すごく好きになったアニメ監督がいて、もうアニメを見なくなった今でも、その監督の作品は見る。
ただ、底抜けに明るいか全く動じない主人公が、持つものすべてを失った上で叩きのめされるような目に遭う。
乗り越えるのは分かっている。でももう生まれてからずっと酷い状況だったのに、少し上向いてきた頃にこんな目に遭わなければならないのかと思って辛くなってきた。
幼少期に読んでいた漫画の螢子ちゃんが呆然とするシーンの意味をやっと知った。どうしてここまでしなくてはならないの。正確な言葉は思い出せない。検索しても見つからないくらい、大したシーンでは無かった。でもその漫画のクライマックスに不自然に大きいコマでそう呟いた表情だけが焼き付いている。
子供はどんなに現在の価値観として幸福でも、人権を侵害されて生きなければならない。逆らいたくても生きる術は無い。見方によってはそうとも言える。辛く無かったわけじゃない。やっと自由を手にしても打ちのめされるような目には遭った。みんな遭うだろう。
今はもう大人になって、社会システムに取り込まれると、大抵の理不尽は自分の力が足りなくても憲法に守られている。何かしたければ成し遂げられる人脈と資本もある。
でも乗り越えただろうか。年齢が上がったら、今までも蔑ろにされるべきでは無かった人権が、他人に勝手に尊重されるようになっただけだ。あの頃の無力感も絶望もなあなあのままで、年齢だけ同じ状況になったら耐えられない。
何がしかの力を得たはずの存在なのに、主人公が打ちのめされ、乗り越えていく様を、眺めることしかできない。今の自分にあの頃の自分が救えないように。
何かできただろうか。今なら何かできるだろうか。何もできない。言葉ひとつかけられない。待つしかない。
主人公も子どもたちも、きっと何もしなくても乗り越えて生きていく。残るのは宙に浮いた無力な手とただ大きくなった身体。
あんな主人公の印象のままで終わりたく無いから、続きを見たいけれど、なんかもう、悲しくて辛い。そんな目に遭うべきでは無かった。
良い作品を見て、ただ見ているだけの自分を脱して、かつての自分だったかもしれない子を救いに駆け出すべきなのだ。でももうただ辛い。乗り越えられなかったし救われ無かった子どもとして横たわってしまう。主人公たち程では無かったのに。
阿部監督なのか新房監督なのか