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2015-01-11

http://anond.hatelabo.jp/20150110214339

 ※追記4

 書き始めた時点で存在している、返信が必要だと思ったブコメに対する返信

 id:kusoinakakagoshima 卑怯なのはテロ行為なんですが。ムスリム価値は豚の糞以下だよ 肥やしにもならない

 はいテロ行為はこれ以上ないほどに卑怯です。しかし、表現の自由を守るという文脈私たちはシャルリーである、と言うのも卑劣行為ですというのは増田を読めばお分かりいただけると思います。また、あなたの後半の発現はヘイトも同然な発言です。在日価値は豚の糞以下と言っるのと同様です。つまり、シャルリーにように建前として宗教批判しているのではなく、建前の時点で宗教を信じている人たちを直接的に攻撃しています

 id:sny22015 難しいな。米映画ラリー・フリント」では目を背ける様な唾棄すべき表現であっても法の下では護られるべきという、自由を勝ち取って作られた国の理念が描かれていたが…それは自由の濫用だという非難にも首肯できる

 アメリカは徹底した表現の自由の国です。あそこまでいくといっそすがすがしいなという思いがありますヨーロッパは、特にユダヤ人に対する抑圧の歴史から第二次大戦ヘイトスピーチ規制しようという機運が高まってきたので、事情アメリカとは異なります

 id:vhthlh これフランス国内一般人知識人達はどう考えていたのか気になる。

 フランス人の間でも前々から議論になっていました。イスラム団体の中には裁判という言論によってカウンターを行うグループが出てきたりしていましたが、こうした流れのさなかに今回のテロ事件が起きました。恐らく今まで積み重ねてきた努力が水泡に帰してしまうことを考えると、本当にテロは許されざる行為だという思いを強くします。

 id:hal9009 これに乗じてこういう統制主義者とでもいうべき規制派・自由嫌いがもっともっとヘイトスピーチとされる行為範囲を拡大していかなければならないって言い始める機会も増えるだろうな~

 表現の自由を維持するためには表現の自由をabuseする言論一定程度は規制する必要があると考えています

 id:ayanapapaネズミが腫れ物に当たったわけだからどうしようもない。ただ日本無関係な話ではない、イスラム教徒は増えているが他の先進国と同じく疎外され殻に閉じこもる。近い将来フランスと同じ事が起こらないことを祈る。

 日本無関係な話ではないという点に関して深く同意します。

 id:cider_kondo 欧州極右の主張は「イスラムは非寛容で政教分離を認めない。西欧価値の根源たる自由と寛容とは相容れぬ」ぐらい。セキュリティホールの一種で、イスラム側が世俗主義を導入しないと論理的解決はほぼ不可能。難しい

 ブコメ字数制限があるため分かりかねるところがあるのですが、それはつまり欧州極右の主張にも表れているように、イスラムに対して持っている問題意識はこれこれが最大にして唯一のものだが、これがセキュリティホールとなってしまっている。イスラム側がそうした問題点を解決しないと先には進めない」ということですか。つまりイスラムの人々が社会的に疎外されてる云々というところに対する反応だということですね。しかしながら、日本における在日問題も見れば分かるように、二世三世ほとんどその国の人間文化的には同質です。そうした人間であっても、社会的に疎外されて、結局イスラム教しかアイデンティティを見いだせなくなり、そしてイスラム教私たちという図式になってしまうのです。イスラム教否定されると、イスラム教しかすがるところがない人々にとっては、自身否定されたも同然になります。なお、イスラム教あなたどころか、欧州極右が考えているよりも案外柔軟な姿勢も持つ宗教です。イランイメージを強く持ち過ぎです。バーレーンのような国では本当にイスラム教徒なのか、というくらいには緩い生活を送る人々が多くいます

 id:oktnzm シャルリーの風刺が表現の自由の枠外なら諸国の言っている表現の自由とは一体なにをさすのやらw一番守りやすいとこ守っても切り捨て行為しかならんよ。

 前者に関して、シャルリーの風刺はヘイトスピーチであるので、それを表現の自由から外すことに何が問題かよく分かりません。後半に関して、主張するところの意図が分かりかねますが、後半部は「一番守りやす弱者であるイスラーム移民を守ったとしてもそれは表現の自由の切り捨て行為しかならない」ということでしょうか。でしたら、そもそも表現の自由の枠内に収まらないヘイトスピーチである以上、切り捨て行為ではないと思われます

 id:type-100 いや、正義の有無に関わらず与えられるところに、自由とか権利価値はある。これが表現の自由に対する毀損と感じるのであれば、それはあなた表現の自由よりも他の権利価値観を優先しているだけの話だ。

 与えられる、というか、侵害されないものとして、生まれつき保障されているというところに自由とか権利価値があることは事実ですが、それを濫用することまでは種々の権利自由は想定していないと考えています。つまり他者権利、即ち平穏無事に他者から毀損されることがないという権利を踏みにじってまで権利の濫用(ここではヘイトスピーチ)を行うことまでは許容されていないということは歴史証明していることだと思います。なお、これは決して批判を行うことを否定している訳ではないことを付記しておきます

 id:nekora 如何なる歴史があろうと銃を乱射してはいかん。本邦国内に数十あるイスラム寺院にも本件についてどちらを支持するかの聞き取り調査と公表を急げ。

 どうでもいいのですが、nekoraさんはもう同人活動を行われないのでしょうか。

 id:masm これを見るに、テロ一定の成果を収めたのかな。糞言論であれ、10-0でテロリストが悪いって意思表示することは悪くないのでは?あと、「ヘイトスピーチ同然な言論」か否かを判断する十分なソースをまだ見てない。

 はい10-0でテロリストは悪いです。だからといって、あなた言葉を借りたらヘイトスピーチも同然な糞言論表現の自由の一環として保護することになる私たちはシャルリーである、というスローガンは非常に危ういものです。理由は既に述べてきたとおりです。

 id:my_yours のっけから和訳を間違えている。

 「We are 99%」に代表されるように、この手のスローガンは"私たち"という使い方をすることが多いので、Je suisではありますが、私たちと訳してしまいました。不適切なので、より原文に忠実に訳します。ご指摘ありがとうございます

 id:kappei記事の人もブコメ同調している人も、自由主義理解してない。実はルソーマルクス系譜日本では優勢な気がする。真理がある、と考える人たち。

 すみません、何を言いたいのか、100文字という短すぎる制限では分かりかねるところがあります申し訳ございません。

 id:serio キリスト教徒が神だとしているイエス・キリストを、クルアーン人間だと言明しているイスラームは、それ自体ヘイトスピーチなのではないか、と極論を言ってみたりする。

 細かい話になってしまますが、キリスト教徒イエス・キリストを神である、とまでは言っていないと思うのでそのたとえの言わんとしているところが分かりません。

 id:Mochimasa 『「テロ行為の是非」と「シャルリーによる風刺の是非」は全くの別物である』 それなら"Je suis charlie”は前者の文脈テロ被害者として掲げられているのだから後者文脈でこれを批判するのはフェアではないのでは

 それならいいのですが、表現の自由の一環としても利用されている、つまり後者文脈でも利用されているのが問題なのです。つまり、その二つは別物なのに、スローガンにおいては前者の中に後者視点も入れてしまっているのです。

 id:homarara なんだそりゃ。誰かにとって辛い事は報道しちゃダメ、なんて縛りがあってたまるか。極論を掲載する新聞なればこそ、それを守る戦いが表現の自由を守る事になる。無難な事しか書かない新聞だけ守っても意味ないわ。

 自身アイデンティティ否定するようなヘイトスピーチ表現の自由の枠外であると考えています。「日本人は生まれながらの劣等民族であり、民族的に能無しで蛆虫寄生虫で云々」というようなヘイトスピーチを載せる自由はどこにもないです。そして本件はイスラム教自身アイデンティティにせざるをえなかったにも関わらずそのイスラム教批判されたために、先の日本人民族的に云々と同等の効果をもたらしているのです。

 id:hate_flag 苦しい生活を送っている移民宗教依存しているのでその宗教批判したらテロられた、というだけのハナシじゃん。悪いのはテロであって宗教批判ではないよね。

 はいテロは圧倒的に悪いです。いや、完全にテロは悪い行為です。ですが、本件でJe suis charlieと掲げることはおかしな話なんです、というのが私の意図です。テロられたというだけの話ではありません。

 id:rag_en 『「表現」の結果、とあるポジションが有利になるか不利になるかどうか』は、その「表現」の是非を決定付けません…で終了。表現規制理由が「傷つく人が」云々な駄論の近似。「救済対象の選別」からの「聖域化」。

 100字の文字制限があるからだと思うのですが、言わんとしていることが分かりかねます申し訳ございません。

 id:oldriver 思うに。(1)「テロリストにも三分の理」を全否定したい。つまり「この機にヘイトスピーチ糾弾しよう」というメッセージNG。(2)言論の自由コストを引き受ける覚悟表明。つまりヘイト「我々」問題である

 (1)も(2)もJe suis Charlieという標語意図、ということですね。どちらも原理的には正しい態度ではあるように見えますが、その態度が本当に正しいものかどうかは非常に疑問なところがあるのですよ。元の増田で書きましたが、これは歴史民族アイデンティティ問題も入った話です。そもそも、ヨーロッパではユダヤ教/ユダヤ人問題が大きなイシューになっていました。それを考えたときに、増田で書いたようなje suis charlieというスローガン問題を掲げました。

 id:sardine11あなたの言うことには何ひとつ賛成できないが、それを言う権利は死んでも守る」ことが言論の自由意味であり近代社会の前提であるはず。たとえシャルリに嫌悪感を抱いても反テロ運動まで批判するのはどうなの?

 反テロ運動非難しているのではありません。反テロ運動の一環としての表現の自由の中にヘイトスピーチを行う団体名が入っていることを問題視しているのです。

 id:ysync 暴力であるテロ言論であるヘイトスピーチを同じ「許してはならない」でくくるのはどうかと。テロ国家権力暴力)で排除すべきものだが、ヘイトスピーチ批判すべき対象暴力国家権力)で排除すべきでない。

 ヨーロッパにおけるユダヤ教/ユダヤ人問題が参考になると思います

 id:enemyoffreedom アレをヘイトスピーチとしてしまったらもう宗教の風刺・批判はできないような。不快で低質な表現こそを守れ、というのが表現の自由かな

 宗教の風刺批判ではなく、その背後にいる、その宗教を唯一無二のアイデンティティとせざるを得ない、社会的に疎外された移民の人々に対するヘイトスピーチになっているということを増田では書きました。後者に関しては同意しますが、表現の自由差別的攻撃的・他者を毀損するまでの表現を認めていません。

 id:shakespeareneverdidthis 例え在特会みたいな下衆であっても、報復として殺害されることがあってはならない。

 それは全くもってその通りなのですが、表現の自由を守るという文脈下地にあるスローガンに私は在特会である、というものを使うのはおかしいのではないのかという話です。

2015-01-10

イスラムパリ銃乱射】"Je suis charlie”を掲げることは卑怯行為

 ※追記:文中で人間違いを行うという致命的なミスを行ってしまいました。James Faronという方に触れていますが、正しくはFrantz Fanonです。当該箇所でも追記しております。混乱を招いたことをお詫び申し上げます。なお、お恥ずかしいことにJames Faronという名前も、正しくはJames Fearonです。彼もまた有名な政治学者です。

 ※追記2:最後に若干加筆しました。

 ※追記3:最後にほんの少しだけ加筆。本件で真に掲げるべき標語について。

 ※追記4:ブコメに対する返信をトラバに追加。及びブコメで指摘された誤訳について修正

 ※追記5:反応が非常に多いのですが、私の意図していることがあまり伝わっていないようなので、別エントリで行ったブコメへの返信の一部を載せます。また、追記3における本文での誤字も修正しました。ご指摘ありがとうございます

 フランスではJe suis charlie、和訳すると『私たちはシャルリー(・エブド)だ(追記4:私はシャルリー(・エブド)だ、が正しい訳です。Jeは一人称単数です。失礼いたしました。)』というスローガンが、あの凄惨テロ事件以来掲げられている。

 言うまでもなく、表現の自由を守るための決意を示すものであるが、果たしてこのスローガンは本当に正しいものなのだろうか。この増田では、出版社及びフランスにおけるイスラム教徒事情を軽く見た後、このスローガン妥当性を考えていきたい。

 今回の事件舞台となったCharlie Hebdo(以下シャルリー)は、あらゆる権威に対して痛烈な風刺を行ってきた新聞社であるキリスト教はもちろん、政治家政府もその風刺の対象であり、語弊を恐れずに言えば無政府主義・反権威主義をラディカルに突き詰めた、非常に極端な新聞社である。そもそもの母体はhara-kiriと呼ばれる名前がまたアレな新聞だったが、当時の大統領であるド・ゴールを風刺して、最終的には取り潰されたくらいには、徹底的なスタンスを貫いてきた人々である(ちなみに、どうでもいい情報だが今の名前スヌーピーチャーリーから来ている)。

 次に、フランスにおけるイスラム教徒である

 ヨーロッパはそもそもイスラム教徒が多い。理由は実に簡単で、第二次大戦後の経済復興のために、大量の単純労働者を必要とした際に、イスラーム移民が多く渡ってきたからだ。フランスのお隣のドイツトルコから移民を受け入れ、フランスはかつての植民地であったアルジェリアを中心に移民を受け入れた。実はこの段階ですでに現代におけるイスラム移民問題の種は芽吹いていた。

 まず、ドイツ純粋経済復興のためにトルコ移民を受け入れていた。このことはトルコ政府との間で結ばれた雇用双務協定や、Gastarbeiter――和訳すればゲスト労働者――という単語にも表れている。結果的にはトルコ移民は切り捨てることはできなかったが、少なくともドイツ政府トルコ移民に関して割り切って考えていた。選挙権付与といった定住化につながる政策に関して恐ろしく消極的だったし、本国へ返そうという意思は逆にかなり強かった。逆に移民側も最初から自分たちは望まれていないということも分かっていた。もちろん、だからこそのデモ権利要求する運動などは起こったが、他方で移民の中でも自主的な集まりを作ったり、1970年代には支援団体も作られたし、トルコ本国トルコ移民への支援を後に行うようになった。また、コール政権以降、政府重要問題として認知するようになった。今でも衝突は絶えないが、フランスのように致命的な暴動は起きていない(今後起きることは否定できないが)。

 一方のフランス移民政策は、経済復興だけではなく、植民地政策遺産という側面も有していた。イギリスの脱植民地政策及び戦後移民政策比較すれば分かるが、お世辞にもフランスはよくやれたとは言えない。フランスは住居の確保を行う、あるいはフランス国民と同化させるための種々の政策などを見ると、一応の脱植民地政策/移民を受け入れようとしていた、というように見えるが、他方で石油危機時には移民を切り捨てようとしたり、またフランス国民との同化を謳っていながら実際には移民は疎外化(James Faronによる論考はこうした矛盾を見事に描き切っていると考える※追記:James Faronではなく、Frantz Fanonです。大変申し訳ございません)されたりと、実体を見ればどうにも政策の焦点がぼやけていた。そもそものアルジェリア戦争を始めとした、ド・ゴール政権による一連の植民地関連政策を見ればその曖昧さはより分かるところである

 そうしたフランス社会において、移民は、はっきり言ってアイデンティティに関して隣国ドイツトルコ移民以上に大きな問題を有している。フランス移民の大多数は底辺層であり、底辺層は大体移民である。そして移民ほとんどはイスラム教から来た人々であり、既に二世三世になっている。フランス社会ではフランス人に同化させられるのに実際には同化されていないどころか異質な存在として見られるし、アルジェリアといった自らのルーツであるはずの国は、二世三世にとってはあまりにも遠すぎる社会である。自らの居場所を見つけられない彼らが何にすがるかと言えば、それはもう彼らの宗教であるところのイスラム教しかない。そこにしか自らの居場所を見いだせないのである

 そんな中で自らの居場所であるイスラム教バカにするような、それもヘイトスピーチ同然な言論を行うことが、どれほど彼・彼女たちにとっては辛いことか。確かに、シャルリーはイスラム教徒ではなく、イスラム教を風刺した。しかしながら、実体的には、ユダヤ教ユダヤ教ユダヤ人はほぼ同一)を揶揄する、いや、ヘイトスピーチを行ってるも同然なのだイスラム教を風刺しているが、実際にはフランス社会底辺層に多くいる、自らのアイデンティティイスラム教しか確立できない移民を、憎悪をもってペン攻撃したにも等しいのである

 私は今回のテロは決して許されない行為であると考える。だが、だからといって、言論の自由を守ろう、という意味を下敷きにおいて「私たちはシャルリーである」と言うのはおかしいのではないか。

 「テロ行為の是非」と「シャルリーによる風刺の是非」は全くの別物である。繰り返しになるが、テロは決して許してはならないが、同時に、特にヨーロッパにおいて、シャルリーのようなヘイトスピーチも決して許してはならない。

 "Je suis charlie"は言論の自由をabuseする卑怯標語である

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 ※追記2

 多くの反響を受けて驚いてる。なので、次のことを言うと多くの批判を浴びるだろうが、あえて言おう。

 はっきり言って、今回の標語は、黒人に対してレイシストスピーチを行ったKKKテロを受けたとき私たちKKKだ、ユダヤ人に対してレイシストスピーチを行ったネオナチ団体テロを受けたとき私たちネオナチだ、そして、これも極端な話、在日に対してヘイトスピーチを繰り返し行ってる在特会テロを受けたときに、私たち在特会だ、と言ってるも同然な話なのだ

 表現の自由を守るための標語として、特にヨーロッパにおいて、これ以上ふさわしくないものはない。

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 ※追記3

 https://twitter.com/aboujahjah/status/553169081424420864

I am not Charlie, I am Ahmed the dead cop. Charlie ridiculed my faith and culture and I died defending his right to do so. #JesuisAhmed

 直訳すると、

 「私はシャルリーではない、私は死んだ警察官であるAhmedだ。シャルリーは私の侵攻(※追記5:侵攻ではなく信仰です。失礼いたしました)と文化嘲笑し、そして私(Ahmed)は彼のそれ(風刺)を行う権利を守るために死んだのだ。#JesuisAhmed」

 これこそが表現の自由を守るために真に必要標語である。一体全体どこの世界表現の自由を守るという名目私たちKKKであるネオナチである在特会である、なんてことを言う人々がいるというのか。Je suis charlieはまさにそれを行ってしまった、最悪な標語でる。ヘイトスピーチを行う自由も、それもヨーロッパにおいて、表現の自由の一環として組み込んでしまっているのだ。卑劣意外の何物でもない。

 ヘイトスピーチを行うという表現の自由ですら守ろうとし、そして死んだ人物(ここではAhmedという警察官)こそが、真に表現の自由を守るために働いた存在なのだ

 何度も言うが、私は今回のテロは一切是認できない。暴力によって物事を解決しようとする蛮行以外の何物でもないと考えてる。だが、だからといってシャルリーによるヘイトスピーチが免責されるわけでもない。そうしたヘイトスピーチを続けてきた団体名称を冠して、表現の自由を守るということは、既に述べたように、表現の自由のabuseである表現の自由を守るためにたたかった人物こそが、真に標語において活用されるべき存在なのだ

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 ※追記4

 文字数オーバーしたのでトラバ参照

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 ※追記5

 トラバで行っているブコメへの返信の一部をこちらにも載せます

  id:cider_kondo 欧州極右の主張は「イスラムは非寛容で政教分離を認めない。西欧価値の根源たる自由と寛容とは相容れぬ」ぐらい。セキュリティホールの一種で、イスラム側が世俗主義を導入しないと論理的解決はほぼ不可能。難しい

 ブコメ字数制限があるため分かりかねるところがあるのですが、それはつまり欧州極右の主張にも表れているように、イスラムに対して持っている問題意識はこれこれが最大にして唯一のものだが、これがセキュリティホールとなってしまっている。イスラム側がそうした問題点を解決しないと先には進めない」ということですか。つまりイスラムの人々が社会的に疎外されてる云々というところに対する反応だということですね。しかしながら、日本における在日問題も見れば分かるように、二世三世ほとんどその国の人間文化的には同質です。そうした人間であっても、社会的に疎外されて、結局イスラム教しかアイデンティティを見いだせなくなり、そしてイスラム教私たちという図式になってしまうのです。イスラム教否定されると、イスラム教しかすがるところがない人々にとっては、自身否定されたも同然になります

  id:type-100 いや、正義の有無に関わらず与えられるところに、自由とか権利価値はある。これが表現の自由に対する毀損と感じるのであれば、それはあなた表現の自由よりも他の権利価値観を優先しているだけの話だ。

 与えられる、というか、侵害されないものとして、生まれつき保障されているというところに自由とか権利価値があることは事実ですが、それを濫用することまでは種々の権利自由は想定していないと考えています。つまり他者権利、即ち平穏無事に他者から毀損されることがないという権利を踏みにじってまで権利の濫用(ここではヘイトスピーチ)を行うことまでは許容されていないということは歴史証明していることだと思います。なお、これは決して批判を行うことを否定している訳ではないことを付記しておきます

  id:Mochimasa 『「テロ行為の是非」と「シャルリーによる風刺の是非」は全くの別物である』 それなら"Je suis charlie”は前者の文脈テロ被害者として掲げられているのだから後者文脈でこれを批判するのはフェアではないのでは

 それならいいのですが、表現の自由の一環としても利用されている、つまり後者文脈でも利用されているのが問題なのです。つまり、その二つは別物なのに、スローガンにおいては前者の中に後者視点も入れてしまっているのです。

  id:hate_flag 苦しい生活を送っている移民宗教依存しているのでその宗教批判したらテロられた、というだけのハナシじゃん。悪いのはテロであって宗教批判ではないよね。

 はい、完全にテロは悪い行為です。ですが、本件でJe suis charlieと掲げることはおかしな話なんです、というのが私の意図です。テロられたというだけの話ではありません。

 id:sardine11あなたの言うことには何ひとつ賛成できないが、それを言う権利は死んでも守る」ことが言論の自由意味であり近代社会の前提であるはず。たとえシャルリに嫌悪感を抱いても反テロ運動まで批判するのはどうなの?

 反テロ運動非難しているのではありません。反テロ運動の一環としての表現の自由の中にヘイトスピーチを行ってきた団体名が入っていることを問題視しているのです。

 id:enemyoffreedom アレをヘイトスピーチとしてしまったらもう宗教の風刺・批判はできないような。不快で低質な表現こそを守れ、というのが表現の自由かな

 宗教の風刺批判ではなく、その背後にいる、その宗教を唯一無二のアイデンティティとせざるを得ない、社会的に疎外された移民の人々に対するヘイトスピーチになっているということを増田では書きました。後者に関しては同意しますが、表現の自由差別的攻撃的・他者を毀損するまでの表現を認めていません。

 id:shakespeareneverdidthis 例え在特会みたいな下衆であっても、報復として殺害されることがあってはならない。

 それは全くもってその通りなのですが、表現の自由を守るという文脈下地にあるスローガンに私は在特会である、というものを使うのはおかしいのではないのかという話です。

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 ※こっそり追記6(2015年1月12日0:10

 もう読んでいる人がいるかどうかわからないですが、帰宅してさらに増えていたブコメや種々の反応を読んで、色々と思うところがあったので、もう返信はいしません。本当は標語の下敷きとなったwe are all khaled saidも含めた補足記事を書こうと思っていましたが、こちらも止めました。

 私自身の力不足を痛感しましたが、それ以上に、皆様の貴重な時間を浪費させてしまったことを本当に申し訳なく思います。ここで深くお詫び申し上げます

2014-12-05

民主党不振理由は「二世の払底」「新生党レガシーの食いつぶし」だ

★変な話だが、民主党は「世襲議員がいない」という強みが、逆に弱みに変わってる。

 世襲議員選挙に強い(自分選挙区心配無用)し、「プリンス」「若手のホープ」として、早くから党首候補に擬せられる。

★馬渕・細野前原枝野の中で「二世がいない」という点が、今の民主党象徴している。

 強いていえば岡田鳩山?いずれもロートル

 ※岡田は狭義では二世ではないが、広義では二世。財力がしっかりしてるし、自民党議員時代は父親のジャスコ丸抱え選挙だった。

★昔の「革新」は、案外二世が多かった。横路とか江田五月とか。

野党側有力者が、最近二世三世を出さないのが「痛い」。

 小沢一郎とか田中真紀子とか、子供いるのかもしれないが、世襲が出来てない

野党の中でも割と好調共産党は、ちゃんと志位氏は二世だったりする

★割と民主党が強かった時代って、小沢鳩山岡田二世組が、財力の心配もなしに、地元選挙区心配になしに活動してた。だから強かった。

 当時は「二世じゃない民主党有力者」は、菅しかいなかった

露骨にいえば、旧新生党出身者、旧自民出身者のジバン・カンバンカバンという「遺産」を食いつないで、民主党は今まで生き永らえた。

 →20年経過して、もう遺産を浪費してスッカラカンになってしまった。

 遺産相続の試み(世襲)も不調

二世議員が何故強いか?

 手足となる地方議員を多数抱えている点が最大の強み。突然の解散総選挙でも即応できる

★あと、秋口には小渕優子政治とカネ問題マスコミヒートアップしましたが、少なくとも有権者世論調査では全く問題視されていない。

 有権者はそういう問題も織り込んだ上で、なお二世議員を支持している。

2014-11-09

美化された日本人

日本人マナーがよくて、時間を守って、勤勉で・・・

ぜんぶここ二、三世代くらいのものだねぇ

2014-11-05

http://anond.hatelabo.jp/20141105085316

ダーテングヘルガーヤミラミの3匹。

赤緑からプレイしてます

ダーテングは何で好きなのか思い出せないぐらい、ずっと好き。

ダーテングもっとも輝ける舞台を探して、シングルダブルトリプル、ローテ、コンテストと色々してきたが、やっぱりダブルが一番活躍できる場所だった。

今一番使っているのは、ダブル

せっかちAS、ふいうち、ねこだまし、いわなだれリーフストームきあいのタスキ)の型。

いわなだれファイアローリザードンなどの岩四倍勢が重いので持たせてる、実はいじっぱりじゃないと確定一発じゃなくて、乱数一発なんだけど、ダブルでは猫騙しなどで確定数がずれるのであまり気にならない。

ORASでふいうちを没収されるので、ルールを変えるかなにか違う型にするか考えるつもり。

ヘルガーダーテングからの逆算でチョイスしたのが始まり

というのも、ダーテングが登場した第三世代ではソーラービームを覚える炎タイプヘルガーエンテイホウオウしかいなくて、

ルール上使える炎ポケモンでとくこうが一番高いのがコイツだった。

って理由で好きになったんだけど、今ではデザインや性能も好き。

世代メガ進化が追加されて嬉しいのと同時に、二進化の可能性が消えて悲しくもある。

おくびょうCSあくのはどう、ねっぷう、まもるソーラービームメガストーン)で使ってる。

サンパワー熱風の威力は並じゃないぜ!

ヤミラミは弱点がないという一点に惹かれてずっと使ってる。

はいえ今世代で、弱点ができたけど。

ORASではメガ進化が追加されたけど、どう使うかはまだ考え中。

幾度も強化されるので、毎作毎作が楽しみ。

2014-10-11

http://anond.hatelabo.jp/20141011212702

貧乏後進国大家族で、豊かな先進国核家族ってイメージがあるから日本大家族っていうか二世三世家族が増えていくんじゃないかなって思ってるわ。

2014-09-22

自意識努力の外側での決着

世代の蓄積ってあるじゃない?

  ・一次産業従事する第一世代。(田舎のじーちゃんばーちゃん?)

  ・初めて都市圏に出てくる二世代目。(親父お袋ぐらい)

  ・↑を踏まえて学歴社会に挑戦する三世代目。(おれたちわたしたち)

こんな感じで世代の蓄積があって、世代ごとの色んな質の差が後の世代ゴリゴリしわ寄せて来て

おなじみの格差が生まれるという。


ただ、最近気づいたのが三世代目のトライ・アンド・エラーを、”もう一回”以上やってる層がいるってことだ。

(ごくごく上澄みをのぞいた)格差リセット戦後にあって、

早いサイクルで世代を回したり、段階をすっ飛ばし次世代投射してる層がいるみたいなのな。


高卒短大卒の教育ママによって非効率大学にブチ込まれた層や、地方都市進学校から勇ましく進学してきた層(だいたい3世代目)は、

この世代ぐるみの高周回層に歯が立たない。たった一世代の壁がとてつもなくでかい

もちろん例外もある、没落する例もある。

でもこの基調を前に、自分立ち位置自覚しようとしてみるとさ。


めっちゃ死にたひ...」

2014-07-22

世代の蓄積

都内、つきつめる山の手線の内側でさ。

どれだけの文化資本経済資本投射できるかで人生勝ち負けが決まるわけじゃない?

それも、なるべく若い内に。


マンモス私大の話になるけど、

その日暮らしの上京者と親のCクラス乗り回してる人間が、同じゼミに同居している。

ただ両者が交わるのはこの数年間。

大卒として日本社会の上位50%として船出はするけど、絶対に死ぬまで交わらないわけよ。


で、これってごく一部の例外をのぞいて世代の蓄積で決まる。

  ・一次産業従事する第一世代。(田舎のじーちゃんばーちゃん?)

  ・初めて都市圏に出てくる二世代目。(親父お袋ぐらい)

  ・↑を踏まえて学歴社会に挑戦する三世代目。(おれたちわたしたち)

こんな感じで世代の蓄積があって、一世代ごとの色んな質の差が後の世代ゴリゴリしわ寄せて来て

↑の格差なんかが生まれるという。


ただ、最近気づいたのが三世代目のトライ・アンド・エラーを、”もう一回”以上やってる層がいるってことだ。

(ごくごく上澄みをのぞいた)格差リセット戦後にあって、

早いサイクルで世代を回して4、5世代目を投射してる層がいるみたいなのな。


高卒短大卒の教育ママによって非効率大学にブチ込まれた層や、地方都市進学校から勇ましく進学してきた層(だいたい3世代目)は、

この世代ぐるみの高周回層に歯が立たない。たった一世代の壁がとてつもなくでかい

もちろん例外もある、没落する例もある。

でもこの基調を前に、自分立ち位置自覚しようとしてみるとさ。

変な気分にならない?

2014-07-14

どうにもならない世代の蓄積

都内、つきつめる山の手線の内側でさ。

どれだけの文化資本経済資本投射できるかで人生勝ち負けが決まるわけじゃない?

それも、なるべく若い内に。

マンモス私大の話になるけど、

その日暮らしの上京者と親のCクラス乗り回してる人間が、同じゼミに同居している。

ただ両者が交わるのはこの数年間。

大卒として日本社会の上位50%として船出はするけど、絶対に死ぬまで交わらないわけよ。

で、これってごく一部の例外をのぞいて世代の蓄積で決まる。

  ・一次産業従事する第一世代。(田舎のじーちゃんばーちゃん?)

  ・初めて都市圏に出てくる二世代目。(親父お袋ぐらい)

  ・↑を踏まえて学歴社会に挑戦する三世代目。(おれたちわたしたち)

こんな感じで世代の蓄積があって、一世代ごとの色んな質の差が後の世代ゴリゴリしわ寄せて来て

↑の格差なんかが生まれるという。

ただ、最近気づいたのが三世代目のトライ・アンド・エラーを、”もう一回”以上やってる層がいるってことだ。

(ごくごく上澄みをのぞいた)格差リセット戦後にあって、

早いサイクルで世代を回して4、5世代目を投射してる層がいるみたいなのな。

高卒短大卒の教育ママによって非効率大学にブチ込まれた層や、地方都市進学校から勇ましく進学してきた層(だいたい3世代目)は、

この高周回者層に歯が立たない。たった一世代の壁がとてつもなくでかい

もちろん例外もある、没落する例もある。

でもこの基調を前に、自分立ち位置自覚しようとしてみるとさ。

変な気分にならない?

2014-06-06

http://anond.hatelabo.jp/20140605001425

他人事じゃない話だなー

俺は彼女側だけど、いや俺には恋人いないし杞憂に終わるかもだが

物心つく前、2歳だか3歳で新興宗教っていうかまあ創○学会に入信させられてる

いわゆる三世で俺の兄弟も同様、たぶん従兄弟たちも同様

兄弟や従兄弟たちがどう思ってるかは知らないが、少なくとも親世代と祖父母世代は全員毎日熱心に勤行してる

幼少期から毎日聞かされてたせいで覚える気はなかったのに法華経を諳んじられる門前小僧状態

増田彼女場合は入信するしないの戦いがあって、祖母という味方もいたようだけど

俺の場合はとっくに入信しちゃってるから活動するしない、抜ける抜けないの戦いで、味方は誰もいなかった

中学生の頃かわいらしい反抗期があったが子供に何ができるわけでもなし

それ以来何も活動しないまま最近大学卒業

脱退しようとすればできるだろうけど親族と絶縁状態になるかもしらんしそれは望んでない

学会内でそこそこの地域役職についてるらしい親の世間体を傷つけたいほど憎んでるわけでもない

今後も活動するつもりはないが、もし交際だ結婚だとなるとどうしたもんかなとって感じ

葬式読経するくらいなら全然いいんだけどね

一種の親孝行と思って親が亡くなるかボケるかまでは現状維持するにしても先は長い

増田彼女に対しては、ねぎらいの一言でもかけてあげていれば彼女の肩の荷も少し下りたかもしれない

増田自身の宗教観やその後の交際がどうであれね

アドバイスに大変感動したので自分の状況にパロディーにさせていだきました。(二番煎じ

元増田さんがんばってください、分野は違えど金を稼ぐ者は皆同じような悩みを抱えているように思いました。

http://anond.hatelabo.jp/20140605083137

http://anond.hatelabo.jp/20140606021844

31歳社員2名の会社代表取締役、既婚子無しです。あなたは書き続けたほうがいいです。以下、僭越ながらアドバイスします。

まず、融資第三者割当増資を引きましょう。資金流動性回復しない限り、あなたの煩悶はずっと続きます株主はブチ切れるでしょうが後者ベストです。(しかし、個人保証による融資選択肢としてはやむないでしょう)

上場出来るか出来ないかを考えるのは、シェア上位に入ってからでいいです(創業、零細の段階からそれを考えてると働けなくなります)。

私は起業家としての収入は年に230万程度です。事業一本では食えません。が、嫁が公務員なので、生活には困ってません。時間はありませんが、生活は充実しています

周りの若い起業家嫉妬するのは分かります。私もそうでした。ですが起業世界は甘くないです。

若くして上場に辿りついた人の多くは、若くして消えます。26歳でマザーズナスダック同時上場して27歳で消える人がいる場合、その人が40歳上場したら41歳で消えます。それだけのことです。何歳で上場しようが、生き残れるか否かは別問題。才能があろうがなかろうが、大半は消えます。故に、事業以外の「食う手段」を持っているというのは、非常に大きい。結婚して嫁を捕まえていると、離婚されないうちは食って寝るくらいできますし、健康保険にも入れます

創業者利益ストックオプションだ、という周囲の友人と自分比較したくなるのも分かります。私も起業につぎ込んだ時間をかつての勤め先に注ぎこんでいれば、今の5倍は年収があったと思います。でも、それは私がやりたいことではありませんでした。私の手許に十億あったら、たぶん南の島に家を買ってメイドを雇って暮らすと思います。十億円欲しかったらやるしかないんです。

この手の話題で必ず出るのが「お前は起業をしたいのではなく金が欲しいだけ」という批判です。この手のドヤ顔意見は全て無視して大丈夫です。断言しますが、そんなことは当たり前で、今更言われるまでもありません。私は金もしかったですが、地位名誉も欲しかった。週間ダイヤモンドインタビュードヤ顔で答えたかった。虚栄心(と嫉妬)は大事モチベーションの源です。プロはみんなそれを知っています。金があったら起業なんてしません、投資します。

あなたに対し、上から目線で本当に恐縮ですがアドバイス差し上げようと思ったのは、あなたが実際に書いているからです。普通学生は「起業家になりたい」と念じながら、事業計画書の一本も書かず、出資の一本も引かず、会社登記すらしないままに一生を終えます。実際に出資を得てキックオフまでこぎつけられるのは、一握りの人間です。交付金助成同業者質問しているのも素晴らしいです。なりふり構わず足りない運転資金を埋めるというのは大事です。私も助成金を引きに役所へ通ってましたよ。

「なぜ起業をするのか」。それは魂が希求しているからです。ハスキンズいうところの「毎月、少しずつお金を貯めていきなさい。そうすれば、年末にはびっくりするでしょう。あまりの少なさに。」というやつです。そういう風に生まれてしまい、資本主義悪魔刻印を押されてしまったのだから、もうイクジットするしかないんです。人の一生は短いです。幾ら出世しても、幾らキャリアを積み上げても、大抵の人は埼玉に一軒家と犬一匹くらいが限界で死にます華僑貧困層から富裕層移転するには三世代をかけると言います。ならば、悔いなく生ききることが大事だと思います。グッドラック

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