はてなキーワード: 憲法学者とは
安全保障で憲法学者がどういったとか、だったらこれから、そういう議題の国会は、政治家なしで憲法学者がやればいいよ。もちろん、野党議員の代わりに、ね。
憲法学者はあくまで憲法学者。政治を決めるのは「政治家」だろうに。
市町村じゃ政策立案や企画は、委託料支払ってコンサルに丸投げででもいいかもしれんが、国会の場で、しかも政治家が、それをやってんだから、国民は笑ってしまう。政治家としての能力の低さに。能力の無さに。
憲法学者がyesと言ったから正しい、noと言ったから正しくないなんて議論、「お母さんが正しいって言ったから正しい、先生がダメって言ったから悪い」と何が違う?
専門家の意見を「踏まえて」、政治家として今の国際情勢を判断したり予見したりして、政策を立案・実行していくのが政治家だろうに。
原発問題で、散々、原子力の物理学者が「問題ない」といっても反対反対なのに、憲法学者が左といったら全員左を向くのかよ。(たしかに、直前に言われたことしか考えられない、とんでもない首相が過去にいたけどさ)
0.まえがき
おそらく表現規制の最前線にいる人しか分かってないと思うので書く。
自主規制団体が必要とされる理由は大きく分けて3つ存在する。1つには、販売店を安心させるため。2つ目は、条例上あった方が有利だから。3つ目は、世論との妥協のためだ。
1.販売店にとっての意味
(太字強調は筆者による)
わいせつな文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し、又は公然と陳列した者は、二年以下の懲役若しくは二百五十万円以下の罰金若しくは科料に処し、又は懲役及び罰金を併科する。
電気通信の送信によりわいせつな電磁的記録その他の記録を頒布した者も、同様とする。
[児童買春、児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律 第7条第6項]
児童ポルノを不特定若しくは多数の者に提供し、又は公然と陳列した者は、五年以下の懲役若しくは五百万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。
電気通信回線を通じて第二条第三項各号のいずれかに掲げる児童の姿態を視覚により認識することができる方法により描写した情報を記録した電磁的記録その他の記録を不特定又は多数の者に提供した者も、同様とする。
つまり、わいせつな文書・図画や、児童ポルノに関する罪を問われるのは製造者や所持者だけではない。法律上は、販売した者も罪に問われる場合がある。
が、店員にとってみたら『わいせつっぽい物を販売したらある日突然逮捕されるかもしれない』は恐怖である。
そのような販売店の恐怖が『それっぽいものは全部売らない』になるのは商業的にも文化的にもマイナスなので、
ビデオ・映像関係の年齢表示や、成年向けコミックのマークはそのような販売店の声に対し、『自主規制団体が、刑法および児童ポルノ法に違反していないことを確認したと責任を負います』という意味がある。
だからこそ、数年に1度程度の割合で『AV女優が実は18歳未満だった』という事件があるが、そのAVを置いていたツタヤの店員が全て逮捕されるわけではないし、
以前薄消しが流行ってビデ倫の関係者が逮捕されたことがあるが、問題になったビデ倫の作品を扱っていた販売店の関係者は逮捕されていない。
逆に言うと、そういう団体を通していない、いわゆる裏ビデオを分かっていて売ったら店員が逮捕される可能性もあるはずだ。
上で書いたような『わいせつな文書・図画』や『児童ポルノ』は世間で広義で用いられるような意味ではなく、たとえ18歳以上にしか売っていないとしても、売った人は逮捕されるような物の話である。
では、一般的に「18歳未満には販売できません」で書店やアマゾンで売っている商品はどのような法的根拠で売っているか。それが条例上の理由だ。
第九条の二 図書類の発行を業とする者(以下「図書類発行業者」という。)は、図書類の発行、販売若しくは貸付けを業とする者により構成する団体で倫理綱領等により自主規制を行うもの(以下「自主規制団体」という。)又は自らが、次の各号に掲げる基準に照らし、それぞれ当該各号に定める内容に該当すると認める図書類に、青少年が閲覧し、又は観覧することが適当でない旨の表示をするように努めなければならない。
まどろっこしいが、要は『一定の倫理基準に該当する物は、青少年に閲覧・販売できないように努力せねばならない。(そして、成人に販売する分には問題ない)』ということである。
"18禁"などに関する(映像作品やゲームではR-15も一応は存在する)法令上のもっとも重要な(もしかしたら唯一の)根拠はこの条文だ。
この条文があるからリアルでもネットでも、18禁の作品を売る際には専用のゾーンを設けなければならない。その区分が雑だという話(特にネットにおいて)はノーコメント。
そもそもこのような自主規制団体が生まれたのは1950~60年代に『低俗な本・雑誌が溢れた』ことに対する世論の批判とそれを受けての条例(2で書いたのは東京都の条例だが、同様の条例は全ての都道府県に存在する)制定の動きに対してであり、
ビデオやゲームが出た後も法規制の動き(もしくは実際の逮捕事件)を受けてから出版の団体を参考にして自主規制団体が生まれている。
もっとも、出版と映像では少なからず差がある。最大の違いは、出版は成年マークのついていない書籍については一切の表示がないのに対し映像やゲームでは(ほぼ)全ての作品について「審査の結果、年齢区分はこうなりました」という表示があるということだ。
世の中において『私の考えるこれこれの思想・道徳に反する本は全て排除せよ』という日本国憲法ガン無視の全体主義者は少数だが、
「たとえ低俗な出版物であっても、他者の権利を侵害していないならば全て認められるべきだ」というガチの一元的内在制約説原理主義者もまた少数であり、
「低俗な本に対する一定の倫理的歯止めをする制度は必要だよね」という中庸な人がおそらく最大多数だ。
(酒鬼薔薇の本など典型例だ。私の倫理観はあの本が出ることを嫌悪するが、あのような本の出版をどうやって規制するのか、というと非常に難しいよなと思う部分はある)
そういう人たちに対して「いや、一定の倫理的歯止めはかけていますよ」というアピールをして、ひいては条例・法律上の規制をするような世論に持っていかせないという存在としても自主規制団体は役立っており、
民主主義の世の中においてそのような団体の存在意義は一概に否定するものでもない。
自称皇族自称憲法学者の竹田恒泰をはじめ、故三宅久之の知識量の半分以下で右翼論を語る津川雅彦、
似非天然が売りのBBA山口もえ等、どんどん小粒になってきた。
もう田嶋陽子も出ない方が良いかも知らんね。
中立や左派寄りの人が出ない番組で、発言も都合よくカットするのに何が「そこまで言って委員会」なのか。
やしきたかじんも居ない今となっては、辛坊が帰ってきた所で焼け石に水。
もうどうしようもねえな。
まだ右・左・中立を残してるたかじんNOマネーの方がはるかにマシに思えてしまうなんて
もはや討論番組の形態を無くすか、そこまで言って委員会を無くすかした方が無難だと思えてきた。
いっそ桜チャンネルでやってる事を新たにやったら?(提案)
振り込め詐欺が多発しているというニュースを聞いたが、その後政治の世界では新しいオレオレ詐欺が猛威を振るおうとしている。
この詐欺は、電話で個別に人をだますのではなく、テレビを使って不特定多数の人間をだますところに悪辣さがある。
たとえば、こんな調子。
「オレだよ、オレ。総理だよ。
公共放送の会長に下品なオヤジを送り込むのも、憲法解釈を決めるのも、オレの仕事。」
こいつは何様だといぶかっている人々に、
だから、オレはお前なんだよ。お前が思っていることをオレがやってるんだから、お前はその通りに認めるのが当たり前だ。
いずれ他国の戦争のために軍隊を派遣するときには、お前の子供たちも差し出せよ。
こんな出来の悪い詐欺に引っかかってはならない。
何でもオレが決めるという為政者の思い通りにさせないために、憲法がある。
ある憲法学者によれば、内閣法制局は行政府の顧問弁護士のようなものである。
「オレ様の憲法解釈が裁判所で違憲判決を受けたって関係ない。」
いい加減にしろ。
2ch嫌儲板で自民党流行語大賞2013がいつの間にか決定していた。
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1386690225/
131 名前:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です[sage] 投稿日:2013/12/11(水) 22:36:21.76 ID:VlOachBQ0
大賞
「完全にブロック」
入選
「ナチスに学べ」
「片山satuki」
「信じたくない」
特別賞
「TPP反対。ブレない」
安倍晋三首相が、東京電力福島第一原発の汚染水漏れをめぐり、9月の東京五輪招致演説で「完全にブロックされている」と明言。
石破茂幹事長が、特定秘密保護法案反対のデモが起きる中、ブログで「デモの本質はテロ行為に通じる」と記述。
鴻池祥肇元防災担当相が、派閥の会合で、秋の園遊会で天皇陛下に手紙を手渡した山本太郎議員に対し「天誅を加えなきゃいかん」と非難し、山本議員宛てにナイフが入った封筒が届いた事件に関しては「切腹用の刀が送られたそうだ」「犯人は私ではない。私は近くに寄って、すぱっといくから。間接的な殺人はしない」と述べた。
麻生太郎副総理が、7月の講演で、憲法改正をめぐってナチス政権を引き合いに「手口に学んだらどうか」などと発言した。
片山さつき参院議員が、8月、2chの流出情報に「satuki katayama」という名前があったことをツイッターで問われ、「ローマ字でtsuではなくtuを使う人のお郷が知れる」などとツイート。しかし本人の公式サイト等でも「tu」表記が使われていた。
安倍晋三首相が、特定秘密保護法案の審議で、政府内に設置する「保全監視委員会」関して、「首相がチェック機関の役割を果たす第三者的機関」と役割を説明した。
小野寺五典防衛相が、スノーデン情報を元にした、NSAの監視対象に日本も入っていた、という米紙報道について、記者会見で「同盟国間を含め、さまざまな友好国との信頼関係を傷つける行為は決して望ましいことではない。報道は信じたくない」などと述べた。
憲法第24条に、きっちり「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立」って書いちゃってるからね。憲法改正しない限り、同性婚は絶対に不可能(可能とする憲法学者もいるし、「結婚」とは別の制度を設けるという方法はあるけど)。
こんな性的マイノリティへの弾圧になりかねない問題を放置して、日本国憲法を至高の存在、絶対に護持すべき國體とする日本の左翼は、本当に屑だわ。
ま、もちろん憲法を作った人は、たった半世紀ちょっとで、ここまで同性愛の権利が叫ばれるようになるとは夢にも思わなかっただろうし、同性愛者に対する嫌がらせというよりは、そもそも同性愛者に対する配慮なんて欠片も考慮しなかっただけなんだろうが(そういう時代だったということ)。何より、まさか半世紀以上も憲法を改正しないバカが幅を利かせるとも思わんかったんだろう。
「人物評価を国公立の2次試験に」で話題の教育再生会議なんだけど、そのメンバーって、出産したらお辞めなさいの曾野綾子先生だったり、現行憲法は「国家のアイデンティティを喪失しており、大日本帝国憲法を再評価し、自主憲法の制定が必要だ。あ、皇族は男系継承が絶対な」でおなじみの憲法学者、八木秀次先生だったり、それはそれは香ばしい先生方が名を連ねてる(まあ文科相が親学の人だしね)わけですが、その中に一人、素敵な方がいらっしゃるじゃないですか。
この佐々木先生ですが、かの有名なイオンド大学の名誉博士号をお持ちで、下村大臣とも古くからのお友だち。で、下村先生を招いての自社グループ50周年式典では、映画「祈り」を上映されているとか。
心の働きが遺伝子に影響を与える事を確かめている中でも「笑い」が眠っている遺伝子をオンに変える事が証明された。その他にも、「愛」や「感動」などのポジティブな心の働きが眠っている遺伝子をオンに変え、「祈り」が遺伝子に影響を与える事を研究している
筑波大学名誉教授、村上和雄博士を取り上げたドキュメント映画。お祈りすることで、ポジティブな遺伝子をオンにしたり、ネガティブな遺伝子をオフにしちゃったりするらしい。お、おう……。
こんな人たちが「国公立大学の入試では学力だけじゃなくて、人物評価しようぜ〜〜」と叫んでいらっしゃるというこの状況どうなの?
http://critic5.exblog.jp/20243840/
ブログコメント欄に書き込もうとしても弾かれるのでここに書く。
"「立憲主義」から憲法を概論するという場面に遭遇したことがない。ロック・ルソーの自然法思想と社会契約、フランス人権宣言、ワイマール憲法、平和主義という歴史的流れで日本国憲法が説明されるのが一般論だった。"
個人の人権を擁護保障することにより国家権力を制限するというのが「立憲主義」なわけであり、「ロック・ルソーの自然法思想と社会契約、フランス人権宣言、ワイマール憲法、平和主義という歴史的流れで日本国憲法が説明される」≒「「立憲主義」から憲法を概論する」ということなので、上の引用部分はおかしな記述ですね。
"近代国家の憲法を基礎づける思想は三つで、立憲主義とファシズムと共産主義だと言うのであり、冷戦で共産主義が敗北し、立憲主義が勝ち残ったと言う。"
一般的な理解では、「近代国家の憲法を基礎づける思想」には「ファシズムと共産主義」は含まれず、立憲主義がありますね。明治憲法も伊藤博文等 立憲主義的憲法理解を示していましたが、権力を縛るには不十分であったためアジア太平洋戦争という結果に至り、改めて立憲的意味での憲法として制定されたのが日本国憲法ですね。
"長谷部恭男が立憲主義を説明するとき、何度も「多様な価値観を互いに認め合う社会」の重要性を繰り返し、小林節や枝野幸男が唱えて言論空間を席巻したところの「国家を縛るもの」の契機が二の次になっているので、"
多様な価値観を互いに認め合えるよう国家に自由を保障させることそのものが国家を縛ることですから、二の次になっているというのは全くの誤解ですね。
"政治方面からの改憲論(自民党)には消極的であり、保守的護憲論とも言える立場なので、"
"憲法学アカデミーの主流が護憲であったなら、これほど反動的で反憲法的な政策や法律や判決が溢れるのはおかしいではないか。"
憲法学者は憲法学者であるし、立憲主義者は立憲主義者であり、改憲論者でも護憲論者でもないです。日本国憲法主義者が他者にも日本国憲法主義者であってほしいと言ってるだけの記述ですね。
"憲法改正論のところでも奇妙な記述がある。「憲法9条の改正論についても同じことがあてはまる。従来の政府解釈で認められている自衛のための実力の保持を明記しようというだけであれば、何の『意味』もない改正である」(P.21)。"
憲法改正前と後で国家権力のできることに変わりはないので当然の記述であり奇妙ではないですね。
"この憲法が平和主義の原理を基本として制定されたものであり、300万人の犠牲の上で戦争放棄と戦力不保持が宣誓されていることが考慮されていない。日本国憲法は、立憲主義よりもはるかに平和主義の憲法である。「憲法とは何か」と題を立て、読者・学生に日本国憲法を説明するなら、何より平和主義から説明しなくてはいけないのではないか。前文を見よ。半分は平和主義が語られている。「多様な価値観を認める」などとは書いていない。この憲法は戦争肯定論者の価値観を認めてはいない"
日本国憲法に規定された国民の自由や人権を保障する上で自衛隊や警察のような実力組織は必要ですよね。「立憲主義よりもはるかに平和主義」立憲主義は国家権力を制限し個人の自由や人権を守るという考えであって、その上で平和希求があるものですよね。もちろん今の政府議会の平和希求・実現の努力が充分であるということではないです。
"本当は、他先進国の憲法よりもずっとラディカルな理念を持ち、現実社会にラディカルな民主主義を要請する憲法を、その性格を剝ぎ取り、脱色させ、すなわち憲法の牙を抜く言説が、長谷部恭男の立憲主義とリベラル・デモクラシーなのだ。日本国憲法は、リベラル・デモクラシーではなくラディカル・デモクラシーの憲法である"
「ラディカル・デモクラシー」を理想とするのは結構ですが、「ラディカル・デモクラシー」が日本で実現されているわけではないし、日本国憲法は当然 絶対民主主義の憲法ではなく(というより「絶対民主主義の憲法」はそれはもはや「憲法」ではないが)、「民主的権力であっても暴走することがあるため、憲法により縛る」という立憲民主主義の憲法である日本国憲法なんですよね。
終わり
13歳未満なら確かにその通りだな
(条例では禁じられているけど、恋愛目的ならOKと判例が出ている)
正確には「13歳未満には性の自己決定権はない。でも、13以降は部分的にだけど認められ、20以降は完全に認められている」が正しい
あと、ないのが常識だと言っているがそれは間違いだ
国によっては未成年であっても与えるところはある。ヤノマミ族やポリネシアンでも13歳以降から性の自己決定権を与えている
それに国連の子ども権利条約でも性とははっきり書いてないけど、自己決定権を認める条約があるし、
思春期以降の子供に対しては徐々に与えていくというのが憲法学者の間では常識になっている
同様にして、男性終身社会では女性に一人前の判断能力(自己決定権)が認められていないため、女性と男性のセックス=レイプなのです
で、ここから余談なので答えたくなければ答えなくても構わない
性の自己決定権がないなら未成年が未成年とセックスした場合、した方の未成年はレイプとなるはずだ
レイプに該当するなら当然罰を与えなければならない(100歩譲ったとして少年院送りか)
でも、アメリカでも未成年同士は罰を与えないし、日本でも未成年同士は罰を与えられないことのほうが多い
性の自己決定権がないならした方をレイプで捕まえるべきなのに何でそういうことをしないんだろうね
まさか、性の自己決定権がなくても、対等な者同士なら権力差を利用して性交を迫ることはありえないから、問題ないと考えているのかな?
詳しくないけど答えられるだけ答えるよ
パターン①というのは「特定の権利の制約が許されるか」が問題となる場合で、パターン②は「一般に(公務員に)課せられている義務を信教の自由等を理由に免除することが要請されるか」が問題になる場合、という整理ができると思う。
で、公務員と国旗国歌の関係がパターン②だ、っていうのは正しい。
しかも、パターン①だと権利侵害が認められやすくて、パターン②だと義務の免除が認められにくい、という元増田の認識も多分ただしい。
だけど、パターン②だからといって必ずしも義務の免除が許されないというわけじゃない。
①義務の内容がささいなことであって、かつ、②その義務をやらなければならないとすると本人の信仰の核心的なところに反することになる、という場合なら免除してあげてもいいんじゃないか、みたいな議論もある。
というわけで、公務員と国旗国歌の話がパターン②だからといって、即、起立しなければならない、ということにはならないわけ。
君が代ピアノ伴奏拒否について憲法学者が論じているのをみつけたから参考になるかも↓
http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/29483/1/Hogaku_80_03_005_TONAMI.pdf
勘違いしてないか? 推進派っていうのは、現実の議会で法案だかなんだかを成立させようと動いている連中のことだろう。そういう官僚だか議員がそんなことを言っているのか?
で、そうやって、相手が「ヲタクきめえ」「ヲタク死ねよ」という意図しか持っていないのなら、それは「悪」だとしか言いようがないな。裏を返せば、悪と戦う人たちは「善」ということになる。
でもな、そういう風に、相手が100%悪で自分が100%の善だと決め付けるような奴を「独善」というんだぜ?「自分たちが絶対正義」であるかのように、人格攻撃なりレッテル貼りなりをやるのは止めとけって言ったばかりなのに、早速やってるじゃんか。
つかね、ああいうのは、裁判になって最高裁まで争われても勝てるという一応の自信があるくらいには、ちゃんと正当性があるもんだよ。そうじゃなかったら、立法したところで裁判になって人権侵害だから違憲無効って言われて終わりじゃん。
憲法上の重要な人権である表現の自由を何の正統性も無く制約するなんて無茶苦茶したら、憲法学者だとか裁判所とか片っ端から敵に回して、裁判になっても100%負けるに決まってるんだから、意味がなさ過ぎる。