はてなキーワード: 同性カップルとは
JR東日本がフルムーン夫婦グリーンパスを同性カップルお断りというツイートを見た。
https://twitter.com/inamori2009/status/1539204593514467328?t=-T6vR5ugJg9M4jdZMiUjuQ&s=19
このサービスは同性カップルを視界の外に追いやらないと実運用できないと言ってくださっても構わない。
ただ、こういう状況でありながらLGBTフレンドリーをアピールしてイメージアップの材料に使うのを見ていると、ちゃっかりしてるなと思うわけです。
具体的にはこういうの
https://www.jreast.co.jp/press/2021/20211111_ho02.pdf
https://www.westjr.co.jp/press/article/2020/11/page_16942.html
まあ、もしかしたらJR東日本やJR西日本はこのグリーンパスを同性カップルに拡大しようと働きかけてくれてたのかもしれない。
でもJR九州やJR北海道の反対で実現できなかったのかもしれない。そうであればそれをうかがわせる返答をぜひ客にしてほしかった。
もしそんな働きかけさえしてなければ本当にただのインチキだよね。
外見の良い異性に心惹かれるのは生物として当然のことであってそれを必死になって否定するのが理解に苦しむ
「ブサイク同士のカップルやブサイクなのに彼女出来ている人も居るからただイケは間違い!!」なんて言う奴がいる。街中でイチャついているカップルは高確率でブサイクだ。美男美女でイチャついているカップルはほとんどいない。それはお互いに惹かれ合っているからではなく、イチャついている姿を見せることで「俺たちこんなに愛し合ってるんだぜ!幸せだぞ!羨ましいだろ?」とアピールしているだけだ。ブサイク故に差別され、コンプレックスを拗らせ周囲を見返したりたいが、美男美女を得ることが出来ないのでブサイク同士で互いをリア充アピールに利用しているのだ。
所謂「美女と野獣」カップルというのも女が金目当て、世間体、周囲のマウント、もしくは「ブサイクでも愛してあげる優しい自分」アピールのために発生するものだ。それは否定論者も内心では分かりきっているけど気づいていないふりをしているだけだろう。ブサイクカップルを引き合いに出してただイケを否定する馬鹿は世のカップル全てが愛し合ってると本気で思ってるのか?だったら、何でこんなにも離婚率が高いか説明できるか?何で彼氏・彼女に振られる奴が多いか説明できるか?
カップルというものはセックスが全てではないが、重要な要素だ。でなければ、同性婚や同性カップルなんて者がたくさんあるはずだ。男同士でプラトニックな結婚をしてよそで女の愛人作るなんて奴がいてもおかしくない。パートナーには性格、価値観の一致などの要素も必要だが、外見も外せない要素だ。
「イケメンは鑑賞用」なんて馬鹿丸出しの理論は辞めてくれよ。イケメンタレントを推している女は明らかに欲情しているだろ。そもそも鑑賞したいだけなら花や景色でもいいわけだ。だが、「推しの花」「推しの景色」なんて言葉は聞いたことがない。本当はイケメンが大好きだけど、現実は甘くないので、ブサイクの経済力に依存しているだけだ。そもそも、イケメンタレントもブサイクの夫も同じ人間なので、二人の魅力を比較していることは火を見るより明らかだ。
「若い内は外面重視、大人になったら内面重視」なんていう支離滅裂な理論も辞めてくれ。それもイケメンと結婚したいけど、それが難しいので手頃なブサイクで手を打とうという打算を成長という言葉で隠しているだけだ。「若い頃は女が好きでした。でも経験を積んでいく内に男の良さを知ってゲイになりました」っていってるのと変わらないぞ。
かくいう俺もブサイクだ。イケメンやそれに惹かれる女を憎く思い、同時に美人に心惹かれる矛盾に悩み、自己嫌悪した時期もあった。それを克服しようとブサイクでオ○ニーしようとしたこともあったが、結局無理で中断した。美人を見ても美しいと思わないようにしたこともあったが、食べなければ腹が減り、息をしなければ苦しくなるのと同じで止めることは無理だった。それで気づいた。美形に惹かれるのは当然のことで、それを辞めるように強制することは自分にも他人にも出来ないのだと。
だから、俺は美人を美しいと思うことに罪悪感は一切抱かないし、生涯独り身の覚悟も決めた。当然イケメンが羨ましくなったり、彼女が欲しくなったりする時期もあるが、それは一時の気の迷いですぐに治まる。勿論相手がブサイクの女でも差別してはいけないと肝に銘じている。
かつて自分が女とセックスする様子を想像したが、気持ち悪すぎて吐きそうになった。同性からしても気持ち悪いのだから、異性からすれば大金を積まれても無理だろう。
無論、自分の性格が良いなんて思わない。性格は悪いことは自覚しているし、直したいとは思っている。だが、外面があれなので仮に性格がどれだけ良くても勝負できないことは百も承知だ。恋愛のためではなく、社会に生きる者として性格の悪さを改善していくつもりだ
ただイケは女性蔑視だという意見もあるが、おれはそうは思わない。「女は男を顔で選ばない」とか言ってる男は「俺は面食いだけど、女は顔で男を選ぶなよ。ブサイクな俺でも選べよ」というダブスタで自己中な考えを抱いているのだろう。逆にただイケは男が女を外見で選ぶ自由を主張する代わりに女にも同様の自由を認める男女同権に根ざした素晴らしい考えだと思う。
さらにブサイク男に自覚と諦めを促すことで女がブサイク男からありがたくもない好意を寄せられるデメリットを少しでも減らせる。
一部には「僕ちゃんは性格が良いのに選ばれないんだ!女は外見でしか判断しないクズだ!」などと抜かす奴もいるが、そんなのはただの幼稚なクズなので放っておけば良い。
それなのになぜこの意見を否定する奴が多いのか。男の場合は前述の理由によるものだろう。若しくはイケメンだが、自分がモテるのは外見ではなく、内面によるものだと思いたいのだろうか。それに関して言うならあなたが内面に魅力があることとただイケは何ら矛盾しない。あなたは外見がイケメンであるからこそ一次選抜をくぐり抜けて、素晴らしい内面を評価して貰えたのだ。
・イケメンのパートナーが得られなかったとき、ブサメンのパートナーを利用したい
・現にブサメンのパートナーを利用しているが、下心がばれたくない
実に愚かだ。もし聖女だと思われたいなら嘘をつくのではなく、ボランティアや募金に励めば良い。その方が効果的に社会的評価を上げられるだろうし、現に誰かが助かるのだから一挙両得だ。俺は両親が不仲で嫌な思いをしたので、結婚は妥協してする者では無いと思っている。もし、世間体、金、マウントなどのくだらない理由でブサイクと妥協して結婚すれば、ブサイク遺伝子を引き継いだ挙げ句、親の夫婦仲が悪いという地獄の様な環境で育つ哀れな子どもを誕生させることになる。頼むから妥協して結婚なんてしないでくれ。
ちなみに俺が述べたこととほぼ同じ主張が「ブサメン学」というサイトに分かりやすく論理的に述べられている。「何だこの読みにくい駄文は」と感じたなら、そちらのサイトを読むことをオススメする。
※人口の2%は相貌失認という顔の違いが分からない病気らしい。その人たちに限ってただイケは否定できるだろうが、極々少数派なのでこの場では考慮しない。ただイケを必死になって否定する意見が余りにも多いのでとて少数派の意見とは思えない。
少子化を理由に同性婚に反対する人達は、異性婚して子供を持たないカップルにも同じくらい反対なのかな?
結婚して3年以上経っても子供を持たない夫婦はすぐに別れて別の人と再婚しなさいとか言ってんの?
でもそこまで極端な事を言ってる人って見た事ない。そこまで結婚=子供ならば、子供を持たない異性カップルも否定すべきなのにね。
私は婚姻制度って子供を持つ事を目的として行われるというよりは、万が一子供が出来た時の受け皿だと思うんだよね。
結婚したカップルが子供を持たない事には何ら問題がないが結婚せずに子供を産む事には問題がある。
だから子供のいない異性カップルが認められている以上、それと同様に同性カップルが認められていいというのが論理的帰結だと思う。
これね。
数年前の話になるけど映画「スカイスクレイパー」が公開されてた時に「ロック様とネーヴ・キャンベルの子役二人が黒人なのはおかしい。話の中でもこどもが養子だという説明もなかったし不自然」とかツイートしてる人がいたんよ。
あのー、ミックスレイスでも養子でも家族はただの家族ですから。家族の人種構成はストーリーとは何の関係もないんだからむしろ説明する必要がないわな、と思ったよね。
(海外)映画好きにありがちなんだけど「自分はこんなに詳しい。コレの本当の意味は......」とか言うのに夢中で「外国の物事をその国のものとは違う常識で判断している自分」に気が付かないんだよね。自分は人より詳しい、と思ってるから余計に。
だから、自分の言ってることは自分の偏見に基づいたものだ、ということが理解できない。
そりゃあ視聴者の一部には美女レズカップル好きもいるだろうし(それはたぶんアメリカだけではないしアメリカ人全部がそうではないよね)制作側にもそういう思惑はあったのかもしれない(なかったかもしれない)。でもたとえそうでも、類似の例をいくつメディアの中に見つけることが出来ても「その国では同性パートナーを公にしている人、人種の異なる家族は普通にいるし、だからドラマの中にいてもリアリティがある」のは「ちがいます。」とはならないんだよ。それは「違わない」の。
それにね、「社会の中に同性カップルが普通に見られる」ことと「進化論を否定する人がいる」「『聖書は同性愛を禁止している』という人がいる」「トランプが大統領に選出された」「黒人に平然と暴力を行う人がいる」は全部それぞれ別のことだよね。トランプ以外は日本にも(他の多くの国にも)当てはまるし。
それで「人権とか根っこの部分で、驚くくらい日本より遅れてることも多い国じゃん。」とか言われても「それってあなたの感想ですよね」としかならないよね。
だいたい元々の増田は「登場人物のカップルがたまたま同性。それだけ。あー、普通なんだ。と思った。」といってるだけで誰が誰より「人権とか」進んでるとか遅れてるとか言ってないよね。
「日本は遅れてる」と思ってるのは誰なんでしょうねえ? 誰かそんなこと言ってましたか?
自分の知らない異文化に触れる時に本当に大事なのは「自分は知らない」ということを自覚することだと思うよ。
「自分は知らない」ことを知っていれば新しいものを見た時にそれは「自分の知らないものだ」ということに気付くことが出来る。
「自分は知ってる」気になっていると新しいものを見た時にそのことに気付かない。そして知らないことを「自分の知っていること」の範囲内で理解しようとする。その結果として自分の理解が間違っていてもそのことに気づかない。
その理解する過程に「相手をどうにかして貶めたい」という感情が入り込んでいるともうどうにもならない。
もう初めからその理解が間違っていることは確定したようなものなんだけど、間違った方向に理解していくのを自分で止めることは出来ない。
あと本筋とは関係ないけど、大統領選挙は国民投票じゃないから(笑)
感情的になってないことないこと書いてると自分の偏見だけじゃなくて無知も出ちゃうよね。ポロッ、と。
くわばらくわばら
いま「パーソン・オブ・インタレスト」っていう海外ドラマを最初から見てるんだけど、レズビアンカップルが普通に出てきた。
シーズン2の第7話、初回放送日は2012年。ほぼ10年前だ。
「パーソン・オブ・インタレスト」はアメリカNYが舞台のアクションサスペンスドラマ。
さる重要人物のオペを控えた優秀な女医さんのところに謎の男が現れて、「そのオペはわざと失敗しろ」と迫る。
つまりその重要人物を医療ミスに見せかけて殺せというわけ。さもなくばお前のパートナーを殺すぞ、今もスナイパーが狙ってるぞ、と脅してくる、というストーリー。
まだこのエピソード見終わってないからわからんけど、おそらく彼らが同性カップルでなければならないストーリー上の必然性はない。
このカップルのどっちを男女どっちに入れ替えても筋書きは普通に成立するだろう。
俺が住み暮らしている地域では同性カップルはまだ物珍しいので、同性カップルがドラマに登場したらそこにはそれなりの理由があるはず、とつい思ってしまう。
同性カップルならではの制限や障壁であるとか、同性カップルであることの懊悩とかが物語に重要に関連してくるのだろう、そういった「使われ方」をするはずだろう、と身構える。
少なくとも、俺が住み暮らしている地域で制作され放送されるドラマだったらそうなる。
でも「パーソン・オブ・インタレスト」にはそういうのがない。登場人物のカップルがたまたま同性。それだけ。
あー、普通なんだ。と思った。
(参照:「優生学について知りたいのに、誰にも聞けない」https://anond.hatelabo.jp/20220120142843)
つまり最近進撃の巨人でジークが主張してるエルディア人安楽死計画(エルディア人の断種)なんかは反出生主義というかもろ優生思想な訳ね
https://anond.hatelabo.jp/20220121151104
行為者(ジーク)が「対象(エルディア人)が苦しんでいるのは生まれてきたからで、生まれてこなければ苦しまない。対象の苦しみを失くしてあげよう」と思っているならそれはその対象について「反出生主義」(対象がそれを望んでいるという意味ではない)。
断種の対象を疾病または災禍ととらえて「対象者が今後生殖をおこなわなければ(対象者以外の)人類がより良いものになる」というのが「優生思想」。これは断種「されない側の視点」の話で実行者の真意がどこにあるかとはまた別の話。
まあどんなに理想的に聞こえる理屈をこねまわしても断種対象者以外のホンネは個人的な妬み恨み復讐メシウマ優越感または自分がその対象になりたくないという恐怖だったりするわけだ。そしてその行為の対象がマイノリティーの場合「対象者自身はどう考えているか」はあまり考慮されない。というか相手の立場になって考えられれば初めからそういう発想は出てこねーんだ、そもそも。
いや違うな。
それが対象にとってどういうことか分かってるから自分は嬉しいし自分にはされたくないし、でもそいつらにはそうしてもいいという理屈を小賢しくひねくり回すわけだ。「社会のタメですー(笑)」とか言って。
人間の中からケモノが顔を出せば理屈は喜んでシッポを振ってついてくる。
無意識にしろ意識的にしろホンネをゴマ化す(ヘ)理屈を自分で唱えてりゃまだいい方で人口のうち多数を占める愚民は「これは社会(国家・世界・人類)にとって良いことなんです。あなたに損はないですよ」と言われりゃさも自分は正しいことをしてやってるんだというドヤ顔で他人を踏みつけ自分の動物的な感情を充足させ、勘定は政府やら世間やら他人に回す。自分には何の才能もなく何の努力もしなくてもたまたま多数側に生まれただけで他人より優れていると思い込めるんだからそもそも文句はないが、ひょっとしたら何割かは「社会が良くなる」というお題目を本気で信じているかもしれない(それは自らの優越感を意識していないという意味ではない。社会のためはオレのため、二方三両得ってだけの話だ)。
「ミンシュシュギ」のオダイモクも愚民が唱えりゃただの多数決の独裁になる。「自由で平等」なのは多数派の間だけでそのうえ独裁者は「多数」だからそのうちの誰一人として自ら責任は取らない。「衆愚に生まれて安心安全」システムだ。
本当の「民主主義」は「多数決」とイコールではない。民主の「民」は多数派だけでなくすべての少数者ーー病人かタワキ違いハク痴外人アイの子こども年寄り男女女男童貞オタク売タその他ーーも含めて全員自由で平等でなければいけないし、民一人一人は全員が自分自身のそして社会の「主(あるじ)」として全てのことに責任を負わなければならない。代議士はあくまで民の「代表」でありその責任は最終的に民全員に帰する(だから代議士は民意に従う責任がある)し、少数者(マイノリティー)だけにババを引かせるやり方は民主主義ではない。
自分に都合がいいことを聞いた瞬間に思考を停止する低級な動物が多用したがるキメ文句のひとつににベンサム(1748 - 1832。イギリスの哲学者・経済学者・法学者。功利主義の創始者)による「最大多数の最大幸福」という言葉があるが、これは「個々人の幸福の総和を最大にするのが正しい行為・政策である」という意味で(愚民がそうであってほしいと願うような)「多数を幸福にするためなら少数を不幸にしてもいい(そうすれば幸福な人数が最大になる)」という意味ではもちろんないし「少数の不幸は多数のメシウマ」を肯定するものではない(当たり前だ。普通にサイテーである)。個々人の幸福の総和を最大にするにあたってベンサム自身は「個々人が幸福を追求できるように法律で私的不可侵領域を定める必要がある」としている。ようするに「たとえ多数派がそうすることで幸福を感じるとしても他人の私的なことに手出し口出ししてその人を不幸にしちゃいけませんよ」ということだ。たとえば自分が幸福になるために自分が結婚したりしなかったり子供を産んだり産まなかったりするのは正しいが、自分が幸福になる(感情的にも経済的にも社会制度的にも)ために他人に結婚させるさせない・子供を産ませる産ませない権利は誰にもありませんよ、ということである。
この「他人」がマイノリティーであっても当然全く同じことでたとえ「同性カップルは結婚しても子供が生まれない。税収が減る年金が高くなる国が(:読み:「オレが」)損する」と思っても自分が結婚したい時に結婚して制度上の優遇を受けられるなら他人に同じことを禁止する正当性はない。「結婚はするが子供は作らない」のは同性カップルに限った話ではないし、それでも制度上の優遇が不当だと思ったら結婚に付随する優遇措置は一律に廃止すればいいのである。少子化が問題であるなら公的な扶助、優遇措置は既婚未婚ジェンダー性指向等いかなる属性にも関係なく実際の出産または養育の実態に対して行うべきだ。
生殖というのもまた自らの生存に次ぐ(どちらかと言うと結婚制度よりもなお)私的な不可侵領域であるがこれを本人ではなく誰か他の人が「おまえは生殖してもいい。おまえはダメ。社会のタメだから(笑)」とやるのが優生思想である。特定の人たちを(未来の)社会から「居なくすれば」社会はもっといいものになるらしい。しかし居てもいい人間いけない人間を本人の都合以外で選ぶ社会はすでに民主的な社会ではない。
社会のメンバー全てに平等の権利を認めた結果として社会に何らかの不利益が生じた場合、民主的な社会ではその不利益は全てのメンバーに平等に配布されなければならない。利益は多数派だけに分配し不利益はマイノリティーだけに分配(またはその逆)してはいけない。個人の幸福の総和は全ての人の幸福を高め全ての人の不利益を削減することで得られなくてはならず、不利益を一部少数者に集約した上で「[その少数者の属性]なんてこの社会には存在していない」ことにして残りの幸福だけを勘定してはいけないのである。それが「民の一人一人全員が社会の『主(あるじ)』として責任を負う」ということである。
もちろん「民主主義」というのは人間の価値観のひとつであり宇宙の絶対法則ではないので他者に由来する不利益に対して責任を負うことを一切拒否するのも個人の自由であるが、その場合民主主義社会によってもたらされる幸福の方も全て自ら辞退するのがフェアな態度であろうと思う。民主主義社会において多数派に属することの恩恵は(本人が自覚しているいないにかかわらず)計り知れず、本来数的にもその影響力も取るに足らない少数者・社会的弱者にイジワルするためだけにその恩恵を手放すというのも到底得策とは思えないが、けだし度し難きは小人なり。生まれつき享受している恩恵というのは本人には認識できないものなのかもしれない。