はてなキーワード: セールスとは
u4k Wikipediaにあるakkoのデビューの経緯が純度高い昭和の芸能界でよい
2023/09/02
小林武史が、知人に紹介され関心を持ったakkoと、かねてよりデビューさせたかったというギタリストの藤井謙二の2人組ユニットをプロデュースする形でMY LITTLE LOVERとして、1995年5月1日にデビューさせた。曲は小林がほぼ全て作詞、作曲、アレンジした。二人はテレビにも出演したこともあり、『Man & Woman/My Painting』(最高位7位)(1995年5月1日)、『白いカイト』(最高位11位)(1995年7月3日)はいずれも50万枚を超え、新人としては高セールスを見せた。さらに翌月『Hello, Again 〜昔からある場所〜』(1995年8月21日)を発売。ドラマ主題歌でもあったこの曲が、180万枚を超える大ヒットとなり、トップミュージシャンとして認知されることになる。また、小林はMr.Childrenのプロデューサーとしても大ブレイクしている最中で、その手腕の高さが評価された。その冬には1stアルバム『evergreen』をリリース。約280万枚を売り上げた。 また、アルバム発表時から小林がMY LITTLE LOVERの一員、キーボードメンバーとして正式加入し3人になった。1996年、akkoと小林が結婚したことを発表、同時に妊娠もしており出産のため活動休止に入った。
1973年1月10日(50歳)、東京都で生まれ、神奈川県伊勢原市で育った。血液型はAB型。本名は赤松 亜希子(あかまつ あきこ)。趣味は墨絵、散歩。
結成時から在籍する唯一のメンバー。中学から神奈川県立有馬高等学校にかけて新体操に打ち込んでいたが、怪我や才能の限界により断念。5歳の頃からピアノを習っていたこともあり、国立音楽大学へ進学した。
1996年に、MY LITTLE LOVERのキーボードを担当していた小林と結婚したが、2008年元日に離婚。離婚後、女手ひとつで娘2人を育てており、スケジュールもそれに合わせて組んでいる。2014年4月に一般男性と2度目の結婚をした。
デビューからヒットまで速いんだなあ〜&akkoは才女なんだなあ〜
ほえー
セールスとわかった時点で無言でドアを閉めろ
解雇されてやっと離職票が届いたのでハロワに行った帰り、ケーキ食べたかったけど喫茶店みつからなかったので仕方なくモスバーガーに入ってノンアル()サングリアとやら&チキンとオニオンたのんで席に座ったら、隣のボックスシートでなんか自営業とセールスが会談?してた
西だけど非関西文化圏出身者なんで、関西特有の圧の強い声音で断定的に話す関西オッチャン話法ってどうも苦手だけど立ってるだけで滝汗の外はもっと暑苦しいので我慢して注文分を消費する
セールスがスーツの制服の女性、自営業は私服、たぶんネットの戦略のコンサルかなんかみたいな話らしい、そしたら自営業が
(o´・ω・`o)
…サラリーマンにゃ尊敬する社長なんかいないよねー、ってか頼れる政治家すらいないよ、どうせ自営業とか実業家が自民か維新に入れてんでしょ~
5年以上前かな?一括払いが自動でリボになるよう設定すると数千ポイント貰えるキャンペーン、みたいなのに釣られたのがリボ地獄の始まり。
当初は毎月支払い元金の中でやりくりしてたから、何ともなかった。次第に設定額を超えてもボーナスで一括支払いすればいいかと考えるようになり、いざボーナス時には別で使う予定が入り返せず。
そんな事を繰り返すうちに気がつけばリボ残高は100万を超え、毎月の支払い額は元金に加えリボ手数料が15,000円ほど。相変わらずカード払いが多かったため、残高の減るスピードはかなり遅かった。
流石に毎月15,000円はバカバカしいなと思いながら数年…。今回ようやく、10年前にセールスされてよくわからないまま入った個人年金を中途解約して、リボ地獄から抜け出すことにした。掛金120万ほどに対して返戻金は110万ほどなのでしっかり元本割れしてるけど、勉強代だと思って諦める。
【追記あり】
しゃあねえ一肌脱ぐか。
引きこもり歴10年後に社会復帰して、現在正社員で貯金700万の中年独身オッサンだ。
俺の場合は長期の引きこもりのせいで限界まで自信無くなっていたので
バイト求人の電話かけるくらいなら自殺するほうが心理的抵抗感が少ないような極まりきった状況だった。
引きこもり始めて5年目にこりゃもう鬱だから働けないんだそうに違いないと精神科の門を叩くが、大したことなかったらしく軽い抗不安薬のみ処方される。
その後、抗不安薬パワーでバイトの面接に応募するも、退化した体に工場作業はキツすぎて一ヶ月経たずに止めた。
その後、逃避行動として資格の勉強を始め、業務独占資格を二つほど取った。これが後で生きてくる。
そしてネットで見たサポステに応募。カウンセリングとグループワークをしばらく続ける。
これは本当にありがたかった。
周りはみんな自分と同じダメ人間なので、数年ぶりに引け目のないコミュニケーションが取れる。
同居している親の話では、この頃から俺の目に生気が戻り始めたそうだ。
サポステは社会復帰を目指す場だが、自分から行動を起こさなければ
ダメ人間の集まりという居心地よすぎるぬるま湯にそのまま沈む恐れがある。
年齢的にも危機感を感じていたのとサポステ職員にケツを叩かれていたのもあって、もう一度バイトの応募に挑む。
ヒキニートがバイトに応募する際に躓く点として「応募先の電話番号までは押せるが、通話ボタンを押す指が固まって動かない」という、ヒキニート特有のどうしようもない症状がある。
社会復帰するぞバイトを始めるぞと決心してから、数ヶ月も半年もボタンを押せずに携帯電話とにらめっこし続けるという引きこもりのあるあるネタだ。
単純な話だ。
一切の容赦も慈悲の欠片もなく、軽々と通話ボタンを押してくれる。
最初の一歩を踏み出す勇気がないのなら、誰かに背中を押してもらえばいい。
そしてサポステ職員は背中を押すのが仕事だ。遠慮なく手伝ってもらおう。
そうして始まったアルバイト。
身体も本調子ではないのでそりゃあ辛かったが、峠を乗り越えればルーチンワークになる。
ここでまたサポステに戻るが、今回は僅かながら失業保険が出ている。
元の資格に関連したコースを選び、追加の資格を取り、資格が生きる業種の求人に応募した。
そして今に至るというわけだ。
趣味がゲームとネットくらいしかない子供部屋おじさんなので、貯金は勝手に溜まっていった。
100万ほど手元に残して、残りはインデックス投資に回している。
サポステはネットでもいろいろ言われている通りで、利用したらそのまま就職までオートで行けるような便利機関ではない。
そしてサポステにとっては利用者がバイトを始めた時点でゴールなので、その後の社員へのステップアップは自分で考えて動かなければならない。
しかしそれを差し引いても「ダメ人間同士で気兼ねないコミュニケーションが取れる」という一点だけで、利用する価値がある。
誰と話すこともない、長年の引きこもり生活で弱り切った声帯をリハビリすることができるからだ。
「アッ……アッ……」としか喋れない状況で、どこで誰に話し相手になってもらうというのだ。
今ならネトゲでボイチャするという手もあると思う。
そして資格。
たまたま逃避行動で取った資格が業務独占資格だったのが勝因だった。
だって、「何年も仕事をしないで基本情報技術者を取りました!この資格は私の能力が高い証明!」なんて胸を張ったところで、
IT業界で何年か働いている人の方が普通に評価高いのは分かり切ってるでしょ。
引きこもりが資格を取り始めると末期だなと言われる理由がこれ。
しかし業務独占資格は「この資格を持つ従業員がいなければ、この業務をしてはならない」という資格だ。これは需要がある。
業務独占資格の中には実務経験年数が定められてる資格もあるが、それが受験資格でなければ気にする必要はない。
「私を採用すれば〇年後にこの資格持ちになります」は大きなセールスポイントとなる。
アドバイスとしては、サポステに行け。声帯をリハビリしろ。バイト初めろ。職業訓練に行け。就職しろ。どっかで躓いて何もかも嫌になったら資格を取れ。
何年か越しのプランになると思う。
個々人の素質にもよるが、急がずに一歩ずつステップを踏んでいくのがいいだろう。
お前は、お前が思ってるほど絶望的な状況ではない。
問い合わせの電話でアッアッってなったとしても、向こうも慣れたもんだから。
応援してるぞ。
____________________________________________________________
【追記】
いや、バズり過ぎでは。
なんか俺が優秀な感じにされてるけど、取った資格は難関でも何でもないし
給料は一昔前に「年収〇〇〇万円時代を生き抜く」とか言われたレベルだぞ。
単に親元で、たまたま酒も女もやらなかったおかげで溜まってるというだけだ。
貯蓄額を出したのは、元ニートでもこれくらいはできるんだぞと勇気を与えたかったのと、あとは自慢。
だって、貯蓄の額なんてこんなところでしか言えないもん。許せ。
そして俺が自信満々なのは、引きこもり時代の後遺症で中二マインドが抜けないせいだ。
この世の大多数よりも人間的に上の存在であるという、根拠のない自信を持っている。
いい年こいて恥ずかしい持病だが、仕事をする上ではこの自信満々なスタンスが謎の信頼感を生むらしい。
なんか知らんうちに良い方向に働いてて驚くこともしばしば。
あと俺が取った資格は難関でも何でもない。
普通は入社してから働きながら勉強して取るような基礎的な資格だ。
ホッテントリに入るだけでもビクビクしてんだ。察してくれ。
そして、社会復帰を資格ありきで受け取られるのはちょっとマズい。それはちょっとやめてくれ。
俺達引きこもりは「やらない理由」を探すことにかけては達人なんだ。
現状を自己正当化する理由を四六時中考え続けて数年間の猛者だぞ。年季が違う。
俺の社会復帰が資格のおかげとなると、みんな大喜びで「じゃあ資格を取るまで就活しなくていいよね!」となってしまう。それはまずい。
実際のところ、職業訓練所を出ればそれだけで「口だけではない、最低限の技術が身についた者」であることを証明できる。
小さな会社では門外漢の素人よりも、職業訓練あがりの少しはわかってる奴の方が歓迎されることも多い。
そして、職業訓練所は就職斡旋機関だが、ニート更生機関ではない。
アッアッな状態で職業訓練所に入っても、おそらく就活でコケる。
それから職業訓練所で社員を目指すというのが俺のお勧めする社会復帰コースだ。
そして、一番大事なことを忘れてた。
これは完全に職歴なしで卒業後そのまま引きこもり生活送っているタイプのニートへのアドバイスだが、
俺たちは「引きこもりでパソコン大先生な自分にもできること」という考えで
パソコンを使った仕事に就こうと考えがちだが、一旦その考えは捨てて、視野を広げよう。
それなりに忙しく動いて体力は消耗するが、筋力勝負ではない。
俺たちにとっては、そんな仕事が狙い目だ。
それを受け入れる土壌も意外に広いということだ。
数か月を寝て過ごすよりはいい。
現場のオッチャンたちも、思ったほど怖くないぞ。
以上だ。
ヤバそうな流れだったので、急遽追記させてもらった。
資格を取るまで行動を後回しにするのは違うぞ。
並行で行けるから。並行で。
じゃあ、この時間で資格の勉強でもするか。と、そうなるなら良いと思う。
まず動こう。まず。
資格のことは横に置いて、まず行動をしよう。
締めの言葉は前と同じだ。
今よりちょっとだけ、前に進もう。
いきなりだが、私はアメリカのカジノにある劇場のチケット売りのバイトをやっている日系ハーフ二世である。
今日はそんなチケット売りのバイト中のやらかしを綴りに増田に来たわけだが、私は日本で教育を受けていない為に少々文章力が乏しい。
なので、そこは多めに見てもらえると幸いである。
*あと非常にスケールが小さいどうでもいい話です。
★★★★★
アメリカでのアジア人の評価は大抵「頭がいい、真面目」という感じの一見ポジティブだが当人としてはプレッシャーがかかるステレオタイプとなっている。
なので、職場においての唯一のアジア人である私は真面目に仕事をやっているだけで「頭は良くて仕事が出来る奴」という周りから一目置かれた評価に落ち着いている…のだが、実際の私は全然そんな事ない。
(アメリカの『真面目』の基準が低すぎるというのは一旦置いといて)真面目なのは真面目なのだが、私は頭が良いとはとても言えない。
というのも、私はサービス業に置いては致命的になりうるくらいのドが付くほどの天然で、かなりのポンコツなのである。
なので最近は「期待外れにならぬ様にしっかりしなければ!」と心掛けていたのだが、バイトを初めてから三ヶ月、ついに先週の日曜日に私は自分でも呆れるくらいのミスをした。
そして、そのミス、というよりミスの連鎖は仕事終わりに始まった。
この仕事では帰る際に「銀行」と称される部屋に行き、自分がレジ業務に使う現金の入った袋を自分の金庫にしまう必要があるのだが、バイト中のセールスでもし現金の取引をしたなら自分の袋の中の現金が丁度$500になるまで機械に適度な額を入金しなければならない。
私はこの面倒臭い上にやっていると「数え間違えたかな」という無駄な不安に襲われるこの入金作業が大嫌いで、お客様がカードを使わずに現金でチケットを買おうとする場合は出来るだけカード払いに誘導している。
が、この日は誘導に失敗し、表面上ではニコニコしながら「覚えてろよこの野郎」と渋々その汚い金を手に取ってしまった。
新人の時みたいにまた小銭を落とすんじゃないかと少し不安になったが、たんたんと作業をし、タイムカードを切った。
そこから制服から私服に着替え、制服をカジノ従業員専用の洗濯所に預け、帰るべく車に戻った。
今日も頑張ったな、そう思いながら自動解除する車を開けようとすると、開かない…車の鍵を持っていれば開くはずなのだが…
と、ここで鍵を制服に入れたまま洗濯に出してしまった事に気付き、せっかく車まで10分くらいかけてやって来たのに、また10分をかけて洗濯所に戻った。
車の鍵という帰宅に一番大事なアイテムをポケットから出し忘れた自分が恥ずかしかったが、誰でもこのくらいのミスはするだろう…とこの時はまだそう思っていた。
いざ戻ってみると洗濯所は既に閉まっており、私はカジノの警備員に事情を伝え、15分くらい待たされた後にやっと洗濯所に入れてもらえた。
ちなみに、この時に警備員は「従業員IDを見せてください」という事は一切言わず、他の客と全く風貌が変わらない私の話を完全に信じ、従業員限定で鍵がかかった施設に入れてくれたのである。
その時は帰りたくて仕方がなかったから気付かなかったが、今思うとやはりアメリカは適当である。
と、そんな洗濯所へ入ったのだが、洗濯物をしばらく漁っても自分の制服が見つからず、かなり奥へ行く必要があった。
なので、ここで私は肩に載せていた自分のバッグを近くのプリンターの上に起き、洗濯物に飛び込んだ。
そこから二、三分くらいかけてやっと自分の制服を見つけ、鍵を取り出し帰る事ができた。
クソ面倒臭かった上に恥ずかしいミスだったが、私の部署には知られる事はないし問題も解決したしで、無事に家に帰った。
今日も頑張った…寝よう、とベッドに寝転んだその瞬間、私はとんでもない不安に襲われた。
現金を入金する際、小銭の額を数える機械からしっかりと小銭を取り出した記憶が全くない事に気付いたのである。
今更カジノに戻ってちゃんと小銭を袋に戻したか確認する事はできないし、いくら不安がっても仕方がないのだが一度その不安が込み上がるともう不安で不安で、このせいでこの夜は寝るまに3時間くらいかかった。
最悪、小銭の合計は丁度$8だった事を覚えているので、もし戻し忘れていたら自腹で$8を入れ、$20を崩して小銭を調達してバレない様にしよう…きっと大丈夫だ大丈夫だ…と自分に言い聞かせたが、それでも全然落ち着けなかった。
そして、そんな大事な事を記憶できる様にやらなかった自分、そしてカジノに余分に30分もいたのにその間にミスに気付かずにずっとボーッとして鍵の事を考えてた自分があまりにも愚かで反省した。
そして翌日、いざバイトに出かけようと思ったら…なんと肩にかけるバッグがなかったのだ。
そういやあの時…鍵を探す際にバッグをプリンターの上に置いたな…
と忘れた鍵を取り戻しに行って代わりにバッグを忘れていくというとんでもなく間抜けなミスをしていた事に気付いた。
という事は、洗濯所のスタッフが翌日職場に入ったらプリンターの上に謎のバッグが置かれてある光景になるはず…
爆弾が入ってるとか思われたらどうしよう…と無駄に不安になったし、多分これでまた警備員と顔を合わせなきゃいけないし恥ずかしいな…と既に面倒臭い状況がまた面倒くさくなった。
なので、この日の私は現金の小銭問題とバッグを取り返すという二つの問題を解決する必要があり、いつもより2時間早くカジノにやってきた。
そして結果、小銭はちゃんと戻していた。
あの心配はなんだったんだってくらい普通にしっかりと戻していた。
今後はこんな無駄な焦りをしない様に入念に記憶しながら小銭を数える…そう誓った。
そして、バッグの方は…
こっちも余裕だった。
洗濯所のおばちゃん達はバッグに見向きもせず、セキュリティーにも提出していなかったのでバッグをここで残したと話したらなんの確認もなく自分のバッグをさっと返してくれた。
よく日本人は平和ボケが過ぎるという意見をみるが、アメリカもアメリカで別方面で非常に雑なのでここまで確認がないと今後なんらかの大惨事が起こりそうだが、私としては助かった。
こうして、私は自分の部署の人間が誰一人知ることもなく、自分の問題を解決し、この日は普通に何事もなかったかの様にバイトをした。
そして、そんな今も私は過大評価され続けている。
実際は鍵を制服に入れたまま洗濯所に入れたり、それを取りに行ったら代わりにバッグを忘れ、挙句の果てには自分で勝手にミスしたと勘違いしてそれで眠れなくなるレベルの馬鹿である私だが、そんな私は今日も職場で一目置かれる頼れる存在(笑)である。
この調子だと今後なんらかの形でボロが出そうだが、とりあえずは周りのアジア人のイメージと期待に沿える様に今後も頑張っていきたいと思う。
が、やっぱりここまで物忘れが酷いのはやはり恥ずかしいので改善する方法を見つけたいし、このままだと日本じゃやってけないと思う。
いきなりだが、私はアメリカのカジノにある劇場のチケット売りのバイトをやっている日系ハーフ二世である。
今日はそんなチケット売りのバイト中のやらかしを綴りに増田に来たわけだが、私は日本で教育を受けていない為に少々文章力が乏しい。
なので、そこは多めに見てもらえると幸いである。
*あと非常にスケールが小さいどうでもいい話です。
★★★★★
アメリカでのアジア人の評価は大抵「頭がいい、真面目」という感じの一見ポジティブだが当人としてはプレッシャーがかかるステレオタイプとなっている。
なので、職場においての唯一のアジア人である私は真面目に仕事をやっているだけで「頭は良くて仕事が出来る奴」という周りから一目置かれた評価に落ち着いている…のだが、実際の私は全然そんな事ない。
(アメリカの『真面目』の基準が低すぎるというのは一旦置いといて)真面目なのは真面目なのだが、私は頭が良いとはとても言えない。
というのも、私はサービス業に置いては致命的になりうるくらいのドが付くほどの天然で、かなりのポンコツなのである。
なので最近は「期待外れにならぬ様にしっかりしなければ!」と心掛けていたのだが、バイトを初めてから三ヶ月、ついに先週の日曜日に私は自分でも呆れるくらいのミスをした。
そして、そのミス、というよりミスの連鎖は仕事終わりに始まった。
この仕事では帰る際に「銀行」と称される部屋に行き、自分がレジ業務に使う現金の入った袋を自分の金庫にしまう必要があるのだが、バイト中のセールスでもし現金の取引をしたなら自分の袋の中の現金が丁度$500になるまで機械に適度な額を入金しなければならない。
私はこの面倒臭い上にやっていると「数え間違えたかな」という無駄な不安に襲われるこの入金作業が大嫌いで、お客様がカードを使わずに現金でチケットを買おうとする場合は出来るだけカード払いに誘導している。
が、この日は誘導に失敗し、表面上ではニコニコしながら「覚えてろよこの野郎」と渋々その汚い金を手に取ってしまった。
新人の時みたいにまた小銭を落とすんじゃないかと少し不安になったが、たんたんと作業をし、タイムカードを切った。
そこから制服から私服に着替え、制服をカジノ従業員専用の洗濯所に預け、帰るべく車に戻った。
今日も頑張ったな、そう思いながら自動解除する車を開けようとすると、開かない…車の鍵を持っていれば開くはずなのだが…
と、ここで鍵を制服に入れたまま洗濯に出してしまった事に気付き、せっかく車まで10分くらいかけてやって来たのに、また10分をかけて洗濯所に戻った。
車の鍵という帰宅に一番大事なアイテムをポケットから出し忘れた自分が恥ずかしかったが、誰でもこのくらいのミスはするだろう…とこの時はまだそう思っていた。
いざ戻ってみると洗濯所は既に閉まっており、私はカジノの警備員に事情を伝え、15分くらい待たされた後にやっと洗濯所に入れてもらえた。
ちなみに、この時に警備員は「従業員IDを見せてください」という事は一切言わず、他の客と全く風貌が変わらない私の話を完全に信じ、従業員限定で鍵がかかった施設に入れてくれたのである。
その時は帰りたくて仕方がなかったから気付かなかったが、今思うとやはりアメリカは適当である。
と、そんな洗濯所へ入ったのだが、洗濯物をしばらく漁っても自分の制服が見つからず、かなり奥へ行く必要があった。
なので、ここで私は肩に載せていた自分のバッグを近くのプリンターの上に起き、洗濯物に飛び込んだ。
そこから二、三分くらいかけてやっと自分の制服を見つけ、鍵を取り出し帰る事ができた。
クソ面倒臭かった上に恥ずかしいミスだったが、私の部署には知られる事はないし問題も解決したしで、無事に家に帰った。
今日も頑張った…寝よう、とベッドに寝転んだその瞬間、私はとんでもない不安に襲われた。
現金を入金する際、小銭の額を数える機械からしっかりと小銭を取り出した記憶が全くない事に気付いたのである。
今更カジノに戻ってちゃんと小銭を袋に戻したか確認する事はできないし、いくら不安がっても仕方がないのだが一度その不安が込み上がるともう不安で不安で、このせいでこの夜は寝るまに3時間くらいかかった。
最悪、小銭の合計は丁度$8だった事を覚えているので、もし戻し忘れていたら自腹で$8を入れ、$20を崩して小銭を調達してバレない様にしよう…きっと大丈夫だ大丈夫だ…と自分に言い聞かせたが、それでも全然落ち着けなかった。
そして、そんな大事な事を記憶できる様にやらなかった自分、そしてカジノに余分に30分もいたのにその間にミスに気付かずにずっとボーッとして鍵の事を考えてた自分があまりにも愚かで反省した。
そして翌日、いざバイトに出かけようと思ったら…なんと肩にかけるバッグがなかったのだ。
そういやあの時…鍵を探す際にバッグをプリンターの上に置いたな…
と忘れた鍵を取り戻しに行って代わりにバッグを忘れていくというとんでもなく間抜けなミスをしていた事に気付いた。
という事は、洗濯所のスタッフが翌日職場に入ったらプリンターの上に謎のバッグが置かれてある光景になるはず…
爆弾が入ってるとか思われたらどうしよう…と無駄に不安になったし、多分これでまた警備員と顔を合わせなきゃいけないし恥ずかしいな…と既に面倒臭い状況がまた面倒くさくなった。
なので、この日の私は現金の小銭問題とバッグを取り返すという二つの問題を解決する必要があり、いつもより2時間早くカジノにやってきた。
そして結果、小銭はちゃんと戻していた。
あの心配はなんだったんだってくらい普通にしっかりと戻していた。
今後はこんな無駄な焦りをしない様に入念に記憶しながら小銭を数える…そう誓った。
そして、バッグの方は…
こっちも余裕だった。
洗濯所のおばちゃん達はバッグに見向きもせず、セキュリティーにも提出していなかったのでバッグをここで残したと話したらなんの確認もなく自分のバッグをさっと返してくれた。
よく日本人は平和ボケが過ぎるという意見をみるが、アメリカもアメリカで別方面で非常に雑なのでここまで確認がないと今後なんらかの大惨事が起こりそうだが、私としては助かった。
こうして、私は自分の部署の人間が誰一人知ることもなく、自分の問題を解決し、この日は普通に何事もなかったかの様にバイトをした。
そして、そんな今も私は過大評価され続けている。
実際は鍵を制服に入れたまま洗濯所に入れたり、それを取りに行ったら代わりにバッグを忘れ、挙句の果てには自分で勝手にミスしたと勘違いしてそれで眠れなくなるレベルの馬鹿である私だが、そんな私は今日も職場で一目置かれる頼れる存在(笑)である。
この調子だと今後なんらかの形でボロが出そうだが、とりあえずは周りのアジア人のイメージと期待に沿える様に今後も頑張っていきたいと思う。
が、やっぱりここまで物忘れが酷いのはやはり恥ずかしいので改善する方法を見つけたいし、このままだと日本じゃやってけないと思う。
いきなりだが、私はアメリカのカジノにある劇場のチケット売りのバイトをやっている日系ハーフ二世である。
今日はそんなチケット売りのバイト中のやらかしを綴りに増田に来たわけだが、私は日本で教育を受けていない為に少々文章力が乏しい。
なので、そこは多めに見てもらえると幸いである。
*あと非常にスケールが小さいどうでもいい話です。
★★★★★
アメリカでのアジア人の評価は大抵「頭がいい、真面目」という感じの一見ポジティブだが当人としてはプレッシャーがかかるステレオタイプとなっている。
なので、職場においての唯一のアジア人である私は真面目に仕事をやっているだけで「頭は良くて仕事が出来る奴」という周りから一目置かれた評価に落ち着いている…のだが、実際の私は全然そんな事ない。
(アメリカの『真面目』の基準が低すぎるというのは一旦置いといて)真面目なのは真面目なのだが、私は頭が良いとはとても言えない。
というのも、私はサービス業に置いては致命的になりうるくらいのドが付くほどの天然で、かなりのポンコツなのである。
なので最近は「期待外れにならぬ様にしっかりしなければ!」と心掛けていたのだが、バイトを初めてから三ヶ月、ついに先週の日曜日に私は自分でも呆れるくらいのミスをした。
そして、そのミス、というよりミスの連鎖は仕事終わりに始まった。
この仕事では帰る際に「銀行」と称される部屋に行き、自分がレジ業務に使う現金の入った袋を自分の金庫にしまう必要があるのだが、バイト中のセールスでもし現金の取引をしたなら自分の袋の中の現金が丁度$500になるまで機械に適度な額を入金しなければならない。
私はこの面倒臭い上にやっていると「数え間違えたかな」という無駄な不安に襲われるこの入金作業が大嫌いで、お客様がカードを使わずに現金でチケットを買おうとする場合は出来るだけカード払いに誘導している。
が、この日は誘導に失敗し、表面上ではニコニコしながら「覚えてろよこの野郎」と渋々その汚い金を手に取ってしまった。
新人の時みたいにまた小銭を落とすんじゃないかと少し不安になったが、たんたんと作業をし、タイムカードを切った。
そこから制服から私服に着替え、制服をカジノ従業員専用の洗濯所に預け、帰るべく車に戻った。
今日も頑張ったな、そう思いながら自動解除する車を開けようとすると、開かない…車の鍵を持っていれば開くはずなのだが…
と、ここで鍵を制服に入れたまま洗濯に出してしまった事に気付き、せっかく車まで10分くらいかけてやって来たのに、また10分をかけて洗濯所に戻った。
車の鍵という帰宅に一番大事なアイテムをポケットから出し忘れた自分が恥ずかしかったが、誰でもこのくらいのミスはするだろう…とこの時はまだそう思っていた。
いざ戻ってみると洗濯所は既に閉まっており、私はカジノの警備員に事情を伝え、15分くらい待たされた後にやっと洗濯所に入れてもらえた。
ちなみに、この時に警備員は「従業員IDを見せてください」という事は一切言わず、他の客と全く風貌が変わらない私の話を完全に信じ、従業員限定で鍵がかかった施設に入れてくれたのである。
その時は帰りたくて仕方がなかったから気付かなかったが、今思うとやはりアメリカは適当である。
と、そんな洗濯所へ入ったのだが、洗濯物をしばらく漁っても自分の制服が見つからず、かなり奥へ行く必要があった。
なので、ここで私は肩に載せていた自分のバッグを近くのプリンターの上に起き、洗濯物に飛び込んだ。
そこから二、三分くらいかけてやっと自分の制服を見つけ、鍵を取り出し帰る事ができた。
クソ面倒臭かった上に恥ずかしいミスだったが、私の部署には知られる事はないし問題も解決したしで、無事に家に帰った。
今日も頑張った…寝よう、とベッドに寝転んだその瞬間、私はとんでもない不安に襲われた。
現金を入金する際、小銭の額を数える機械からしっかりと小銭を取り出した記憶が全くない事に気付いたのである。
今更カジノに戻ってちゃんと小銭を袋に戻したか確認する事はできないし、いくら不安がっても仕方がないのだが一度その不安が込み上がるともう不安で不安で、このせいでこの夜は寝るまに3時間くらいかかった。
最悪、小銭の合計は丁度$8だった事を覚えているので、もし戻し忘れていたら自腹で$8を入れ、$20を崩して小銭を調達してバレない様にしよう…きっと大丈夫だ大丈夫だ…と自分に言い聞かせたが、それでも全然落ち着けなかった。
そして、そんな大事な事を記憶できる様にやらなかった自分、そしてカジノに余分に30分もいたのにその間にミスに気付かずにずっとボーッとして鍵の事を考えてた自分があまりにも愚かで反省した。
そして翌日、いざバイトに出かけようと思ったら…なんと肩にかけるバッグがなかったのだ。
そういやあの時…鍵を探す際にバッグをプリンターの上に置いたな…
と忘れた鍵を取り戻しに行って代わりにバッグを忘れていくというとんでもなく間抜けなミスをしていた事に気付いた。
という事は、洗濯所のスタッフが翌日職場に入ったらプリンターの上に謎のバッグが置かれてある光景になるはず…
爆弾が入ってるとか思われたらどうしよう…と無駄に不安になったし、多分これでまた警備員と顔を合わせなきゃいけないし恥ずかしいな…と既に面倒臭い状況がまた面倒くさくなった。
なので、この日の私は現金の小銭問題とバッグを取り返すという二つの問題を解決する必要があり、いつもより2時間早くカジノにやってきた。
そして結果、小銭はちゃんと戻していた。
あの心配はなんだったんだってくらい普通にしっかりと戻していた。
今後はこんな無駄な焦りをしない様に入念に記憶しながら小銭を数える…そう誓った。
そして、バッグの方は…
こっちも余裕だった。
洗濯所のおばちゃん達はバッグに見向きもせず、セキュリティーにも提出していなかったのでバッグをここで残したと話したらなんの確認もなく自分のバッグをさっと返してくれた。
よく日本人は平和ボケが過ぎるという意見をみるが、アメリカもアメリカで別方面で非常に雑なのでここまで確認がないと今後なんらかの大惨事が起こりそうだが、私としては助かった。
こうして、私は自分の部署の人間が誰一人知ることもなく、自分の問題を解決し、この日は普通に何事もなかったかの様にバイトをした。
そして、そんな今も私は過大評価され続けている。
実際は鍵を制服に入れたまま洗濯所に入れたり、それを取りに行ったら代わりにバッグを忘れ、挙句の果てには自分で勝手にミスしたと勘違いしてそれで眠れなくなるレベルの馬鹿である私だが、そんな私は今日も職場で一目置かれる頼れる存在(笑)である。
この調子だと今後なんらかの形でボロが出そうだが、とりあえずは周りのアジア人のイメージと期待に沿える様に今後も頑張っていきたいと思う。
が、やっぱりここまで物忘れが酷いのはやはり恥ずかしいので改善する方法を見つけたいし、このままだと日本じゃやってけないと思う。
本来は呪術2期(ジャンプ)で裏がサンデーの青オケだから競合関係が成立してたのに
急遽呪術が今の枠に移動した事で何故か同じサンデー枠のゾン100になったのは痛恨だな
引退時は21歳(22歳の誕生日の約3か月前)で、芸能人としての活動はわずか7年半ほどだった。引退までにシングルは31作の累計で1,142万枚、1970年代に最もレコードを売り上げた歌手であった[9]。
オリコンシングルチャートにおいて、1973年6月4日付でデビューシングルの「としごろ」が75位に初登場してから1981年3月2日付で32枚目のシングルの「一恵」が96位にランクインするまで、405週連続で100位以内にチャートインし続けた[10]。オリコンアルバムチャート(レコードのみ)において、引退後の1989年時点でアーティスト別セールス13位(251万枚)、TOP10総登場週数16位、TOP100総登場週数11位、と70年代アイドル歌手(男女共に)では最も上位にランキングされている[11]。
現役時代にはホリプロとの確執があり、『蒼い時』でも意見の相違により社長の堀威夫と衝突があったと振り返っている。当時の制作部長であった小田信吾とともに独立するつもりであったが、ホリプロ側が小田を説得して独立を阻んだため引退を決意したとの見解もある。もし独立が成功していれば三浦との結婚がなかったかもしれず、女優としてその後も活躍していた可能性があったとの見方もある[12]。
「全盛期の◯◯さん(芸能人の名前)」という言葉とともにその人が20歳前後だった頃の写真をあげている人を見かけるたび、嫌な気持ちになる。
広告やドラマに沢山出ていたとか、CDや写真集のセールスが最高だったとか、色んな要素はあるんだろうけど、実在する人間に対してこちら側の尺度で「良かった時期」「そうでもない時期」を勝手に決めるの、めちゃくちゃ失礼じゃない?
対象が人間じゃない客観的な事象とかならまあ仕方ないかなとも思うけど、それでもあまり良い気分はしない。
例えば「全盛期の夕張市の人口は12万人でした」とかもさ、結局「当時は凄かったね(でも今は……)」って意味じゃん。
この言葉を悪意をもって使っている人なんてそうそういないのは分かっているけど、どうしてもチクチク言葉のように感じてしまう。
しかし両親の死去により祖父母が精神的に弱ってしまい、心配で田舎に帰ることにした。
何より自分自身も、コロナの後遺症なのか咳や蕁麻疹に悩まされ仕事どころではなくなっていた。
子どもでも大人でも常に教育は大切で、社員に対する研修も自己研鑽に対する補助も充実していたところでしか働いて来なかったせいで、紹介された地元の企業に入社して驚いた。
「うちは新入社員への研修を1日やるだけだから。中途の人は誰かに教えてもらって」
ところが普段の業務を「教える」という経験をしたことがない人ばかりで、何を伝えればいいのか分からない。
私も何から聞けばいいのか分からず、隣で見ながらメモをし、何か新しいことをするときに「何をするんですか?」と聞きに行く。
面倒くさそうにされ申し訳ない。
3年目5年目などの節目の研修や、個人向け営業研修、これから部下を育成していく人のための研修。
事前に課題もあるし研修後のレポートは上司にチェックしてもらわないといけないなど、普段の業務を行いながら並行して受けるのは大変だったが、あれがあったから仲間意識も生まれたし、会社の理念や方向性、私たちにどうなって欲しいかが自然と頭に入り身についていたのだと思う。
管理職向けのハラスメント研修なんて上司たちが嫌々ながら受けに行っていたのを見ていたけれど、それでもあのおかげでハラスメントによる相談や離職はあまり聞いたことがなかったんじゃないのか、と今ならわかる。
東京に残してきた皆に言いたい。
研修、あってよかったんだよ。
大変だったけど。
営業なのに新規のお客さんが獲得できないまま10年経ったっていう40代の人にこっそりセールスコーチングをしていたら、新規契約を取ってこられて楽しくなったよ。