はてなキーワード: 被虐とは
戦争が起こりそうです。まさか自分が生きている時に第三次世界大戦が現実味を帯びるとは考えていませんでした。
自分は今21歳。まさに出兵世代です。おそらく徴兵制がこの国に導入されたとしたら、出兵することになるのでしょう。
よく友人と、「出兵するか、足を切って逃れるかどちらを選ぶ?」という話をします。大変不謹慎なのかもしれませんが。
そうするといろんな意見が出ます。「国のために出兵する」「敗北して屈辱を味わうのなら死んだほうがまし」「足を切って逃れたい」
平和、平和、平和。戦争反対、戦争反対、戦争反対。そういう声でしか教育されてこなかった私達には戦争は逆に現実からかけ離れたものです。
むしろ、自らの国を被虐的に見てきた教育は、敗北の屈辱を私達世代に押し付けてきたのかもしれません。
誤った愛国心だと言う人もいるかもしれません。あなたが人を殺すことになるんだと非難する人もいるでしょう。
それでも私は、この国という形と国に住む多くの大切な人のために盾になることもあるでしょう。
だからこそ、願います。決して無駄な命が消えていかないように。
今一度戦争について、この国について、愛国心について考える時期ではないでしょうか。
中身ない戦争反対は、何も生まないことを知るべきです。
本人たちにとっては「逃げる」が最適解なんだろうな。でも、周囲の人間にしたらそれはそれでたまったものではないわけで。
そのリスクを含めて、誰がどう分担するのが(社会的に)最適なのか。いろいろ考えても未だに答えがでない。
・生んだ責任
・育てた責任
などを他人があれこれ言うのは簡単だけど、ほぼ「運」に関わることにそこまで責任負わせるのってやはりアンフェアだよな。
たとえば、虐待親から被虐待児を引き離す機関として児童相談所があるように、被虐待家族から虐待児を引き離す機能をもった制度や機関(たとえば「(特別)児童相談所」みたいな。)があればよいのだろうか。警察と連携し専門家をそろえて、たとえば周囲からでも「あそこの子供は隔離しないとあの家族はもうもたない」という通報があったら、そこがある程度の強制力をもって動いて、家族がいやといっても本人がいやと言っても落ち着くまで隔離し、継続的に問題解決に関わってくれるような機関。たとえばアル中親が放置親や虐待親でもあったりする場合、アル中の治療をする病院が家族関係に介入したりするわけではない。ならば、このようなケースで措置入院など病院が関係に介入するくらいしか期待できない状況って、やはり制度の不十分なのではないかと思う。
俺はいっぱいいるし、多かれ少なかれいる人が多いと思うんだけど
でも例えば5人で行動してて1人の事凄い嫌いだとしても
ほかの3人といて楽しければそんなに気にならないでしょ?
それでも気になるなら10人、50人、100人、1億人って増えていったら気にならなくなるよ
例えばミサイルでも大地震でも何でも、何か大きな事が起きて身近な人も、道行く人も、交通機関も公共施設も、なにもかもパニック状態だったら自分だけ平静を保ってられると思う?
無理でしょ
みんなが楽しい気分になればそのうち楽しくなるでしょ!
どうやったらみんなを楽しい気分に出来るかって言われたらわかんないけど
身近な人だれか一人を楽しい気分にすることなら、まぁ無茶ではないでしょ?
俺みたいな友達もいない人は難しいかもしれないけど、それでも本気出してみたら昔の職場の人とかなんかそういうの出てくるでしょ。もしそれでも出てこないなら道行く知らない人でもいいの。
そしたらその一人がまた誰かを楽しい気分に出来れば1億人なんてすぐじゃない?
ネズミ講と一緒だよ
愛されたい人とか愛したい人とか
寝てたい人とか働きたい人とか
世の中には色んな人がいるけど
楽しい気分になって嫌な気持ちになる人なんていない、これはみんなそうでしょ?
凶悪事件の犯人がどうこうとか、近隣の国がどうこうとか、自国の政治がどうこうとか、文句なんて探したらいっぱい出てくるけど
楽しい事も探せばいっぱい出てくると思うよ
どうせ文句言ったって犯罪はなくならないし、君の声は近隣の国にも自国の政治にも届かないよ
そんなことに声をあげるエネルギーがあるなら、みんながとなりにいる人を楽しくさせた方が素敵じゃない?
分かるわけない
大体「お母さんの手作りが一番」なんて言ってるのが居たとしても、それは本音じゃなくて
実際は単に金無いだけだよ
学校給食と同じものを学童で出そうと思ったら(当然人件費も親負担となるので)一食千円くらいかかる
となるとそんなに出せるわけねえ、と言う親が出てくる
かと言って人件費も税金から出せ、と言うのならその予算どこにあるんだという話になる
(一部の子供しか利用していない学童より全員が利益を享受できる給食費の補助や、
学童入ってないけどろくに飯を食えてない被虐待児童や貧困児童の救済を優先すべき、って論は当然出てくるだろう)
となると、給食なんか出さずに全部親の責任にさせるのが一番楽なのよ
少子化なんとかせんといかん、と言う割には、子供の関節ぶっこわすまで球投げさせたり、若者に死んでも文句は言いませんって誓約書を書かせたり、何なんだろうなこの矛盾は。
年寄りの被虐的娯楽の登場人物や、将来が絶えないという幻想を満たすための、「概念としての子供」が増えてほしいという感じがある。
子供を増やしたいのは社会保障のため、ということもあるだろうが、その割には最低賃金をほんの少し上げるのすら四苦八苦だし、稼ぎたいと思って大学行こうとしても学生ローンでむしりに来たりするし、子供と自分たちを食わせるために働いてるだけなのに四方八方から不平不満のつぶてが飛んでくる。ホント何なんだろうな。真剣に分からん。
はいこちら18歳。初めて投票に行きましたがいろいろ思うところあるので書きます。前半が元記事へのアンサーで後半はポエム
5%から8%になった日に部活の先輩たちとコンビニでウワーッて言い合ったんですが1割ですよ1割
2.年金はどうでもいい
貰えないのはわかりきってるけど私たちに結構な額請求くるんですがそれは。滞納すると差し押さえるぞみたいな手紙くるらしいよ
3.まとめブログの影響
これ今回の選挙で思ったんだけど投票先選ぶのに政党マッチングはおろか候補者とか政党の公式ページで政策確認せずに雰囲気で選んでいる人がほとんどっぽくてそうなんだーって思いました。あと政策選んでくとマッチ度が出てくる系のサイト党によっては部分的に回答してなかったり△になってたりして雑なので必ず個別になってる表見たほうがいいと思った。当落予想みて一票の力を上げるやつは期日前行った後に知った
6.維新も怖い
そうだね
そうなんだ
あとれいわの障害者の人の記事読んで知ったけど障害者も被虐待児とおなじで法もシステムも穴だらけのガッスガッスで例外に対応できていないんだね
私は反出生主義だけど生まれてきた子供には社会が最大限サポートを施していくべきだと思うんだけど。子供は作るものじゃなくて出来ちゃうものだよ
貧富の格差がどんどん広がる、物価は上がっているのに給料は上がんなくて生活が苦しいというのは日本だけじゃなくて資本主義を採用してる先進国(?)の宿命っぽいところがある。歴史を学べばわかるように一つの体制、一つの仕組みをずっと続けていればだんだん行き詰まってきてガタガタになってくる。資本主義と民主主義という枠組みは当分変わらないだろうけど(加速主義はネタだし大澤真幸も言っているように「資本主義が終わった後の世界を私たちは“構想”することが出来ていない」)なんらかの修正をしなければ貧困層がどんどん多くなって今のアメリカみたいなことになるし私たちが定年(一体何歳になるんだ?)を迎える頃には一体どんな社会に成り果てているのか楽しみで仕方がない
確かに投票先を選ぶのは難しい、議会運営やドント式の計算法は義務教育で習うとはいえ党、候補者の政策や実績などを自分で見に行って正解があるわけでも正しい解法があるわけでもない"投票"をするという行為はさながらSFCの小論レベルですらある
おそらくメインストリームで特に苦は感じないような生活をしてる大部分の人にとって別に戦争が起こるわけでもない政治というのはどうでもいいしまとめサイトを見て判断するレベルの重要度なのかもしれない。しかしながら今この日本ではセーフティーネットから転げ落ちた人や虐待される子供達、働いてもまともに生活ができない人などの弱者が増えている。これらは個々の事例ではなく大きな流れだということは社会学を見るとわかるがこれにシステムで対応していくために政策を打つことが必要で弱者にとっては文字通りの生きるか死ぬかの話になってくる。れいわ新選組とかいう自殺者が増えてる生きづらい社会を生きてるだけでいいんだという社会にしますという健康で文化的な最低限度の生活の10歩手前ポエムを掲げる政党が何億も寄付金もらって2議席とるような社会に生まれて本当に悲しい
最初は別に嫌いじゃなかったし、苦手とも思わなかったんですよ。
初めまして。トマレモです。
名前は、ちょうど目の前にあった、カゴメのトマト&レモネードドリンクから。
甘酸っぱくて美味しかったよ!
これは某グランドでオーダーな運命の二次創作で且つ、BLにも関する話なので、苦手な人、地雷な人、嫌悪感を覚える人は見ないでね。
そういう人で目に入っちゃった人は、速やかにバックして記憶をDELETEして下さい。
そして、私の言う「よく」は、大概、私のTwitterのタイムラインでのこと。
では、よろしくどーぞ。
えーと。うん、苦手じゃなかったんだよなぁ。帝都が来たあと、以龍か龍以か迷うくらいには。
でも、その後に、違う龍馬右のcpに轢かれて、そっちにどハマリしてから、ジリジリと苦手感が出てきた。
「なぁんかなあ……」
ってくらい。
これは、Twitterでフォロワーさんが、私の心境にドンピシャな呟きをしてたのを見て、「あーーー!!それーーー!!わかるーーー!!ありがとうございます!!」となったから、言語化しやすい部分。
ギャグにする人もたくさんいた、偶然誘われ忘れてしまった岡田以蔵。その立場を、私のタイムラインでは主に龍以の人が、かわいそかわいそしてお涙頂戴のネタにしてたのを見て、『あ、私はこれ、駄目だ合わない』と思った。
うん、ある時点では、それは間違いではないんだろう。龍馬は土佐を出た。以蔵は残った。
でもその後、史実ネタになるけれど、龍馬は以蔵に会って話をしてる。
龍以の人も以龍の人もこの辺ネタにするの好きだよね。「一緒に行こうよ」と手を差し伸べる龍馬。先生に義理立てしてか、その手を取らない以蔵。何回も色々なパターンを見た。泣いたこともあるよ。いい話は刺さるものだもん。
でも、ここで思う。
岡田以蔵よ、お前、どこが置いて行かれてんの?
先に出ていった。うん。でもその後に一生会えなかったわけじゃないだろ。
会いにきてくれて、何くれとなく、同じ未来を見ないかって話をきっとしただろうよ。
EXP先生の幕末むかしばなしでも、「土佐に戻ってこいよ」って言ってるコマあったじゃん。お前、望んで土佐に居たんだろう。望んで、武市に付き従ったんだろう。
自分で仕える相手を選び、単純バカ扱いに反駁せず、更には思考を放棄して、かと言って忠を貫き通せもせず。
それで、最後には原因は全部坂本龍馬で、おまんがわしを置いていったのが悪い???
どこの悲劇のヒロイン様だよ、勝手過ぎるだろうよ、その言い分。
そんでもって。
坂本龍馬は、抑止の守護者って立場で、記憶を保ってる。というのがよくある見解だよね。マイルームボイスでも明らかに、帝都のことを覚えてる感、ある。
帝都で、最後の最後で、かつての頃のように大切な幼なじみと笑いあえた。
それは、長く長く抑止力として過ごしてきたであろう龍馬にとって、どれだけぶりの、嬉しくて温かい記憶になったんだろう。
その記憶を持って、カルデアに来て、その近々の愛しい記憶を持たない、別人の同じ幼なじみに切り掛かられる。その別人とこれから仲間として戦っていく。
ねえ。どっちがしんどいよ、これ。
それで、イベントやらなんやら、基本突っかかって来るのは以蔵の方じゃん。
くっそ甘えてるよね。何かあれば「りょおまああああ!!」って叫んでさ。それで龍馬は、はいはいって来てくれる。
うん、以蔵スキーな方々は「素直になれないよね」と言ってるのをよく見る。
あれだけ、あれだけのことやらかしておいて(少なくとも、龍馬は手を出したりしてない。何か以蔵へきついことを言った訳でもない)、以蔵は自分勝手に頼るんだよ、龍馬を。
まあ、私は左右で言えば、右の立場に思い入れしやすい傾向がある。単純にキャラの好みとしても、龍馬の方が好きだ。
それにしたって、英霊の成り立ちやらエピソードやらがあるにしたって、横暴じゃない?
喧嘩して「自分、まだ怒ってるんですけど?」っていう面倒くさい奴かよ、被虐待児の試し行動かよ…どんだけ甘やかされりゃ気が済むのさ。
坂本龍馬、以蔵が本気で拒めば多分。「わかったよ」って離れてくれるよ。自分が寂しかろうと、それが大切な幼なじみの本当に願うことならね。(二次では、それを超えてくるところが尊い扱いされるやつね)
カルデアで以蔵から責められて、気をつかって、それでもぐだぐだ出身として一纏めに扱われて、その度にご挨拶代わりに何かにつけて大声で怒鳴られて文句言われて(以蔵にその意識はないだろうけど)さ。
そんなことが年がら年中起きてりゃ、そりゃあ、龍馬の方も疲れるだろうよ。偶然、思わず、誘いを忘れるくらいに。
というわけで、私の地雷蔵さんは多分、作者の同情をたっっっぷり詰め込んで「かわいそかわいそ、いぞーさんいいこいいこ、かわいいかわいい」されて造られる、ヒロイン蔵さんなんだろう、と自分の中で着地したわけだ。
スパダリ系・いっそ完全にクズ・ショタにポメなんかは、全然平気だしね。支部では今も、お世話になっておりますう。
てわけで、まあ、こんなのを読む人は居ないだろうけど、読んだ人が居たらお疲れさまでした。
親以外の人からもらった物を喜ぶともれなく捨てられるというのもあったそうだ
そのせいか旦那は物を貰うのを酷く恐縮するし、他人に差し上げる時も常に不安そうにする
小学生の時に母親から「離婚したいか」と聞かれて「離婚したくない」って言ったんだって
以来35年、自分のせいで離婚しなかったと責めて、何度揉めても実家と縁が切れなかった
自分の子供や甥姪を見てもわかるでしょう、まだ発言に責任なんて取れないし親が真に受けちゃいけない年齢だよ
母親が離婚しなかったならそれは母親の判断だし、もしお前のせいだと言われたらそれはただの責任逃れだよ
私は出来る限り冷静を装ってそう言った
「躾と虐待は違うのに」
児童虐待のニュースが増えている。とても痛ましい事件が多くて聞いただけで心が痛む。だって、誰かに親を批判してほしくて書くけど、私は親にそうされて育ってきたから。
いわゆる躾の一環、というもの
躾を理由にした虐待を肯定したくないし、なにが虐待なのかは分かってる、でも私1人ではそれを認められない。
私が幼い頃は父がとても厳しくて、ちょっとわがまま言ったりルールを破ったら拳骨平手打ち足蹴り当たり前。父は言い訳や嘘つき、ごまかしが嫌いだったからそういうのは一切許されなくて(言い分すら聞こうとせずに)へりくつを捏ねるな!ってベランダに出されたり裸足のまま閉め出されるくらい普通だった。
それらは確かに私がいけない事をしてしまったのが原因だし、父の身勝手や気分、その他理不尽な理由でそれをされた事は一度たりとも無かったけれど、私は暴力を受け続けて辛かった。
勉強やお稽古や習い事への怠慢、わがままを言って母を困らせた、失敗を隠そうとして嘘をついた、ごまかしをした、勉強をしないで漫画を読んでいた、好き嫌いをした、母の言い付けや約束を破って遊び呆けた、門限を破った、不貞腐れた態度をとってあやまらなかった、無礼な言葉遣いをした、作法やマナーがなっていなかった、etc
私が悪かったのは理解しているけれど、だからって私はあんなにも殴られたり傷つけられなければならなかったのだろうか。誰か教えて欲しい。
私が父に酷く叱られるとき、全部人としてやってはいけない悪いこと、恥ずかしい事をやらかした時ばかりだったから、私が絶対悪で父は正しいという構図を否定することが出来なかった。
そういうことを、父は絶対に許さなくて、徹底的に指導し、指導という名のもと暴力がくり返された。常識では私が悪だから、やめてと言えなかった。
それが、どうしてだめなのか理屈でわからない年齢だからこそ、4歳〜小学生ぐらいまでのほうが中学以降に比べて圧倒的に手が飛ぶことが多かった。分かるまで言葉をかけて欲しかったのに、獣扱いされ短絡的な暴力を与えられて苦しかった。
「口で言ってわからない年齢なら叩いてでもわからせるべき。そうすると、道理がわからない子供でも次からは繰り返してはいけない、やめよう、と心に強く残る」「あの歳の子供はイヌやネコと一緒。理屈をどれだけ丁寧に言ってもむだで、一度痛い目をみせて初めてやっていいこと悪いことを覚える。理解させるよりいかに次同じことをさせないかが問題で、叱られた理由なんて理解できる歳になったら後からわかるはず。俺もそうだった」
こういうのが父の持論で、私はその考えの元徹底的に厳しく躾けられた。私が悪いことをして叱られているという前提があるから私は反抗できなかった。苦しい。誰か私の代わりに反論して欲しい。それは違うと言って欲しい。
怒鳴られただけで済めば全然ましなほう、手も足も普通に飛んできたし、反省するまでそうしていろって寒い中裸足で外に立たされたり長時間正座させられたり蔵に閉じ込められたり、あまりにも良くない行動をした時は夕飯を抜かれたり風呂場に連れ込まれて服のまま冷たい水を頭からかけられたり、漫画やゲームも破いたり壊して捨てられたし、外出禁止も普通にあったし、痛くてお風呂で椅子に座れないぐらいお尻を叩かれたこともあるし、出先で失礼な事をしてしまって「お前みたいな娘はいらん!もう帰ってこなくて良い、どこにでも行ってしまえ!」って置いて帰られて家にも入れてくれなかったこともあったり、私自身ほんとに何回も泣いたし、辛かった。うちの父より怖い親なんてどこ探してもいないだろうって思ったことも何回もあった。異常でしょう?私の父、おかしいですよね?でも私はこれを虐待だと認めるのが怖いから、どうか第三者のみなさんで私の父を叩いてください。
こんなの本当は虐待だって分かっているのに、父のおかげで私は今までの人生で色々な人から褒められてきたのも事実で、親の教育が良かったからだと父の評価も高まっていったから私は父に従うしかなかった。
何度も真面目であることや勤勉であること、振る舞いや教養、言葉遣いなどことあるごとに褒めてもらったけれどそれは、マナーや礼節、お稽古。教養、一般常識、これらを学ぶために私が何年も暴力に耐え、ずっと父に怯えながら申し訳ありませんと言い、殴られないように見捨てられないように必死で足掻いた末身に付けたもの。だからお願い、これ以上私の父の評価を上げないで。父の教育を正当化する理由を作らないで。
社会人になった今、こうして色々な場面で評価される度に私は苦しいんだ。
「厳しく叱っても、わかる歳になったら理由は自分で気付ける」、本当はそんな事ない、今でも辛い、苦しいのに、逆らうのが怖くて理解したフリをしているだけなんだ。
だから私は自分で自分の子供時代を不幸だったなんて認めるのは怖いから、私の代わりに
父の躾を虐待だと言って怒ってくれる人を求めている。
私の父のやり方を「虐待」だと批判できる方はきっと暴力のない、ごく普通のご家庭で幸せに愛されて育てて貰った方なのかな、と感じる。悲しい。うらやましい。
そんな考えなので、例えば夜ベランダにしめ出されるであるとか、親に手を挙げられる事を躾だと言うのは絶対に違うと思う。思うけど、自分を被虐待者だと思いたくない。だってそれを認めたら私の人生はどうなるの?暴力を受けなくても真っ当な大人になれる事は気付いてるんだ、でも心が壊れてしまうから受け入れられないんだ。誰かが突き付けてくれないと認められないんだ。助けて。助けて。
私はきっと子供なんて持たない。虐待は連鎖するからどうせ私は父と同じ道を辿る。
最近の風潮では父のような「子供の為と称した」「過剰で短絡的な」躾は虐待で犯罪に当たるらしい。うらやましい。
言葉に筋が通っていても暴力に訴えて心身を傷付ける事が目的の躾なんて「虐待」でしかない。何故それがわからないのか?虐待は許してはいけないし、立派な犯罪行為なのに。感情のまま子供を虐げる最低な行為を許さない不特定多数の皆さん、どうか私の狂った父を叩いてください。嘘だけど子供がいるって書きましたよ。健全なご家庭を無礼な言葉で侮蔑しましたよ。許せないでしょう?見過ごせないでしょう?だから私を見て下さい、そして私と私をとりまく境遇を異常だと指摘し、怒り、私に対し施された「躾」「教育」を「暴力」「虐待」だと否定してください。
父の行いを誰かに否定して貰わないと私は自分を肯定できないし愛せない。
父とその教育を間違いだよと言われないと私は「つらかった」と声をあげられず壊れてしまう。
誰か助けて。気付いて。私を救ってください。お願いします。
本音はこんな感じなんだろうか…
書いてくれてありがとう。見ず知らずの人間ですが、応援してます!!!
被虐待児として、精神科医が書いた被虐待児のその後の本など今まで読んだものを思い出して思ったことですが、増田さんが書いた "自己評価が低いのは自分がだめな人間だからだという思い" というのは、虐待を受けたことと関係があって、今後なくなる可能性もあるものなんではと思いました。
ある時、自分の乖離的な(投げやりとも言う)人生が、幼少期の出来事に関係があって、向き合わないと解決しないと思うようになり、カウンセラーさん探しのためにいろんな窓口に問い合わせて沢山人と話すことを短期集中的にやっていたら、ふとなくなっていました。
何が言いたいのか… えっと、「自分がだめな人間だから」なんて、思わなくていいんじゃないかな、増田さんがダメなわけじゃないんじゃないかな(0歳から同じ環境に別の人を突っ込んでも同じ精神状態になる人沢山いそうじゃないですか)、私はそうは思わないかなあ、ということを言いたくて書いてみました。
うちの場合は、礼儀やマナーなど躾があったわけでなく、ただ親の感情の暴発だったので、そもそも増田さんの家と結構違う感じですが。(増田さんほど、家族を好きという気持ちと、暴力が嫌だったという気持ちの、ダブルバインドは強くないかもしれません。)