はてなキーワード: 新海誠とは
きっとスナックのママにも〇〇孤児である事は暴露したんだと思う。
そこで、制服に気を取られたおっさんとか登場する余地も無くて良かった。
新海誠作品には、地方の温かさと都市の冷たさが対比構造として横たわっていて
あの愛媛のシーンがあったからこそ、「行ったなあ」「また行かなくちゃな」と言う意思に繋がった。
「すずめの戸締り」観てきた.新海誠作品は全部観てきたけど,さすがにもういいかなと思ってしまった.
色々言いたいことはあるけど,脚本がダメ過ぎる.脚本には多くの問題があるが,一番問題なのが物語を通じて主人公に成長が無い点である.
主人公は最初から何の問題も抱えていない.何の問題も抱えていないのだから成長しようがないのである.
伯母との距離感に悩んでいたり将来への不安を抱えていたりといった,思春期特有の課題を何一つ抱えているように見えない主人公は,最初から最後まで万能感溢れる陽キャ的存在である.
このようなキャラがわざわざ旅に出て何かを達成する必要があるのだろうか?陽キャで特に欠点もなさそうな女子高生が旅に出たらそりゃ大体何やっても上手くいって当然としか思えない.
だから観ていて自分はこの主人公に好感を持てないし,主人公を応援しようとも思えなかった.
また,多くの「使えそうな設定」があるにも関わらず,ただの舞台装置として浪費してしまっている点も問題であると感じた.
主人公は過去に母親を失うという喪失を経験しており心に傷を負っているのだが,その設定が物語後半になるまで生きてこない.これは非常に勿体ない.
震災を経験したせいで将来に対して異常に悲観的になっているとか,地震や自然災害に対して人一倍敏感になってるとか,そういうフックとして使える設定なのに何故か物語前半では全く活かしきれていない.
ベタではあるがこういう分かりやすい特徴が一つでも欲しかった.そうすればそこから成長につなげる道筋が立ち,旅に出る動機が明確になるのである.
他にもせっかくうまく活かせそうな設定が沢山あるのに,殆どがただの舞台装置として消化されてしまっている.とても勿体ない.今からでも遅くないからコミカライズする時は使えそうな設定をもう一度拾い直してくれ.
新海誠はセルアウトして大人になったんだよ。今は数少ないスクリーンの向こうにいるオマエ=鬱屈した青年=かつての新海誠自身のためではなくて、部屋でRADWIMPSを聴いたりYouTube見ながら、何となく明日は学校に行きたくないな、部活の仲間とちょっと喧嘩しちゃったし、みたいな真っ当な思春期の瞬間的ブルーを抱えたマジョリティの少年少女に向けた映画を作ってるわけ。
知らんけど。
まいじつ
実際
『すずめの戸締まり』累計興収18億突破でダントツ首位!新作4本がランクイン:映画週末興行成績|シネマトゥデイ
https://www.cinematoday.jp/news/N0133562
すずめの戸締まり:公開3日で興収18.8億円突破 133万人動員 新海誠監督作品最高の好スタート - MANTANWEB(まんたんウェブ)
https://mantan-web.jp/article/20221114dog00m200020000c.html
「すずめの戸締まり」公開3日間で興収18億円突破 新海誠監督作品史上No.1の大ヒットスタート : 映画ニュース - 映画.com
端的に言って、新海誠の映画の中に自分が出てこなかったのが一番の不満だ。
新海誠の主人公ってのは、独り善がりと被害者意識と自己陶酔で生きてるような、普通に見れば気持ち悪いものを持っているのが魅力だった。ああいうキモさ、自分を、許容してくれるのが新海誠作品だったのだ。ほら、新海誠好きな男なんて大抵キモいだろ。俺もそうだ。
すずめの戸締まりでは、そういう気持ち悪いキャラが出てこない。ダイジンはキモかったが、見た目が猫なので許されている。あれおっさんだったらみんな勘違いストーカー野郎だと罵倒するだろ。まあ、おっさんだったらすずめにうちのこになる?なんて言われないけど。
新海誠の描く相手キャラってのは非常に都合の良い、もっと言えば自我がないキャラとして描かれるから、そうたは想定内だった。
しかし、主人公であるすずめも、きれいすぎた。被災者であり地震の悲惨さを実感しているからこそ、母の形見を取り戻すため、そうたを元に戻すために戸締まりの旅をする。なんだそのキレイすぎる推進力は!!最初イケメンだからって惹かれたところが新海誠っぽいけどな!
あと、なんだあの芹澤って男は、いいヤツすぎるだろ。メンタル化け物かよ。自分と対比したら彼岸にいるよ。
あー、もしかしたら環が芹澤と寝てれば、岡部稔のBSSで共感できていたかもしれない。それもなかったけど。
結局のところ、自分持っているものを描写してくれるのが新海誠だったのに、それがなくなってしまったのが寂しいわけ。
新海誠は俺のことわかってくれてるんだって思ってたのに、変わっちまったな誠。でも、いいんだ。俺はお前と通じ合えてた思い出を胸に、お前のいない現実を生きていくよ。誰とも分かち合えない苦しみが、お前との思い出を輝かせる。
だから、この苦しみは俺の誇りなんだ。だろ?誠。
ふぅ・・・
わかるか?新海誠。今、俺はお前の主人公より新海誠の主人公だぞ。
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まあ、それはさておき、すずめの戸締まりはそこそこ面白かった。
すずめの自己救済の話としてよくできていたと思う。
いいところは沢山あるが、どうせ沢山語られるので不満点を書き出す。
1.閉じ師の存在
はじめ、現実にあった震災をファンタジーにしてよかったのか?とも思わなくもなかったが、まあロー・ファンタジーだし、こんなもんかなという気持ちに落ち着いた。
どちらかというと、閉じ師の存在が納得いかない。あんなに大事な仕事なのに、あの映画ではそうたとその祖父しか出てこない。それこそ、各地に人員を配置していたり、東京では他の閉じ師が寄ってきてもいいはず。そうたがこういうのは知られないくらいでいい、みたいなことを言っていたが、何を舐めたこと言っているんだ。周知徹底して人員増やせ。閉じ師の必死さが全く見えてこないので、大学生がカジュアルにやってる仕事にしか見えない。あってもなくてもいい存在ってことなのか?
愛媛のシーンが中途半端すぎる。すずめはあそこで何を得た?他の土地に比べて、薄味すぎる。他で入れるとくどくなりすぎる要素をまとめて配置したようなとてっつけた感。東京に行くまでで、神戸だけじゃさみしいし、愛媛あたりでも入れとく?みたいな。みかん女の親も何家出少女を普通に受け入れてるんだ。
ただ、道中でどんどん衣服をGETして自分が変わっていくってのは面白い要素だった。東京でそうたを失ったあと、ただのすずめとして元の制服を身にまとい行動する。歩む足にはそうたの靴。いいね。
3つめ、書こうと思ってたけど、明確に出てこなかったので、これでおしまいにする。
これから観るつもりの人は回れ右!!観るつもりない人もこれだけ読んでもおもんないし回れ右!!観た人だけスクロールしてくれ!!!
すずめの戸締まりを観てきた。ネットでネタバレを踏みたくないのと、たまーにレイトショーで映画を観ると気分が良くなるので公開初日にレイトショーで。感想としては「すずめちゃんカッコイイな」とか「やっぱ映像綺麗だな」とか「今回はPV演出やらなかったんだな」とか「ドライブしてるあたりが一番面白かったな~」とかそんなところ。個人的には君の名は。と天気の子には及ばないけどなかなかいい映画だった。ネットでもいくつか既視聴者の感想を検索してみたが、刺さった部分の感想は人それぞれでありつつ、それなりに好意的な評価が多かったように思う。また、劇中でははっきり名前こそ出さないものの、「東日本大震災」が起こった世界を正面から描き、主人公の追悼と成長を描いている点も、今のところはおおむね評価されていた。一方で、事前の予告では東日本大震災を直接的に取り扱った物語であることは示されておらず(私の知る限りでは、緊急地震速報の流れるシーンがあるとかその程度の周知だったと思う。小説読めばわかったらしいけどまぁ読まないよね)、物語後半に割と不意打ち的に311の描写があることへのある種の懸念と、個人的な嫌悪感を示す人も多少見られたと思う。これらのレビューについて、皆それなりに首肯できる部分もあり、個人の感想と照らしあわせながら楽しく読ませてもらった。でも、これらの世に出てきたレビューを読みつつ、個人的に気になった点が一つある。
みんな「世界観と設定」について、全然話題にしてないな?ということ。この映画の最大の瑕疵、というか問題点になりえるとしたらこの世界設定の部分だと感じていたので。
あまりにみんな何も言わないので、匿名ブログを書いてしまった。匿名なのは卑怯といわれるかもしれないが、そもそもブログやってないので…。
すずめの戸締まりの世界観と設定について、私が映画をみた限りでの理解を以下に記す。あくまで私の理解なので、誤っていたらご指摘ください。
どうだろうか。列記すると滅茶苦茶カルトな設定だなと思う。作中ではもう少し自然に描いているのは確かだ。でもそもそもこの映画を観たら、「映画として面白かったかどうか」とは別に「この設定が受け入れられるか否か」がかなり心に引っかかるのではないだろうか。個人的にはちょっとウェッという感じで、この設定使うなら311じゃなくて君の名はのように架空の災害として扱うか、もしくは311はミミズ由来のものじゃなかったことを明示しとくべきじゃないかと思った。福島で地震に遭遇するシーンでミミズが現れないことから、「あぁ、すべての地震がミミズ由来ってわけじゃないのね…」と少し安心したら、そのあとの「草太さんが抑えてくれてるんだ!」というセリフでずっこけた。ほんとにカルトだよ。
「結局創作なんだからいいじゃん、現実と創作は別だよ」という意見もあるかもしれないが、311は実際に起こった災害であり、それを作中で扱ったにも関わらず原因ミミズなんです、はちょっとなんか、私はイヤですね、という感じ。
ちなみに「作中では311は止められなかったのか?」という至極当然の問いに対しては作中では特に答えはないが、ファンコミュニティ間では「そもそも震源地が海だから無理だった」とか「草太の父世代の閉じ師が出てこないことから察せる」とか色々考察があるようである。まぁ書いててむなしくなるような話題である。
なお、現実世界の話をすると阪神淡路大震災は震源淡路島南部の直下型地震、関東大震災は神奈川県西部、東京湾北部、山梨県東部が震源の三つ子地震だったといわれている。作中でもふたつの震災は起こっているっぽいので付記する。
上のような設定について、私は「みんな特に何も違和感をもたなかった」とはあまり思えない。みんな「違和感があるけど口にだしていないだけ」なんじゃないか……と、他人の心中を勝手に想像している。ツイッターやインスタ等の短文SNSだったら確かに「面白かった!芹澤いいわ~」で終わりだろうけど、ブログやレビューサイトで長文のレビューかいててこの世界設定に触れないとかあるの?と思っている。ただ一方で、確かに語りにくいよなと感じる部分もあって、これもその理由を列記する。
1について、実際の被災者の方はどう思っただろうか。上記の不意打ち的な311描写も含めて、東北の劇場では結構トラウマえぐられた人も多いのではと勝手な心配をしている。ちなみ当時東京に住んでいて被災といえば計画停電くらいだった私でも、日記のシーンと燃え盛る瓦礫のシーンはちょっと心にきた。
2については皮肉抜きに新海誠を尊敬する。「シン・ゴジラ」も「君の名は。」もアフター311の映画ではあったが、東日本大震災そのものとしては取り扱わなかった。押しも押されぬ超人気監督として、期待のかかった商業映画で東日本大震災をメインテーマのひとつに据えた心意気は本当に見上げたものであると思う。扱い方は個人的にはうーんではあるが。また、ここで難しいのが、すずめの戸締まりにおいて311はメインテーマの「ひとつ」でしかないところである。311の映画ではない。
3については、これからファン層以外にリーチしたときにどうなるのか気になるところ。例えば金ローで放送したときとかさ。
現在ネット上で閲覧できるレビューはほぼファンによるもので、おおむね好意的なものが多い。これから本職の映画評論家や、メディアによるレビューが始まるだろう。彼らはおそらくこの世界設定について、ファンレビューのように目をつむることはできないのではないかと思う。上記1のような問題もあり、どのような評価がされるのか気になるところである。
ちなみに、IGNJapanの11月12日(公開翌日)付レビューでは以下のような一文がある。
>> しかし僕が気になったのは別のことだ。3.11後の物語性や震災の歴史、そして天災を鎮める世界観として神道を引っ張ってくる意図についてはこれから他メディアでの評論やレビューで嫌になるほど言及されるだろう。そこに自分の関心はあまりない。 <<
この筆者本人は関心がないそうだが、記載の通りよくもわるくも嫌になるほど言及されるだろう。
みんなどう思った?俺はめっちゃ違和感あった。映画のできそのものを否定するわけじゃないけど、世界設定については滅茶苦茶やんけって思った。気にならないって人のほうが多いのかな?
公開3日間で『君の名は』(2016年公開・興収250.3億円)対比で観客動員数138.7%、興行収入147.4%を、『天気の子』(2019年公開・興収141.9億円)対比で観客動員114.9%、興行収入114.7%を記録。新海誠監督作品史上No.1のロケットスタートを記録した。
バフが消えている?
テーマとしてはほしのこえや秒速でやったように、距離や時間が人を分かつことのドラマ性を描くということなので、そこに新規性はあまり無く、
むしろかつては宇宙を用いて膨大な距離や時間、秒速でも子供が大人になる20年程度を使って描いたテーマを、今の俺なら現代社会を舞台にしても3年で描けるという新海誠本人のテクニカル面での洗練さ、自信のあらわれなのかなと強く感じました。
新海誠の鋭さを考えればやはり物語としては「町は救えたけど二人は再会できない」か「町は救えたけど二葉は死ぬ」である方が良かったな、テーマを考えればそうであるべきだよなと思いますが、そこは商業故の大衆に迎合した形なのかなと思います。
テーマ性や失うことの輝きみたいなものを考えると天気の子の方が完成度としては格段に高いなと思いました。
天気の子の良いところは主人公の選択によって世界が変わるという点ですね。
それほどに選択は重く尊重されるというところが大変に良いと思いました。
天気の子の世界にもヒロイン一人を犠牲に人類を救うべきという人もいたでしょうが、選択するのはお前ではないということを突きつけるのも良い。
草太といい芹沢といいイケメンばっかで女子なって見てえ〜と思ったのが第一印象ですはい。
先祖代々家業を継いで全国歩き回る旅人か?と思いきや普通に東京の大学生で教師志望って固えなオイ〜
鈴芽の安全な位置にいさせたいから躊躇なく危険に飛び込むから自己犠牲タイプかな?と思ったけど普通に生に執着してるから人間味があっていいキャラに仕上がってる。愛媛で泊まる時後ろ向いて大人しくしてたのも紳士的で良い。
しかしまあ鈴芽が恋に落ちるのは分かるけどお前相手は一応高校生だからな〜?条例〜?そんなに踏まれたのが良かったんか〜オイ?
芹沢と草太が並ぶシーンはほぼ無かったけど、見なくてもこの二人なら間違いなく仲良いいだろうな〜というキャラだった。チャラそうに見えるけどかなり草太のこと真剣に心配してるのが分かったし、選曲が昭和なのは実はおばさんに合わせるためだとしたら気遣いもできるいいやつだ(でも多分おばさん小室くらいの世代だぞ)。草太が閉じ師の都合で芹沢に迷惑かけることもあっただろうけど、芹沢はまたかよ〜仕方ねえな〜で簡単に許してくれそう。助手席に草太乗せてドライブとかしてそうだよね〜。彼女もいるだろうけど、草太乗せた回数の方が多い(確信)
今回はだいぶ作風をファンタジーに寄せてきたな〜というのが全体を通しての印象。
廃墟に出現する後ろ戸は常世に繋がっていて、それを閉じる閉じ師と彼が持つ特別な鍵、要石は神様で姿を変えて猫になる、日本の地下にはみみずがいて、昔から震災を起こす元凶で、後ろ戸をくぐったことある人だけが姿が見える…まだ挙げられるけどファンタジーのパーツがかなり多い作品だったと思う。
あと、日本を縦断する道中に会う人々がみんな鈴芽のことを肯定したのはジブリ的だなと思った(ジブリは大きく二つにわけて人間美と肯定感を意識した作風だと思ってる)。「異なる世界に迷い込んだ少女が道中出会う人に祝福を受けながら目的のために前に進む」話は自分の中では千と千尋が特に印象強いんだけど、新海誠は今回のは魔女の宅急便を意識してると感じた。作中BGMはもちろん、最後に男の子を救うところとか、おばちゃんキャラの立ち位置とか、途中で同世代の女子と出会うとか、小さい相棒連れてったりとか
あとダイジンとみみずがまどマギだなあとか、天災と祝詞が天気の子と君の名はだなあとか、ちょっと鈴芽の心象変化が早いなあとか
後ろ戸には災害の元凶という役割が当てられているけど、廃墟にそれは存在してるという設定から、自分は忘却されつつある過去を象徴してるのだと思った。
3.11から10年経って、ようやくこういう映画が世に出せるというのは、傷が癒えてきたという証左であり、それはつまり悲しみを忘れつつあるということでもあるのだろう。
ひょっとして、将来の自分の顔と自分の母を勘違いしてるあたり、鈴芽は母親の顔を忘れかけてるのではないか?震災後に残ったのは形見の椅子だけで、写真すら残ってない可能性がある。作中でも最後まで母の顔は出てこなかったのはそういうことかもしれない。いやでも流石におばさんとか親類が出産とか結婚とかの写真を持ってるか…。
めっちゃ野暮だけど、この話、結局はダイジンが逃げ出さずすぐ要石に戻れば良かったって話じゃね?なんで最後に「開く扉の場所を教えてくれたのね…」っていいことをしてたみたいなことになってんの。西の要石が無くなったのが全ての原因じゃないの?あれ?なんか違う?
おばさんが鈴芽に言いすぎたのって左大臣の影響?乗り移られたから?なんで?ちょっと突拍子なかった展開なので疑問。
好きなシーンは船の中で「歩く椅子見た?」に対して平然と「知りません」って答えたところとJKに乗られて足踏みされてるところと尻に敷かれてる(物理)の3点です
糸守高校とK&AのBGM全くわからんかった。多分クラブの店内BGMとかかな?
タイムループものという見方もあるみたいだけど、単純に扉の中で過去と現在が交差しただけで、ループものとは違うのではないかなあ。先に触れた通り、扉は過去の象徴であって、この話は「過去の閉じ方」を描いたものだと思う。
過去の閉じ方を描いた作品として、鑑賞中は緑のルーペの青春のアフターを思い出していた。あれほど過去の後始末に苦心する話はない。
あと、天気の子の好きな人>世界に対して次作で世界>好きな人のアンサーをしたのが、こいのことばの待ち続けて戻ってきた人に対する青春のアフターの待ち続けて戻って来なかった人のアンサーだった点も
ところで無くなった椅子の脚がキーになると思ったけど全く出てこなかったな。喪失は事実として残り続けるという示唆かな。
2周目からどっかで分岐して草太を助け出すのを一旦諦めてダイジンと一緒に閉じ師として全国を周りながら草太を救う方法を探し、草太と同い年くらいになってから皇居地下の扉に戻ってくる…みたいな
面白く無いわけではないが今回はちょっと微妙かな。新海誠の元カレ元カノ勢も流石に今回は…と思ったところで異常性癖が発揮されて面白くなっていった。
しかしここから最後どうやって締めるんだのところは予想通り過ぎて捻りも何も無い訳だが、経験から得られた言葉を重ねていく様は大変良く、枯れた異常独身男性の心も汗をかいてしまったようだ。
ネットの極北であるところのはてなになんぞ入り浸っていると正直、もうあの件をエンタメとして消化して良いタイミングなのかはわからないところがある(途中微妙に感じたのもそこ)。
細田守監督の“竜とそばかすの姫”で何それって思った大人達の子供への悪い意味での無関心、関係性の希薄さ、大人としての責任の放棄
そう言ったところ全部当たり前にあってくれて良かった
どっちも田舎の少女が1人で田舎を飛び出して東京やら都会へ行ったりするんだけど、「信じてる」とか言って何もしないでむしろ「行ってこい」みたいな訳のわからない展開に「はあ?」ってなった“竜とそばかすの姫”
新海誠監督の“すずめの戸締まり”では仕事休んででも子供追って出向いて、何も言わない子供に訳がわからなくても心配して付いてきて、挙句言ってはいけないことまで言ってしまって喧嘩もするけどそこは上手くファンタジーでフォローもしてて後の仲直りも描けてて、作り方さすが上手いなあと思った
なぜ細田守監督が近年巨匠みたいな扱いの一角になってきてるのか全くわからないんだけど、こう言う人間らしい関係性ちゃんと描けないの本当ダメでしょ
君の名は。で一世を風靡した新海誠。そのバフで天気の子の初動にブーストをかけることに成功したが、ざんねんなことに天気の子の中身があまりよくなかったため、今作については及び腰になっている層が結構いる
昨今の映画界には興収を稼ぐための方程式が二つある。ひとつは広く多くの人に見てもらう。もうひとつが同じ人に何度も繰り返し見てもらう、だ
100億越えの大ヒットを目指すなら上記二つを両方とも達する必要がある。が、理由1に挙げた通り君の名は。バフが消えているため広く多くの人に見てもらうのは難しい
暗いし、重い。一部ではPTSDを引き起こすと言われているほどで、エンタメ性が高いとはとてもいえない
というわけですずめの戸締りは100億に届くことなく失敗するだろう
では感想(劇場から帰宅して勢いのままに書いてるのでパンフも絵本も小説も未見)。