「努力」ほど醜悪なものはこの世に存在しない。
人々が「努力」と呼ぶものが努力であった試しがあるだろうか。
「努力」の代名詞である受験だってそうだ。
我々は「行きたい」と思った学校に入る為に勉強し、数多の競走を勝ち抜こうとした。
何故学校に「行きたい」と思ったか。
大概が就職での「努力」を減らすためである。
我々は何故就職をしなければならないか。
我々はどうして何者かが自らの利益の為に創り上げた、空虚な道に夢を見出さなければならないのか。
自由気ままに生きようと思っても、資本主義という迷子札がついたエリート支配の元では到底叶わない。
私はこの理不尽を作り出した奴等に向かって、死ぬまで呪詛を吐き続けるつもりだ。
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