2018-05-19

小学校で受けた性教育が、中学の保健体育で台無しにされた話

中学三年生に避妊を教えるのは妥当か、という話を聞き、昔と比べて性教育はこんなに後退したのかと思った。

1990年代小学生だった私は、5年生の頃に学校性教育を習った。

特に担任先生が熱心な方で、子供向けの性教育の本をたくさん買い揃えてくださった。

その本に書いてあった

性的欲求を持つことに罪悪感を持つ必要は無い」

性交自慰行為は、隠すものではないが見せびらかすものでもない」

という言葉大人になってからもよく覚えている。

(これらの言葉表現物のゾーニングに関しても重要な考え方かもしれない)

修学旅行前の、生理に関する説明も、男女で分ける事は無かった。

妊娠出産に関する授業も同じく男女一緒に体育館で受けた。先生が紙に小さな穴を明けて、光で透かして、これが卵子の大きさだと説明してくださった。

避妊の仕方も教わった。小学生のうちに、コンドーム以外の避妊法がいくつかあることも知った。

中絶の事も教わった。

その結果、男子女子も性に関する偏見ほとんど持たなかったと思う。

女の子の体の変化をからかう男の子、またはその逆の光景も見なかった。

照れ隠しに冗談めかしている風ではあったが、教師たちに、男女で異なる体の仕組みについてきちんと質問していた。子供同士である程度議論めいたものもしたと思う。

ところがこれらの教育は、中学に入ってから「隠す」方針性教育台無しにされた。

小学校時代と違って、保健体育の授業は男女別になった。

女子は残ってください」

修学旅行説明会でそう言われた。

なんで?と思った。

小学校ではそんなことを言われなかったのに。

晒し者にされたような気分だった。

女子は残れ、と言われた割に、ろくな話はされなかった。

生理うつるというのは本当です」という、疑似科学的な話でおしまいだった。

教室に戻ると男子が大騒ぎしていた。

「ねえ、なんの話をしていたの?」

ニヤニヤした笑顔でそう聞く。

ショックだったのはその中に、同じ小学校で、同じ性教育の授業を受け、真剣な顔で聞いていたはずの男子生徒もいたことだ。

生理の話だよ」

天然、とあだ名されていた女子がサラリと言ってのけると、男子たちはいわゆる「ドン引き」の顔をした。眉間にシワを寄せて敬遠するような表情がまた嫌だった。

オープンな場で性教育を行っていたときは、誰も汚らわしいという思いを持たなかったはずが、隠す方向で教えられてからは、偏見を持つようになってしまった。

中学三年生で避妊を教えるのは妥当か」

という議論がなされているということは、「隠す」方針性教育が良しとされていると言うことだろう。

そうであれば私が経験したように、子どもたちの間に、性は汚らわしいものだとか、異性に対する蔑視が生まれ続けているのだろうか。想像すると、ゾッとする。

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