はてなキーワード: メンタリティとは
今日は休みだったので人と会ってしゃべって、そのうちに相手が愚痴というか、具体的には人生がつまらんとか上手くいかんとか、そういう話をしていた。
だがなぁ!君は少しでもそうなりたいように努力したのかね?あるいは今後辛いことでも多少は頑張っていこうと思っているのかね?
ただダラダラして楽したいことばかり普段考えて行動しているくせに、そして文句ばかり言って、それで本当に人生楽しくなったり面白くなったりすると思うのかね?
といった話をしたら相手はキレ始めて「あんたは良いよね」とか言っていた。
別に私はものすごく努力していたり人生が格別に面白かったりするわけではないけど、そうしたものを獲得するためには少しでも頑張ろうとは思う。
そのメンタリティくらいはあったって良いじゃないか。なんで頑張ろうと思う気持ち(を自分以外の人間が持つこと)に対してすら否定的になっているのか。
読んでる人ならわかると思うけど
彼女が出来たと勘違いで舞い上がらせてから地の底にたたきつけて
仲間達から半笑いでフォローされて女から引き気味に対応されてというアレ。
何が面白いのあれ。
久保ミツロウの漫画に不快さが似てると思ったらこれも作者が女なのな。
あとなんかすごい試練を男主人公に課すのが好き。
肉体的にハードな試練とかならまだしも
ああやって嫌な思いさせられて恥掻いて笑われて
みたいなことたびたび繰り返してたら
普通はもうまるごと嫌いになるだろ。
モルジアナとかに会うのもこそこそと避けるようになるよな。
彼女ぐらい絶対作れるでしょすぐ。
特に、こういっちゃ何だけど、
でもそうはしない。
そういうのは女作者の欲望とは違うから。
多分モルジアナのためだけにこれからも苦しんだりプライド傷つけられたり嫌な思いをし続けるんだと思う。
(モルジアナの為に戦って肉体的に怪我したりするならまだいいんだけどさー)
少年漫画でそういうのやるのはやめてくれよ。
女だって少女漫画誌で男性作者が男視点のエロとか萌えとか描き始めたら気分よくないだろ。
俺はあれだぞ、腐女子に何故か偉そうなこと言って排斥しようとするアホとは違うぞ。
pixivで進撃の巨人の腐向けタグの作品見るのは好きだ。すごく面白い。兵長より104期の方がいいけどな。
でもこの場合はみんなの広場であるべきpixivとは話がちげ-だろ。
俺はあんま読まないけど
男に都合いい萌え漫画とかお色気漫画とか女から見たらキモかったり気分悪かったりするだろうと思う。
でもそういうのは少女漫画誌に載ったりはしないわけじゃん。
隙を見ては女の欲望を駄々漏らしにするんだ?
2chの女性向け板にエロ書き込みして喜ぶクズ男のメンタリティだろそれは。
高橋留美子は本当にえらいと思うわ。
サンデーで描いてる漫画については女の感性を出すことはあっても女の欲望は出さない、甘えない。
でもあれがプロだろう。
なんで高橋留美子以外の女性少年漫画家っつうのはすぐ甘えを出すんだ。
ジャンプでやってた「保健室の死神」っていうのも途中からもうダダ漏らしだった。
あ、荒川弘も自制心あるよね。
嫁の母はわりとプライドの高い人で、軽く見られたり安く見られるような振る舞いは諌めるよな人だった。
俺の嫁も、身持ちの固い人だと思う。
嫁も妹も当然そのメンタリティを持っているはずだったんだが、どうも最近トチ狂ってきたらしい。
三年ほど付き合った彼氏を捨てて、イケメンの医者にのりかえたんだが、一か月ほどでふられたらしい。
それが原因でヤリマンになった、というと違うみたいなんだが、とにかくヤリマンに成り下がっていることを嫁に相談してきたらしい。
そのイケメンの医者とも合コンで知り合ったそうだし、その医者とうまくいかなくなってきたら別れる前から合コンに行っていたようだ。
が、その義妹は看護師をしていて、とにかく激務だからか、とにかく結婚して仕事をやめたいらしい。
とにかく結婚したいの! と言って合コン行きまくって持ち帰られまくっているらしい。
セフレもいるらしい。
それで、手持ちのカードの誰と結婚しようかー、みたいなことを姉である俺の嫁に言ってきたらしい。
嫁はため息ついて、何も言えなくなってた。
あのこ、仕事が大変すぎてあんなのになってしまったんだと思うの! と言ってかばってたが、
原因は全然関係なくて、行動そのものが問題だよ、と俺は言ったのだが。
まあ、嫁も同感ではあったみたいだが、妹をそんなふうに見たくない、って気持ちが強かったようだ。
とにかく、ヤリマン三昧の中で合コンで見つけた男と結婚して幸せになれるとは思わないし、
仕事を辞めるためだけに結婚したって今度は結婚やめたくなるに決まってる。
奨学金があるから仕事やめれないって言ってるみたいだが、結婚したら旦那が返してくれると信じ込んでいるようだし、
逆に奨学金抱えた医者とは結婚したくないって言っているダブスタ。
なんかもう、真面目にアドバイスするのがアホらしくなるような子だし、浪費家だし、激情家だし、何かどうしようもない子なんだけど、
嫁の妹だし、あからさまに不幸になってもらっては困るわけなんだよね。
嫁のためにも、どうしたらいいんだろうか。
親戚じゃないなら、二度とお会いしたくないような女性ではある。
まあ、顔はかわいいけどね。
元々は在宅で、アイドルを生で見たり接触したりすることに全く興味がなかったんだけど
ワンマンライブに行ってみると生で見るアイドルは地下とはいえ結構かわいいし
そこで気付いたことをぼそぼそ書いてみる
アイドル現場に行き始めてまず驚いたのは地下アイドルのライブの多さとチケット代の高さだ
どのライブも約4時間程度で10組を超えるアイドルが出演するんだけど
各グループの平均出演時間は20分程度であり、10分以下のグループもあった
そしてそのチケット代は当日券で4000円もする
因みに2日間で出演アイドル数が100組を超えるTIFのチケット当日券は5000円、どうなってるんだ
当日券が3000円の良心的な価格の対バンライブもたまにあるけどチケット代と動員数の相関性は低いのだという
推しのアイドルの物販時間を除いた約3時間半ステージを見てたんだけど
終わった後には虚無感しかなかった
地下アイドルなのでパフォーマンス力が高いわけではなく、見ていても多くのグループは退屈であり
かといって元在宅が初見のアイドルに沸くこともなく、時間を浪費してる感が物凄かった
またパフュームのブレイク以降アイドル楽曲が面白く多様になったんだと思ってたけど
面白い曲をやってるのは一部の目立つグループだけで、ほとんどのアイドルは保守的な曲ばかりだった
それ以降は出演者の多い対バンライブに行く機会が減り、行っても目当てのアイドルを見終わったら帰るようになってしまった
周りを見ても目当てのアイドルだけ見てすぐ帰る奴は多い気がした
アイドルの代表的な魅力の一つはヲタがアイドルを育てることであり
これはアイドルの未熟さを楽しむことでもあるが、同様に運営も未熟だったりする
在宅から見れば最も重要だと思えるウェブコンテンツが非常に少なかったり
メンバーが脱退してもその説明が全く無かったりとかなり未熟なように見えた
そのグループに興味をもつ可能性のあるウェブ上の人を相手にする気が全く無さそうであることがわかった
公式のタイムテーブルが無かったり
地下アイドルを見て日が浅い時期はそういった未熟さがむしろ新鮮に感じられたのでそれなりに楽しめたが
アイドルのように成長することはほぼ無いだろうと思うとげんなりした
ある時推している弱小アイドルがどう思われているのか気になったので
グループの名前をググってみたが情報が全然出てこなかったのでツイッターを検索した
ライブの集客が多いとは言えないグループについてツイートしている人は少なく
アカウントをみるとアイドルにリプした直後にそのアイドルをディスっていてドン引きした
リプ以外の自分のツイートなんて見るはずがないと思ってるのかそのディス見せて困らせたいのかよくわからないが
どちらにしても下品に感じた
2ちゃんにスレがないと本音と建前が同じ場所に書かれることになるのだろうか
他にもTOとか強ヲタ弱ヲタとかイキってる中学生みたいなメンタリティのヲタがいてげんなりした
実在したのか、こういうの
誰が書いたのかわかるツイッターだと本気に見えて気持ち悪くなったのでその現場には行かなくなった
読み返したらなんかディスばっかになったな
まあ地下アイドルと在宅は相性が悪いってことだ
『「低学歴」って言うな』という意見もあるし、もちろん例外はどこにもあるが、「多数」というのは明らかに存在して、低学歴と低学力とはグループとしてほぼ重複している。よって、面倒なので以降の記述は「低学歴」で統一する。
冷蔵庫に入った写真をupする阿呆が低学歴なのではない。少なくとも最初の一人は、常識はなくても独創性はある。社会で独立独歩で進んでいくならある程度成功するだろう。
問題は二人目以降だ。他人が炎上していることを見て「俺もやる」と考える、そのメンタリティが「低学歴」そのものだ。慎重であることよりも「やってみる」事を優先『しすぎる』集団の中で育つと、自動的に「俺もやってみる」になってしまう。これは複数の人が述べているので詳細はスキップする。
問題はその存在にあるのではない。「抜けだせない」事にある。正確に言うと「抜け出せない」事と、少子化と、青少年保護育成とやらが一体化していることにある。
「高学歴」の男性は「高学歴」なだけあって、おおよそ社会人になるまではなかなか色恋沙汰に疎い…というかオクテだ。慎重さが裏目に出ている。なので、空席はたくさんある。
「高学歴」の女性には、「己の好きなようにする」ために結婚を諦めている人が結構いる。結婚を諦めている男性よりも多くいる。なので、「高学歴」の男性の集団には一定数の「空席」がある。
「低学歴」の女性がその世界から抜け出すには、「高学歴」の男性と結婚すればいい。
理想論的に考えれば、「低学歴」の女性の一定数は「高学歴」の男性と結婚してその席を埋めるので、「低学歴」の男性があぶれる事になる。
しかし、実際にはそうはならない。
「低学歴」の男性からすれば、現状を放置すればあぶれる事は目に見えている。だから、「低学歴女性の青田刈り」に走る。つまり「高学歴」の同学年がまだオクテである間に、女性を片っ端から食い散らかしにかかるわけだ。「青田刈り」に合っている女性は他に選択肢がなければ、目の前の「低学歴男子」で手を打つ。それが「目先の事しか見ない、考えない」事の本質だからだ。で、ものの見事にひっかかった女性は「低学歴」に編入され、「高学歴」にあぶれた男性が集中する。
当たり前だが「低学歴」社会においては子育ては容易なことではない。結果として「できちゃった」一人目しか育てられない。
「高学歴」同士の結婚でも子育ては容易なことではない。「ふたりとも働いている」からで、運が良くても一人育てるかどうか、といったところだ。
ここに少子化の種がある。
話はこれで終わらない。「低学歴」から生まれた子供は、親の薫陶よろしく「低学歴」の価値観からスタートする。そして再び同じ現象が起こる。「低学歴」は「低学歴」同士でペアになり、「高学歴」はペアを作ることが少なく…。
このループから脱出する方法は「低学歴」女性には与えられている。ようするに「高学歴」男性と付き合い、結婚すればいいのだ。なに?出会いがない??あるさ、「援助交際」ってやつが。
古典的な若年女性売春って奴は、かなりの確率で『若年』「低学歴」女性と『高齢』「高学歴」男性を結びつける働きをしてきた。援助交際は別に「金銭的な」援助だけをもたらしてたわけではない。「低学歴集団からの離脱」という援助をももたらしていたのだ。
しかし、「健全な青少年の育成」とやらいう考え方が、このチャンスをすごい勢いでぶっ潰している。
なに?「援助交際なんて今だって頻繁にあるじゃないか」だって?そうでもない、というか全然違う。
「高学歴」男性ってのは「慎重」なのだ。出会い系とかそういうインターネット越しのシステムだと、サクラが多すぎて投資対効果が悪すぎる。出会い喫茶とかに「若年」女性がいられる時刻帯になんか仕事から解放されることはない。結果としてこの手の出会いは「立ちんぼ」から始まる確率が非常に高い。
逆に「低学歴」男性は、とりあえずやってみる攻撃で出会いサイト、出会い喫茶、なんでもアタックする。というかお前らまだ仕事の時間だろうが、何しけこんでんだ…という勢いで。だから、こういう所での「出会い」ってのは、「低学歴同士」ばかりになる。
このような形態になるのは、ようするに「若い女性」による「売春」は「いけないことだ」という短慮蒙昧があって、男女双方ともに罰則が最大化されているからだ。
「それでも」やる女性には経済的理由があり、経済的理由さえ満たされるのであれば相手が「高学歴」だろうが「低学歴」だろうが関係ない。目の前のお金に飛びつけば、当然もっと大きなチャンスは失うことになる。
はっきり言おう。売春法なんかもう「60歳以上の売春は禁止」ぐらいで丁度いい。
若年層の場合はむしろ積極的に煽るべきだ。「低学歴」家庭に生まれた女性には小学生の頃から推奨するぐらいでもいい。
そうすることで「高学歴」な男性と「低学歴」な女性のカップルを増やす。そうすりゃ「低学歴」集団から抜け出しやすい女性が増える。ペア間の収入差が大きいと一方が子育てに専任する、という傾向はあるから子供の数だって増える。そして何より「低学歴」な集団が徐々に小さくなる。
ネットは現実に影響を及ぼさないって主張する事で自分をまっとうな人間だと思い込むメンタリティーってあるよね。
ネットの影響を受けやすい分野もあれば受けにくい分野もあるし、社会にネットが浸透することで影響は拡大していくのは間違いないだろうに
悪魔の証明であえて不利な方を選んででもその事実を認めず、いつまでもネットをくだらないものだと嘲笑して
ネットに価値があると言う人物をみると誇大妄想狂だと罵る感じ。
まぁ、なんとなくそう思うだけだけどね。
過大評価する必要もないけど過小評価してもしょうがないんじゃないかな?
ネットは便利だしいろいろなところに影響を与えているよ。
女性は子供を産んで育てるという、社会的な「役割分担」を「男尊女卑」などと被害妄想して解釈しているところに元増田の悲劇があると思う。
女が子供を産んで育てるという行為もれっきとした命がけの仕事。
被害妄想のお陰で、そういう崇高な労働を女性の側から自ら仕事として位置づけないというのは浅はかでしかない。
そういう一部の浅はかなメンタリティってきっと無意識的に家事とか育児に一生懸命な女性を馬鹿にしてるんだろうなと思う。
「私はキャリアウーマン!家事や育児などという陳腐な労働なんてやりたくない!そんな一生送っている女どもが信じられん!そう、私の思考は先鋭的だから」
とか考えてるんだろうな。
今の日本からは改革(左派)も保守(右派)もいなくなって(最初からいなかったのかもしれないが)今では劣化コピーの出来損ないもどきにも達してないような「サヨク」と「ウヨク」が日々、言論をぶつけ合っている。
それを最も観察しやすいのはココ、ネットの世界だが、はたから見てもサヨクとウヨクがまともに議論をしている所を「ほとんど」見たことない。(あえて「全く」とは言わないでおく)
文字通り意見の「ぶつけ合い」をしているだけだ。言葉のドッヂボールという言葉はまさにサヨクとウヨクの議論(という名のプロパガンダ合戦、にすら達しないただの罵り合い)にこそ最もふさわしい言葉だろう。
じゃあなぜ議論が成立しないのかという話だが、単純な理由で「議論する気が無い」からである。
まぁそんなことはいちいち指摘するまでもないが、なぜああもぶつかり合う者同士でいまだに両者の間に少しは議論をしようという機運が見られないのかというとそれはサヨクとウヨクのメンタリティの相違に起因する。
サヨクとウヨクの間で議論が成立していないこと指摘をされるたびにどちらも「相手がバカすぎて議論にならない」的なことを言ってる当たりまったくどうにもならないくらい事態は深刻化しているが鹿児島知事選でサヨクが見せたリアクションと、先の衆議院選で自民党候補が落ちた選挙区に対するウヨクのリアクションを見る限り、まったくこの両者のメンタリティは精神的双子と言っても差し支えないほどに凄惨なまでに酷似しているのである。
ただし、ここまで酷似したメンタリティを有する両者にも異質な点はある。その一つが「自分が気に食わない意見に対するリアクション」である。
とりあえず、最初の段階ではサヨクもウヨクもとる行動は同じである。すなわち
とかくサヨクとウヨクには共通のガイドラインでも制定されているのかと疑ってしまうほど、この行動をとる。
相手の言った内容に対する批判と相手個人に対する罵倒の区別がつかないのがサヨクとウヨクがいつまでたってもまともな左派右派になりえない重大な理由の一つだが。それについては今回はあまり関係ない話である上、正直もう救いようがないと思っているのでこれ以上言及はしない。
さてひとしきり相手を罵倒しきった後で彼らがとる行動がサヨクとウヨクで全く異なってくる。
端的に言えば、サヨクの人間はもはや相手をいなかったものとして扱う(自分の気に食わない意見を相手ごと無視する態度を是としている時点でサヨクの人間に論理的態度の育成が不可能であるということは間違いない)
自らの意見に対する反論の類に対して一切触れることなく、ひたすら自らの意見を押し通すさまは、醜悪だ。仮にその意見が正しかったとしても、正しさに腰かけて意見ごと相手をいないものとする傲慢さは到底万人に受け入れられるものではない。(とはいえこの傲慢さは昨今のサヨクのマイノリティぶりを鑑みてみるとどこか滑稽ですらある。)
次にウヨクと言えば、こちらは苛烈でその意見を徹底的に叩き潰す方向に動く。
相手が「改心」するか(仮に改心したとしても、ウヨクの脳内に存在するヒエラルキーの一番下の階層から一つ上の階層に固定されるだけだが)、文字どおり消えるまで続く。
「日本から出ていけ」というのはアノニマス的に発言できるネットの場で、よく見ることが出来る文言だが。「自分の気に食わない意見」を言うならこの国から出ていけ。とはなかなか苛烈である。
仮にその人物の述べる意見が間違っていたとしても、その苛烈さはいささかも減ずることは無い。「間違った意見を述べる人間は日本から出ていけ」とは冷静に考えれば中々にエキセントリックな言説である。
サヨクは自分の意見を押し通すために、ウヨクはサヨクを排除するために、言葉を発している。
そう、サヨクとウヨクが議論にならないのは当然だ。議論は議論をする気のある人間が2人以上いなければ成立しない。
自分の意見を叫びたいだけの人間がたまたま同じ場所にいただけでは、議論になるはずもない。
先ほどはプロパガンダ合戦にすら達しないただの罵り合いと表現したが、サヨクとウヨクの自慰的な声の張り合いは、もはや罵り合いにすらなっていないのだ。
相手の言葉の意味がはっきりと分からないときっちりした議論が進められないからだ。
理系にありがちだが、
論理性に自信がある人が使いがち。
定義をきっちりすれば、物事を杓子定規に説明できるはずだと思っている。
言語ゲームという哲学的思考がある。 20世紀哲学の最大の発見だと言われている。
なぜ最大の発見かというと、哲学的な諸問題のかなりの部分を終わらせたからだ。
「人間の生きる意味とは?」 「我ゆえにわれありではないか?」 「神は存在するのか?」
これらすべてに答えを出せる、すごい理論だ。
たとえば、「人間の生きる意味とは?」にたいしては、「生きる意味という言葉自体があいまいで、文化によって言葉の意味がコロコロ変わるからNG、単語の意味が確定してないので問題になっていないので答えもない」
「我ゆえにわれありではないか?」にたいしては、「我、ゆえに、われあり。 という3語の意味があいまいで、文化によって言葉の意味がコロコロ変わるからNG、単語に意味が確定していないので問題になっていないので答えもない」
「神は存在するのか?」にたいしては、「神って仏教、キリスト教、等等で意味が違うじゃん、どの神かもわからない。 しかも、存在って言葉も意味合いがあいまい。 よって問題自体が成立しない、NG」
これまでの哲学的な質問は、あいまいな言葉をいじっているだけの「言語ゲーム」にすぎない。 ということから、言語ゲームという哲学の名前になった。
当然、いろいろな批判、反論が出てくる。
その中の一つが、
「言語の意味があいまいって言っても、それぞれの文化の中で見れば、意味が確定するんじゃないの?」
というものだった。
言語はそもそも文化に合わせて作られる。 雪の降る国では雪への形容にさまざまな言葉が作られるように、言語の意味や創出は確かに言語によって違っても、文化によって「位置付けられている」という考えだ。
であるから、文化の中で考えるのならば、抽象的であいまいだから問題が成立しないということもなかろう。
という考えができた。
ここまでくれば、「言語ゲームに過ぎない」と言われた時の反論ができる。
と尋ねることだ。
レベル4にて、「言語は文化から作られる」ということを確認した。
そして、レベル5では、「個人の生活が文化を作る」ということを逆手にとるわけだ。
という順をとるのだから、あるあいまいな単語を使った人に、「『あなたが想定した意味での』生きる意味とはなんですか?」と聞くことで、問題としてはっきりさせることができる。
なぜなら、言葉を使うことで、文化が創造され、文化が創造されることで、翻って言語が再定義される。
僕たちは、意味のない言語を使っているのではなく、「言語を使うことで文化を生成している」のだ!
さて、僕はここまで来て、問うことができる。
「それどういう意味?」
レベル1状態に戻ってこれたわけだ。
無限ループって怖くね?
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<追記>
「言語ゲーム」の用法が間違っているという指摘、ありがとうございます。
ただ、この語自体は、ウィトゲンシュタイン依存の言葉なんですが、彼以前にも、ヴァレリーなどが同じような思想(主にデカルトへの考察に関して)なされており、
ですので、言語ゲームという思想はウィトゲンシュタイン固有でないです。
また現代哲学においても、ウィトゲンシュタインが意識した使い方どうこうというより、言語ゲームという思想を上述のように、「言語ゲームにすぎない」という極論だけに固定して話をすすめる。 というのが普通になっています。
前期、後期ウィトゲンシュタインの区分や意味合いの違いも知っていましたが、このような事情ですので、今回のように、ウィトゲンシュタインを出さない説明をしました。
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<追記>
ウィトゲンシュタインの話に拘泥して、本旨を理解できない人がいて残念です。
増田は、本旨と関係ない揚げ足取りコメントがよくあるのですが、まさか哲学をかじってる人たちでさえ、そうなのかとビックリしました。
ウィトゲンシュタインが言語ゲームをなぜ考えたのか? デカルト以前の哲学を乗り越えるためです。
もちろん、その後、ウィトゲンシュタインは言語ゲーム理論の正当性に危機感を持つのですが。 ウィトゲンシュタインはそのあたりで死にました。
で、ウィトゲンシュタインがデカルト以前を批判したそのやり方でもって、「定義は?」と聞く論法を否定するのは、間違いである。 ということが本旨でした。
まともに勉強した人ならわかるでしょうが、「定義にこだわる」ということは誰しもが通る道です。 そして、言語ゲームを知って、一旦ニヒルになるのもまた、まともに勉強すれば通る道です。
「意味を考えること」の正当性を再獲得できたこのダイナミックさを感じてもらえたらなあ、と思いました(問題の問い方自体は変わっても、質問をするメンタリティーが変わっていないことが面白いところです。)
今回の記事では、さらにこの先の現代哲学が届いている地平についての話でしたが。
理解できない人の方が多いみたいで、残念です。
kurahito 因みに私は青二才を庇いたい訳ではなく、屑な男に屑な仲間が集まるという納得感のある筋に反発する理由がわからん←女/母は自らを貶めないとかいう無謬説?
わからんってあなた、悲惨すぎて見るに堪えないからに決まってるでしょうよ。「屑な男に屑な仲間」なんて簡単に言うけどさ、ナースのtwitterとかガチクズですよ。
てんかんはきちんと薬飲んでれば大抵コントロールできる。薬飲んでるのに発作が度々起こるなら薬が合ってないってこと。つまりヤブ(笑)
同い年の義理の妹がいたんだが、てんかん性精神病って診断名持ってた。明け方無意味に包丁ふりかざして立ってるんだよ。怖いよ。彼女はてんかん発作を度々起こしてた。薬飲んでたんだけどね。病院変えるよう勧めても変えなかった
彼女はぽやんとした娘だった。30すぎくらいなのに1日猫抱いて縁側でボーッとできるくらいの。買い物もまともにできない、家事も言われたことしかできない。発作起こしすぎて知的レベル下がったんじゃないかと思ったよ。まあ、義理の弟はそこが可愛いみたいだったけどね
「屑な男に屑な仲間」というのはつまり一旦クズに転落したが最後こういうナースみたいなクズとしか付き合えないということだ。「クズはクズとしか付き合えない」だなんて、そんな悲惨なストーリーをすんなり許容できる人間のほうこそ頭がおかしいし、その意味であなたは狂人なんだから、自分基準で他人を推し量ろうとするのは諦めたほうがよい。
以前誰かが「貧困とは割高なカップ麺を買わざるを得ない生活だ」みたいなことを言ってたけど青二才もまさにそれで、「屑な男に屑な仲間」って言うとなんかクズがクズ同士仲良くやってるみたいに勘違いする人がいるけど全然違うからね。要はナースの側だって本音を言えば青二才なんかじゃなくてもっとイケてる子と遊びたいけど他に選択肢がないから仕方なく渋々青二才と付き合ってるわけじゃん。ナースの歳は知らんけどもう子育て終えてるっぽいから四十代くらいかね。子持ちの四十女がだよ、乳袋がどうした白衣コスプレがこうしたみたいなシモネタを毎日twitterに書き込んでさ、青二才は青二才で「こんどチンコ洗ってください」みたいなメンション飛ばしててさ、なんかもうああいうの見てるとこう、シモネタって汚いからシモって言うんだってことが今更ながら胸に迫ってくるというか、まあ悲惨の一言だよね。
でも彼等も別に好きでやってるわけではなく、他に選択肢が無いからああするしかないわけだし、お前らにしたって「青二才はナースと縁を切ったほうがいい」みたいなこと言うだけで実際かわりに青二才やナースの友達になるつもりがある人間なんて一人も居ないし、だから青二才は今後もナースみたいなクズとしか関わってゆけない。貧困というのはこのようにミもフタもないもので、だから「痛いメンタリティを観察するのが趣味です」みたいな顔してたシロクマも結局撤退したし、もうあとマトモなのはdokaiくらいだけど、もし本当にdokaiがマトモなんであればそもそも青二才なんかと付き合ってるわけがないので、どうせdokaiもクズ。それかアムウェイ。
当時はそもそも古典派以降の、要するにクラシック音楽というカテゴリーで主流になっている曲を全然知らなかったし興味もなかったし、そこでやたら沢山音符を弾かされる、管弦楽というジャンル自体が自分の手に余るものだった。
クラシック音楽の凄さが分かってきたのは、しばらくオケを離れて、就職して数年後に社会人オケに入ってからだったかな。
そこでやっと必死に作曲家のことやスコアを勉強して、とてつもない世界があることに気づいたという・・・。
つまり、自分は楽器を手にした年齢だけはとても早かったけど、あとは色々遅い。笑っちゃうくらい遅い。
それでも好きになったクラシックを、出来る所を見つけて続けているだけなのだ。
だから4歳から始めているとか、出来れば訊かれても答えたくないわけで。
メンコンやチゴイネルワイゼンはやっていて当たり前、ラロもクライスラーもスプリングソナタも四季も楽にこなせるレベルまで、かなり短期間で叩き上げてきたメンタリティってそういうもんなのだと思う。
強烈な自負と自意識がなければ無理というか。
妙に迫力も出ちゃうし、何より自信溢れる態度で、モテても全く不思議はないし。
それでも4歳からやっている人相手ならそれなりに敬意を示すんだろうけど、逆にそれくらい早くから始めていてメンコンも弾けないどころか、バッハのコンチェルトやヘンデルのソナタを勢いでやっつける程度では、軽く見る理由にしかならないと。
何しろあっちは指板のどこでも快適にフィンガリング出来て、かつ上級のボウイングと音造りが出来るのに対し、こっちはそこそこハイポジションで弾けて、初歩の重音とヴィブラートがせいぜいだったわけで。
今だから分かるけど、とんでもない差だと思う。
そしてあの頃からかなりの年月が経ち、ようやく古典派やロマン派の歌い方が分かってきた今だからこそ、メンコンというドイツ前期ロマン派の名曲を完璧に、かつ最高に楽しく弾いてやり返したいのだ。
このままやられっぱなしで、中途半端で終わらせてたまるか!と、やっと奮起できた感じ。
それに、そこまで弾けたらもっともっと楽しい領域が待っていると思うから。