はてなキーワード: 貴族とは
銀河帝国の内乱は貴族派と改革派の争いであって、価値観のアップデートは関係ないぞ。後に改革派は自ら皇帝の地位に就くけど、下剋上をするだけで政治体制を共和制に改める訳でもない。
革命を起こせば価値観のアップデートになるのか? 年長者の地位を簒奪すれば価値観のアップデートになるのか? そんな訳ないだろう。
あんたはただ娯楽小説(漫画やアニメかもしれないが)内の出来事を当てはめて、それが価値観のアップデートをできていない例だと勘違いしているだけだ。
ここんとこ老人方がコンプライアンスでやらかすたびに『銀河英雄伝説』のメルカッツの言葉を思い出す。
ブラウンシュヴァイク公という森元首相みたいなおじいちゃんが音頭とって東京オリンピック的なもの開くぞっ!って二階派とかに呼びかけて、すごく豪勢な会食パーティを催すんだけど、そこでコロナが大発生して参加者がバタバタ死んじゃうわけ。東京はもうむちゃくちゃですわ。
で、本心では東京五輪反対だったけどしがらみで準備委員会に入ってたメルカッツっていう有能な爺さんがいて、そいつが若い秘書に漏らすんだよね。
その病気を育てたのは500年にも及ぶ貴族の特権そのものなのだ。
100年前ならあれで通じたのに不運な人だ」
これ、まんまアップデートできてない老人に対する同情なのよ。
メルカッツさん自身も比較的古風な人間だから、森元首相がああいう感じのムーブを出しちゃうのを(自分は絶対やんないんだけど)心情的にわかっちゃうから、つい、あわれんじゃうんだよね。
これだけなら、まあそうだよね、って感じなんだけど、田中芳樹が敏かったのはそれを聞いた若い秘書の方の反発も視点として挿入したこと。
メルカッツはすごい偉大な上官(カープでいえば前田か黒田)だからその場では反駁しなかったんだけど、あとでこうぼやくんですね。
そうなんですよ。若い世代にとってはなまじ権力や影響力のある老人にボケボケムーブとられて自分の人生潰されたりすんのは完全に理不尽でしかないわけで、メルカッツみたいに哀れんでる余裕なんてないんですよね。哀れむには哀れむだけの余裕がいるんですよ。森元首相に人生邪魔されてる余裕がないヒトは「まあ老人は価値観アップデートできねえよなあ〜」みたいなコメントできませんよ、そりゃ。まあ、このあとメルカッツさんは国を逐われるんですけどね。
こういうふうに、二つの世代がそれぞれ置かれた立場から相反しあう見方を短いページにさりげなく織り込んだ田中芳樹は、やはりうまい作家だったのだなあ、と思います。
ケンミンショーで久本がお好み焼きを食べながら「ソースが美味しい!!」と騒いでいるのを見て(ソース文化圏の大坂もんが美味しいと言うなら相当美味しいんだろうなー)なんて考えながらふと思った。
洋風なイメージはある、でもソースのかかった食べ物というと、粉モンやトンカツ等本格的な洋食とは程遠いイメージだ。
デミグラスソース、タルタルソース、トマトソース、ホワイトソース、ミートソース、多様なソースがある中で、和風な洋食にしか使われてる様子がないのに洋風のような顔をして、ソースと言われるだけでまるでソース代表のように味がイメージできるコイツは何なのか。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%B9
イギリス貴族がインドから持ち帰り、イギリス風に作ってそれが日本に入ってきて、日本アレンジが加えられた、カレーと同じ流れで入ってきた物だった。
外からデータにアクセスする方法も誰も知らないから、事務職もテレワーク率0%だよ!!!
ツイッター貴族の人たちとか、テレワークテレワーク言ってるけど、
僕の取引先の様子を見ると、データはダウンロードして持ち帰り、会話は携帯電話でする。それでテレワークだ!って言ってる会社もある模様。
程度の違いはあれど、そんな会社も多いのではないでしょうか?
みんなどんなテレワークしてるんですかねぇ。
ガラスの天井って言葉は聞いたことがある人が多いと思うけど1200万はガラスの天井の上側にいる人で子供は中学受験やお受験をするし、ヨーロッパにも旅行に行けるし日用品もそれなりに上等なものを使える。
ただし1200万はそれが限界だ。だからここに加えて別荘を買ったり、日用品を最高級品にしたりすることはできない。これが1200万が生活苦しいっていう理由だ。比較相手がそもそも有象無象の庶民じゃなくて年収億超えるような人なんだよ。
その辺は教育ではなくて、社会の変化の問題なので、どうにもならないね。
例えば「経済力があればよい教育を受けられる」なーんてことは有史以来一回も変化したことがないよね実は。なのになんで増田が経済力と教育力にプレッシャーを感じるかというと、「成功」の定義のほうが変わっているからなんだよね。
実は母親だという増田自身が、エリートにならない人生は失敗だ、などという思想に染まり切って、疑いすらしていない。高卒で手に職つけて工場の職人か農家か漁師になって嫁さんをみつけて幸せになりなさい、みたいな人生を負け組か一部の特殊事例と決めつけている。
無理もないよ。だって世の中がそう言ってきてるんだもん。
そして世の中がそう言ってくるのが一理ある程度には、社会の現実がそうなっている。
教育が生存戦略に特化している、との指摘のほうは、なかなか的を射ているけど、基本は同じだね。
今の子供はサバイバル競争を念頭に入れて生きているとされるが、昔からそうだった。
ただ、家業ってものがあった時代には競争と生存なんて考えなくてよかったんだよな。農家の息子は農家に、貴族の息子は貴族になればいいし、そのレールが用意されていた。でも現代っていうのは、自由の名のもとにレールを取っ払った時代だ。まあレールを走るのはうんざりする面があったから無くしたことは望まれていたのでそれはしょうがない。
でも、家業とか持たないや人たちはもとからサバイバル人生していたからね。
あるいは増田が家業を用意することだってこの現代普通にできる。自由に選択して生きるってことを自明の前提みたいに社会に言われて、それをそのまま信じてるから、そうじゃない選択肢もあることが目にはいらなくなってると思う。
まあ、そうはいっても難しいわな。現実から言えばやっぱり自分の代で家業つくるなんて無理かも。
でも願望をかなえたいと思っているのが増田で、だから経済力や意識力の差で悩むんだよ。
可愛い子には旅をさせよ、親は無くとも子は育つ、ある程度まではだけど、そういう認識こそが増田には必要とされているんじゃあないかな。ある程度、虐待にならない程度まではの話だけど。
登場人物が日本人だとクソゲーオブザイヤーに選出されるレベルのしょうもないエロ話が、登場人物をロシア貴族にしただけで文学として評価される
とある貴族の娘エカテリーナに下っ端役人ニスタロフスキーが恋をし仕事を捨てて駆け落ちした。
しかしエカテリーナが許婚のレズノフ公爵子に住所を教えてしまったことから
「エカテリーナが俺とバーニャに入るなら、1ヶ月文の生活費は出してやろう」
と提案を持ちかける。
ニスタロフスキーはエカテリーナがそんな事を了承するはずがないと思っていたが
自分のためにエカテリーナが犠牲を払ってくれたのだとひとり合点をいかせる。
嬉々として答えるエカテリーナの姿には
数ヶ月が経ちレズノフの
「エカテリーナの真実を教えてやろう。ついては公爵家までふたりでこい」
公爵家に着くとレズノフは二人に対して行為に及ぶよう要求する。
行為が終わるとレズノフは「次は俺が行為に及ぼう」と言い出した。
「生活費がかかっていないのだからエカテリーナもするまい」との確信をもつ。
愛を囁かれた男には誰にでも心を開いてしまう」
「カチューシャが恋慕を失うことはない。
男達は床に崩れ
娘だけが訳が分からないといった様子できょとんと二人を見つめていた
https://www.nicovideo.jp/watch/sm37662612
を書き起こしてみたもの
三歳児神話インチキ保育園問題なしむしろ子どもには有益って言われたら
専業主婦ほど大変な仕事はない尊敬します認定、お姫様願望のお花畑女認定、
「うちは夫婦で生活費折半だから結婚以前から夫の年収ずーっと知らないw
専業主婦って素晴らしい仕事で尊敬していますwだけど私は経済的なリスクヘッジしたいと思ってるからw」
とマウントかけられる
そういうのがマウンティングだっつーの
なわとび:600回
ボクシング:159kcal
徒歩:227.9kcal/7639歩
3日連続
岩波新書の中国史の一巻を読んでみたらわりと制度史的な記述が中心でやや面食らった
確かに新書の紙幅で長大な中国史の全貌を一端なりとも描こうとするならばダイジェスト版をやるよりもウルトラロングスパンで歴史を眺めて、そこから見えるものを描いたほうが意味があるなあとは思う
中国、割と初期から官僚制が発達してきたので、富裕層はいても貴族と呼べるような存在はなかなか生まれにくいのが面白いところ
広大な面積を統治するには貴族制ではうまく行かないということだろうか
袁紹が名族を連呼するのは代々官僚を排出する家柄はあっても、貴族の家柄というのは存在しないからだったんだな
てっきり日本の九州みたいな九つの地域の概念があるのかと思っていたら、そうではなくて数千里四方(サイズは時代によって変わる)の正方形の土地を1州として、9個四角く並べた概念上の中国の範囲が九州なのだそうだ
そういう代物なので、九州は実際的な行政上の単位として使われるようなものではなくて、すごくざっくり中国全土を指す言葉らしい
年収1200万円以上の所得者がいる世帯から手当てを失くして、待機児童解消の財源にするってのが何故否定されてるのか
高所得者からたくさんとって低所得者に還元するのが格差の解消だろ?
税金で取るのも手当てを削るのも同じことだろうよ
そんな分けないだろ
まじでお前ら何を言ってるんだよ
まじでどういう論理、どういう理屈があってこれに反対してるのか教えてくれ
『miron_mikan 世帯年収1200ってそこまで贅沢してないだろうし東京だったらカツカツでしょ。子育て世代ってのも見落としてるし。まあ少子化で日本滅んでもいいスタンスの人ならわかるけど』→こういうコメント書いてる人結構いるけど何者なの?いや、何様なの?確実に1200万円以上なんて上位10%だろ。上位10%が下位10%への再配分否定するとかリベラルでもなんでもないから。大昔の下劣な貴族みたいな価値観だな。しかも、所得の低い沖縄が高い出生率を維持してるの知らないのか?何が日本滅ぶだ。お前みたいな自分の都合の良いように負担から逃れようとするやつが日本を滅ぼすんだよ。
『tripleshot 「はてな民の思考回路」などというものが存在しないというところからまず理解して欲しい…』→じゃあ、世論がとかヤフコメがとかTwitter民がとかいう主語は全部使えないことになるよね。そもそも格差解消に賛成なら、あの記事のネガティブなコメントにもっと異議があっていいだろ。
昔から恋愛を描いた創作が好きだった。少女漫画も青春モノもボーイミーツガールも、他ジャンルの作品のサブ要素として描かれる恋愛要素も、ジャンルを問わずそういう作品を好んで読んできた。数は少なかったが同性愛を描いた作品も昔は抵抗なく恋愛を映画居た創作の一つとして楽しんでいた。恋愛とまではいかなくてもどこかそういった雰囲気を感じ取れる、いわゆる”百合”や”腐向け”と呼ばれるような作品も昔は楽しめていたと思う。
具体的にいつからというのは覚えていないし、オタク文化の歴史に詳しいわけでもないけど、おそらく日常系アニメが流行りだした頃からだと思う。世のオタクの中で”百合”と呼ばれる作品が流行りだした。日常系アニメが全体的に”百合”と呼ばれがちというのもあるがどちらにせよ世のオタクが数々の作品に”百合”を見出しそれを今まで以上に持て囃すようになったのは間違いないと思う。
その結果日常を飛び出して明確に女性間恋愛を描く作品が増えた。正しく言うなら日の目を見る作品が増えた。
先述したように僕は同性間であれ異性間であれ恋愛を描く創作作品は好きだったから特別その流行に対して思うところはなかった。ただ、段々と「百合はいい」から「異性間恋愛より同性間恋愛のほうがいい」という主張を目にする機会が増えた。単純に目にするオタクにそういうのが多かっただけというのと、語の強い主張は目立って記憶に残ってしまうだけだとは思うのだけれど、僕はとにかくその主張が苦手だった。単純に理解が出来なかった。恋愛が同性間で行われていることと異性間で行われていることに違いを感じられなかった。同性間であればそれ特有の葛藤が生まれて、その特有の葛藤が面白い……等の意見ならわかるのだが少なくとも僕が目にしてきた上記の主張をするオタクはそういうわけではなさそうだった。どちらかというと異性間恋愛に対して否定的な感情を持っていて、同性間恋愛であればその不快な要素を排除された恋愛を楽しめる……というような主張に僕は感じてしまった。別に人の好みだろと言ってしまえばそれまでなのに、オタク全体の流行としてそういうものがあると思ってしまったのがおそらく失敗だった。
結果として、僕は百合作品を好むオタクのことを「純粋に恋愛を楽しむことが出来ない下等な存在」と見なすようになってしまった。さすがに語が強すぎるしここまでは思ってないと思うがまあわかりやすく言うとこういうことなんだと思う。異常に見下すようになってしまったことは少なくとも間違いないと思う。当然その評価は作品そのものへ伝播する。いつの間にか、百合作品に対して「ああ、また百合というだけで持て囃される作品か」と思ってしまい、不快感を覚えるようになった。作品に対する不快感というより過剰に持て囃している(と僕が勝手に判断している)オタクに対する不快感なのだが、どちらにせよその不快感は結果として作品に向けられてしまう。よく創作内で貴族とかが下民の文化なんて汚らわしくて……みたいなことを言っているのをみてなんだこいつらとか思ってたけど多分自分がまさにその状態になっている。なんなら自分が貴族なわけでもなく相手が下民なわけでもないという意味でより酷いと思う。
とにかくそういう感情を持ち合わせて以来百合作品を一度も楽しめていない。先入観は良くないと思い挑戦したこと何回もあるのだがどうしても不快感が生まれてしまう。
ただのオタクが勝手に被害妄想膨らまして、オタクを見下して、気分を悪くしているという内容の日記でした。頭の中では自分が一番おかしくて自分が一番悪いと理解しているつもりではあるし、いざ文字化してみて改めてそれを感じたけどそれでも一生治る気配がない。
と思ってたけど冷静に考えたら主人公がナーロッパで勝ち組になっててその視点で描かれているだけで
ナーロッパでも負け組やKKOは要るしコロナでホームレスになってる奴もいるのだろう
アニメに登場しないだけだ
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おこったこと「単発」への愚痴を文章にして気が晴れた感じだったけど、トップページに載って、ブコメで24時間不機嫌そうとか敵意しかないとか言われててそれにもぎょっとした
一瞬ゲスパー…って思ったけど、そう感じられるのは、そんな文章だったからなんでしょう。
でも実際に24時間不機嫌でいられる人も、敵意しかない相手と一緒に暮らそうと思う人も、そうはいないと思います。
あとこの件については、夫と配送業者、それぞれの対応にちがう意味での「???」を感じたわけで、夫への不満をヤマトにぶつけてはいませんし、逆もしかりです
住所の件はごめんだし、誤配の件は気にしてないけど、夜中に来るのだけはやめてという、それ以上のことは申し上げてませんし、起こったことをデフォルメして書いたわけでもないです
夫がその場で事情をきかなかったことについては、そういう夫の性質に慣れすぎてて、友人に言われて確かに! ってなったけど、それとは別ベクトルで、夜中に来ないでほしいということは伝えたかった。
めちゃくちゃ怖かったと文中にも書きましたし…夜勤でひとり留守番が多いため、夜間の来客に敏感になっている部分は多少あります
いずれにせよ冒頭に書いた通り、書きなぐって気が晴れて自分の中では終わったことです(思いがけず読まれたのはびっくりしたけど)
一週間荷物が誤配先にそのままあって、夜中にどう回収したのかだけはいまだにちょっと不思議ですが…
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一昨日家に帰ったら、夜勤明けで家にいた夫に「アマゾンで注文した本が届いてないのに、ステータスが配達完了になっている」と言われた。
なんだろう…大変冷たいことを言うようだが、私はそれをきいて、けっこうマジで「だからなんなの?」と思った。
そりゃあきらかに荷物の紛失か誤配か、そういったことがおこってんだから、まずしかるべきところに問い合わせるべきで、それをなぜ私に言うのだろう。
なぜ私にいうのかはわからないが、とりあえず「いつ配達完了になってんの?」とわたしはきいた。
だからなんなの? とはさすがに言わなかった。
すると彼は、(おとといから起算して)一週間前の日付を言った。ちなみに配送業者はヤマト運輸である。
我が家は夫のうっかりのせいでプライム会員になっているため、気軽にお急ぎ便が選択でき、夫はさっそうとそれを指定していた。
つまり、発注の翌日には荷物が到着する段取りなわけで、それが一週間もとどいていないというのに、
「……なんかあって遅れてるのかなと思って、昨日はじめて配送ステータスを確認したら配達完了になってた……」と彼は言った。
貴族めいた悠長さだ。そんなに待てるなら彼あての荷物はすべて船便でいいのではないかと思うほど鷹揚にかまえている。
特に急いでないならそもそもお急ぎ便を選択すんなという話でもあり、もろもろのことにつっこみたいのをこらえながら「はやく問い合わせなよ」と私は言った。
荷物が紛失してから時間がたてばたつほど、出てくる可能性は低くなる。
それが合理性のある考えだと私は思うが、彼は「いいや、明日(休み)問い合わせるわ」といった。
ちょっと理解しがたい思いを抱えつつ、とりあえず夕食にし、そのあと私はヤマトのコールセンターに電話して、荷物番号と事情を伝えた。
30分ほどで営業所から折り返しがあった。なにせ一週間まえなので、配達担当のドライバーも当日の記憶があいまいだという。
そりゃそうだろう、気の毒に。こうなるからはやく問い合わせないといけないのだ。
ヤマトに、このへんに増田さんは別にいるか? などひととおりの聴取をうけた。
その中ででてきたのが、私が電話にて口頭で伝えた我が家の住所は「2番地2(仮)」だが、荷物のあて先が「2番地」になっているという指摘だった。
我が家は現在正確には「2番地2」ではあるが、分筆前の「2番地」でも郵便・荷物はとどく。
今この家には夫と私しかいないが、夫をはじめこの家に昔住んでいた人間は、数年前まで「2番地」で通していたようで、夫もアマゾンの登録住所をそのままにしているらしい。
ちなみに「2番地」を共有しているのは隣の家だが、荷物の誤配があったら確実に返してもらえるくらいの交流はある。
住所を正確に最後まで書かなかったのが誤配の原因になってるかも……というようなことを言われ、もっともだと思いつつ、それで問題なく二十年余(この間分筆)をすごしてきたという実績があるため、今まで「2番地」表記のみでも、郵便も荷物もとどいており、このへんで増田はうちだけ、そもそも表札も出している……うんぬんのことは伝えさせてもらった。
調べて明日改めるということだったので、了承して切電、夫に事情を伝えアマゾンの登録住所を「2番地2」に訂正してくれと伝えたが、おそらくまだ変更してないだろう。
その日はそれで終わった……と思っていたら、掲記の通りの顛末になった。
もちろん私は、23:50にインターフォンが鳴った時点で、まさかヤマトのドライバーが荷物を届けにきたなどと夢にも思わず、正直めちゃくちゃ怖かった。
空耳か……と思ったが、何度も何度もなり続ける。
二階で聞くチャイム音はかすかで、夜勤明けの隣の夫は起きる気配もない。
起こすのは気の毒だと思ったが、インターフォンがしつこく、もしかして警察が来たのではないかと思ったのもあり、私は夫をゆすりおこした。
時間が時間だ。正直言ってモニターを確認するのも恐ろしく、私は奥にひっこんでいたが、結果的にそれは、夫の荷物を一週間ぶりに届けに来たドライバーだったのだ。
その時点でもはや23:55くらいになっていた。
翌日の昼休み、LINEで世間話的に、友人にこんなことがあったよと報告したところ、「どうして夫さんは、そんな時間にきたヤマトに何もいわないの?」と返されてはっとした。
私は、夫がたいていのことに文句を言わない人間として、ドライバーに何も問わなかったことをスルーしていたが、よく考えてなくても友人の言い分は正しすぎる。
そんな時間に荷物をもってこられ、だまって受け取るほうが少数派なのだ。
夫は、悠長とか鷹揚とかを通り越し、スムーズな生活を送るために必要な感性をそなえていないが、異常が起こった時、それを感じる神経がそもそも切れているために、何の痛痒も感じていないのではないかと、今私は思っている。
友人とLINEのやりとりをした直後、ヤマトの営業所から電話があった。
「やはり別の家に誤配しており、今日の朝ポストに投函したとドライバーに報告を受けているので、ご帰宅されたらポストを確認してほしい」とのことだったので、私は「その件ですが、昨日の夜23:50ごろ、インターフォンを押して届けに来られました」と報告した。
私は続けて、おおむね以下のようなことを伝えた
・このコロナ禍で、通販需要が一層増え、荷物は以前より増えていると推察される
・大変な状況下で、誤配や紛失が起こるのはある程度仕方ないことなのではないかと考えているので、そこについて何か言う気持ちは一切ない
(誤配されたのは夫の荷物だが、彼にはおそらく何かいう気持ちは一切ないだろう、今までの態度からするに)
・しかし、23:50に届けに来るのは明らかに非常識であり、むしろそちらのほうに驚いている。
・ポスト投函できる荷物なのだから、その時間帯にインターフォンを何度も押す必要があったとは思えない
・その時間にしつこくインターフォンを押されたらめちゃくちゃ怖い
・そちらの営業所の指示だったのか?(何時まで働いてるのか?)
ちなみにのちほどこういったと夫に報告したら、そんなことまで言ったんだ…? と引かれたのにこっちが引いた。
営業所の人は、
・どんな状況下でも誤配はあってはならないことです
・その時間に届けに行ったのはドライバー個人の判断であり、厳重に注意します
ということで謝り倒していた。
多分彼もことがおこった時間、寝てたんじゃないだろうか。
私は、「荷物を一刻もはやく届けたいという一心で遅くに来てくださったのだろうと想像できる中、また、今まで問題なかったとは言え、住所表記が不正確であった中、こういうことを申し上げるのは心苦しいが、その時間はさすがに迷惑なのでよろしくお願いします」と念を押して電話を終えた。
いうまでもなくこの文章の主題は、ヤマトのドライバーがやばいという話ではない。(でも副題ではあるので企業名は伏せない)
・違和感を感じてから行動に出るまでがながい(というか、今回わたしに訴えてきただけで、行動に出てない)
・今まで問題なかったし、間違いではないとはいえ、中途半端な住所を通販に使用(今回これでヤマトに迷惑をかけている)
何かいろいろとやばすぎでしょ…
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先日休みの日に疲れ果てて朝寝してたら、道路挟んで向かいの家(会社なので土日には誰もいない)の外付けの水栓が壊れて水が噴き出していると私を起こしに来た件が尾を引き、ぐちぐちした日記になったがまあ増田ってそういう風に使うもんだと思ってるのでいいか。
しかし、なぜそれを私にいうんだ(陳情先は別にある)ということばかり、夫は私に言ってくる。「そういうの得意そうだと思って」と。
別に得意ではない。
だた本文中に書いた、夫の、ほとんどすべてのことに文句を言わないというたちに、一緒に生活するうえで助けられてることも多いので、われなべにとじぶたってことなんだろう
一週間行方がわからなかったのは、スティーヴン・キングの『眠れる美女たち』上・下