はてなキーワード: 軽率とは
私達は、罪なき善良な社会的弱者により一層の苦痛と不幸を強いるだけの安倍首相の残酷で無慈悲で恥知らずな政策に、
知性と良識ある者なら当然そうするように反対の意を表明しました。しかし安倍首相は極めて嘆かわしく、そして愚かしい事に私達の訴えを退け、
その幼稚な頭で考え付いたお粗末な政策を実行に移したのです。安倍首相のような人心を顧みず傲慢で下衆で冷酷で汚らわしく
ミジンコの如く脳味噌が腐り果てて知能が著しく欠如し生物かどうかすら疑わしくなるレベルの思考回路しか持ち合わせていない人物や、
無思慮かつ無責任にも安倍氏を首相に選んだ単細胞の鞭毛以下の知能しか持たない愚昧な糞議員の軽率な蛮行によって、この国はますます住みづらくなったように思えます
アニメから入ってアイマスに関わろうとした時に、知らないなりに一生懸命考えて記事書いたのに上から目線で否定してくる人ばっかりなのは辟易する。
でもこれってネットのせいなんだろうな。
現実では、にわかの意見ってそんなに大きく取り扱われたりはしないから、そんなにムキになって否定する必要はないんだろう。
ネットでは、わかってる人はあんまり大声で喚いたりはしない。にわかがいくら喚いてもたいして相手にされない。だからいちいちみんなで寄ってたかって批判されることもない。
でも、ネットでは私のようなにわかの意見でも、ギャーギャーわめくとめだって人が集まってきて大きく取り扱われる。その時に、またよくわかってない人が「そうなんですね」「えー、あのコンテンツってそうだったんだ」みたいに同調しちゃったりする。とくにはてなブックマークは、そういう悲劇が起こりやすい印象がある。
こうなると、思い入れの強いファンとしては完全に叩き潰すべき害悪にしか見えないんだろう。で、過激に叩く。
叩かれた方も、ちょっと誤りを指摘されたり足りないところを指摘された程度なら納得できるんだろうけれど、叩かれすぎて腹が立つ。「確かに自分はニワカかもしれないけど、そこまで目の敵のようにしなくてもいいじゃないか」とか「自分は音ゲーとしてのデレステについて語ってて、デレステ全体とかアイマス全体を否定するつもりなんてなかったのにちょっとでもケチつけられると発狂するのか。心が狭い人たちだ」とか思ってしまう。
なろうとかラノベで似たような争いは頻繁に見かけてた。はてなではにわかがなろうやラノベについて軽率なことを口走り、それを全力で叩く人達の構図をよく見る。その時は、意見書いてる人はニワカだな、とか、ニワカだとは思うけどブコメの人叩きすぎじゃね?って他人事のように考えてたけど、同じなんだろうね。
ここまでわかったうえで言うけれど、アイマスファンの人たちは言葉遣いが汚い人が多くて嫌だなと思いました。 とはいえ、言葉じゃなくて暴力や同調圧力で人を黙らせようとするラブライバーよりはマシだけど。 二次元アイドルファンは怖い人が多くてやだなぁ。 宗教みたいなものだからかな。アイドルファンは、自分たちがヤバイ宗教に近い危険物にはまってるという自覚くらいは持って、ちょっとは自重してほしいものです。
でき婚するつもりはなかったけどできちゃって~ってばかじゃないの。
ほんの数十円の金と一分程度の我慢で人生計画守れるのになんで怠ったのさ?
わたしはゴム無しでしたことないし、彼氏もしようって言ってきたことはない。
でき婚は恥ずかしいことだと思ってる。順番守れてないって思ってる。
それに、妊娠するつもりもないのに妊娠するって、すごく怖くない?
なんの準備もしてないのに子供出来ましたとか、子供に対して無責任すぎない?
人一人育てるのにどれだけ金かかると思ってんの?
身体の負担もどれだけかかると思ってんの?
結婚して、この先の人生お互いに支えあおうぜって決意した相手とじゃなきゃ子供作ろうなんて思えない。
共働きしてお金そこそこ貯めてからじゃなきゃ、妊娠する決意ができない。
とてもじゃないけど、怖くて怖くて、ゴム無しでなんてできない。
先日、聞いて仰天した話。
私:40少し前♂、仕事は結構きつめ、年収そこそこ、都内の国立大学卒、容姿は人並みだが肥満気味。
が、そろそろ子供を作るにはタイムリミットかなと思ったのでネットde婚活。
つり合いの取れる女性を見つけて婚約中、お互いの両親も面談済み、披露宴会場も予約済み。披露宴招待客も決めて、お返事待ち中。
彼女:30前半♂、仕事は忙しそう、大学の少し離れた後輩、容姿は好き嫌いはあれど間違いなく美人スレンダー。
とにかく頭がいいのでこちらが疲れない。仕事もしてるので、生活の安全保障も期待できる。お互い経済的社会的要因を重んじて選んでいるのは分かっている。
社会的なつり合いを重視して選んだお互いであるわりには、夜の相性はかなりいい。敏感なのに恥じらいが奥ゆかしい。ごちそうさま。
大学出て最初に付き合ったのは、会社の40代の既婚上司で、それがどうも初めて付き合った男性らしい。
むろん、最初の恋愛が不倫というのは恋愛観とか男性観が歪んでいる可能性もあって、そもそも上司と付き合うとかその月並みさに耐えられない。
本当かどうか問いただすことも考えたが、さすがに処女を誰にあげたかなんて聞いたらこちらの常識を疑われる。
よりによって最初の恋愛だから、それなりに思うところあっての選択のはずなんだから、きっと治らない病気みたいなものなのだろう。
もう一つは、実は次の不倫相手は私の上司らしい。夜、上司と腹心4人くらいで飲んだ時に気を許したのか今の彼女自慢を始め、しかも水商売じゃないと言う。
聞かされて興味津々に、彼のスマホを見せてもらったら、出ましたよ、壁紙リストに入っている私の婚約者の満面の笑顔。
もう3年くらいの付き合いらしく、聞くも不愉快な交際の経緯。某メディア企業の幹部からの紹介で取材を通じて仲良くなったんだそうな。
よくよく聞いたらそのメディア企業の幹部が付き合っていたのが彼女だったということで、要はその私の婚約者の処女を奪った男が、私の上司に彼女を譲り渡したと、そういうことだ。
上司のアホは、ペラペラペラペラ彼女との逢瀬について話す。しかも私とするときとまるで変わらない様子をしゃべりまくる。こいつ出世を諦めたのか。
さすがにこれは衝撃で、彼女に「つきあった男性、何人くらいいるの?」「その中で私に決めた理由はなあに?」と聞いてみた。
過去についてはあっさりと「2人だよ」と言って、だけどもう過去の話だから気にしないでほしいってこちらの顔色を窺って言うばかり。
確かに、上司と逢う頻度が私と知り合って激減しているようだし、それに上司が不満たらたらだったので、あながちウソでもないのかもと思ったり。
正直、こういう人と結婚するのは生理的に嫌悪が走りました。ビッチでしょ、どう見ても。過去の恋愛のすべてが不倫とかありえないよね。
怒りとともに婚約破棄しようとその瞬間は思ったのですが、よくよく考えれば、才色兼備で、もうこれより婚期を遅らせると、子供が大学に入学したころにもう定年を迎える時期にこれだけの条件を備えた相手なんてそうそういるわけでもなく。むしろかつてアナウンサーを目指していたという美貌を考えると、ほぼレア中のレア。
不倫のことさえ目をつぶれば、条件的には申し分もなく、彼女の一族は、都内某区で大規模な土地を持つ地主一族で、しかし財産に胡坐をかくことなく、一族そろってみな早慶以上の学歴、手堅い職歴。もちろん本人も、これまでの経歴も申し分なく、料理はプロ級、お茶と着付けの心得があり、聞くところによると、ピアノとヴァイオリンも上手、らしい。もちろん彼女家の資産は1億超えてます。
さて、どうすればよいのかしら。結婚すべきなのか、婚約破棄すべきなのか。
ちなみに、ここに書いた彼女に関する情報は、私の上司から聞いた話です。役員にもなったのに、婚外恋愛のことを酒に酔ってペラペラ話す彼は、軽率極まりないと思います。
私も女性経験は人後に落ちませんが、そんなことは口にすべき話ではありません。これまで心と体を開いてくれた女性に失礼です。
男は黙ってハメ撮り写真をクラウドに入れてニヤニヤすればよいのです。
こんな上司でも、私を引っ張ってくれたのは確かなので、苦言できませんが。
配偶者とテレビのニュースを見ながら会話しているとだんだん噛み合わなくなってきてもやもやする。
自分は社会の事象や法律に疎く理解力も乏しい。口下手で頭も悪い。配偶者は社会情勢に詳しくて賢い。頭も口もよく回る。
前提で既に噛み合わなくて当然というかよく一緒にいてくれるなとしみじみしてしまうが、問題は配偶者が合理的に考えている時に自分が相手の気持ちなどを考えてしまうことだった。
配偶者が「無意味だ」と言うことに対し、部分や結果だけ見れば無意味かもしれないが「こういう気持ちや目的なんじゃないか」のようなことを言ってしまい、
「じゃあ○○だったら××なのか? △を知っていて言っているのか?」と知識で畳み掛けられてしまう。自分が無知なので議論にならず、なんとなく気まずい空気が流れる。
ニュースやその背景をろくに理解していないくせに曖昧な立場からふわっとした感情論のようなものを吐いてしまうのがいけないのだと今日気付いた。
○○界隈にはこういう変な人いますよ、っていう注意喚起という名の善意を装ってますけど、本人の文面をまるまるさらしちゃうのってどうなの?
本人に見られて逆上されたらますます困ったことになるんじゃないの?という心配も含め、ちょっと軽率な気がします。
そういう釣芸なのかなーっていうのもあるけど。
人間同士のやりとりって基本思うようにいかなくて、傷ついたり腹が立つことたくさんあるよね。
無神経で信じられないと思わされることも、ホントたくさんあるよ、ヤになるよ。
でもそうやって私信を第三者に公開する人は、周囲のひとに「逆鱗に触れたら所構わず私信をまき散らしたりする人」って認識されちゃうよ?
注意喚起なら、ことのあらましをまとめて伝える方法もあるじゃん。
場合によっちゃ、「私信さらすほど腹をたてさせてやったww」って相手を喜ばせてるかもしれないよ。
いるよ、そういう頭のおかしい人。
文面丸さらしだと、書いた本人は間違いなく自分の書いた文だってわかるじゃん。
喜び倍増しじゃん。
『多摩美統合デザイン学科の学生として思うこと』という記事に対する考えを述べようと思います。
http://anond.hatelabo.jp/20150821111821
・"最初に自分があのエンブレムをみたとき、直感的にかっこいいと思いました。シックで、いままでのオリンピックエンブレムをは一線を化すような新しいデザイン、
新しい東京のイメージを担ってくれるような力強いものに感じました。"
・"現状では異端であるもののそれがこれからのベーシックになっていくはず"
『多摩美統合デザイン学科の学生として思うこと』の筆者は上記の様な内容を、エンブレムが批判されるべきではない理由としてあげています。しかし、どれも論理的ではなく、感情論でしかありません。
デザインとはある程度の理論が存在し、その上にビジュアルの様な表層に見えるかたちを構成するものです(私が学んだことが正しければ)。"直感的"、"シック"、"新しい"、"東京のイメージ"といった感覚的な部分を持ち出し、それを理由として扱うのには無理があると考えます。
私個人の見解でエンブレムの評価に価する点を述べるのであれば、ロゴが”展開する”という部分でしょう。文字への展開、ピクトグラムへの展開、映像への展開など、様々なメディアへの仕組みこそがこのエンブレムの本質だと思うのです。これらの展開する仕組みの齎す価値は不動のものだと考えます。佐野さんの会見でのプレゼンテーションに寄っては、印象が大きく変動したように思えるし、ビジュアルの印象が良くない点が今回多く取り上げられていると思いますが、それはモチーフが曖昧であること、形に込められている意味が表層に現れていないことなどが原因ではないかと推察しています。著名なデザイナーの方や、デザインを学んでいる学生などがこのロゴを批判しないのは、単なる擁護ではなく、ロゴの仕組みを推察し価値を見出しての意見だと考えておりますが、もちろん一般にその仕組みをプレゼンテーションすることや、ビジュアルに仕組みを表すこともデザイナーの仕事であると思っております。その点は佐野さんの今回の会見は残念で致し方ありません。
筆者はデザインを感覚のみで捉えているような意見しか述べていなかったので、理屈的な部分を理解していないのだと考えています。表層的な部分を見て判断するのであればデザインを学んでいる学生としての視点にすら及ばないと思われます。
現在確認したところ記載内容を削除されておりましたが、"情報デザイン学科は、先端技術を用いて新しい可能性を模索することに力を注いできたが、”ただ新しいことをする”学科に陥っている。卒業制作展を見に行ったが、アニメーションのクオリティーは低いし、キネクト使ってることがすごいというアピールをしているかの様で気持ち悪かった"
というのが大まかな筆者の内容です。
筆者は、”なにかから影響を受け、文脈が形成されていくことを「パクリ」の一言で否定しないでください。”とも仰っています。
情報デザイン学科の卒業制作展に赴き、感覚的に得た情報(クオリティーが低い、気持ち悪い)を持ち出し学科自体を批判していることは、ロゴをパクリだと批判している意見と違いはないように思えるのです。
根本的に考れば、"学科が失敗"することの定義が曖昧であり、失敗ではない例とはどのような存在かを述べていませんし、統合デザイン学科の"ベーシック"を学ぶこと()は成功したという実績が存在するのでしょうか?対として情デが"新しいことをするだけの学科”であるとすれば、統合は"ベーシックしかしない"ということになりますし、発言が軽率であることは確実です(削除されたので自覚したとして捉えていますが)。この意見がロゴ批判と違うと思うのであれば、もう少し理屈で語っていただきたいと考えました。
デザインは感覚がすべてではありません。機能を意図的に含めた様々なアウトプットがデザインです。それを学んだのが情報デザイン学科でした。
今回取り上げさせて頂いた記事があまりにも破綻しているように思えたので、書かせていただいた次第です。
長々と書きたくなかったのですが、文才のない私にはこれが限度でした....。
乱文ではありますが以上が私個人的な意見です。ありがとうございました。
とのことでしたが、情報源はどちらですか?これもまたネット批判の悪い点と同じで、情報源を明示することや自身の理屈の元で意見として述べるのであれば良いと思いますが、それが事実かどうか、何故そう思うのか、という所を明確に述べないまま批評するのは、"なんとなくロゴがかっこ悪い"、"多分パクリ"、と言う方々となんら変わりはないと考えています。誤情報が錯綜するのがインターネットですが、発言する際に少しの考えを載せるだけでも変わるのではないでしょうか。
人が製作した作品に対して、展示を見に行っただけで"クオリティが低い"と述べる方は、本当にその作品のクオリティーを見ているとお思いでしょうか。文脈によって形成されるロゴを否定しないで欲しいと本人が述べているにも関わらず、文脈の見えない視点から人の成果物批判をしていては矛盾が生じます。それがデザインを学んでいる方のするべきことでしょうか。ちなみに私は、クオリティは感覚であると述べている訳ではなく、引用元の筆者の述べている内容は感覚的に捉えたクオリティだけであると述べているのです。背景などを読み取らずに捉えたものが"クオリティ"であるかすら疑問ですが、私自身は文脈を含めてのクオリティであると認識しています。
主に自分のために。
妻が第二子で、かなりの早産になるかもしれない。次の受診で聞いてみなければいけない。
全力でサポートしたい。けど、妻を責めたい気持ちが胃を巡っている。
一度、このモヤモヤを吐き出さないと、今の自分の不安を噛み砕いて進んでいけない。
あれほど、無理をするなと言ったのに、仕事でもそうだし、家庭でも頑張りすぎていたんだろう。
買い物に毎週いく必要があったのか。
第一子のときはあれだけ慎重だったのに、慢心があったんじゃないか?
なんで助言を聞いてくれなかったんだ?
無理をした結果子どもも自分も危険な目にあったら、意味なんて無いじゃないか?
「他人に迷惑をかけられない」といって、無理をして。保育園だって、遠慮して自分がキツい日だって利用しなかった。
他人に気を遣って、一番大事な自分や子どもに迷惑をかけているんじゃないか。
その言葉が、やきもきしていた自分への謝罪として言って欲しい。
いまさら、「免疫力がおちていたかも?」なんて、そんな後悔したってもう遅いじゃないか。
今の段階で、産むという選択はかなりのリスクを伴うが、どうなるかわからない。
もう四の五の言ってられない段階へ、俺たちは追いつめられているんだよ。
君は間違っていただろう。
悔しい。
だれか、俺にお前は間違っていなかったと言ってくれ。
妻も俺の言うことを聞くべきだった、妻が間違っていたと認めてくれ。
書いていて、大分落ち着きました。
自分への免罪符が欲しかっただけなのだと書きながら感じました。
吐露できたおかげで、自分の気分自体はいくぶん楽になりました。
93歳の夫が体の痛みを訴えていた妻に頼まれて殺害したとして、嘱託殺人の罪に問われた公判が千葉地裁で開かれている。夫は「今でも愛しております」と語り、2人の娘は「父は追いつめられていた。ごめんなさい」と悔やんだ。(朝日新聞デジタル)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150618-00000012-asahi-soci
頭おかしいんじゃないのか。
尊厳死には条件がある。
①現代医学では治せない傷病で、死が近づいている場合に、単に死を引き延ばすためだけに延命するのはやめてくれ
③植物状態に陥ってそこからの回復が望めない場合は生命維持装置を切ってくれ
というのが尊厳死だ。
今回の事件はせいぜいが骨折からきている慢性疼痛にすぎず、尊厳死の適用案件には程遠い。尊厳死が法的に整備されていたとしてもこのケースで妻を死なせることはできないし、あってはならない。
これはただの殺人だ。人の尊厳を尊重する行為じゃなく踏みにじる行為だ。
検察が「軽率」と称したのもそこから来ているのだろう。不治の病でもないものを殺して救ってやろうとするなんて傲慢以外に当てはまる言葉はない、というのが本来の司法のスタンスであるはずだ。そこを「軽率」と称したこと自体相当叙情酌量してる。
「軽率なんて言わないでほしい」ってバカか。判決ならまだしも検察側が「軽率などとは称せない、壮絶な苦悩があった、追い詰められていたし仕方ない」的なコメントを出してみろ。
今後いったい何件の殺人事件がそうやって美談に祭り上げられるかわかったもんじゃない。
これは殺人事件で、人を殺すというのは悪いことなので徹底して回避されなければならないことだ。それが社会というものの目指す姿だ。
※懲役5年に執行猶予を狙ってるだろうという意見があったが俺もそう思うしその線を狙うのは妥当。物の本によると、こういう「追い詰められて最愛の人を…」系の殺しで無罪放免にすると裁判後に罪悪感で自殺したりするそうなんで、執行するかは別として刑を科すのは意味があると思う。
※話が飛ぶが、逆に裁判長は「どうすれば良かったですか」とか聞いてんじゃねえよと思う。俺が被告だったら「俺が聞きたいわ」って逆ギレすると思う。いや、反省の度合いみたいのを見るために聞いてんだろうとはわかってんだけど。
例えば安楽死センターみたいな施設を作って死にたい奴はみんな受け入れるようにしていたら?
それは社会的な自殺強要でしかなく、自発的に死にに行ける状況を提供することで逆説的に「そんなだったらもう死ねばいいのに。なんでまだ死なないの?」というプレッシャーを正当化するだけに終わるのは明らかだとは思わんか?
条件を設けると尊厳死に行き着くんで、安楽死センター要らないよ? あとこの事件の妻みたいな人はたぶん利用できなくなるよ。
この妻みたいなパターンが利用できるような利用者条件って相当ゆるい。「苦痛から逃れたいと思っている人」ぐらいの感じにしかならない。
これはわかる。気持ちとしては痛いほどわかる。
だって殺しを依頼して実行してもらっちゃったことで最愛の夫は妻殺しになっちゃったし、娘たちはそれこそうつ病のひとつやふたつ発症してもまったくおかしくないくらいに傷つけられている。
その点では妻もやっぱり追い詰められていたというのがよく分かる。冷静になれるだけの余裕が(精神的にも、体力的にも)あったら、「迷惑かけたくないから殺してもらう」がどんだけ矛盾してるか気がつけただろう。
これだけぶうぶう言っといて何だけど、この事件は社会制度とか公共福祉とかそういうレベルでしか解決は図れなかったろうと思う。
自分の身内がこういう状態になって死にたいと言い出したとき、できることってのは「殺してあげる」か「それでも殺さない」のどちらかを選ぶことしかないと俺は思ってるってことだ。
そして、自分でも、「『それでも殺さない』一択だろアホか」と、その状況になってみても言えるかどうかは自信がない。言えなくてもまったく不思議じゃない。だからこそ今は言っとくわけだけど。
鎮痛剤の適用について言及したコメントがあったが、そういうアプローチはもっと追求されていいだろうと思った。あと介護ロボか?
介護サービスを嫌がってたというが、その辺のニーズ(助けが必要なんだけど人様に助けて欲しくない的な)に応えられるのはもうロボくらいしか思いつかん。
あと自己防衛として「人に助けてもらう上で生じる抵抗感をいかにして減らすか」ってことだけど、貧困文学『アンジェラの灰』で示されたように、尊厳があるってことは他人に借りがないってことだから、抵抗感を減らすとかそういうベクトルの努力はどうしても焼け石に水でしかない。
私は死ネタが嫌いです。
もしくはそれが戦国モノだったり戦争モノだったりするならまだ分からなくもないですが、いや、原作で死んでないキャラを殺すのは意味が分からないのでやっぱり分からないかも。
ただキャラクターもひとりの人間であり、その生死を含めた生き様を描きたい!という高尚かつページ数や文字数もたっぷりある作品なら5億万歩譲ってすごい人種だな、と思います。
ましてや好きなキャラの二次創作を見てるわけなんですから、好きなものが死んだとなると悲しさもひとしおです。
死んだキャラのかたわらに寄り添って、泣くキャラを見たり、気丈に前を向くキャラを見たり。必ず読むものの涙を誘えますね。
でそれ、誰にだって「作れる涙」でしょ?あなたも親友の親御さんが亡くなると悲しいでしょう。それでも親友が笑って振る舞えば、心中を察して泣くでしょう?
感動したり、嬉しかったり、悲しかったり、人間が最も感情の高ぶった時に出るものですしね。あなたの二次創作で涙しました、は、最高に嬉しい言葉ですよね。
でもさ、そんな当たり前の、人間としてすら当たり前のテンプレに人の創作キャラを勝手に借りてぶっ殺した二次創作を作って、誰かに「泣いた」とか「感動した」とか言われるの楽しいですか?
それで読者泣かしてドヤ顔しているの最高に気持ち悪いです。
北朝鮮に観光に行って人質になったアメリカ人に対して「どうして北朝鮮なんかに観光に行くんだ」みたいな意見はアメリカ国内にはないんだろうか。
このたび、弊社が運営するフットボールチャンネル編集長のツイッターでの発言により、大宮アルディージャならびにクラブ関係者の皆様、ファン・サポーターの皆様に多大なるご迷惑をおかけしました。深くお詫びいたします。
今回の件は、個人アカウントでの発言とはいえ、サッカーメディアを統べる編集長がサッカーに関することで発言したものであり個人の私見で済まされる問題ではありません。その発言内容は、メディアに従事する人間としての自覚に欠けるものでした。
メディア企業としての責任を真摯に受け止め、このようなことが再発しないよう本人への指導はもちろんのこと、SNSの運用を含めた編集部への教育を徹底し、良質な情報を発信していけるよう取り組んでまいります。
1月16日、個人のツイッターアカウントで大宮アルディージャについてツイートした内容は、事実に基づいたものではなく、多くの誤解を招く不適切なものでした。
1月17日にはツイッター上での発言を訂正し、翌日に削除・謝罪致しましたが、多くの方の目に触れることになり、誤った情報が広まってしまいました。
私の発言によって大宮アルディージャの関係者の皆様に多大なご迷惑をおかけしてしまったこと、またサポーターの皆様に不安な気持ちを与えてしまったことを深くお詫び致します。
メディアの長として責任のある立場にありながら、このような軽率な発言をしてしまったことを深く反省しております。
今後はこのようなことがないように自らを律し、自身の姿勢を真摯に見直してまいります。
繰り返しになりますが、大宮アルディージャの関係者の皆様・サポーターの皆様、誠に申し訳ありませんでした。
ソース http://www.footballchannel.jp/2015/01/29/post68909/
魚拓 http://web.archive.org/web/20150129015020/http://www.footballchannel.jp/2015/01/29/post68909/
軽率かどうかと助けるかどうかは別だろ。