はてなキーワード: 自慰とは
※著しく低い語彙力
※実話
受験も就活も平坦にあっさり進んできて、虚無感と心の中のもやもやとか性的に希薄だった過去が重なって、人肌に触れたいゲージが限界を超えたので半ば思いつきで見つけたお店に行くことに
よくもまあ人見知りな私が風俗に行こうって気になったなぁとも思うけど、就活で無駄に自信がついた行動力が背中を押してくれた
思い付きで某駅に到着したときに、指名できる女の子が一人しかいなくて、しかも写真では正直よくわからなかったので、部屋で女の子を待っているときが一番緊張してたかもしれない
それでも、入ってきた女の子は写真より可愛くて、第一声で私に可愛いって言ってくれて、恐縮しながらも安心できた
過去にしたおざなりな性交や普段の適当な自慰から今回、射精しようなんてことは最初から考えていなくて
触れ合っている過程でお腹いっぱいになれればいいと思っていたんだけど
はじめて目の当たりにしたおまんに夢中になっちゃったりとか素股の破壊力とかがすごくて知能指数が下がり気味になってしまった
でも、それよりも、話しているうちに今まで誰にも言えなかった弱音とか心のもやもやとかが止まらなくなっちゃって
それでも女の子がぜんぶおっぱいで受け止めてくれて、頭をよしよししてくれて
今までされたことないやさしさにただただ甘えることしかできなくなった
最初は可愛いって言われても恐縮しちゃってたのに、いつの間にか可愛いって言われることが嬉しくなってる自分がいて
私の中でのピークは、目があいながら手をつなぎ素股されたときで、メス化してイってた感覚になってた
「この関係」だからこそのプレイだったけど、「この関係」だったからこそ自分の弱みを出せたのかもしれないし、「この関係」限りの好きに近い何かは私を救ってくれた気がする
追記
中学一年のときに性的なネタでからかわれていた(?)ことがすごく嫌だった話。無意味に長い。
私をからかっていたのは主に同じクラスの二人の男子だった。私は兄とその男友達に囲まれて育ったからか中学くらいまでは女子より男子のノリのほうが性に合っていて、休み時間もその男子とはよく話をしていた。私をからかっていた二人は小学校からの知り合いで、中一でもラノベを貸し借りするような仲だったし関係は悪くなかったはずだから、あちらからしたらよくしゃべる相手をからかっていただけだったんだろう。
中一と言えば男子は性に目覚め始める時期、というか、小学校までのうんこ、ちんこみたいな可愛げのある下ネタからSEX、オナニーみたいなちょっと生々しい下ネタにステップアップする時期で、私のまわりの男子も例外ではなかった。女子は中一くらいではまだそういう下ネタに興味を持つ人は少なくて、男子に下ネタをふられても理解できない、もしくは下ネタであることを察して嫌悪感を示すことがほとんどだった。でもそんな中で私は当時、男子にとっては女子の中で数少ない「下ネタが通じる相手」だった。というのもそのころ私はオタクになった影響でネットサーフィンを趣味としていて、流れ着いた掲示板やまとめサイトに貼ってある18禁男性向けエロ同人やAVのキャプチャ画像なんかを毎日のように見ていてそういう知識が身についたからだが(ここにはツッコまないでほしい)、今思えばたぶん男子にふられた下ネタにノッてしまったのが発端になったのだろう、下ネタが通じる女子=エロい女、みたいな扱いを受けて、いつの間にか下ネタ、というか性的なネタでからかわれるようになった。言われた内容ではっきり覚えているものをあげてみると、
・オナニーしてんの?
・バイブ入れてんだろ
・兄貴とSEXしてんの? (私には兄がいるしまわりもそれは知っていた)
・お前の父ちゃん、単身赴任先で女作って毎日SEXしてるかもよ
・お前の父ちゃん、家族に隠れてAVでも出てんじゃねえの? (当時父親は遠方へ単身赴任中だった)
といった感じ。全部一回や二回じゃなくて、結構な期間にわたって言われ続けた。なぜ家族にまで飛び火したかは正直全くわからない。本当に。二人の男子は確実に私の父親とは面識がなかったし、たぶん単にからかいのネタを増やしたかっただけだと思うけど。私と家族の名誉のために言っておくが、これらは全て事実無根の言いがかりだ。
で、私はこのからかわれ方が本当に嫌だった。私はただそういう下ネタを知っていただけでそれを自ら実行することに何の興味も抱いていなかったし、自分や家族に関して性的なことを言われるのは苦痛で嫌悪感しか感じなかった。でもやめさせ方がわからなくて、からかいに対して強く出ることもできなくて、笑いながら「ちげーし、やめろよwww」って返すぐらいしかできなかった。もちろんそんなことしても「図星だろwww」とか言われて更にからかわれるだけなのだけど。特に「バイブ入れてんだろ」と言われ始めてからは、どんな反応を返そうとしても「今バイブ鳴っちゃった?ww」「感じちゃってんの?ww」と畳みかけられてどうしようもなかった。このころにはその二人の男子は私のことを「痴女」呼ばわりしていた。わりとデカい声で。
本当にやめさせたいなら先生に相談するのが筋だったのかもしれないけど、担任の先生は私たちの母親よりちょっと若いくらいのおっとりした女の先生で、悪い人ではないけどとても相談できる相手ではなかった。いちど冗談のようなノリで「せんせー、あいつらが私のこと変なあだ名(痴女呼びのこと)で呼んでくるー!!」って言ったことがあったけど、まあただの戯れだと思われた。当たり前だ。母親含め家族にはもっと言えなかった。そもそも「エロいことしてるんだろって男子にからかわれてる」って他人に相談するなんて屈辱と恥ずかしさで絶対にできなかったし、今でもこの話は他人にはできない。増田には匿名だから書き込めているけど。
いつこのからかいが終わったのかはよく覚えていない。中二に上がるクラス替えでクラスが離れるよりも前に終わっていたような気もする。私をからかっていた二人とは高校が離れてからは一回も関わっていないし連絡を取るような相手でもないし取る気もないし、向こうはたぶんこんなことがあったことも覚えていないだろう。覚えていないほうが嬉しい。
この体験と関係があるかはわからないけど、私は自分や自分に直接関係のある人間に関する性的な話がすごく苦手で、そういう話題には胃がむかむかするような本能的な嫌悪感を覚える。これは高校くらいで自覚した。自分と全く関係のない人間が出演しているAVとか2Dのエロ同人とかは平気だけど、あの人がかっこいいから付き合いたいとかあの子の体がエロいみたいな話は嫌い。自分に関するものは特に。18になった今でも自慰も性行為もしたことがないししようと思わないし、友人の初体験の話を聞くのもしんどかった。他人が肌を露出しているのも男女問わず苦手で直視したくない。高校の水泳、特に着替えの時間は地獄だった。そんな感じなので、エロい女とか痴女とか言われるのはマジで心外だ。
こうして文字にして書いてみると完全に私の対応の仕方が悪いような気がしてくるし実際にそうだろうけど、まあとにかく当時は本当に嫌で真剣に悩んでいたし今でもときどき思い出して嫌な気持ちになる。別に謝罪がほしいわけでも何かを訴えたいわけでもないけど、整理のために何となく増田に書き込んでみた。
最近ツイッターのアンケートでも話題になっていたけれど、性犯罪被害者って男性にだって多いし、女性に至ってはとんでもない割合でいる。多少選択バイアスなんかもあるだろうけど、女として生きていて実感としてある程度確かだと思う。
女子校に通っていた頃、痴漢とか盗撮とか覗きとかよく聞いた。盗撮犯が捕まったとき、教師に「お前らスカートが短すぎる!」って怒られた。隣の共学のブレザー共のほうがスカートみじけぇだろうがよ!セーラーじゃなんぼ短いつっても膝上数センチだぞ!そもそも女子校なんてオタクの巣窟8割がスカート膝下喪女じゃねぇか!短いからされてんじゃねぇしそもそも短けりゃあ盗撮していいってことにもなんねぇよ!なんてことは置いておいて、性犯罪者なんて絶対に許せないって思ってた。一方自分が被害者になり得ると思ってなかった。我が校生徒を狙った盗撮だって、スカート丈関係なくたって、変態の好物女子校の制服を纏っていたって、痴漢にとって顔の美醜も露出も関係ないと理屈は知っていたって私みたいな喪女には関係のない話だって思ってた。件のアンケートも被害にあったことはないって答えた。
けど答えた瞬間思い出したんですよ。昔、猥褻ないたずら電話を受けたことがある。
猥褻電話って『はぁはぁ、パンツ何色?』みたいなイメージ強いけど、そんないかにもなヤツじゃなくて。
「学校で行った尿検査で、君に性病の可能性があることがわかった」みたいな電話。
尿検査で性病がわかるか!!!って今なら思うけど、当時中学生になりたて。大昔のことだから詳細は覚えていないけど、このままだと学校や親に知らせたり、学校で再検査をしなければならない。それは恥ずかしいでしょう?みたいなことを言われた。
いや学校にも親にも連絡しろや!再検査は病院でしろや!恥ずかしいとか言ってる場合か!って今なら思うけど、当時は性に関することってやっぱ恥ずかしくて、威圧感のある口調に言いくるめられて相手のいう事をうんうんと聞くしかなかった。
確か自慰頻度とか、オリモノの色とか、初潮時期とか聞かれたと思う。
自分は病気なのかもしれないって怖くて素直に答えていたら、最終的に誰もいない所でクリを触ってみてって言われた。気持ち良ければ病気の疑いは晴れるそうだった。
そこでようやく私もこれはおかしいと思って、とにかく気持ちが悪いを連呼した。それから強い口調だった電話主が、え、でも、多少は気持ちいいよね? 気持ちいいなら問題ないんだけど… うーん…多分大丈夫だと思うんだけど… みたいに徐々に語気が弱くなって電話は終わった。
それでもその時点では本当に病気なのかもしれないという不安もあって、いたずらにしても気持ちの悪い電話をしてしまったという不快感もあった。
それから半年後、また同じような電話が来た。この時は以前より相手の口調がたどたどしくて私も強く「前もこんな電話きたんですけど、いたずらですか」なんて言って、割とすぐ切れた。以前のものもいたずらだったんだと確信できたのはそのときだった。
今になって検索してみたら同じような電話を受けたことがある人が結構いるんだって。大人になってからって人もいた。
思い返すといたずらだとわかっててもあの頃はそれがすごく気持ち悪くて、尿検査が嫌だったり、電話に出るのが嫌だったりした。怖くて誰かと共有したかったけど、そんなこと言えるわけなくて一人で何とも言えない不安を抱えていた。
でも、いたずら電話じゃ実害もないし、直接それを規制する法律もないから性犯罪被害者かっていうと違うかな。当時は気持ちが悪くて怖かった記憶はあるけれど、今の私はそれを忘れて元気に健やかに育ったわけだし。って思い出した瞬間は思った。でも例えば我が子が同じような電話を受けて怖い思いをしたらとぞっとする。
っていうか次々思い出した。もっと直接的にお尻を触られたこととか、女子トイレまでおじさんについてこられたこととか、親戚のお兄さんに体をまさぐられたこととか。怖いとか嫌だとか思ったはずなのに、大したことじゃないと自分に言い聞かせて忘れた。いや恐ろしすぎるでしょ。
私も性被害者だからどうだってわけじゃない。ましてや忘れるくらい大した話じゃないなんて言いたいわけでもない。
性被害って本当に当たり前にある。そしてそれが確実に軽んじられている。
私は自分への被害に対してすら、自分への被害だからこそなのかもしれないけれど無頓着だった。
私はどちらかというと被害者の味方のつもりでいた。被害者叩きや謎の上からアドバイスにキレ散らかす側の人間だ。それなのに理解度があまりにも低すぎる。
性被害者は本当に思っているより多い。潜在的な被害者はもっと多い。物や命や、具体的な何かが失われるわけじゃないから、人からどころか自分からだってわかりにくい。被害者側が大したことないとか、これくらい仕方がないとかで片付けてしまったりする。でもそんなの絶対におかしい。
自分には関係のない事じゃないしどうでもいいことじゃない。他人におこる深刻な問題でもない。もっと真剣に向き合う必要がある。
と海外出張中に考えて、自分の経験を忘れていたことがショックで、痴呆ってやつかな…と現地職員に何気なくこぼしたらえぐい地方料理に連れていかれたりもしたけれど、強く生きたい。
世の中には射精を目的とせずに風俗通いする変人もいると聞き、自分もその変人なのだと言い聞かせることで月に1度、2度風俗に行ってはいた。
しかしこの、童貞というスティグマはそう簡単には消えてはくれない。女性の顔を見ることができる程度に慣れ、単純な意味での恐怖は薄れたのだと思う。しかし生理的刺激で半立ちはしても射精に至らしめるのは結局、精神の作用だ。
連休明けの予約で一歩出遅れ目当ての人気上位嬢は既に予約終了、そんなときに店員に勧められたのが彼女だった。
店にも寄るのだろうが、ランキングで上位に入るのは"ある程度"若く、"ある程度"可愛く、愛想もサービスも良い嬢、と大体相場が決まっている。残念ながら彼女はランキング下位か圏外、目元を隠していても伝わる落ち着いた佇まいとやや地味な雰囲気が平均よりも年齢を高く見せているのが不利なのだと思われた。
普段の自分なら決してこんな甘言に乗ったりはしない。しかしその時は、諦めの境地に達しようとしていたためなのか予約していた。
当日。そこにいたのは三船美優(仮名)さんだった。隠しきれない団地妻、或いは未亡人オーラとでも言おうものが漂っていた。綺麗美人ではあるが派手さはない。
その日も自分はいつも通り、お任せしたいということだけを伝えて後は俎の鯉になる。失敗が一つ増えた程度で今更何も変わりはしないのだ。
互いに脱いで洗体かと思いきや、三船さん(仮名)が唐突に頭を胸へ押しつけてきた。ああ、この人は(それほど大きくはなくとも)胸に自信があるのだなと思う。確かに、おっぱいに挟まれ埋もれるのは感触としては心地が良い。しかしそれ以上に心は冷えてしまう。どうせまた唇に乳首に押しつけるという儀礼的な行為を求められ、反応しない自分に苦悩するのだ。
しかし三船さん(仮名)はただ、何も言わず、動かず、一定の鼓動を聞くだけの数分が経過した。そして、落ち着いたかと問うた。
その言葉を聞いて、意味を理解すると、無性に涙が溢れ、零れた。思えば、こんな言葉をかけて貰ったことはなかった。今まで自分はただ、誰が定めたかも分からない一連のプロトコルに従うことしか頭になかった。ならばサービス提供者である嬢はそれに応じるしかない。セックスを自慰の延長と捉えていたのが根本的に誤っていたのだ。これでは上手く行くはずがない。
滂沱は一定量を超えると口元がひりつく嗚咽になる。声を隠すこともできず泣き続ける自分の髪を、三船さん(仮名)はただ撫で続けてくれた。
いつだかのホッテントリで、おっぱいに胸を埋めてバブみを感じて生きる希望を得たみたいな話があった。
それはただ大きなおっぱいだから有り難みがあっただけなのでは、などと考えていたが、違う。大きくはなくとも、心から包み込まれるおっぱいに勝るものはこの世には無いのだ。
一頻り泣き、身体を洗い、湯船に浸かっても、三船さん(仮名)は何も聞かず、性的な行為も求めず、自分はその優しさに甘えた。彼女は聖女でもなんでもない、ただの女性だ。チョロい客だと思われたのかもしれない。だけどこの優しさを自分は求めていたのだと思う。
ベッドでは胸に顔を埋めて眠った。
今度は涙は流れなかった。
20歳になったが、とうとう成人するまで恋愛感情というものが分からないままだ。
何人か自分のことを好きだと言ってくれた異性の人はいるが、なんとなく気が乗らなくて全てお断りしてきた。単純に相手のことが好きではないからなのか、自分がアセクシャルだからなのかわからない。
性欲はある。ただ、性行為ではなく自慰で収まる程度なので生理現象な気もする。
最近アセクシャルというものの存在を知っていろいろと調べてみたのだが、どうも微妙に自分とは違う気もする。
アセクシャルについて調べると大体は「恋愛に興味が無い」というような意味合いの説明がある。
誰かに恋をしてみたいし性行為もしてみたい。人と触れ合うのも嫌いじゃない。
けれど実際にそういう雰囲気の人が現れるとどうも嫌悪感のようなものを感じて逃げてしまう。
中学三年生に避妊を教えるのは妥当か、という話を聞き、昔と比べて性教育はこんなに後退したのかと思った。
1990年代に小学生だった私は、5年生の頃に学校で性教育を習った。
特に担任の先生が熱心な方で、子供向けの性教育の本をたくさん買い揃えてくださった。
その本に書いてあった
「性交や自慰行為は、隠すものではないが見せびらかすものでもない」
(これらの言葉は表現物のゾーニングに関しても重要な考え方かもしれない)
修学旅行前の、生理に関する説明も、男女で分ける事は無かった。
妊娠、出産に関する授業も同じく男女一緒に体育館で受けた。先生が紙に小さな穴を明けて、光で透かして、これが卵子の大きさだと説明してくださった。
避妊の仕方も教わった。小学生のうちに、コンドーム以外の避妊法がいくつかあることも知った。
中絶の事も教わった。
その結果、男子も女子も性に関する偏見をほとんど持たなかったと思う。
女の子の体の変化をからかう男の子、またはその逆の光景も見なかった。
照れ隠しに冗談めかしている風ではあったが、教師たちに、男女で異なる体の仕組みについてきちんと質問していた。子供同士である程度議論めいたものもしたと思う。
ところがこれらの教育は、中学に入ってから「隠す」方針の性教育で台無しにされた。
「女子は残ってください」
なんで?と思った。
小学校ではそんなことを言われなかったのに。
晒し者にされたような気分だった。
女子は残れ、と言われた割に、ろくな話はされなかった。
「生理がうつるというのは本当です」という、疑似科学的な話でおしまいだった。
「ねえ、なんの話をしていたの?」
ニヤニヤした笑顔でそう聞く。
ショックだったのはその中に、同じ小学校で、同じ性教育の授業を受け、真剣な顔で聞いていたはずの男子生徒もいたことだ。
「生理の話だよ」
天然、とあだ名されていた女子がサラリと言ってのけると、男子たちはいわゆる「ドン引き」の顔をした。眉間にシワを寄せて敬遠するような表情がまた嫌だった。
オープンな場で性教育を行っていたときは、誰も汚らわしいという思いを持たなかったはずが、隠す方向で教えられてからは、偏見を持つようになってしまった。
という議論がなされているということは、「隠す」方針の性教育が良しとされていると言うことだろう。
そうであれば私が経験したように、子どもたちの間に、性は汚らわしいものだとか、異性に対する蔑視が生まれ続けているのだろうか。想像すると、ゾッとする。
「今パジャマを着ているんだ」というシチュエーションで股間の逸物が怒張し、白くてイカ臭い液体が発射される。
パジャマそのものを目の前において自慰行為に及んだことだってある。
ヤフオクとかで拾った写真をもとに、自分がそのパジャマを着ているところを想像して自慰行為をしたことも多い。
とにもかくにも、パジャマという衣服そのものにしか性的に興奮できないのだ。
いやむしろ、性欲を煽ることも、人前で勃起したり愛液分泌するのも全然問題ない、ユニティちゃんfapfap!みたいな、
世の中には妙な性癖を持っている人というのがいる。どれくらいの割合かは分からないけど、いわゆる変態と呼ばれる人はとにかく少なくない数、存在する。
自分が男の異性愛者なため、そこ視点での話になってしまうが、女性の特定の部位や、衣装、シチュエーションなどに異様にこだわったり、あるいは特定の年代の女性に傾倒したり、二次元の女性じゃないと興奮しないだとか。
かくいう俺はというと…とにかくもう、至ってノーマルなのである。
普通に三次元の、同年代(アラサー)から、まあ20代くらいの女性が好きで、一番好きな体位は正常位だ。
女の子が痛そうにしているのは嫌なのでSではないし、自分が痛いのも嫌なのでMでもないのだろう。
あえてこう表現するならば、変態的にノーマルなのが、俺という人間だと言ってもいい。
そんな俺だけど、その昔、性に目覚め始めたころ…具体的には中学生の三年間ほどだったろうか。
あの頃、俺は変態だった。
自分自身が未熟な年齢ではあったが、膨らんでない胸、陰毛のないマ○コに対し強烈な憧れを抱いており、要するにロリコンだった。
毎日毎日、好きな女の子をむりやり犯す想像をして、自慰行為に耽っていた。
若さゆえの性欲の強さがそうさせたのか、また、その性欲の発散方法の「知識・経験」が乏しすぎて、歪んだ形で現れたのか…
そんな俺だったが、歳を取るにつれて、本当に偶然、たまたま、運が良く、現実の女性と普通に付き合ったり、普通にセックスしたりして、普通に色々と経験しながら、気がつくと、あの頃の俺はなんだったのか?
どこにでもいる、至って普通の性的嗜好をもった男になっていた。
…
社会生活に支障をきたさない限り、変態であること自体は罪ではない。変態が高じて社会に適合できなくなったとき、そいつ個人が病気と判断されたり、犯罪者となってしまうというだけの話だ。
ただ、なんというか、近ごろは、変態が変態でいることが許されすぎているような気がする。
インターネットの普及で匿名での交流が一般化していることと、関連しているのかは分からないけれども。
本人が苦しんでいるのならともかく、幸せなら別にいいのかもしれない。
でも、一人の男の体験談として、「普通」を知ることによって、変態が解消されるということもあると、匿名でもいいから書いておきたかったのだ。
もう自我が芽生えた頃から暇さえあれば自慰!自慰!って感じだったからまんこにはかなり愛着がある方だと思う
お母さんにも「コラ!おまたは触らないって約束でしょ!」と怒られた記憶がある
それが反応しなくなってしまった
たぶん私の自慰のやりかたはめちゃくちゃ変で、下着の上から手を股に挟み込んでまんこを押さえつけてそのまま両足に渾身の力を入れてググ…とやる
毎日自慰してたし、休日は一日中やってたけど、昨日してみたら全然まんこが反応しなかった いつもはウオオオオオ!!!!!!!!になるんだけど
まんこが死んでしまった 長く飼っていたペットが死んだ気分だ あんなに仲良くしてたのに
これ書いてたらムラムラしてきた
まんこが生き返るかも
オナニーしてくるわ じゃあな
天井の梁に打ち込んだ金具に通したロープが輪を作ってる。踏み台に登った人物が輪に首を通している。首からぶら下がろうとするが踏み台を蹴る最後の勇気が出ない。
何か辛いことがあったわけではない。ただただ憂鬱で何もかもから逃避したくて死ぬことにしたが、それだけでは死ぬ理由として弱いのか踏み台を蹴るところまで踏ん切りがつかない。
かと言って生き続けるにはいろいろ細かいことだが辛いと思う気持ちは変わらない。どうしたらこの辛さと付き合っていけるのか、できることなら誰か今すぐ殺してくれとも思う。
何が辛いのかと聞かれて思うところを吐露しても他の人からすれば「そんなことでいちいち悩むなよ」と言われそうなことばかり。でもひとつひとつのことに対する感じ方は人それぞれでわたしの場合小さなことでも気にして、解決策を大げさに考えて色々思い悩みどんどんドツボにはまっていく。
小さなことにこだわるのは自分が状況に絡んでいると思い、自分の行動に影響が出るからという意識のしかたで、これはかなり肥大した自慰意識の産物として自分が物事の中心にいるという思い上がりから来ているのだと思う。
こうした自分を中心に考える肥大した自意識は根拠もないのに無駄に高いプライドのせいでもある。
子供の頃は比較的知識量が多く「ものしり博士」との異名があったし、経済的にそれなりに豊かな家庭で大事に育てられた結果としての自意識が肥大化したのだろう。
つまり肥大化した自意識が自らを軽んじられることに強い否定的感情を持ち、そうした扱いを受けることにショックを受けているのだろう。それが憂鬱を招き自殺念慮を誘発する。
健康な心の動き方ではない。傷を受けた心に脳のセロトニンシステムの不具合が影響してか堂々巡りの考えは気づかないうちに心の傷を広げてしまっているのだろう。
今までも辛いことがあれば逃避のための自殺を何度も考えてきた。何度も死ぬことを考えては「いや、この用件だけは済ませてからにしたいから」とその用件がある日までは生きようとしてなんとか切り抜けてきた。
だけど今年に入ってから寒い時期に調子が落ちていたせいもあるにせよ、死ぬことを思う頻度がかなり上がっている。仕事が悪影響を与えているのは明白なんだが、いろいろあってようやくありついた転職なのでなんとかしがみつきたいとも思う。
恋人は何人かいたことがあるが、性の良さを感じることがいまだに出来ていない。初めて性行為をしたのは18歳の時で、今や20代後半になったが、ずっと変わらない。
少なくともそこに、気持ちいい、繰り返し行いたいというのは一切ない。自慰行為を試してみても恋人との性行為をしてみても、あー触られてんな―という感覚や、くすぐったい、異物感以上のものを感じない。会うたびに体を求められるのが億劫で、嫌がっていたりはぐらかしていたりするうちに関係が悪くなってしまい、別れてしまうというパターンは、何度も繰り返した。
今となっては嫌な点は薄まってはいるけど、良い点が見いだせないので、自分から性について積極的になる動機はない。はじめのうちは胸や性器を見られる・触られることに嫌悪感があったが、回数を重ねていくうちにこれは薄れた。応じると彼氏が喜んでくれて嬉しい、恋人同士ならば普通はするのだからそれができないのは申し訳ない、などの思いはあるが、自分自身が精神的・肉体的な良さを感じたことは一度もない。
もし明日から一生性行為ができませんとなったとしても、子供はいつかほしいという思いがある点を除けば、自分の気持ち的には何も困らない。カテゴリー的には校長先生の長話のような感覚で、どうやら謎の理由で必要とされている行為のようだが、私としては興味関心が見いだせないし、退屈だし、できれば私を巻き込まずに可及的速やかにことを済まして欲しい。
そしてこれらが、女性の性に対する一般的な感覚なのだと思っていた。AV女優という言葉についている「女優」は、性行為で快感を得ている女性という男性向けの実在しないファンタジーを演じているからこその「女優」なのだと解釈していた。エロ漫画とかもそうで、とにかく誇張されているのだと思っていた。だが、どうやら違うらしい。
性行為に良さを感じている女性というのは、どうも実在するようだ。思い出してみればたしかにHして気持ちよかったという話は知人友人から何度も聞いていたし、雑誌なんかでも見ていたが、自分の体感からするとあまりにも理解が及ばないために情報として脳に定着していなかったのだと思う。
さらに聞くところによると、にわかには信じがたいが男性より女性の方が性行為の快感は大きいらしい。意味がわからない。いよいよ本格的に不思議になってきたので少し調べてみたが、二つの可能性に思い当たっている。
一つ目は、自分がノンセクシャルまたはAセクシャルの人間であるということだ。他人に対して恋愛感情はあるが性的欲求は抱かないのが前者で、どちらも抱かないのが後者だそうだ。恋愛感情があるのかと言われたら、実際のところこれについてもよくわかっていないので、どちらかとは言えない。
二つ目は、単純にやり込みが足りないのではないかということだ。その情報は、https://web-ace.jp/youngaceup/contents/1000035/ 性転換から知る保健体育 ~元男が男女の違いについて語る件~ という漫画にあった。
これは男性から女性に性転換した著者によるエッセイで、男性と女性両方の身体を体験したからこその視点がかなり興味深い。その8話では「では前置きはこれぐらいにして… 男と女のオーガズムどっちが気持ちいいかって…?そんなの圧倒的に女性の方が気持ちいいよ!!あれはダメだマジでヤバイ!!」と語られている。マジでヤバイことに、圧倒的に女性の方が気持ちいいらしい。しかも著者が著者だけに説得力がある。そしたら私は一体どういうことなんだということになるが、これについても納得のいく記述があった。
「(略)ドライオーガズムっていう前立腺を刺激する方法なんだけど 誰でも簡単にできるもんじゃないんだよねー 慣れが必要というか 神経の開発が必要なんですよ でもそれって女性も同じなんですよね 最初から誰でも膣で快感を得られる訳じゃないんだって思い知りました(女性の皆様すみませんでしたーー!!)」
とある。性行為で快感を得るためには、神経の開発が必要らしい。具体的にどのような訓練を積めば神経が開発されるのかまでは詳述されていなかったが、たぶんこういうことなのだろう。私は訓練をして神経を開発していないから快感を得られない、練習すればおそらく快感を得られる、快感が得られるのであれば自然と性行為に対するモチベーションも生まれる。
以上二つの可能性に思い当たっているが、特に何かが変わったわけではない。生活のなかに性を組み込みたいとはどうしても思えず、ことさらに自慰行為をしてみたわけでもないので当然だ。少なくとも以前よりは性に対する関心が増したというのはあるが、だからと言って、アプリやSNSで募集すれば、性の喜びを教えてくれる人が現れるものなのだろうか。ただやりたいだけの人と的確に神経を開発してくれる人とを見分ける手段もわからない。性の喜びを知れたらいいなとは思うようにはなったが、これは五千兆円欲しいなというのと同じぐらいの願いでしかない。実現に向けて具体的な道筋と行動を打ち出そうという気にはなっていない。結婚や出産を考えると、性をなるべく忌避していくよりは、前向きに対峙できた方が良いというのはもちろんわかっている。でもやっぱり、やろうと思う気にはなれない。私は、性の良さを感じられないアラサーのままだ。