はてなキーワード: イラストレーターとは
アンタ(anond:20230428072107)は敵側の人間だがポイントをとらえてる。
俺もかつて疑問に思っていた。
数年間、はてブを中心に開催されていた
答え。応戦する側がそれどころじゃなくなったから。
観察したところ、フェミニストは今も昔も変わらずにピーチクパーチクやっている。
まず、コラボとの戦いに全力を割いていた。
ミソジ二スト、アンチフェミニストを中心に、力を結集する必要があった。
ここが重要なんだけど、同時に巨大な敵が現れたんだ。
あろう事か自身が信奉していた人々、イラストレーターと戦うことになった。
オタクからはイラストレーター側に回った人々もいて、フェミと戦った兄弟を相手に血を流しあう運命が待っていた。
この隙に、ジャニーズへの性加害問題が表面化して、ミソジニストはジャニオタの女性を責めるのに快楽を見出した。
かつてフェミニストが繰り出していた、お気持ちという兵器が、いまやあらゆる陣営で使用されてるのに注意してほしい。
コラボではフェミニストはもちろん、批判する側も、もうコラボは役目を終えたのだから終了する「べき」などとクレームをし。
AI イラスト戦争では、イラストレーター側が明示的に穴が開けられた著作権の、そのドーナツの穴の部分は本来自分らの権利・ドーナツなのだと、定められた法の外のお気持ちを主張する。
ジャニオタはジャニーズの性被害に『加担』していた、などと言われている。思い出してほしい。『加担』は、かつてフェミニストが言ってたことだ。萌えイラストを見て女性蔑視に染まったミソジニストが女性を攻撃するのだオタクはそれに加担している、とフェミニストは主張した。オタクらは因果関係を示す科学的な証拠をみせろ、無理だろう、と鼻で笑ったものだ。
オタクは今や、アンチフェミニスト、表現の自由戦士、ミソジニストなどに分裂し、それぞれ違う敵と戦っている。かつての敵フェミニストが使った兵器、お気持ちを駆使して。
ついフェミほどの悪評ではないにしろ、「反フェミ」という存在はtwitter民のアングラ連中にとって「目の上のたんこぶ」になっていることは周知の事実だろう。
時は2020年あたりに遡る。このころはまだ「フェミニスト」という存在が、ある程度は市民権を得ていた時代だ。具体的には
・女性イラストレーターがフェミニストの意見や行動をリツイート、言及する
今ではある程度フェミニストに反論したり、フェミニストの悪口を言うと「あるよね~」と同意を得られているが、当時はフェミニストに文句を言おうものなら、袋叩きにされていた。
男は女の犠牲になるのは当たり前、男は女性に従うべき、男は女性にアプローチするな、男は意見するな、性に興味を持つな、などなど。
男児への加害発言や虐待的な教育も「正しい事」として受け入れられていた。
今で言うと「まともな感性」を持っている人は、非常に肩身の狭い思いをしていたわけだ。
その中で、すももや青識、YS、小山といった人はフェミニストを叩き続けていたのである。
フェミニストが苦手とする「統計」や「論理」、「事実の指摘」といった面でフェミニストに交戦していたわけだ。
しかし彼らには欠点があった。それは「反フェミ」は「反フェミ」であって、固有の思想を持たないのだ。
彼らの活躍があってかは知らないが、次第にフェミニストは弱体化していった。
度重なる内ゲバによるインフルエンサーの離脱、フェミニストの高齢化による騎士の離脱、過激化によるフェミニスト内でのドン引き、特に大学生フェミニストは社会に出てあまりのイージー具合に怒りが収まる、などなど。
今の大学生や若い集団は「フェミニストは頭がおかしい、きもい、おばさん」みたいな扱いをしている。
大学でフェミニズムを学んでいる人は、「フェミニストはいいけど、ツイフェミはヤバイ」と思っている。
結論を言えば、反フェミは敵を失ったのである。かつては「社会」が敵だった彼らは、「一部のイカれた狂信者」が敵になった。
しかし反フェミは、まだ社会と戦い続けている。勝利したにも関わらず、彼らは「社会」に対して「イカれた狂信者」向けの言説を飛ばし続けているのである。
「フェミニストはヤバイ」から、「男女論を語ってる奴はヤバイ」になりつつある。
しかしこれはこれで正しい道なのかもしれない。そもそも反フェミが初期から言っていたように、「男女で物事を語る」事自体間違っていたのである。
一般的な傾向(10の事例のうち8まではあてはまるが2の例外はある、位のニュアンス)で言えば、マイノリティって経済的にもマジョリティより劣勢なことが多いのよね。経済的に優位な存在がいるとそれはそれでバックラッシュか起きるって問題はあるけど一旦置いとく。
で、現代社会において、なんらかの文化が喧伝されるときって経済活動が絡む機会が圧倒的に多い(慈善事業として手弁当でやる人たちも当然いるけど)。
経済的強者のマジョリティが自分たちの文化使って金儲けしようとしてるの見たら、まあキレる人が出てくるのも出てくるわなと思う。
グウェン・ステファニーが日本文化ブランド打ち出して燃えたのも結局それで、日本人からしたらアメリカで誰が何でどう儲けようとか正直海の向こうの話でピンと来ないじゃん。でもアメリカだと経済格差が人種問題の絡みって根深いわけよ。
グウェン・ステファニーは商売にしてるわけ。そういうのを認めてしまうと自分たちに跳ね返ってきてしまう。だから「そもそもそんなん認めたらあかんやろがい!」で押し切ろうとしてるのが今の流れかと思う。
文化への愛があれば別にいいんじゃないのって思う向きもあろうが、この辺イラストレーターの絵柄を模倣したりAIで似たようなものを生成したりする話題と似てるところがあるかもしれない。愛があればなんでもやっていいの?って話と、それはそれとしてイラストレーターは飯の種が減るのでマジでやめろって話は並存してるって点で。
そもそも金を出す側が「○○みたいなイラスト描いて」とかってノリで、イラストレーターの個性とか絵柄とか認めてなくて、安いかどうかしか気にしない
本当にね、イラストレーターって幼稚な人が多いんだよ。自分たちの作品について、『誰かからの影響を受けた』ということに対して全く意識が希薄なんだ。もちろん、誰かの影響を受けたとしても、それを認めることが悪いわけではない。
むしろ、自分が誰から何を学んだのかを明確にすることで、より良い作品を生み出すことができるんじゃないかと思うんだけどね。
でもイラストレーターたちはそんなことを全く考えない。
自分たちの作品に誇りを持っているとはいえ、他人に影響を受けていることを認めたがらない。そんな彼らが、『誰かに似ている』と言われると、もうあんなに怒り出すんだから、もはや幼稚な万能感に支配されているとしか思えないんだよね。
それに、AIについてもね。音楽家たちは、AIが音楽を創作していることに寛容なんだよね。あくまで直接的に自分たちに不利益な場合のみ拒否している。
でも、イラストレーターたちは全く受け入れようとしない。
その理由は簡単だよ。閉鎖的で非合理的な感情が原因なんだ。彼らはただ、自分たちの幼稚な世界に閉じこもって、自分たちの意見だけを信じている。
でも、そういった幼稚な世界に閉じこもっていては、自分自身が敗北するだけなんだよね。
自分の作品について、他人の意見や批判を受け止めることができなければ、より良い作品を生み出すことはできない。そんなこと、当たり前のことだと思うんだけどね。
内閣府 啓発用ポスター ほかの作品と類似で使用取りやめ | NHK
内閣府によりますと、「若年層の性暴力被害予防月間」の今月、啓発用のポスターや関連動画のイラストが、イラストレーター…さんの作品と似ているという指摘が外部から寄せられました。
これを受けて、事業を請け負った…に確認したところ制作過程で指摘された作品を参考にしておりチェックが不十分だったと報告があったということです。
このため、内閣府は、ポスターや関連動画の使用を取りやめ、すでに配布したものも可能なかぎり回収することを決めました。
内閣府は「極めて遺憾で、事業者に真摯(しんし)な対応を求めていく」とする一方、…関係者や国民に対し「ご迷惑をおかけし、おわび申し上げます」とコメントしています。
(一部引用者により省略)
これについてブックマーカー達は、絵柄が似ているだけ? 著作権侵害にならないのでは? などと批判している。
でも私は、この内閣府判断を支持する。伝えたいメッセージが本当に重要ならラクをするべきではなく、努力してオリジナリティを打ち出すべきだ。イラストに挑戦したことがない人には分からないかもしれないが、オリジナリティをゼロから作り出すのは本当に難しい。ああでもないこうでもないと、人気のないうちから長い時間をかけて磨き上げていく。凡庸さから抜け出せなかった同期たちは次々プロを諦めて一般職に落ちていく。食えてる芸術家はそんな恐怖の中を生き抜いてきたんだよ。確立した画風はイラストレーターにとって自分の一部のようなもの。それを勝手に参考にされて酷似させて奪うのは、パクリ以外の何物でもないでしょ。
あのね。
完全に逆。
思考の順番がまったく逆なのよ。
法律(ルール)の土台には、まずそれを支えるモラルがある。法律違反じゃないからといって何をしても許されるという事にはならない。自分が他人の作品を隣に置いて絵を描いてる様子を想像してほしい。そこにはどこか後ろ暗い気持ちがあるでしょう? 誰もがルール以前に暗黙のモラルに従っている。法律に訴えるのはモラルで事前にガードできなくてクレームも受け入れられずにこじれにこじれたときの最終手段なんですよ。好きにパクリ放題して裁判で負けたときだけアウトにしていたら時間とお金がいくらあっても足りない——少し考えればわかる事だよね。世の中は全か無か人間だけで回ってるわけじゃないの。
その証拠に例えばジブリの絵柄に似たマンガ・アニメ、だって存在しないでしょう。それはクリエイターと観客みんながジブリをリスペクトしているから。ジブリに直接依頼せず許可も得ずに参考だけするなんてあり得ない話。行政が制作し公共の場に置くポスターならばこそ率先して従うべきモラルがある。オリジナリティをゼロから作り上げた側・パクられた側が NO というなら NO なの。法以前の問題。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230419/k10014042591000.html
たなかみさきとかいうイラストレーターの作品に似ているという明後日の方向からの理由で
取り下げたと言われたけれど、
似てる、かあ…?
まぁ、あのポスター自体は良かったけれど、このたなかみさきって人の絵が気色悪すぎて、こんなのを真似て描いたんだとしたら
確かに取り下げて正解かも…。
「事業を請け負った「凸版印刷」に確認したところ制作過程で指摘された作品を参考にしておりチェックが不十分だったと報告があったということです。」って言ってるしな。
露骨にエロじゃん、それも下品で下世話なやつじゃん、気持ち悪いよ。
内容は全く同じで、まともな絵柄で書き直して欲しい(でも肝心の内容を骨抜きにしそうだな…)
その辺にいくらでも転がってるようなくっっっそシンプルな表現の似顔絵描いたら有名(?)なイラストレーターのパクリと言われた。
線と点でできた白黒の絵なんて小学生でも描けるのにパクリ?その作家のフリして贋作描いてるわけでもなしに。
「表現が●●っぽい」はあったとしてもそれはパクリではないだろ。
てか最近AIとかでも話題にあがるけどそもそもなんでそんなに絵柄の権利にこだわるんだ。絵柄に著作権はそもそもないけど、なくていいじゃん。
音楽だったらロキノン系、食だったら二郎インスパイア系、芸人だったらモノマネという一芸として、てな感じで良い感じに真似が発展していくのに。
デザイン業界でさえ「今年流行の配色傾向」とか「流行りのWebデザイン」とかやってるのに、絵だけは個人の絵柄を大事にしたがるよね。
自分の手癖で絵描いてたら似た作風の人が突然有名になって、その日から「あなたあの人のパクリでしょ」って言われる可能性があるってことよ。もう文化的に終わってるよね。
一応商業絵を描いているイラストレーターのくせにちゃんと調べたことなかったのは反省している。
画像生成AIのことは、昨年midjourneyが話題になったときに認知していたけどその頃のAIの絵柄と私の絵の方向性はかけ離れたものだったから「わァ…凄い時代がきたな〜」とぼんやり思っていた程度。
ただ最近は色んなネガティブな話題をひっきりなしに聞くからマイナスなイメージの方が大きかった。
特に「著作権」という言葉にはなんだかネガティブな思考が勝手に流れ出てきてしまう。
で、先日のお寿司のアレ、流石にサインが入っていて気付かないってことある?そもそも読めないしこれって本当にサインなの?と疑問思って、
先週忙しさも一段落したから画像生成AIについて検索して調べてみたらAIの仕組みを解説する記事に到達した(「イラスト生成AIに対するよくある誤解」っていう記事)
自分が想像していた「勘違い」がまさに解説されている記事だった。
依頼内容の絵にならず悩んだとき、自分が誰かの絵や写真を見て「この絵にはグリーンがあると依頼者のイメージ通りになるな」と思って葉っぱを追加するのと、
AIが「この絵の左下にニョロっとしたものがあるともらったテキストのイメージ通りになるな」と思ってサインっぽい何かを追加するのは同じじゃない?
小学生の頃は透明な下敷きに油性ペンでジャンプマンガやゲームの攻略本のキャラクターをトレスして目の描き方、カッコいいポーズ、ドラゴンの描き方を学んだし、
それこそサインの書き方も、昔誰かの絵を見て「筆記体で書くとカッケ〜」「SNSにあげるときはID入れればいいのか〜」と思って筆記体で書いたりID入れたりするようになった。
今ではトレスはしないものの、見たものから発想を得るということは日々息をするようにやっていること。
そしてまったくトレスしたり真似たつもりはなくても、狭い業界の挿絵とかだと特に、たまたま構図とモチーフがまるまるかぶっていたりすることはある。
AIも人間も同じじゃんと思った。AIの方が超スーパー爆速なだけで。そう思ったら昔想像してた未来に触れた感じがして感動すらした。
自分のこれまでの努力でも得られなかったクオリティがとんでもないスピードで生成される虚しさはよくわかるけど、仕組みがわかると「物は使いよう」という期待感の方が上回った。
寿司サインの件のように間違った知識で否定し拡散している人がこれだけ多くいることの衝撃、
Twitterで吐き出すと反感買って議論にならなさそうなのでここに書く
もちろん一目で『あの人の絵だ!』ってわかるイラストレーターもいる、けどそんな人はトップランカーのごく一部だけ
数年前(個人的には中韓の絵師がTwitterに増加して以後)ぐらいからイラスト界隈の画力レベルって全体的に底上げされた印象がある
解剖学を踏まえた人体の描き方とか、乗算や加算レイヤーぽさのない影や光の描き方とか
だから上手い絵は爆発的に増えているけど、その代わりどこかで見たような絵柄ばっかり AIイラストでよく見かけるような感じの
AIは単に既存の画像から学習してるだけだから逆説的なんだけど
別に商業イラストだけじゃなくて二次創作とかでもそう、上手い絵お洒落な絵描く人間は増えたけど一目見て『誰それさんの絵だな~』って思うことが減った
一目見て強烈なフックを持っているイラストがあんまりない デフォルメのやり方が特徴的なんだけどデッサンやパースに狂いがあるのではない、みたいな
まあ二次創作の本質はそこじゃないのでそれでも構わないんだけど
ノウハウが広く周知された結果平均化が起こったのかな
美術解剖学とか色の明暗とか、アカデミックな描き方をイラストに落とし込むのが上手なのって中国の美大出てるイラストレーターだよね
未成年や素人が性搾取されることのない平和な世界の出来上がりやね。
裏モノで出回ってるような完全に犯罪のエロも需要は一気に減るだろうね。
AIの力でもっとずっとヤバイエログロが作り放題になるんだもの。
客からしても見分けなんてつかないのにわざわざ捕まるリスクがある上に値段も高くなるような本物に手を出すメリットがないわ。
いやマジでこれは凄いことだよ。
承認欲求や金のために子供さえポルノとして利用してた連中が実質的に消えるんだから。
外来種との栄養の取り合いで敗北した猛毒の在来種みたいなもんだね。
技術によって希少価値が奪い取られていく過程は多くの場合、世界を豊かにする。
厳密には犯罪じゃないけどグレーゾーンやってるイメージビデオやグラビア文化も消えるだろうなあ。
AIコスプレイヤーの方がルックスも上だしなんでもやってくれるし、なにより価格競争的にも有利。
んでまあそうやって需要が減っていけば、イソスタで承認欲求稼ごうとスケベダンス踊ってるようなガキのパンツも無価値になって、連中ももうちょい創作的な活動に時間を使うようになるわけだ。
うんうん全てがいい方向に進んでるね。
AIイラストによって著作権無視のパクリと粗製乱造が吹き荒れてイラストレーターは廃業になり世界は貧しくなるんだ―!なんて言われていたが、少なくとも実写ポルノ界隈については世界は間違いなく豊かになるよ。
モラルの面でも間違いなく、というか、モラルの面においてこそ圧倒的にって感じかな。
すげー時代だ。
恥ずかしながら、結構最近まで村下孝蔵さんのことはちゃんと知りませんでした。代表曲である「初恋」はテレビの歌番組で聞いたことくらいはあったと思いますが、正直「昔の一発屋」くらいの認識でした。
とあるイラストレーターさんがツイッターで「今日も村下孝蔵さんの声が良い・・・」みたいなことを呟いていたのをきっかけに聞き始め、とりあえずitunesでベスト盤を買いました。
色々聞いてみて、「初恋」や「少女」、「春雨」等々、良曲はたくさんあるんですが、その中でも最高だと思ったのが「踊り子」でした。メロディは正直ちょっと古臭い(失礼)とは思ったのですが、むしろノスタルジックな雰囲気が最高です。もろに昭和後期の恋の歌、って感じですね。
それで、聴くほどに、読むほどに染みるのが歌詞なんですよね。別れ歌なのですが、「別れる」とか「離れる」、「振られる」といったいわゆる失恋ワードが一切出て来ないんです。すべてが比喩で語られるんですよ。直接説明されないからこそ頭の中で情景が浮かんで、きれいなメロディだけでは不可能な浸り方ができるんですね。本当に最高です。
冒頭の歌詞が
「答えを出さずにいつまでも暮らせない
ですよ。
このフレーズで、一緒に暮らしてきた恋人たちが限界を迎えているというシチュエーションを完璧に説明してるんです。はー、詩的だ。
サビでは、1番で「つまさきで立ったまま 君を愛してきた」
2番で「つまさきで立ったまま 僕を愛してきた」
最後の繰り返しで「つまさきで立ったまま 二人愛してきた」
と展開されます。
お互い無理してきたんでしょうね。それを「つまさき立ち」と表現し、さらにそれをバレエダンサーに喩えて「踊り子」というタイトルを付ける。えらいセンスだなあと思いました。
で、歌詞にこの文章を書こうと思ったきっかけになった部分がありまして、先の冒頭の歌詞の続きが
暖かい所なら 何処へでも行く」
なんですよ。
ここだけ妙に直接的というか、行き詰まった恋をなんとかしたいというのを「暖かいところに行きたい」と言っただけだと、比喩として(他の部分と比べて)弱いような気がしました。そこでぼーっと歌詞を眺めていたら、ふと林檎の産地って寒いところばかりだと気付いたわけです。調べると、日本国内の生産量の90%が青森、長野、岩手、山形、秋田で占められていました。つまり、日本に林檎の花が咲く暖かいところなんてあまりないわけです。
それを踏まえて歌詞を読むと、「林檎の花」と「暖かい所」は相反する要素であって、「何処へでも行く」というのは「(もしそんな所があるなら)何処へでも行く」であり、無い物ねだりだったんだと分かります。「もし破局を避けられるのなら何でもするよ。でもそんな道はないんだ」という切ない話なんですよね。ところが、この気付きを誰かの書いた文章で共感したいと思って検索したら、「暖かいところは幸せの象徴で」とか「林檎は日本の南の方でも栽培されているので」みたいな解説ばっかり出てくるわけですよ。いや違うだろと思って筆をとりました。
何が悪かったとか、何がきっかけだったとかではないんですよね。好きな相手に自分を良く見せようとして背伸びをした結果、お互いに相手に見せる自分と本当の自分がずれていってしまった。お互い好きになったのは相手の着飾った姿で、だんだん見えてくる本当の姿にストレスを覚えるようになり、やがて耐えられなくなる。お互い未練があるから取り繕ってきたけど、もう一緒には暮らしていけない。大人同士ならすり合わせてうまくやっていく道もあったのでしょうが、若い二人は良くも悪くもまっすぐで、それができない。
顔も見えない、名前も分からない登場人物の、愛情と悲哀だけが伝わってくる。こういうストーリーを「別れる」という言葉を一度も使わずに、どこか美しく表現するって、本当にすごいセンスだと思います。村下孝蔵さんの歌に出会えて、本当に良かったと思いました。
誰かが共感してくれると嬉しいです。
あと、村下孝蔵さんを知っている人には釈迦に説法かもしれませんが、生前に親交のあった沢田聖子さんが「親愛なる人へ」という追悼歌を作られています。
絵師に数万握らせて納期一ヶ月かかるより、AI使いに同じ金額払えば数十通りのイラストを数日で出してくれる。
画風も色々調整出来たり、この絵の質感でこんな感じの・・・とお願いすれば快くさらに数十パターン出してくれる。
学習が~とかどうのこうのいうヤツ居るけど、じゃあ元になったデータ特定できるの?とか、そういう論調に乗っかってる奴らばっか。
ChatGPTがもてはやされて、なぜイラストAIは目の敵にされてるのか。
本質は同じなのにな。
そもそもイラストレーターなんて虚業みたいなモノであって、無くても困らない訳だよ。