はてなキーワード: 動物愛護法とは
「動物の虐待及び遺棄の防止、動物の適正な取扱いその他動物の健康及び安全の保持等の動物の愛護に関する事項を定めて国民の間に動物を愛護する気風を招来し、生命尊重、友愛及び平和の情操の涵かん養に資するとともに、動物の管理に関する事項を定めて動物による人の生命、身体及び財産に対する侵害並びに生活環境の保全上の支障を防止し、もつて人と動物の共生する社会の実現を図ること」
しかし、動物愛護法で「愛護動物」に指定される動物はごく限られている。
「4 前三項において「愛護動物」とは、次の各号に掲げる動物をいう。
一 牛、馬、豚、めん羊、山羊、犬、猫、いえうさぎ、鶏、いえばと及びあひる
二 前号に掲げるものを除くほか、人が占有している動物で哺乳類、鳥類又は爬は虫類に属するもの」
要約すると、動物愛護法において動物の命の価値は三等級にランク付けされていることになる。
仮に保護される度合いが高い順に「Aランク」「Bランク」「Cランク」と呼ぶとすれば、
以下のようになる。
****************************************
【Aランク動物】(人の管理下にない野良でも愛護しなければならない動物)
・「牛」「馬」「豚」「めん羊」「山羊」「犬」「猫」「いえうさぎ」「いえばと」「あひる」の12種
【Bランク動物】(人の管理下にあれば愛護しなければない動物。野良は対象外)
・哺乳類
・鳥類
・爬虫類
・魚類
・両生類
・すべての無脊椎動物
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この時点で「おや?」と首を傾げる人も多いことだろう。
法律上では金魚やカエル、カブトムシといったペットは愛護しなくてもよいことになっている。
一方で、犬や猫、ウサギといったペットはたとえ野良であろうが虐待してはいけないことになっている。
しかし、現実には「金魚やカエル、カブトムシは好きだけど犬猫は嫌い」という人もいる。
そして、金魚・カエル・カブトムシと犬や猫の命を区別する理由は、
もっと言うなら、ゴキブリをペットとして愛している人もいるだろう。
だが、愛護法ではゴキブリは人の管理下にあろうが野良だろうが、
平然と殺されてよい生き物とされている。(ペットゴキブリの場合は、器物損壊にはなるだろうが)
にもかかわらず、猫は人の管理下にあろうがなかろうが、
別に犬猫ウサギなんて好きでも何でもない、むしろ嫌いな人だって多くいるだろう。
それなのに、個人の自由であるべき嗜好を、法律で罰則まで付けて強制している。
【Aランク動物】を傷つけた人は問答無用で百万円以下の罰金を受けることになるのに、
「どの動物が好きか」「どの動物が嫌いか」という個人の属性によって、
曰く「犬猫を虐待する人間は殺人犯になりやすい」だの「昆虫を愛する人間は異常者」だの、
これは「黒人は犯罪率が高いから黒人は犯罪者予備軍だ」というヘイトスピーチとまったく同じ構文だ。
ニューヨークなどの都市で黒人の犯罪率が高いのは統計的事実だが、
だから「肌の黒い人間を規制せよ!」などというのはバカバカしい。
黒人の犯罪率が高いのは、「黒人に貧困層が多いから」「黒人に教育を受けてない層が多いから」かもしれない。
肌の色が犯罪を誘発する原因とは断定できないし、無根拠に断定したとすればそれは差別だ。
「犬猫の動物虐待者は犯罪者予備軍」というのも、当然例外ではない。
虐待といっても様々だ。
例えば猫の首を締めて窒息死させればもちろん違法な虐待だ。動物愛護法で裁かれる。
しかしもっと軽微なもの、例えばタバコの煙はどうだろう。猫は嫌がるし死亡リスクも高まるが法的に虐待とみなされた例は聞かない。自動喫煙装置のある部屋に一日中住ませるというのはどうだ。
猫を太らせることは虐待と言われて久しいが、それも法で裁かれた例を聞かない。
毎日音楽を大音量で流すのはどうか。睡眠不足になりつらいだろう。誰かに非難されても「うちの猫はロックが好きなんだよ」とでも言えば問題ないだろう。
何もない部屋に閉じ込めるというのはどうだろう。猫は孤独を感じないと聞くが、実はそうではない。この動画を見てほしい。
飼い主が帰ってくるまでじっと扉の前で健気に待っている。多くの飼い主が猫をこの状況に追いやっているが誰も裁かれていない。この事実を知ったとき、背中を押されたような気分になったね。
工業的・税務的な話で言うと、「AI」が規格化等されていてその製品だという認定があることにより何らかの税金ないし控除が受けられるような施策があるのか? って話な。
自動車みたいなもんと考えてくれればいい。
もうちょい飛ぶと、「AI」であることによりレッサー人権的なものが発生し、動物愛護法などで定められているような法益を受けることができる何かになる(もしくは、破棄のルールが定められる)ものなのか? っちゅーこった。
最終的にはAIもある一定の試験をクリアすることにより人間と同等の人権や法律が適用されるに足る という世界になっているならAIかそうでないかが重要だねって話や。
動物愛護法44条では以下のようになっている。
4 前三項において「愛護動物」とは、次の各号に掲げる動物をいう。
一 牛、馬、豚、めん羊、山羊、犬、猫、いえうさぎ、鶏、いえばと及びあひる
二 前号に掲げるものを除くほか、人が占有している動物で哺乳類、鳥類又は爬は虫類に属するもの
これをわかりやすくまとめると以下のようになる。
まず、愛護法44条4の一で指定されている、最高ランク愛護動物(仮称)。
こいつらはたとえ人間に管理されていないノラでも殺しちゃいけない、最強の特権階級。
・牛さん ・馬さん ・豚さん ・めん羊さん ・山羊さん
・いえばとさん ・あひるさん
こいつらは人に管理されているペットとか家畜なら守らなきゃいけないが、
ノラだったら殺していい。
例:
動物愛護法で指定されていない、ノラだろうが人のペットだろうが
いくら殺してもいい、動物愛護法では無視されている「殺してもいい命」。
【ゴミ】
例:
・カエル ・イモリ ・金魚などの観賞魚 ・カブトムシ ・バッタなど
差別をする側は、「自分が差別をしている」という事実を認識しにくい。
肌の色で人を区別することが当然という風潮の中で生きてきた人間は、
それが当然の常識になっているから、過ちであることがわからない。
出身の土地や職業で差別することが当然の時代で生きてきた人間は、
「区別をつけるのは当たり前のことだ」
むしろ一部のグループを迫害することを「正義」だと考えてしまう。
今の我々は「それが差別である」という認識の社会で生きているから
だが、そもそも「これは正当な区別なのだから差別ではない」と深く思い込んでしまい
と思ったことだろう。
愛護動物をみだりに虐待したものには二年以下の懲役又は二百万円以下の罰金という
罰則が定められている。
>第四十四条 愛護動物をみだりに殺し、又は傷つけた者は、二年以下の懲役又は二百万円以下の罰金に処する。
2 愛護動物に対し、みだりに、給餌若しくは給水をやめ、酷使し、又はその健康及び安全を保持することが困難な場所に拘束することにより衰弱させること、自己の飼養し、又は保管する愛護動物であつて疾病にかかり、又は負傷したものの適切な保護を行わないこと、排せつ物の堆積した施設又は他の愛護動物の死体が放置された施設であつて自己の管理するものにおいて飼養し、又は保管することその他の虐待を行つた者は、百万円以下の罰金に処する。
4 前三項において「愛護動物」とは、次の各号に掲げる動物をいう。
一 牛、馬、豚、めん羊、山羊、犬、猫、いえうさぎ、鶏、いえばと及びあひる
二 前号に掲げるものを除くほか、人が占有している動物で哺乳類、鳥類又は爬は虫類に属するもの
現在、日本では愛護動物に対する虐待は法律的にも倫理的にも「悪」とされ、
非難されて当然の行為とされている。それが社会の前提となっている。
だが、ここであえて問いたい。
「何故?」
と。
「動物虐待が悪いことなのは当たり前でしょ」では説明にならない。
それでは、理由もなく人種差別、部落差別、同性愛差別をしてきた人々と
同じ間違いをしていることになる。
基本的には、法律の第一条にはその法律が作られた目的が記されている。
>第一条 この法律は、動物の虐待及び遺棄の防止、動物の適正な取扱いその他動物の健康及び安全の保持等の動物の愛護に関する事項を定めて国民の間に動物を愛護する気風を招来し、生命尊重、友愛及び平和の情操の涵養に資するとともに、動物の管理に関する事項を定めて動物による人の生命、身体及び財産に対する侵害並びに生活環境の保全上の支障を防止し、もつて人と動物の共生する社会の実現を図ることを目的とする。
なるほど、「国民の間に動物を愛護する気風を招来し、生命尊重、友愛及び平和の情操の涵養に資する」。
確かに、生命や友愛、平和を尊ぶ情操が涵養されるなら、それは間違いなく社会に取って有益だ。
だが、ここで当然の疑問が生じる。
↓
という、この二つの事象の間に因果関係があるのか、という疑問だ。
・2007年大阪で発生した、男が猫被害の苦情を言いに来たアパートの隣人を刺した殺人未遂事件。
・2008年神奈川県川崎市で発生した、餌やりを注意された男がアパートの大家をサバイバルナイフで刺殺し、その義理の娘にも重傷を負わせた事件。
・2009年千葉県船橋市で発生した、70歳の男が女性から野良猫の餌やりを注意されて逆上し、包丁で刺殺した事件。
ほんの少し調べてみるだけで、「動物好き」が起こした凶悪犯罪事件は多く見つかる。
したがって、「動物を愛する人に悪い人はいない」というのはただのイメージであり、現実とは乖離している。
恐らく動物愛護法を制定した当初も、別に「動物を愛護すると人間は優しくなる」という仮説について、
そもそも条文の第4項をよく見ればわかる通り、動物愛護法で「愛護動物」に定められているのは
哺乳類、鳥類、爬虫類だけなのもこの法律の歪さをうかがわせる。
命の大切さを謳うこの法律では、魚類、両生類、無脊椎動物については何一つ保護の対象になっていないのである。
イヌやネコやウサギを殺すと「生命尊重、友愛及び平和の情操が涵養」が害されるが、
金魚やカエルやカブトムシは別に殺してもいいので無問題という、
この動物愛護法上の命の区別について、私は何らの合理的説明も見出すことはできない。
さて、動物愛護法の条文はかなり不合理で、
動物虐待行為を「悪」として迫害することの正当性を担保するものは何も無いことがわかった。
だからといって、「動物虐待者を迫害することは差別である」と言われても、
なかなか受け入れられる人はいないだろう。
冷静に考えると「○○というグループは犯罪者予備軍である」という言説であり、差別思想の典型なのだが……
実をいうと、私も以前までこの言説を信じていた。
聞くところによると、FBIの専門家が、虐待は精神に悪影響を与えると言っていたらしい。
FBIといえば犯罪捜査のプロフェッショナルだ。そんな人が主張しているからには、
きっと「動物虐待者はいずれ人間にも手を出す」という仮説は真実なのだろう……と。
自分の中で「動物虐待行為が憎まれるのは差別ではなく正当な非難である」として納得させてきた。
さて、その専門家というのは、ロバート・K・レスラーという人物である。
犯罪者と直接話すことで心理分析を行い、プロファイリングの技術を確立したFBI捜査官だ。
その手法については彼の著書である『FBI心理分析官』に詳しい。
そして、愕然とした。
実のところ、ロバート・K・レスラーは「動物虐待が殺人にエスカレートする」などとは一言も主張していなかったからだ。
彼の主張は一貫して、「シリアルキラーが生まれる原因は幼少期の家庭環境にある」というもので、
動物虐待癖についてはシリアルキラーを発見するための手法として、幼少期に動物虐待をしているパターンが多いと述べるだけにとどめている。
別に動物虐待と殺人や暴行の因果関係については一言も言及していない。
(※そもそもプロファイリングとはそういうもので、「犯罪統計上、こういった犯行をする犯人は過去に○○しているパターンが多い」と、
犯人像をいわば『逆引き』する技術であり、「〇〇という行為をした人物は犯罪者予備軍である」などと因果関係を主張するものではない)
「FBI捜査官のロバート・K・レスラーが『動物虐待は人間への暴力にエスカレートする』と言っていた」
というフェイクニュースを作り出したのだろう。
実際にはそんなことは一言も言っていないにもかかわらず。
そして、一度も原著を読んだことのないまま、私はそのデマを信じ切ってしまっていた。
『FBI心理分析官』は有名な本であり、読もうと思えばたいていの図書館にも置いてあるにもかかわらず、
一度もそれを確かめようとはしなかった。
もちろん、『FBI心理分析官』は20年以上前に出版された本であり、
だが、軽く調べただけでも
暴力段階説(動物への暴力が人間へとエスカレートするという「仮説」をこう呼ぶらしい)の旗色は悪いようだった。
ここに来て、私は動物虐待行為を「悪」として断罪することの正当性をすべて見失った。
結論を述べると、私には動物虐待行為を罰することは差別以外の何物でもないように思える。
それも、かなり悪質な差別だ。
何しろ法律まで制定して、公然と動物虐待を行う者たちに迫害を加えているのだから。
そして、「動物虐待者はいずれ人を攻撃する」とか「動物虐待者は精神異常者だ」などの
何の根拠もなく(ヘイトスピーチはそもそも根拠があればいいというものでもないが)、特定のグループへの誹謗中傷を行っているのだから。
もちろん、これを差別であると認めるのは、感情的に容易なことではない。
動物好きな人は可憐な犬や猫を殺す行為は社会悪であると思いたがってしまう。
誰しも身に覚えがあると思うが、好きだという気持ちはとても衝動的で、制御の難しいものだ。
異性愛、同性愛、獣愛、小児性愛、どれも抱くこと自体に貴賤は無いと思う。
ただその愛が発露した結果、対象を害してしまう場合は話が違ってくる。
これは異性愛含め、どの愛に関しても変わらない。
その被害を防ぐために、性犯罪に対する刑法、動物愛護法、結婚年齢などが法的な罰則やルールとして存在する。
こういった観点から鑑みると、少数派であろうと、双方ちゃんとした合意があって愛し合っているだろうLGBTの人たちが抑圧されざるを得ない現状はおかしいと感じる。
被害者がいない以上、それは当人たちの問題であり、権利であり、第三者が口を出すべきものではないはずだ。
嗜好とてそうだ。被害者がいないなら、当人限りの問題であるなら、そういった嗜好を抱くことは自由であっていいはずだ。
上記を守っていても、認められ辛い嗜好を持つがゆえ、隠さざるを得ず後ろめたい気持ちを持たざるを得ない人間は不運だ。
俺獣医師なんだけどね、今はさ、動物愛護法を見てもさ、犬猫は乱繁殖しないように避妊去勢手術が推奨されてるわけよ。
優生保護法の報道を見てるとさ、俺がじじいになった頃にはさ、当時(未来から見た現代)の強制不妊は酷い、動物の権利を強制的に奪っていて人としてどうかと思うとか言われるんじゃないかと微妙な気持ちになる。
まぁ今も国が提訴されているわけで、当時関わった医師が訴訟を起こされているわけでも報道で責められているわけでもないんだけど、かつては当たり前というか、それが良いとされていたものが時代を経るととんでもないとか言われるわけよね。
まぁ、犬猫の中性化手術をしないんならそもそもペットとしての飼育自体をやめろよと思うんだけど、100年後200年後の動物愛護ってどんな考え方なんだろうな。
ただ、それもまた更に100年経てば間違った考えってことになるのかもしれないし、後の時代になっても、この時代にその判断をしたことはおかしくないんだって言えるようにしっかり考えて責任持ってやっていくしかないやね。
まず、「なぜ人を殺してはいけないのか」を考えるにあたって、「いけない」の意味を明らかにしましょう。「いけない」という言葉には、法律で禁止されている、道徳的に許されないという2つのパターンがあります。なぜこのように分けるのかというと、法律と道徳は、重なり合う部分はあれど、基本的に別のものだからです。ある行為が法律で禁止されていることと、道徳的に許されないことは異なる問題です。
刑法は禁止される行為を定め、よりよい社会を実現しようとしています。刑法に定められた犯罪には、それぞれ保護すべき法益というものがあります。殺人罪であれば人の生命です。殺人が禁止されない社会では、人は安心して暮らすことができません。そこで、「自己の生命が脅かされない社会は、よい社会である」という思想のもと、刑法は殺人を禁止しています。
ただし、これも絶対的なものではありません。責任能力の欠如、正当防衛、錯誤など、様々な要因で殺人の罪が問われないことがあります。たとえば、自分が殺されそうなとき、相手に反撃せず黙って殺されなければならないとすれば、それはよい社会とは言えません。そのため、よりよい社会の実現という目的のもと、殺人の禁止には例外が認められています。
次に、道徳について考えてみましょう。道徳とは、人間が無意識に存在すると認識している善悪の規範のことです。
これは法律と違い、明確に定められたものではありません。実態の存在しない、ある種のフィクションです。道徳は、無意識のものなので、法律のようにこのような理由がこれは悪だと説明できるものではありません。そのため、「なぜ道徳的に悪なのか」という問では答えを導くことができません。そこで、「なぜ殺人を悪だと認識するのか」という風に問を変えてみてください。
人間という種が発展していくのにあたり、お互いを殺し合う行為は、その発展を妨げる行為です。そのため、「殺人は悪である」という認識が生まれたと考えられます。増田の指摘する、「種の保存」です。
ただし、これも絶対的なものではありません。たとえば、前述した正当防衛であれば、道徳的にも悪ではないと認識する人が多いのではないでしょうか。これは、「種の保存」よりも「自己の保存」を優先する人間の無意識から生み出される考えだと思われます。
「人を殺してはいけない理由があるのに、動物を殺してよい理由はあるのか」という問を、上記2つの観点から考えてみましょう。
法律の観点からすれば、動物を一切殺してはいけないとすれば、食料等様々な問題が発生し、よりよい社会とは言えません。そこで動物の殺害全ては禁止されていません。
ただし、動物愛護法等、一定の行為は動物に対するものであっても禁止されています。この法律は、「人間と動物が共生する社会は、よい社会である」という思想のもと定められています。ただし、あくまで「よい社会」とは人間にとってよい社会であり、この法律は動物の権利を保護するためのものではありません。法律は、あくまで人間が自己の社会のために定めるものなのです。
次に、道徳の観点から考えてみましょう。ただし、これは非常に複雑な問題です。なぜなら、「動物を殺すこと」については、どの範囲を悪と感じるのか人によって全く異なっているからです。
「なぜ動物を殺してよいと認識するのか」という問であれば、人間が生きていくためには食事が必要であり、そのことを正当化する必要があるからと答えることができます。しかし、社会が発展するにつれ、動物を殺さなくても人は生きていくことが可能になった結果、この理由で説明することはできなくなりました。
「動物を殺すことは許されるのか」という問題は、「なぜ人を殺してはならないのか」以上に難しい問題です。興味があれば、ピーター・シンガー等、動物の権利について論じた本を読んでみてください。
と、私自身が思っているわけではない。するつもりもない。
虐殺される猫はかわいそうだと思う。
という問いに対する答えは分からないままでいる。
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「『猫虐待』元税理士に懲役1年10月 、執行猶予4年…東京地裁判決」
https://www.bengo4.com/c_1009/n_7095/
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こんなニュースを見かけた。
ネット上の感想を見る限り、許せない!軽すぎる!という声が多いように思われる。
それはもちろん動物愛護法があるからなのだが、なぜそのような法が正当化されるのか?ということである。
蚊を殺すこと、許される。
蜘蛛を殺すこと、許される。
鼠を殺すこと、許される。
牛を殺すこと、許される。
なんで?
蚊や蜘蛛や鼠や牛は、邪魔だしキモいし不潔だしおいしいから、殺すことも許されるのだろうか。
もしかしたら、猫の見た目が嫌いでたまらないとか、猫肉の味が好きだ、という人もいるかもしれない。
それなのに、人々の反応にはこうも差がある。
謎である。
ここで、「牛を食べることは生きるために仕方がない。命に感謝して食べるなら許される」との反論がありそうだが、どれほどの説得力があるのか疑問である。
第一に、現にベジタリアンがいるように、肉を食べなくても生きていける。
植物が育たないところで狩猟生活を営むならともかく、現代日本で肉が食べられないと生きられない人はかなり少ないだろう。
結局、肉を食べることは、「おいしいものを食べたい!」という人間の勝手な欲求を満たすために動物の命を犠牲にしているにすぎないのである。
「苦しむ姿を見たい!」という人間の勝手な欲求を満たすために猫を虐殺することとの違いがどこにあるのだろうか?
第二に、命に感謝することが大事なら、命に感謝しながら猫を虐殺すればよいのだろうか?
各人が心の中でかわいそうだと思うだけなら、勝手に思っていればいい。
しかし、なぜ他人が行うことを非難することが許されるのか、ましてや刑罰を課すことが許されるのか。
もっとも、法は国会の民主的過程を経て作られるものであるから、国民の多数派がかわいそうだと思うことを規制する法律が作られることは当然のことかもしれない。
しかし、それは一歩間違えば少数派の弾圧につながるものであり、昨今の同性愛、表現規制をめぐる問題に通ずるところがある。
さらに、私としては、こいつはキモいから殺してもいい、猫はかわいいから殺してはいけないと、生き物に序列をつけるほうがよっぽど傲慢な振る舞いではないのかな?という疑問が拭えない。
最後になるが、念のために再度申し上げると、私は、虐殺される猫はかわいそうだと思うし、自分がするつもりも全くない。
しかし、長年の疑問は解けないままであるので、誰かの目に留まって納得できる反論をもらえないかと思い、こうやって記事にしてみた。
おまけ
今期放送中のアニメ「魔法使いの嫁」でも、とても興味深い話題が提供されていた。
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「『魔法使いの嫁』で妻の病気を治す為にたくさんの猫を殺したシーンで、猫を鮭に変えたら全然見え方が違うよね、という話」
https://togetter.com/li/1173833
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http://b.hatena.ne.jp/entry/s/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171012-00010015-nishinpc-soci
視覚障害者が盲導犬を蹴る動画が拡散 協会に通報が相次ぎ利用者から犬を保護
http://gogotsu.com/archives/33891
こんな事件がよくあるので。
「動物に人間同様の権利があるからダメ」というアニマルライツの人たちの論理はさすがに無理筋。
嗜虐性を満足させるための動物虐待。
人間の利益のためには動物の利用を認めるというのであれば認めざるを得ないのでは?
個人的には動物実験は仕方がないがペットはダメじゃないかと考えている。
人間に撫でられたり事実上監禁されてたり苦痛なんじゃないかな、とか。
とはいえ愛玩動物なんて人間の嗜好のために産み出されてるんだし仕方がないのか、とか。
それなら虐待する人も仕方ないのか、とか。
マニアの間で「神」扱いの異常 “猫虐待”鬼畜税理士の素顔 https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/newsx/212574 #日刊ゲンダイDIGITAL
鉄製のケージに閉じ込めた猫に熱湯をかけたり、ガスバーナーであぶるなどして殺害した鬼畜男が捕まった。動物愛護法違反の疑いで27日、警視庁保安課に逮捕されたのは無職の岡本泰典容疑者(40=藤沢市)。岡本容疑者は昨年1月~今年4月にかけ、少なくとも12匹の猫を虐待し、その模様をネットの動画共有サイトに投稿していた。
「岡本容疑者は自宅から約80キロ離れた深谷市にある、かつて親戚が住んでいた廃屋の近くに、鶏肉を入れた鉄製のワナを仕掛けていた。小屋は人目につかないところにあり、周囲に住人もいなかった。そこで捕まえた野良猫を縦横29センチ×奥行き65センチの狭いケージに閉じ込め、繰り返し熱湯をかけたうえ、逃げ惑う猫を黒焦げになるまでガスバーナーであぶった。またショコ棒と呼ばれる紐のついた棒で猫を吊り下げ、そのままグツグツ煮えたぎる熱湯に沈めていた。死体の肛門にノズルを突っ込んで水を注入したり、キバをペンチで引っこ抜くなど、目を覆いたくなるような行為を繰り返した」(捜査事情通)