はてなキーワード: ムードとは
なんだ、これはただの愚痴なんだ
コロナで在宅ワークに切り替わったんだが嫁が毎日子供に対して発狂して怒っていることを知ってしまった
自粛ムードになってからかもしれないがとにかく今は発狂している
俺としては限りなく不快
どれだけ育児が大変だろうと子供に対して発狂するのは悪いこと、それだけは譲れない
注意をしても直らない、子供に対して舌打ちばかりする
ネットでみんなどうしてますか?という相談をしてみても、あなたのフォローが足りない、イクメン気取るなみたいな回答しか返ってこない
育児に向き不向きがあるのはわかる
褒めてほしいとは思わないが理解はしてほしい
誰に相談しても、あなたの頑張りが足りない、もっと奥さんをフォローしてあげてしか返ってこないのでもう相談する気も失せた
育児が大変なことが理解できるのに、何故父親には厳しい世の中なんだ
つらい、誰か助けてほしい
先に書いておくと診断はまだ受けてない。
大阪では出口戦略が示され、感染者報告数も減ってきて、一部地域は緊急事態宣言解除の前倒しなんて話もでてきた。
世間はなんだかんだ言って、そろそろ収まって来ただろうと自粛明けムードになっていると思う。
幸いそこまで体調的に辛いわけではない。
いつもの風邪の感じで少し身体が重いかな程度で、熱も上がったり下がったりを繰り返すが36.8℃〜37.4℃の間にくらい。他の症状もない。
仕事は一ヶ月前からリモートだが、午後からは念の為に休ませてもらって、半日寝てた。
コロナなのではないのか、どこでもらってしまったのか、周りに移してないだろうか、気を付けていたつもりなのにといろいろ考えてしまう。
自粛明けのムードがある世間とのギャップを感じて、さらに孤独感が増している。
感染した人の話を聞いて、そんなに自分を責めなくてもと思っていたが、いざ自分のこととなると疑いの段階でもかなりマイナス思考になってしまう。
診断してもらってもない段階なので吐き出す先もわからず、ここに書かせてもらった。
そのとおりだなとも思うけど、
「ラクして儲けようとしているくせに」みたいな、
あるように感じたので、
夢も希望もない話を、
書きたいなと思った。
■パチプロの1日
・主にパチンコメイン
8時:
起床。
朝食を食べながら各種情報をチェック。
8時半:
還元に期待できる店があればそこへ向かう。
早めに家を出たりする。
(9時頃に抽選を行う店と並び順入場の店がある)
(打てる台候補については後述)
この場合は9時過ぎまで
家でのんびりしていることもある。
10時:
開店。
絞りきれない場合は、
台を押さえずに試し打ちをして状況を確認する。
満足できればそのまま続行するが、
最近はせいぜい「不満がない程度」のことも多い。
その場合、近隣の店をある程度回って、
良さげな台を探すこともある。
(その間に取られていることもあるので判断は難しい)
「不満がない程度」なら
そのまま店回りをして情報収集。
そのまま一旦帰宅。
21時頃、
12時:
打っている時は基本的にお昼休憩は取らないし、
お昼も食べない。
お昼までに打てる台がなかったり、
できるだけ食べるようにしている。
17時:
理論上は打ち続けたほうが良い台だったとしても、
夜8時半くらいまでは続行。
そこまでに当たりが取れなかったり、
それ以降、当たりが終了したらそこでヤメ。
候補台でも、結局は運なので、
自分の引きが弱くて負けることも珍しくない。
20時半:
閉店まで打ち切らなかった場合、
残り時間で閉店チェックを行う。
台の出玉状況、回転数、やめた状況などの情報が
23時:
帰宅。
長かったり短かったり毎日変動はあるが、
土日は混雑しているので、
朝イチで有力台を取れなければ、
前述のとおり、基本的には打てる台が見つかるまで、
夕方くらいまでは店を回る。
収支:
1年で270万くらいだった。
週単位で見たら
自分はヘタクソで、
運がないとも思っているし、
複数台を押さえたり、
あからさまなぶっこ抜きをしたり、
マナー違反してまで勝ちたいという強欲もないので、
もっと稼げる人、
■最後に
運だけで勝ってる人もいるかもしれないけど、
たまたま運が少しだけ続いていただけかもしれない。
100%ではない以上、
常に悪いほうに偏る可能性もあったと思う。
ラクなんてしてないことは間違いないと思うし、
(もし運だけで勝ってる人がいたら、それはもう才能だ)
それぞれみんな生きるのに必死なんだということが
伝わればと思って書いてみた。
東京以外はGW開けにはほぼ収束。海外の主要都市も軒並み再開傾向。大事とっても5月末で宣言終了で自粛ムードも無しで意味のない要請あるものの従来の生活に戻るよね
だから飲み屋も開くし、7月以降のライブとかも普通に開催出来そう。1ヶ月もあれば余裕でしょ。8月以降とか猶予ありすぎて出来ないとか言うのがオカシイ
今日は5月6日。当初の緊急事態宣言では5月6日までとされており、それまでみんなで辛抱しましょうという話だった、ついにその日が来たのだ。
忘れないように、これまでの一連の流れをWikipediaやネットニュースから拾ってメモした。
違ってたら教えてね。
まとめながら思い返すと、志村けんさんの死去と、東京五輪の延期決定の前後で、かなり雰囲気が変わった気がしました。
3月下旬の3連休では、ちょっと解禁ムードになっていたが、4月に入ってからは完全に引き締め態勢に。
1月はまだ、ついに日本にも感染者が出たかという程度の雰囲気だった。2月はダイヤモンドプリンセス号。
3月は休校だなんだで世の中がパニックだったのに、いろいろなことがもう当たり前のことになってしまった。
世の中がどんどん変わっていく。
→一部県が観光地の指定解除・県内観光客の誘致開始、県外からも人が集まりすぎて顰蹙を買う
→我慢できなくなった人が遊びに行き始める
→年末まで自粛ムード引きずりつつ、自粛重視の人と経済活動重視の人で対立しまくる
→選挙
東京から東北方面、大阪から中国四国方面に、大量に人とウイルスが流れそう
とはいえ当座の薬として本当にアビガンが使えるなら、それを頼りにして軽視するようになって、1年後には皆コロナをコロッと忘れてるかもしれないけど
自分のブログで書いても影響力ないし、最近は新型コロナを盾に、他人の攻撃や批判しかできない腐った連中が多いので、ここに書いてみようと思う。
それにしてもこの1ヶ月、日本語圏において、まじで言論の自由がない。ここは地獄か?
このあとどうなるか、個人的な予想を書いてみようと思う。
自粛はどうせ "ムード" だ。個人の考えで行動しているわけじゃない。
今は "自粛" って声がでかいやつが騒いでるから、同調圧力で自粛してるだけだよ。
日本人はみんなと同じことをすればいいと思っている、自分で考えることをやめた奴らばっかりだから、ムードが変われば流れは変わる。
個人的に、COVID-19 を "封じ込める" 事ができると思ってるやつは脳味噌お花畑だと思っている。
今の時代人と接触しないなんで不可能なので、どうやっても感染経路を断つことは不可能だし、そもそも人間が媒介ではない可能性だってあるわけで。
治療薬だワクチンだ騒いでる奴らもいるけど、薬の研究なんで数年~数十年掛かるものだ。
第一、薬ってもんは病気を治すわけじゃない。病気と戦う人体をサポートしてくれるだけだ。
ワクチンだって、わざと微量のウイルス入れて安全に免疫つけされてるだけなんだから、感染しなくなるわけではないってことが理解できない奴らがいるようだ。
あと、新型コロナ関連で死んだ人は基本、肺炎で死んでるわけだが、COVID-19 が肺炎を引き起こすのではなく、肺炎は併発で起きるものだ。
だからそういう人は、インフルだろうと風邪だろうと、肺炎になるときはなるし、死ぬときは死ぬ。
こう考えると、どうやっても集団免疫の獲得以外に勝ち目(?)はない。
しかし、医療崩壊を防ぐっていう意味では自粛に一定の価値があるのは事実だろう。
ソーシャルディスタンスという言葉が広まり、実践されていることは素晴らしいことだ。在宅勤務によって満員電車の混雑が緩和されたりしていることも効果はあるだろう。
けれども、経済活動を止めてまで自粛するのは、正直無理がある。2週間~1ヶ月がどうやっても限界だ。
新型コロナで死ぬか、経済的に死ぬか。死ぬ確率は前者のが低いだろう。
あともう一つ。
これは緊急事態宣言関係ないが、なんか "死ぬ" ということに対して勘違いしているアホが多い気がする。
新型コロナに感染すれば死ぬ、感染しなければ死なないと誰が言ったか?
そんなことより家でマクドばっか食ってるほうが生活習慣病で死ぬだろうし、買い物行く途中に通り魔に刺されるか、車に引かれて死ぬかもしれない。
また、新型コロナに感染しなくても、ガンや心筋梗塞で死ぬかもしれない。インフルエンザで死ぬかもしれない。
そもそも、人間の死亡率は100%だ。死のリスクなんて、生きてる限り一生付き纏ってくるもんだ。
新型コロナで死んだのは、この数ヶ月で500人程度。去年、交通事故では3,200人死んだ。インフルエンザだって毎年3,000人は死んでいる。
たぶん、今年は自殺者増えるだろう。新型コロナ自粛騒動で人生立ち行かなくなった人たちから、連日のように自殺者が出るんじゃなかろうか。
この状況で、過度に新型コロナだけを特別視する必要あるといえるのだろうか?
確かに新型コロナは怖いが、そういう人たちは交通事故が怖いからって家から出ないのか?躓いたら骨折するからって立ち上がらないのか?そんなやつはマトリックスのあの幸せな夢を見れる機械にでも繋がれてろ。
感情ではなくデータに基づいて行動すべきだ。全く、世界ははどうなってんだか。
山梨に帰省して、コロナウイルスの検査結果が陽性なのに帰京した女性のことがニュースになっている。
当たり前だ。
緊急事態宣言が出ているのに山梨に帰省し、BBQという密な状態を形成し、検査結果を待たずに夜のバスで帰京
と思ったらそれは嘘で実は検査結果がわかってから朝のバスで帰っていた。
やっちゃいけないことを連発して、よくもまあここまでやるもんだとちょっと感心するくらいだ。
こういうニュースを見ると、その人物がアホであればあるほど自分を投影してしまってつらくなる。
なぜなら自分もかなりのアホで、この人生はやらかしにやらかしを重ねてきており、ほぼ毎日が後悔の連続だからである。
一人暮らしでそのようにできているのも、所属組織から「来るなよ?さもなくば」的な半ば脅しのメールがきたり、
身近な人々がちゃんと自粛しようというムードなので「おっそうだな」となっているおかげで達成できている気がする。
もし周りの人々が、例えば河川敷でBBQするような人ばっかりだったら、影響されて自分もやっていたかもしれないと思えてしまう。
山梨で検査に行ってしまうという計画性のなさ(ここで帰京後に検査していればまた違っていただろう。バスで強制的に帰ることができるほどの元気もあるし。あるいは家族に検査しろと押し切られたのか?)、
陽性発覚後に帰京してしまうという衝動性(ここで、のちのことをきちんと考えることができていれば、感染者は行動履歴を明かす必要があることから、このとき帰る行為が致命的であると判断できたであろう)、
保健所に嘘をつくアホさ(どう考えたってバレるし、嘘をつくことで2倍の手間を増やしているし、多分友人からの信頼も失っただろう)。
(イッヌを置いて行くことは自分はしないと思うが…)
保健所に嘘の申告をした後の彼女の心境を想像すると死にたくなり、昨日はカーテンを締め切った部屋でずっとベッドで布団に包まっていた。
映画「ヘレディタリー/継承」で、主人公が深夜パーティの帰りにある致命的なやらかしをし、朝まで「どうしようどうしよう」と汗ダラダラで座り込むことしかできないあの感じだ。
きっとタイムマシンがあれば戻りたいと思っただろう。
山梨に帰省する前?バスに乗る前?保健所に嘘つく前?どれでもいいから戻りたい。
小さい頃からやらかしてきた人間はよく怒られてきていて、嘘(アホなのでバレバレ)をつくのが習慣になるのでよくわかってしまう。
そのくせ、罪悪感だけは一丁前にあるから…
この間ニュースでやっていた、土方仕事がなくなってスーパーに盗みに入った奴の事件もつらかった。キャベツ好きだし…
つまり、自分が上記の奴らのようなことをやらかしたり、家を失っていないのは単に現在の状況のおかげであり、
なんとなく溜め込んでいるものを、どこか吐き出したくなり書いてみる。
うちの会社はコロナが本格化するちょっと前からフルリモート化が進み、無理に出社させないようないわゆる良い会社である。
自社の領域としても、今回のコロナで悪い影響はでにくいところで、正直業績的な危うさは比較的小さい。
リモートが始まったときは会社の雰囲気としても、「仕事用に椅子買っちゃった」とか「リモート飲みはXXすると楽しい」とかが話題になるように明るかった。
自分もニュースで流れる不景気のニュースを自分の肌で実感することができず、ちょっとした異常事態をどこか面白がってしまっていた。
パンデミックが本格化し、世間はいつの間にか完全に自粛ムードになった。
自分の街にもその影響が出始め、よく行っていたラーメン屋も潰れた。
そう、これは本当に異常事態なんだと実感せざるを得なくなったのだ。
…
新しい部署のメンバーと関係性築けないまま、リモート勤務でコミュニケーションが上手くいかなった。
また、新しいタスクもきれにこなせず、色々なものが空回りするようになってしまった。
成果を求められ、それを達成するために尽力しいてるが、上手くいかず。
正直けっこう精神的苦しい。
(人とのコミュニケーションで上手くいかないのは単に上手くタスクを進められない以上の精神負荷がかかる)
その上、自粛で上手く発散ができないまま、淡々とストレスが積み上がっていく。
嫌いではなかった(むしろ好きだった)仕事が嫌になり、月曜を迎えるのがどうしようもなく憂鬱になってきた。
「ああ、このままじゃだめだな、きちんと成果出さないと」と思いつつ、
「これは何のための仕事なのか」
世の中の多くの企業や飲食店は倒産がかかっている中で、頭を本当に悩ませ乗り越えようとしている。
医療関係者は本当に自身の生命のリスクももった上で懸命に戦ってくれている。
物流やエッセンシャルな仕事も世の中のために、日々サービス提供をしてくれている。
それなのに、自分はなんだ。
感染のリスクや、収入がなくなる危険も負っているわけでもない。
コロナとは全く関係のない、単なる自社サービスの成長を目標にした仕事をしているだけである。
「それなのに精神的につらい?
え、それは何のためなの?
は?」
この世の中の状況で、お金が本当になかったり、日々リスクのもと感染者の方の治療にあたっている人たちが苦しい中戦っているというのに、自分の今の状況で大したリスクにもさらされていない。
その状況下で、コロナとはおおよそ関係のない仕事で辛くなってしまうのが、情けなかった。
もっと本当に苦しんでいる人もいる中で、こんなことで苦しがってしまっているのがただただ申し訳なく感じられるようになった。
…
街に買い物にいく度に感じることがある。
今、街の労働のすべてが尊く感じられるのだ。
飲食店でテイクアウトの料理を作っている人、スーパーでレジをしている人、ウーバーイーツの配達員、ゴミの清掃、荷物カゴを自転車で引く物流業者。
みんなすごく輝いて見えるのだ。
彼ら彼女らの経済状況や、勤務に伴う感染リスクを軽視するわけでは決してない。
(ほとんどの人はやらなくて済むならやらないのだろう)
だが、自分は今、彼ら彼女らがとてもうらやましく思えてしまうのだ。
目の前の生活のためのものを買い求めたりする人々に対して、実際に自分の労働を直接的役立てることができる。
(大げさではあるだろうが)人々の生活のために、今自分の身体を活用できる。
このことが今自分の中でものすごく尊く感じられるとともに、なぜこんなシンプルなことを自分が今できていないのだろうかと思ってしまう。
そして何らな今、感じるべき苦痛、苦労を感じることができることすら羨ましく思ってしまう。
この状況で享受すべき苦しみを享受できていないのが、どこか置いてけぼりを食らってしまっているようにすら思えるのだ。
(なんて失礼な話だ。)
…
ニュースやメディアでは頭の良い人たちが色々な観点からアフターコロナ、ウィズコロナといろいろ話している。
正直、この世の中が今後どうなるかなんて自分には全くわからないし、考えようとする気も起きていない。
ただ、これを機に自分の中の価値観というか労働観というのは変わる気がする。(もう変わったのだろうか。)
なんか仕事上手くいってなくて疲れているだけといったら、案外そうなのかもしれないな。