はてなキーワード: 中学生とは
中学生の時のを虐げに含めない考えなのか?
20代にして何語ってるんだって感じですけども。タイトルの通り、恋愛話を避け続けた結果友達がいなくなりました。ゼロではないですけどね。
中学生あたりの頃から、恋愛に対しての興味が薄れていっていったんです。原因として考えられるのは、ハードな部活に入っていたっていうのと完全な見た目のコンプレックスがありまして。部活のせいでかなり痩せていて165センチで45キロもないくらいには細く、チームメイトからも気持ち悪い扱い。しかも一重で歯並びも悪く、猫背で剛毛が故に髪も伸ばせない。こんな見た目の自分が嫌いで仕方なかった。そうするとどうなるか。
「この人いいな」って思っても「どうせ私なんかと」という事になりますよね。じゃあ恋愛しなくていいじゃんって結論付けるのはそう早くはなかった。
これって呪いで、いつまでも解けないんですよ。今だってそう。ときめきを一生懸命蓋をして生きてきたせいで、その蓋の開け方がわからなくなってきています。
話を戻して、そんな訳で恋愛を全くしなかった私。それでも友人は多かったんです。趣味が合う友達、ノリの合う友達、いろいろいました。だけど年齢が上がるにつれてどんどん恋愛話の割合が増えていきました。大学に入るとそれが顕著になり、趣味の話やたわいもない話以外は専ら恋愛話みたいなものです。
そうなると絶対に聞かれる事、「〇〇はどうなの?」そりゃ、みんな人の恋愛話を聞くのが大好きですから、わたしにも聞いてきますよ。だから決まって「そういうのは全くなくて」「推しにしか目がないからさ」と場を濁して避け続けました。嘘でもつけばいいかもしれませんが、女子の恋愛トークはとにかく詳しく聞きたがるので隠し通せません。どうしてもってときのネタはひとつだけありましたので、それを掻い摘みながら話をしたりもしていました。
だけどどうしても問題になるのは彼氏がいない事。彼女たちは彼氏とのイチャイチャ話も大好きですから、定期的に彼氏を作ってはそういう話をします。ただそれだけは私には出来ないので聞くだけになりますね。そうなると、どんどんとそういう場に呼ばれなくなります。そういう場に呼ばれないとどんどんと距離が離れていきます。つまりはそういう事ですよね。
じゃあ恋愛すればいいじゃんってきっと思うかもしれませんが、先程も言った通り外見コンプレックスの私には無理な話です。恋愛をしなさすぎて最近は恋愛自体が気持ちの悪いものに見えてきて、ドラマすらも見れません。
そいつらとはいずれ縁が切れる?そうかもしれませんね。だけど私だって恋愛したくなくってしてないわけじゃないんです。もっと可愛い女の子だったら、きっと恋愛できたはずなんです。
今はこの自己肯定感低すぎ女を改善すべく自分に投資していますが、いつになれば恋愛できるんでしょうね。それか私がこの恋愛至上主義な世の中をぶっ壊すかどちらかですね。
タイトルとはかけ離れてきたのでここまで。
みんなは自分を1番素敵やと思って生きていくんやで。私みたいになるな。
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私は昔から昆虫、特にゴキブリに興味を持っていました。それも所属していた学校の部活(生物部)でゴキブリの観察実験をしたいと提案したり、生物系の大学に入学したらどこかの製薬会社に就職して毎日ゴキブリの世話と研究をするんだ!と中学生の頃に本気で思っていたくらいには。所属している部員と顧問全員にその実験だけはやめてくれと言われたけど拒否の仕方が「気持ち悪いからやめて!」とかではなくもっと遠回しな表現だったのでありがたいことに周りに理解されていたんだな、と思っています。そんな感じで周りの環境が温かいのもあってゴキブリ展を見に行ったりゴキブリについての本を購入したりと趣味の範囲内で自主的に学ぶ機会も多く、専門的にゴキブリを学んでいる方たちには遠く及ばないものの同年代(現在高校生)の多くの人たちよりはゴキブリについて知っているんじゃないかな~と自惚れてもいます。
だからゴキブリ好き(?)な私は今日公開された新種のゴキブリ発見の記事を読んだ時は小躍りして喜びました。その勢いでゴキブリ有識者の方たちのツイートも見ようとしました。しかし最初に目に入ったツイートがアース製薬公式とクラシエ公式のやりとりだったのです。
◆
なぜ『衛生害虫を駆除する薬品を作っている企業』と『暮らしに関わる企業』という衛生害虫について理解していなければいけない立場の広報担当が衛生害虫としてのゴキブリ(ワモン、クロ、チャバネなど)とそれ以外のゴキブリ(主に分解者としての役割を果たしている種)をいっしょくたにしているのか。なぜ「嫌なニュースですね」など言えるのか。
ごく一部のゴキブリが衛生害虫として印象深い存在である以上、ゴキブリ=気持ち悪いの風潮は仕方ありません。広報担当の方が薬品の開発担当の方ではない以上、ゴキブリ=害という認識を持っていてもなんらおかしくはありませんしそれでも構いません。しかし新種の2種が人には害を与えない存在であることは記事を読めばわかるはずです。というかずっと発見されていなかった種、つまり今まで人と関わることのなかった種が人に忌み嫌われ続けている衛生害虫と同じわけないと考えなくてもわかるでしょう。また新種の生物発見のニュースは本来喜ばしいことなはずです。それを公式アカウントという多くの人の目に入る環境で『嫌』と表現するのは如何なものか、とも思いました。
ただクラシエ公式が謝罪している以上このままいろいろ文句を言い続けるのもな、って感じなのでこの件に関するお気持ち表明(笑)はここまでにしようと思います。
◆
ここまで無駄に長い文を打ち込んでいて「今私がとっている行動はタカラトミーやアツギの件を批判していた方と同じだな」と思いました。自分が属している『女性』というグループに関することですらあまり感じることのできなかった問題が興味のある生物を通してここまで身近になるなんて正直びっくりです。今日クラシエ公式がゴキブリについて言及しなければ公式ツイッターでの問題発言という社会問題なんて一生対岸の火事だったかも。もちろんクラシエのあれはあまり褒められた発言ではないし見ていてなんだかイラっとしたしあんまり納得もいってないけど社会問題に触れるいい機会だったんだな、と思います。公式アカウントの中の人ではないし今はまだ呑み込めそうにないけどこの件が興味のあるものを通して視野を広げられるきっかけになったらいいな。
自分で頭を使って目標を設定した事もなければ、何かを勝ち取る為苦悩した経験もない。
だから自分の中に確固たる自信がない。求め得るゴールをそもそも定義できていないからだろう。あるはずのない理想を追い求め、そのくせに他人との「差」ばかり気にしてしまう。
思い返せばこれまで、その他自分が「これをやっている」と思っていた事全て、自分の価値観ではなく他人の価値観の下設定された目標を「やっている感」を得る為になぞっているに過ぎなかった。
自分の内面からあふれた「やりたい事」ではないしそれを元に設定された目標でもない。
だから辞める事なんかいとも簡単にできたしありたい姿がないのだからそれに向かって苦悩し努力する事もなかった。
思い返せば自分がこれまでの人生で心から好きでやっていた行為…絵を描く事ぐらいである。
絵を描くという行為は中学生という思春期真っ只中の社会においては気持ち悪さの象徴だった。
俺は小学生から中学生に上がるにあたり、自分の性格や行動、人との接し方を変えたつもりはなかったが、
だから俺はやめた。自分の好きな事や考え、価値観を貫く、守る為に戦わなかった。
その時点で俺の負け犬根性は完成されたのかもしれない。
小学生のころからお前はすぐ人に流される。自分の考えがないのかと母親に言われた。
俺はその言われている意味すらわからなかった。仲の良い友達とただ自然に楽しい遊びをしているだけだった。何も考えていなかった。
物心ついた時から太っていた俺は基本的に他人よりも人としての価値が低いと思っていた。
人間ではなくデブとカテゴライズされて15年程生きたので、自分が自分を人として認識できるまでにずいぶん時間がかかった。
俺は彼女を愛していたし彼女も俺を愛していたと思う。大学1回生の時に俺が彼女への興味が失ったので別れた。
なぜ興味を失ったのか?恐らく自我を手に入れた。自分を人として認識できた事で、広い世界に出たかったのだろう。
その後できた彼女に対し俺は狂った。
彼女の行動を監視していたし日常的に説教していたように思う。当時はそれが正しいと思っていた。
今となっては、何もない自分を埋める何かが欲しかったのかもしれないと感じている。
就職活動を通じて俺は自分の虚無さに絶望した。やりたい事もなければ、人様に誇れるような能力も知能もない事がわかったからだ。
当時もやはり自分の頭を全く使わず、先輩やネットの言葉を鵜呑みにしながらもなんとか某企業に入社できた。
入社した会社は最高だった。ただ最高という評価は後から振り返ってみてできた感想なのであって、当時は辞めたいと言っていたし思っていた。
その会社は体育会系長時間労働のブラック企業で、毎日7時~23時ぐらいまでは働いていたし、パワハラ・暴力も当たり前の環境だった。
週末は同僚と上司の愚痴を肴に朝まで飲むような、絵にかいたようなクソ会社員だが、今考えるとこのころが一番楽しかった。
なぜなら、会社は一部上場で成長中、それなりの金がもらえた。それでいて一部の有能による指示の下、頭を使わず管理だけされてればよいのだから、低能労働者には最高の環境だろう。
実際に何も考えていないのに何か考えているつもりになりながら、長時間労働に精を出した。
その環境で俺はそこそこ評価されていた。俺は完全に従順だったし、恐らくこれまでの新人よりは根性があったのだろう。
俺のような低能にそれなりに飴を与えてくれていた上司や先輩も、俺と同じ様に軍隊式の環境に飼いならされた兵隊だった。
数年後異動した。これまでと打って変わって何も指示されない環境下となり、俺はやはり低能だった。
しかし運良く評価はされていた。俺は自分の頭を使って目標を設定し責任をもってそれを実行する能力はないが、言われたことをそれなりに見せる能力と、コミュニケーションにおいてなんとなく良い奴に見せる能力はあった。なので環境が味方し、俺は昇進試験に受かり、小さな自尊心は満たされた。
だが、つくづく俺は低能なので、転職・副業ブーム、アフィリエイターのカモになった。
何も考えられないのに何も考えずに転職し、年収が数百万下がった。
そこそこの会社の正社員という宝を自ら手放し、俺は底辺になった。
俺は今、生きるのが苦しく、しんどく思っている。
この状況を変えたいと思っている。でも、なにもないのである。自分が何を追い求めたいのかすらわからない。そんなことをしたことがないので。
おそらくこういった事に悩み、思いを巡らし、何かしらの答えを見つけ、歩みだす行為は、大学生までに終わらせるか、一切気づかずに生きるか、どちらかであるべきなのであろう。
ただ俺は28歳というええ年もええ年で気づいてしまった。自分がいかに低能で、頭を使ったことがなく、自分の人生を生きたことがなかったかを。
私の昔話を思い出して書いてるだけです。
思い出したこと書き出してるので
よく分からない文です。どうぞ。
両親は母と血の繋がりがあり、父とはありません
今の父とは血が繋がっておりません
そんなややこしい家系でも
仲良く暮らしてたと思っていました
私が両親と縁を切るまでの話です。
私は私が生まれて3ヶ月の時に
当たり前ですが当時の記憶はありません
聞かされていたのは
「実父はお前と私を捨てて女と出ていった」
だけでした。
見た目通りその人はヤクザ屋さんでした
娘の私でさえ母に触れることができなかったと
聞いています
母と私は個別に部屋を分けられ
日々が1年ほど続きました
ありませんでした。
月に何回かは会っていました
その間に紹介された母の彼氏その②は
いい人そうでしたメガネかけて真面目そうな
クレイジー野郎は韓国人との間に子供をもつのが夢だったみたいで
お付き合いしたそうです。
久しぶりに会ったら母親は身ごもっていました。
結婚をしていました(知らなかった)
母は私に「ママと一緒に暮らすか、このままおばあちゃんと一緒に暮らすかお前が選べ」
と言いました
その事を祖母に伝えました
祖母は「お前はばあを捨てるんか!!
あんたをここまで育ててきったたのはだれやねん!」
泣きながら私に怒鳴ってきたんです。
当時1年生ですよわたし??
そんなこと言われたら
私が間違ってるんだと思って悩みますよね
結局少し悩んで母と住むことにしたんですけどね。
すごい顔してました。
育ててくれたものの甘えに甘やかされ
お箸の持ち方はおろか、
教えられて来なかったんです。
躾されました
わかった上でこの先ご覧下さい
まだミルクを飲んでいる弟と私、父で
母のいない間留守番をしていました
父は母の送迎をしていたのですが
母を職場に送り届けると父は
死んだように眠って迎えの時間まで起きることは
ありませんでした
母を迎えに行くのは深夜1時
まだ夜泣きをする弟の面倒をみてました。
後に産まれてくる妹2人がいるのですがそれまで
この生活を続けました
全員で5人兄弟です
水商売をやめました
父は子供を見ることはありませんでした
私は中学生になりました
きしょメンヘラになりました
母が昔していたバスケ部を選んだのが間違いで
母はキャプテンをしていたのですが
貶され、罵られ、靴やボールも
1番安いもので揃えられました
それは全然いいんです、実際下手だったし
弟が野球を始めました
全部高級な物たちが揃ってました
言う事聞かなかったりわがままを言うと私だけ
地元の山に置き去りにされたり、
昔は私が言うこと聞かないからだと思ってました
でも今思えば同じことして怒られてるのに
門限があったんですよ、うち
門限は18時で遊びたい盛りの高校生
守るわけないじゃないですか、、
門限を破ったその日から数日
晩御飯が出てこなくなりました
仕方ない、門限守らなかった私が悪い
みんなが寝た頃にコソコソ晩御飯を食べてました
そんなことをしていたからか
ゴキブリ呼びがムカついたので
飯食わなくなったんですよもう3日ぐらい
そしたら母親はその事を仲良い隣人に伝えてたみたいで
あの時人の優しさに触れた感じ、
ほんとにありがたかった
この一件から何をしても母と言い合いになって
父とも上手くいかなくなって
一人暮らしを始めたんです。
生活はほんとにほんとにほんとに
クソ女、アホって呼ばれることもないし
家の物食べる度にお金払わなくていい
父の機嫌を伺って過ごさなくていいし
殴られなくていいし
父が兄弟を殴ってる姿も見なくていい
暴れてる姿を見なくていい
服を無くされることも
お金貸さないと誰がお前を育てたと思ってるねんって言われなくていい
18年間辛かったなぁ
無いと思うけどもしこれを両親が見てくれたら
こう伝えます。
もう二度と会いませんように
中学生くらいのイキリっぽくて恥ずかしいな
中学生の頃、私は学校内で、いや、おそらく市内・県内でもトップクラスに頭が良かった。
中2からクラスに馴染めずにいたけど、受験前から、休み時間に勉強を教えてくれとせがまれることが増えた。
高校受験に大成功し、国内トップの国立高校に合格したものの、金銭面と体力面を理由に、県内トップの公立進学校(自称ではない)に進学した。
高校に上がる頃、私は、頭が良く、勉強ができることが全てだと思っていた。
そんなときに出会ったのが、ライトノベル「バカとテストと召喚獣」だった。
詳細は割愛するが、あのライトノベルを読んで以来、私は、「本当に頭が良い人」とはどういう人なのか、
「教育」とは、「子供を、人を教え育てること」とは、いったいどういうことなのか、ずっと悩み続けている。
大学入学後には塾講師、現在は教材メーカーで仕事をしているが、
自分が本当の意味で「教育」に貢献できている、という実感はない。
どういう人間を理想としているのか。何を伝えたいと思っているのか。
(小説は手元になく、買おうと思ったがどうにも手に入れにくい状況になっているようだった)
自分のために、誰かのために、本気で考えて行動できるだけの頭があれば、それでいい。
生きる上で必要最低限の知識があれば、他は興味のあることや、それを学ぶのに必要なことを学べばいい。
私はそうやって生きていきたいし、子どもにはそうやって生きてほしい。
これが、私の見つけた答えだ。
けど、教育は変わってきている。
何かを届ける方法は、日々増えてきている。
テストの点数を上げて、勉強ができるお利口さんを量産することが教育じゃない。
勉強の楽しさを知ってほしい。
誰か教えてほしい
どう見ても中学生レベルの画力のエロ二次創作を発表するどう考えても30代以上の人間と、
それに誉め言葉を投げかける人たちって、なんなんだ
LGBTという言葉が流行りだした、俺が中学3年生の頃であった。
友人のAには俺が受けたい高校を伝えた結果、同じ学力帯であったのも理由で自分の志望している高校を勧めた結果、同じ高校を目指そうという話になった(自分の学区から進学する学校は大体偏差値40後半といったところで、俺とAの受けた高校は偏差値60中盤というところ)。
天才という訳では勿論ないのだが、俺の学区の中では上位だったと思う。
ある日、俺が給食を食べ終わり便所に向かうと、男子生徒が複数名居た。その男子生徒たちとは運動部に所属していた(中学2年生でドロップアウトしたのだが)ため、ある程度の関わりがあったのだが彼らとの雑談から派生してこのようなことを言われた。
だが、他人のセクシャリティという「玩具」を見つけてしまった無邪気な男子中学生の一言にただ衝撃を覚えていた。
「何で」
という一言しか出なかったが、理由は彼らにとって明快であった。
「Aと同じ学校に行きたいんでしょ?笑」
明快、というのは訂正したい。短絡的である。
短絡的な思考から醸造されたその言葉には、度数の高いアルコールよりも他人を不快にさせる力があった。
「そうだけど、俺が先に志望したからサ」
と呆気羅漢と答えた。すると彼らは
「じゃあAがバイなのか笑」
と茶化してその場を去っていった。
給食を食べた後には勿論授業がまだあったのだが、二日酔いのような気分で授業を受ける羽目になった。
俺には女性と付き合った経験が当時はなかったのだが、Aにはその経験があったため、俺はゲイとして扱われてAはバイとして扱われる。そういう理由を考えられたのは帰路についてからであった。
他人へのセクシャリティへの言及に対しては、ジェンダー論だったりが絡んでくるだろうから俺自身も割愛したい。
だが、異性経験がないからといってその人間が同性愛者である。という思考は些かに短絡的と言わざるを得ない。
当時、自身もセクシャリティという概念を一種の話題として軽く捉えていた部分があった。
しかし、この出来事における彼らの短絡的な思考を模倣してみれば、俺の学区では偏差値40前後の同じ高校に結構な人数が進学するため、全員が同性愛者、両性愛者etcになるのでは。
そう考えていたら午前2時を回っていた。
中学生かな? 元気だね
今日、中高の思春期を過ごした関東の片田舎で、初めてキャバクラに行った。
俺は、もう高校を卒業して10年以上経つが、卒業後に東京で過ごし、社会人になり、新宿渋谷新橋などなど、都内で夜遊びを沢山した。
そこにはピッチピチの20代から女性の色気を突き詰めた妙齢女性まで様々な女の子達がいて、その世界観は十分に理解したつもりだった。
しかし、今日、ふとしたきっかけで思春期を過ごした街へ出向く機会があり、そのまま帰るのもなんなので、そのエリアのキャバクラに行ってみた
するとどうだろう。都内であればランカーで金のかかりそうな容姿を持った素敵な若い子がゴロゴロいた。しかし、話してみると皆純粋無垢な子達で、キャバクラでの営業はかくあるべきだという軸を知らないではないか。
そこで、お金を稼ぎたいなら、もっとこういう接客を身につけて、こんなかた田舎でなく少し足を伸ばした都内で働いた方が儲かる旨を伝えると、初めて二次関数を丁寧に教えてもらった中学生のごとく感謝され、今度2人で呑んでから都内のキャバクラを見学に行こうという流れになった。
嬉しい
けど思ったんだ。今まで都内にいた子達は、こういう助言あってあそこにいたんだなと。
おれが初めてと思って楽しんでたものは、過去の先輩たちが教えこんで成り立ったコンテンツだったんだな。と。
やけに感慨深くなり、フラフラの頭の終電ではてブに筆をすべらせてしまった。
全国の夜遊び好きの先輩たちに届けたい。