はてなキーワード: 不妊とは
子供二人育ててマイホーム買って老後資金ためるのはお金持ちじゃないと無理だから一人っ子がいいかなと思ってたけど
二人目はほしいなと思えてきた。まあ、まずは一人目である赤ちゃんをしゃべれる子どもになるまで育ててみなきゃ二人目も計画できないなって思う
一人目作るとき専業主婦だったんだけどタイミングとるのすごく簡単だった。
フルタイムで働きながら何回も子作りするのは難しいな。共働きの友達夫婦は不妊治療の専門の病院に行って、医者から「この日に子作りすれば妊娠する」と言われたドンピシャの日に子作りをして妊娠してた。
二人目を作るのも私も医者からドンピシャの日を教えてもらえば子供ができるかもしれないけどお金かけて不妊治療したくないな。子どもや家庭のことを考えたらタダでセックスをして無料で子を授かりたい。お金がほしいから働きたいけど、果たして自分がフルタイムで働きながら子作りもしっかりできる人間なんだろうか?と考えると専業主婦のまま二人目を作るのか…と思うとお金の不安がでてくる。
正社員共働き夫婦で子供が二人以上の家庭が羨ましいよー私もいずれはそうなりたい。
とりあえずお金なくてもいいから二人目産みたいって無謀だけど思えてきてしまった。産んで、子供が育ったら死ぬ気で働いて食費や教育費稼いで家族のためにがんばるからさ。今育ってる赤ちゃんがぺらぺら話し出すようになったらまたあっさり妊娠して出産できたらいいな。
貧乏でもとりあえず二人目産みたいなって思ってる
宝くじ三億円当たらないかなーそしたら子供10人くらい作っちゃうかもww
産めるかぎり何回でも産むww
二人目ほしいと思う間もなく自然と二人目妊娠しちゃってるママいいなぁ。私は子作りのためにたくさんセックスして、性欲のためにセックスしたのは一回だけだ。
その年齢で子どもが本当に欲しいならIVFは避けられないからね。
ただ、IVFでできた子供の第一世代はまだ30代なので、その子たちが年を取ってどうなるかはまだ誰も知らないんだよね。
推進派の人たちは自然妊娠と変わりありませんと根拠のない主張を繰り返すけれど、ARTで自閉症リスクが上がったと言う論文もあるので何とも言えない。
去年くらいに卵管は精子の選別に使われているという論文が出ていたので、IVFにするだけで受精する可能性が上がるとは思う。
....ええ、そうですよ。生物が作り上げた選別装置をバイパスして強制受精させていいのだろうか...という悩みがありますよ。
やるなら排卵誘発剤の注射をしての複数個採卵コースで同時に複数の受精卵を作るのが世界標準で、日本はマイルドな排卵誘発で1個しかとらないからIVF実施率世界最高なのにそれでの妊娠率は驚くほど低いらしいですよ。
あと、不妊治療は婦人科の病気のリスクをあげるので命を削ってまでやることなのかという悩みも生まれます。
まあ、一言で言うと、沼ですな。
例えば「明日から朝早く通勤しなければならない」とすると、どうしても「睡眠時間が減る」だとか「昼ぐらいに眠くなる」
これに対する一番の解決方法、というか、なってしまうのが「その課題を当たり前にする事」である。
睡眠時間が減るのを受け入れ、昼ぐらいに眠くなるのを当たり前にしてしまう、ということ。
今まで新しいものや文化、習慣が生まれる時、様々な批判が生まれてきた。
例えば明治大正あたりは「小説を見ると意志薄弱になり、病みやすくなる」と批判されていた。
もっとさかのぼって紀元前まで行くと「紙に物事を書くと物を覚えなくなる」と言われていた。
女性のスポーツに関しては「女性が競技スポーツをすると、体に大きな負担がかかる」と言われていた。
「小説は情操教育によく、人の気持ちを考えられるようになる」→解決してない
「女性が競技スポーツをすると、月経が止まったり、不妊になることが在る」→仕方ない
全て解決してないのである。しかし、小説やスポーツは楽しいし、モノを紙に書けば大量の情報を処理、保存できる。
結局何か新しいものが生まれた時、結局物事を判断するのは「メリット」なのである。
子供が嫌いだ。音楽すらうるさくて嫌なわたしには赤ん坊の泣き声も、幼児のキーキー声も気持ち悪く感じる。全体的に汚い。他人の子は須くそうだ。かといって、静かで綺麗な子供でも、可愛くはない。電車でお行儀よくしてる子供を見ると、おっ、躾けてあっていいな、親も偉いなあとは思うが可愛くはない。
愛する人の子供なら違うよ!ってよく聞くけど、どう考えても25年間、自分より好きな男に出会うことはなかった。彼氏だって自分と同じくらい愛せれば御の字。恋人とは言え嫌なところもあるし、その嫌なところが似たら、恐ろしくてたまらんね。かなり好きで学生のころから追いかけている芸能人の子供をノーリスクで産めると言われてやっと悩むレベルだ。だって、生まれてくる子供はわたしの好きな芸能人じゃない。そういうわたしは、たぶん自分の子供も嫌いだろう。
病気がちだし痛みにも弱いから、鎮痛薬や風邪薬抜きの妊娠期間に耐えられる気もしない。もちろん陣痛も。おっぱいをあげるのも想像すると気持ち悪い(成人男性相手でもこれは嫌いなのだ)。ミルクを与えるにしても、母乳を一切与えないなんて難しい。
ほら、どう考えても子供を育てるのには向いてない。そもそも社会に向いてないタイプの女だから、子育てなんて高度な話は無理なんだよ。
そんなわたしに、酔狂な男がプロポーズしてきた。相手は27。考え直すなら今だよ、間に合うよと言ったけど、一蹴されてしまった。結婚生活はまあ、イメージできる相手だ。大学から5年以上付き合ってるし、嫌なところも知ってる。わたしが子供嫌いなことも。でも、彼は子供嫌いではない。
「欲しくなって、出来るなら産めばいいよ」なんて言うけどさ、違うんだよ。たぶんわたしの性格だから、どこかのタイミングで諦めて子供を作ろうとするんだと思う。中高ではやりたくない部活を続けてたし、行きたくない大学にも行ったし、今すぐ辞めたい仕事もしてるし。それが「当たり前」の道だったら、心で泣いても選択するタイプの人間だ。子供は出来なければそれまでだけど、世間体を考えたら不妊治療だってするかもね。でも、それはわたしの意思ではない。
そう言う自分が分かってるから、曲がりなりにも5年も連れ添ってる彼氏に、わたしみたいな女と結婚させるのは辛いんだよね。わたしにとっての楽しく穏やかな暮らしは彼や世間の考えるものとは違うし、結局わたしが本当に満たされる答えなんかないんだもんな。
超スリムで小さくて、いいもん食べてなかったんだろうなぁ。
餌づけして不妊にさして雨の降った日も寒い日も外ですござせるなら
写真撮って、婦人会ででも掲示して飼ってくれる人探してあげたらなぁって
ちょっと思う。きっとやさしい人いると思うんだよね。
台風の時、そとで鳴き声が聞こえてて、
ねこ鳴いてる。小さな箱でいいから雨風凌げるなにかないのかなーと。
うちでもし箱とか用意して、裏庭にでも入れたら、ずっとテリトリーになりそうだし
餌やってる人には、ちょっかい出してって思われそう。
「雨降ってる日だけね」って言葉が判るならなんとかするんだけどと
思いながら、そのまま夜が明けたことがあった。
三十代半ば、二児の母。
下の子はまだ一歳になったばかり。
10代はじめ頃に、大学生と思しき4人ほどの男性に、ハイエースのような車に連れ込まれ、性的暴行を受けた。
昼下がりの池袋で、今もまだあるか分からないけど、東口の手芸用品店に立ち寄った後だった。
それによって、これまでの人生の半分以上をPTSDを抱えて生きてきた。
主人と交際することで、男性そのものへの嫌悪はかなり薄らいでいた。
もちろんセックスへの恐怖も、対主人であれば無くなっていた。
世の中にはこんなに優しくて誠実な男の人がいるのか、と大変驚いたことを今でもよく覚えている。
結婚後2年ほど子供が出来ず、不妊治療を始めようか、といった矢先に妊娠した。
子供のことはとても大切に思っているし、折に触れ愛情を伝えている。
まだ幼年ということもあり、私とお風呂に入ることもあるし、弟が生まれたストレスからか、着替えを手伝ってくれだとか、お手洗いを手伝ってくれだとか言ってくることもある。そういったとき、彼の下腹部を見ると嫌悪感がこみ上げてくる。
まだお手洗いはなんとかなる。プールに連れて行った際の更衣室も大丈夫だった。
けれど、浴槽に浸かっている時にちょうど視線と同じ高さにくる彼の下腹部や、自分で着替えているときにうっかり下着まで下ろしてしまい、ふざけている姿を見ると、どうしようもない気持ちの悪さでやめてと大きな声を出しそうになる。
これが二次性徴を迎えた息子だというならまだしも、たかが5歳である。
もっと早い段階で性暴力被害者の会のようなもので話をしたりするべきだったと思う。
相性のいい心理士に出会うまで根気よく色々な医療機関に行ってカウンセリングを受けておけばよかったのかもしれない。
レイプサバイバーが子供を持つのはいけないことだったのだろうかと思う時もある。
けれど子供のことは心から愛していて、この子のためなら何でもしてやりたいと思う。
ただどうしても、体が気持ち悪いのだ。
もし出会えたら、こんな風な気持ちを持ったことがないか、悩んだことがないか、聞いてみたい。
被害者の会を探すだけの余力が今はないけれど、下の子がもう少し夜長く寝てくれるようになったら、
体力も回復するだろうし、そういった場を探そうと思う。
不妊治療を一度やると、妊婦にはちょっと優しくできなくなったな
その人は何も悪くないのに、どうしても羨望の気持ちを抑えられない自分がいる
精子と卵子がそろうだけでうらやましい、治療に向かえるだけうらやましい、受精卵ができただけでもうらやましい、着床できただけでもうらやましい、育っただけでもうらやましいと、人の羨望は果てしないんだろうけどさ。
God, give us grace to accept with serenity
the things that cannot be changed,
which should be changed,
and the Wisdom to distinguish
the one from the other.
昨年、2度目の流産をした。
ショックだったけど、妊娠して間もない頃で、正直子供の形なんてないし、
体もまだ変わり始めだったので、回復も早かった。
22週以降は、基本的に中絶も禁止。早期でも出産し生きている人も沢山いる。
一般的に15週から安定期に入る時期だったが、私の場合はひたすら辛いまま終わった。
12週以降は、出産と同じ手順で死んだものを生まないといけない。
お金も同じようにかかる。死んでるから、死産届も出さないといけない。火葬も必要。
誰にも祝福されなくて、痛みとダメージだけで何も残らない。
そんなこと、どこ調べてもあまり出てこなくて、実際はショックばかり。
そもそも誰もしらないし、経験者は辛くて思い出したくないことだからなのかもしれないけど。
無理しすぎは禁物だが、どうか妊娠中の人は自分を責めないでほしい。
私は、義母に無理しすぎたから流産したんだとか、職場で唯一相談せざるを得なかった子育て中の人に後悔するから休んだ方がいいと言われたけれど、正直傷ついただけ。
実際、流産後に遺伝子検査して、胎児側の原因であることが判明した。
そもそも歳をとるとそういう確率がぐんと上がるのは承知のこと。
色んな理由はあれど、自己責任だし、そうなってしまった以上時間は戻せないし、不運としか言いようのないことで、現実の運命を受け入れるしかない。
だから、周りの人は、安易に自分の意見を押し付けるのは気を付けてほしい。
9~10週頃に、出産する病院を決めて近所に移った。そこで育ちが悪いと言われる。
年齢的に心配だったこともあり、胎児専門の病院にも行って、似たようなことを言われた。
トリソミーなどでよくある形状の異常は見られないけれど、小さいと。
(首の付け根の厚みなどで、その兆候が初期に出たりする)
原因不明で、あまり見ない症例だということで、そこにはその後も何度も通った。
毎日毎日しんどすぎて、びっくりであった。ホルモンバランスの変化のきつさ。
口にするにも、ジュース飲みたくなったり、パスタ食べたくなったり、偏食になってしまった。
妊婦は生ものNG。ってことで、気を使うと食べられるもんが少ない。
<血流1.5倍>
血流が1.5倍になるって知ってた?妊娠してから知ったんだけど、1.5倍って!マジきつい。
例の胎嚢で栄養やっているうちはいいんだけど、胎盤ができてきて子供とつながっていき、血液から栄養送らないといけなくなる。
それは知識では知ってるけど、こんなに母体に負荷がかかるとは。身を持って実感した。
まず階段しんどすぎて、登れない。いつもさっさと歩いていた坂だって、途中休み休み。
電車もバスも立つのは本当にきつくて、息切れして心臓バクバク。人混みもすぐ酔うし、休み休み。
<頻尿>
お腹が大きくなるにつれ、それはそれは頻尿で参った。打ち合わせなどで事前に行っても、終わる頃にはギリギリ。客先などで苦労した。
<免疫低下と持病いろいろ>
赤ちゃんを異物とみなさないよう、妊婦は免疫が低下するらしい。知らなかった、、、、
だから、何年かに一度、弱っているときになるような病気がいっぺんにきた。
むせ返る止められない咳がきつくて、お腹にも力入るし、ハラハラだった。
それによりヘルニアが再発して、咳すると激痛走って痛い痛い。
さらにお腹がくるしくて前屈みになるから、腰が痛い。ヘルニアがいっそうきつくなる。
肌の痒みもすごくて、寝ているときに掻きむしってしまい手足がボロボロに。血だらけ。
目は結膜炎やらものもらいやらを左右繰り返し、まぶたの痒みはまだ残っている。
<不眠>
体調が悪くて寝付けなかったり、夜中に起きてしまって苦しくてもがいたり。
とにかく夜中に睡眠から覚めるのが毎日で、しんどすぎた。トイレも近いので夜中に何度も。
夜中に目が覚めてしまうと、色んな不安が吹き出すのも困った。このときスマホは悪の味方。
病院で言われたことや、言われなかったことや、とにかく育ちが悪かったせいもあって色々調べてしまった。
<むくみ>
色々辛かったけど、一番はこれかも。
もともと浮腫みやすい体質なんだけど、無理をするとお腹がパンパンに張ってしまい苦しくて気持ち悪くて動けなくなる。
職場ではヘルニアが出てしまい、と誤魔化していたが本当に辛かった。(実際それも出ていた)
下痢や便秘なども色々あったけど、上記色々が辛すぎたので記憶から薄れている。
つわりの気持ち悪さと、お腹が張って気持ち悪いのと。数ヶ月ほとんどずっと。
仕事もあるから寝ているわけにもいかないし、どうにもこうにも辛かった。
仕事は人に任せられないものも多く、立場的なこともあり部下の手前、がっつり働いていた。
頭の回転も悪いし、パフォーマンス落ちていたと思うが、何せ流産するかもしれないから妊娠も伝えられないため、頑張るしかなかった。
義父義母は近くに住んでいることもあり、夫経由で伝わってしまい、何度かお食事などもした。
自分の親は、少し離れていることもあり、育ちが不安定と言われている以上、言うに言えず。
流産の時は、母が子宮一部摘出手術になってると聞き、自分のことは言えず仕舞いになってしまった。
まだ伝えられていない。
いや、一応、ゆっくりとは育っていた。けれど、一般的な胎児成長曲線からは外れてしまっていた。
1W遅れくらいの大きさだ、と言われていたものが、14~15週にはそれ以上の開きが出てしまっていた。
普通だったら安定期に入るころ。一番楽しい時よと言われていたころ。
知らないことばかりだが、妊娠初期からこの辺までの成長ペースは、どんな人も大差ないらしい。大きさに差が出るのは、もっと何ヶ月も経ってから。
ネットで調べても、生理日や受精着床日が曖昧であることによる妊娠週数のずれ、というのがよくある話らしいが、こちらは不妊治療で病院に通っての妊娠なので、ずれはない。
病院では二箇所とも、原因不明と言われていた。胎児専門の病院では、万が一このまま育っても、低体重で生まれたり、障害を負うリスクが高いと言われた。
中絶も勧められた。産むとしても、NICUなど施設が整っているところでないとまずNGだとも言われた。
2人目、3人目だったら諦めたかもしれないけど、私には諦められず、悩む日々。
親から1本ずつもらって2本のペアになった遺伝子は、全部で22対に加えてXYの46本。
数が欠けても多くてもだめなこと。数が合っていても、どれか1本でも短かったり欠けていても駄目なこと。
例えばダウン症は21トリソミー、21番目の染色体が3本あることで起こる、一般的な障害だ。
私の胎児は結果として6番目の染色体が少しだけ欠けていたことが、死後の精密検査でわかった。
話を戻す。中絶する?しない?など悩みながらも、22週を越えれば出産している人も世の中にはいて、育っている人もいるという希望のもと、胎児がまだ生きたいと育つのなら、覚悟を持って産む選択をしたいとも考えていた。
しかし、育ちが悪いと言うことは、低体重児以前にそもそもまだ外では生きていけない大きさなわけで。
いずれにしてもリスクがあるので、紹介された病院に一時変えることになり、初診察の矢先。
こうなることも想定内ではあったんだけど。やっぱりショックで。わかりました、と言って涙を堪えるのがやっとだった。
夫はずっと仕事で忙しく、やっと同行してもらえたんだけど、動いている様子を一緒に見ることはなく終わった。(その前に録画した映像は見せたけど。)
超音波検査の後に、別の部屋で、今後について話があった。
頭ではわかっていて、話もちゃんと聞いているんだけど、目からは涙がぼろぼろ止まらなかった。
すぐに処置したほうがいいということだったんだけど、仕事があったり、先生の予定が合わなかったりで、入院は10日以上先になってしまった。
体がなぜか楽になった矢先だったので、やっぱりそういうことなんだ、と思った。
妊娠19週。5ヶ月が終わる頃。
初期の流産の時は、静脈麻酔で寝ている間に掻き出されて終わった。
1日の入院なので、日帰り。
鈍痛はあったけど、お腹も大きくなっていないし、なんてことなかった。
だから、分娩なの。
キラキラしたし新米ママのいる場所で、新生児の声が聞こえる場所で、自分は死と向き合う。
そんなところで、陣痛を起こして、産まないといけない。死んでるのに。
生まれてくるものでないものを生むように仕向けるわけだから、前段階の処理もきつい。
お金も、出産と一緒の金額がっつりかかる。もう生きてないのに…
初期流産と違って、この数ヶ月、育っていたことを実感していて、胎動と思われるようなものも感じていて、一人じゃない日々を過ごしていたから、本当にショックで。
理不尽に酷い仕打ちに、痛みも恐怖もすごいし、辛すぎて、前世で何か悪いことしたのかな?と思ったりもした。
<入院1日目>
朝から荷物持って入院先へ。当初は個室なんて贅沢言ってられないと思っていた。
聞くと、普通に出産する、し終えた、お母さん方と一緒だという。
赤ちゃんは別部屋だが、見ることもあるという。
個室は高すぎるので、せめて1日1万少々プラスの2人部屋を希望。
他の妊婦がいつ入るかはわからないが、幸い今日はいないと言う。
2人部屋へ案内され、奥のベッドで荷物を整え、1日目の処置へ。
子宮口を広げる処置。何か棒を何棒も入れられて。そのままにされるので、痛いったら。
体が拒絶しているんだろうか。
この時から基本的にずっと点滴。この日は栄養や水分を入れるため、その後は薬を入れるなど。手が穴と痣だらけに。
<入院2日目>
しかしこれが、意識が完全に落ちず、悪趣味な映画みたいな幻覚が見えて辛すぎた。
吐くのはおさまってきたけど痛みがずっとあって寝てるしかない。寝てても辛い。
翌日の処置も怖くて寝るに寝れない。
<入院3日目>
分娩台へ移動。なぜか色んな不安とか悲しみとか?で涙がボロボロ出てしまった。
猫のように丸まるように言われる。
背骨横に刺して麻酔を入れるんだけど、ヘルニアせいかうまく入らず、激痛。全身ビックン!!てなるくらいの痛み。
位置を変えてもらい、3~4回目でなんとか成功。仰向けになる。
陣痛の促進はどうやったか忘れたけど、麻酔が切れたあたりで周りに誰もいなくて、言うに言えず結局30分くらい陣痛くらってたのが辛かった。
ずーーーーーんという痛みの大きな波が、やってきては引いていきまた来る〜!というのを繰り返していた。
これが陣痛か、、、と思った。
やっと先生が見に来て、もうきてるね、となって、掻き出されると言うか引っ張り出されると言うか。
どろどろにゅるにゅるしたあったかいものが出て行き、どうやら出産したようだった。時間を記録される。
残りのものを掻き出す処理。これをきちんとしないと、後々いけないらしい。
その後、意識は戻ったものの体がまだちゃんと動かないため、ナースセンター裏あたりで寝かされることしばらく。
やっと昼すぎに、自分のベッドへ戻る。
あらかじめどうするか聞かれるんだけど、長く死んだままお腹に起きっぱなしだったし、そもそも未成熟な状態かつ人間の死体は、見てしまったらそれが呪いのように忘れられなくなりそうで、怖かった。
でも、ごめんね、って気持ちは今もあって、向き合えなかったことも、やっぱり辛い。
子供の名前は?火葬場はどこにるすか?火葬はいつにするか?遺体はいつ運ぶか?立ち会うか?骨壺はこれでいいか?一緒に入れたいものはないか?お骨は引き取らなくていいか?
などなど。
まだ出産直後でぐったりしていて、恐怖と痛みの感覚が残る茫然自失のところ、言われる。
名前なんてないよ!色々考えてたけどないよそんなの!入れるものだって、その子のためになんか用意したら思い出や思い入れ増えてもっと辛くなるじゃん!だから用意なんてできなかったよ!
そんな色んな気持ちがぐちゃぐちゃにあるんだけど冷静に言葉にできないから、涙がぼろぼろでて、たった一言ずつ、「ないです」とか、用件だけ答えるのがやっとだった。葬儀屋さんも別に悪気あってでもなく、人の良さそうなおじさんで、一緒に涙されてしまって、仕事だから必要なこと聞いてるのわかるんだけど、でもこの仕打ちは、死産後直後の女性には辛すぎる。
市町村への提出、代理で行ってもらうようにはしたんだけど、そもそもこれなんとかならないのだろうか。
若くて可愛らしい、女の子らしい妊婦が、夫に甘えながらやってきた。
夫は、夜八時の面会時間MAXまでいて、翌日も朝からきていた。
赤ちゃんの心音チェックや、夫へ甘えられる状況、すべてが羨ましく見えて辛かった。
<4日目、退院>
朝事務が動き出したら手続きしてすぐ出た。休み休み帰り、自宅で仕事など少々。
夫は仕事で忙しいこともあって、自分もそっちを優先すべきだと思い、死産のためにわざわざ来てもらうこともないと一人で頑張ったけど、これを見た男性は、女性が遠慮してもぜひ付き添ってあげてほしい。精神的にも、入院荷物運びで体力的にも、きつい。
帰路は、お腹の中が空っぽになり、心も何か穴が開いたような気持ちだった。
ただ、疲れやすくて夕方にはぐったりする日々はしばらく続いた。
何せホルモンバランスが一気に戻ろうとするため、なんか色々ぐったり。
骨盤や内臓の位置?もきっと戻ろうとしていたんだろう。なんかあちこち痛かった。
妊娠中運動もまともにできない辛さだったので筋力も体力もぐんと落ちてしまった。
一週間はほんとぐったりしていて、夜もすぐ寝て休みも寝ていた。
二週間目くらいから、アルコールも美味しいと思えるようになって、仕事外で人とも会えるくらいになっていった。
階段や坂も、徐々に登れるようになった。
しかし骨盤のあたりが痛い、というのはしばらく続いた。1ヶ月以上。
休み休み動いていたせいで驚くほど下がっていたヒップも、日常生活で2ヶ月後には大分戻ってきた。
<安置されたお寺へ>
1ヶ月半ほどして、お骨があるお寺に顔を出した。やや緊張しつつ。
本当は行かないつもりでいたけれど、それではあまりにも可哀想だと思って。
夫と一緒に足を運んだ小さなお寺では、本堂の仏さんの横らへんに、大切そうに小さな骨壺たちが沢山並んでいた。お人形やらぬいぐるみやらと一緒に。
それを見たら、涙が出た。手を合わせる。
家に引き取られなかったものたちを、大事に祀ってくれていたお寺に感謝の気持ちしかなかった。
天国でお友達ができてるといいな。ここでは1〜2年安置していただいたあと、供養となる。
結果が出るまで1ヶ月以上かかった。
結果、6番目の遺伝子がほんの少しだけ欠けていたそうだ。
身体形状の異常は全くなく、指先も鼻も、内臓も、体はきれいに作られていたのにな。
結局、今回の入院だけで全部で100万以上。入院費や葬儀屋代、無痛分娩や、染色体の遺伝子精密検査も含んで。
出産一時金で40万ほど戻ったけど、それでも痛い出費となった。それ以外に、事前に検査も色々したし事後も病院に数回通った。
これを書いてみたら色々思い出して涙が出た。普段もふと、思い出して一人涙が出るときもある。
何も残らなかったけど、経産婦になってしまい、心も体もめっちゃ痛めた。
友達の幸せそうな出産記録や子育て記録などを見かけると、ああ、あの子も同級生になるはずだったんだよなあ、と、思ったりする。
まずぜひ、みんな妊婦には優しくしてあげてほしい。
席を譲られたことはほぼなく、幸い座れた時に妊婦マークをつけておくことで高齢者の譲ってくれアピールには効果ありだった。
おばさんが譲ってくれたことが2回ある。流産しそうだったし、殆ど誰にも打ち明けられない状態だったから、妊婦として優しくされたことに、泣きそうになってしまった。
お腹大きく見えない頃こそ、心身共にしんどかったりする。男性が譲ってくれたことはない。
無事出産した人は、どんなに辛くても、そこまでいけなかった人もいることを知っておいてほしい。
本当に意味不明に辛くて、本人も理解できない状態だったりするから、一番近くにいる人が、一番大切にしてあげてほしい。
過剰なくらいで丁度いいし、どんな用事よりも優先してなるべく付き添ってあげてほしい。
最後に、お金めちゃちゃかかることや、精神的にも身体的にもダメージ大きいことが、誰にも知られず女性一人辛い思いして終わっている事実が、もう少し何とかなっていったらいいなと思う。
悩んでいる妊婦は、どう転んでも現実は一つだから、勇気持って受け入れて、前向きに生きてほしい。
体調悪いのしんどいと思うけど、頑張って。
産後、というか妊娠前から夫とレスだった。妊娠できない原因も、ほぼそこにあった。
協力はしてくれたけど、辛さは共有してくれなかったと感じてる。
何年も夫からまったく声がかからないし、自分も夫に対して欲求がないため、レスを放置している。
労ってほしかったときに、そうしてもらえなかった恨みや、子育てに関する意見の違い、日々の暮らしの中での夫に対するストレスが多すぎて、以前のような愛情を忘れてしまったようだ。
30代の最後に夫と二度ほどして、それ以降は誰ともしていない。
最近、仕事で若い男性と接する機会が増えてから、なんというかムラムラすることがあり、このまましないで死ぬのはやだなぁと思い始めた。
かと言って、誰でもいいからどうにかしたいというレベルでもなく。
レスの悩みって、どうやって解消すればいいんだろう?
駆け出しだったころ、いい上司に恵まれて、その上司が結婚して育休に入った間に転職して合わずじまいになったが、一緒に仕事していたこと、こんなことを言っていた
「女性が大卒で会社に入ってバリバリ仕事をして出産適齢期以降に結婚して不妊に悩むとか、女性を苦しめているのは女性自身で要は自分の自由になる金が欲しいってだけな気がする」と
SNS見てて思うけど、持つのは物質的な欲望だけにすべきなんだろうな
仕事でこういうのやりたいとかあれが欲しいとか、それくらいなら手に入れたらそれまでで、それ以上には絶対にならないじゃん
でも、精神的な欲望を持ち出すとこれはもう収拾がつかない、他者より優れた生活や差が欲しいとか、他者より輝いていたいとか、そんなの明確な基準が存在しないんだから