はてなキーワード: ながら見とは
バイトがさっき終わって、帰りにコンビニで冷凍ピザとかっぱえびせんとウーロン茶を買って、家に着いたらピザをオーブンで焼いてPS3つけてトルネで録画してた今週のプリキュアを出来上がったピザを食いながら見た。
プリキュアシリーズは今期から初めて見たのだけど、面白い。魔法少女物っていうと最近見たまどまぎも面白かったけど、普通の子供向けアニメの、プリキュアも面白いじゃないか、というわけで毎週録画して楽しんでいる。
びっくりしたのはプリキュアってこんなわかりやすい道徳アニメだったのかということで、誰にでもある自己中心的な部分との折り合いの付け方について、どういうふうに決着をつけるのだろうかと興味津々。というのも俺自身もどうするのがベストなのかさっぱりわからないからだ。22にもなってそんなのもわからないてのが大問題だと自分としては思っていて、周りのみんなは自分の自己中的な部分とうまく付き合って深刻にならずに生きているわけで俺はその付き合い方に問題があってヤバくなって最終的に無差別殺人とかしたり近所で有名な騒音オジサンとかそういう"愛を忘れた悲しい増田さん"になってしまうんじゃないかとヒヤヒヤしている。
"愛"とは思いやりだと思う。そして思いやりとは何かを良くすることのできる唯一のエネルギーだと思う。何をどうすればよくなるのかってのはケースバイケースで考えていくしかないから絶対的な答えはなくてその人が正しいと思う"良くなる"働きかけを実行しなければならない。実行した結果、良くなるとも、相手に愛が伝わるとも限らない。失敗して他人のせいにしたら愛は失われてしまう。自分の責任を放棄せずに"良くなるための働きかけ"を実行するというのは大変だ。それを支えるエネルギーが愛だ。
つまり愛とは頑張って働いて手に入れることのできるお金みたいなもんで深く深く悩んで考えて生まれるエネルギーでネガティブな感情の反対にあるもので…プリキュアを見ているとなんかそういう汗くせして獲得するっていう感じがしなくてチートだよなーとか思ってしまう。リアリティにかけている。子供向け作品にそういう変なリアリティはいらないんだろうけどさ、いったいどれくらいの人が胡散臭いと思っているのか。どういう作品なら子供でも愛について深く考えることができるのかはわからない。見る人にとってリアリティは重要なはずだ。つまり何が言いたいかというと、ブサイクが活躍する話を作ってほしい。美談美女ばっかり活躍する話はもういい。ある価値観をぶち壊すような、そういうむちゃくちゃで泥臭い話を作ってほしい。ブサイクでも尊敬できる人っていっぱいいるし。でもルックスがいいのは得だ。どの時点でそういう美的感覚って決定されるんだろう?みんな目が見えなければルックスとか関係ないよねと思う。でも盲目のレイチャールズは手首を触って美人かどうか判断してたっていうから別な器官でまた美しい醜いの判定がされるんだろうから意味無し。この間「外人」というワードでgoogle画像検索したら9割エロ画像で「白人」で検索したら7割で「黒人」で検索したら3割位だった。チクショー俺は黒人でも白人でもみんな平等に抜く。平等に接する。俺の愛の深さは外見なんて要素で変わったりしない。だからみんなも不細工だからって冷たく当たらないでほしい。
Gunosyってさ、はてぶのホッテントリが1日遅れで配信されてくるだけのサービスじゃん。
つまり、みんな忘れちゃったけどSummifyの劣化版。
でも、みんな意外と知らないで喜んで使ってるんだよね、そのこと。
元々みんなに人気のホッテントリを、はてぶを知らない人にカスタマイズして流しただけで
おみくじ当たった!凄い!って感じでみんな喜ぶから、中の人も勘違いして
こんなスライド作っちゃったり。
http://www.slideshare.net/YoshifumiSeki/world-ia-day-16506953
内容以前にet alの使い方間違えまくってるし、お前さ、院で論文書いたことも無いのかよっていう、ね。
で、Gunosyの中の人は「Gunosy=はてぶホッテントリメール」という事実を隠したいみたいだけど、
大笑いしちゃった、これ。
"Gunosyにはてなブックマーク数を表示するChrome拡張「hatebunosy」つくった"
http://yumulog.hatenablog.com/entry/2013/02/17/170303
まぁさ、騙されたと思って使ってみなよ、これ。
すごいから。
もうね、見事にぜ〜んぶの記事にはてぶがビッシリとついてるわけ。
例外1個もナシ。
いやー、前から「これはてぶで読んだな」「それもはてぶで読んだ」なんて思いながら見てたけど、
こりゃひどいわ。
「あなたの興味を分析し、興味にあったニュース・記事を推薦するスマートなパーソナルマガジン」ですって、
は?どこが??
皆が皆はてぶしたような記事を再編集して流してるけど、
はてぶ使えばもっといい記事たくさんリアルタイムで読めるんじゃん。
バッカじゃないの?
ヱヴァンゲリヲンのQをみた。東信者である俺は村上裕一×坂上秋成×さやわかによるQ最速座談会ももちろん聞いたし、風花でのあずまんと坂上村上ustも見たし、はるしにゃんとあずまんのtwitterでの絡みもチェックしたし、文学フリマでのQの感想を言いたくて仕方ない空気もしっかり感じた。相変わらず、文学フリマは「東浩紀不在の存在感」しかなかった。
さてQの感想はというと最初は「あれ?もう終わりか」というあっさり感。やけにシンジとカヲルいちゃついてんな、くらいが印象的だったのと、短いのもあってまるでTV版を見ているような感覚だった。劇場は満員で、上映が終わった後の観客の態度もなんだかしっくりきてなく見える。ロフトのイベントに出る直前のQを見たあずまんの感想が「僕には退屈だった」というのもあり、まあこんなものなのかと大して感動もないまま家に帰る。
避けていたネット上の色んなネタバレ感想をチェックしているうちに、Qは旧エヴァを見ている人間ほど思う所が強く、新劇場版から入った人間ほど低評価、という傾向にあるようだ。低評価の人間に多く共通しているのは「ミサトさん達ひどい」だ。シンジに共感している人が多い。確かにミサトはレイを助けるシンジの背中を押したくせにあれだけシンジに嫌悪感を見せるのはひどい。他のヴンダーのメンバーも気持ち悪いくらいシンジを否定している。そりゃサードインパクトを引き起こした張本人を前に友好的になれってのは無理な話かもしれないが、シンジだって使徒止めたしニアサード引き起こしたのはマークシックスなんちゃうん…あとシンジがエヴァにさえ乗らなければフォースインパクト起きないんだからちょっとは優しくしとけよ。自分だけ14年置き去りにされて(28)や(43)にあんだけきつくあたられたらそりゃネルフ側に行くわ…と突っ込み出したら切りがないが、14年という年月の間に明かされてない事が多いのでどうとでも解釈できる。ミサトさんもヴンダー立ち上げるまでに色々あったんだろうし43なら更年期障害とかあるかもしれんし、部下の前で弱い所も見せれんかったのかもしれん。
ひと通りネット上の感想を見た後で坂上村上さやわかQ座談会も聞く。三人とも旧エヴァからのファンで、Qにかなりの衝撃を受けた直後からの感想が生々しくて実に良かった。彼ら的にはQは決して高評価でなく、エヴァを見続けている人間として胸をえぐられた気持ちになり、傷つきつつも、座談会を通して次作のシンエヴァを待つ気持ちにようやくなれたということらしい。しかし他の低評価の人たちに比べたら随分高評価だと言える。聞いていて庵野信者とはこういうものか、と納得できた。
その後続けて風花のあずまん坂上村上ustをみる。こちらはゼロ年代の風景が再びといった面子で東クラスタ的には涎が止まらない。重要なのは坂上がtwitter上で思想地図β2の震災特集号の巻頭言に大して上から目線感想をし、あずまんがカジュアル破門をし、その後坂上が宇野常寛陣営に下った後の初の二人の対面という構図だろう。
人間関係においても時間という薬は効き目が抜群で、あずまんと坂上もあのカジュアル破門の一件から一転して普通に話している。しかしどこかギスギスしている所は否めない。坂上の立場としてはとても難しい。宇野との関係がある以上あずまんと必要以上に交流したら立場として面倒くさくなるのは明白だ。それでもこのustで坂上が冗舌なのは彼だって東信者だからである。あずまんを尊敬して、でもあずまんの強烈すぎる人格性に耐えられなくて逃げて、それでもあずまんが諦めきれないのだ。俺がustの一連の坂上の発言から読み取ったのは「俺を認めてくれあずまん!」というメッセージに尽きる。でもあずまんはもう坂上に大して興味がないしQにも興味がないのだ。坂上が言うQの解釈というのはあずまんにとって遊びでしかない。ゼロ年代的な言葉遊びに辟易した彼からしたら坂上の仕事は頑張っているとは言えても世界を変えるまでには至らない、とるにたらないものだろう。それでも坂上の仕事はあずまんの影響下にあるもので、「よく出来た劣化コピー」のような、あずまんから見たら愛憎交じるアンビバレントな思いもあるだろう。だから彼はゲンロンカフェの話を持ちかけた。これは坂上にとって良い話なので、当然受けるだろう。これは同時にあずまんから宇野に対する牽制でもある。仮面ライダーの話をした点からも明らかだ。坂上の「仮面ライダーなら村上さんも語れますしね…」と力なく呟いたのが印象的だ。そこは明らかに宇野の名前が出るはずなのに、出なかった。出せなかったのだ。まったくもってめんどうくさい話である。
あずまんはなぜQに感動しなかったのか。彼と坂上および村上の間で共通している見解としては「庵野が旧エヴァのような事を再びQでやった」である。破で宮崎駿や押井守に負けるとも劣らぬクオリティの高いエンターテイメントを提供した庵野が、敢えてそれをぶち壊すような所にシビれ、憧れたのが坂上であるが、あずまんはそこに反応しなかった。いや、一定の評価はした。そんなことをしてしまう庵野さんは誠実な作家だし、評価されるべきではある、と。しかし、旧エヴァのようなことをして、それで出てきたものがこれだった、それだけの話だと。つまり、あずまんは庵野が破で得た物を失う覚悟で旧エヴァ的な事を再びやろうとしたQを理解している。坂上と見解は一緒なのだ。その上で退屈だったと評しているのだ。ここでのあずまんのQに対する低評価は謎だ。新規のエヴァファンが破のようなエンタメを期待してQでがっかりするのとはわけが違う。旧エヴァからのファンが庵野の再暴走に困惑されながらもさながら90年代の頃のように「それも庵野の手の平の上で踊っているにすぎない」と自覚しながらも難解な解釈を並べ悦に浸る様子とも違う。旧エヴァからのファンでもあるあずまんはすべてをわかっている上でQを評価していないのだ。そこには坂上と同等かそれ以上のエヴァに対する愛がある。愛がある上での諦め。庵野さんはこの程度だった、という残念感。それはなんなのか。あずまんは純粋に作品から狂気が感じられなかったとも言っている。一方で坂上は破を見せつけた上でこんなことをしてしまう(旧エヴァからのファンに大して14年時間を飛ばすという暴挙を突きつけてしまう等)庵野さんからはやっぱり狂気を感じた、と村上さやわか座談会で述べている。坂上が感じたこの狂気はゼロ年代的である。あの作品があったから感じられる庵野さんの狂気、という文脈ありきの話である。これは言ってしまえば島宇宙内での狂気、カタルシスだ。座談会でも述べられていたが、Qは海外で評価される可能性は限りなく低いだろう。ガラパゴス化したエヴァファンの間で熱狂的に批判され、評価され、むさぼられるのは目に見えている。あずまんが興味があるのは世界を変えるレベルのことなのだ。Qによってその可能性を落とされたエヴァに対して興味が薄くなっているのも無理はない。彼がエヴァで興味のあることとしたらそれによって動員できる人員、客および金と若い芽くらいだろう。シンエヴァによって変わる可能性も否めないが、現時点ではわからない。
大量に書いてしまったが、この二つの座談会とustを見ることで俺個人では感じれなかった旧エヴァ時代からの熱いファンの解釈を知ることができた。それが何よりの収穫だ。みんなも罵倒しながら見るといいんじゃないかな。
http://anond.hatelabo.jp/20120717012523
この間のクロ現でも首相官邸前の金曜日のデモについてやってた。
大飯原発再稼働の時のデモはUstreamで多少見てたが、ネットではやっぱりいまいちわからない。
何が行われているのか、何が主張されているのか、どのような人が参加しているのか、どのように終わるのか。
この全国で行われている「再稼働反対」デモはいつまで続くのか。
わたし、気になりました。
東京、大飯前でやってるなら、原発動いてる関西でもやってるだろうと思ってTwitter検索。
デモははじめてだ。
ただフジテレビ抗議デモはネットで見た。これはおかしいと感じていた。
それとは違うだろうと思って見に行った。
はじめ持った感想は、怖いだった。
何か、言い表せないが、何かが渦巻いているような感じがした。
参加者はいろんな人がいた。中年のおじさん、おばさん、母親のグループ、若い父親。会社帰りのサラリーマンは少し離れて見ていた。
自分と同じ世代の人もいた。配信しているふうの人が何人かいた。
いろんな人のチラシや新聞を貰った。
オスプレイ配備反対、反核、反原発、We are the 99%。平和活動系、労組系、共産党系、宗教系・・・
「再稼働反対」とは便利な言葉だなと思った。人を集めてまとめる魔法の言葉。
人が集まる場所は、2箇所にわかれていて、片方は「再稼働反対」と叫ぶところ、もう片方はスピーチやアクションをするところだった。
「再稼働反対」というシュプレヒコールは耳につく。「再稼働反対(どんちゃんどんちゃん)」今でも頭に残っている。
ずっと聴き続けていたいとはあまり思わなかったので、できるだけ移動しながら見ていた。
ダイ・インという言葉と行動を初めて知った。
やっている人にとっては意味を持つのかもしれないけど、あの行為が何をもたらすかは自分にはあまり良くわからなかった。
がれき受け入れを行う予定の橋下をデスラー総統に見立てて人類を滅ぼす気かと書かれたポスターがあった。
正直何書いてるのかよくわからなかった。
終了予定時刻の7:30になって終わり。多くの人は帰っていた。
グループで帰った人々のうち、いくつかはこれから飲みにでもいくのでしょう。
ただ、まだ残っている人がいた。
Twitterで行われている話とだいたい同じ。政府は隠しているとか、放射能は危険であるとか。
切羽詰まったその声を聞いて、その不安はあまり体に良くないと思うよ、と心のなかで呟いた。
それが終わったら、あとは反原発ソングのカラオケ大会。スピーカーで大音量。(どんちゃんどんちゃん)
どうやって終わるのかが気になってたんだけど、全く終わりそうもないので帰宅。
行ってみての感想は、やはり自分とは相容れない、ということだ。
あまりうまくまとめられない。デモだけの話ではなくなっているし、散文になってしまうが許してほしい。
・なにか違った立場に立っている。
時々話に出されたストロンチウム。検出されたストロンチウムは健康に影響のないレベル、60年代の何分の一なのに、(参照朝日新聞デジタル:福島原発事故由来のストロンチウム、10都県で初確認 - 東日本大震災、東京新聞:ストロンチウム 本当に影響ない? 監視・実測の継続必要:社会(TOKYO Web))「健康に影響のない」とは決して言わない。
60年代の何分の一とも言わない。
・「再稼働反対」という言葉には、がれき受け入れ反対も結構な割合で含まれているように感じる。
そこには、「放射能は安全です」に対する反感、「放射能は危険である」という不安が大きい。
もう、不安ではなく「すでに私たちは被害を受けている」という感覚を持っているようにも感じた。
がれき来ても0.00000何マイクロシーベルトも浴びないと思うよ。
そもそも原発以前から自然放射線を浴びてたんだよ、と言っても意味は無いのだろう。言えないけど。
放射能の拡散を防ぐって、すでに拡散されちゃってるんだけど・・・
「放射能をなくしたい」とかいう言葉も聞こえた気がする。わりと医療とかで使われてると思うんだけど・・・とも言えない。
・なんかあんまりいい感じではない気がする集会だ。
不安が解消されるものではない。デモに行けばいくほど、恐怖が高まるのではないだろうか。
Twitter見て、放射能への恐怖が高まって、デモに参加して・・・
これが解消される日は、来るのだろうか。
その恐怖、和らげてくれるものは、どこにもない。
・デモでは「これから私に起こる怖いこと」についての話をしている。
このデモが今後も続くためには「私」が「私達」にならないといけない。
東京では、福島に近い、飲み水への不安、食べ物への不安などの理由から、これからも再稼働反対デモは当分、同規模かさらに多いくらいで続くんだろうと思う。まあ再稼働は大阪なんだけどな。
大阪では、続かないかもしれない。新たな原発が動くのであれば別だけど。やはりどこか「私達」の問題にはなっていない。がれき受け入れでは弱い。東京ほど多くの人を動かす力にならない。
原発動かず電力不足のほうが心配だし(デモでは「電力足りてる」らしいけど)。
距離が感情の隔たりを生んでいる。
福一の事故では確かに何人かの命は奪われた。
だけど、わからない。
「生活を奪う」というほうがしっくりくるのになぜそうしないんだろう。
かならずいのちがうばわれる。
というわけで感想まとめ。
・「再稼働反対」はみんなをまとめる便利な言葉。
・恐怖、煽られる気がする。
・Smiling Sun - Wikipedia, the free encyclopediaのバッチはなかなかいいね。
先日話題になってる細田守監督のおおかみこどもの雨と雪を観た。
この作品は「すべての年代の女性に向けて」と雑誌であおられていたので、そこまで期待せずにみた。
途中まで、「あ、ここ一橋大だ」とか、「ケモナーかい!」と心の中で突っ込みながら見ていたんだけど、雨と雪が生まれて、おおかみおとこが死んだあたりからとてつもなく感情輸入してしまった。
まず家族構成が自分と酷似しているのだ。自分には姉がいて、両親は離婚している。しかも、雨の性格が自分そっくりだ。小さいころは姉の影にかくれておどおどし、母に甘えてばかり。おまけに小学校にはなじめない。
なじめなかった後は雨のような才能は自分にはなかったため私は凡人のコースを歩むことになるが、見事に「一姫二太郎」の家庭を描いてるなあ、と感じた。
もっと人間の家庭に近づけるなら、雪が嫉妬して若干グレるところもあってもいいかもしれない(笑)いや、「早く大人になりたい」というせりふで描かれているか。
私いま22歳で、雨からは12年遅れて親元を発とうとしている(今も一応、一人暮らしだが)。彼のように思い切って広い世界にいってみたい。
自分が生まれてからずっと過ごしている関東だと、ドラえもんの放送時間は今も昔も金曜夜7:00からだ。
これ、生で見た場合は高確率で夕食の時間にカブると思うのだが、「TV番組は生で見るもの」という事業者の本音も加味すると、やはり食事しながら見ることを想定しているのだろうか。
自分の家は親の方針でTV見ながらの食事は禁止されていたし、ビデオもなかったので、視聴時間を捻出するのに子供ながらえらい苦労した記憶がある。
ちなみにTVゲームも禁止されていたし、小学校のうちは小遣いも貰えなくてマンガもビックリマンチョコもSDガンダムガチャも買えなかったしで、結局一人でアニメの再放送とか刑事ドラマとか見て過ごしたっけ。
その結果かどうかは知らないが、ながらで動画を見るのが苦手くらいならまだしも、幼少に禁止されたことの反動もあってか、いい年してアニオタでネトウヨでネトゲ好きしかも貧乏なのに浪費家という、しょーもない大人になってしまった。
少なくとも、妙な所に厳しかったウチの親が望んでいたような大人にならなかったのは確かだ。
独身のクセに気にしても仕方ないけど、自分に子供ができた時、どういう育て方をしたらいいか悩ましくなる生い立ちだと、我ながら思う。
944 ソーゾー君 [] 2012/04/04(水) 21:56:54 ID:D.qgNUc6O Be:
バーベキューを奪われた九人が一人分のバーベキューを奪い合うの
を腹抱えて笑いながら見て奪ったバーベキューを五人分程寄付して調整する…
人数分は渡さない…減らしたり増やしたりしてコントロールする。
構造が解ると逆になる…
泥棒に財産を奪われた被害者が奪った泥棒の施しを受け感謝する…
腹抱えて笑ってるわな…何時まで笑いを提供し続けるのかな?
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/business/9191/1329613996/
タイトルが若干意味不で申し訳ないのですが、先日SI下請け業者のSEのオッサンがうちのPMにクソほど怒鳴られていたので感情の赴くままに書き残す。
当方製造業のシステム部門でプロパーとして働いている。もう6年になる。
業務システムを自前で作っているわけだが当然システム部門だけで作るわけではなくシステム子会社や外注や派遣さんなどと一緒にわりとでかめのプロジェクトを進めている。
で、うちの外部SEが作った仕様書に対する叩き方はいつもこうだ。
「業務を理解しているのか。要件はユーザーに確認したのか。」
「いい加減なことを言うな!!」
要件って本来はプロパーがやるべきことなんだけど、システム規模のでかさとプロパー要員の都合からシステム子会社も同じ立場でやっている。
アサインされたばかりの子会社のオッサンでも関係ない。お前は本当にうちの業務を理解しているのか。他部署のキーマンに確認したうえでこの仕様を作っているのか。うちの製品を理解しているか。製品の歴史を理解しているか。工場での現場作業を理解しているのか。いやいやいやいやいやいやいやそんなん無理やんか、外部のオッサンに無理やん、プロパーほど知ってるわけないやん、(おれもそんなに知らんし)、いやいやいやいやいや勘弁したってくれや理解しているていのお前が調べろや、ていうかおれらが調べようや。
そして具体的な指示は出さない。協力的な提案もしない。整理して調べて確認して仕様書を書いてこいとしか言わない。一つでも不明瞭なところがあれば怒鳴り倒してやり直し。再レビューを何往復もさせる。そして納期が遅れる。品質はこれで上がっているのか知らない。外部SEさんたちは狭いタコ部屋に詰め込まれて毎晩遅くまで仕事している。すいませんという言葉が無意識的に何度も口をついて出るようになっている。
料理で例える。
オーナーの叩き方はこうだ。
「我々はお袋の味を出したい。でもお前の料理は全然お袋の味になってない。
お前はうちの死んだお袋の味を理解しているのか。
うちの兄弟や親戚たちに味の要件を確認したのか。」
「いい加減なレシピを作るな!!」
いやいやいやいやいやいや知らんやんか、おまえんちのお袋の味なんか知らんやん。
作っても作ってもお袋の味じゃないと叩かれる。ベテランの料理人がプロとして作ってきた味をオーナーの感覚に合わすなんて、これがプロの料理人としてやるべきことだったら僕は自分がいいと思う味をお客に自信を持って出したい料理を出す。僕だったら嫁子供がいて給料が0になってもやめるわ。精神衛生上死ぬ。
感覚に近い非言語的な味なんか正確に人に伝わるはずがない。頭のよさや経験や料理の腕だけでそこがカバーできるのか疑問だ。知らんやんは逃げ言葉なのか、頭悪いからなのか、能力が低いからなのか、根性がないからなのか。いやオーナーの要求が理不尽だろ、叩いて叩いてなんとなーく近い味が出てくるのを見越しているならばオーナーは料理人をバカにしすぎだ。人の人生をなめすぎだ。
料理人は自分の考えた味を自分のポリシーと感性に則って提供することが本来のあるべき姿だろう。それで売れなかったらまた試行錯誤すればいいし、売れれば成功してお金持ちになればよい。修業期間は置いといたとしても、人にどうこう言われて作って雀の涙ほどの給料もらい続けるなんて、そんなプロの仕事があるのか。僕はできない、プロとして自信が持てない、ノタレ死んでもいいから自分の味を自分で考えて自分の感性に基づいて料理を提供したい。メニューも自分で考えたい。店の内装も自分で考えたい。その上で実力がなければ極貧の中でも試行錯誤し続ければよい。僕はそういう人生を選びたい。
で、僕らプロパーの下々はそんな光景を黙って見ている。あー今日も怒鳴られているなと思いながら見ている。当然仕事に集中できない。
もちろん僕らも同じように厳しく怒鳴られるんだけど、外部のSEさんには酷な話かなと思ったのです。
おまえががんばれやって、はいそうですね。
まだ6年目だからこんなこと思うのかもしれないし考え方が甘いだけかもしれないけど僕はSI下請けは何があってもやりたくないと誓ったのでした。そして趣味でやっているアプリ開発がとんでもなく高いモチベーションでさくさく進むのでした。
「ソープに通う」男性は、「日本でよく見られる」という意味では「普通」ぐらいは言えるかもしれないが、「マジョリティ」ではない。たとえばこのようなデータを参照のこと。
ベルギー フィンランド フランス イギリス オランダ ノルウェー スペイン アメリカ 日本 NA NA 1.1 0.6 2.8 1.8 11.0 0.3 13.6 神奈川県立がんセンターによる「日本人のHIV/AIDS関連知識、性行動、性意識についての全国調査」
http://www.acc.go.jp/kenkyu/ekigaku/2000ekigaku/eki_015/015.htm
なお、「アニメのキャラに恋する奴」に関する国際統計は残念ながら見当たらないが、参考までに各国のニート率比較をすると、2007年の数値では、以下のようになる。
ベルギー | フィンランド | フランス | イギリス | オランダ | ノルウェー | スペイン | アメリカ | 日本 |
15.4 | 13.3 | 15.1 | 18.1 | 6.9 | 8.8 | 17.2 | 16.2 | 7.6 |
(参考:OECD各国のニート率まとめhttp://alfalfalfa.com/archives/4176419.html
ソースはhttp://www.oecd-ilibrary.org/sites/factbook-2010-en/11/03/04/index.html?contentType=&itemId=/content/chapter/factbook-2010-93-en&containerItemId=/content/serial/18147364&accessItemIds=&mimeType=text/html)
上下を比較して気付くのは、売買春を経験する男性がニートより多いのは唯一日本のみであるという事実。これは、割と意外ではあるが納得できるものでもあったので、一応付記する。
以下への返信。
ちょっとどこかに書きたくなったので書く。
春にまどかマギカ見て、こんな面白いアニメ今後しばらく無いだろうなと思っていたら、
そういう話になっちゃうのねと思いつつも、ピンドラの20話以降が面白かった。
まどマギが一般解目指して枝葉を切り捨てて概念化していったとすれば、
ピンドラはその枝葉に焦点を当てた結果混沌としているって感じで色々と意味不明なんだけど、
これは選択を運命とみなす話なんやろか?とか冠葉にはぜひ刑務所に行っていただきたいとか
思いながら見ていたら…
最近ムギとか杏子とか、それ以外にも色々と食べ物を分けるキャラクターが流行みたいに
思うけれど、あれはどこから出てきたんだろうか?
私の場合、自分や友達と似たようなタイプの子がいて、自分の青春時代と重ね合わせて
「あーあるあるw」とか「こういう子って案外こうゆうことで悩んでるもんだよね」とか、「実はあの子もこんな心境だったのかな?」とか、そんなこと考えながら見てたらハマった。
個人的には、一期はテンプレ的なキャラクターの描き方が多くてあまりハマれなくて惰性で見てた面もあったのだけど
二期になってテンプレ的な表現が薄れて、キャラクターの深みや成長が見えるようになってどんどんハマっていったよ。
けいおん部の子たちがみんな、たまに迷惑な事もあるけど基本的にはいい子として描いてあるところに愛情を感じて良かったな。
若い頃の自分達が、あの頃よりもずっと賢くて勇気があって周りの人間を見てて行動力があって、全て最適の選択肢を選べてた場合のIFの世界の青春って感じ。
懐かしさと憧れと反省が同時におそってくる。
四年半付き合った彼女と別れそうになっている。
大学入った時から付き合って、四年間半同棲みたいに一緒に住んで、今年の四月から遠距離恋愛になったんだけど、前の秋にちょっとゴタゴタした揉め事を引きずったまま遠距離になったから今年は結構大変だった。今までは喧嘩してもお互いが譲歩しあって仲直りできたのに、遠距離になるとそういうのがなくなって、仲直りのために東京に行ったり地元に来てもらったりするのがすごく大変で精神的に参ってしまった。そこに彼女の就活が始まったおかげで、就活がどれほど忙しいのかよくわからん俺と、就活で忙しい彼女との生活のやり方の違いがだんだんと亀裂を大きくして行って、とうとう本気で別れようという話になったわけなのだ。
しかし今まで別れなかったのは、別れるのに使うエネルギーより関係修復するエネルギーの方が小さいから、お互いが折れて仲直りしたほうがいいという合理的な考え方でやってたからで、いざ別れようとなるとこれだけ長く付き合った人と別れるのが勿体無く感じてしまってどうもうまくいかない。それは向こうも同じようだ。
ああ、さっさと吹っ切ってあたらしい彼女作りたいなぁと思うきもちと、四年半付き合って別れた先にどういう恋愛ができるのかなぁという臆病なきもちがせめぎ合ってる。恋愛に対しては結構臆病なんで、浮気とか無理だったし、適当な女の子と仲良くなって天秤にかけたりとか、無理だなぁ。そういうことしたかったんだけど、そういう機会があっても別の女の子と遊んだりとかできなかったな。
正直今の彼女には不満しか無いし、セックスもつまんない。それでも過去に築いてきた思い出とかたくさんあるから、別れたくないしできたら関係修復したい。壷のまとめサイトで、元彼からのウザいメールというのがあって、笑いながら見てたけど、自分も同じことしそうでなんか嫌だな。女の子はこういうのふっ切るの早くていいね。
電話帳から削除するのがためらわれるし、mixi も facebook もつながったままで向こうから切られるのを受動的に待つだけしかできない。さっき電話してなんで切らないの?着信拒否してよって言った。毎日電話してたから夜になったら自然とかけそうになるし、かけてしまった。しんどいなあ。俺結構ドライだと思ってたのに。なんで好きでもない女に電話かけてるんだ。