相手の言葉の意味がはっきりと分からないときっちりした議論が進められないからだ。
理系にありがちだが、
論理性に自信がある人が使いがち。
定義をきっちりすれば、物事を杓子定規に説明できるはずだと思っている。
言語ゲームという哲学的思考がある。 20世紀哲学の最大の発見だと言われている。
なぜ最大の発見かというと、哲学的な諸問題のかなりの部分を終わらせたからだ。
「人間の生きる意味とは?」 「我ゆえにわれありではないか?」 「神は存在するのか?」
これらすべてに答えを出せる、すごい理論だ。
たとえば、「人間の生きる意味とは?」にたいしては、「生きる意味という言葉自体があいまいで、文化によって言葉の意味がコロコロ変わるからNG、単語の意味が確定してないので問題になっていないので答えもない」
「我ゆえにわれありではないか?」にたいしては、「我、ゆえに、われあり。 という3語の意味があいまいで、文化によって言葉の意味がコロコロ変わるからNG、単語に意味が確定していないので問題になっていないので答えもない」
「神は存在するのか?」にたいしては、「神って仏教、キリスト教、等等で意味が違うじゃん、どの神かもわからない。 しかも、存在って言葉も意味合いがあいまい。 よって問題自体が成立しない、NG」
これまでの哲学的な質問は、あいまいな言葉をいじっているだけの「言語ゲーム」にすぎない。 ということから、言語ゲームという哲学の名前になった。
当然、いろいろな批判、反論が出てくる。
その中の一つが、
「言語の意味があいまいって言っても、それぞれの文化の中で見れば、意味が確定するんじゃないの?」
というものだった。
言語はそもそも文化に合わせて作られる。 雪の降る国では雪への形容にさまざまな言葉が作られるように、言語の意味や創出は確かに言語によって違っても、文化によって「位置付けられている」という考えだ。
であるから、文化の中で考えるのならば、抽象的であいまいだから問題が成立しないということもなかろう。
という考えができた。
ここまでくれば、「言語ゲームに過ぎない」と言われた時の反論ができる。
と尋ねることだ。
レベル4にて、「言語は文化から作られる」ということを確認した。
そして、レベル5では、「個人の生活が文化を作る」ということを逆手にとるわけだ。
という順をとるのだから、あるあいまいな単語を使った人に、「『あなたが想定した意味での』生きる意味とはなんですか?」と聞くことで、問題としてはっきりさせることができる。
なぜなら、言葉を使うことで、文化が創造され、文化が創造されることで、翻って言語が再定義される。
僕たちは、意味のない言語を使っているのではなく、「言語を使うことで文化を生成している」のだ!
さて、僕はここまで来て、問うことができる。
「それどういう意味?」
レベル1状態に戻ってこれたわけだ。
無限ループって怖くね?
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<追記>
「言語ゲーム」の用法が間違っているという指摘、ありがとうございます。
ただ、この語自体は、ウィトゲンシュタイン依存の言葉なんですが、彼以前にも、ヴァレリーなどが同じような思想(主にデカルトへの考察に関して)なされており、
ですので、言語ゲームという思想はウィトゲンシュタイン固有でないです。
また現代哲学においても、ウィトゲンシュタインが意識した使い方どうこうというより、言語ゲームという思想を上述のように、「言語ゲームにすぎない」という極論だけに固定して話をすすめる。 というのが普通になっています。
前期、後期ウィトゲンシュタインの区分や意味合いの違いも知っていましたが、このような事情ですので、今回のように、ウィトゲンシュタインを出さない説明をしました。
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<追記>
ウィトゲンシュタインの話に拘泥して、本旨を理解できない人がいて残念です。
増田は、本旨と関係ない揚げ足取りコメントがよくあるのですが、まさか哲学をかじってる人たちでさえ、そうなのかとビックリしました。
ウィトゲンシュタインが言語ゲームをなぜ考えたのか? デカルト以前の哲学を乗り越えるためです。
もちろん、その後、ウィトゲンシュタインは言語ゲーム理論の正当性に危機感を持つのですが。 ウィトゲンシュタインはそのあたりで死にました。
で、ウィトゲンシュタインがデカルト以前を批判したそのやり方でもって、「定義は?」と聞く論法を否定するのは、間違いである。 ということが本旨でした。
まともに勉強した人ならわかるでしょうが、「定義にこだわる」ということは誰しもが通る道です。 そして、言語ゲームを知って、一旦ニヒルになるのもまた、まともに勉強すれば通る道です。
「意味を考えること」の正当性を再獲得できたこのダイナミックさを感じてもらえたらなあ、と思いました(問題の問い方自体は変わっても、質問をするメンタリティーが変わっていないことが面白いところです。)
今回の記事では、さらにこの先の現代哲学が届いている地平についての話でしたが。
理解できない人の方が多いみたいで、残念です。
「哲学上の諸問題と言われるもののほとんど全ては、定義の問題に帰着する。」というのは、L.W.ヴィトゲンシュタインの「論理哲学論考」における中心的な主張。そして『言語ゲ...
名前しか知らないし調べもせずにきくけどそいつってわりと最近の哲学者じゃないの? それが「言葉には定められた『意味』がある」とか初歩的な勘違いをしてたの? 嘘でしょう? ...
妥当な説明だね。彼自身もトルストイの聖書(神話的要素を取り除いたもの)を好んでいたらしい。 なのに語り得ぬものについては沈黙しなければとヴィトは言った故に神はいないんだ!...
言語ゲームの簡潔な説明はこれがわかりやすい https://anond.hatelabo.jp/20130722013200 ここで言う吉野家コピペとはTwitterで吉野家コピペ貼ったらマジレス飛んできたと言う話題に対してである...
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ループなんかじゃない! 言葉の螺旋階段を登り続けているだけなんだ。永遠に…
古い増田だけど、これ3は言語ゲームじゃなくて論理実証主義とか呼ばれるもので、4がむしろ言語ゲームに近いよなあ。 色々言い訳してるけど、この間違いを放置したまま言語ゲーム...