はてなキーワード: 環境保護とは
なぜかといえば、環境保護の草の根活動というのは「ひとりひとりができることをしよう」典型的なミクロ視点での啓蒙であり、「環境のため」という美しすぎる大義名分によってマクロ視点からの検討がおそろかになりがちであるからである。
個人レベルで行なえるし、家庭ゴミの量を簡単に減らすことができる。
しかし、レジ袋を使ったことがある人はわかると思うが、ほぼ間違いなく「この袋は植物由来の素材を~」とか「リサイクル素材を~」と書いてある。
レジ袋を追放した時、このリサイクル元の素材はどこに行くのか?
そのままゴミとして捨てられないようにカバーしようと声を上げた人がいただろうか?
レジ袋が無くなることで雇用はどう変化するのか?それが自分だったら本当に同じことが言えるのか?
こういった事を一つ一つ組み合わせて考えなければならない。
と言っても、ゴミの総量が減ることには変わりはないし、今回のお菓子の過剰包装に対する抗議は比較的妥当と言える。
自然保護という眼の前の光り輝く栄光に目がくらんではいないだろうか?
個包装を紙などリサイクル素材にできないか?そもそも再生紙は環境にいいか?そもそも「捨てる」という行為に着目したほうがいいのではないか?分別システムから見直し、そもそも包装に使用する素材から見直すべきではないか?
など、発生しうる議論を経て同じ結論に至るならば、議論の過程でより多くの建設的な案を作り出すことができる。
特に今回は子どもたちが主体になっている。正義感の虜になると本当にやばい人間になってしまうが大人たちはそこに配慮できているだろうか?
個人レベルでできることが少ないからといって「ひとりひとりができること」に迂闊に飛びついてしまうと別の大切なものを破壊してしまう事もある。
目の前の手軽な正義に飛びついて何かを破壊してしまうというのは人間が何度も繰り返してきて反省できていないものの一つだ。
しかし、マクロ的な視点からものを見すぎても効果が薄いし、何かを切り捨ててしまいがちなので、因果関係をしっかりと見極めつつも、ミクロの観点を捨てないバランス感覚が大切だ。
・テレワークが加速する
・手ごろなオフィス家具が売れる
【追記】現状,子育てとテレワークを両立しなければならなくなり,子育てしている世帯の負担が増加している.
・UberEatが今のAmazonのような存在感を示すようになる
・出前館のような国内配達サービスは今の楽天.ヤフーショッピングのような立ち位置になる
・倒産した鉄道会社の路線を使い,自動運転を試みる企業ができる
・9月入学が導入される.これにより海外留学が盛んになるが,所得格差による教育格差が広がる.
・5月が超大型連休になる.
・抗体のありなしで就ける職が決まる
・製造業のような人が集まって行う仕事は,抗体が無ければ出勤できなくなる
・人件費は高くつくが,確実に納期に間に合うため,抗体を持った集団を持つ企業はたくさん受注を得る
・国内で感染封じ込めに成功した国限定で経済活動が再開する.ドイツ,台湾,マレーシアがその先頭に立つ.
自分はあまり政治には詳しくないし、信念たる思想も持ち合わせていないのだが、現代が個人主義に傾倒しつつある時代なのは肌感覚で理解している。
それと関係があるかは知らないが、何かしら他人、集団に対して働きかける言論へのカウンターとして「お前がそういう理念に基づいて行動するのは結構だが、それを俺に要求するのは筋違いだ/出過ぎた行為だ」というような言論を多く見かけるようになった。と思う。
確かに個人の権利や考え方が守られるべきだというのは、右に立とうが左に立とうが共通する、現代人として議論を交わすためのスタートラインと言っていいだろう。しかしそれを振りかざして思想的鎖国を行うならば、そもそも議論を交わす意味がなくなってしまうのではないか。
自分が「思想の押しつけはやめろ」が詭弁ではないかと考える根拠として、具体例を挙げる。
グレタ・トゥーンベリ氏による環境保護のための諸活動は記憶に新しい。そして、日本のインターネット(自分が観測できたとても狭い範囲)においては、結構冷笑的な視線が多いと思う。実際自分も、パフォーマンスを重視する政治活動や、少女を矢面において批判を差別とすり替える手法にはあまり感心できない。とはいえ地球の環境問題は我々が目をそらしていい問題ではないし、個人の努力で解決出来ることでもないので他者に働きかける必要があるのは当然ではないか。
あるいは昨今拡大し主張を強めるヴィーガン・コミュニティ。当然彼ら/彼女らは一枚岩では無く、元来ベジタリアンなどと呼称されていた、健康のために菜食を行うグループはさておき、家畜を解放しようと考えている一派からすれば、自分たちだけが主義を遂行するのでは何も達成できない。
個人の行動では解決できない事柄をなんとかしようと声を大にしている主張に対して、「押し付けるな」というのはあまりにも幼稚で、無思慮で、思考停止的で、原義的な保守にとってあまりに都合の良い個人主義の拡大解釈なのではないかと、(同じく声が大きな主張のいくつかに異を唱える身として)切に感じている。
この漫画の女の子は高校生?明らかに性的対象として未成年を消費しているのに「公式」ですか。オーストラリアではこんな画像を平気でポスターにすると犯罪なので、必ず警察に通報されます。日本は他の先進国とずいぶん違うのですね。 https://t.co/ikxipKEOfp— がび (@gaby6100) 2020年2月14日
https://www.bbc.com/japanese/47550018
https://www.bbc.com/japanese/49416825
そもそもオーストラリアに限らず、イギリスでも規制が厳しすぎた国は日本よりも遥かにこの手の犯罪が多かったりするんだけどね(笑)
当時からだけど、この手のフェミ仕草の連中って本当にオーストラリア好きだよねと思う。
何にしろ当時指摘されていた厳しすぎる意味のない規制は寄り犯罪の悪化を招く事を実証したから、これからどんどん彼等の言い分は潰れていく段階に入っていくと考える。
そもそもこいつら実在児童保護を蔑ろにして、児童ポルノを盾に創作物規制やネット規制など関係ない所ばかりしていたのが本当に気に入らん。
レスポンダーがオーストラリアの大規模森林火災への支援を目的としたチャリティーグッズを販売
http://vault76.info/archives/23307069.html
24時間限定、Bethesda.netでオーストラリアの大規模森林火災被害への支援を目的としたチャリティーセールを開催
http://vault76.info/archives/23324804.html
【衝撃】山火事で子牛20頭が大ヤケド、苦痛を止めるため牧場主が取った行動がつらすぎる
http://yurukuyaru.com/archives/81885471.html
オーストラリアで山火事が起こる原因は?ユーカリの自然発火がユーカリの自然発火が理由?
https://ozvilogger-takako.com/australia-bushfire-1522
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%AA
本当かどうか話半分でしかないけど、これ今までは大火事を防ぐためにわざと野焼きをする様な計画火災をしていたのに環境保護団体がロビーをかけて禁止してしまった為にここまで余計に被害がデカくなった的なコメをアフィで見かけたのだけど、だとしたら救いようがないねぇ。
オーストラリア自体、あの手の政治的環境活動家が活発だし、ユーカリ自体自然発火もする。
そして何より日本でも環境保護を名目にした結果、里山に手が入らなくなり逆に荒廃した例も普通にあるからあり得ない話ではなさそうなんだよね。
何にせよ今の環境保護運動自体左翼の方々やカルトに乗っ取られて、生態学や地球科学等の科学的アプローチが一切無視されているのは問題だよね。
ただ一部の団体が温暖化が温暖化がとヒートアイランドの区別すらついてなくて喚き叫んでいるのが現状。
どんなに耳に心地よくても、ニセ科学や詭弁は結局、国益を損なうよ。遅かれ、早かれ。— Keiichiro SAKURAI (@kei_sakurai) 2020年1月28日
これは何も環境問題だけではなく、俗に言う女性の人権や子供の人権や男女平参画等の規制問題や著作権の規制問題、動物愛護または外来種動物の規制問題、交通関係の規制問題全ての事で言える。
どの様に対処をすれば、良くなるのではなく、一部の人の都合ばかり押し付けられて、結果意味がなかったり、逆に事態の悪化すら招く法律ばかり出来るのだよね。
特に環境問題なんて、企業の経費削減の理由にエコとか言ってレジ袋有料化の言い訳等に普通に使われる始末で嘘がまかり通っているからね。
法律なんて一番論理的なアプローチが必要な分野なのに今や扇動等ですぐに安易な規制の方向にばかり走ってしまう。
環境保護過激派系ヴィーガンが嫌われてる。だが、待ってほしい。
クジラやシャチはスピリチュアルな動物だの、かわいそうだの苦痛を与えてるから残虐だの言いたい放題だった。
しかしその当時は欧米諸国は「クジラなんて誰も食わないだろ」とか「環境問題で日本に矛先を向けられるぞ」と扇動に乗っかってしまった。
環境保護過激派ヴィーガンがうっとうしいというのは正しいが、その苦痛と差別扇動に、ずっと鯨食文化は耐え続けてきた。
犬食もかな。
そのあとで、徐々に「魚の生け作りは残酷だ」とか勢力を拡大し、牧畜全般をバッシングし始めた。
そして、運動は拡大し、動物愛護の精神から、必然的に、あらゆる動物を対象にし始めてきた。
まあ、どこの世界も一緒。ごく一部のマイナーなところから始めて、支持者を拡大し、それから大きなところに放火する。
表現規制とかも「最初は、大多数の比とは関係ないから大丈夫」と言いながら、一部をつぶして実績を上げ、一気に拡大していくのも同じ。
登山家の野口健が子猫を射殺したり、15歳少女の父と交渉し児童婚をしていた事が話題になっている。
当時のネパールでも児童婚は犯罪だったが、少女には戸籍がなくうやむやになったらしい。
悲惨だが、貧しい国では親が娘を金で売り児童婚させるのは今でも行われている。
日本でも昭和の前半くらいまでは、十歳そこそこの少女を遊郭に売るのは、農村に子供を買い取る施設が出来るくらい良く有る事だった。
https://www.nichibenren.or.jp/document/civil_liberties/year/1950/1950_4.html
昭和26年に『人身売買は憲法で禁止されているにもかかわらず今日なお官辺の調査によれば、2,000件にも及ぶといわれているが洵に悲惨であり、文化国家として屈辱である』という理由で人身売買禁竭に関する決議もされている。
日本政府の調査でも、毎年かなりの人身売買が行われていた様子が解る。
『日本政府が国連経済社会理事会第6回社会委員会に対して、昭和25年4月末迄の調査として提出した資料によると
労働省より労働基準法違反の面から摘発したものだけで同法実施以来1年間に2,300件に達していると報告されており、
厚生省よりは児童福祉法違反の面から取上げただけで戦後より2,014件に及んでいると報告されている。』
日本でも未だに児童売買への意識が低いのか、グレタさんの環境保護活動と野口の児童婚を同じものとして何千もリツイートされている人も見かける。
昭和初期くらいまで貧困になれば、娘に身売りさせ息子を千円で無期限無給金で働かせる奴隷売買していた時代に戻ってしまうかもしれない。