店で政治思想や社会評論についての本もチェックしませんし、ウェブ論座だってまともに読みません」って表明してることなんだよ。
世の中には娯楽があふれてるし、時間とお金は有限だから、わざわざ高い金払ってマルクス主義がどうとか戦後日本がどうとかなんて本を読むやつはかぎられてるよ。
だから世の中の大半の人は白井聡のこと知らないかもしれないし、知らなくても問題ないよ。
でもDr.ナイフは、安倍政権に疑問持ってんだよね?政治意識高い人なんだよね?リベラリズムがどうとか民主主義がどうとか独裁政治がどうとかツイッターでつぶやいてるんだよね?
その人が話題になった本も読んでなければその著者の名前すら知らない、それどころか新聞の政治欄や学芸欄も読んでない、それどころかそれどころか、インターネット上の論壇すら見てないってさぁ。
じゃああんたの口にしてる、リベラリズムとか民主主義とかって言葉には、なんら教養的基盤がないってことじゃん。だってそうでしょ、新聞や本を読まないで、どうやってそういう抽象的な概念について考えることができるの?勘ですか?
つまりDr.ナイフって、「なぜ社会は自由で公平でなければならないのか」とか、「民主主義とは何か」みたいな、本質的、形而上学的なことを考えず、ただなんとなくそのほうが良さそうだからって理由で、軽ーい気持ちで、「リベラルな社会が大事ですよね」とか、「社会には多様性が必要ですよ」 とかいってるだけだろ。
まあね、Dr.ナイフがそれで楽しければそれでいいんだよ。
仲間打ちでツイッターのいいねとRT稼いで気持ちよくなるのは個人の自由だ。
でもなあ、メディアや知識人や新聞記者は、こういう言論人気取りの無教養者をもてはやすなよ。
本も読まない、新聞も読まない、ウェブ上の小難しい対談や論考すら読まない、読むのは新聞ウェブ版の政局記事ばかりで、ツイッターのつぶやきは理論的な背景や裏付のない思いつきと感想だけ。
そんなやつを「ツイッターデモを引っ張るインフルエンサー」 なんて持ち上げるなんてアホだろ。
まともに新聞読んで本読んで歴史的に理論的にものを考えてる他の執筆者に申し訳ないと思わないのか?
……思わないのかもね。
だって、ツイッター上でもいまだにDr.ナイフのことを好意的に取り上げてる大学教授がいるんだもん。
当のDr.ナイフはといえば、繰り返しになるけど、白井聡すら知らない程度の知的関心の低さなんだけどね。
https://note.com/yo_tsu_ya_3/n/neda17138f9f7
これ読んだけど、書いたやつもブコメも頭湧いてんのか?
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前々から思ってたけど、性的指向と性的嗜好を分けるやつは全員頭おかしい。
自分が受け入れられるものを性的指向と呼び、そうでないものを性的嗜好と呼んでいるだけ。
そもそもなぜ小児性愛が嗜好で同性愛は指向なのかが、この記事にはなんの説明もない。
っていうのがよくある主張だけど、なんでジェンダーというカテゴリ分けだけ特別視してんの?
異性と同性どちらを愛するかということと、大人と子供どちらを愛するかということは、カテゴリの分け方が違うだけで同じ事象だろ。
「実在の児童に手を出す前に、ぜひラブドールを」って文言が炎上の原因になってるみたいだが、この文言こそツイート主の小児性愛が「性的指向」であることの証左だろ。
「このままだと実在の児童に手を出しちゃう」っていう自分ではコントロールできない切迫した思いがあって、ラブドールで救われたから漫画書いたんじゃねぇの?
あと、そもそもこいつの主張は「犯罪だからダメ」としか言ってない。今の日本の法律が完全に正しいと思っているアホ。
「法律における犯罪=人間として正しくないこと」だと思っているやつは思考停止のアホだから自分が正しいと思ってこういうこと書けるんだろうな。
同性愛者が現実で同性と結ばれても、当たり前だが全然問題はない(法律違反になる国も実在するのですが……それはまた別の話として)
いや、矛盾するから「別の話」にしたんだろ?いいかげんにしろ。
同性愛が法的にも倫理的にも認められていない国で、同性のラブドールに救われているやつにも同じこと言うのか?
それは遅れた国の法と倫理観だから!とか言うんだろうなこういうやつは。アホだから。
言っておくが、世界に「絶対的に正しい」なんてことは存在しないからな?
この世界のどんな時空においても、その場その瞬間そいつが思っている「正しさ」があるだけだ。
だから「自分にとって気に食わない!だから見えないところでやれ!」って主張はどうぞご自由に。
だけど誰にも誰かを「間違っている」と責めることはできない。
もちろん司法が法律で裁くことは出来るが、それがイコール「間違っている」わけではない。
もう一点、
ラブドールで発散することで、実在児童への性的加害欲求が抑えられる人もいれば、ラブドール使用によって実在児童への性的加害欲求が助長されてしまう人もいる。異論はあるか?ないだろ?
はい、異論ありません。なので、批判するためには「抑えられた人」が「助長された人」よりも少なく、ラブドールの発散によって加害が増えたという証明が必要ですね。
まぁ、ツイッターの規約違反なのはそうなので、仮にツイッターからアカウント凍結されたならそれはしゃーない。
ただそれも別にこいつがどうのこうの言える話じゃないけどな。
規約違反だからといって倫理的に間違ってるってことも無い。ただそのサービスを使う権利が無いってだけ。