はてなキーワード: 通勤とは
それは否定的 一部の工場労働についてはもとからかなりの装備 マスクなんて当たり前というクリーンルーム並みの工場も多い。
つまり、工場系は職場での感染はかなり押さえられる。あやういのは十分に分散通勤をしない場合の通勤だろう。
分散通勤について、報道機関が十分な報道をしない以上、もうしなくても大丈夫という意思表明なのだろうが、やはり不安は残るので、分散通勤への指導はほしかった。
おれたちITは言うに及ばず。リモートのほうが危険度は高いなどいわれるまでもないが、自粛でどちらが優先といわれれば、リモートが工場に通勤を譲って、スペースを工場に譲っても良い。
が、それ以前の段階で経済活動が再開可能と専門家が判断したのならそれでも良い。
世界的な経済の再開について、IT業界は10年以上の経験を蓄積してきているし、他の業界もそうだろう。
なぜ危険な一律一斉解除を選ぶのか?まぁ、よほど安全になったのだろうとはおもうが、優先度を決めて段階的な3密を避ける状態を続けながらではなく、もうないですよ。と事実上の安全宣言が出るのは以外だった。
中国の様相を見ると、日本・中国系の人種がコロナに強いというのも否定的。フランス並みに致死率が悪化する可能性はこれから大きな気候変動や冬の到来を受けてないとはいえない。が、そういうのは専門家が考えた末の結論だろう。俺たちに言えるのはIT業界にはすくなくとも、まだ提供していないノウハウというものはあるが、必要ないようでなにより。今までのほうが安全だからそちらのほうがよい。
経済の回復に関しては、十分な議論が聞こえてこない段階での一斉解除で限界で非常に厳しいとはいえ、コロナの致死率と比べるとまだ余力がある中での解除となると不十分には聞こえるが、安全なんだろうと様子を見ている
次回のために言えば、リモートはまだ危険な段階ではあるとしても、コロナの致死率よりは致死率が低い。もしパンデミック再発となるとそのリスクは非常に高い。それと比べると、こういったさいに、十分医療機関が準備を整える時間を稼ぐ自粛できるリモート技術の研究は、必要ではあろう。(今回はリモート技術の実証事件の場ではない)
どうでもいい、馬鹿が考えるとこうなるという見本=自分の例を出しておく。
もうすこし、それぞれの議論に対して、どういう議論を尽くした結果、こういう結末になったのかを、わかりやすく教えてもらえると、新聞、TVのお金の分の価値というのがでるから、やかった。
あと、誰か、頭のいい人頼む。
再認定はほぼないだろうから解除したら解除でいくしかないだろうというのと
25日に解除を検討しているって いいのかなこれ 東京が解除したら 実質 日本解除で 日本国内で再度宣言をする理由はないんだが いいのかほんとうに まぁ しょうがないんだろうな。
いちおう おれたり パソコン組は まだリモートに慣れては居ないが これからなれていくから稼働していく それをオフィスに戻して本当にいいんだな?大丈夫ならそうする。
逆に 必要な工場労働者のために通勤をしばらくリモートにもできる そういう検討もなく 解除=事実上の安全宣言なんだが コロナ安全宣言とおもっていいんだよな?
私はロマンスカーが好きだ。
小田急沿線で育った子供の頃の私にとって、ロマンスカーは新幹線のような存在で、それが全国を走っていると思っていた。
たまに実家に帰省する際、私の地元へは町田でロマンスカーを降りねばならない。そのため、新宿からではそれほど到着時間に差が出ないため、普段は急行や快速急行で帰ってしまう。
私がロマンスカーに乗るのは、心や体に余裕がないときだ。仕事で疲れが溜まっていたり、重い荷物を抱えていたり、実家の犬の体調が悪くなって急遽帰る時だったり、そんな時だ。
そんな時、新宿駅のロマンスカー専用のホームに行き、電光掲示板を見る。ホーム中程で400円ほどのキップを買う。それほど乗りなれていないので目的の車両の位置が分からずにうろうろしてから列車の到着を待ち、やや高貴な空気をまとう空間に足を踏み入れる。自分の席を見つけ、カバンを落ち着かせてから腰を下ろす。
私は神奈川県で育ち、東京で出張等のない仕事に就いており、たまの旅行でくらいしか特急というものには乗らないため、やはりこの体験は私にとって新幹線と同等かも知れない。
そして、余裕のない時にのるロマンスカーは決まって、余裕たっぷりで私を迎え入れてくれる。各駅や急行にはない包容力で私を包み込み、通勤電車特有のストレスを感じずに400円の贅沢に浸る。
時間にして僅か30~40分の移動が私の心を落ち着かせてくれる。
同じことを東京へ戻る際にもする。上りは夜になることが多いため、酒を一缶携える。もう少し乗っていたいと思ってる間に風景は流れ、新宿についてしまう。それでも、ロマンスカーから降りた夜、翌日から仕事が待つ私の背中を押してくれる。
私にとって、ロマンスカーは箱根への旅行客車でも、通勤の飛び道具でもない。電車を愛でる趣味もないし、年に数回、帰省でお世話になる程度だ。それでも気疲れた私を優しく運んでくれる、ロマンスカーが私は好きだ。
11話
あの日、この国のリーダーは、世界が二度ともとに戻らないことを宣言した。緊急事態宣言の解除。それが新しい時代の合図だった。
彼は“新しい生活様式”という言葉を使った。今後も人との適切な距離を取ること、通勤や通学をなるべく控えることを人々に求めた。
サタはその“号令”を聞くまで、この国がまた元の不合理な世界に戻ることを懸念していた。そのせいか、彼女はやたらと胸を踊らせてその言葉を聞いていた。私たちはこの国の盛衰を見てきた。サタの懸念も当然だった。
工業分野で一度成功を収めたこの国は、その後、情報通信分野で他国に後れをとっていた。その理由はいくつもある。成功体験を手放せなかったとか、政治家と特定の産業の癒着のせいだとか。権力者たちが発想のバージョンアップを怠ったせいだとか。
しかし本当のところは、工業分野での成功をもとに社会システムが構築されたため、新しい分野を受け入れる余地がなかったためだ。
たとえば子どもたちが義務教育期間中に学ぶのは、国語や算数だけではない。集団として生きていく術の習得さえ、教室という閉じた空間に一任されていた。彼らはやがて満員電車で通勤し、この国の経済に貢献することを期待される。これが古いシステムのバックボーンだった。
集団を前提とした教育から労働までの一貫した流れ、それに特化したかたちで社会システムは構築されていた。これまでの経済的な成功には、集団での活動が不可欠だった。
そこにリモートワークやオンライン授業が介入すればどうなるか。このシステムの、“集団での生産活動”という基本理念が崩壊することになる。つまり“それ”にとって、その手の技術は障害でしかなかった。通勤や通学ありきで敷かれた公共交通も無駄になってしまう。
本当は、誰もがその集団を前提とした古いシステムに疲れていた。柔軟性のなさに飽き飽きしていた。もっと本質的なところで効果的なやり方があるはずだと、みんなうすうす気づいていた。
しかし(本当の意味で)より合理的なシステムに作り変えるには、既存のものを一度壊さなければならない。壊すということは、そこ(特定の産業など)に深く携わっている人が犠牲になるということを意味する。
安定を好むこの国の人々にとって、その選択は難しかった。誰かに起こる悲劇は自分にも起こりうる。明日は我が身。共感性の強い人々のそういった思考習慣が、それを阻んでいた。そしてそれは、最終的には、為政者の政治判断に反映される。
政治家と特定の産業の癒着や、国家予算といった表面的な問題のその底に、この国に住む人たちのそのような集合的意識がひっそりと流れてた。ほとんど気づかれることなく。
実は一度、この古いシステムを再構築する試みがあった。しかしそれは犠牲を生んだだけで、何の成果も得ることなく中断された。多くの求職者と自殺者を生んだだけだった。
失敗の理由は明白だった。それぞれの人間の思惑が介入しすぎたためだ。古いシステムには当然のことながら、長年のしがらみが複雑に絡みついているが、新しいシステムの構想もまた、一瞬にして誰かの思惑に取り込まれる。
そして中途半端に壊れ、(一部の人の意図に沿って)中途半端に機能する、中途半端なシステムが完成した。完成したと言っていいのかすらわからないが。
ともかくこの国の人々は、その生殺しシステムの上で、前にも後ろにも行けずに30年、止まった時を彷徨うことになった。
それに終わりを告げたのがSARS-CoV-2だった。そこに人間の介入はない。ただ、自然の摂理、あるいは不可抗力と共存するためのシステムモデル、そして本当の意味での合理性の追求があるだけだ。
それだけが、完全なる破壊を遂行できた。特定の意図の介入を阻むことができた。
破壊の後の自由の上で、それぞれの技術は本来の能力を発揮することを許された。呪縛は解かれ、初めてリミッターが外された。為政者たちは、もう古い理念、古い技術による古いシステムに場を提供し続ける必然性がなくなった。逆に言えば、それらを護るために新しい可能性は制約されていた。
場は、新しい技術に明け渡され、ウイルスやその他の脅威から人を護るため、都市全体の空気を清浄化するシステムや、生体情報の管理調整を担うウェアラブルデバイスの開発が加速した。
変化は、テクノロジーだけではなく、人々の精神においても加速した。今まで科学や社会通念の“外”にあるとされていた物事が、“内”に組み込まれることになった。
福祉っていう側面も確かにあるが、フォードが従業員の工場労働者に高級を与えることで、車を通勤に使える市民を"生産"したように、一方的な慈悲とか救済とかお情けみたいな話ではない。相互依存的だ。
結局のところ、エリートであろうとすればするほど"給料泥棒"の世話をみることで稼ぐしかないのであって、給料泥棒の存在に感謝すらしないといけないのかもしれない。
所属する会社はコロナ対策に素早くて、3月上旬からずっとリモートワークだった。
午前:仕事
午後:仕事
しかし、3月末に、政府が緊急事態宣言を発令するだのしないだので事態急変。
我が家は流行りの住職近接を実践しており、会社は徒歩圏だ。しかし、家は狭い、古い、高いの三拍子揃ったジャパニーズウサギ小屋。
子供の遊びは公園や児童館。家は食事と睡眠だけ。家事は家電に課金して物理で殴れ。こんまり最強と割きっていた。
そんな状態で、非常事態宣言→保育園休園になったら、仕事は子供に邪魔され、ストレスから家庭内が険悪になるのは目に見えていた。
迷うことなく、非国民の謗りを受ける覚悟で疎開スタート。コンクリートジャングルから、限界集落一歩手前の実家へ。
老親だけで暮らす実家は広い。1階は車庫と農作業場、2階は生活空間、3階は使用者のいない子供部屋。そして離れの倉庫。かつては酒を密造していたらしい。この広大な空間に3人ばかりが増えても何のことはない。
そして家に潜む沢山のモノ。それは、私が昔遊んでいた汽車や飛行機、トラックのオモチャだったり、小学校の教材だったり、五月人形だったり。今の自分なら間違いなく断捨離しているモノたちが、子供達に娯楽を与えている。
さらに家の周囲は、山の裾野まで広がる田畑に囲まれている。仕事の息抜きがてらに少し家から出ても、他者との濃厚接触や3密など望むべくもない。まあ、疎開者に厳しい目を向けられているのは感じるが。
しかし、これらの環境は老親による維持の賜物である。長男の私をはじめ、兄弟全員が都会を選んだ我々は、早晩訪れる親の死によりこれらを失う訳である。
田舎を出た時点で取るに足らないと切り捨てたはずの価値を今、見せつけられている。
私は、何もない、閉鎖的で、陰険な風土の田舎を憎んで、都会に出たのではなかったのか?そして良い学歴、良い職歴を得るために努力したのではないのか?
しかし、僅かばかりに高い給与を得るために、狭小で閉鎖された都会にひしめき合い、消費を強要されながら生きている。
コロナが終息した後には快適で便利な都会は戻ってくるのだろうか?
貧乏おじさんですよ?
兄弟デュオ時代(デビューからアルバム『Ten』まで)の3大傑作を紹介する。
まだ聴いてなかったら、自粛しているうちに聴いてほしい。
「家路 (Album Ver.)」
ごく普通の遠距離通勤するサラリーマンの〝帰宅〟を、詩情豊かに歌い上げた究極の名曲。
イントロの不吉なホーンで始まる無骨な曲と歌詞が、企業戦士の強さと哀愁を表現している。
作詞・作曲:堀込高樹 。6thアルバム『DODECAGON』に収録。初のセルフプロデュースアルバム。
オンラインチャットで出会った男女の恋愛をメロディアスな曲にのせて歌い上げた最高傑作。
「エイリアンズ」
作詞・作曲:堀込泰行。キリンジを一気にメジャーに持ち上げたキリンジバラードの最高傑作。3rdアルバム『3』に収録。
小田和正や田島貴男、星野源、JUJU、安藤裕子、そして「のん」などがカバーしたことでも有名。
80~90年代の日本の郊外を背景に、淡い恋心を抱く若い男の切ない心情を見事に描いた。
選外:「乳房の勾配」
作詞:堀込高樹 作曲:冨田恵一。正確には「冨田恵一 feat. キリンジ」のクレジットのため選外。
「YOU AND ME」「冨田恵一 WORKS BEST」に収録されている。
キリンジファンの間では言わずとしれた名曲中の名曲。奇妙な言葉の紡ぎ方、遊び心が楽しい。大人向けエロソングとしても名高い。
実際、子供の世話は大変なんだろう。
でも、その矛先を在宅勤務に向けるのはお門違いだ。
お前の仕事が捗らないのは、聞き分けの悪いお前の子供のせいだろ。
原因をすり替えるなよ。
在宅勤務は素晴らしい。通勤のために早起きしなくてもいいし、満員電車もない。
これまで通勤に充ててた時間を軽くジョギングする時間に差し替え、
シャワーを浴びて心身ともにさっぱりした状態で業務開始できる。
作業中に変に話しかけられたり、雑務に仕事を中断しなくて良い。
いい事づくしなのに、
子持ちのせいで「やっぱり在宅勤務だと効率落ちるね」という世論に移っていくのが憎い。
在宅勤務最高だよ。全然困ってないよ。効率上がる。継続したいよ。
ついでに胡坐で仕事は地味につらいので、クッションで若干高さを確保して、寝っ転がりながらふとももにノートPCになることも多い。なお、パジャマか軽装。
現在、日本における新型コロナウイルスの流行の第一波は終息しつつあるとされる。
これは各種施設の休業や外出自粛の効果もあったのだろうが、5月に入り気温が上がったことで換気がより頻繁に行われるようになったことも強く影響しているだろう。
街を歩けば飲食店も小売店も、窓や扉を開け放して換気を行うことで感染対策を客に対しアピールしている。各種オフィスでも同様だろう。通勤が政府の要請ほどは減らなかったのに感染が減りつつあるのは、季節の移り変わりにより換気ができるようになったことが大きいと思われる。
冬に始まった流行は春に入り終息を迎えつつあるわけだが、このまま行けば日本では以下の理由から夏に再度流行が起きると考えられる。
高温多湿の日本の夏の昼間にマスクを着用して屋外で活動するのは難しいだろう。マスクを着用すると呼気による排熱ができなくなるため、上着一枚分程度の体感温度の上昇が起こる。Tシャツ一枚でも暑苦しい環境でマスクを着け続ければ熱中症で倒れかねず危険である。そのため、マスクの着用率は夏は低下すると考えられる。
5月現在は窓や扉を開放してあちこちで換気が行われているが、7月8月になればエアコンの使用が始まり窓や扉は閉じられ換気量は減少するだろう。オフィスや商業施設が再び密閉空間として感染拡大の舞台になると思われる。
居酒屋が夜間休業したことで飲み会は減少したが、気温が上がることで公園などで酒盛りを行うグループは増えるだろう。5月現在でも夜に繁華街の公園に行けば缶チューハイを片手に会話に興じている集団はいくらでも見つけられる。冬と違い、居酒屋やカラオケを休業させても夏であれば夜間に人が集まることを阻止することはできなくなる。3密というキーワードを強調しすぎたせいで、屋外であれば大丈夫という誤解が広まっていることも一役買うだろう。
エアコンの使用が密閉空間を生み出すのなら、それを避けるためにはエアコンを使わず夏を乗り切らなければならない。
小池百合子が扇風機やサーキュレーターの使用を推薦したりするかもしれない。打ち水、扇子、風鈴といった手段も推奨されることだろうし、特殊な形状の氷が作れる製氷皿やかき氷機など氷に関係する商品の売り切れも起こるだろう。
ディズニーランド等がマスクの着用を入場の条件にするのであれば、個人の暑さ対策は例年よりも気合の入ったものが必要になる。手持ちの小型扇風機や、ペルチェ素子を使用したネッククーラーの需要が高まるだろう。空調服も流行るかもしれない。
ちなみに気象庁は季節予報で今年の夏の気温は「平年並みか高い」上に「平年に比べ晴れの日が多い」と予想している。
今年の夏は換気の奨励による扇風機・サーキュレーターの店舗での需要増と、マスク着用による体感温度上昇対策のための屋外用涼感グッズの需要増が起こるだろう。