はてなキーワード: しまとは
あんスタという女性向けゲームがある。男子高校生たちがアイドル育成科のある高校でアイドル目指して頑張るってゲームなんだけど、どうもプレイしてて登場キャラたちが幸せになる未来が想像できない
ストーリーはアイドル物の定番で、一人のアイドルとして、またはアイドルグループの一員としてどうあるべきかに悩んだり、家庭環境や個別の課題について悩みぶつかりながら成長していく様子を描いてるんだけど、登場キャラが男性ばかりなのに妙に女々しい。ていうか女キャラをベースにシナリオを書いて男キャラにすげ替えてるだけじゃないかってさんざん指摘されてる
あとなんか個々のキャラ付けが痛々しい。全員不思議ちゃんの中学生女子みたい。俺の一家は吸血鬼とか言って校内に棺桶を勝手に設置して昼寝してる奴とか、宗教の生き神様として実家で祀り上げられてる奴とか。そもそもなんでお前達アイドル科に入ったんだよっていうような妙な来歴の奴らが多い
で、そんな奴らが家庭環境とか人間関係とか謎にスケールの大きい情勢とかと立ち向かいながらアイドルやってる。いやいやアイドルとして研鑽する前に解決すべき課題があるだろ、デカい事情持ちのくせにやれイベントだー衣装だーダンスだーって言ってる場合じゃないよってついツッコんでしまう
で、冒頭の話になる。そいつらがアイドルとして大成したとして、幸せになる未来が見えない
作中ではじわじわと時間が進んで、高校を卒業するキャラや学年が上がるキャラが出て、こいつらも歳を取るんだなぁと思わされる。だんだん老けて、やがてアイドルとしての活動がキツくなってきた時のキャラ達のことを想像すると気が重くなる。若い時の一瞬を、たとえゲームと言えど消費していいものかと悩んじゃうんだよな
しかもキャラは何十人といる。当然プレイヤーからの人気、不人気も分かれている。不人気キャラとかそもそも30代頃にアイドル続けてられてんのか?とか考え始めるともうヤバい。悲壮感すら出てくる。
女の子アイドルのゲームにそこまでの悲哀は感じない。やっぱり結婚して家庭に入るルートが見えるから将来に分岐があるというか、男性アイドルみたいにバイト掛け持ちしながらアイドル活動みたいな生々しさは想像しなくて済むというか。マジでアイドル以外の職にも就いててほしい。そういう意味ではMマスが良かったんだけどサ終してるし。男性アイドルものは闇を深くしないといけないルールでもあるのか?ファン層がそれを求めているのか?つらい
数年来の歌舞伎ファンだけれど、ネットに放流される歌舞伎の感想を見ていると、グロっ!と思うときがある。
いちばんそれを思うのは、歌舞伎の家に生まれた子ども(特に未成年)に対しての、「お父さん(orお爺さんその他親戚)に似てきたね!」っていう感想。そういう感想には、ふと見ていて自分で思い至ることもあるけれど、一方で、自ら振り返ってみると、又は他の人の感想として見ると、うわっ!グロっ!と思ってしまう。
思っているだけだとモヤモヤするから、何がグロいかを言語化してみると、それは、本人が決めるべきこと(将来の職業選択、そこで役者を選択するとしてその芸風・方針)について、生まれや血族といった本人の意思ではどうしようもできない事実を評価の基準として、第三者にすぎないいちファンが勝手に判断して評価しているから、だと思う。
もっと踏み込んで言うと、無限の職業選択の自由が拓けているはずの子どもに対して、第三者がその子どもの将来を(職業だけではなく芸風まで)決めつけてしまっているという点について、無意識であるにしろ、ものすごく高慢に見える。
この所感は、古典演目を、比較的若い役者が、過去の大役者が確立したような型に倣ってやるような場合に、当該大役者の親族(又は、その中でも風貌が似ている者)にやらせないとおかしい、みたいなコメントが出てくる場合にも同じことを思ってしまう。結局それは、今の演者ではなく、過去の演者を求めているに過ぎないし、(こういう鑑賞態度は歌舞伎だとあるあるではあるけれど、)個人的には、そのような鑑賞態度である限り、今の演者を(自ら理想化した過去の演者と比較して)批判的な目でしか見ることができないから、観劇が辛いものにしかならず、実りのある観劇体験にならないんじゃないかと思う。
(逆に、役者に対する「〇〇屋に生まれたんだから(or所属しているんだから)、△△さんから指導を受けて××(演目)をやらないとおかしい」みたいなファンの意見も同じ。言ってるファンは、親祖父母から指導を受けて同じ仕事やってるんだろうか……。)
いや、そもそも上記のようなことを言ったら、御曹司のかわいい初舞台で、ベテランのお弟子さんがセリフもなく後ろに座っているという構図自体、あたりまえだけど普通にグロい。
もっとも、もうこういう家による階級制度は、あと20年(いや、10年?)経ったら、消えて無くなってるんじゃないかなあと思う。そして、そういう兆候がちらちらと現実にも顕れていることは、今の歌舞伎ファンならば分かると思う。
つまりは、これからの中心的なファン層は、歌舞伎への入り口が、刀剣乱舞歌舞伎その他の2.5次元歌舞伎、又は、大河ドラマその他の映像作品である人が多いと思われる。そういう人たち(そうでなくても、これからファンになる若者層)に、「お家」とか「名跡」とかに重きを置いて、扱いに差を設けることを正当化するような価値観は、もう通じないんじゃないかなあ、ということだ。ただでさえ、「親ガチャ」が流行語を超えて浸透しているような世代だし。
(個人的に、初報が発表されたとき、刀剣乱舞歌舞伎は今できる最高のコラボ歌舞伎だと思った。和の世界観と親和的で、既存のファンの方の数が多くて、しかも観劇に抵抗がなく、むしろ積極的であるというのがすごい。これから若い歌舞伎ファンの殆どが刀剣乱舞が入口、ということは、普通に起きるんじゃないかなあって思う。いや、もう起きている?)
一方、上記で、階級制度が無くなるという兆候が顕れている、とは言ったけれど、現状は、それは、名家の御曹司が座頭を務める舞台で、実力のある弟子を大役に抜擢することがある、という形にしかなっていないとは思う。つまり「使う側」(座頭)と「使われる側」(大役に抜擢される弟子)がある、という権力構造には変わりはなく、単に「使う側」のお慈悲が発揮される回数が増えただけ、という状況にしかないようには思う。すなわち、従来の力関係にはそこまで変わりはないんじゃないかっていうことだ。
(あと個人的には、そういう「抜擢」をした役者/「抜擢」をされた役者のことを、美しいストーリーとしてSNS等で賞賛する行為は、度が過ぎると、上記の権力構造の再確認になりかねないし、弟子の苦しい立場ごと消費しているような感じがして、あまり乗り切れないところがある。歌舞伎御曹司の感動ドキュメンタリーと消費の仕方が同じというか。但し、そういう風潮が抜擢を後押ししていることは否めないし、全部を否定はできない。結局、観劇というのは突き詰めると観客による役者の消費ではあるし、役者のバックグラウンドごと観客に消費させるのは、歌舞伎が今まで取ってきた手でもある。)
(さらに言うと、一部SNSによる一部の役者・家への軽率なDISも好きではない。ちゃんと芸単体を見て評価できる人が評価しているならともかく、SNS(というか、その人が構築しているタイムラインに流れてくる限られた情報)の、この人なら批判対象としてもいいんだ、という雰囲気に流されて、大した芸の批評もせず批判をしてるんじゃないかって気もするし、自分が「見巧者」であることのアピールとして軽率に使われてるだけな気がする。)
じゃあどうするんだという話だけれど、近い将来、御曹司と弟子をキッパリ区別して取り扱うような現行制度について、どこかのタイミングでアナウンスがあって形式的な解消がなされる、という事象が起きてもおかしくないんじゃないかなあとは思っている。あくまで、上場企業である松竹が、今の門閥制度は上場企業に相応しくない、とか言って形式的にやることかなとは思うけれど。具体的には、まずはポスターに名前を載せる基準とか、筋書きの後ろの方の写真の大きさとか、動静表のあの色分けとか、あそこら辺の形式的な取り扱いから(一律、名代試験→幹部昇進で区別するとか。)。
もっとも、役付きも、それに伴って柔軟になっていくってこともあるかもしれない。ただし、私は幕内の事情は全く知らないし、上記権力構造は変わらないのかもしれないし、この考え方も全くの的外れかもしれないけれど。そもそも、歌舞伎名家の権力(私から見えるのは、歌舞伎座古典の大役の配役くらいだが)がどこに裏打ちされているのかもよく分からないし(メンツを見てると、必ずしも集客じゃない気がする。そうすると、本当に“名家”であることの一点のみで権力たりうるということなのかもしれないけれど、平成生まれの自分にはピンと来ない。)。
最近の御曹司はみんな上手いなあと思う。やっぱり、現代になって、色々な選択肢が拓けている中で、今の若手世代の御曹司の皆は、自ら歌舞伎役者になることを選んだんだと思うし、やはりその覚悟に見合うだけの実力がある。これから歌舞伎がどうなっていくか全くわからない中で、歌舞伎を将来の道として選択してくれたことは、歌舞伎ファンとしてとてもありがたい。そんな御曹司たちとそうじゃない人達とで切磋琢磨していくのが健全なんじゃないかなあと思う。
そして、冒頭に戻ると、「お父さん(orお爺さんその他親戚)に似てきたね!」といった一連のグロい感想も、今の価値観にそぐわないものとして自然と淘汰されていくんじゃないかなあ。そして、価値が大き過ぎて空席になっていたはずの大名跡の価値は、空席のまま忘れ去られることになり、古典演目が歌舞伎座でかかるとネット上でもかろうじて見受けられる、あの動作は過去に誰々が始めたものだ、みたいなコメント兼マウントと、それを把握しなければならないという価値観も、良くも悪くも間もなく消えていくんだろう。
――最近は研修所への入会やお弟子さんの入門自体微々たる数しかないから、まずそこから増やさないと、歌舞伎文化の継続自体がかなりマズい? それはそう。
便所の落書きみたいなもんだが、思ったより読まれてて、みんな興味あるんだなーと。
これは私も思った。1社目は最悪だっただけに。
2.それでもなぜ外資系?
(1)自分のことだけやればよい的思考。みな自分の仕事にしか興味ないし。ロール違うと助け合う発想にならないし。無駄なことが少ない。
(2)ジョブホッパーなので、外資系くらいでしか雇ってくれなさそう。
(3)重厚長大系に勤める妻いわく、「あなたは絶対日系大手は無理」とのこと。清濁併せ飲み、人と長期的に関係築くのが苦手でしょ、と。自分もそう思う。
(4)お金。
(5)ワークスタイル柔軟。働き方について細かくあれこれ言われない。基本ほったらかし。
3.パッケージどうだった?
それぞれ。ただ言えることは、条件交渉は絶対すべきということ。条件交渉すれば、多く取れます。
共働きとはいえ、家族養っていかないといけないからね。ジョブホッパーになってしまって、履歴書汚れたな、と時々落ち込んでます。
5.基本的に優秀なんだろうな
6.「2社目だけどこかわかった」
おお、あの場にいた同志かな?頑張ってね。私も頑張る。
7.3つとも違う会社なの?
8.退職金長者?
いいえ。雀の涙よ。
言われたその日はすごくショックよ。自分を責めるし、情けない気持ちでいっぱいになるし。でも、1時間後には仕事探しを始めている。慣れだと思います。
外資系だと、部下のリストラの責任の一端は上司にある、という発想がそもそもないと思います。会社によって違うとは思うけど。
日本の外資系は退職勧奨を利用して、人をバンバンやめさせる、ある意味無法地帯みたいな感じだが、よいとは思わないです。労働者の権利は強いほうが良いと思います。
(追記終わり)
上司の上司からの対応が最近冷たいなーと思っていた矢先のこと。
直属の上司(アメリカ)から、よくわからない題名の打ち合わせが設定された。
そして、Teamsを開くと、上司だけでなく、参加者ではないはずの人事(日本)も出席していた。
(この時点で終わったと思った)
そして、以下の通り話がされる。
「あなたはこれができていません」
「あれもできていません」
「この点も指示通りできていません」
「●●もだめです」
リストラと決まったら、「私はちゃんとできています」などと言っても無駄なので、言うことに抗弁はしなかった。
で、後から知ったのは、上司の上司は、常にリストラできる社員を一人残しておいて、彼/彼女には冷たく接しておく。
そして、誰かやめさせる必要ができたときには、その一人を切る。で、私が切られたわけ。
4月のある日に、日本法人の全員に対してメールが来て、「来週火曜日の午後2時に重要なミーティングあるので、全員参加してね」と連絡。
Teamsに参加すると、APACの営業ボスと人事と弁護士の3名がカメラに写っている。
そして、
「先日のリーダーシップ変更により、選択と集中を推し進めることになり、日本法人はなくなることになりました」
といった感じで、15分程度で終了。
一部、怒っている社員もいたが、大半の社員はショックを受けつつも、次どうするかなーと白けた感じだったのをよく覚えている。
日本法人の社長が打ち合わせに出なかったのは、日本法人を閉めるという判断に納得がいかなかったからだそうな。
年明けの上長(イギリス)との週次Meeting時に、Zoomごしに下記言われる。
「今日は残念な話をしなければなりません」
「正直にいって、期待したパフォーマンスには達していないと思う」
「でもそれも仕方ないと思う。うちの会社はIBMみたいな会社でなく、一人で何役もやらなければならないハードに働く会社だし」
「退職の詳しい条件については、人事より別に面談を設定されます」
「何か私がお手伝いできることがあればいつでも知らせてください」
夢で見たのかフラッシュバックしたのか、ただ思いついただけなのか
三歳児がころころ言うこと変わっちゃうのといっしょだね
三歳児のままの部分が残っちゃってても不思議はないわな
お菓子作ってきた人にすごいですね!料理できないんで尊敬します!って言ったら今度作ってきてあげるねと言われてしまった
いつもこうだ
人に嫌われないよう心がけて生きている
嫌われるのはしんどいし面倒くさい
嫌われないために興味ない話でも相づちや復唱、たまに質問なんかも交えながら一生懸命きいているよう振る舞う
セクハラやからかいには「も〜、怒りますよ」なんてへらへら笑いながら返す
これが人懐っこく愛想良い人間に見えるらしい
おかげで人に嫌われることはない
それどころかどこへ行ってもわりと好かれてしまう
これがなかなかの困りもの
正直なところ家族や友人や尊敬する人以外に好かれたいとは思わない
嫌われるのもめんどうだけど好かれるのもめんどうなのだ
おかげで食いたくもない菓子をもらうはめになる
興味のない人の興味のない話をにこにこきいてしまえる私に問題があるのはわかっている
本物じゃないんだよ
代理店による税金を考慮すると同じ値段で同じ性能のpcが作れてしまうからな…
https://anond.hatelabo.jp/20240911010924
ただ、pc買うなら5000円上乗せして32gbにしたほうがいいけどね…
intel arc a750で、ff14とブラウザーとdiscordを立ち上げると仮想メモリーを21gbぐらい食うので、32gbぐらいは欲しくなる
どういたしまして!
まあ多分二次障害の結果なんだろうけど、信じられないほど性格が悪いね
発達障害の人って相手に呆れて去ってもらうために、わざと露悪的に振る舞う癖がついちゃうことが多いんだけど
別の人から言われたことを、更に別の人に言い放って馬鹿にするなんていう
まあ、他人なんでどうでもいいといえばどうでもいいんだけど
あそこまでなのはなかなか見ないので、近くにいなくて良かったなあと思った
たとえば、配偶者が一度きりの不倫をしたとする。あるいは何年もセックスレスである。しかし夫婦には二人の幼い子供がいる。
ある人はすっぱりと離婚を決める。夫婦の関係が破綻しているのだから、家族は継続できない。
ある人は夫婦関係を継続する。子供のための経済的な基盤を維持することが、家族にとって最も重要だから。
「子供は親の面倒を見て然るべきだ」「親はすべてのリソースを子供に尽くすべきだ」「義実家と親密な関係を結ぶべきである」「家族になったら夫婦愛はいらない」…こうした言説は未だ根強い一方で、だんだんと効力を失いつつある。どちらが正しい、という話よりも、重要なのは、あるべき家族のイデアは人によって異なっているということだ。もう、すでに大きく異なっている。あなたが「常識的に考えて家族とは」と思うそれを、いったいどれほどの隣人が同じように信仰していると言えるだろうか。
いや、そんな現実はあってはならない、あるべき家族観を取り戻さなければならない、といっても、もう遅いのである。あなたが強固な信念を持っているように、相手だって同じ強さで家族観を持っている。どうしてあなたが、対等なパートナーとなるはずのあなたが、相手の信念を塗りつぶすことができるだろうか?
繰り返しになるが、それは正しい、正しくないの問題ではない。自由意志を持った他人を、自分の思うように動かすことはできない。
あなたは夫婦が別姓であることによって家族の絆が壊れると考える。しかし現実的には、夫婦別姓を望む人々がいる。彼らは夫婦が別姓であっても、家族は成り立つと考える。要するに、彼らの思う「家族」とあなたが思う「家族」は、もうすでに別のなにかなのだ。だから、あなたがどれほど声高に夫婦同姓を望んだところで、あなたの思う「家族の絆」はすでに、普遍の原理としては存在していない。彼らの家族観も同様だ。互いに「あるべき家族」について合意することはすでにできない。順序が逆なのだ。
夫婦別姓によって、自分と似た家族観の人間が減ってしまうかもしれない、だからそれを止めなければならない、とあなたは考えるかもしれない。でも、もしそうなれば、あなたの家族観がこれからの世代にとって、すでに魅力的なものでなくなっていっている、ということを意味しはしないか?あなたが本当に正しいのであれば、どうしてそれが減ってしまうのだろう?
あなたはただ、自分と同じ家族観を持つ相手を探せばいい。合わない相手と家族にならなければいい。適度に距離を置いた隣人として生きていけばいい。あなたの思う家族の絆を実現できる相手と生きていけばいいだけの話なのだ。
けれどもたったそれだけのことができないのが、普通の人間が普通に持つ弱さというものなのだろう。すると逆説的に言えば、選択的夫婦別姓推進派が受け入れるべきは、「大抵の人間は、徹底した個人主義を生きられるほど強くない」という現実なのかもしれない。彼らは彼らでその現実と向き合って、打ち出すメッセージを考えることが必要なのだろうな。
暇空のカラスミ太郎時代のヤバさを知らずに乗っかってしまった人が
だんだん気づいて仲間だと思われたくなくてパージを試みているけど
もう「仁藤叩きといえば暇空」「仁藤叩いてる人って敗訴した暇空信じちゃってるバカでしょ」と返ってきて苦しんでいる
黒瀬が桃山大卒だとバレた時、青識の自作自演がバレた時にも似たような流れがあった
敵の敵は味方って嘘だ
「やりすぎて、敵を被害者のように彩ってしまう奴」を掲げると死ぬ
暇空と関係なく仁藤のあの部分が問題なんだ、この部分が…と説明しても「でも叩きリーダーの暇空が220万も支払わされたんでしょ?」と取り合ってもらえない
PS5 proのスペックと同じスペックのPCを用意しようとした場合、モニターとOSこみで14万円かかる。
本体のみだと11万円となりPS5 Proと値段がほぼ変わらないことになる。
(PS5 ProはASK税込みの1ドル180円で計算した場合、108,000から126,000円ぐらいと思われる)
G.SKILL F4-3200C16D-16GIS (DDR4 PC4-25600 8GB 2枚組)
4,820円
XPG PYLON 550W PYLON550B-BKCJP
6,667円
中古 Intel Core i7-12700 (2.5GHz/TB:4.8GHz) Bulk LGA1200/8C/16T/L3
42,980円
中古 _MSI PRO B660M-E DDR4 (B660 1700 mATX DDR4)
8,590円
Ultimate SU630 ASU630SS-480GQ-R
4,980円
13,262円
SPARKLE Intel Arc A750 ORC OC Edition SA750C-8GOC
31,700円
11,000円
16,090円
合計 140,089円
Intel arc a770(16GB)はfp16だと39tflops程度で、中古だと3.2万円から4万円台で売られており、新品だと4万円から5万円台程度なので、運が良ければps5 proとメモリー以外全く同じやつが手に入ってしまうことになる。
以下、そうなる根拠。
公式発表では、PS5におけるGPUの処理能力は「10.3TFLOPS」。この数字は、RTX2080に相当します。しかし「TFLOPSの数字」と「実際のグラボの性能」は、百パーセント一致するものではなく、性能ほど実パフォーマンスは高くならないのが一般的です。
CPU:CPU周波数最大4.4GHz、Zen4ベースアーキテクチャ、5nmプロセス製造。台湾TSMCが製造を担当。CPUのクロック周波数を10%増加させ、3.85GHzで動作させるモードが搭載される。
(Apple M2と同じく、TSMC製4nmプロセスSoC搭載の可能性もあるとのこと)
CPUキャッシュ:コア毎に64kBのL1キャッシュ、512kBのL2キャッシュ、8MBのL3共有キャッシュ
性能:PS5標準モデルと比べ、通常時で2倍、レイトレーシングでは2.5倍の性能アップ
プロセッサ:30基のWGP(Work Group Processors)、60基のCU演算コア
ROP(Rasterize OPeration unit):96~128基
メモリ:18gbps GDDR6 256bitメモリ、メモリ容量16GB、バス幅576GB/s、18000MT/s(現行PS5のメモリは14000MT/s)
GPU:GFX1115。GPUコアが現行の18個から30個に増加。これは約1.66倍の増加
GPUキャッシュ:L1キャッシュが128KBから256KBに倍増、L0キャッシュが16KBから32KBに倍増
グラフィック性能:PS5比で45%向上。可変レートシェーディングやハイブリッドMSAAのサポートなど、DirectX 12 Ultimateの新機能を搭載。GPUのアーキテクチャがRDNA 2からRDNA 3に変更される可能性があり、これにより各GPUコアの演算機が2倍になる。
超解像技術:ソニー独自の超解像技術を搭載。高精細と高フレームレートを両立。AMD FSR2等の採用は無し。アップスケーリング/アンチエイリアスソリューション
(AMDのFSR(FiedelityFX Super Resolution)を搭載との話も)
Theoretical Performance
268.8 GPixel/s
Texture Rate
537.6 GTexel/s
FP16 (half)
34.41 TFLOPS (2:1)
FP32 (float)
PSのCPUはRayzen 7 7700X相当で、Intel Core i7-11700だと7割の性能で、Intel Core i7 12700で同じぐらいの性能となる。
子供の頃、おもちゃ屋さんに行くとスーファミが並べられているのはガラスケースの中で、レジの向こうにはモニターが合ってそこにゲームの映像が延々と流れていた。
もちろんビデオなんかじゃない。実機とつないで、そのソフトのOPを本当に流しているのだ。
俺はそれをじっと眺めているのが大好きだった。そして、この空間自体が好きだった。
よく想像したもんだ。
閉店時間となって従業員も帰った後、モニターの電源だけが入り、誰も居らず黒く染まった広間にゲームの映像だけがポッと浮かび上がり昼間同様延々とゲームの映像を流し続ける空間のことを。
目には入るけど入ったことはない。入れない。入る機会がない。
子供の頃は、そんなところに何か特別な、面白いものがあるんじゃないかって何度もその場に入ることを夢見たものだ。
それはきっと遠く、えらく遠方から不意に聞こえる打ち上げ花火の音のようなもので、俺らはその音を聞いて、のけ者にされるのが嫌で、注目をしていたんだ。
花火の音は合図なのだ。そこに行けば何かがあるというイベントの音。
そして、誰も居なくなった店舗、無人の遊園地、夜の学校、見知らぬビルの中身。
そこから鳴り響く打ち上げ花火の音は、大人になるにつれて聞こえにくくなる。
ここではない、どこかに行きたい願望。
未知は光で、夜が暗いのは、その光を目立つようにするため。
子供の頃、俺たちは当たり前のように知っていたことをおっさんになって忘れてしまう。
俺はそれでも、今でも真夜中の遊園地に憧れている。
9月9日午後3時ころ、美唄市東5条南5丁目付近において、下校する女子児童が、
車に乗車した不審な男から、「パンツ売ってくれる」等と声をかけられる事案が発生しました。
男の特徴は、年齢30〜40歳くらい、体型細身、黒色短髪、黒縁の眼鏡、
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