はてなキーワード: 理不尽とは
脅迫で止めなきゃならん現実に理不尽さを覚えるのはおかしくないが、その理不尽を何とかする方法があると思ってるのは考えが足りないだろ。
大体の人間は、警察が動かないし反社の暴力に頼らないのであれば、不特定多数の凶器を持った狂人に対し事務所やタレントが十分身を守る方法はないと知っている。
それに詳細も明かせないことは知っている。
だからどうしようもないとわかって、理不尽さを飲み込んで、せめてできることとして当該タレントや友人が望む通り明るく温かい雰囲気で終わらせるよう振る舞っている。
なのに増田はそのへんを全然考えることができず、無意味で低次元な正義感を炸裂させて、ファンや事務所やタレントを攻撃してるのがおかしいんだよ。
あきらかに引退の理由が脅迫のせいなのに、本人は気丈に振る舞い、同僚も温かく送り出し、会社は沈黙を守る。これ今後も同じ理由でライバーが引退することになっても粛々と引退させてくわけですか?
地元市役所に寄った時にエントランスホールがワクチン接種の待合室になっててさ、ほっといてもそのうち死にそうな年寄りがズラズラ並んでパイプ椅子に座っている光景を見て、こいつらを守るために若い層が不自由を強いられたのはやっぱ理不尽だよなと改めて思った。
抗議運動に協力してほしいです。
https://change.org/MensRights3
ココナラが「女性に逆らう男」を執拗かつ理不尽に弾圧しています
僕は、change.org にて、
「男はペット扱いでいい」と生放送で発言した差別主義女池澤あやかとAbemaTVを謝罪させよう ( https://change.org/MensRights )
「署名運動への協力者を集めてください。一人当たり100円をお支払いします。」
というタイトルにてこの署名運動の宣伝依頼①を「公開依頼」で投稿したところ、
翌日27日、「ココナラで定めた最低価格(1000円)以下になり得る依頼は投稿しないでくれ」と言われ、ココナラ運営に公開依頼①を削除されました。以下、ココナラ運営から届いた削除通知を抜粋引用します。
【取り下げ理由】
6月28日、私は次のように依頼を修正して、新しい公開依頼②を再投稿しました。
署名運動への協力者を集めてください。一人当たり100円をお支払いします。【成果0でも救済措置あり】
救済措置とは、「提案者(依頼を引き受けてくれる人です)による宣伝の成果がココナラでの最低価格1000円分に満たなかった時、つまり10人未満しか賛同者を集めることが出来なかった場合は、提案者自身が署名に参加して、その後一定文字数以上のコメントを書き込んでくれればいいよ。」
この措置は、あくまでも「成果が挙げられなかった場合の『救済措置』」であり、決して「ヤラセ」目的ではありません。
しかし、翌日29日、ココナラ運営は公開依頼②を削除しました。この時の通知(一部抜粋)は次の通りで、削除理由を明確にしませんでした。
【取り下げ理由】
ここまで要約すると、
「ココナラは、男性運動に対して後付けで理由を付けて弾圧したが、
いざ理由が付けられなくなると、今度は理由を明かさず弾圧した」
ということです。
また、現在自分はココナラから利用制限を受けています。(通知こそされていないのですが、新たに公開依頼を出そうとすると「現在公開依頼を投稿することができません」とでます。
同意する。100字しかないブコメなんて前後の文脈の置き方次第でいくらでも解釈できる。元増田は国語力国語力連呼する割に、大した根拠もなく悪意的な読み方をしている。
dondonpinpin 現代の生きづらさ、という表現はやめたほうがいい。過去にそれが許されていたというのは錯覚で、上の者が下の者に理不尽な我慢を強いて好き放題やれてただけなのだ。兎にも角にも現代の生きづらさという表現はダサい
元増田はこのブコメを読んで、元記事で説明済みのことを無視しているバカだと決めつけているけれど、そう読んだ根拠を特段提示していない。
それこそ国語力やら論理的思考力やらがあるのなら、ブコメは元記事の内容を無視しているのではなく、内容を踏まえた上でコメントをしているのではないか、元記事の内容を無視したブコメをつけているに違いないと思ってしまった自分の読解力に問題や誤解があったのではないか、と思い至りそうなものだけれど。悪意的に読もうと思えばいくらでも読めてしまうし。
俺だったら
「昔は昭和の価値観・男の甲斐性として浮気が許されていたこともあったのかもしれないが、今ではそんなことないし、ドラマの中でも浮気をした当人が報いを受けているのだから、言い訳として昭和の価値観と言って浮気を正当化するくらいいいじゃないか。いちいち批判するなんて現代はなんて生きづらいんだ」
との主張に対して
「そもそも浮気が過去に許されていたという認識が誤りで、立場が上の者が下の者に理不尽な我儘を強いて好き放題やれてただけである。注意したくてもできなかったのである。みんなずっと我慢してきたのである。それを差し置いて現代でフィクションをちょっと批判されたくらいでやれ生きづらい生きづらい言うのはダサい」
とコメントしたと解釈するし、読みとして別に不自然じゃないよね。どちらかの意見が正しいとかじゃなく、応答として成立していると思うんだけど。
事件から2年たった今、ようやく自分の中によどんでいる想いを言語化する決心が出来た。
2019年7月、京都アニメーションの放火事件が起こった。当時、私は某動画サイトの広告でその一報を目にした。
そのとき目にしたニューうサイトの写真は建物が煙に包まれているところで、仔細についてはまだ明かされていなかった。
きっと小火だろうなと思った。絵に携わる会社で紙の焼失は痛手だろうが、今はデータ化もされているだろうしと、ただ名前を知っている会社の不幸を気の毒に見守っていた。
小火程度かと思った火事の程度は建物を崩すほどの甚大な被害で、搬送されたスタッフの数は会社に在籍している社員のほぼ半数近くだった。
情報はアニメ関連サイトから規模の大きなニュースサイトにまで拡がっていた。無事であってくれと祈らずにはいられなかった。
日を追うごとにして、被害に遭ったスタッフの情報も明かされていった。中には、大好きな作品に深く関わったスタッフの名前があった。
深く気持ちが沈んだ。その作品に触れたのは5年以上前のことでも、それでも好きだったその作品を世に送り出してくれたスタッフの命が志半ばにして絶たれてしまった事がとても悔しく、悲しかった。
知ることは痛みを伴ったが、情報が出てくれば気にかかった。事件の現場で逃げおおせたスタッフが語る当時の状況、怪我を負ってなお現場復帰を願うスタッフの胸の内、そして亡くなったスタッフが生前に取り組んできた作品への想い。
読むほど、実際にはあったこともない彼ら彼女らへの言いようのない感情が起こった。そしてしばらく引きずって、そのニュースを見かけるたびに情緒が荒れた。
おそらくは私を含め多くのファンは、もう京都アニメーションの作品を観ることは叶わないだろうと確信していたと思う。
建物の被害はもちろん、失った人材はあまりに多い。当時のニュースを思い起こすと、あの事件当日は取材のために主戦力級のスタッフが集まっていて、亡くなったと報じられたスタッフの中にはその主戦力級のスタッフの名前が多く載っていた。
京都アニメーションの緻密な作画を支えるのは人材だ。暗黙のうちに、もうあの大好きだった作品たちには触れることができない覚悟をみんな決めていた空気があった。
歩みを止めない、という言葉があった時、彼らの作品を望む自分ができることは何かを考えた。
お金だなと思った。人材として貢献できる実績や才能がなかった私にはそれが一番合理的にできる支援だろうと思い至ったので迷わなかった。
彼らが作ってくれた作品を蒐集した。イベントにも行った。再演の映画にも通い詰めた。同じような想いを抱いているだろう人たちの生の反応や声に共感すると、一人で憂いているよりかは幾分か心が慰められた。
事件から2年が経ち、精神面では当時に比べれば大分落ち着いた。
それでもふとした時、部屋の中で彼らの作品を目にすると、どうしても思うことがある。
努力して、夢を叶えて、そして多くの人に希望、展望、癒し、楽しみを与えてくれた彼らが、その未来を不条理な理由で絶たれてしまった事。
何にも為せずに生きて来た自分が、無為に人生の時間を空費している事。
児戯に等しいとはいえ、私も絵を描く。多少なりとも絵を描く人間ならば、彼らのもつ技量がいかに素晴らしく、そして得難く、価値の高いものかがわかるはずだ。
才能が人の命を測るものではないと十二分には承知しているが、それでもただ生きている自分が申し訳なくなる瞬間があの日から続いている。
憐れむことも、引きずることも、彼らに失礼にあたるかもしれない。ましてかかわったこともない他人が、さぞ悔しかろう悲しかろうと訳知り顔で悼むのは所詮自己満足で、傍から見たらその過剰な反応に気味が悪くも映るだろう。
それでもどうしてもその思いが捨てられない。作画の参考にメイキング動画を見るとき、知らない技術の解説に触れるたび、これらを会得し作品を織り上げあそこまで美しい世界を作ってくれた彼らが永遠に喪われてしまった事に馳せてしまう瞬間がある。
今まで、人生を費やして打ち込んだものがない私は、それを見つけ目指し努力して獲得した人間が、悪意の第三者に不意に理不尽にそれからの未来を奪われた現実が、ショックだった。
自業自得ではない不幸がある、と知ってから何事にも不安が伴うようになり、そして価値の低い自分は、その時にはその理不尽を受け止めようという変な覚悟が決まっていった。
心を整理するために書いたはずが、未だ、向き合えていないのだと思い知る結果になった。
目指すもの、人生を費やし、心を注げるものへの出会いはいまだ果たせていないが、彼らの遺してくれた作品の未来に繋げるよう、まずは収入を得て買い支えることを心の支えにもして生きていこうと思う。
https://anond.hatelabo.jp/20210626121830
元記事の「ドラマ内でトムさんの行動を肯定はしていないのに怒るのはおかしい」という主旨には同意するし、賛同のブコメをつけた。
だが、「現代の生きづらさ、という表現はやめたほうがいい。」というdondonpinpin氏の意見も確かにな、と思ったのでスターをつけたら、国語力に障害があるとディスられた。
dondonpinpin 現代の生きづらさ、という表現はやめたほうがいい。過去にそれが許されていたというのは錯覚で、上の者が下の者に理不尽な我慢を強いて好き放題やれてただけなのだ。兎にも角にも現代の生きづらさという表現はダサい
増田はdondonpinpin氏が「1.男の甲斐性たる不倫が目くじらを立てられ許されなくなってきたこと」が「現代の生きづらさ」だと誤読して批判していると決めつけているがそうではない。
dondonpinpin氏は過去の上の者が下の者に理不尽な我慢を強いて好き放題やれてた時代の生きづらさに比べて、「3.読解力の無いバカたちが頓珍漢な非難の声を上げるようになった」現代の生きづらさなど、ささいなことだと主張しているのだ。
そりゃそうだろう。自分の夫に不倫されるのとSNSでバカが頓珍漢な非難の声を上げるのとでは前者の方がはるかに深刻だ。
弱者にとって現代は過去よりもずっと生きやすくなっている。それを無視してささいな悪化した部分を取り上げて「現代の生きづらさ」などと言うのはダサいと主張しているのだ。
読解というのはコミュニケーションなので、基本的に好意的に行うべきだ。
増田はdondonpinpin氏のブコメを悪意を持って解釈している。これほどボコボコに批判するなら、100%好意的に解釈しても誤読としか読み取れないかよく検証してからにするべきではないだろうか。
98シリーズからパソコンワールドに入信。MS-DOSの1024kB環境設定の洗礼を受け,WINDOWS3.0から理不尽な不具合に対してもとてもよく訓練され,自作PC作ったりゲテモノPC導入したり。使いこなすのが大変でめんどうくさいことが「楽しいこと」だとずっと思って生きてきた。そりゃあたまにはAppleにも手を出したけど(カラクラとかQuadraとかPBG3とか),それはあくまで別世界を体験するためのイベント的な意味あいで,生涯自由度の高いWindows派で生きていくもんだと思ってた。
でもさ。なんだか最近Macbookもいいかなと。というのも,ずっとAndroidだったスマホをこの春からiPhoneにしてみたらできないことが多くて・・・楽だった。結局iPhone+Macbookで,できることもが少なくて選択の自由度がないほうが迷うことなく幸せになれるんじゃないか・・・と思ってしまった。思考停止願望。とか言いながらまだSurfaceポチる衝動があるから
「おかえりモネ」 第29話 「昭和の倫理観」にマジツッコミ多数に現代の生きづらさを感じます - 温泉とテレビが好きな私の日記
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mokamaru.hatenablog.com/entry/20210625/1624575047
dondonpinpin
過去にそれが許されていたというのは錯覚で、上の者が下の者に理不尽な我慢を強いて好き放題やれてただけなのだ。
2021/06/25
ええ····
え?マジで?
本当にもう怖いんだけどなんなのこいつと☆付けてる奴ら。
Q.ブログ主が「現代の生きづらさ」と表現してることはなんですか?
1.男の甲斐性たる不倫が目くじらを立てられ許されなくなってきたこと
2.自民政権30年の悪政により労働分配率が落ち続けていること
3.読解力の無いバカたちが頓珍漢な非難の声を上げるようになったこと
これ3以外選ぶ奴は本当に国語力に障害あるから自覚してくれよ。
頼むよ、なあ。
ブログ主は非難されてるドラマを弁護して、その内容を説明している。
「過去を打ち明けた当人も過ちを恥じているし孤独な闘病生活を送っている」
「『昭和の価値観』はただの弱い人間の苦し紛れの自虐言い訳として出てきている」
「不倫が『男の甲斐性』を言い訳に大目に見られている時代もあった
→しかし勿論それを発言してる登場人物は許されず孤独になっている(キッチリ報いを受けており大目に見てもらってはいない)
と。
要するに
「ドラマ及び製作者は不倫や『昭和の価値観』を肯定したり弁護したりしておらんのに
それも読み取れ無いバカ達が『不倫を正当化するとは何事だ!』『昭和云々などとおかしな言い訳をするな!』と怒りを噴き上げている。
ああ読解力欠如のバカの声がでっかく響く現代は生きづれえなあ。 」
つってんだ。
dondonpinpin
過去にそれが許されていたというのは錯覚で、上の者が下の者に理不尽な我慢を強いて好き放題やれてただけなのだ。
2021/06/25
え、マジ?
「あなた達のその怒りや咆哮はこれこれこのように読解ミスですよ」「登場人物もドラマ制作者も不倫を肯定してないですよ」って説明されたのになお
「不倫は許されないんだ!不倫が当然の非難を受けるようになったことを現代の生きづらさなどとほざくな!」
こんな奴とどんな会話すればいいんだよ。
こういう奴ら本当に
普段から仕事や家庭で周りに迷惑かけてないか心配になるんだけど。
日常生活で周囲の人の言動があなたを激しく怒らせることがちょくちょくあったりしない?
それ周りがおかしいんじゃなくてあんたの受け取り方がおかしいんだよ。
病院行ってみな。
hedgehogxさん がスターを付けました。
hedgehogxさん がスターを付けました。
Stickneyさん がスターを付けました。
nakadaiさん がスターを付けました。
mori99さん がスターを付けました。
yukattiさん がスターを付けました。
satoviviさん がスターを付けました。
komaichiさん がスターを付けました。
shinonomenさん がスターを付けました。
rainking666さん がスターを付けました。
Josui_Doさん がスターを付けました。
Josui_Doさん がスターを付けました。
Josui_Doさん がスターを付けました。
punkgameさん が過去にそれが許されていたというのは錯覚を引用してスターを付けました。
dayuyoneさん がスターを付けました。
taramoimoiさん がスターを付けました。
自分の脳が健常だという過信はやめたほうがいい。
君が他者と疎通しコミュニケーションできてるというのは錯覚で、なんらかの病気や障害もしくはただの低能が周囲に理不尽な我慢を強いて好き放題やれてるだけなのだ。
兎にも角にも母国語の文も満足に読めねえ奴がいっちょ前の顔で意見表明しているのはダサい。
夫である自分がどんなに家事育児全般完璧にやってもイライラするときがある妻
イライラの原因は仕事がうまくいっていない、生理前、子どもが言うことを聞かなかったとき、色々あるだろう
女性は男と違って大変、母親は父親と違って大変、、、巷でもいろいろ言われているだろう
"そんな理不尽なイライラをぶつけられても、夫はそれを軽く受けしたり受け入れたりして、優しく寄り添ってあげなければなりません。"
"私の夫は私がどんなに不機嫌になっても、優しく包み込んでくれます"
いろいろ意見があるだろう。
でもこれって、男らしくしろ、男は我慢しろ、男は寛大であれ、とか、そういう日本男性に求められる幻想なんじゃないか?
理不尽なイライラをぶつけられて、打ちのめされて病んでしまう男だっているだろ。
この先何十年もこれが続くのか、、、でも子供のために離婚はできない、、、子どもが成人したら別れるか、、、でもその時俺は何歳だ、、、
俺の人生って何だったんだろ
夫である自分がどんなに家事育児全般完璧にやってもイライラするときがある妻
イライラの原因は仕事がうまくいっていない、生理前、子どもが言うことを聞かなかったとき、色々あるだろう
女性は男と違って大変、母親は父親と違って大変、、、巷でもいろいろ言われているだろう
"そんな理不尽なイライラをぶつけられても、夫はそれを軽く受けしたり受け入れたりして、優しく寄り添ってあげなければなりません。"
"私の夫は私がどんなに不機嫌になっても、優しく包み込んでくれます"
いろいろ意見があるだろう。
でもこれって、男らしくしろ、男は我慢しろ、男は寛大であれ、とか、そういう日本男性に求められる幻想なんじゃないか?
理不尽なイライラをぶつけられて、打ちのめされて病んでしまう男だっているだろ。
この先何十年もこれが続くのか、、、でも子供のために離婚はできない、、、子どもが成人したら別れるか、、、でもその時俺は何歳だ、、、
俺の人生って何だったんだろ
すごく好きになったアニメ監督がいて、もうアニメを見なくなった今でも、その監督の作品は見る。
ただ、底抜けに明るいか全く動じない主人公が、持つものすべてを失った上で叩きのめされるような目に遭う。
乗り越えるのは分かっている。でももう生まれてからずっと酷い状況だったのに、少し上向いてきた頃にこんな目に遭わなければならないのかと思って辛くなってきた。
幼少期に読んでいた漫画の螢子ちゃんが呆然とするシーンの意味をやっと知った。どうしてここまでしなくてはならないの。正確な言葉は思い出せない。検索しても見つからないくらい、大したシーンでは無かった。でもその漫画のクライマックスに不自然に大きいコマでそう呟いた表情だけが焼き付いている。
子供はどんなに現在の価値観として幸福でも、人権を侵害されて生きなければならない。逆らいたくても生きる術は無い。見方によってはそうとも言える。辛く無かったわけじゃない。やっと自由を手にしても打ちのめされるような目には遭った。みんな遭うだろう。
今はもう大人になって、社会システムに取り込まれると、大抵の理不尽は自分の力が足りなくても憲法に守られている。何かしたければ成し遂げられる人脈と資本もある。
でも乗り越えただろうか。年齢が上がったら、今までも蔑ろにされるべきでは無かった人権が、他人に勝手に尊重されるようになっただけだ。あの頃の無力感も絶望もなあなあのままで、年齢だけ同じ状況になったら耐えられない。
何がしかの力を得たはずの存在なのに、主人公が打ちのめされ、乗り越えていく様を、眺めることしかできない。今の自分にあの頃の自分が救えないように。
何かできただろうか。今なら何かできるだろうか。何もできない。言葉ひとつかけられない。待つしかない。
主人公も子どもたちも、きっと何もしなくても乗り越えて生きていく。残るのは宙に浮いた無力な手とただ大きくなった身体。
あんな主人公の印象のままで終わりたく無いから、続きを見たいけれど、なんかもう、悲しくて辛い。そんな目に遭うべきでは無かった。
良い作品を見て、ただ見ているだけの自分を脱して、かつての自分だったかもしれない子を救いに駆け出すべきなのだ。でももうただ辛い。乗り越えられなかったし救われ無かった子どもとして横たわってしまう。主人公たち程では無かったのに。
私は典型的な理系人間で、今はありがたいことに理学分野の研究者という地位を頂いている。そういうバックグラウンドがあると、他人からは「論理的思考力」とやらを評価されることが多い。私はどうやら「論理的」な人間らしい。みんなが言うならそうなんだろう。同業者の自己評価も「私は論理的」というものが多いと思う。
「論理的」と言うと、褒め言葉に聞こえる。しかし私は、そう言われる度に、チクリと痛む棘が潜んでいるようにも感じる。思えば小学校、中学校くらいまで、私の思考が「論理的」であるとして褒められた経験など一例も思い浮かばない。それ以上に思い浮かぶのは、「理屈っぽい」という蔑みの言葉だ。「理屈っぽい」という言葉には、「おまえは冷血で、人の心を持たない、人外の怪物だ」という、拒絶の意志が込められていた。
当時の私にとって最も屈辱的だったのは、「私の感情が無視されていた」ことだった。決して、「論理的、と褒められないこと」ではなかった。私は私なりの「感情」に突き動かされた行動をしたに過ぎないのに、そこで私の「感情」が評価されることはなく、ただ「みんなの感情を無視した」行動として評価されることに、途方もない理不尽を感じた。「正論だけじゃなくて、みんなの気持ちも考えて」と言う人が、「私の気持ち」を考えてくれたことは一度もない。私はそれが悔しかったのだ。
かつて、自閉症スペクトラムの人々は、共感能力に乏しいと言われてきた。しかし、比較的新しい京都大学の研究によれば、自閉症スペクトラムの人々は、ただ定型発達に対する共感能力に乏しいだけで、同じ症状を持つ人同士では高い共感能力を有しているらしい。
https://news.mynavi.jp/article/20141111-a322/
私個人が発達障害かどうかは、診断を貰ったことがないのでわからないが、共感する部分はある。障害と定型の間に線引きはないとの前提に立てば、まあそういう要素が私の中にあると思っても問題ないと思う。私が求めていたのは「私なりの感情を感情として認めてもらうこと」であって、「感情の排除」ではなかった。
「私は論理的」というアイデンティティを掲げる人がインターネットにはたくさんいると思うけど、それは果たして本音だろうか?と私は考えてしまう。私が見るに、彼らの多くは随分感情的だと思う。私はそれを良いとも悪いとも思わない。ただ、「私は論理的」という強がりが、彼らを守る鎧なのかなと思ってしまう。貼られ続けたレッテルが、アイデンティティに転ずる現象はよくある。マイノリティのコミュニティで、「真の」マイノリティのような言説が時に権力を翳してしまうのと同様に。人種・LGBTQなど、様々な場面で当てはまるだろう。「理屈っぽい」というレッテルを貼られ続けた人々が、「論理的」と言い換えることで、自分を守っているように見える。
「おまえ俺の事バカにしてるだろ!」と因縁をつけてくる人に、「バカにしてるけど、それが何か?」と返すのは溜飲が下がるかもしれないけど、そんな風に自ら孤独を作ることは、あなたを孤独に仕立てあげたい人間の思うつぼでもある。あなたが本当に言いたいことは何なのか。彼らが本当に言いたいことは何なのか。ネットミームとレッテルで思考放棄するばかりではなく、再度考え直してみる必要があるんじゃないかな。