はてなキーワード: スマナサーラとは
瞑想をしてみてください。
お前のせいだよ、お前がブスだから駄目なんだ、普通のふりしてるけどお前は所詮空気の読めない頭のおかしいやつなんだ。
そんな言葉が頭にこだまする、まぢ病み状態になってしまうのです。
むしろあなたはおかしくなる過程や構造をある程度見抜いて対処法まで発見しているのだからかなり観察力があり智慧がある方の人です。
仏教はお釈迦さまという非常に智慧のある天才があなたと同じことをより精緻に観察して完璧な対処法を発見して、それを苦しむ人たちに広めたところから始まっています。
(私もあなたと同じようなことをもっとぼんやりと感じていて瞑想に出会いました。)
スマナサーラというスリランカの坊さんの本が読みやすくおすすめです。
騙されたと思ってアマゾンで1冊買ってみてください。
本読んで家で実践するだけです。
瞑想やってないゼブラのせいですっかりネタ臭がついたけど、瞑想はあなたのようなそういうのにおすすめ
スピリチュアルじゃなくて、脳の構造をいじって未来のこととか過去のこととか妄想とかしない脳に出来るから
ヴィパッサナー瞑想について、本は色々出てるけどスマナサーラという坊さんの本がおすすめ
繰り返しで効果は高まっていくけどちゃんとやれたら一回で効果わかるよ
そういうくだらない思考やネガティブ感情が心に入ってこなくなって、意識は冴えてるのに無敵の膜が張られてるみたいな状態になる
普段ムカついてるようなことをされても我慢するのではなく怒りヶ生じずそこに心が止まらなくなる
もちろん過去のことなんかどーでもよくなるし無駄な感情や思考が起動しない
この分野についてはカウンセラーなんかより仏教のほうが圧倒的に優れたメソッドを持っているから
スマナサーラ長老は「個人的な悩みは慈悲の瞑想で(解決へ向かう)」と言っている。
http://thierrybuddhist.hatenablog.com/entry/2015/02/20/050000
本当にそうだろうか。私はこの2ヶ月たまたま暇を見つけては慈悲の瞑想をしていた。悩みを解決するというより瞑想そのものに興味があったためだが、2ヶ月前と現在の状況を確認し、慈悲の瞑想の実践をしていた私の個人的悩みが減っているのか増えているのか確認してみたい。
ただし私は仏教を信じており、書くにあたっては大きく私の主観が入るだろうことをあらかじめ言っておく。
私は24歳。2ヶ月前、私は無職で、仕事を探していたがなかなか決まらずに悩んでいた。無職であれば同居する家族も私のことを単なる穀潰しとしかみない。喧嘩も絶えず、自分が情けないやら悲しいやらで辛いわ、それでも誰かに相談することもできないわで悩んでいた。
以下悩んでいたことを列挙する。
・同居の家族とうまくいかないこと
・将来なにをすればいいのかわからないこと
・お金がないこと(家族とうまくいってないのに家族に援助してもらうのが辛かった)
・なんでも話せるような友人がほしいこと
その他の悩み
・太ってきていること
・禿げつつあること
・不細工
・無能
一ヶ月前に仕事が決まった。その手の経験がないと入社するのは難しい会社だったがたまたまプログラミング以外の点が評価されて採用された。ただ、いざ始めてみると意外にも私はプログラミングが得意だったようでトレーニングではいい結果を残し、今のところ上司は評価してくれている。人間的にも優しい人ばかり在籍している。
以下解決あるいは改善した点
・仕事が見つかった
・うまくいっていなかった家族とは別居することになった
・お金は依然足りないが以前よりずっと良くなった
・不細工なのは変わらないが服装や髪型は清潔感のあるものになった
・性格は悪いままだが慈悲の瞑想を頻繁にするので怒りが長期間継続する事はなくなった。怒りを感じること自体も減った。
・相変わらず無能だが他人から評価されることで自身がつき、マナーや接客的な自分の苦手な部分も多少できるようになった。
解決していない点
・やっぱり太ってきている
・やっぱり禿げつつある
・友人と連絡を取り合うようになったけどもっと頻繁に話したい
・嫉妬深さは変わらない(意識的に嫉妬しないようにしてはいる)
新たな悩み
少なくとも私のここ2ヶ月で言えば悩みは大きく減っている。新たな悩みも以前のものと比べればそれほど深刻ではない。慈悲の瞑想のおかげであると断定的には言えないが私が直近の2ヶ月で慈悲の瞑想をしたことと同時期に悩みが大きく減ったのは事実である。
とくにスマナサーラ氏とか、そういうあたりだ。
僕も仏教の考え方は好きだ。一番いいのは信仰を求めないことだ。
仏教の場合、「信じる者は救われる」ではない。「実践する者は救われる」だ。
種類はいくつかあるが、基本的にはアーナパーナ・サティ経に則った瞑想が多い。
また、瞑想にもサマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想の2種類がある。
長く息を吸っているときには「私は長く息を吸っている」とはっきり知り(pajānāti)、長く息を吐いているときには「私は長く息を吐いている」とはっきり知る。
短く息を吸っているときには「私は短く息を吸っている」とはっきり知り、短く息を吐いているときには「私は短く息を吐いている」とはっきり知る。
「私は全身の感覚を把握しながら(paṭisaṃvedī)息を吸おう」と訓練する(sikkhati)。
「私は全身の感覚を把握しながら息を吐こう」と訓練する。「私は身行(=吸う息)を静めて息を吸おう」と訓練する。
「私は身行(=吐く息)を静めて息を吐こう」と訓練する。
これが呼吸による気づきであり、熱心に行い、このように自身を訓練することは大きな果報となり、大きな利益となる。
第一に、ラベリングをしながら瞑想をするというものだ。ラベリングとは、実況中継とか説明されることが多い。
これはマハシ・サヤドー(1904-1982)さんが考案したもので、マハシ系と呼ばれることが多い。
考案と言っても、新しく作ったのではなく、知識の深かった彼が旧来の解釈とは違う解釈をしたというような感じだ。
具体的な方法は日本テーラワーダ仏教教会のホームページなどで見れる。
呼吸をするときに
と実況中継(ラベリング)をするという特徴がある。
呼吸瞑想の他にも歩く瞑想や座る瞑想が同協会のホームページで紹介されている。
他には、ゴエンカ系とパオ系がある。こちらはラベリングは行わない。
こちらに関してはやり方はあまり知らない。
また、呼吸瞑想がヴィパッサナー瞑想かどうかにも意見が分かれているようで
また、マハシ系は呼吸ではなく、おなかの膨らみ・縮みを見る場合がある。
生物と無生物のあいだ (講談社現代新書) 福岡 伸一
不機嫌な職場 (講談社現代新書) 河合 太介、高橋 克徳、永田 稔、渡部 幹
臆病者のための株入門 (文春新書) 橘 玲
日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか (PHP新書) 竹田 恒泰
わかったつもり (光文社新書) 西林 克彦
いつまでもデブと思うなよ (新潮新書) 岡田 斗司夫
ツイてる! (角川oneテーマ21) 斎藤 一人
日本を貶めた10人の売国政治家 (幻冬舎新書) 小林 よしのり
脳が冴える15の習慣 (生活人新書) 築山 節
「世界征服」は可能か? (ちくまプリマー新書) 岡田 斗司夫
世にも美しい数学入門 (ちくまプリマー新書) 藤原 正彦、 小川 洋子
TPPが日本を壊す (扶桑社新書) 廣宮 孝信、 青木 文鷹
1年くらい前までは頭の中が欝っぽい考えでグルグルに回ってても「それでも働かないと生きていけないし」などと言いながら過ごして
まだ20代なんだけど、若いながらも死にそうになっていた。親類が死んだこととかも関係して精神が滅入ってたのもある。
元々病みやすい部類には入っていたのかもしれない。
よく病んだとか言ってたし。今だったら10代の娘とかでも、「ちょー欝なんだけどー」だなんだの言ってない?
そういう悩みから解放されたい一心で、例えばカウンセリングに行ったりとか、まぁ各種様々な方法を探しまくった。
自己啓発とかそんなんに頼ろうが、もう身体が辛くてどうあがいても生産性が上がらなかった。だから直接的に効く方法を探しまくった。
でも効果がそもそもなかったり、一過性であったり、副作用があったり、なにぶん辛いことが多かった。
「金と時間と気力を消耗する」ものばかりだったわけだ。んな方法が続くわけない。
もしかしたら体質でどうにもならないもんなのかと思っていた時に出会ったのが今回ご紹介する「ヴィパッサナー瞑想」。
最近はテレビなんかでも出ているときがあるので知っている人がいるかもしれない。
それなりに有名になってきたのだ。この記事を読んでからでいいんで、googleで「ヴィパッサナー瞑想」で検索してください。
俺が絶対的に要望としてもっていたのは
1.金がかからず、高い質
2.気力がいらない
精神の悩みでいうと
1.胸のつまり(なぜつまるのか、よくわからんが、呼吸するのが辛かった。生きるのがむなしかった。)
2.心の疲れ(潤いがない。乾きまくり、人間にとって優しさが大事とはよく聞いていたけど、なぜかそれを心でよく感じていた。イライラがしんどかった)
3.頭ん中グルグル回る悪い想像(これは今思うとこれに振り回されていたんだなという感じで、重くて、辛かった。)
の3つ。今思うと、よく↑で仕事していたと思うわ。過去の自分を振り返って、自分で自分を尊敬もするが、もっと早くヴィパッサナー瞑想を探せよ!という気持ちにもなる。
「ヴィパッサナー瞑想」は、簡単に言うと今という瞬間に完全に注意を集中するメソッド。俺が最初に読んだのは「意のままに生きられる―ヴィパッサナー瞑想法 」という本だった。
アマゾンの評価も高かったので、買ったのだが、この本が今思うと当たりだった。
開発者のブッダさん自身のむなしさから抜け出すために作られたエピソードとかが載っていて、意欲をかき立ててくれる。(DVDがついてないのが、惜しいけど。)
瞑想法自体はとにかく簡単だった。何しろ一番始めに乗っていたのが歩くままやる瞑想法だったから。
さらに「イライラが止まる」やら「頭の中のガラクタがなくなる」やらの効果が書いてあった。
「本当に歩くだけの瞑想法でこんな効果あんのかよ!?」と思いながら、本を読みながら部屋の中を歩いて、「歩く瞑想」をやったのだった…
「左足から歩くならば、左足に神経を集中させ、「左足」とこころの中で言葉で確認し、同じく「あげます」と実況しながら左足を上げ、
「運びます」と実況しながら左足を運び、「おろします」と実況しながら左足を降ろす。同様に右足も、足の感覚を丁寧に感じながら、ゆっくり歩く。
このように実況中継を絶やすことなく歩くことを続ける。」
というのがやり方。実に簡単。
で、これがめちゃくちゃ頭の中でうずまく妄想を止めるのによかった!
寝る前に座る瞑想法も試してみたのだが、同じようにからだの感覚やこころの感覚を、実況し続けたのだが、いつもはなかなか寝れないのにそのまま寝ちゃっていたのだ。
そして爆睡。ほんとは寝ちゃだめなんだけど。
子供の頃なんて毎日爆睡だったけど、大人になってからは、そういう感覚ってなかった。それが1日にして蘇った。
朝起きたとき「え?……あぁあの瞑想して寝てしまったのか」という感じでぽかんとしていた記憶がある。
で、いつもだったら起きたくないなぁ、あれやらなきゃなってふとんの中でグズグズ妄想が頭ん中を回るんだけど、それに気づく。
あぁ、いつもこの頭の中を回るガラクタに惑わされていたんだって気づく。
精神学者の名越康文も朝の自動思考について仏教を例に説明している。http://igs-kankan.com/article/2011/08/000476/
1日にして「ヴィパッサナー瞑想法すっげえええええええ」となったのだった。
んでその後は、買った本に乗ってある奴を徹底的にやった。歩きながら瞑想するのは体と心が同調されていい。
とにかく気力がいらないという点がよかった。つまり、今に集中しろ、現在に気づけ、観察しろ、ただ知れってことだから。
つまり、"Don't think, Feel!!!"というブルース・リーが説く状態に持っていくということ。
1週間くらいしたら、こころの状態がすこぶる良くなっていた。身体が新しくなった感じがして、呼吸するのが気持ちよかった。
心の疲れはちょっと残り続けていたのだが、3ヶ月くらいやってたら、気付いた時には「あれ、心がなんか静まってる」となってあの重い感覚は7割方消えていた。
怒りも静めることができるようにもなった。
で、今ちょうど1年くらい経ったんだけど、すこぶる調子が良い。歩くのが楽、呼吸するのが楽、良く笑うようになった。このヴィパッサナー瞑想法との出会いが間違いなく自分を変えた。
心の調子がよくなると、体の調子が変わるのは確か。「なんか悟り開いたみたいだな」とよく人から言われます。前までは悟り開いてなかったのかもしれない。
俺のオススメはスマナサーラ長老と小池龍之介。まあ前者の方が俺は好きかな。
大抵この2人が今の瞑想入門の売れっ子って感じ。(他にも色んな入り口があるってことね)
是非、オススメなので、ヴィパッサナー瞑想法知って下さい。大きい本屋にいくと、ヴィパッサナー瞑想コーナーがあったりします。店員さんに聞くといいです。
ちなみに日本テーラワーダ仏教協会というところに載っていました。無料で見れます。http://www.j-theravada.net/4-vipassa.html
余談だけど、このヴィパッサナー瞑想法を開発したブッダさんという人は、凄まじく天才なんだそうだ。
若いときは、王国の王子として生まれて恵まれた生活を送ってたんだけど、生きることのむなしさを感じて、出家して、悟りを開く(笑)
で、仏教っていうの教えるんだけど、それは神やら儀式やら主義じゃなくて、内なる現実をありのままに観察することによって、その本質を理解しろよって言ったんだ。
話が、本当かどうかはこの際どうでもいい(俺は本当だと思うけど)。ヴィパッサナー瞑想法が効果あるのは間違いないのだから。
匿名ダイアリーは巨大ブログだと誰かが言っていた。是非、ヴィパッサナー瞑想法を拡散してほしい。
ちなみに仏教団体(色んな怪しい人達もいるから気をつけてね)の回しもんじゃありません。とにかく良いものには広まってほしいと思う一心です。
勝手な言い草だけど「ヴィパッサナー瞑想法合わない」なんて言う奴は、この世にいないと思う。万人向けに作ってあるから。
というか、西洋人でも瞑想を生活に組み込んでいる人がいるのに、日本人が正しいやり方を知らずに実践していないのはマジでもったいないと思う。
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50815759.html
の書評および『仏教は心の科学』はトンデモ。仏教学への冒涜でしかない。
まず,
ではない。どれが「ブッダの言葉」なのか確証を持つことができない現状では,「ブッダの言葉」は単純でも明快でも痛快でもない。
スマナサーラ氏が自分にとって都合のよいものを「ブッダの言葉」として選び出しているだけ。
そもそもパーリ語はブッダが使っていた言語ではない。パーリ語は西インドやスリランカのプラークリット(方言みたいなもん)。「ブッダの言葉」は現在では半マガダ語もしくはそれに類似するものといわれている。
スマナサーラ氏はスリランカの言葉であるパーリ語へ翻訳された「ブッダの言葉」(それもブッダの死後200年以上を経過して)を「ブッダの言葉」として決めつけているにすぎない。
次,
以下の下りなんて、「それってどこのGeek?」ではないだろうか。
みなさんは天界に生まれ変わったら、遊んだり、音楽を演奏したり、踊ったり歌ったり、性的な行為を思う存分やったり、お腹いっぱい食べたり、そういうイメージで「楽しそうだな。天界に行きたいな」と思っているのではありませんか。
でも本当は天界では、そういうことをしないと死んでしまうのです。彼らは楽しんでいるわけではなくて、必死で生きているのです。遊ばなくては死ぬのです。音楽の波動で生きている神々は、ちゃんと定期的に、決まった時間にその音楽の波動を食べないと死んでしまうのです。我々は楽しくなるために演奏を聞いたりしますが、天海の場合は、生死の問題です。死ぬか生きるかの大問題なのです。それでも皆さんは天界に生きたいですか?
仏教は仏界を目指すものであって天界のような縁起の内側の世界はフル無視で当たり前。こんなので「どこのGeek?」って驚いてたら,弥勒菩薩の世界(トゥシタ天ね)なんかは子供がひざの上から産まれてくる。しかも三歳児の姿で。Geekどころではない。無知すぎ。
次,
いやブッダはつるんでます。ブッダのサンガには多くの仏弟子が集まっていました。それから三宝って知ってますか?仏法僧。仏と法とサンガ。サンガって僧団ね。それに帰依しろと。ブッダがそういって死んだと書いてあるのは,ほかならぬパーリ仏典です。
同じく
パーリ仏典には組織の長であるクシャトリアの帰依の記述がいくらでもあります。
また,
「ブッダの教え」の根本に「出家」なんかない。勝手に決めないように。
次,
パーリ仏典の記述によれば,ブッダ自身が行なっています。デーヴァダッタの仏教を。
勝手なことを言わないように。
最後,
仏教は科学的な教えです。「科学的」とは、どんな人間にも当てはまり、なおかつそれを自分でも確かめられる、証拠があって証拠に基づいた話が出来る。そういうことです。
と思うならば,どうかご自分で原典なり研究書なりを当たって勉強してください。
スリランカやタイやミャンマーの仏教は,日本の仏教と同じく,ブッダの教えをいくつかのフィルターを通して伝えている仏教です。
そうではなく,我々現代人には西洋の人文科学の方法論に基づく,実に科学的な仏教学というものがあります。それに基づいて話をしてください。そのフィルターを通して理解する仏教が,科学的な「ブッダの教え」というものです。