はてなキーワード: 2026年とは
シルヴィア・ブラウン氏は2013年に他界しているが、この度、死の5年前に出版した『End of Days: Predictions and Prophecies About the End of the World』に、新型コロナウイルスの出現を予言したと思しき記述があることが発見された。
「2020年頃、深刻な肺炎のような病気が世界中に広まるだろう。その病気は、肺と気管支を攻撃し、あらゆる既存の治療法に抵抗する。しかし、病気そのものよりも不可解なのは、その病気が忽然と姿を消すという事実の方だろう。その病気は10年後に再び現れ、永遠に姿を消すだろう」(『End of Days: Predictions and Prophecies About the End of the World』より引用)
2026年頃、いくつもの巨大な津波が日本を襲うだろう。これによる海洋の地殻変動により、ハワイ諸島の中に新しい島が生まれるだろう。
体育館ソート(たいいくかんそーと)とは、2016年に提唱されたソートアルゴリズムである。既存にはない手法であったが、効率が悪いため実用化されなかった。近年、AIを用いた場合には最高率を示すとする研究もある。
世間に発表されたのは2016年であるが、この理論が確立されたのは1980年頃とされている。
元は体育館にパンティーを並べる際に、色・形状・材質・汚れ具合い等を仕分ける手法として用いられた。
1960年からパンティー並べ師をしている増田藩邸が何万枚ものパンティーを並べている間に経験を元に考案した手法であり、それを聞いた弟子が体系化した物がパンティーソートとして2016年に発表された。パンティーなどというのはおっさんしか用いないとされ、体育館ソートと改名した。2026年には弟子の福馬果菜などがノーベルパンティー賞を受賞した。
「議員と官僚が対等に話し合って物事を決めましょうね」となると国民主権が崩壊しちゃうので。
そこは「官僚は実務だけお願いします」とならざるを得ないんちゃうかな。
で、それとは別に、件の質問通告の遅れとかはもう制度的にどうしようもないわけじゃん。
与党まで巻き込んで制度改革しないと解決しないし、それを官僚が言い出すのは、いわば下請けが元請けの社内システムに口を出すようなもので難しいよね…。
野党的には「首相の問題行動を列挙してそれを国民が問題だと考えれば支持率が下がる」というだけじゃないの。
別に警察の尋問じゃないんだから同じ質問を何度も繰り返しても仕方ないし。
メディアはそれなりに桜を見る会のことを報じているので、これ以上と言っても難しいよね。
それとも、もっと報道にスピンをかけて愚民どもを煽動しろってこと?
「政治に興味のない私が何もしなくても自動的に知識を得られるようにしてくれ」っていうのは無理だよ。
野党議員もTwitterなりFacebookなりやってるわけだし、共産党なんか自前で新聞まで発行してる。
あとはそれを読みにいくかどうかというだけ。
3. なぜ公文書に保存期間があるんだろう?
制度が追いついてないんだろうね。
真面目な話、日本サッカー史上どれくらいの選手になると思ってる?
A級 長友(インテルで数年活躍)・本田(一応、ミランで10番)・香川(ブンデス年間ベストイレブン)
B級 長谷部(ブンデス中堅で主力)・中村俊(スコットランドで王様)・中田英(ローマで一瞬活躍)・岡崎・小野など
C級 乾とか柴崎とか大迫とか(四大リーグ中堅〜下位で試合に出たり出れなかったりの連中)
報道はやたらと加熱してるけど、現実的には年間10ゴール行くか行かないかの選手なんじゃないかと思っている。
そんでレンタル先を転々とした後、結局ドイツの中堅に完全移籍して、そこで数年それなりの活躍を見せるもエースとまではいかず、
2019年2月に運転開始予定の石狩湾新港発電所は、計画が公表されたのが2011年
http://www.hepco.co.jp/info/2011/1187960_1445.html
建設費用は1号機が数百億円、1-3号機の総投資額は3000億超
https://www.nikkei.com/article/DGXNASDD110KK_R11C11A0TJ0000/
2号機の運転開始は当初2021年の予定だったが、需要低迷を理由に2026年に延期になっていて
3号機開始は、2028→2030年
当初 http://www.hepco.co.jp/info/2012/1188813_1474.html
現在 http://www.hepco.co.jp/energy/fire_power/ishikari_ps/outline.html
泊原発は安全対策に2000-2500億かかっている (2015/3/25)
https://www.nikkei.com/article/DGXLZO84790230U5A320C1L41000/
これから新設する防潮堤も、着工から完成まで数年を要する可能性がある (2018/4/27)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO29953670X20C18A4L41000/
恐らく5年後には、人間によるあらゆる判断をAIが上回るであろう。人間はAIによる優位性をすぐには受け入れないであろう。8年後のW杯は、AIの助言による、見せかけ上は人間主体での大会になるであろう。しかし12年後の大会は、そのような衒いは消え、AIが表に立った大会になるであろう。
ゴール、コーナーキック、ゴールキック、スローイングの判定は全て2022年の段階で、AIによる判定になる。2026年の段階ではオフサイドや接触によるファールも含めた全ての判定をAIが人間より正確に下すことが可能になっている。2026年の段階では、VARによるアシストを受けた人間の主審が笛を吹く。2030年のW杯では主審、線審ともに、人間の審判はピッチに立たない。審判を務める人間、という役割は建前も含めて2026年で消え、判定を下すのはAIになる。
2022年時点では、選手起用と選手交替はAIのサジェストを活用することが主流になる。試合中の戦術指示もAIが下せるようになる。大会前の23人の代表選考、各試合のスタメン選定は、各陣営のAIによりもたらされる。26年までは、AIによるサジェスチョンを取捨選択する人間の監督、という建てつけが維持されるが、2030年以降は純粋なAIによる指揮に置き換わるだろう。
局面局面でのパス、ドリブルの相手やコースの判断もリアルタイムで人間よりも優れた判断を、2026年時点でAIが下せるようになっている。2026年段階では、茶の間で観衆が見る中継画面上にはリアルタイムで「あるべきシュートコース」「あるべきパスコース」が表示され、観衆は人間による判断がどれだけAIによる正解に近いのかを離れているのかを味わうだろう。この段階では、まだあくまで選手は自分自身の判断で個別のプレーを選択しているだろう。しかし、2030年W杯では、AIによる正解は、リアルタイムでなんらかの伝達手段で直接選手に伝えることが可能になっているだろう。試合中にリアルタイムで、人間の選手が個別の指示を直接AIから受け取ることに当初は疑問が呈されるが、2030年時点ではそうした議論は決着しているであろう。選手自身によるプレーの判断は消え、いかにAIの示す正しいプレーを実演できるかが試される競技になるだろう。
好きな増田 2017 (anond:20171217083142)
1~8番目は良い意味で印象に残ったモノ(多分ブクマ数降順)。残り2つは番外編。
この増田を読んだがゆえに、関西出張の際にエキスポシティで映画を見た。「ここに自走式彼女が…」と、初の増田聖地巡礼となったこともあり、今年の増田文学、と言う意味で真っ先に頭に浮かんだ。お二人にはまったりと幸せな年末年始を迎えて欲しい。
今年後半に突如沸いたストロングゼロ文学の(個人的)金字塔。2026年、ストロングゼロが禁止された後のリアリティのある世界感が最高。
近場の駅そばでいつも人気ランキング上位にある「コロッケそば」。絶対合わないだろと避けていたが、これを読んでトライ。悪くなかった。多分リピートはしないが。
実践してみようと思ったが、「すごーい!見積を送付する前に、数字を確認しないフレンズなんだね!」等、会社においてはうまく機能しなさそうなので断念。
私は独身だけど、家族モノに弱いので涙腺崩壊した。この息子さんにはこのまま真っ直ぐに育ってほしいと独身ながらに思った。
直接的には書いていないけれど、娘からパパへの愛が伝わる増田。ほんと家族モノには弱い。
社会人になってまだ浅い頃、同じ部の社員が亡くなったが、一週間もしないうちに平常運転に戻ったことに恐怖した記憶が蘇った。「私が死んでも代わりはいるもの」の精神で、もっと肩の力を抜いて生きようと思った増田。
こういうのが読めるのが増田。世の中綺麗ごとや偽善で溢れているけれど、心からの吐露をすることができ、また受け入れてくれる場はどれくらいあるのだろう。増田はそれができる場てあって欲しいと思うとともに、この受験生増田の成功を祈る。
<以下、番外編>
増田は匿名であるがゆえに、文章と作者を結びつける「承認欲求」が切り離され、輝きを増すものと思う。市井の人間が書いても、有名人が書いても、文章が単独で評価されることに意義があると思う。この増田の作者は個人ブログで「あのバズッた増田、私が書いたんだよね」と「バズる増田のつくりかた」と有料エントリーを出していた。それはそれでいいんだけど、なんだか増田の良さを蔑ろにされた気がして。あくまで“個人的に”こういう人間には増田を書いて欲しくないと印象に残った増田。
忘れがちだが、ヒットチャート常連の増田がいる一方、そこへ上り詰めるために努力している増田たちもいる。基本ホットエントリー入りするものしか見ないウォッチャーの私だが、たまたま見かけたボコボコにやられてる新人増田が印象に残ったのでブクマ。これは増田文学の類だが、これを見るとエントリー入りする増田とそうでない増田の差が見える。簡単な世界じゃないんだなぁと妙に記憶に残った。
ライト増田ウォッチャーの私だけれど、今年も多くの増田に楽しませてもらった。貰ってばかりでは悪いので、ギブ・アンド・テイクの精神でこのまとめをば。増田には来年も良作をバンバン出して欲しいと願いつつ、はてなさんには早々の「増田文学賞」創設をお願いして、年末の挨拶とさせていただきます。
少し早いですが、どうぞ皆様、良いお年をお迎えください。
昨年の冬、十年勤めた会社を辞めた。上司と揉めて、にっちもさっちも行かなくなり、最後はヤケクソで辞表を叩きつけた。
しばらく保険で食いつないだあと、近所の倉庫でバイトを始めた。すでに33才。未来には何の展望もないが、特に悲しいわけでもない。そんな段階はとっくに越えてしまった。学歴もコネも才能もない俺みたいな人間は、石の裏に棲息する虫みたいにひっそり生きて、死ねばいい。たまに小さな幸福を拾えたら御の字だし、拾えなくても別にどうってことはない。
夏にSさんという男が入社してきた。俺よりひとまわり上の45才で、とにかく無口なおっさんだった。俺たちは同じ班で働くことになり、気づけば仕事帰りに飲む仲になっていた。
その夜の彼は別人のように饒舌だった。
「そういえば、あるよ」Sさんが冷蔵庫からおもむろにストロングゼロを出した。
「飲んだことない?」
「あるわけないでしょ」
「ちょっとだけやってみる?」
「本物?」
「もちろん」
Sさんが俺にストロングゼロを渡す。きんきんに冷えている。500mlのロング缶。もちろん実物を見るのは初めてだ。俺にとってストロングゼロは文学の中にしか存在しない酒だった。
Sさんが語りだす。
「ストロングゼロってのは平成の終わりに咲いた徒花だよ。当時はどこでも手に入った。そこらじゅうのコンビニで売られていたからね。年号が変わっても、政権が変わっても、僕たちは当たり前のようにストロングゼロを飲んでいた。
ところがだんだんそうもいかなくなってきた。当然さ。明らかにトチ狂ったブツだからね。日本中の医療従事者が一斉に声を上げた。彼らの見解は実にシンプルだったよ。
その声はうねりを打ち、世論を巻き込み、ついには国を動かした。あとはご存じの通り。そう、ストロングゼロは違法になったのさ。
今の北海道はひどいよ。名目上はロシアと北朝鮮の共同統治になってるけれど、実態はちがう。内戦状態さ。ロシアと北朝鮮と道民の三つ巴で、道民はほぼ壊滅状態だ。
疫病も蔓延してる。それでも我々はウクライナの地下組織と共に抵抗を続けてる。マスコミは一切報じないけどね。
君は東京でできた初めての友人だ。だからこのストロングゼロを友情の証としてプレゼントする。めったに手に入らない代物さ。密造酒じゃあない。そんな単純な話ではないんだ。いま闇で出回ってるストロングゼロはすべて平成末期に造られたものなんだ。それを保存する施設が旧札幌にあって....
ごめん、これ以上は言えない。なんだか今日は喋りすぎてる。だいぶ酔ってるみたいだ。まあ飲んでくれよ。君は今日から僕らの仲間だ」
2026年 冬
90年代~00年代の個人主義は、それこそスタンドアロンコンプレックスと言いたくなるような、個人の自意識が、幸福も成果も責任もすべて引き受けられるとするものだった。でも、人間は物理的にも心理的にも一人では生き続けられない。ここまで利便性が高くなっても、だ。だからそれは間違っていた。
https://twitter.com/twit_shirokuma/status/814453926615339008?lang=ja
個人で完結しようとする個人は、老後までその個人として完結できる可能性は、ある。だが、このイデオロギーは子子孫孫を増やして繁殖するには適さないイデオロギーだから、世代を経るごとに減っていく。繁殖するのは、そのようなイデオロギーを強くは信奉していない者達とその子孫と思われる。
https://twitter.com/twit_shirokuma/status/814455896403156993?lang=ja
私が地方出身の未文明人であるせいか、それとも無自覚に内面化してしまっているせいか、個人主義が何なのかよくわからない。それは具体的に誰が言い出したことでどのような思想なのか。小此木-土居-和田みたいな精神科医の一派が西洋的な個人主義とか言っているらしいが、アメリカはタウンシップの国だったし、ヨーロッパもカトリックは集団宗教であり共産主義は共同主義だ。ロマラブ幻想を輸出しまくったのも西洋である。スタンドアロンな個人主義「者」というのもよくわからないが、ニューヨークとかで知的でクールで容姿端麗でばりばり稼いでる感じの人たちのことだろうか。
私が子供時代に一番多く過ごした町はヤンキー街のさらに奥、そもそも無人だった山を削り原っぱを焼き払ったような土地で、寺も神社も無い祭りもない、元々共同体が存在したことがないような町だったが、「友人・恋人・家庭は何よりも大事。それなくして幸福無し」というイデオロギーが支配していた。金も宗教も共同体も無いからそれしか頼れることがないからかもしれないとも思えるが、間違いなくTVを中心にその他のメディアもそういうイデオロギーをまき散らしていたとも記憶している。スタンドアロンな個人主義なんて「個性」なんかと同じで、バブルに沸く東京で一瞬だけ流行ったものを評論家や精神科医が拡大視しただけのものじゃないだろうか。もしスタンドアロンな個人主義が支配的だったなら、非モテだのコミュ障だのに悩む人間などいなかったし、わざわざスタンドアロンでも満足しようという思想を捻出する必要もなかった。温かい共同体を夢想する孤独なネトウヨが増殖することも無かっただろう。
これからどういう遺伝子・イデオロギーが淘汰されていくのか見立ても曖昧にみえる。具体的にどういう層が繁殖すると想定しているのだろう。わが町(市)は少子化が進んでいるがヤンキーが多い。ヤンキーが多い(かつては早婚が多かった)にも関わらず少子化なのか、ヤンキーが多い(低所得)がゆえに少子化なのか、考えても仕方なさそうである。少子化は全国的なものだからだ。わが町特有の問題でもヤンキー特有の問題でも無さそうに見える。オタクやサブカルの問題でも無いだろう。この草食時代、オタクが恋愛しない理由を分析したところで特有の自己愛形式なんて出てきはしない。
fromdusktildawnさんの2026年試験管内の、精子と卵子の繁殖行動と淘汰
この記事が書かれたのが2006年であり今は2016年の終わり、2026年との中間である。スタンドアロンな個人主義者にはどのような淘汰圧がかかっているのだろうか。
元記事のid:fromdusktildawn氏の説とid:p_shirokuma氏による他の淘汰に関する記事と合わせて考えると「性淘汰を経た、容姿とコミュニケーション能力に優れた男性」且つ「グローバル資本主義を勝ち抜いた抜群の頭脳を持った稼げる少数の男性」が事実上の一夫多妻を形成することで少子化傾向が改善され“新しくて賢い人間”へとevolutionしていくという主張のようだ。おや、“新しくて賢い人間”、私が想定する「スタンドアロンな個人主義者」(ニューヨークとかで知的でクールで容姿端麗でばりばり稼いでる感じの人たち)そのものではないか。