「学問」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 学問とは

2021-03-08

anond:20210308093037

お客様がいったとおりに言った順番で髪の毛を染めたら

とってもすてき

おきゃくさまの思いつきって ばかにならないわね 物理学生って聞いたけど 美術もヤルじゃん

ぱーどぅん?

色を扱う学問美術専売特許じゃねーお

2021-03-07

anond:20210307205820

文字読む量は増えただろうな

sns駄文を読むのが学問になるのかは知らんが

今の若者は学ぶ量が増えたか

学問というジャンルに関わらず多くの分野で年月が経てば経つほど新発見や新開発により必要知識量は増えてる。

けど現在では考えられない習慣や無くなってしまった文化知識を覚える必要が無くなったので若者な学ぶ絶対量はあまり変わってないのでは?

ポリコレ棒うぜえと言うことはできても、それはまじめに聞くに値しないと思われてしまう現状が問題なんだよ

かにリベラルアンチリベラル意見だってインターネットで吐き出するぐらいは自由にできるさ。

書店に本を並べることもできるだろう。

流石にそれらを直接口封じされるほどヤバい状況にはなっちゃいない。

だけどそういうのって、学問だの批評だの言論だの民放テレビだのアカデミー賞だの直木賞だのNetflixだのの場からは、価値観アップデートができていない野蛮で遅れたアホの野次だとか、衆愚自尊心をくすぐる思想ポルノしかないと見られてるじゃん。

リベラル側がストーリーを語る権利がないがしろにされているってのは、その辺を指してるんだと思うぞ。

リベラル元増田からすれば「世間一般には非リベで保守の奴らのほうが多くて、俺らは数で負けてるんだから、優位にあるわけがない」って感覚なんだろう。

でもな、数の問題じゃねえんだわ。

なんだかんだいっても言論の中心ってのは、やっぱ格調高そうな大学先生とか、文化人とか、テレビとか、賞レースに参加する作品とか、大企業プレスリリースとかなんだわ。

たとえその担い手が人数としては少なくても、その辺を通じて出されるメッセージは、真面目なメディアを通して、真面目に扱われ、真面目に広められる。

アメリカFOXは、あの極端な保守があのメジャー度なの意味わからんしこえーな。扱われ方の実態をよくしらんので置いておくが)

虎ノ門ニュースだのまとめサイトだの平積み愛国本だのは、影響力と売上はあっても、結局ゴシップカスとり雑誌流言飛語のたぐいでしかない。

俺はあの辺に触れてないけど、たぶん愛好者層のほとんどは自分たちが好んでる情報がうさん臭くてバカにされるもんだってのは自覚してると思うぞ。

たとえばいくらソシャゲが売れてようと、そのプレイヤー達ですらゲームトレンドを作るのはコンシューマや大作PCゲーだと思ってる。

ユニクロヘビーユーザーでも、世界ファッションを動かすのはルイビトンだかエルメスだかだと思ってる。

重鎮というもの存在感はやっぱデカいんだよな。

今、言論における重鎮たちは圧倒的にリベラルが多いと思わないか

たまに芸能人だの思想家だのが非リベラルなことを言う場合、みんな「敢えて言う」とか「歯に衣着せぬ本音を」みたいな前置きをするか、「過激発言」みたいな後先考えぬ炎上芸ぽい奴ばっかりだ。


カズオは、リベラルストーリーを語る権利自分たち専売特許であるように感じてる、と言った。

僭越ながら俺が表現しなおすならば、「語ったストーリーを聞いてもらえる権利が、リベラルに偏っている」という問題だ。

もちろん厳密な権利論では、語られてる主張を聞くかどうかってのは聴衆に任せられる部分であり、語り手が「俺の声を絶対聞け!」と要求する権利はない(あったら世の中がやばいことになる)。

だが、非リベラル意見には、世間的な大義名分が与えられづらいのは確かだ。

リベラル意見は、真面目な高尚な場で、真面目で高尚に扱ってもらいづらい、ともいえる。

リベラル人間は、それは非リベラルというレッテルで聞くのを拒否しているわけではなく、実際に聞いた中身が余りに暴力的だったりくだらないから反対しているだけだ、と言うかもしれない。

でも、それはリベラル価値観暴力的でくだらないとされてるにすぎないのかもしれない。

世間的にも同じように判断されるはず?

ならますます不味いぞ、世間全体がリベラル価値観に寄ってるということだから


あと後編の方、何十も前の死んだ作家が非ポリコレからどうの、なんてのはどうでもいいとこだろう。

現代分析や警告をしてるんだから古典の話は関係が薄い。

露骨古典が燃やされだす、もしくはドラマ映画批評本で古典を題材に撮ったものが連発されだしたなら取り上げる意味が出てくるけどそうじゃないからな。

anond:20210306213555

レッドラインを超えそうというか既に真っ赤というか…

韓国大学生尊敬する歴史上の人物

「96.7%が韓国国内の人物」で「独立運動家が全体の70.6%」という調査結果がある。

大学生なら志す学問分野の偉大な外国人もっと挙がってくるべきだろ。

でも「96.7%が韓国国内の人物」で「独立運動家が全体の70.6%」だ。

まりにも多様性がないではないか

これは思想多様性を殺すような自国中心的な歴史教育の成果ではないか

レッドラインを超えたというよりは北に接する赤い国の思想統制のようだ。

韓国大学生尊敬する歴史上の人物1位は?

http://life.chosunonline.com/site/data/html_dir/2020/09/06/2020090680013.html

言及先:anond:20210306121755

2021-03-06

ネット右翼いわゆるネトウヨ本質左翼である

彼らにとって体制側とはリベラル思想世界であるので、それに反発しているわけだ。

だがこの反発の正体は社会革命などという大それたものではなくもっと家庭的な問題に起因している。

もともと日本戦後左翼自分の親(この親も戦争PTSDなど抱えていた可能性もあるが)と折り合いがつけられなかった子供たちによって構成されており、

ゆえに主に父親への反抗の一環として革命運動を行って来た。

現代見方で解析するなら恐らくはアダルトチルドレンに属するだろう人々だ。

それと同様、トラウマ治療することな自身の家庭問題を逃避する形で、怒りだけを社会に持ち込んで居場所を作り出した、それがネトウヨコミュニティ

では俗にパヨク支流には俗流フェミニズム弱者男性論も入る)と呼ばれている人々は何かというと、これはネトウヨコミュニティが異なるだけで本質的には同じなのだ

彼らもまたアダルトチルドレンである。だがこちらはもう少し複雑な状況である

ネトウヨコミュニティ男性が先に作り始めたが故に基本的に男社会なので、男性的でない男性女性には入りづらい。

から周縁的な人々がしばしば行きがちな外国への憧憬に寄り集まり海外流行っていた「リベラルっぽい」集団形成した。直接向こうでリベラル思想を学んできた人々としばしば正反対言動を取るのは彼らが学問として体系的に取り込んでこなかったかである

まりパヨク世界ネトウヨに対するカウンターカルチャーである

だがどちらも確固とした社会思想も信念も持ち合わせていないうえに、そもそも本当に社会をよくしたいとは思っていないため、同じ相手と同じ問題についていつまでも解決しない論法によってぶつかり合い、非建設的な言い争いで延々と絡み合い続ける。傷のなめ合いや互助を反転させた関係だ。

彼らはいつまでも社会の周縁で幻想の父母を求めながらのた打ち回るだけの存在なのである

anond:20210306141205

これはたしかにそうなる

電子化学という学問はそりゃおきる

2021-03-05

anond:20210305002558

いわゆるリベラルの話とは関係なく「リベラルアーツ系」の話をしている可能性。

リベラルアーツ系」というのがどういう人達か今一わかりにくいけど、「リベラルアーツ系の学問を修めて大学卒業したような人たち」のうち、世界を飛び回ってそうな感じの人達ではないか

またいわゆる日本語でいう「リベラル」はアメリカでいう「リベラル左翼」に意味が近く、その結果リベラリズムとそこまで関係なくなっていると思う。

2021-03-04

生理用品安くなって欲しい」みたいな意見はすごいわかるんだけど、「片親で貧乏で、地方出身、進学で上京したらもう生理用品買うお金ない」って意見みたら、なんで地元で進学しなかったのか不思議に思った

上京したら余分に金出て行くのなんて当たり前じゃん

就職のために、夢のために、学びたい学問のためにというのはわかるよ

私もそれで上京してるし

でも「上京したせいで金ない」は知らんがな

地元で生きる道もあったのに

謎すぎ

2021-03-03

anond:20210228103452

多くの人が大学指導されて身につけるようなレベル文章構成技術を持っていること、つまり独学でスキルを高める努力をしてきたことを感じて賞賛のつもりで書いたんだとは思う。

ただ、センシティブな部分ではあるので書き方に細心の注意を払うべきだったけど。

大学文章作成を含む学問能力を高める教育機関なので、大学に行っていないのに学問能力が高いは差別偏見とまでは言えないと思う。

野球部所属したことがないとは思えないめちゃくちゃ速い球、みたいなもの

これが女性とは思えない学問能力の高さとか、黒人とは思えない学問能力の高さと言ったなら属性スキルに関連がないか差別

2021-03-02

id:muchonov さんは嫌いと規制混同していませんか?

anond:20210302093544

偏見という根拠のない前提は止めませんか?

「(内心で)嫌う自由」と「(偏見に基づいて)嫌いだと口にする自由」は全く別のことだよ。

もとの文章には偏見にもとづいているとは書いてありません。「マイノリティを嫌いになるのは偏見しかない」とmuchonovさんも偏見に基づいているのではありませんか?「増田さんの嫌いは偏見だ」と根拠のない前提をおけば、増田さんに対して、偏見を口にするなとmuchonovさんは言えますが、増田さんの心には届かないでしょう。

根拠な「嫌いと公言=黙らせる」「嫌いと公言差別」という置き換え

増田は「私の自由規制されている、私を規制するな」と主張するけど、「偏見にもとづいてマイノリティを嫌いだと公言する自由をよこせ」というのは「彼らを黙らせる自由、彼らを抑圧する自由をよこせ」と言っているのと同じなんだ。

なぜ同じなのでしょう?誰かひとりからでも嫌われているなら、彼らは黙らなければいけない、という掟があるのですか?

容姿に恵まれない、知性に欠ける、収入が乏しいなど、人は簡単に嫌われますが、これらに関して嫌いを公言するのも、muchonovさんにとってはダメなんですか?

で、自由民主主義社会価値観のなかでどちらが優先されるべき自由かと言えば、〈誰かを公に差別する自由、嫌いと表明する自由〉よりも、〈誰かが(他者の同じ権利侵害しない限り)自分自身として存在できる自由本来のかたちで生存する自由〉のほうだ。

差別と嫌いと表明することは、違いませんか?

過去コメントから

muchonovさんはあるコメント

ここ重要批判規制>「左翼リベラル派の中で、最近、「問題だと思われる表現」に対して、それを批判していくことと、表現規制することが混同されてしまう傾向が出てきていて、正直かなり気になっていました」

と書いています。「嫌い」は批判と同じように規制ではありません。増田さんは嫌いだから規制しよう(規制する社会にしよう)とは書いていません。この重要な点をmuchonovさんは無視して、嫌いと規制混同していないでしょうか?

このコメントでmuchonovさんは

自分はチキ氏と逆で、他大の院から成城大学大学院博士課程に行きました

と書いています大学院学問を修めたのであれば、自分の主張に便利な前提や置き換えを使わず説明し、自分重要と考える点を踏まえたほうが良いのではないでしょうか?

anond:20210302140204

数学苦手系(英国社も別に得意ではない)人財文系が大量に引き取ってる。

何でもできるので学問として文系テーマを選んだという人もいるけど、どうしても埋もれちゃうね。

2021-03-01

anond:20210301210650

根本的には医療と違って学問は金にならないため難しい。

金になる分野の人は普通に秘書雇ってる。

anond:20210301012721

メンタル問題というのは「考えすぎての頭の疲労暴走」だからな。だから、まず第一にまず休めが来るんだよ。

そのうえで、アカデミアを去ることはもう念頭に入れているみたいだ。だけども、頭が暴走しているときというのは判断が腹落ちしない。だから、休め。休めば腹落ちするだろう。というのが解となる。

しかリアルだと、上記みたいな聞ける状況じゃない、こちらに依存してきたり、逆に裏切られたというのはあり得るだろう。だけど、ネットから突き放すこともできる。

一方で自分側の不満のはけ口として使おうというやつが湧いてくるのもネットならでは。

アカデミックが望ましいのか?そもそも日本アカデミックは特に昆虫研究みたいな実用的じゃない学問でやりたい研究ができるのか?というのも問題だが、それは枝葉だ。

まあ「楽しいこと」なんてのは、本業じゃなくて趣味でやり続けるのが正解だと思うよ。本業としてやると魑魅魍魎の餌にしかならんって。

2021-02-28

anond:20210228185300

まさに偏差値が高いからな

情報系には不向きなんだよ東大って

アイドルじゃないけど、おバカ学問という側面は合って

けっこう偏差値が低いほうが案外適している人材を生み出す

隠れた業界IT産業アイドルみたいな感じなんだよ、おバカのほうが向いている

anond:20210228182601

なんの賞賛?金なら情報とは言われるが、人間性なら声優だろうな

なにせ情報機械学問だし、機械結婚したいって人も多いからな

逆に過去作品タイトルをなろうフォーマットに合わせればまた流行ったりするのかな?






anond:20210228132650

学びたいという気持ち馬鹿にしたものではないと思うよ。「憧れの職業に就きたい!」と思った人の中で、その職業に就ける人はごく一握りであるように、行き着ける人が少ないからこそ価値があるとも言える。

ただ、そこに行きたいと思う人の数が多いことは、その職業学問社会的価値担保することに繋がる。

リスペクトが多いことは好ましい。そのリスペクトを無碍に扱わないことだ。

社会人学問

研究職をやっていると大学同級生から「私も研究したい」「大学院行きたい」「もう一度大学行って勉強したい」と結構言われる。

こういう人はいつまでもそう言っていて、何もしない。何もしようともしない。

一方で上のようなセリフを言わず、黙々と論文や専門誌、関連の新書著述を読みながら、日々の仕事をこなして活かしている人がいる。

さらに踏み込んで、住んでいる地域大学の聴講生やっている人もいる。

一番上のようなセリフをいう人間は、研究とかアカデミズムとかの威を都合よく借りたいだけなのだと思う。

そういう人にそれぞれの街にある大学の聴講を薦めると、「いや時間ないし」とか「体調が」とか「研究センスいから」とか言う。

一番ひどい回答は「いやあそこは市立大学でレベル低いし」だった。

もちろん本当に都合がつかない場合身体事情も多いのだろうけれど、上の人の場合は、個人的には言い訳であると思う。

無理ならば、なんどもふわっと「研究したい」「大学院行きたい」「もう一度大学行って勉強したい」などと言うべきではない。

学問で格好をつけようとするべきではない。

少しずつでも、関連する本を読むくらいはできるはずだ。というか学びたいなら身体がそう希求するはずだ。

繰り返すが黙々と本を読みシンポジウムに参加し、そこから何か実践している人たちがいる。

そうした人々がいる以上、上の「口だけ」の人は知らず知らずのうちに恥ずかしい言動をしているように思う。

2021-02-27

学問に対する誠実な想いがあるわけでもなくただ単に学歴がほしいとか良い会社就職したいという理由大学に行っている人間が大半である現状を無視して”大学教養を身に着ける場ですぅ”とかカマトトぶってんじゃねええよ。

 

大学図書館が好き

大学図書館結構いろいろな本があると思う

その大学にある学部にもよると思うが学問に関するものはもちろん小説なども多く置いてあり、単純に小説を何か読みたいなと思えばいろいろあり迷うことも多い

あと、辞典関係に関しても面白いものが多いと思う

ニッチものだったり普段触れる機会が少ない分野に関するものもあり、適当に手に取りパラパラと読むだけでも面白い

本棚の間を歩きながら本の背表紙を見ていると気になるものも多く単純に楽しい

知らない学問に関しての本や論文を読むと学問世界の広さを感じることができ、そこから興味が広がれば図書館には様々な本があるのでまた興味のあるものを探すことができる

楽しい時間

2021-02-26

anond:20210226164002

そもそも自然科学を含む全ての学問反証可能性を持っているから、そういう事言いだしたらどうにもならん

複数趣旨の違う論文比較した結果を妥当とする以外にない

2021-02-25

兵庫は頭がおかしいのが多いから好き

兵庫ってのは本当に面白い人が多い。

以前、側溝からスカートの中をのぞいていた男が逮捕されていたが、

この人、スカートを覗くために側溝におったんやなくて、

狭いところにはさまるのが好きという性癖の持ちぬしやったんや。

兵庫はこういう変態がたくさんいるかスポーツ学問で優秀なやつがたくさん排出される。

うらやましい。

キサマ等の居る場所は既に上野千鶴子が30年前に通過した場所だッッッ

https://anond.hatelabo.jp/20210201211448

一枚の切り取り画像をみなで寄ってたかって論評していて、誰も引用元の本を読んでいないようなので、前後を引いてみよう。

古市 上野さんは、社会学者であると同時にジェンダー研究者でもありますが、その2つの間で葛藤はないんですか。

上野 ない。どうして葛藤があると思うの?

古市 社会学者というのは、それが社会科学である以上、中立的物事を見るっていう視点必要だと思うんです。一方でジェンダー研究者としての上野さんは、「社会はこうなるべきだ」という社会運動家の意識も入っているんじゃないですか。

上野 いね、キミは。社会科学者って中立的なの?

古市 でも、経験的な現実にもとづいて何かを研究結果として導き出すわけじゃないですか。そういう行為と、ある方向に社会誘導する行為は衝突しないんですか。

上野 正しい戦略を立てるには、自分が戦うべき対象を正確に理解しないと間違ったことをやるのよ。おまけに効率も悪くなる。

 私はね、『家父長制と資本制』という本を書いた時に、それがつくづくわかりました。家父長制も資本制も、私が嫌いな二つの敵。それを分析したら、どこが弱点なのかがはっきり理解できた。

古市 じゃあ、初めにもう戦うべき相手があるわけですね。

上野 当たり前ですよ。だって、問いが立つというのは、そういうことだから問いに公平も中立もありません。

社会学者科学・公平・中立)とジェンダー研究者社会運動家・嫌い・誘導)は、上野の中では相反も矛盾もしておらず、葛藤はないのである。それは社会学の定義に起因するものだろう。

上野 そもそも社会学というものは、自己言及的な学問。つまり自分の言説そのもの現実の一部を構成していくという言説活動ですから、そこは戦略的に考えますよ。これはどういうことかというと、社会を外部から客観的」に観察することはできない、なぜなら誰しも社会の一員であり、社会の内側から見える範囲を照らしていくことしかできない。しかも照らすことによって、社会自体が変わってしまうこともある、というものです。

 だから社会学的に何かを調査分析する、ということは、社会に対し自分が超然として観察者の立場に立つのではなく(そんなことはできない)、自分社会の一員であり、自分がどうやって社会を見ているのか、ということを自問自答しながら進んでいくものなのです。

 この自問自答から全力で逃走しているのが、「社会学」をヒステリックに叩く人々の実態なのではと私は考えています。なぜ逃げるのかといえば、自分はこう思う、と表明すると、時に間違えることもあるかもしれないし、バカにされたりもするかもしれません。そういったリスクから逃げているのです。

 「社会学」叩きをする人々は、やたら人の意見表明を「お気持ち」と、まるで無意味であるかのように攻撃します。それは、実は碌な意見もない自身空虚を糊塗するために、人を攻撃しているのです。それが誤りであることを指摘した学問こそ、フェミニズムでした。「個人的なことは政治的なこと」という。

 だからそういった人々は、「客観的」とか「科学的」といった概念に逃げ込みます個人的なことは問題ではない、客観的科学的でなければならないのだ! ですが、社会科学人文学では、先の図のように、「客観的」というのは成り立たないのです。自分が何者であるかを問い直し続けないといけません。

社会学という学問についての前提が違うから議論が成り立っていないように思える。

引用元古市憲寿『古市くん、社科学を学び直しなさい!!』(2016) pp.73-74 p.76

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん