中学三年生に避妊を教えるのは妥当か、という話を聞き、昔と比べて性教育はこんなに後退したのかと思った。
1990年代に小学生だった私は、5年生の頃に学校で性教育を習った。
特に担任の先生が熱心な方で、子供向けの性教育の本をたくさん買い揃えてくださった。
その本に書いてあった
「性交や自慰行為は、隠すものではないが見せびらかすものでもない」
(これらの言葉は表現物のゾーニングに関しても重要な考え方かもしれない)
修学旅行前の、生理に関する説明も、男女で分ける事は無かった。
妊娠、出産に関する授業も同じく男女一緒に体育館で受けた。先生が紙に小さな穴を明けて、光で透かして、これが卵子の大きさだと説明してくださった。
避妊の仕方も教わった。小学生のうちに、コンドーム以外の避妊法がいくつかあることも知った。
中絶の事も教わった。
その結果、男子も女子も性に関する偏見をほとんど持たなかったと思う。
女の子の体の変化をからかう男の子、またはその逆の光景も見なかった。
照れ隠しに冗談めかしている風ではあったが、教師たちに、男女で異なる体の仕組みについてきちんと質問していた。子供同士である程度議論めいたものもしたと思う。
ところがこれらの教育は、中学に入ってから「隠す」方針の性教育で台無しにされた。
「女子は残ってください」
なんで?と思った。
小学校ではそんなことを言われなかったのに。
晒し者にされたような気分だった。
女子は残れ、と言われた割に、ろくな話はされなかった。
「生理がうつるというのは本当です」という、疑似科学的な話でおしまいだった。
「ねえ、なんの話をしていたの?」
ニヤニヤした笑顔でそう聞く。
ショックだったのはその中に、同じ小学校で、同じ性教育の授業を受け、真剣な顔で聞いていたはずの男子生徒もいたことだ。
「生理の話だよ」
天然、とあだ名されていた女子がサラリと言ってのけると、男子たちはいわゆる「ドン引き」の顔をした。眉間にシワを寄せて敬遠するような表情がまた嫌だった。
オープンな場で性教育を行っていたときは、誰も汚らわしいという思いを持たなかったはずが、隠す方向で教えられてからは、偏見を持つようになってしまった。
という議論がなされているということは、「隠す」方針の性教育が良しとされていると言うことだろう。
そうであれば私が経験したように、子どもたちの間に、性は汚らわしいものだとか、異性に対する蔑視が生まれ続けているのだろうか。想像すると、ゾッとする。