2020-07-18

お菓子個別包装に対する抗議署名典型的合成の誤謬を招きかねない。

合成の誤謬というのは環境保護世界では度々発生しうる。

なぜかといえば、環境保護草の根活動というのは「ひとりひとりができることをしよう」典型的ミクロ視点での啓蒙であり、「環境のため」という美しすぎる大義名分によってマクロ視点から検討がおそろかになりがちであるからである

 

典型的な例がマイバッグ運動である

個人レベルで行なえるし、家庭ゴミの量を簡単に減らすことができる。

 

しかし、レジ袋を使ったことがある人はわかると思うが、ほぼ間違いなく「この袋は植物由来の素材を~」とか「リサイクル素材を~」と書いてある。

まり、元々ごみになるもの再利用しているものだ。

レジ袋を追放した時、このリサイクル元の素材はどこに行くのか?

そのままゴミとして捨てられないようにカバーしようと声を上げた人がいただろうか?

レジ袋をゴミ袋として再利用している場合は?

レジ袋が無くなることで雇用はどう変化するのか?それが自分だったら本当に同じことが言えるのか?

こういった事を一つ一つ組み合わせて考えなければならない。

お菓子個別包装でも同じだ。

 

と言っても、ゴミの総量が減ることには変わりはないし、今回のお菓子の過剰包装に対する抗議は比較妥当と言える。

個包装はマーケティング上の理由が大きいし。

からといって全てを拒絶するのはあまりにも過激だ。

自然保護という眼の前の光り輝く栄光に目がくらんではいないだろうか?

個包装を紙などリサイクル素材にできないかそもそも再生紙環境にいいかそもそも「捨てる」という行為に着目したほうがいいのではないか分別システムから見直しそもそも包装に使用する素材から見直すべきではないか

など、発生しうる議論を経て同じ結論に至るならば、議論過程でより多くの建設的な案を作り出すことができる。

 

特に今回は子どもたちが主体になっている。正義感の虜になると本当にやばい人間になってしまうが大人たちはそこに配慮できているだろうか?

 

個人レベルでできることが少ないからといって「ひとりひとりができること」に迂闊に飛びついてしまうと別の大切なもの破壊してしまう事もある。

目の前の手軽な正義に飛びついて何かを破壊してしまうというのは人間が何度も繰り返してきて反省できていないものの一つだ。 

しかし、マクロ的な視点からものを見すぎても効果が薄いし、何かを切り捨ててしまいがちなので、因果関係をしっかりと見極めつつも、ミクロ観点を捨てないバランス感覚が大切だ。

 

自然保護活動於いて保護対象に「人」を入れないのは人間特別視する傲慢姿勢に他ならない。

植物も、動物も、虫も、人も一つの自然として捉え、全て守ってこそ自然保護だ。

  • コンビニのゴミ袋問題を一番スマートに解決する方法は 「コンビニのゴミ袋の指定ごみ袋化」だと思う

  • 保護するのは都合のいい自然だけ。 ゴキブリや蚊やウイルスは殺すのに、人間と人間のお気に入りだけを特別視するのは傲慢だね。 目の前の正義に飛びついて破壊する愚かさには同感だ...

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