はてなキーワード: 学問とは
その手の動機って大体は「頭良く見られたい」とかでしょ
学問と言われるもの全部に重要って言う人達は良識とかで言ってるんだろうけど
哲学だけ特に重要扱いする奴らは頭良く見られたいって欲望があるのは絶対だよ
ただの趣味が変というかマニア・変態だからそう言ってる事の方が多い
塾に行かせることによって子どもの所得を上げることができるんですよ〜
とかいうのを恵まれた環境にいそうな慶応大学のセンセに言わせるのは醜悪と言わざるえない。
いつから学問と所得を直接結びつけるのを大々的によしとするようになったのか。
お前は、出来ないしやっちゃいけない「ことになってる」としか言っていない、ではその「ことになってる」が正当化される理由は?絶対化される理由は?
信教の自由は憲法で保障されてる、たしかに、では憲法で保障される理由は?憲法で保障されないように変えることは可能か?不可ならその理由は?そもそも憲法は絶対か?
なぜ憲法で保障されているなら修正できないんだ?憲法より上位の規則や規範は無いのか?無いならそもそも憲法はそれより上位の正当化の根拠を持っていないことになるが、ならそこで正当化は崩れているのでは?
他にも色々考えることが出来るだろう、憲法も信教の自由も相対化できるだろう
勿論それらは既に過去に俺よりずっと頭の良い人間達がすでに考えたことで、「勉強」すればその答えが有るかも知れない
しかしそれが正しい保証はどこにある?そもそもお前は「勉強」を思考をやめさせるための蓋としてしか使っていない
過去に俺よりずっと頭の良い人間が考えた所で、所詮そいつらは過去だ、下手したら同性愛差別が肯定される時代の天才だ
例え天才でもそういう時代の価値観からは自由じゃない、つまりその「勉強」も過去の時代の価値観に汚染されている可能性も有るという事だ
従って「勉強」の結果が覆される事は絵空事ではない、そもそも学問とはそういう転覆の繰り返しで出来ている
そもそもお前の言う「勉強」は例えば科学の様な、検証可能な論理体系か?必ずしもそうじゃ無いんじゃないか?だとすれば正当化のシステムそれ自体もそれなりに脆弱だ、絶対化するには余りに頼りない
女性学(じょせいがく、英: women's studies; 仏: études féminines)とは、第二波フェミニズムから生まれた新しい学問領域であり、従来の男性中心主義的な学問の客観性・中立性を問い直し、これまで度外視または過小評価されてきた女性の存在、経験、問題・関心を顕在化、言語化、理論化し、これによって従来の知の体系の脱構築を目指す幅広い学際的研究である[1]。
領域としては社会学、人類学、法学、経済学、地理学、倫理学、文学、歴史学、哲学など従来の人文・社会科学の各領域に個別にまたは分野横断的に関わる学問であり、女性史研究、音楽・アート・映画・メディア等に関するフェミニズム批評、さらにはケアの倫理、エコフェミニズムなど新たな概念が提唱されている。
https://anond.hatelabo.jp/20210314183940
これとか見てもらえれば分かるけど「性的」言葉をつけた造語がやたらめったら使われている。
例えば「性的消費」なんて言葉が使われているが、この言葉の意味を定義してる先生や本は俺の知る限りない。みんなそれぞれの都合に合わせて適当に雰囲気で言葉を使ってる。
学問領域によっては定義付けが難しい言葉は存在する。ただそれでも定義付けそのものをしていないのはさすがに恐ろしい。
みんな雰囲気で使うから当然話も噛み合わない。そんな事しても不毛な堂々巡りを繰り返すだけだ。
例えば「性的搾取」なんて言葉があるが、搾取はざっくりと言えば本来労働者が生み出した富や生産物の一部を資本家が無償で取得することをさすマルクス主義用語だ。これを理解すると性的搾取という言葉の頓珍漢さが少しは分かると思う。性的搾取を無くしたければ資本家を介さないパパ活に従事すれば良いだけになってしまう。
このように雰囲気で言葉を使うからめちゃくちゃな言葉が生まれ、乱用される。フェミニズムはまず言葉の定義付けをしないとダメだ。
表題通り.自分が子供だったら親がこんなことしてたら絶対嫌だな,気持ち悪いなと思うことを挙げてみた.
「私ってぇ,ちょっと特殊な環境で育ったんだよね(ドヤ」,「私はこんな経歴です(ドヤ」.こういう人には「へぇ〜特殊な経歴ですね」って首を縦に振ってれば勝手に気持ち良くなってくれる.正直あなたが思ってるほど特殊なキャリアじゃないですよ.
あなたのその経歴が悪いと言っているのではなく,「特殊な経歴を持ってる私」という浅はかな考えが透けて見えるから本当に気持ち悪いという話.
「会社が潰れる or 会社がブラック」,「フリーランス or 起業」という 2 段階の審査を経て初めてそのコミュニティに入ることが認められる.あと掛け算が得意.
キャリアチェンジをすることが悪いのでは決してない.こういう人たちが使う「文系」=「大学で何も勉強していない」であって大学で人文系の学問を学んでいる人たちに失礼.「無能からエンジニア」が正解.
文系エンジニアって名乗る人は本当に苦手.文系 / 理系(そもそもこのくくりもよくないが)関係なくエンジニアを名乗るなら「文系」を盾にするな.お前はもう技術者だろうが.元文系であることは全く後ろめたいことではない.潔く「エンジニア」を名乗れ.然もなくば,「無能でプログラミングが趣味の人」を名乗れ.
先に,「人事の方の中でも有能で素晴らしい方はたくさんいる」ということは断っておく.
繰り返すが,「人事の方の中でも有能で素晴らしい方はたくさんいる」ということは断っておく.
まずはじめに,私は人事という職業に一定の偏見を持っている.「なぜ専門性を持たない人間が採用の最前線に立てるの?」という考えである.これは私怨も多分に含まれる.
就活でやりとりをした人事の中で,有名企業の人を含め,知ったか,分かったフリをする人間がなんと多いことか.そういう人事は本当に嫌い.
例えば,人事が専門に関する質問をしてきてそれに答えても,分かったフリをしたような返事が返ってくることが多々ある.「要するに〇〇ってことですよね?」と人事が答え,苦笑いをしながら「そんな感じです」とこちらも答える.他人の話の要約がとても上手い.
専門家ほど分かったフリをしない.ちゃんと質問してくれるし,分からないことは分からないと主張する.ときには理解を示し発展性のある議論をしてくれる.
別に人事に議論をしろと言っているわけではなく「分からないことは分からない」とちゃんと答えて欲しい.それならこちらもそれ相応に対応するし,不信感も持たない.
こういうことがあったので,就活を通じて一つの疑問が生まれた.それは「専門性を持たない人間がその専門家の採用に関わるメリットは?」という疑問である.
私の経験の中では,役員面接等でこの質問をしたときに,明確な答えが返ってくる会社は人事の方の対応が良かった.企業の中での役割分担がちゃんとなされているのだろう.
逆に,腑に落ちない回答をされたら人事の対応も微妙,というのが割と再現性があった.
また,これに関わる話として自ずと浮かんでくるのが,「自分が採用に関わる分野(専門領域)の経験がある人事」と「その分野のことについて素人の人事」ならどちらが良いか?という疑問である.
答えは火を見るよりも明らかであるが,現実的な問題としては,後者が大半になってしまっている.では,なぜそのような状況になってしまっているのか.
自分の中の結論としては,「専門家にはそういったことに関わるのが面倒 or 興味がないと思う人の方が多い.専門家側が採用を行うことに対してリソースを割かない,そもそもそういうことをやってくれる専門家を集めるのが難しい.」である.
もしこの日記を見て思うことが有る方は是非コメントして欲しい.会社としてどのようにこの問題点を解決しているのか,多くの方の意見が欲しい.てかこれって日本だけの問題?海外の企業もさほど変わらないのかな?
現実的に難しい話であることは分かるが,これが解決できれば,よくわからん人事に弾かれてしまう,専門性を持った学生が不幸になることを避けることができる世の中になるだろう.
話が反れすぎてしまった.
一番恥ずかしい.「大企業から内定を得た俺」がかわいくてしょうがないらしい.お前はその「大企業」とやらに全く貢献していないのにその名前を使うな.こういう人の思想が本当に分からない.今自分が働いている会社を誇りに思えなくて後悔してるから特殊な経歴おじさんみたいになってしまうのかな.あなたは大企業とは全く無関係のベンチャーの社員です.それ以上でも以下でもありません.
遠回しに自分が優秀とか変人なのを伝えたいのか分からないが,あなたは無能で普通の人間です,以上.
ただし,ピーFNのような本当に優秀すぎる人の集まりもあるので注意.
前半は本当に親がやっていたら嫌だなと思うことを書いていたが,後半からは親とか関係なく自分が気持ち悪いなと思った人間を書いてしまっていた.
この日記の内容をまとめると「人間の承認欲求は側から見ると気持ちが悪い」である.
別に他人が何やろうと自由だけど,この SNS 社会でそう言う気持ち悪い人間を自分の視野から避けるのは非常に難しい.
不快だから俺の前に現れないでくれと思っても必ず現れてしまう.
一番有効なのは「SNS をやめて身近の人間と楽しく生活すること」であろうが,そんな分かりきったことを実行していればそもそもこんな日記は書かない.
私はインターネットが好きだし,SNS でわいわいやるのも好きだから止められない.そういう病気.
ここまで書いてきて,ネットにこのようなことをぶちまけるような行為が一番親にやってほしくないという皮肉.
お後が宜しいようで.
全然有名じゃないその辺の学者がTwitterのレスバで負けたから社会学は終わってるとか言うの、言いたかないが高卒やろ……
大学や研究や学問を構成するものの仕組みがまるでわかってないだろ
いや別に知らなくてええねん
そこまで何も知らないのによくそんな批判できるなっつう話やねん
せめてググれよな
民族という概念は、まともな英訳すらできない以上は普遍的な概念ではありえない。というか肌の色で差別することができなかった諸国において差別を実施するために再発明されたものである以上はそもそも概念からして誤りを多分に含んでいる。
Ethnic group 程度の意味合いで使う分には良いように思えるが、扱いに非常に丁寧にならなければならないこの言葉を適当に使う奴は敵だ。
そもそも帰属意識という主観性の強いものが客観的定義である糞みたいな概念が自明に存在すると考える方がどうかしている。具体的に言えばある人間は必ず特定の民族にただ一つ属すると考える人間は学問と知性のどちらも決定的に足りない。そんなものを信じる人間は学習能力に欠陥があるか、脳に物理的な欠陥があるか、成長段階の環境が悲惨だったかのどれかとしか言いようがない。それはそれで可哀想だとは思うけれど、それでも害悪となる概念を振り回す権利はない。
民族伝統という言葉は指し示す概念は存在しないので嫌い以前の問題だ。からして民族というものに根差すという幻想を共有している人間は須く無能だ。考え方が完全に逆である。民族があって伝統があるのではない。伝統を守るものがその民族なのだ。肌の色や血筋は関係がない。そんなものは何も規定はしない。そして一人の人間は複数の民族であるのだ。〇〇民族でありながら△△民族であり得るのだ。
君の身に付けているものだけが君を定義する。先祖からの伝統だからと言って何も正当化され得ない。やりたいなら自身の責任において全てをおっかぶり貫くべきだ。伝統だからは言い訳に過ぎない。例えそれがなにであれ、
私は
これを
やるべきだと考える
だから
やる
以外に正当な理由はない。人のせいにしているんじゃねえ。君の行動は君の自由意志にのみ立脚する。そして君が何者であるかも君の自由意思によってのみ規定される。甘えるな。
後輩たちの理想になることは諦めた。
だからせめて、少しくらいは続くたくさんの後輩が働きやすくなるように。
本当は、性別なんて関係なく、なるべく多くの人が健やかに生きていける社会になるのが一番だけど、日本というジェンダーギャップが大きい国に生きる女のひとりとして、女性が輝ける社会になりますようにと願いたいと思う。
塩谷舞さんのnote記事を読んで、私も筆を執ってみようと思った。あんな風に前を向ける記事ではないけれど。(リンクのつなぎ方がわからなかったので気になる人は探してみてほしい)
小学校の時は、男友達とよく遊んでいた。一番仲良しだった幼馴染は女の子だったけれど、年の近い兄弟がいたせいか、外でフットベースやどろけいに明け暮れていたように思う。リカちゃん人形やたまごっちにはあまり興味がなくて、ハイパーヨーヨーとミニ四駆は持っていた。そして単純に身体を動かすことが好きだった、そういう小学生だった。
小学校4年生まではスカートが嫌いでズボンばかり履いていたし、つまるところあまり「女の子っぽくなかった」のだと思うが(そもそも女の子っぽいとかぽくないとか、そういうのが時代錯誤なのはさておき)、幸か不幸か男の子と仲良くしていても、とやかく言われずに済んだのは幸いだったと思う。男の子と仲良くしている女の子の中には男好きだと陰口を叩かれている子もいたのだが、「まあAちゃんだし」と言われて女子から目の敵にされることはなかった(と、思う)。今になって思えば、女の子たちから「女」と認識されていなかったのだろう。要は、あの子は恋愛対象にはならないからOK、ということだ。
お互いを好き合った男女がカップルになったりしていて(同性カップルもいたのかもしれないが、私の耳に入ることはなかった)、仲が良さそうな男女がいれば噂になった。そして私は相も変わらず休み時間は割と男友達と話していた方だったと思うのだが、「Aちゃんだし」という理由で特に噂の対象にはならなかった。おかげさまで僻まれることもなかった。
やっぱり、「女」ではなかったのだと思う。そしてそれは私としても自覚している。
そういう環境で育ったので、「男」だとか「女」だとか、そういうものには鈍感というより興味がわかないまま中学3年になり、進学先を決めることになった。私の出身都道府県には、今では珍しい公立の男女別学校があった。こだわりがない故に別学校を選ぶ必要もなかったのだが、当時私を可愛がってくれていた先生が、「あなたは絶対に女子高が合うと思う」と言ってくれたという単純な理由で、私は女子高を目指すことにした。
結論から言えば、私は本当にあの時にあの女子高を目指した自分を褒めてやりたいと思っている。
ギャルもヲタクも皆一緒に学校行事に参加して勉強で競い合って最高の3年間だった。楽しかったというのもあるが、何より変な気を遣う必要がなかったのだ。当時から制服はスカートとズボンが選べたし、当たり前だが誰と仲良くしていようと噂されることだってなかった。
強くて逞しい人が多かったから、比較して自分の小ささに凹むことはあったけれど、とても刺激を受けたのもまた事実だ。
共学校が駄目だと言いたいわけでも、男女別学であるべきだ!と思っているわけでもない。
ただ、あの3年間は間違いなく私の自立心を育てていて、「女だから」は理由にならないし、する必要がないことを学んだ。
日本という国において、絶対に、女子校が担っている役割は大きい。
そういう、とても私にとって意味のあった3年間を過ごし、大好きな分野の学問を学ぶため大学に進学し、こんなにも文理で男女差があるのかと驚いた。
高校では半々とまではいかなくとも、どの学年も大体文系の方が少し多いくらいで、理系の女子も多かった。(どうでもいい余談だが私はゴリゴリの文系である)自分も文系なのでとやかく言えないのだが、何で女子は文系が圧倒的に多いんだ?と不思議に思ったものである。
入学してから数日、久しぶりに皆で連れ立って食事をし、皆で一緒に次の教室へ移動した。
多分1週間も持たなかった。
一瞬で最初のグループからは離れ、ひとりで食堂に向かったら、浮足立つ新入生のグループが多い食堂で、明らかに新入生であろう女子が、ひとりラーメンを啜っていた。
そうだよなあ、好きにお昼くらい食べるよなあ、と安心し、少し離れたところで同じくラーメンを食べた。彼女とは今でも連絡を取る仲である。
女子高を卒業し、大学は学部もバイト先も女子が大半を占めるコミュニティの中で過ごし、たまたま男女比9:1の会社に就職した。
総合職を選んだ以上、男も女も関係なく業務に邁進するのみ!という心意気だったのだが、割と早々にしんどくなって泣いた。ひどいセクハラを受けたわけでも女を捨てることを強要されたわけでもないのだが、「男も女も関係ない」という自分の意識と、「圧倒的に男が多い集団の中にいる若い女子」である事実を上手く融合させることが出来なかった。
どうしたって「女」を上手く利用している子の方が可愛がられる。可愛がられたいわけではないが、「女を捨てる」ことも出来なくて(いやしなくていいんだけど)、何とも中途半端な位置になり、色んなバランスが崩れて勝手にしんどくなった。
男社会の中で女であることに甘えられない・出してはいけないのだというプレッシャーはあるのに、貴重な女子社員として意見を求められるという矛盾した立場にいて、「女」を肯定すればいいのか否定すればいいのかわからなくなっていった。
「女」が主語になるコミュニティで生きていると、自分の意識もそれに近づいていくのだと気づいたときが、一番怖かった。
「女は女に厳しい」「女は気まぐれだからやりづらい」「女は甘えればいいと思ってる」「女はすぐ子どもを産むからここから離脱する」「女は…」
前述のとおりあまり「女」としてカウントされない私は、そういう声もよく耳に入った。要は男性がそういう話をしている場面に出くわしやすいし、そういう話題を振られることが多かった。「Aさんは違うけど、」という枕詞を挟んだ上で、「女は…」と語られる。
今でこそ「それ、女じゃなくて〇〇さんでしょ(要は個人の話)」と言えるようになったけれど、しばらくの間は擁護をすれば自分もそう思われるのではないかと思うと怖くて、この手の話題が出た時に否定することが出来なかった。ずっと悔やんでいる。
会社の人が噂をする「女は…」に自分が入ることが怖くて、これは私を少しずつ蝕んでいき、この立場でこの仕事を続けながら「結婚」と「出産」を選ぶことは出来ない、と思うようになってしまった。
性自認は確かに女なのに、自分が女であることを肯定できなくなっていった。
もちろん、活躍している女性だっているし、今の現状に満足出来ている女性がいるのもわかっている。
自分が気にしなければいいのだとも思うけれど、30年生きてきていい加減わかっている。私は他人の声を気にせずいられるタイプではない。
いっそこの業界が嫌いになれたら良かったなと思う。
女性の採用も増えたけれど、まだまだ圧倒的に男が多いこの業界を飛び出していけば、もう少し気楽に働けるのかもしれない。
でも、会社のことは変だと思っているし、決して誰もが働きやすい会社ではないと思っているけれど、この業界が担っている社会的役割だとか、やりがいだとか、そういうのは好きなのだ。
だから、やっぱり続けたい。
優遇してくれとは思っていない。
ただ、男性と同じところに立たせてほしい。
男だってつらい、という声も聞くけれど、男優位に作られた社会で、女と同様男にも悩みがあるだなんてどうして言えるんだ。立っている場所が違うということをわかっているんだろうか。
結婚適齢期で子どもを持つ同期が増えた。「やっぱ子育てもしながらっていうのは大変だよ」と言った彼は、毎日残業していた。彼は優秀な同期で、残業しなければ終わらないような会社の仕組み自体どうなんだとは思っているけれど、彼が毎日残業出来るのは奥さんが子どもの面倒を見ているからだ。他人の家庭に口を出すつもりはないし、1人が稼いで1人が家事を行うと決めているのであればそれも良いと思う。
ただ、この状態の総合職(男性)が圧倒的に多いこの会社で、この人たちと同じようにキャリアを積んでいくには、同じように働くしかないのだ、と思うと、まだまだ社会的に女性が家庭を守るべきという風潮が強い中でそんなことが可能なのか?と絶望する。
「キャリアと子育ての両立に男だって同じように悩む」と言っていたけれど、本当に同じなんだろうか。
同じだったら何故男女でこんなに差が出るんだろう。
「女は昇進させない」というほどひどい会社ではない。女だってちゃんと昇進できる。ただし、子育てを優先せざるを得なかった人たちの昇進スピードが落ちるから、見渡した時に男女で差があるように見えてしまうのではないか。だって男で子育てを優先した人は圧倒的に少ない。子育てを頑張りながら同じように昇進していくことはかなり大変なのではないか。周りを見渡してそう感じ、夜中に大泣きするくらい悩んだ。悩んで、今はとりあえず結婚・出産は考えられない、と判断した。
男性も本当に同じように悩むんだろうか。
大多数の男性社員と同じようにキャリアを積めた女性の、独身・子どもはいない率に茫然とする。
きっとこの人たちも大変だった。この人たちはもっともっと苦労して、女性が活躍できる場を広げてくれた。
ただ、こうでなければたどり着けなかったんだな、と思うと、自分が思い描いていた将来とは違うのだ。
一緒に頑張ろうと言っていた同世代の女性が、何人も「もういいかな、仕事は。子ども産んで適当にやっていくよ」と言うようになった。あんなにたくさん将来のことを話したのに、もう話せなくなってしまった。そういう道を選んだ、というよりは、諦めたんだな、と思った。
幸いなことにと言えばいいのか、この会社は「子どもを産んで適当にやっていく」ことも出来る。制度は整っているし、相談すれば配慮もしてもらえる。
そうだ、確かにたくさんいる。でも多分、男性の同期と同じようにキャリアを積んだ人は少ない。
だって私は現時点で、お子さんがいる先輩方を結構な人数追い抜いている。
それでいい、という女性がたくさんいるのもわかっている。でも、それでいい、と思わせるような構造になってしまっていることが、そもそも問題なのではないか。
男は、子どもがいようがいまいがほとんどが同じようにキャリアを積んでいくのに。
気が付けば私も、昔の私がその姿を見て茫然とした人たちと同じように、仕事だけを取る方の道に進み始めている。
これだけ家庭と仕事の両立が叫ばれる時代に、家庭を持たずに道を進んでいくことは、きっと後輩たちの光にはなり得ないのだと思う。私が昇進したところで、私が思ったのと同じように「あの人独身だしな…」と感じるんだろう。自分も思ったんだから、自業自得なのはわかっているが、なんて地獄だここは。
男性諸君は、諸先輩方を見上げて、「あの人独身だしな…」と思うことがあるのか?女性の待遇が上げられないというのなら、いっそ男性も同じように悩む社会になればいい。
そういう呪いにも近い気持ちが渦巻いている。出さないように、細心の注意は払っているけれど。
後輩たちの目標にはなりづらいかもしれないけれど、せめて家庭と両立を頑張ろうとする女性たちが働きやすくなるように、手助けが出来る社員にくらいはなろうと思う。
そもそも平等に働くことさえ出来なかった時代に、女性の社会進出の場を切り開いてくれた先人のように、後に続く後輩たちのために粛々と働くのだ。
自分がラッキーなのもわかっている。男性優位な社会で、男が圧倒的に多い会社に、総合職として入れたのだから。
それなりに力がある立場になろうと思えばなれる。トップダウンと言われようとも、権力を駆使して変えてやりたい。大企業が変わることは、多分それなりに意味を持つ。
私の心がそれまでに折れなければの話だけど。
日本社会のジェンダーギャップを埋める、ひとつの駒くらいにはなれるように。
なれるかな。
なれたらいいな。
この国に対してくそくらえとも思うけど、たくさんお世話になった人もいるから。
少しでも社会がよくなれば、それが一番の恩返しになると信じている。