はてなキーワード: 怠惰とは
そもそもメンヘラという生物自体、自分の責任で生きづらくなってんのに周りの所為で病んだと弱者アピールしてるだけだからね
まともに社会生活送れない、まともな関係性やコミュニケーションが成立しない嫌われて当然の人間が所属コミュニティで生きづらくなる、人間関係の構築が出来ないという当然の帰結を大袈裟に不幸ぶって騒ぎ、常に他者から搾取して生きてる実はメンタル強くてしたたかなクズがメンヘラどもの正体だからね
でもSNSに精神系の薬飲みまくってるメンヘラ溢れ返ってるけど目立ってヤバそうな奴ほどガリガリばっかじゃん。
なんかそういう言い訳する人って、結局は太るまでいやしく食うほど自分に甘くて薬の副作用を言い訳に使って太ってる自分の怠惰や甘さを許すような他責思考だから社会生活でうまくいかなくて精神病む羽目になるんじゃん?ハッキリ言って自業自得だよね。
生理も無ければ、性犯罪にも合わないし、親から「女に大学進学は不要」とか言われない人生のどこがハードだって?
お前の人生がハードなのは単なる積み重ねてきた怠惰の結果であって、性別も社会も関係ありませーん。怠惰なバカは一生女を妬みながら社会の底辺で腐ってるのがお似合いだよ。
文化資本ガチ勢がガチ勢同士でつるむためのチケットでしかないだろ。くだらねえよ。意味ねえじゃん。
教養なんてあっても幸せになんてなれないし、むしろ邪魔まであるだろ。
自分で言うのもなんだが、俺にはかなりの教養がある。つまりお前に意見をするチケットがある。こんな話は反吐が出るから詳しくは言わないが、文系、理系、文化、芸術などなど、どの点をとっても俺の教養パワーにはほとんど隙がない。なぜ隙が無いのか?文化資本に恵まれているからだ。
どうして俺が反吐を出しつつも、こうして自分に教養があることを声高に主張するのかというと、教養のあるみなさん(笑)は教養の無い人の意見を聞いてくれないからだ。
教養のある皆さんにもよく考えてほしいんだが、教養のある奴が、教養のある故に幸福になっているところを見たことがあるか?
無いよな。
教養があって幸福なやつは、持ち前の向学心によって身についた職業に関する専門的な知識と、持ち前のハピネスパワーゆえに幸福になっているのであって、教養そのもののおかげで幸福になっているわけではない。
毛沢東の家には70万冊の蔵書があったらしい。全部読んだわけでは無いだろうが、それにしてもドン引きするほどの読書家だと伝えられており、頭も死ぬほど良かった。
だが毛沢東はイカれた思想に傾倒して人間不信をこじらせて中国人を殺しまくった。世界で最も多くの人を殺した人間だ。
「狂う」なんて、教養さえあれば防げそうな不幸ランキング第一位なのに、毛沢東は狂ってしまった。むしろ当時はインテリほど共産主義に傾倒して狂っていた。
毛沢東が不幸だったのかは知らないが、ああはなりたくないのは事実だ。
毛沢東は「偏った教養」「正しくない教養」しか持っていなかったから狂ったのかもしれない。確かにそれは事実かもしれない。
「正しい教養」「真の教養」があれば毛沢東みたいにならないで済むのかもしれない。
教養にこだわる人は、なぜだか知らないが、それが真の教養なのかどうかに異常にこだわる。実際、この記事にも「お前がこの行で言ってるそれは"真の教養ではない"」といったコメントがいくつもつくだろう。俺は彼らのことを"真の教養おじさん"と呼んでいる。
だが、じゃあ「正しい教養」「真の教養」とは誰がどうやって決めるんだ?お前が決めてくれるのか?それともなにか権威のある人や集団が決めるのか?
お前や、あるいは"権威のある人や集団"が毛沢東ではない証拠はどこにあるんだ?
よりよく生きるために「正しい教養」が必要なのに、「正しい教養」が何なのか決められないのだとしたら、それはもう教養は無意味だと言っているのと同じだろ。
原爆開発は、人文知や、宗教や、教養が、科学の暴走を止められなかった好例として解釈されることがある。
オッペンハイマーは、教養があれば原爆開発を思いとどまれただろうか?そんなわけはない。そもそも、彼に教養がなかったという見方が間違っている。彼はアメリカ政府に選ばれた世界有数の天才で、優秀な科学者であると同時に優秀なリーダーでもあった。少なくともお前よりは教養があっただろう。
原爆を作ってしまったオッペンハイマーには教養があった。もちろん「真の教養」は持っていなかったのかもしれないが、「真の教養」が何なのかは誰にも分からない。
すると、今度は「教養があるからといって狂わないわけではないが、教養があれば狂う可能性を減らすことはできる」みたいな反論が帰ってくるかもしれない。
では、教養があると狂う可能性をどのくらい減らせるんだ?データはあるのか?「可能性を減らせる」などと主張するのであれば当然根拠となるデータが必要だと思うが、お前は示せるのか?俺は示せない。
世の中を見渡すと、むしろインテリこそ狂ってるイメージすらあるだろう。芥川龍之介なんて、インテリだからこそ狂ってしまったとしか思えない。
逆に、無教養な人のことを考えてみよう。日本国内にいる、高校を出てすぐに就職し、1年に1冊も本を読まないし、音楽も聞かないし、美術館にも行かない人のことを考えてほしい。
彼らは必ずしも不幸だろうか?そんなわけないよな?
そもそも、地球人のほとんどは無教養だ。恐らく90割は、日本の水準で考えれば完璧な無教養だと言って良い。海外に行けばわかるが、先進国以外の国民は驚くほど無教養だ。
世界の成人の識字率は80割ほどだと言われている。20割は文字すら読めない完膚なきまでの無教養だ(真の教養おじさんに言わせれば、文字が読めなくても真の教養のある人はいるのかもしれないが)。
俺やお前が想像するような「高い教養のある人」は、この地球におそらく1%もいないだろう。では、地球人の99%の無教養な人は、不幸な人生を歩んでいるのだろうか?
そんなわけはない。彼らもそれなりに幸福に日常を生きている。家族と談笑し、仕事でそれなりに人望を得て、休日は近所の人と茶を飲んだりして過ごしている。
無教養で不幸な人も確実に存在するだろうが、無教養で幸福な人もそれと同じくらい確実に存在している。
教養が無いからといって不幸になるわけではないし、教養があるからといって幸福になるわけでもない。では、この教養という奴には、何の意味があるんだ?
次に、「教養があると生活が豊かになる」と主張してくる奴が現れる。これを言われると俺も弱い。割りと一理あるからだ。
よく聞くのは、「石の名前がわかれば散歩をしているだけで楽しい」のような意見だ。
リンゴを見たときに連想する単語の違いが頭の良し悪しで決まるとする極めて不快な漫画を、お前も見たことがあるだろう。内容は極めて不快だが、一理も無いと言えば嘘になる。
だが石の件は、実は因果が逆で「散歩していても楽しいから」「石の名前がわかる」ようになった可能性を否定できていない。散歩が楽しい人は何も知らなくても散歩が楽しいのではないだろうか。逆に、石の名前はわかるけど散歩が楽しくない人だって大勢いるわけだ。
また、石の名前がわかるようになったことで損なわれる感覚について議論していない点も問題だ。石の名前がわかることは、石の美しさを楽しむ上で本当に必要なことなのだろうか?
さらに、教養を身につけることに使ったリソースで別の楽しいことができた可能性についても議論していない。
お勉強が得意なお前は貴重なリソースを使ってでも石の名前を覚えたほうがコスパがいいのかもしれないが、石の名前を覚える時間で、Youtubeで猫がチピチピ言っている動画を見たほうが幸せになれる可能性だってあるだろう。石の名前を覚えずに今を生きることがそれほどコスパの悪いことなのだろうか?
「教養があると生活が豊かになる」という意見は確かに一理ある。認めてもいいと俺は思っている。だが、それほどの効果は無いのも事実だ。
教養があれば幸福になれるかどうかはお前にはわからないし、俺にもわからない。もちろん真の教養おじさんにもわからない。
あるのは意味じゃなくて、生き方だよ。教養のある生き方と、教養の無い生き方があるだけだ。この2つの生き方に、良い悪いは一切ねンだわ。
教養のある奴は教養のある奴としかつるまないし、無い奴は無い奴としかつるまない。例外はあるだろうが、基本的にはそうなっている。
なぜなら、教養があるやつは常にマウントをとって教養の無いやつを差別するからだ。
この投稿にも「お前は無教養、なぜならこの行でこんなことを言っていて、この発言はお前の無知から来ているからだ」みたいなコメントがたくさん付くだろうけどさ。
そういうコメントこそが、文化資本ブルジョワのお前が、文化資本力に劣る人間を差別してる一番の証拠だろ。
だからさ、文化資本ブルジョワのみなさん。みなさんは、文化資本に恵まれた地域・家庭・社会・遺伝子に生まれてよかったですね。
近くに図書館があって、美術館があって、あるいは美術館に行く金を親が出してくれて、親が音楽を聴いていて、良い先生に恵まれて、親が大学の授業料を出してくれて、あるいは奨学金の情報にアクセスする手段に恵まれて、大学が家から近くて、あるいは一人暮らしをするガッツがあって、あるいは大学に行かなかったのに向学心があって、毎日勉強するやる気と健全な精神と健康な肉体に恵まれて、専門科目以外を勉強する余裕があって、良い友人に恵まれて、教養をたくさん蓄えて文化資本家階級になれてよかったですね。今日もお得意の教養を使ってたくさんマウントを取りましょう。
自称教養人のコメントなんてこんなもん。本人は教養を身に着けたと思っていても、この程度のコメントしか出力されねンだわ。
いまから晒す教養に一家言ある彼らが、より多くの、より質の高い"真の教養"を身につけたとしよう。彼らはもっとマシなコメントができるようになるだろうか?俺はNOだと思う。彼らのコメントこそが教養の無意味さを立証している。
acridian 文字扱う仕事してる人間から見るとかなりらひどい文字の打ち方してる。blueboy氏くらい原稿整理してみてくれ/ほんとに教養あるなら教養にスキがないとか口が裂けても言えんだろ…
→俺は本文で「ほとんど」隙がないって書いてあるよなwなんでそこを切り取ったの?日本語も読めないのにチケット持ってるフリすんなよ。文字を扱う仕事をしてる人間のacridianさん、「かなりらひどい」って何ですか?こっそり編集するなよ。俺の文章はひどくて、「文字扱う」「打ち方してる」「ほんとに」は酷くないのか?blueboyが誰なのか知らんが(そいつを知らないとここではチケットが発行されないのか?)まあなんだ、お前もblueboyを見習えよw
itotto 教養なさそう
jkob 特に教養らしきものを感じない文章だった。教養の有無で狂ったとか狂わないとか幸福とかそうでないとか何が言いたいのかよくわからない。
grdgs なにが教養に含まれるかでなく、教養の定義が根本的に狂っている増田。教養があれば狂わないとお前らは言っている!と狂うゆえに狂った藁人形をこさえている。
→これ言い方を変えただけで"真の教養おじさん"と言ってることは同じだよね。定義が狂ってると言うなら、お前がまず定義を示せよ。そもそも教養などというふわっとしたものが定義可能だと思ってる時点でヤバいけど。
toratsugumi 教養ってなぁ、理解力のレンジを広げて、楽しめるコンテンツを増やす背景情報かつ前提条件であって、別にマウントを取る手段ではないぞ?第一、こっちから乗りに行くのではなく、向こうが勝手に下に潜り込むのだ。
→これもそう
frothmouth 衒学と教養はまた違うんじゃないかな/個人的には教養を身につけるために学ぶよりも、好きなことをやっていたらある種の教養も身に付いた、方が好きですね
→衒学と教養はなにがどう違って、この2つはどのように定義されるのですか?その定義は誰が考えたもので、なぜその定義が正当だと言えるのですか?これに答えられないなら真の教養おじさんと言ってること同じだよね。
cider_kondo 本当に教養あったら「80割」みたいなあからさまな釣りは恥ずかしくて入れらんないと思うぞ…/教養主義って「無学でも古典良書の組織的な読書で人格陶冶できる」という信念のことで文化資本をむしろ否定する思想だよな
→そのまんまの「真の教養おじさん」で草。で、古典良書にはどのようにアクセスするのですか?無学で、本を読むのが苦手で、あるいは怠惰で、近くに図書館が無く、放課後は寝たきり老人の介護をしないといけない彼らは、小難しい古典良書をどのようにして読むのですか?
教養がないとこうなっちゃうことを身をもって証明してくれてるのかな?
aquatofana クメール・ルージュへようこそ。/それでも共産主義者が「既得権益者」を排除しようとするのは筋が通ってなくもないのだが、こういうこという奴ってたいてい根拠のない反共産・反社会民主主義なので手に負えない。
→え、どゆこと(笑)俺は本文中で毛沢東のやったことを「狂っている」と完全に否定したし、教養があるやつを殺せなんて一言も言っていないよね。大丈夫?書かれていないことを読み取ろうとするのは教養うんぬん以前に、なんか見えちゃいけないものが見えちゃってるだろ。最近クメール・ルージュを知って、つい使いたくなっちゃったのかな?カンボジアの歴史に興味を持ってくれてありがとね。あと「ようこそ」は草。
tamasuji 下らなくて意味がないと言いながら「俺には教養がある」とアピールするのが意味不明で面白い。 あとで消す
→え、本文1文字も読んでない人?チケットがあることを示さないと君たちは話も聞いてくれないだろ?だからチケットを持っていることを示した上で、チケットにチケット以上の意味がないことを説明したんだが、どこが意味不明なんだ?あ、あとで消す必要はないですよ。
Kouboku 毛沢東は狂っていない。大躍進も文化大革命も自己の権力維持のためにやった。手段の是非はともかく、狂って起こしたわけではない。文章読んだけど、多分増田みたいな人こそ毛沢東に傾倒すると思うよ。
→保身のための合理的な行動だったとしても手段が狂ってるんだから狂ってるんだろうよ。自分の利益になるんだったら人を殺していいのか? 「毛沢東に傾倒すると思うよ」わたしは毛沢東に傾倒しておりません。
amunku 長い。私は教養があるから幸せなんじゃなく楽しいから教養を積んでる。勉強するのがこんなに楽しいなんて、なぜ中学の時にわからなかったんだろう。増田は教養はあるが視野と共感力が無い典型的な器用貧乏なんだろな
→「なんで中学の時にわからなかったんだろう」この理由がわからないのが答えなんじゃないですか?勉強するのが楽しいかどうかはホルモンの量で決まって、お前は成長にともなってホルモンが増えたんだろ。成人するとホルモンが多くなる遺伝子を持って生まれてきて、よかったですね。
restroom 文庫本や新書ぐらいなら、文化資本に恵まれていない人でも十分に入手できます。私の実家は地方で、両親は高卒でしたが、父は読書家で教養を持っていました。
y-mat2006 人から話を聞いたときに新しい知見を得られた!と思わずに、マウント取られて口惜しいと思うような寂しい人生は送りたくない。
→見えちゃいけないものが見えてて草。
あれだけれいわに良くしてもらって置きながら、自民にすり寄ってるし、その自民からは予算成立の為の口実にいいように使われている。
まあサンプル数人なんだが
こいつがずっとスマーフ配信(雑魚狩り)で稼いでて批判されてるんだが人気もある
理由の一つとして、こいつの雑魚狩り言い訳が非常に上手いことがある(褒めてない)
簡単に言えば批判者を「怠惰で嫉妬にかられた人間」としてレッテル張りすることで強い自分を演出して人気を保ってる手法
「平均的なプレイヤーは敵チームにスマーフがいると不満を言うが、優れたプレイヤーはより優れたプレイヤーとの対戦に燃える。チャレンジには学習と自己改善が必要だ。受け入れてランクを登るか、不平を言ってプラチナに留まるか選びなさい」
こいつを見てるとイスラエル国民のメンタリティがなんとなく透けて見える
「弱い方が悪いよね」
他のイスラエル人オーバーウォッチ代表も似たような発言ばかりだし、こいつら本当嫌いだなオレ
と思った
自己責任論を極めまくった国って感じ
el-condor これは本当にそうで、本邦の抱える社会問題の結構な割合が、無能で怠惰な企業経営者が多いのに起因する。無能な経営者は速やかにその地位から逐われるような社会にすべき。経営者辞めても、自己破産も生活保護もある
安定結婚問題を解く安定マッチングはTinderができる50年以上前から存在した
しかし、缶詰は(理論上の)雇用を生んだが、安定マッチングは50年間の機会損失を生んだ。
缶切りが出来るまでの50年間で缶詰を上手いこと開ける職人が出現してもおかしくないので存在するとして、彼らは50年間職業を得た。缶切りを発明してしまったことでその職を失った。人類は缶ジュースのプルタブを見るたびに自責の念にかられるべき。
一方で安定マッチングがTinderに応用されるまで弱者男性は理論値の最高効率で恋愛をする機会を失った。
人類は常にアクセルベタベタ踏み踏みの最高速度で発展し、我々はその恩恵を享受しまくるべきなのだが、往々にして怠ける。
しかし、怠惰がもたらす結果はマチマチなので、人類は勤労の重要性を学ぶことができない。
缶開け職人に缶ビールで献杯し、弱者男性の墓には坊さんを安定マッチングさせましょう。アフターサービスというやつですわ。
缶詰と缶切りの時差
安定マッチングについて
安定マッチングとGale-Shapleyアルゴリズム | 高校数学の美しい物語
安定マッチング=Gale–Shapleyアルゴリズムは1950年代には現れていた
Gale–Shapley algorithm - Wikipedia
The Algorithm for Love – How Tinder Has Improved its Matching Markets System : Networks Course blog for INFO 2040/CS 2850/Econ 2040/SOC 2090
自分に体力がないことは薄々感じていた
幼少期から運動をしていたのに、ずっと「体力が課題」と言われ続けていたし、
今だって一日出かけりゃ1日寝込んで何もできない
ずっとADHDや怠惰のせいだと思っていたけど、実は頻脈のせいじゃないか?
安静時の脈拍が100ある。特に健康診断で何も言われないし、調べてみるとそれくらいでは別に治療の対象ではなく、本態性低血圧という体質なだけらしい
寝ているだけ、歩いているだけで、普通の人の小走りくらい心臓を使っているんだからそりゃ疲れるわな
親に聞いてみると、祖母が低血圧だったから多分遺伝だろう(発達障害関係あるのかしら)
人生のクオリティを左右する最も重要なファクターのひとつに、バイタリティがあると思うが、自分はこの低血圧であまりにもでかい損をしていると思う
先日スノボに行って、転んだ後なかなか立てないでいると同行者に「も〜頑張って!立って!」と言われて涙が出そうだった
日頃の行いがあるから怠惰と思われるのは仕方ないんだけど、これで精一杯頑張っているのだが!?!?
「転んだ後ずっと立たないんだよこの子」と言うが、最速で立っているのだが!?!?
それがつらい
なによりも
子供も全員小学校を卒業する歳になり、いよいよ「子育て」として苦労するフェーズは終わりつつあるような気がするので振り返りたくなった。
タイトルの通りだが、マジで全然大変でも何でもなかったので、みんなじゃんじゃん子供を作って欲しいし、さも大変かのようなアピールをしている人たちは何が大変なのか普通に教えて欲しいくらい。
前提として、うちは福利厚生の手厚い会社に勤める妻が仕事を継続し、フリーランスで仕事をしていた俺が家事と育児をメインで担当していた。
振り返ってみて、強いて言うならやはり生後1年くらいまでは少し負荷が高かった気もする。
夜泣きの対応に追われ、慢性的に寝不足の状態ではあった。基本は俺が対応していたが、妻の眠りも確実に妨げられており、妻の方にも支障は少なからずあったと思う。
とはいえ俺は家にいる間は好きに昼寝したりできたから、間違いなく仕事をしている妻の方がしんどかったと思う。
さらに言えば俺なんかは社会人時代の方がよっぽど寝不足と通勤で削られていたので、それに比べれば全然マシだと思っていた。
普通にサラリーマンよりも大変だと主張している人たち、そのキャパシティで社会に出たら終わってただろうから子育てに従事する側の選択でまだ正解だったと思う。
もちろん食事やオムツの対応に加えて、泣くたびにあやしたり、あとは(効果があったのかはわからないが)発育のためにコミュニケーションを取ったりテレビを見せたりしていたが、そんなもんだった。
誤飲とかは怖かったから目の届く範囲にはずっと置いていたし、誤飲するようなものは手の届かない場所に整理したりしていたので、結果として大きなインシデントはなかったと思う。
その頃には多少自分の仕事も再開していたが、社会人時代を思えば暇で暇で仕方がなかったし、子育ての過酷さを聞いていただけに、拍子抜けだった。
2人目、3人目がそれぞれ2つ違いでいたので隔年で新生児対応をしていたのはややしんどかったが、2人目以降はある程度手慣れてくるし、手の抜き方もわかってくるので3人兄弟でもそこまでハードではなかったと思う。
幼稚園やら小学校に入ればいよいよやることも無くなるし(保育所に入れないという問題はあった)。
あとはスケジュールが読めないという点は少し難儀したかもしれない。
本当にびっくりするくらいの頻度で体調を崩して熱を出すので、その度に病院へ行ったり看病をしたりする必要が生じていたのはちょっと面倒だった。
ただ、そこで生じるイレギュラーなタスクそのものは大したことはなく、結局はこれも俺が仕事をしていたから、そのスケジュールが狂ってしんどいというだけだったので、専業主婦でこれを大変な理由に挙げる意味はやっぱりわからない。
全体として、本当に子育てはクソ簡単で、マジでしんどいことなんてなかった。
俺は怠惰だから、タスクを書き出して整理したり効率化のために何かを組んだりするのが面倒で、かなり場当たり的に(効率の悪い)子育てをしてきた自覚があるが、それでもこの感想なんだから、ちゃんと事前に対策を取れば本当に余裕で子育てを終えられると思う。
どちらかというと、子供の中受にかかる塾代やら学費やらがかなり重たくなっており、これからはまた仕事を増やさなくてはいけないのが憂鬱だ。