はてなキーワード: きららとは
僕の心のやばい奴みたいなコッテコテの男性向けなラブコメ漫画描く女ってどういう成り行きでそういうふうになっちゃんたんだろうな。
可愛い女を描くこと自体好きな女がいることは後宮ミステリーのヒロインだけでも可愛いヒロイン大勢いることから普通にわかるけど。
ぼざろきんモザとも違う(というかきらら系は女性向けヒロイン描く心理と地続きだろう)、あざとさにえっちぃ感じをも詰め込んだああいうタイプのマンガを描く女という存在よ。
「あんた男向けで魅力的な女描ける稀有な存在よ。飽和状態の女性向けより「男向け描ける女」として自分売った方が売れるよ」みたいなこと編集に言われてて、そうしたらほいほい金のために従っちゃうもんなのかね?
dorawiiより
この下記の続きだよ
https://anond.hatelabo.jp/20240215175030
あのなあ、俺ァな、
グッズ展開されてた、きららファンタジアがサービスしてた時にAチャンネルを
BS日テレでもアニマックスでもBSトゥエルビでもAT-Xでもいいからやって欲しかったんだよ。
しかし一体何だよこのザマは。
みらいデリどころか生魚のみらいデリを作らざるを得ない、値上げラッシュ、スタグフレーション、インボイス制度、旧ソビエト圏や中東での紛争、
娯楽界隈はどうだ?
ドラクエモンスターズスーパーライトもシノアリスも完結し、ハガモバとエンゲージキルが3月に打ち切り終了、
何処の界隈の連中見ても呪術廻戦、ダンジョン飯、フリーレン、僕ヤバ、推しの子、スパイファミリー、鬼滅、ウマ娘、ブルアカの話題ばっか、
東映さんは555や剣、デカレンの20周年企画やってくれたのに
アニプレも芳文社はどうだ?Aチャン原作15周年で何もしてくれなかったじゃねえか!
同局の加入者のTwitter(X)実況は該当放送時間にお休みしてるとかになってたら怒るぞマジで。
それにTwitterがX名義になりAPI制限なんてなる前に放送出来なかったのかよ?
"問題は他にもある、元旦の地震でBCAS喪失、代替、仮設住宅もBS・CS受信出来ないのになってるAT-X加入者もいる、
または未だに避難所生活、仮設入れるのが再来月以降とかのケースも考えたことあんのかよ?ふざけんじゃねえぞ。"
同作再認知で一発逆転狙うなら、話題の中心にさせたいなら、新グッズ発売までこぎ着けたいなら
最低でもにじさんじ・のりプロ・ホロライブによる合同視聴会を開催した方がいいレベルになってしまってるじゃねえかよ。
俺の中は今第4のマジンガーZEROが誕生しかけてるからな、マジで
(第3のマジンガーZEROはのんのんびよりの時に現れた。 第2は欠番扱い)
そして超俺様が心の澄んだ花を咲かせて静けさが包み争いのない世界にするために必要なことを教えてやるよ
そうでもしなきゃ人類はまともに宇宙に行けるはずなんてねえよ。
こんなレベルにまで気持ちを暴走させすぎてしまったんだよ、業界も放送局どもも。
あーあ、グッズ展開されてる時期に正規なテレビ波放送で見たかったよ、Aチャンを。
2012年や2014年、2016年どころか2017年夏という時期でもサボりやがった、
改めてアニメ視聴界隈の奴らは令和の作品ばっかしか語らねえ、まじでほんまもんにおかしすぎるこの世の中は。
おまけ
https://twitter.com/sage_seiji/status/980779715228155910?t=5g9LgO2nytFKuQLpOoU3Uw&s=19
少年漫画なら男ということでいいな?
まんがタイムきららを勧める。
10-30代男性をメインターゲットにした、萌え4コマ専門誌だ。
http://www.dokidokivisual.com/
上の公式webを見ればわかるとおり、ほわほわした柔らかい絵柄の女の子たちが仲睦まじくする作品ばかりだ。
まず「かわいい」が先にくるので、露骨なエロやグロやポリコレといった難しいことから心理的に離れて、頭を無にして読めるものが多い。
創刊の経緯として、芳文社は従来まんがタイムという4コマ誌をだしていたが、年齢層がどんどん上がっていくため
若年層にターゲットをあわせた雑誌をという経緯で発足されたものだ。
ちなみにまんがタイムの最新号の表紙がこれだ。
https://manga-time.com/magazine/mangatime.html
薄々気づいてたんだけど
最後は誰だっただろう?
その後にも居るには居るんだ
ほんの一例だけど、五等分とか、かぐや様とか、リコリスとか、なんか爆発まではしてないんだよね
そんで鬼滅の刃の禰豆子(2019,2021,2023)は正直かわいいがエロくない、萌えではない気がしてしまう
例えば最近だと葬送のフリーレン(2023)が人気だけど、フリーレンがやはりエロくない
SPYxFAMIRYは、アーニャが人気だがあれはもうマスコットだし、ヨルさんがそういう人気が出る感じもない
推しの子はどうか? カナちゃんが思ったより爆発しない、ああいうのが急に爆発する匂いはあるんだが
去年、一昨年を振り返ってみよう、人気順に
ぼっちざろっく 何で爆発しなかったの?
進撃の巨人 不在
呪術廻戦 不在
このすば めぐみんは爆発したが、これも2016,2017なので世代としてはリゼロなんだ
高木さん これは爆発したかもしれない、見てないが 高木さんは2018,2019,2022
かぐや様 爆発しなかった 2019,2020,2022,2023
式守さん 人気出たのに爆発してない
リコリス なんで爆発しなかったんだ?
よう実 爆発なし
まちカドまぞく これは中爆発か? 2019,2022
古見さん うーん
アビス キャラ人気は出たが萌えとちょっと違う 2017,2022
うーーん
やっぱり「人気が出まくるシコい萌えキャラ」がここ2017年以降すごく弱い気がする
原因は何だろう
・シコい萌えキャラ人気一点突破での作品が減った、良くも悪くもテクニカルになった
・可愛いキャラが居てもシコくない、萌えない、きゅんきゅんしない
・中性的なキャラが多い、ケモノだったり、ちびっ子だったり老人だったり
・きらら系が減った、というよりきらら系のメインとなるキャラが中身おっさんみたいなタイプが増えた、露出も減った
・キャラが多すぎるケース
・全体的にガードが硬い絵柄が多い
いやあるのかもしれないけど大ヒットになってない
やっぱこれ業界の老化かなぁ
例えばだけど、めっちゃフィギュア化されまくる女性キャラとかが少ないんだよな
マジでエロ同人誌のランキングとか見てもオリジナルばっかりだからねここ3年か5年
おかしいと思ったんだよな
困ったなぁ
まあ、絵自体は下手だろうなと思いつつ表現が面白いからという感覚が皆無ってわけでもない。
https://www.pixiv.net/artworks/110374178
↑たとえばこれはモノクロページ見ると指とかが崩れてるというかこなれてないとは思うが、アウトラインのタッチがなんか幅太で「もあっと」しててあまり見ない描き方で面白いなとは思う。
あとは決して非エロで数万ブクマ稼ぐ絵師と比べれば上手いわけはないという絵師もこの描き方が好きというのはある。
その描き方というのははっきり言ってしまえば、模範的な画力を学ぼうとした結果の学習失敗例なのかもしれないが、その失敗例の具体的なあり方というのが作者個々に異なっていて面白いのかもしれない。
ようはこのおっぱいの描き方がエロい、今日はこの描き方の絵じゃないと満足できないと代えが効かないことがありえるのだが、それは、標準的な画力の定義からみて「変じゃないこと」からの逸脱の仕方がある種の傾向性を持っているからじゃないのかなと。
平たく言えば手癖かな。
んでもしその絵師が下手に向上心を働かせて今より絵が「改善」されてしまったら、そもそも私にとってのその作者にのみ見て取れる絵の個性は、「逸脱」によって実現していたのだから、もはや私には何の個性も見いだせない絵になってしまいうる。よくいるラノベソシャゲ絵師と同等になってしまって、そいつじゃなきゃいけない理由がなくなっちゃうんだよね。
絵なんで学んでない人のプリミティブな絵が面白いなどと軽々しくいうつもはないんだ。創作者でそういう人に限ってプリミティブという枠で見てもなんの個性も見いだせない魅力のない絵としか思えないのもあるから。さすがにそういうのには守破離だろって言いたくもなる。
それに一般にはうまいとされない絵に「逸脱」を「良さ」として感じ取ることができる(手前みそな言い方だが)のも、一種の立派な感性じゃないのか。この種の逸脱は個々人に依存する度合いが高いために再現性が低く神秘的だなとも思う。アートの妙というのはさすがに言い過ぎか。
これは発達障害特有(俺発達障害なんだ)なのかもしれないが、絵自体を見る感覚がないわけではない。むしろ今発達障害と診断されるような人間の方が人口としてもし多かったら、俺みたいなのが魅力的に感じる絵が社会的にも上手い絵(パースとかじゃなく感覚のレベルで)とされてる可能性まであると思う。
うまくなった?せいで俺が魅力を感じなくなった作家の例
上手くなる前の好きだった絵。バキュームベッドでの顔のつぶれ具合が醜すぎずちょうどよいぶちゃいくぐらいで抜ける。
https://www.pixiv.net/artworks/110374178
そのあと
https://www.pixiv.net/artworks/112869300
↑もうただのジェネリックきらら風絵師になっちゃって抜けなくなった。半分見限ってる。うまさと引き換えに、バキュベッドの良さを引き出せなくなった「わかってない」絵師になってしまった感がある。
男女比4:1ぐらいのうちの大学、オタクだらけなんだけど、オタク系サークルはどこも男オタクばかりだから女が割って入る(?)のはちょっとキツい。オタクじゃない運動系のサークルも入ってるけど女オタクキャラになってしまったので高校の部活(←女子高、化学部)みたいに女オタクであることが当たり前なコミュニティーがほしい
アニメ研、SF研、オールジャンルのマンガサークル(×2)、声優同好会、ニコ動サークル(←公称、実態はコスプレ&音ゲーサークル化してるらしい)、きらら系同好会、百合研究会、ボカロ同好会、などなどオタクなサークルは多いんだけど、どこもほぼ男。男ばかりのところに女が少数入っていったらお互い気を使うだろうから、その精神的な負荷を思うと気後れしてしまう。向こうだって好きで男ばかりのサークルにしたわけじゃなくて、そもそも大学の男女比がおかしいからそうならざるを得なかったんだろうし。特に部室をたまり場にしてるオタクサークルなんて、そういうキャンパスライフには憧れるけど、やっぱり男ばっかりの空間に女が入ってくのって、こっちは平気でも向こうはセクハラとかいちいち気にしなきゃいけないんだろうなって思うとダルい。というかそもそも異物になりたくない
だとすると女オタクを集めた女オタクサークルを結成して女オタク部屋を作るしかないんだろうけど、女オタクを公認サークル(=部室もらえる)として十分な数(←学則では最低10人だったと思う)結集するのってネタがなくて困る。女オタクサークルというんじゃ活動内容が漠然としすぎてて公認とれない。かといって女オタクがだいたいみんな好むコンテンツってのも思いつかない。男はとりあえずマンガサークルか声優同好会かニコ動サークル(公称)あたり入っときゃ間違いないらしいけど
たとえば芳文社のきらら系列の雑誌は何冊もあるがあれは年齢層別に細かく分けてるつもりらしい。
つまりちょっとの世代の違いでも好きな漫画の傾向が微妙に異なるなどと思ってるということだ。
でも現に、出してるなかでより高年齢を意図した雑誌を想定よりも若い奴が多く読んでたり、その逆があるんじゃないか。
ちゃんと意図したとおりに、想定したターゲットが高い順に雑誌の読者層も高くなっているという傾向性は認められているのか。
もっと単純に考えればあんなどっちにしろ萌え系の作品で編集方針を試行錯誤したところで読者層の年齢なんかコントロールできっこないって思うよ。
きらら批判の常套句「中身がない」とは、「強い物語性ではない」ということであり、そのこと自体が作品として低劣ということにはならない。
ある作品で、登場人物が死ぬとすれば、制作者は悲劇として、感動的な演出を施すだろう。見る者は感動し、涙を流すかもしれない。
しかし、それはある意味では暴力を受けたことで流した涙ではないだろうか。
人が死ねば悲しいに決まっている。それが心からの感動と言えるだろうか。
感動とは、あからさまな演出によって生み出されるものとは限らない。
誰かが死ぬ必要もなく、あらゆる困難を必死で乗り越える必要もない。何らかの試合を勝ち上がる必要もない。
きらら作品は、何かを成し遂げなければ人間の価値はないという観念を否定した、真に人間を肯定した物語だった。
こうした物語を作るために、多くの漫画家は細心の注意を払ってキャラクターを創造する必要があった。
何気ない描写を気に入ることができれば、それだけできらら読者としての立派な作品鑑賞であり、感動だ。
確かにきらら作品に強い物語性のあるものは少なかった。しかしそれは悪ではない。単にそういう作品が好きか嫌いかという問題でしかない。
「中身がない」とは大味な物語に慣れた者の麻痺でしかないと言いたい。
ところで、近年のまんがタイムきららは組織レベルで、「中身がない」という意見を肯定し、批判を乗り越えたということを定説にしようとしている。
「「かわいい女の子が出てくるだけだ」「読めるレベルではない」などと、ネット上でたびたび批判されていた」
「そんなイメージを覆し、現在の「きらら」は読み応えのある漫画を連発するに至っている」
https://news.yahoo.co.jp/articles/91bde76822f54bdad7f6fc68a5375aa384b2b494
漫画家・ヒロユキ、今だから話せる「きらら」黎明期と同人誌の制作秘話
――今では考えられないことですが、2010年前後までは「きらら」は漫画好きから蔑視されていた印象もありますよね
瀬古口:そうしたイメージを覆す作品を立ち上げたいと思っていました。
https://realsound.jp/book/2023/03/post-1277885.html
『ぼっち・ざ・ろっく!』担当編集・瀬古口拓也インタビュー 「4コマ雑誌「きらら」の固定観念を払拭する企画を出し続けてきた」
「中身がない」という固定観念を払拭した代表的作品として、公式が祭り上げたいのは『ぼっち・ざ・ろっく!』にほかならない。
『ぼっち・ざ・ろっく!』には確かに物語が(比較的)あるし、登場人物の成長だってある。それは確かに重要な要素だが、問題は他にもある。
『ぼっち・ざ・ろっく!』の作者・はまじあきと担当編集・瀬古口拓也は、近年インターネットにおいて当たり前の語彙となった、「陰キャ」という言葉を前面に押し出すことによって、多くの人の共感を集めることに成功したのだ。
何をもって「陽キャ」「陰キャ」であるかという議論を超えた、曖昧かつ乱暴な分類によって性格が評価されることに人は慣れすぎた。
今や「チー牛」「弱者男性」という言葉をいくらネット上で言い放っても、誰も怒らないし、誰にも怒られない。
これは「淫夢」や「ハセカラ」のような人権侵害コンテンツによって育まれた、感覚の麻痺と考えることができるが、ここではこれ以上語らない。
いついかなる局面においても物怖じすることなくいられる人間などまずいない。
誰もが自らの陰気な心を自覚しているために、「陰キャ」という言葉を捨て去ることができない。
こうしてインターネットを超えてメディアでも当たり前のように用いられるようになった「陰キャ」という語を、『ぼっち・ざ・ろっく!』は目ざとく早くに見つけた。
(もちろん「陰キャ」が純粋にネット由来の言葉であるとは言っていない。ただ十年前の「インターネッツ」において「陰キャ」という言葉が今ほどに使われていただろうか?)
まんがタイムきららは、確実に存在して容易に解消することのできない劣等感を獲得することで、「中身のある」ものになれた。
まんがタイムきららは「中身がない」から乗り越えたことを定説化しようとしている。それはかつてのきらら作品の否定だ。
現在のきららは、かつての遺産を裏返すことで生まれ変わろうとしている。
つまり「あのきららが今ではこんなに中身のあるものに変身している」ということだ。
ただしその手段が、「陰キャ」という借り物であり、上品とは言えないネットスラングの中から穏当なものを選んだに過ぎないものであることを忘れてはならない。
2010年代のきらら作品のアニメ化ラッシュは、いつしか昔のこととなっている。
もはやきららに中身がなかったという記憶すら、かつてのアニメ・漫画ファンにとっての認識として忘れ去られるのではないか。
例えば今(またはこれからの)中高生が、「昔のきららはつまらなかったが今では面白くなった」という認識を実感できる保証はあるだろうか。
まんがタイムきららは、雑誌という全体のレベルで大きな物語を作り上げていったわけではない。
あるいはこれからきららは新たな方向へ進み、さらなる成長を遂げることができるかもしれない。
ただしその体力はどれくらい残されているだろうか。
まんがタイムきららからアニメ化の発表が絶えてどれほどの時が経っているだろう。
『けいおん!』の大ヒットは衝撃的だった。
TBSしかまともに手を出していないマイナー雑誌がアニメの歴史を残すほど大ヒットしたのだ。
同時に、けいおんに限らず、まんがタイムきららに対する批判の声も大きかった。その中で一番聞く声がこうだった。
中身がない
少なくとも多くの人の癪に触ったのは間違いない。
たかが萌え4コマごときがここまでヒットしたとは思っても見なかっただろう。
コマ割りが単調な4コマ漫画、それもキャラにしか魅力がない萌え4コマに魅力があるはずがない。
多くの人がそう思っていたのだろう。
2022年秋、とあるジャンプ漫画原作アニメがきららアニメごときに負けるなんて夢にも思わなかっただろう。
世の中で最もヒットを生み出した高尚なジャンプ漫画が、中身がないはずだった低俗なきららの漫画に負けたのだ。
改めて聞いてみよう。
中身がないってどういうことなんだろう?
わかるわ。
劇場版ゆるキャン△の恐ろしい所は、都市部の人や、地方衰退の現実を知らない人が見ると再生の物語に見えるけど、実際には最後のあがきである、この先には滅びが待っているという所を示唆している部分。
例えば、キャンプ場はできてよかったと思わせているが、実際にはもう破綻が見えていて
そして、何より滅びに向かっているのが分かるのは、あれだけ活動したのに、5人の主人公たちのうち、誰ひとりとして、新たに帰郷しないのである。あーイベント楽しかった、じゃ私帰るね、と、東京に、横浜に、名古屋に帰ってしまうのである。
これは実際かなりリアルな現象で、地域のお手伝いをやってほしいと言う人を募集すると、かなり興味を持ってくれるし「手伝って」はくれるのだが、実際に本腰を入れてやってくれる人というのは本当にわずかである。それでも、わずかでも移住してくれる人がいるから、頑張って続けるのだが、正直続けている側としてはむなしさを覚えることもある。
この物語が終わった後に、大垣が抱いた絶望、友人に呼びかけたが、結局道が違っている、意識の差がついてしまったということ、予算が付かなかったということ、今後の未来を憂い思うことを考えると、切ない。
そのほかに、誰ひとり結婚はおろか恋人もいないと言う現実や、搭乗している地元民のおっさんは典型的なおしえたがりのジジイとして描かれていること、大垣の上司や同僚が現地に一回も足を運んでない、などがあるが、こちらはきららアニメの制約が優先されている可能性が高いので、置いておく。
とまあ、色々書いたけど、原作のあfろ先生、静岡出身で甲府市在住でしょ。こんな風に映画を読み解けてしまって、都会人が書いた「よい地域振興ストーリー」の薄っぺらさを読み取って、映画の制作途中に、次のテレビアニメを作るなら、制作会社変えろって言った可能性は高いんだろうなって思ったよ。
原作とアニメ、結構改編が大きいし。同じきららのまちカドまぞくは原作に忠実にヒット、こちらは魔改造してヒットなので、元々複雑な心境はあったと思う。まぁ邪推だけど。