はてなキーワード: 通勤とは
やる気がでない。
もう,半年ほどやる気がでない。
やる気がでないことはときどきある。
だが,こんなに長いのは初めてだ。
メンタルをやられる人が多い仕事であり,自分も社会人1年目が終わるころから病院に通った。
休職したこともあったが,復職したり転職したりで今は働いてる。
これまでは,半年に一度ほどやる気がない波が来ていたが,昨年は年1くらいだった。まだ,自分で持ち直せた。
また,この案件は進められるけど,あの案件は,どうにもやる気がでない,ということもあった。
また,タスクの難易度とやる気は全然比例していない。簡単なのに,全くやる気にならないタスクが山のようにある。
3月くらいまでは,パフォーマンスの低下を自覚しながらも,何とか回していた。
ただ,いつもより期間が長かったので,理由や対処法が分からなかった。
みたいな期待があって,それもあってやる気がでないのかな,と思っていた。
4月に入って緊急事態宣言がでて,仕事(案件)の半分が,棚上げになった。
タスクは減ったが,完全に休みになることはなかった。テレワークは可能になった。
仕事が減ったことはうれしかったが,それによって持ち直すことはなく,ダラダラ月日を重ねた。
最近は,タスクがたまりまくっている,遅くなっている状況に慣れてしまい,当初のような焦燥感がなくなっていた。
仕事が戻ってくる。
いよいよやばいなと思っている。
しかし,未完了,期限遅れのタスクが増えると,タスクリストを見たくなくなり,見なくなる。
初日はよかったが,次の日から,スタートボタンを押さなくなった。
冷静になると現実を直視して死にたくなるが,ツイッターやらソシャゲやらをして
朝,風呂に入っているときや,通勤中は,現実に帰りがちになるので,非常に死にたくなる。
日中は,電話対応したり,パソコンの前で作業をしているふりをしながら,ヤフーニュースやらはてブをみながら時間を潰し,
時間になったら帰る。
どうしても〆切が明確な仕事はやるが,本当にやりたくないので,遅くまで同じようにダラダラして,終電間際に何とか形にして,メールで出す。
ここでいう「死ぬほど」は,まぁ,比喩なので,別に今自殺願望に駆られているわけではないのだが,
「死んだ後の状態」には滅茶苦茶なりたい。
何もしたくない,何も考えたくない。この仕事をしないで済むなら,死んでもいい。みたいな。
まぁ,毎日,何とかいくつかはタスクを消化しているので,その死ぬほどやりたくない仕事も,やってはいる。
やってみると,そんなに大変ではなく,そこそこ簡単に終わるのである。
だが,その,「思ったり大変じゃなかった!」という体験が,成功体験にならない(以前は,多少なっていた。)。
死ぬほどやりたくない仕事を死なずにやって,死ななくて済んだけど,やはり次の仕事も死ぬほどやりたくないのである。
成長が止まっている。
病院には通って,薬の量は減っていたところをまた戻したけど,あまり効果はない。
先生は,お薬の種類と量を決める人と考えているので,そこまで突っ込んだ話はしない。
この間久しぶりにカウンセリングがあったが,でた案(タスクリスト,ポモドーロ)の結果は,上記のとおりである。
カウンセリングの翌日は多少やる気が出たが,翌々日からまたこのとおりである。
もはやどういたらいいのか分からない。
しかし,刻一刻と時は過ぎ,もはや社外も迷惑が掛かる。掛かっている。
終着駅で人のまばらなホームに降りて、寂れた店で立ち食いそばを食べたら、
そのまま各駅停車で更に先に行きたい。
各駅停車の終着駅では人の居ないホームに降りて、高い建物のない広い空の下で、昭和から変わらないような町を歩いて砂浜に出たい。
砂浜に座って一時間くらいゴロゴロして、暗くなってきたからホテル探して民宿すら見つからず途方にくれて、
始発電車で家に向かい、途中で通勤や通学で人が増えて、ピークを過ぎてまた減ってくる中を、ひたすら座ったまま建物が高くなっていく窓の外を眺めたい。
会社の最寄り駅を通り過ぎて、昼も過ぎた頃に家の最寄り駅到着し、ヘロヘロになって家に帰ってそのまま眠りたい。
追記:
そっちの方向には海がないそうだけど、
海のある方向の電車に乗りたいんじゃない。
いつも見かける行き先表示に書いてある、竜王とか宇都宮とかが、日常を通り過ぎた先にある自由の地なんだ。
そこへ行って、その先にある砂浜まで行きたいんだ。
通勤しなくていいとか無駄な話し合いがなくなって良いとかでネット上では称賛されてるテレワークだけど、実際問題生産性落ちてるよね。
対面ならPCの画面見せながら数分話せば終わることでも、いちいち文章に起こして送らないといけない。リモート会議の質は明らかに落ちている。セキュリティ意識の差がありすぎる。同僚との業務に関する雑談ができない。
個人のQOLは上がるかもしれないけど会社としての生産性は落ちる。
これじゃテレワークなんて消えそう。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200526/k10012445681000.html
日立が在宅勤務を標準にするというニュースに関して思うことをいくつか。
NHKの報道によると、出社する人数を半分に抑えようとしているという。電機メーカーという業種で、一時的ならともかく恒常的に半分に抑えられるのかは、疑問に感じるところだ。
まず製造部門などの現業は在宅勤務は不可能であるし、間接部門であっても例えばハード系の開発業務は在宅勤務の割合を高めることは難しいのではないか。日立製作所の内情を知っているわけではないが、開発部門であっても実験や技術的評価などの業務は少なく、派遣社員や下請けの管理みたいな業務がメインになっているのだろうか。
新卒採用に代表されるメンバーシップ型雇用特有の「育てる文化」と、在宅勤務とは非常に相性が悪い。この辺りをどのように解決していくのだろうか。もちろん新卒採用をやめてしまえばそういう問題は起こらなくなるが、今の日本でそこまで思い切った施策を取るのは難しいと思う。
在宅勤務を推進すると、これまでの職能給を成立させるのが難しくなるので、成果給への比重が自然と高まっていく。
あわせて、解雇規制緩和やホワイトカラーエグゼンプションも議論されていくことだろう。元記事のブクマでこの辺りのコメントが少ないのは、本当の意味で在宅勤務がどういう制度かを考え切れていないのではないかと、すこし気がかりだ。通勤のストレスから解放され、自宅で自由な形で働ける、それだけではない。
ある程度感染数が減っても世界からコロナが無くなるわけじゃ無いんだし、第二波に怯えながら生きていくんだから、飲み会もカラオケもキャバクラも無くなれば良い。ついでに通勤も。(そういう業態で仕事をしている人がたくさんいるから無理なことはわかってて願望を言ってるだけだけど)
外食も、5人程度までの少人数でのみOKにして、大人数で酒飲んで騒ぐ飲み会なんてもう無くなって良いよ。
衛生感覚がアップデートされてしまったから、カラオケなんてあんな密で唾が飛ぶもの、「不潔だな」という思いが強くて全然やりたくない。ライブとかもそう。他人の唾を浴びたくないな、と思うようになった。
キャバクラみたいな業態ももう終わり。夜の世界の人には申し訳ないと思うけど、クラスタになりやすく、かつ追いにくいの業態として最悪なので、出来れば無くなって欲しい。
リモートで仕事して、たまに親しい家族や友人と少人数でご飯食べて(なんならオンライン飲み会でも良いし)、休みは公園に行って、家で遊んで、個人的にはそれで全く困らない。
仕事だって、本当に必要なエッセンシャルワークの人だけに電車を譲って、混雑を無くしたい。
あの感染者数が刻一刻と上がっていって、コンビニ行くのもビクビクするあの雰囲気が再来することに比べたら、多くを求めない暮らしにシフトするんで全然オッケーだよ。
「自分たちが努力したから、状況が良くなっている」ということですごくストレスが減っている。4月の上旬とか、世界の終わりみたいですごく怖かったじゃない。ああいうのはもう嫌だ。
このあと、またこうやって夜の町から感染者が広がって、追えなくなって医療従事者や介護施設の人たちに感染が広がって、また子供たちが学校に行けなくなるの、見てらんないよ。
補償は払えば良いと思うけど、ワクチンが出来るとか根本的な解決が望める状況になるまでは、こういったリスクの高い業種は休業じゃ無くて廃業して欲しい。
でも、当然そんなことにはならないし、そうするとまた数字が上がったり下がったりに一喜一憂しながらビクビクして生きていかなくてはいけない。嫌だな。嫌だな。
これが浮き彫りにする問題は「オフィスが不要な業態の企業ですらオフィスを用意するという固定概念に縛られてる」じゃないの?
物理的なモノを扱う企業は逆立ちしたってリモートワークなんか無理だけど
こういう企業って都心の方が多いだろうから、あのバカげた通勤ラッシュが少しでも減ればいいな。
しかし、オフィス無しで今後業務を進めるとして、新たに人を採用するときのPC支給とかどうすんのかね?
特に緊急でもないのに出社して、通勤経路の電車の中にコロナの患者がいましたといわれたばあい
通勤電車が全員で自分が対象の上、会社が全員で、帰宅前にわからないと、社員の家族全員になるんだが
こどもが学校に行っていたら、学級全員の上、その親が全員
緊急でもないのに出社という考え方がよくわからない。さらにいろいろな話があるからだめじゃないし、きちんと情報読んで自分がどのパターンに当てはまっているかを大卒以上が判断できませんでしたとかききたくもないだろ。
条件を読んであてはまるなら出社すればいいし
なにいってんだ?という意見を聞く
だから、なんで都市ごと閉鎖になったのか理解してないやつがいて驚いた
で、第2声がじゃぁ!とか提案をしてきて、だから、その場合は・・・というのを何個のアイデアに言い返さないと
新型コロナウイルスの影響で、どの電車も窓を開けて走るようになったわけだが、気候が良くなるにつれ、その開き方もだいぶ大胆になってきた。
初めは、車両端の何枚かの窓が、上の方だけ申し訳程度に開いているだけだったが、今や、あらゆる窓が全開になり、走行中の風の吹き込み方には恐怖を覚えるほどである。
例えば、新聞を読んでいたら、手から吹き飛びそうなほどだ。というか、実際に飛んで行ったのを見たことがある。車内を紙束が舞うというのは、コロナ以前では考えられなかった光景であり、ある種のファンタジーさえ感じてしまった。
そうして、恍惚にしばし酔っていると、落語のような呼応として、隣の車両から週刊誌が飛んで来ることになる。それは丁度真ん中あたりのページで開かれており、蝶のように片半分ずつを揺らしながら舞っていき、寝ているおじいさんの頭に乗る。カツラのようである。
もちろん、電車からは何物かが飛んで行くだけではない。洗濯物が飛んで来て、網棚の忘れ物のレパートリーが増える。駅弁が飛んで来て、ちょうどいい旅のお供になる。桜の花びらが飛んで来て、その速度と居なくなったあの子に思いを馳せる。そして、黒いカラスが飛んで来て、寝ているおじいさんの頭に乗る。カツラのようである。
つまりは、乗客全員が一つのコントを演じているような錯覚を覚えたわけだが、思えば「嵐は愛に気づくために吹いてる」のであり、全開の窓から吹く強風の恐怖感は、乗客同士にそれに打ち勝つだけの連帯感をもたらしたのだろうと、ひとり納得する。
とにかく、そんな微笑ましい通勤風景が垣間見られるようになった電車の様子を、通勤自粛により電車に乗り損ねている皆様にありのままレポートしたわけだが、これを聞いて、これが満員電車に戻ってしまったらどうなってしまうのだろう、と思い悩むのはもっともなことだと思う。
ちまたでは、人が増えればコントの幅が広がるのでますます楽しみだという素朴な意見がある一方、換気の問題は非常に心配であり、換気機能をさらに良くするため、扉も開けっ放しにすべきだという素朴な意見も出ているようだ。
よく考えたら、電車はジェットコースターよりもスピードが出ているわけで、そんな中、平然とスマホをいじったり、寝てたりするって改めてスゴいことだなと、窓が全開するようになって思ったわけだが、扉も開けっ放しになれば、そのことはなおさら痛切に感じられるのだろう。
例えば、急カーブのたびごとに扉から落ち、また乗り直す間に遅刻する社員が増えたと憂える新聞記事を読みながら、「新聞って、本当に有ったことを書いてるんだな」とか言いつつ、風吹く電車の手すりに一生懸命しがみつくことで、このしがないサラリーマンにも、新聞の記事に対する共感を覚える日がようやく来るのだろう。
そうなったら、通勤電車もSFの素材になれそうだ。車内を舞う週刊誌に比喩が籠められる日も遠くはない。おじいさんもまもなく目を覚ますだろう。そうして、ファンタジーを帯びた満員電車に戻る日はいつなのだろう。早く満員電車に乗ってみたい。
それは否定的 一部の工場労働についてはもとからかなりの装備 マスクなんて当たり前というクリーンルーム並みの工場も多い。
つまり、工場系は職場での感染はかなり押さえられる。あやういのは十分に分散通勤をしない場合の通勤だろう。
分散通勤について、報道機関が十分な報道をしない以上、もうしなくても大丈夫という意思表明なのだろうが、やはり不安は残るので、分散通勤への指導はほしかった。
おれたちITは言うに及ばず。リモートのほうが危険度は高いなどいわれるまでもないが、自粛でどちらが優先といわれれば、リモートが工場に通勤を譲って、スペースを工場に譲っても良い。
が、それ以前の段階で経済活動が再開可能と専門家が判断したのならそれでも良い。
世界的な経済の再開について、IT業界は10年以上の経験を蓄積してきているし、他の業界もそうだろう。
なぜ危険な一律一斉解除を選ぶのか?まぁ、よほど安全になったのだろうとはおもうが、優先度を決めて段階的な3密を避ける状態を続けながらではなく、もうないですよ。と事実上の安全宣言が出るのは以外だった。
中国の様相を見ると、日本・中国系の人種がコロナに強いというのも否定的。フランス並みに致死率が悪化する可能性はこれから大きな気候変動や冬の到来を受けてないとはいえない。が、そういうのは専門家が考えた末の結論だろう。俺たちに言えるのはIT業界にはすくなくとも、まだ提供していないノウハウというものはあるが、必要ないようでなにより。今までのほうが安全だからそちらのほうがよい。
経済の回復に関しては、十分な議論が聞こえてこない段階での一斉解除で限界で非常に厳しいとはいえ、コロナの致死率と比べるとまだ余力がある中での解除となると不十分には聞こえるが、安全なんだろうと様子を見ている
次回のために言えば、リモートはまだ危険な段階ではあるとしても、コロナの致死率よりは致死率が低い。もしパンデミック再発となるとそのリスクは非常に高い。それと比べると、こういったさいに、十分医療機関が準備を整える時間を稼ぐ自粛できるリモート技術の研究は、必要ではあろう。(今回はリモート技術の実証事件の場ではない)
どうでもいい、馬鹿が考えるとこうなるという見本=自分の例を出しておく。
もうすこし、それぞれの議論に対して、どういう議論を尽くした結果、こういう結末になったのかを、わかりやすく教えてもらえると、新聞、TVのお金の分の価値というのがでるから、やかった。
あと、誰か、頭のいい人頼む。
再認定はほぼないだろうから解除したら解除でいくしかないだろうというのと
25日に解除を検討しているって いいのかなこれ 東京が解除したら 実質 日本解除で 日本国内で再度宣言をする理由はないんだが いいのかほんとうに まぁ しょうがないんだろうな。
いちおう おれたり パソコン組は まだリモートに慣れては居ないが これからなれていくから稼働していく それをオフィスに戻して本当にいいんだな?大丈夫ならそうする。
逆に 必要な工場労働者のために通勤をしばらくリモートにもできる そういう検討もなく 解除=事実上の安全宣言なんだが コロナ安全宣言とおもっていいんだよな?