はてなキーワード: 職人とは
漫画は増えているが、個人の才能に依存、売れてアシスタントがついても、マンパワーでなんとかするのであって、
テクノロジー進歩によるメリットだったり、投資による効率化が出来ない。
そして、飽きられるというのがあり、毎回当たる/当たらないというのが博打。
そりゃ他のビジネスも当たるかどうかはあるが、ある程度、定番が決まったら持続するものだろう。
死ぬほど見かけるんだけど能登半島地震の被災者と万博になんの関係があんの?どんなオカルト理論で万博中止って騒いでんの?
仮に万博のパビリオン建設で職人が取られていて復興が進まないとか、ボランティアが集まらないとかいう影響が出ている、あるいは明確に予想されるとかならその影響によっては万博を中止ないしは延期して被災地を助けようってなるかもしれない。でも現状君らの妄想でしかないし、被災地以外は通常通り経済を回そうって流れとの整合性がとれないよね。
万博気に入らないのは好きにすれば良いと思うけど、関係の無い被災地や被災者を引き合いに出すのは政治利用だし議論の軽視だよね。大体、被災者にだって万博を楽しみにしてる人は結構居るんじゃないかな。
ダンジョン飯3話の件
予算とスケジュールがかつかつならともかく、大ヒット原作のアニメ化でやるか?引くわ
これが許されたのは5年前くらいまでだと思う
「アニメを崩して描くことで味が出る」というのは
フレームレートを落としたほうが良く見える
ただ、令和に入ってそれは「ちゃんと描く」方がようやく上回った
そうなってくるとこういう使い古された手法はオナニーになってくる
人気作でやるもんじゃない
ダンジョン飯が爆発ヒットしなきゃそれはTRIGGERのせいだよ
第三話なんて「アイツ、魔物の話になると早口になるの気持ち悪いよな」っていうミームの登場回だったのに
ケチついちゃったわ
せめてもっと先ならよかったのに何でよりによって第3話なん?2話くらいのクオリティを5話まで保つだけでよかったのに
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これ、何で時代遅れと感じるかもう少し考えたが
曲線が多く、デフォルメが強い
解像度次第で適したキャラデザというものは有る(ドット絵とか考えるとわかりやすい)
この15年くらいで解像度が高くなってきて、最初は最適化できていなかったが徐々に慣れてきたんだよね業界全体で
それで今こういうキャラデザされると「ああ、おじいちゃんの絵だ」ってなっちゃう
それが例えばクレヨンしんちゃんみたいなコミカルな作品ならともかく
ダンジョン飯って文脈としてはD&Dとかだから洋風タッチの絵が合うわけで、デフォルメとは対極にいるのよ
でもそういう作画でアニメやるのは大変だよねっていうのが、今の時代になってようやくできそうってなってきたのに
蓋を開ければデフォルメ度が前時代的なキャラデザ(これは1,2話もそう、デフォルメは思ったより強い)
で極めつけの3話
これはもう「TRIGGERはそうしたいんだ」ではなく「それしかできない」と見たほうが正確なんじゃないかな
原作者は間違えたよね
https://www.nicovideo.jp/watch/sm35643489
https://www.youtube.com/watch?v=tGq0xtZnF1o
これはめっちゃいいんだけどね、おそらく名作になっただろうよ
でもこの程度なら他の制作でもできるよねとも思う(順番待ちになるだろうけど)
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意思疎通してないんだろうね
何色でもいい人は、担当がつくひとは連絡くるまでまってりゃいいけど
奥に隠してあるんじゃなくて あくまで誰にも聞かなくてもみれる、表に出てるやつを探すんだよ
それは「懇意の店舗はあるけど、欲しい色は待ってるだけじゃいくら待っても手に入らない」っていう理由でやる
実績作りのためじゃない。
あと、使うところ、ある。
だいたい新しい色がほしいのは「この服(ドレス)着るのにあう色の鞄がねえ!!」という「明確に使いたいシーンがあるのに」が多い。
あと、買っているものが転売できる。(やったら担当に即バレするけど)
それと中身のない買い物でもない。
https://www.youtube.com/watch?v=m2ufqv5jvmo&t=860s
これとか暇つぶしに一回みてみてよ、あなたの知らない世界的で面白いから。
職人技の極みがそこにはあって、時計に近い。ブランドって中身がないって勘違いしてるやつが居るけど、中身あるから高いし、中身あるから何年たっても高値で売れる。
エルメスは革職人のブランドだから革がいい。貴金属は専門じゃないから、だからグラフとかヴァンクリがある。
280万で買って230万くらいで売れるから(こういうショップはその間で儲ける)まあ着飾るのが一番楽しい数十年に50万くらいでレンタルしたり
子供にのちのち譲れるなら(皇室とか金持ちはこっち)いっかみたいなかんじで
沼って頭がおかしくなったから、「自慢できる」「誰かに優しくしてもらえる」「セックスワンチャン」のためにどんどん使うのとは違うとだけ
自分が本物を持った瞬間、周りの偽物を持つやつを恥さらしにできる。
SHEINといっしょっていうじゃん、それなんだよ。
たとえば友達がこれを「高見えする~w」ともってたとする
で自分がこれを持つ
マウントです。
特定の個人にちやほやされるっていうわけじゃなくて「偽物がわかるし死んでも持たない人間」と「偽物を安いからって買っちゃう人間」を仕分けるのがブランド。
https://ameblo.jp/aya-sa-ao/entry-12822660440.html
本物こちら
「あ、買ったんだ」ってちらっと見られて、次にいうセリフ「ジルにそっくりだねw」がくるでしょ。良くて何もいえないじゃん。
違いが見つからないって、黒くてこの形で「jil sander」って書いてない時点で無理、死ぬ。
ブランド欲しい見栄はあるのに、バレバレの偽物買っちゃう友達、想像するだけで共感性羞恥で死ぬ。
時計ってコレクターアイテムとして誇れるのは最低1000万からみたいなところあるから
https://www.gressive.jp/brand/haldimann/catalog/213317
つくりがすごいからこそ価値があるし、つくりがすごいからこそ、価値も下がらないし、でもそんな10本も買って腕あるのかよww みたいな。
職人がめっちゃ時間かけてつくってちょっとしかないから、良いものはまず金持ちに「こんどこういうのが入荷するんですけど」って連絡がはいって
誰も「今はいいかな」ってなったり、あとは来店意欲を刺激するために「たまには店頭に置く用として」ってブランド側の判断があったりで買えるみたいな。
1. 素手で握ってて不衛生
酢飯だから殺菌されているとか、裏ではどんなレストランも素手で触られてるとかどうでも良い。見ていて不快感を感じることを堂々と目の前でやらないでほしい。
2. 良いネタを切って乗せてるだけでシェフとしての能力がほぼいらない
お前は寿司握りに対して込められたエネルギーを感じ取れないのか?と批判されると思うが、正直わからないし感じ取りたくもない。そんなに自信があるなら、職人歴30-20-10-5年と並べてブラインドテイスティングしてみろよと言いたい。誰もやらないし、やろうともしない。だってわからないから。
3. 謎の文化がたくさんある
素手で手渡ししたり、カウンターの付け台に直接寿司を置いたり非論理的で不衛生な文化を謎に残してる。それ江戸時代に皿洗えないからやってたことじゃないの?
4. 謎の姉弟制がうざい
握らせるまでに何十年も下積みさせることが、論理的に正しいと思っているのがキモい。これは単に寿司職人にはシェフとしてのノウハウはそんなに要らなくて簡単にコピーされてしまう自信のなさの表れ。だから何十年も無駄な下積みをさせてマネされないようにしている。
こういう批判をすると、寿司が大好きなおっさんやおばさんから、お前は本当の寿司を食べたことがないだろと言ってくる。その感じが超うざい。仲良しコミュニティでお金を落とし合って、どんどん世間から離れて廃れてしまえよと思う。寿司は手渡しが1番とか、寿司の順番はどうとか、そういううんちくもウザい。聞きたくもない。
自分からしたら寿司屋は不衛生で特にシェフとしての能力も必要としない、接客能力もそこまで高くない、リラックスして食事を楽しめない、なのに謎に高いお金を払う場所でしかない。
和食やイタリアンやフレンチの料理人はみんなノウハウをYouTubeやレシピ本などで公開して交流もしているのに、寿司職人って出てこないし、交流もしない。すごく閉鎖的だし、出てきたとしても教えることなんて何もないからね。こうやって切って握ります、終わり、そんなもん誰が見たいかって話。あとは簡単にマネされちゃうから怖くて絶対公開しないよね。
寿司の食文化は素晴らしいと思うけど、もともとは江戸時代のファストフードなんだから、悪きところは見直すフットワークの軽さを持ってほしい。訳わからない職人を神格化して祭上げたりするコミュニティもダメだと思う。全体的に自浄作用がなさすぎると思うよ。
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前置きというか予防線として、私は増田達にはあまり好かれないタイプで、嘆き風自慢話にしか聞こえない可能性は、十分に理解した上で書いている。
ただ、「死にたい!」という理由はなくても、だからといって別に、「生きねば!」という強い理由もないからなぁ~。だったら死んじゃおっかな~。
案外、このくらいの感じで自死を考えちゃう、そんなしょうもないおっさんが実は結構な数いるんじゃないかと、そんな思いで書いてみる。(もし似た人がいたら、少し安心できる気もする)
でもたぶんどうせ、死なない。死ぬ理由もとくにないからな。ふはは。
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18でも20でも30でもないのでなんの節目でもない年齢だが、
35歳(私の中での明確なおじさんの基準)が目前に迫った34歳を迎えるな~、とか、知らないうちに無理やり自分の中で理由をつけていたのか、
この1ヶ月はやたらと人生を振り返ることが多かった気がする。
結果として、これからおじさんとしての人生が50年くらい続くことに対して、希望が持ちづらいと思う日が増えた。
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富豪とまでは言わないまでも、それなりに裕福な家庭で育った。
物心ついた頃から頭が良い子だと言われ続け、足もそれなりに速く、小学校ではごく自然な形で学芸会の演劇の主役をしていたし、生徒会の会長も務めた。
私立中学の受験にも成功した。塾時代の成績はいつも全国模試上位だったから、失敗することなんて考えもしなかった。
部活も学園祭実行委員も最前線で楽しみ、彼女も当然のようにいた。童貞は、附属高に上がる16歳頃には卒業していた。
卒業アルバムを開けば、嫌な記憶はひとつもない輝かしい中高時代が思い出せる。
学校名は伏せるが、所謂、最上位の大学に進学した。最早、まわりも当然だといった様子だった。
バイト、サークル、ゼミ活動。大学生のお手本のような生活を送っていた。
講義をサボりすぎて1年留年したりもしたが、大手広告代理店にすんなりと内定した。
某代理店で、新卒女子が自殺をした頃、広告業界の忙しさが嫌になり転職を経験したが、
次の会社でも大きな挫折を経験することなく、同期の中では出世の早い方だったし、全社表彰されたことも何度かあった。
ある程度の給与をもらえていたので、都内の繁華街近くの1LDKで20代の独身生活を存分に謳歌した。
その時々の彼女を連れては、グルメインフルエンサーが紹介したがるような、洒落たバルやら、ネオ酒場やら、
ミシュランの星がつくような店にも、何か記念日などのイベントがあれば、それほど無理をせず行くことができていた。
フレンチもイタリアンも中華も、職人から手渡しされるような寿司屋も、数えきれないほど行った。「kint〇nとかガキが喜ぶ焼き肉屋だろ」とかイキったりもした。
連休があれば近場の温泉にふらっと出かけた。海外旅行はあまり好きではなかったが、女にねだられれば年に1~2回は連れて行った。
嫌味のような半生を書き連ねてあらためて、本当に、なにひとつ不自由のない人生を歩んできた。と思う。
衣食住はもちろん、三大欲求をそれなりに高いレベルで満たし続けてきた。
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理由をあげだせばキリがないのだが、一番は子作りについての考えの相違で、要するに私は子供が欲しくなかった。
入籍当初には同意してくれていた元嫁は、すぐに「やっぱりわたし子供が欲しい」と言い始め、口喧嘩が増え、離婚した。
別に島耕作の時代でもないので、離婚が出世に響くとかは考えたことがなかったが、自分でも意外なほどに離婚はしたくないと粘ってみたりもした。
でも、自分の子供が欲しくないという気持ちがどうにも変化する気がしなかったので、結局、離婚した。
(子供が欲しくない詳細理由は割愛するが、ざっくりいうと、絶望と閉塞感のあるこれからの日本に、子を産み落とすことは無責任なように感じる、みたいな理由が主)
俗にいう若手エリートのモデルケースからズレたような気持ちになって、急に仕事に対する熱意がなくなってしまい、
でも少し経ったらそれもなんだかんだ事業も軌道に乗り、リッチとは言えないまでも、今はまた不自由ない独身暮らしを送っている。
お金は、めちゃくちゃな贅沢は出来ないまでも困ってはいないし、莫大な資産を築きたいという野望がなくなった。
思えば、別にエリートを目指して生きていたわけでもないので、また大企業に勤めたいという思いはないし、日本を動かしたいという思いもなく、ステータスへの渇望感は消えた。
夜のお店にたまに顔を出してはお店の女の子と仲良くなったりもするので、セックスもとくに困っていない(今は、かもしれんが)。
10年後くらいにいよいよ老後の孤独を考えたりする頃には、多少気持ちも変わっているかもしれないが、再婚もあまり考えていない。
だから、真面目な出会いは求めていない。もちろん、子供は今も欲しくない。
若い頃からずいぶんと分不相応な美食家を気取っていたが、ある程度の金額で満足できる程度のバカ舌だったのか、赤提灯で十二分な満足が出来てしまうことを知り、必要以上の金をかけて食事をすることに喜びは感じなくなった。
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となると、だ。
残すところ短く見積もっても30年、長ければ60年近くの人生が漠然と待ち構えているわけだが、
そこに対して全く、何かを成し遂げたいという欲が起きないんだ。
金を稼いで、良い家/車/服揃えて、良い女を抱きたいとも思わなければ、
将来のこの国のために子孫を残す気もないし、だったらと血が繋がっていない若者を導くような使命感もない。
君たちはどう生きるか、というより、もっと前の段階のところで躓いているわけで、
やべ、とくに生きる理由ってなくね?
老化は避けようもないし着実におじさんになっていくわけで、あれ、人生今より楽しくなることってなくね?って考えるようになった。
生きる理由より、むしろ死んでもええかって理由の方が、よっぽど簡単に見つかることに気づいてしまったわけだわな。
結局のところ、人類なんてものは大いなる生命の螺旋を繋ぐための歯車でしかなく、
子供が欲しくない奴なんていうのは、歯車としては欠陥品ってことなのかもしれん。
冒頭にも書いたけど、どうせ死にはしないと思うんだ。
生きてればそれなりに、本当にそれなりに程度でも、楽しいこともまだあると思うんだよ。
でも、楽しさも幸福も、これまで以上は超えてくる気がしないという謎のおぼろげな展望が、日を追うごとに輪郭がはっきりしてきていて、
その現実からどうしようもなく逃げ出したい。逃げる?あれ、死んだらいいわ?そゆこと?
いや、勇者でなくともきっと高尚な何者かにはなれるだろうと思っていた。
地方の小さな田舎の村で生まれ育ち、幼い頃から力が強かった私を周りの人間は「これは将来きっと勇者になる」と持て囃した。
ある有名な勇者養成所の指導者が「こんな田舎で碌にトレーニングもしていないのなら将来化ける可能性がある」と声をかけてくれた。
そうして村を出て地方都市にある勇者養成所に入ったが、もちろん周りは勇者を目指して集まってきた強者ばかりだ。
そこで自分がド田舎のカワズだったということに気づいてしまった。
「そうか、勇者の才はなかった。だがもしかしたら魔法使いの才があるのかもしれない」と。
勇者を目指す者達はそれぞれの道へ進んでいくが、夢を諦め一般警備兵に志願する者も多かった。
しかし私は違う。
大魔法使いになるのだ。
異業種へのジョブチェンジは大変だったが、有名勇者養成所の経験をかってもらい全くの未経験から中堅魔法学校への奇跡的な入学を果たした。
自分の得意魔法を極める周りの魔法使い見習いを横目に、たくさんの魔法を覚えることに執着した。
しかし所詮全てレベル1、魔法に見識がある者であれば魔法学校に入る前に覚えている程度のものだ。
気づけば4年の月日が過ぎ去り私は悟った。
「こんな地方都市では駄目だ。もっと都会に行けば自分の輝ける場所があるかもしれない」と。
首都に向かった。
初めて見る大き過ぎる建物や人間の多さに驚愕しながらも、何か特別なことが起こりそうでとても興奮した。
先ずは魔法を活かせる仕事を探したが、レベル1では出来ることもたかが知れているし報酬も安い。
私は落胆した。
魔法使いの才はなかったようだ。
やはり刀鍛冶の才があるかもしれない。
いや実は商人としての才があるのかもしれない。
その経験を面白がって雇ってくれる方もいたが、年齢を重ねるにつれ信念のない人間と見做し門前払いも増えていった。
田舎を出て30余年。
今は一般警備兵の鎧を作る鍛冶場で使う工具を整備するための布を作る職人へ素材を運ぶ仕事をしている。
布はすぐ破れるのであまり評判は良くないが、安いので売れる。
なぜ安いのかと言えば素材が安いから。
体力を活かせる私にぴったりのお仕事。
身の程を知り己の身の丈にあった慎ましい人生を送る、早々にあの田舎に帰って井の中のカワズに戻ればどれほど幸せだったか。
結婚し、今は亡き両親に孫の顔でも見せられていたのではないか。
だが私は選べなかった。
もっと輝くストーリーがあると信じていたし、勇者にはなれずとも高尚な何者かにはなれるだろうと本気で思っていた。
努力もせずに、見切りだけは早く、されど自分の才を信じて疑わない。
なろう系の主人公のようにある日突然最強になっている、未だにそんな日を夢見ている。
軽く発達障害系あって、女性のことを奥さん以外で知る機会がなかったとか
うちの父も似た傾向あって、飲み屋で出会った人たちとの交流でしか人付き合いを学んでないから、
仕事(まだ教える気がある不器用な職人さん)風に何かを教えることと、常連同士での付き合い、スナックのお姉さんとの遊び方ぐらいしか提案できない人
例えば、息子が悩みがあるから相談したいっていったら、居酒屋に連れていかれる。家になんぼでも部屋あるのに
で、ろくに話も聞かない。触りだけ聞いて金が足りないなら用途を聞かずに10万渡してくる。
それで解決したと思ってママさんや、他のお客と盛り上がって、勝手に二軒目に行く。
娘も、孫も、とりあえず飯に連れて行くのみ。(多分実用品を一緒に買いに行くとかも無理。土産買うのは一緒に行くが、荷物持ち扱い)
ままごとやブンドドに混ざったり、シチュエーションを聞いたりとかの介入が一切できない(恥ずかしいのかもしれないが
などなど