『セクシー田中さん』見てなかったし、原作も未読。でもあの一件以降、原作者やクリエーターたちが同じような経験をしてるという話をポストしているのを見て対岸の火事ではないと感じた。みんな同じことを経験してるんだ。
私も制作する立場にいる(偉い人じゃないです)。どちらかというと原作側。
とにかく短期制作、大量生産、コミュニケーション不足。複数の現場を経験したけどどこも同じ。
基本的に原作側と制作側、そこの末端の制作者、顔を突き合わせる機会は少ないと思う。
とにかく時間がないし、脚本はわからないけど単価も労力に追いついてないと思う。
その中で私たちはどうにか軌道修正しなきゃいけなくて、それが本当に辛い、めっちゃストレス。
みんなひとりひとり、人格のある人間なので我が出てきてしまうけど、複数人でひとつのものを作る時は作品を一番に考えて、原作者がいる場合は原作が目指すところを一番に考えてやらなきゃいけない。我を出してくる人を止めなきゃいけない。
プロデューサーにはその手腕が必要だけど、制作時間の短さに対するそれに見合わない物量のせいで『妥協』が発生する。
本当は作ってる側は完璧にやりたいけど、直す時間がない。結果妥協するしかなくなる。理想から程遠いものを作られた時、それを直すのに同じくらいの時間がかかるので。
消費者が思ってるよりも一つの作品を作るのには時間と労力(そして資金)が必要なんだよね。日本だけじゃないかもしれないけど、それをあまりにもケチってる現場が多いように思う。本当に余裕がない。
昔、知り合いのドラマ制作に関わっていた人は過労死してしまった。
だいぶ前の話だけどそのときからあまり現場は改善されてないのではないか。
何を望んでいるかというと、もっと余裕をもって妥協せずに制作できる業態になってほしいということ。
労働者の身を削らないとクオリティの高いもの、理想とするものが作れないのなら、いったん全てを見直さなきゃいけないと思う。
それができているところもあれば、できていないところもあるし、現状ではそれが主流ではないと感じている。