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はてなキーワード: 弥勒菩薩とは

2019-09-01

anond:20190901204441

テンプレ質問で悪いんだけど、夜寝て意識を失うとき

主観体験的には死ぬときと変わらないレベルで「何もなくなっちゃう」じゃない?

それは怖くないのに死を特別に怖がるのが分からんのよ

 

多分、次の回答は「明日目が覚めるから怖くない」となると思うけど、

それに対するアンサーはいくつかある。

 

1つは「死んでも遥か先にはいつかは目が覚める。そして死んでいるから『遥か先』は主観的には一瞬後でしかない」とする回答。

これは最後の審判だとか弥勒菩薩による救済だとを信じるってのが手っ取り早い解決になる。

そうでない場合でも、宇宙無限未来のなかのいつかの時点で「偶然」にあなたが死んだとき

同じ意識を発生させられるような物理状態が発生すれば、あなたの目は覚める。

なにしろ未来無限なのでいつかは必ずそれは起きる。宇宙寿命を気にするなら、

この宇宙以外の並行宇宙でも、コンピュータシミュレーション仮想世界でも

ソレが発生して問題は何もない。

どちらにしてもあなたは必ず目を覚ます

2019-06-24

anond:20190624160407

歴史面白いよね、特にギリシャ近辺の面白さってのは、あの時代地球が丸いんじゃね?から 地球の直径を求めようとして 46,250 キロメートル まで求めていたこととかな(単位kmではありません)

そういえばネタ知識なんだけど

ギリシャ時代パルテノン神殿の柱に代表される、あの柱がぷっくりしている建築

あれが、日本に伝わるまでに必要だった年数とか知ってる?いやネタ知識なんで本気にしなくてもいいんだが

法隆寺正倉院の柱って、パルテノン神殿と同じ形してんだよね

正倉院756年パルテノン神殿紀元前400年くらい。

おおよそ1000年かけて、えっちらおっちらシルクロードを運ばれてくるんだ、あの柱の感じ

今でもさ、ほら、海外流行ったもの日本に取り入れたりするじゃん?

古代でも同じように「これが最近海外流行ってるんですよ」って言って、時代最先端を行きたい人がこぞって取り入れたんだよねきっと。でその中の一つがシルクロードを延々と同じように伝ってきたあの柱の形なんだだと思うとすごいよね

まあ、実際のところシルクロードの中に残ってないから、多分嘘知識なんだけどさこれは

おっと、まってまってw まあ待てよ

同じように運ばれてきたもの国宝弥勒菩薩の作り方。こっちは本当でさ

ギリシャが衰退して、アレクサンドロス大王インドの近くまで攻め込むじゃん?あの時ギリシャ文化アジアオリエント文化が混じり合ってヘレニズム文化ってものになるんだが、仏像の作り方がギリシャっぽくなるねんあの時代

弥勒菩薩半跏思惟像ってみたことある?いやまあ画像調べてくれればすぐ出てくると思うんだけど

すごいこう、顔の作りが華奢じゃね?鎌倉時代につくられた仏像と比べると、こううすーく微笑みを浮かべていてさ

これ、アルカイックスマイルって呼ばれるんだけどこれギリシャの作り方なのよ。いやこれ本当。

これはまじで1000年かかってギリシャから日本に渡ってきた「像」の作り方なんだよ。

2018-12-01

東京国立博物館地域博物館とかで経塚やそれに関する遺物を見かけることは多い。

経塚は、昔の人が末法の世になってもお経が伝わるように、地面にお経を埋めたものだ。

経文と共に仏像なんかも安置される。

埋められた経文を埋納経という。金属などで出来た容器は経筒という。

埋めたものが何かの拍子で出土することがあるのだ。

埋める際には、当然末長く伝わることが目指された。

経筒を密封することはもちろんだが、まわりを石で作った入れ物でさらに封をする場合が多い。

お経は紙で、溶けてしまって今に伝わらないが、後世にはお経を石に掘って埋めたり、石に墨書して埋めたものもある。

いつまで仏法を伝えればいいのか? それは56億7000万年後だ。

弥勒菩薩が現れて再び衆生を救済するまで、末法の世は続くのだ。


経塚関係資料を見ながら、埋めた人々の想いはいかばかりだったか想像する。

色んな苦しみが今よりずっと多い時代

拠り所とするお経というか仏教がなくなるかもしれない。伝わらないかもしれない、という想い。

金と権力がある人が示威的にやっている側面ももちろんあるだろうけれど、それだけで切りとれない要素もある。

未来に向けて伝える、という何か意気込みのようなものが実物資から伝わってくる。


ところで、私たちは銅鐸の使い方を知らない。

多分こうだろうというのはあっても、精確なところは解らない。

銅鐸に限らず弥生時代祭祀具は、使い方がわからないモノが多い。

さらに前の縄文時代祭祀具(と思しい)考古学資料も、やっぱり精確なところの使い方は解らない。

土器がどうしたあの形状なのか。土偶がどう使われたのか。

皆忘れてしまったのだ。歴史のどこかの段階で、忘れてしまった。知る人が一人もいなくなってしまった。ある種の絶滅だ。

銅鐸に替わって登場する祭祀具は鏡だ。こちらは解る。今も神社奉納してある。ご神体のような使い方をする。伝わっている。

このあたりから何となく使い方が実感としてわかる資料が出てくる。


さて、経塚の資料はそういう意味ではめちゃくちゃ良くわかる。

例えばいきなり経塚から石板に刻まれたお経が出てきたとして、その名前考古学的な背景が解らなくとも「うわなんかお経が書いてあるぞ」くらいはわかったりする。

あるいはそこまで行かなくても、「何か文字が書いてあるぞ」とわかる。

この辺りで「これは何か重要ものかもしれない」と多くの人は感じとることができるだろう。密封されてもいるわけだし。

専門的な仕事に携わってなくとも、例えば土木工事や農作業で経塚が今に姿を現したら、「なんか仏教関係ぽいのがでてきた」と思えると言うわけだ。

私たち仏像なりお経なりを見たら、直観的にどんな分野のものである理解できる社会に(今も)生きている。

科学が発展しようが、未だに路傍には地蔵があり、葬式でなんだかわからんままお経を唱えたり、する。

仕組みを何となく掴んでいる。

私たち仏教になじんでおり、仏教を今から未来に伝える一翼を担っている。

銅鐸とはここが違う。


そういう意味では、古えの人々の想いは伝わっている。

それが直感的に何かわかるからだ。

平成が終わろうとしているが、その時代にあっても仏教にまつわるものだと素人でも判断できる社会からだ。

難しいけど、科学が発展した時代だけれど、こうした直観でわかる宗教的バックグラウンドは大切なものと思う。

今はかなり色々なことがわかる時代だが、そうじゃなかった時代に人々の心のよりどころになった考え方とその資料

その価値や意義、と言ってしまうと大仰だが、何となくかるというふんわりとした知識

学者研究者じゃなくたって何となく生活の中にある要素。

ふんわり未来に伝わって、それで56億7000万年後にも伝わればいいと思う。

2018-07-17

マハーポーシャのRPG数学勝利者

オウム真理教思想を読み解く上で、様々なキーパーソンが登場する。

尊師弟子たちは、様々な時代輪廻転生していたという。

 

歴史上の人物

オウム真理教経営していたパソコンショップ「マハーポーシャ」では、ゲーム数学を学ぶ「数学勝利者」というロールプレイングゲーム販売していた。

このゲーム登場人物確認しておこう。

 

1. イムホテップ

イムホテプ (Imhotep, Immutef, Im-hotep, Ii-em-Hotep, Imuthes) は、古代エジプトの高級神官。第3王朝のジェゼル王に仕えた宰相とされる。また、エジプト第3王朝最後の王フニ王の時代まで活躍したとされる。

生誕 紀元前2690年頃 - 死没 紀元前2610年頃

 

2. 朱元璋

朱 元璋(しゅ げんしょう)は、明の始祖であり、初代皇帝である。その治世の年号を取って、洪武帝(こうぶてい)と呼ばれる。

 

3. ナーローパ

Nāropā (probably died ca. 1040 CE) was an Indian Buddhist Mahasiddha.

 

4. ベンジャミン・フランクリン

ベンジャミン・フランクリン(Benjamin Franklin, グレゴリオ暦1706年1月17日 - 1790年4月17日)は、アメリカ合衆国政治家外交官著述家物理学者気象学者

印刷業で成功を収めた後、政界進出アメリカ独立に多大な貢献をした。

アメリカ合衆国建国の父の一人として讃えられる。

 

5. マイトレーヤ

弥勒菩薩(みろくぼさつ)、梵: maitreya(マイトレーヤ)、巴: metteyya(メッテイヤ、メッテッヤ)は仏教において、釈迦牟尼仏の次に現われる未来仏であり、大乗仏教では菩薩の一尊である

 

上記5名が、どのようにオウム真理教思想と関連しているのか?考察してみよう。

 

anond:20180714190838

2018-05-03

anond:20180503190740

如是。我聞。一時。仏住。王舎城耆闍崛山中。与

比丘衆万二千人倶。皆是阿羅漢。諸漏已

尽。無復煩悩。逮得己利。尽諸有結。心得自在

其名曰。阿若?陳如。摩訶迦葉。優楼頻螺迦

葉。伽耶迦葉。那提迦葉。舎利弗大目?連。摩

迦旃延。阿?楼駄。劫賓那。?梵波提。離婆

多。畢陵伽婆蹉。薄拘羅。摩訶拘?羅。難陀。孫

陀羅難陀富楼那弥多羅尼子須菩提阿難

羅?羅。如是衆所知識。大阿羅漢等。復有学

無学二千人。摩訶波闍波提比丘尼。与眷属

六千人倶。羅?羅母耶輸陀羅比丘尼。亦与

眷属倶。菩薩摩訶薩八万人。皆於阿耨多羅

三藐三菩提。不退転。皆得陀羅尼。楽説弁才。

不退転法輪。供養無量。百千諸仏。於諸仏

所。植衆徳本。常為諸仏。之所称歎。以慈修身

善入仏慧。通達大智。到於彼岸名称普聞。無

世界。能度無数。百千衆生。其名曰。文殊

菩薩観世音菩薩。得大勢菩薩。常精進

薩。不休息菩薩。宝掌菩薩。薬王菩薩。勇施菩

薩。宝月菩薩月光菩薩満月菩薩。大力菩薩

無量力菩薩。越三界菩薩。?陀婆羅菩薩。弥

菩薩。宝積菩薩導師菩薩。如是等菩薩

訶薩。八万人倶。爾時釈提桓因。与其眷属。二

天子倶。復有名月天子。普香天子。宝光天

子。四大天王。与其眷属。万天子倶。自在天子

大自在天子。与其眷属。三万天子倶。娑婆

界主。梵天王。尸棄大梵。光明大梵等。与其眷

属。万二千天子倶。有八龍王難陀龍王。跋難

龍王娑伽羅龍王。和脩吉龍王徳叉迦

王。阿那婆達多龍王摩那斯龍王優鉢羅

王等。各与若干。百千眷属倶。有四緊那羅王

緊那羅王。妙法緊那羅王。大法緊那羅王

持法緊那羅王。各与若干。百千眷属倶。有四

乾闥婆王。楽乾闥婆王。楽音乾闥婆王。美乾

闥婆王。美音乾闥婆王。各与若干。百千眷属

倶。有四阿脩羅王。婆稚阿脩羅王。?羅騫駄

阿脩羅王。毘摩質多羅阿脩羅王。羅?阿脩

羅王。各与若干。百千眷属倶。有四迦楼羅王

威徳迦楼羅王。大身迦楼羅王。大満迦楼

羅王。如意迦楼羅王。各与若干。百千眷属倶。

韋提希子。阿闍世王。与若干。百千眷属倶。各

礼仏足。退坐一面。爾時世尊。四衆囲繞。供養

恭敬。尊重讃歎。為諸菩薩。説大乗経。名無

義。教菩薩法。仏所護念。仏説此経已。結跏趺

坐。入於無量義処三昧。身心不動。是時天雨。

曼陀羅華。摩訶曼陀羅華。曼殊沙華。摩訶曼

殊沙華而散仏上。及諸大衆。普仏世界六種

震動。爾時会中。比丘比丘尼。優婆塞。優婆夷。

天。龍。夜叉乾闥婆。阿脩羅。迦楼羅緊那羅。摩

?羅伽。人非人。及諸小王。転輪聖王。是諸大

衆。得未曾有。歓喜合掌。一心観仏。爾時仏放。

眉間白毫相光。照東方。万八千世界。靡不周

遍。下至阿鼻地獄。上至阿迦尼?天。於此世

界。尽見彼土。六趣衆生。又見彼土。現在諸仏。

及聞諸仏。所説経法。并見彼諸。比丘比丘尼。

優婆塞。優婆夷。諸修行得道者。復見諸菩薩

摩訶薩。種種因縁。種種信解。種種相貌。行菩

薩道。復見諸仏。般涅槃者。復見諸仏。般涅槃

後。以仏舎利。起七宝塔。爾時弥勒菩薩。作是

念。今者世尊。現神変相。以何因縁。而有此瑞。

今仏世尊。入于三昧。是不可思議。現希有事

当以問誰。誰能答者。復作此念。是文殊師利

法王之子。已曾親近供養。過去無量諸仏。必

応見此。希有之相。我今当問。爾時比丘比丘

尼。優婆塞。優婆夷。及諸天龍鬼神等。咸作此

念。是仏光明神通之相。今当問誰。爾時弥勒

菩薩。欲自決疑。又観四衆。比丘比丘尼。優婆

塞。優婆夷。及諸天龍鬼神等。衆会之心。而問

文殊師利言。以何因縁。而有此瑞。神通之相。

放大光明。照于東方。万八千土。悉見彼仏。国

界荘厳。於是弥勒菩薩。欲重宣此義。以偈問

2017-06-15

https://anond.hatelabo.jp/20170614190755

今更だけど、そういうことじゃなくて

なんで5000兆円が流行ってる中弥勒菩薩どーこなの!?って話かと思った。

最近あのネタやたら好きな人多いみたいだし。

たからみてて、

クジラックス氏だとか共謀罪とか、弥勒菩薩とそんなに深い関係があるのか……?ってマジで考えてしまった。

ブコメ欄もそれで当然みたいな流れだし。

いや、流石に穿った見方であるのは自覚しているが。

2017-06-14

https://anond.hatelabo.jp/20170614185021

弥勒菩薩が顕現なされるのは仏陀入滅から56億7千万年後とされている

という雑学を覚えておくと次回ちょっと教養のあるふりができるぞ!

2017-05-19

園城寺(おんじょうじ)は、滋賀県大津市園城寺町にある、天台寺門宗総本山。山号を「長等山(ながらさん)」と称する。

開基(創立者)は大友与多王、本尊弥勒菩薩である日本三不動の一である黄不動で著名な寺院で、観音堂は西国三十三所観音霊場の第14番札所である。また、近江八景の1つである三井の晩鐘」でも知られる。

なお一般には「三井寺(みいでら)」として知られるため、本文では「三井寺」の呼称を用いる。

目次 [非表示]

1 歴史

2 伽藍

3 黄不動

4 文化財

4.1 三井寺秘仏

4.2 国宝

4.3 重要文化財

4.4 その他

5 御詠歌

6 前後札所

7 交通

8 周辺

9 脚注

10 参考文献

11 関連項目

12 外部リンク

歴史[編集]

三井寺7世紀大友氏 (古代)の氏寺として草創され、9世紀に唐から帰国した留学円珍天台寺門宗宗祖)によって再興された。三井寺平安時代以降、皇室貴族武家などの幅広い信仰を集めて栄えたが、10世紀から比叡山延暦寺との対立抗争が激化し、比叡山の宗徒によって三井寺が焼き討ちされることが史上度々あった。近世には豊臣秀吉によって寺領没収されて廃寺同然となったこともあるが、こうした歴史上の苦難を乗り越えてその都度再興されてきたことから三井寺は「不死鳥の寺」と称されている。

三井寺」の由来となった井戸「閼伽井屋」(重文

三井寺起源については、次のように伝承されている。大津京を造営した天智天皇は、念持仏の弥勒菩薩像を本尊とする寺を建立しようとしていたが、生前にはその志を果たせなかった。天皇の子大友皇子弘文天皇)も壬申の乱のため、25歳の若さで没している。大友皇子の子である大友与多王は、父の菩提のため、天智天皇所持の弥勒像を本尊とする寺の建立を発願した。壬申の乱大友皇子敵対していた天武天皇は、朱鳥元年(686年)この寺の建立を許可し、「園城寺」の寺号を与えた。「園城」という寺号は、大友与多王が自分の「荘園城邑」(「田畑屋敷」)を投げ打って一寺を建立しようとする志に感じて名付けたものという。なお、「三井寺」の通称は、この寺に涌く霊泉が天智・天武・持統の3代の天皇の産湯として使われたことから御井」(みい)の寺と言われていたものが転じて三井寺となったという。現在三井寺には創建時に遡る遺物ほとんど残っていない。しかし、金堂付近からは、奈良時代前期に遡る古瓦が出土しており、大友氏と寺との関係史料から裏付けられることから、以上の草創伝承は単なる伝説ではなく、ある程度史実を反映したものと見ることができる。

三井寺では、他宗で「管長」「別当」などと呼ばれる、一山を代表する僧のことを「長吏」(ちょうり)と呼んでいる。貞観元年(859年)、三井寺初代長吏就任し、その後の三井寺の発展の基礎を築いたのが、智証大師円珍である円珍は、弘仁5年(814年)、讃岐国那珂郡香川県善通寺市)に生まれた。俗名は和気広雄、母方の姓は佐伯氏で、円珍の母は弘法大師空海の妹(もしくは姪)にあたる。幼時から学才を発揮し神童と呼ばれた広雄は、15歳で比叡山に登り、初代天台座主義真に入門。19歳の時に国家公認正規の僧となり、円珍改名した。その後、比叡山規定に従って「十二年籠山行」(12年間、比叡山から下りずにひたすら修行する)を終えた後、大峯山熊野三山を巡って厳しい修行をする。このことから三井寺修験道とも深い繋がりを持っている。仁寿3年(853年)には唐へ留学して6年間、各地で修行青龍寺の法全(はっせん)から密教の奥義を伝授された。天安2年(858年)、円珍は多くの経巻、図像、法具を携えて日本帰国した。翌貞観元年(859年)、大友氏の氏寺であった三井寺に「唐院」(とういん)を設置。寺を整備して修行道場とすると共に、唐から請来した経典や法具を唐院に収蔵した。貞観8年(866年)、太政官から円珍伝法の公験(くげん、証明書)が与えられた。顕教密教に加えて修験道を兼学する円珍伝法は、これによって政府公認を得たわけであり、天台寺門宗ではこの時をもって開宗と見なしている。貞観10年(868年)、円珍天台宗最高の地位である天台座主就任。以後、没するまでの24年間、その地位にあった。

円珍の没後、比叡山円珍の門流と、慈覚大師円仁の門流との2派に分かれ、両者は事あるごとに対立するようになった。円珍の没後1世紀まりを経た正暦4年(993年)には、円仁派の僧たちが比叡山内にあった円珍派の房舎を打ち壊す騒動があり、両派の対立は決定的となり、円珍派は比叡山下りて、三井寺に移った。比叡山延暦寺を「山門」と別称するのに対し三井寺を「寺門」と称することから、両者の対立抗争を「山門寺門の抗争」などと呼んでいる。比叡山宗徒による三井寺の焼き討ちは永保元年(1081年)を始め、中世末期までに大規模なものだけで10回、小規模なものまで含めると50回にも上るという。

三井寺は、平安時代には朝廷貴族尊崇を集め、中でも藤原道長白河上皇らが深く帰依したことが知られている。これら勢力から寄進等による荘園多数を支配下におき、信州善光寺荘園末寺として記録に著れる。中世以降は源氏など武家信仰も集めた。源氏は、源頼義三井寺に戦勝祈願をしたことから歴代尊崇が篤く、源頼政平家打倒の兵を挙げた時にはこれに協力し、平家を滅ぼした源頼朝も当寺に保護を加えている。頼朝意思を継いだ北条政子もこの方針継承し、建保元年(1214年)に延暦寺に焼き払われた園城寺大内惟義・佐々木広綱・宇都宮蓮生ら在京御家人に命じて直ちに再建させている。しかし、園城寺僧侶として育てられていた源頼家の子公暁叔父である源実朝暗殺するという事件を起こしたために、以後鎌倉幕府より一時冷遇を受ける。だが、北条時頼の信頼が厚かった隆弁が別当就任すると再興され、続く南北朝内乱でも北朝足利氏を支持したことから室町幕府保護を受けた。両幕府のこの厚遇は、強力な権門である延暦寺勢力牽制するために園城寺に対して一定支援をすることが必要であると考えられていたからだと言われている。

文禄4年(1595年)、三井寺豊臣秀吉の怒りに触れ、闕所(寺領没収事実上の廃寺)を命じられている。三井寺が何によって秀吉の怒りを買ったものかは諸説あって定かではない。この結果、三井寺本尊や宝物は他所へ移され、金堂をはじめとする堂宇も強制的に移築された。当時の三井寺金堂は比叡山に移され、延暦寺転法輪堂(釈迦堂)として現存している。慶長3年(1598年)、秀吉は自らの死の直前になって三井寺の再興を許可している。これは死期を悟った秀吉が、霊験あらたかな三井寺祟りを恐れたためとも言われている。秀吉の再興許可を受け、当時の三井寺長吏・道澄が中心となって寺の再興が進められた。現在三井寺の寺観は、ほぼこの頃に整えられたものである

明治維新後は天台宗寺門派を名乗っていたが、1946年以降は天台寺門宗総本山となっている。

2017-04-27

仏教最大のミススケールをでかくしすぎたこと。

弥勒菩薩が56億7千万年後に全員助けてくれるよ!

って遅いわ!

人類どころか地球存在すら怪しいわ!

2016-11-30

http://anond.hatelabo.jp/20161130063550

ちな仏はみんな自分仏国土を持ってて、

阿弥陀如来西方極楽浄土

薬師如来東方浄瑠璃浄土

観音菩薩南方補陀落浄土

そんで北方まりヒマラヤ、つまり須弥山、つまり上方には弥勒菩薩兜率天がある。


ちな、南方の補陀落とはチベットポタラ宮で、ダライ・ラマ観音の生まれ変わり(というか化身)だそうな。

ただ、如来になるとそれぞれの仏国土が出来るという話なのに、なぜか観音や弥勒は菩薩なのに仏国土もってる。

あと、如来になった(悟った)瞬間にそのひと(如来)専用の仏国土がヴァアアアアアアーーーーーっと出来て、

そこの唯一の仏になるのだ、という話もあるんで、じゃあなんで阿弥陀や薬師の力がこの世界に及んでるの?

みたいな話になるし、釈迦仏国土はどこいったん?って話になるし、ようわからん

2016-11-26

優しさと暖かさでできてるアニメが見たい

GF(仮)いうアニメがある。アニメオタクの中ではクソアニメと言われていて、自分でも確かに出来はよくないとは思うんだけど、それでも自分結構好き。

優しさと暖かさが溢れてくる作風からだ。

ストーリー何の変哲もない日常系なんだけど、登場人物言動に前向きで温かい感じ、なんというかすべてを許すような所作が感じ取れる。

大げさだが自分はここにいてもいいんだ、というような安心感がある。具体的にどのセリフがどうこうという話ではなく雰囲気としてそういう傾向がある。

誰も同意してくれないだろうし同意してほしいとは思わないが自分の中ではそうだ。

あんハピというアニメもそう。

こっちはGF(仮)より優しさと暖かさが具体的に説明やすい。生まれつき不幸な体質の人間を集めてその人達幸福を掴み取るための教育を施す「幸福クラス」で、主人公クラスメートたちと学校生活を送る様子を描くアニメ。全体的にコミカルバカバカしくて笑える作風になっている。今は不幸でも、皆で協力して自分のペースでゆっくり幸せになっていけばいいじゃないか客観的には不幸に見えても、本人が幸せだと思っているなら幸せなんだ。そういったメッセージがあって、見ていて前向きな気分になれるアニメだ。

これもドハマリしてしまった。

別に精神が荒んでいたわけでも疲れていたわけでもないけど、自分はどうも優しさと暖かさが染み出すようなアニメに弱いようだ。

ただARIA夏目友人帳なんかは違う。あれも確かに優しさと暖かさはあるし、超好きだけど、今言ったようなアニメとはちょっと方向性が違うとは思う。中学校の頃、社会科先生が「始めて弥勒菩薩を間近で見たとき、そのすべてを許すような微笑みを前にしばらく泣いてしまった」と言っていた。残念ながら自分弥勒菩薩を見たことはないが、弥勒菩薩を見て泣く感覚はなんとなく理解はできる。多分これらのアニメを見て涙がでるとき感情と同じだと思う。ARIA夏目友人帳なんかは、理屈として言葉にするのが難しいが、優しくて暖かいだけで許しがないんじゃないかと思う。感覚的な話で申し訳ないがなにかそういうアニメはないだろうか。

2015-10-13

容姿が悪いと金時間があっても不幸

自由時間お金があっても幸せにはなれない。

自分自由時間がある。

今日奈良に行ってきた。京都駅からタクシーで月6万円の家賃の汚い部屋に戻ってきた。

東京よりも安い料金設定なはずなのに2500円も取られた。

奈良に行ってきた理由中宮寺弥勒菩薩半跏思惟像を見るためだった。

なぜ、そんなアカデミックなことをしてきたかというと、弥勒菩薩半跏思惟像を見て勃起したというツイートがある日タイムラインに流れてきたかである

それから、機会があれば見ようと思っていた。

ついに見る機会ができた。平日に1限以外の授業がない日が出来たのだ。

しかも1限は東洋芸術美学かい教養の授業である

丁度いい。みやこ路快速に乗って奈良方面へ向かった。顔とスタイルの良い女子高生を見て嫉妬したりしたが、なんとか法隆寺駅に着く。

法隆寺駅から法隆寺まで歩くのだが、途中で自転車を漕いでいるお顔が綺麗な女子高生を見る。天使みたいな顔だった。

ウェブ上で不細工であまり頭のよくない田舎まれ鬱屈とした大学生から「お前が都内金持ちに生まれず、田舎で生まれたら自殺してるだろう」と言われたのを思い出す。

少なくとも奈良普通の家に生まれたら確かに自殺していただろうと思った。

自分は1年前、都内高級住宅街の近くの大手予備校に通っていた。

私立文系の授業を受けていた時、重度のアトピー容姿がよくない男がよく講師に怒られていた。

よく授業中に寝ていたからだ。

邪推だが、痒みで夜に眠ることが出来にくいのだろう。彼の顔はいつも辛そうだったし、無気力だった。あまりにも理不尽なことを経験しすぎているのだから当然だろう。

自分もだが、容姿やら病気など、クソみたいな体で明るい大学生活、未来を描くのは無理に決まっていたし、今もどちらもそうだ。

ある日、彼は授業が終わると、どの駅の方向でもない方向に歩いてので、気になってついていったことがある。

予備校から歩いて数分の1.5億円以上はする高級分譲マンションに彼は住んでいた。

彼は親が金持ちなのが救いだった。それだけだろうし、それが幸せなんていえない。

自分も似たり寄ったりである

本当にどうにもならないことばかりだ。特に容姿に関して感じる。

とりあえず、寺に着いた。

法隆寺に1500円、中宮寺に500円払った。

勃起なんかしなかった。

こんな風に自由に行動ができるのは大学生だけだろう。

家賃抜きで毎月12万円を父は振り込んでくれる。

しかし、容姿や体が悪いと、大学セックスが出来なくて地獄だ。

時間制限ありで木屋町売女に2万5千円を払うのはとても嫌である

母親にお前らのせいでこんな買うしかない容姿なんだと言ったら、母は病気からやめたほうがいいと言った。

自由時間お金があってもこんなにも惨めなものだ。

大学でよく授業が一緒になる醜女がいる。

かわいそうだ。醜いから孤独だし将来就職できるのかも怪しい容姿だ。

しかし、彼女は醜いから可哀想だと思ってもどこでも慰められることはないだろう。

自分だってあんな醜いものを見たくない。

自分容姿がよくてセックスとかに不自由しなければ醜女なんか気にしなかっただろう。気にしても仕方ないが。

これから先、親が死んでもグロメンハゲ腎臓病の男として生きていかなきゃいけない。

どうせ、美人愚痴を垂らしたら可哀想にとか言われる中、自分は何やってもキモいと言われる存在になるだろうし、金を払わなければセックスはできないだろう。

あの醜女も今現在ですら惨めなのに、これから先とてつもなく悲しいことばかりだろう。

12万円の仕送りなんかよりも綺麗な容姿が欲しかった。

奈良仏像クレーの絵を見る時間なんていらないから綺麗な容姿が欲しかった。

2015-08-03

twitter今夜のクローズアップ現代シリーズ

まなめさんによる正式なまとめが待たれる。

最近ますます増えていると話題ハイスペ風アカウントスラッシュでそれらしいキーワードを並べてみるものの、書いてる内容は田舎女子大生妄想したような成金ライフ。今夜のクローズアップ現代ハイスペ風アカウントの心の闇に迫ります

時々見かけるbioが英語で書かれているアカウントしかツイートを追いかけると日本語ツイートのみしかなく、一体何のために英語で書かれているのか意味が分からないと指摘されています。今夜のクローズアップ現代はそのbioは誰に向けてのものなのか、英語bioの謎を追いかけます

「最終のご案内いただきましたが他社の選考と被ってしまったため辞退させていただきました。とても良い企業だったので残念です。」とか書き込む奴は絶対オナニーばかりしている(偏見)


女性と食事に行ったら本当に食事だけで終わった件と非モテコミットについて - 傾向 http://udon-zuruzuru.hatenablog.com/entry/2015/07/24/163012

すごいなこのブログ!すばらしくずっとキモい


このブログの人は相互フォローなので、なかなかコメントし辛いんだけど、読んでて思うのは、他者を鏡にした自己評価行動基準になってるんだなぁという点。真に相手の事を思ってるのか、好かれたいという欲望によるのかの前に、相手の感情自分と切り離して推察するのが欠けてる気がする。 >RT


他者との関係性に他者存在せずに全て自己完結してしまう人は時々いますよね。


他者にどう思われてもいいやと開き直れる訳でもなく、然りとて相手の気持ちを推察するのは面倒くさい、でも好印象を持ってもらいたい、みたいなアンビバレント思考になると、生きにくさのハードルが上がるんだろうな。


「これを言われたらキレるしかない、というポイントを持ってたほうが人間的に厚みが出る気がするし、舐められないで快適にすごせる(ただし絶対嫌われたくない人にはキレない)」というような理由でキレ地点を設定する「ファッション地雷人間」を目にするたびに、弥勒菩薩半跏思惟像みたいな顔になる。


本質的質問は彼らが知っていたのか知らなかったのかではなく、ひとは知らないからといって無実だと言えるのか、玉座にのっている愚か者は、ただ愚か者というだけで、あらゆる責任免除されるのかということだ《存在の耐えられない軽さ》

2010-12-07

アラサーにして初めて京都へいった

修学旅行前日にインフルエンザになり、アラサーになるまで京都にも新幹線にも無縁だった人間京都へ行ってきたよ!

東山から四条三条北上後、大宮壬生を回り、島原へ南下し、西本願寺から京都タワー~豊国神社という徒歩旅。

所感

  • 細い裏路地あるけば寺社仏閣にあたる

どこもそうだったけど、四条大宮から壬生へ抜ける細い路地を歩いていたら1kmない距離なのに6、7軒は寺があった

  • 町のいたる場所に社や祠

路地を歩いているとそこらじゅうに小さな社があった

ごく自然にそういう文化根付いてるなと感じる都市だった

条例高層ビルが建てられない為とは知っていても、京都タワーから一望できる眺めが凄い

京都タワー以外高いものがない凄さ

  • 町並みが当然古い!

都内と違って空襲で焼き払われていない分だけ古くからの家をそのまま使っている感じ

金沢で見た武家屋敷の通りよりも広範囲

あらゆる人種が居る

マナー観念が違うので注意(普通に足踏まれてスルーされた)

交差点クラクション音に驚いて顔を上げたが、酷い時は数分に3、4度クラクション音がなっていた

首都圏ではどんなに渋滞していようとクラクション音をそうそう聞く事はなかったのでびっくり

それから交差点を観察しながら歩いてみたら、赤信号なのに3、4台右折していく感じだった

そして対向車が切れず右折出来ないで居るとクラクションを鳴らす感じ

車の流れがあって多少無理でも曲がる事はあれど、完全に赤信号なのに数台は堂々と右折していったのでびっくり

都内でトイレットペーパーが無い駅はほぼ見かけないのに対し、京都駅普通にトイレットペーパー無かった

金閣寺もなかった(流石に旅館にはあったが)

その代わり備え付けのトイレットペーパー販売機があった

盗難はあれどトイレットペーパーを備え付けない店は無いという勢いの首都圏に対して

京都はただ単にトイレットペーパーすら売りつける商魂逞しい土地なのかどうか・・・

総武線内で席に座った全く無関係の隣あった男女3人全員iPhone弄ってて吹いた位なのに

阪急では携帯弄り率が低かった(弄ってる人いたかいないかレベル

コンビニ歩道で何度かぶつかりかけた

はい京都駅は左によって右を空けていたり、観光客が多いとそうでもない模様

京都駅だったらごめんなさい、と前置きして三条川原町等三条通りかなと

阪急や他の地下鉄が乗り入れていて、京都駅伊勢丹だけなら、ここは大丸阪急高島屋に色んなブランドの店が有

病院へ入った時に喋っていると周囲からの目線が軽く刺さるような雰囲気になった

これが噂の・・・と思った

しか観光地を周っていると観光客慣れしているのか色々親切に教えてくれた

昔の話をしてくれたり、資料を貸してくれたり、いい人たちだなと感じた

新宿とは違ったでかさ、東京駅と比べてはいけないが、番線数やダンジョン度は東京の方が数倍上

都内の景観を無視しきったカオスな立て方のでかさではなく、なんでこんなオブジェクト作った?的な

恐らく普通の人が混雑した清水寺金閣寺銀閣寺を周っても、人の山過ぎて綺麗という観念が薄くなると思う

なんだただの普通の寺か~で終わる可能性大

ヲタ的には金閣銀閣触手に触れず、広隆寺だの東寺だののがクるだろうし、

歴史ヲタなら平安鎌倉江戸末期とおいしすぎる上、ヲタスポットは断然人が少ない

勿論景色は綺麗だし料理は美味しいけれども、一般人リピーターになるレベルまでは行かない気がした


勝手におススメな歩き方

  • 細い路地はどんどん入れ

本当に碁盤の目、ここは行き止まりだろ・・・という道こそどんどん突っ込んでいくと古い町なみが拝める

道が行き止まりにならない事を容易に悟れるはず

そのうちいつの間に寺の裏門へ出たりして、この界隈の人しか知らないルートを発掘出来る楽しさ有

殆どの人は一日バスフリー利用券(500円)で回っている模様だがバスは平日でもかなり混雑している

観光案内通りにバスに乗ると混みまくるので、自分適当接続ルートを探して乗るとかなり空いていた

例えば金閣寺行き、駅と接続しない祇園から乗るとスカスカで座れたり・・・みたい

ただ基本、街中の観光名所がかなり歩ける距離なので、ちい散歩ブラタモリするのがおススメ

湯島から上野までとか表参道から渋谷までとか、遠くて秋葉原から上野まで、みたいな距離

壬生寺に幕末京都の古地図が売っていたので、かなりブラタモリが出来る

寺は拝観料を取られるので(200~1000円程度目安)多く回る人は寺一つ頭千円で持っておいたほうがいいか

高い見積もりかもしれないが、絵馬や御朱印、お守り収集や国宝観覧をするなら足りない位

カメラ撮影禁止の場所も多いが、撮影可の場所もあるのでカメっこは必須

  • 土日祝日は有名どころを外す

親の付き添いで金閣寺へ行ったら浅草並みの混雑で泣いた

しか弥勒菩薩が居る広隆寺平清盛像のある六波羅蜜寺や風塵雷神屏風の建仁寺スムーズに入れた

ツアーコースに入らない寺は国宝があるとはいえ案外空いてる

どうしても土日なら土曜日に有名所へ

  • 行動は朝9時から18時に

寺社仏閣の参拝時間が長くなっているとはいえ、夜間拝観除いてこの時間内に周らないと見れない

2009-09-16

1984年(新訳)の書評未満のなにか

上野TSUTAYA立ち読みしただけです。後で買うかもしれない

2009-04-13

http://anond.hatelabo.jp/20090413145303

56億7千万年後の未来には弥勒菩薩が現れて衆生を救済してくださるからだ。

2008-09-29

http://anond.hatelabo.jp/20080929015934

仏教の伝来には大きく2つのルートと二つの宗派があってだな…。

インド(原始仏教)―ダルマさん―中国朝鮮日本 (北伝ルート大乗仏教

インド(原始仏教)―ビルマタイラオスカンボジア (南伝ルート上座部仏教

というふうになるんよ。

んで、中国経由のほうの根本経典は、基本的に般若心経とか法華経とか、浄土宗だと無量寿教とか阿弥陀経とかの大乗経典

仏教経典っていうのは、基本的にすべてお釈迦さんが語ったものを後の世に経典に表したという形になってるんだけど、大乗経典っていうのはお釈迦さん以外の如来ブッダ)が登場したり、観世音菩薩だの弥勒菩薩といった菩薩が登場したり、不動明王が登場したり、とにかくいろんなキャラが出てくる。

ちなみに大乗仏教ってのは、自分一人で悟って涅槃行ってもつまらんから民衆も救済してやるまいよ、という立場の仏教ね。

(これに対して自分一人が修行者として悟ることが第一と考えてるのが上座部-南伝仏教な)

もうこれだけでもわけわからんと思うんだけど、こんなわけわからんのは本当の仏教じゃない、っていうことでわけわからんことをやり出したのが禅宗で(公案とか只管打坐とかね)、それが日本に伝わってきて、明治になって鈴木大拙という人がアメリカで大々的に禅を普及したので、禅=日本というのも間違っちゃいないんだよ。

2007-04-30

仏教は心の科学」はニセ科学

http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50815759.html

書評および『仏教は心の科学』はトンデモ仏教学への冒涜でしかない。

まず,

ブッダ言葉は実に「実に単純で明快で痛快」

ではない。どれが「ブッダ言葉」なのか確証を持つことができない現状では,「ブッダ言葉」は単純でも明快でも痛快でもない。

スマナサーラ氏が自分にとって都合のよいものを「ブッダ言葉」として選び出しているだけ。

そもそもパーリ語はブッダが使っていた言語ではない。パーリ語は西インドスリランカプラークリット方言みたいなもん)。「ブッダ言葉」は現在では半マガダ語もしくはそれに類似するものといわれている。

スマナサーラ氏はスリランカ言葉であるパーリ語へ翻訳された「ブッダ言葉」(それもブッダの死後200年以上を経過して)を「ブッダ言葉」として決めつけているにすぎない。

次,

以下の下りなんて、「それってどこのGeek?」ではないだろうか。

天界は快楽を食べて生きる次元

みなさんは天界に生まれ変わったら、遊んだり、音楽を演奏したり、踊ったり歌ったり、性的な行為を思う存分やったり、お腹いっぱい食べたり、そういうイメージで「楽しそうだな。天界に行きたいな」と思っているのではありませんか。

でも本当は天界では、そういうことをしないと死んでしまうのです。彼らは楽しんでいるわけではなくて、必死で生きているのです。遊ばなくては死ぬのです。音楽波動で生きている神々は、ちゃんと定期的に、決まった時間にその音楽波動を食べないと死んでしまうのです。我々は楽しくなるために演奏を聞いたりしますが、天海の場合は、生死の問題です。死ぬか生きるかの大問題なのです。それでも皆さんは天界に生きたいですか?

仏教は仏界を目指すものであって天界のような縁起の内側の世界はフル無視で当たり前。こんなので「どこのGeek?」って驚いてたら,弥勒菩薩の世界(トゥシタ天ね)なんかは子供がひざの上から産まれてくる。しかも三歳児の姿で。Geekどころではない。無知すぎ。

次,

ブッダの教え」は、「つるむ」、すなわち組織をまとめるには本当に向かない。

いやブッダはつるんでます。ブッダサンガには多くの仏弟子が集まっていました。それから三宝って知ってますか?仏法僧。仏と法とサンガサンガって僧団ね。それに帰依しろと。ブッダがそういって死んだと書いてあるのは,ほかならぬパーリ仏典です。

同じく

生のブッダの教えは、組織人にはヤバすぎるのである。

パーリ仏典には組織の長であるクシャトリアの帰依の記述がいくらでもあります。

また,

出家根本にある限り、ブッダの教えは組織とは相容れない。

ブッダの教え」の根本に「出家」なんかない。勝手に決めないように。

次,

ブッダの教えの寛大なところは、こうした「ブッダインスパイヤ教」を邪教として糾弾しなかったこと。

パーリ仏典の記述によれば,ブッダ自身が行なっています。デーヴァダッタの仏教を。

勝手なことを言わないように。

最後,

仏教科学的な教えです。「科学的」とは、どんな人間にも当てはまり、なおかつそれを自分でも確かめられる、証拠があって証拠に基づいた話が出来る。そういうことです。

と思うならば,どうかご自分で原典なり研究書なりを当たって勉強してください。

スリランカタイミャンマー仏教は,日本仏教と同じく,ブッダの教えをいくつかのフィルターを通して伝えている仏教です。

そうではなく,我々現代人には西洋人文科学の方法論に基づく,実に科学的な仏教学というものがあります。それに基づいて話をしてください。そのフィルターを通して理解する仏教が,科学的な「ブッダの教え」というものです。

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