2020-06-16

EXPO'70 の呪縛

大阪万博会場3Dと、当時の写真が見れるサイトみつけて、ノスタルジックエモおしゃすぎて死にそうなのと、

1970年に生まれていなかったことを激しく悔やんだので、HP感想と、私のEXPO70の呪縛について語る。

https://www.asahi.com/special/expo70/#3d

(朝日新聞の回し者ではありません。政治思想とかもないので、あしからず)

こんなにエモちらかしたイベント、今やっても大盛況になるに決まってるじゃない。

しろ、今の日本経済状況で、こんな大規模に各国のパビリオンを作れるとは思えない。それが悲しい。そして1970年代の、生き生きとした日本ノスタルジックに語るかつての日本人たちと同じテンションで話せないのが悔しい。1970大阪万博テーマにした作品は数多くある。20世紀少年しろクレヨンしんちゃんのオトナ帝国しろ万博世代でなくてもノスタルジックに浸れるが、当時を経験している人々と同じ熱を持てるわけがなく、見聞きした情報脳内補完するしかないのだ。

これはクリエイター作風にも影響すると思う。共通言語で語れる何かは、その世代の時を生きる人たちに対して、何らかの影響を人生に及ぼしたるものであり、共感を与える。語らずとも全国民が共有して認識している事柄、そして気持ちを揺さぶる何かに1970年があることが、とても羨ましいのだ。

翻って、我々の世代での共通言語とは何か。私が物心ついた時から記憶では、地下鉄サリン阪神・淡路大震災9.113.11、そしてコロナだ。これらは、世界レベルでの共通言語かもしれないが、ちっとも、たのしくない。わくわくしない。ノスタルジックを感じさせるものではない。なんなんだろう。

大阪万博のに関連したキーワードは、とっても心が踊る。「エキスポ」「パビリオン」「人類進歩調和」どれもなんか楽しそうで、なんかかっこいい。インターネットもなく、情報が少ない時代に、情報がとんでもなく詰まった、夢のテーマパークが、現れたらそりゃ楽しいよね。現代は逆で、情報過多な社会と言われている。取捨選択しないと自殺まで追い込まれるくらいに情報が多い。

楽しい自由は、ある程度の不自由の上に成り立つと思っていて、制限がある中でその隙間をぬって自由を見つけるから達成感があるのかなと思う。授業中にマンガ読み放題だったら、多分読まない。今は情報が多過ぎるがゆえに、しんどいニュースがいっぱい拾い上げられやすいのかなと思う。誰かを叩いたり、妬んだりのほうが視聴率アクセス数が稼げて、キラキラした未来の裏を暴露して足引っ張ったり、前向きなことやるより後ろ向きなことを世に出したほうが短期的にお金稼げるのかなと思う。

あとは勢いが出なくなってる。でけーイベントやろうと思うと、ある程度頭空っぽにして、イケイドンドンで進めていく人がいないと、周りの意見ぜーんぶきいてたら企画倒れすると思う。岡本太郎太陽の塔、当時だって反対する人が沢山いたというのだから、今だったらできてないかも。後世から見て賞賛されることも、現世で叩き潰されたら、なんも残らんなと。保守的に立ち振る舞うのが今のSNS社会処世術だけど、破天荒やばい人が拾い上げられなくなってる気がして、なんでも世論に問いかけて同意を得るのは違うんじゃねーか、と、渋谷駅岡本太郎の絵を眺めながら、思った次第であります

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