はてなキーワード: マイバッグ運動とは
なぜかといえば、環境保護の草の根活動というのは「ひとりひとりができることをしよう」典型的なミクロ視点での啓蒙であり、「環境のため」という美しすぎる大義名分によってマクロ視点からの検討がおそろかになりがちであるからである。
個人レベルで行なえるし、家庭ゴミの量を簡単に減らすことができる。
しかし、レジ袋を使ったことがある人はわかると思うが、ほぼ間違いなく「この袋は植物由来の素材を~」とか「リサイクル素材を~」と書いてある。
レジ袋を追放した時、このリサイクル元の素材はどこに行くのか?
そのままゴミとして捨てられないようにカバーしようと声を上げた人がいただろうか?
レジ袋が無くなることで雇用はどう変化するのか?それが自分だったら本当に同じことが言えるのか?
こういった事を一つ一つ組み合わせて考えなければならない。
と言っても、ゴミの総量が減ることには変わりはないし、今回のお菓子の過剰包装に対する抗議は比較的妥当と言える。
自然保護という眼の前の光り輝く栄光に目がくらんではいないだろうか?
個包装を紙などリサイクル素材にできないか?そもそも再生紙は環境にいいか?そもそも「捨てる」という行為に着目したほうがいいのではないか?分別システムから見直し、そもそも包装に使用する素材から見直すべきではないか?
など、発生しうる議論を経て同じ結論に至るならば、議論の過程でより多くの建設的な案を作り出すことができる。
特に今回は子どもたちが主体になっている。正義感の虜になると本当にやばい人間になってしまうが大人たちはそこに配慮できているだろうか?
個人レベルでできることが少ないからといって「ひとりひとりができること」に迂闊に飛びついてしまうと別の大切なものを破壊してしまう事もある。
目の前の手軽な正義に飛びついて何かを破壊してしまうというのは人間が何度も繰り返してきて反省できていないものの一つだ。
しかし、マクロ的な視点からものを見すぎても効果が薄いし、何かを切り捨ててしまいがちなので、因果関係をしっかりと見極めつつも、ミクロの観点を捨てないバランス感覚が大切だ。