はてなキーワード: マイノリティとは
皆そこは知りたいところだろう。
何者が黒幕であれ被害者は、その犯罪を身に受けどのような者達が行っているか知っている。
それは大掛かりにお金をかけ、大勢の人を動員し一人の人間を虐待する、理不尽で卑怯な単なるマイノリティ攻撃である。
いつ頃からこのような風潮が広まったのか、昔からあった犯罪と主張する人もいる。
だがここまで徹底した犯罪は、ここ20年位前からと思うが自然発生的に時代の空気に乗り発生した犯罪のようにも思える。
独裁国家ならいざ知らず、自由主義民主主義国家で日本のような大昔から独自の民主主義を持っていた国で、
武士道を重んじて来た世界でも稀有な民族性を持つ国とは思えないほどの犯罪である。
マイノリティを「頭のオカシイ人」扱いして徹底的に吊るしあげるやり方はマスコミに於いて顕著にみられる。
そして黒幕が何者か、それ例え国家権力、天皇、ユダ金、宇宙人でも許せるものではない!
しかし日本は、我々のように人数は少ないがこういう活動も許されネットに真実を発信出来る事はありがたいことだ。
我々が屈せず戦い続ける限り、いずれこの時代は過ぎ去るはずだ。
世の中的にはマイノリティを救済する流れがあるが、それは「何かが好きで、それが人と違って苦しい」という方向性だけだ。
未だに「何かが好きになれなくて、それが人と違って苦しい」には世の中はとても冷たい。
私の場合は子供が好きになれなくて、それが人と違って苦しい。ただ好きじゃないだけ。それでもすごく生きづらい。
世の中のほとんどの人にとっては、子供という属性に所属する年齢はすごく、すごーく愛くるしいらしい。
それは、鼻水を垂らしてることとか、電車内で走り回る事とか、そういうのを全部帳消しにできるくらいの魅力があるらしい。
私にはその感覚がない。一般的な「子供だから許せること」が基本的に許せない。
ただただ、鼻水垂らしてるおっさんや電車で走り回るおっさんと同じ程度の不愉快を感じる。
「子供だからなあ」という感覚は当然ある。そういう年齢なので仕方ないのは当然だ。
最悪なのは、上記のような感覚の人間がいるとも知らず、安易に子供かわいい!感覚を共有しようとしてくる人たちがいる事だ。
大抵のご家庭(の特に女性)は、自身や親族などに子供が生まれるとその子供の写真を見せてくる。
私も可愛い猫の写真みせたいし、同好の人から見せて貰ったらたぶん嬉しい。
けどそれは、同じ趣味の人と。お互いの感覚共有が事前に確認済みであるから楽しいことであって、だれかれ構わず見せたりしない。
でもなぜか子供好きの人たちは、相手が子供が好きである事を前提に、関係が薄かろうと「みーんな子供が好きだろう!」という図々しさで、無遠慮に自分の”かわいい”を押し付けてくる。
それが滅茶苦茶心が疲れるのだ。
だって一般的な家庭の子供だもん。顔面が特別優れている確率は低い。
だからほとんどの場合、普通の顔面だよ。かわいくはなくて普通。さらに一定の確率で不細工なんだよ。
それを可愛いと言わなきゃいけない。
別に、可愛いと思わないだけなのに。みんなが可愛いと思ってるものをそう思えないだけなのに。
それがつらい。
そして、もっとつらいことは
この「子供がかわいいと思えなくてつらい」という感覚には救いがない。
技術記事呼んでてマカーが書いてるってわかると途端に怒りで震えるわ
※申し訳有りません。この記事は10%以下の超マイノリティなMac利用者にしか役に立たない記事です。
ってちゃんとタイトルに書いとけよ、90%のWindowsユーザー様には検索妨害しかしてないくせにそういうこと考えないのかね?
10%もいないマイノリティのくせに申し訳なさが足りないんだよな
タイトルに『カバー』『歌ってみた』とかつけないで下手くそなカラオケ動画あげまくってるあの迷惑系Youtuber思い浮かべるわ
危険仕事したくない人はそんな仕事に応募しなきゃいいだけなので自分の身を案じての「規制して欲しい」なんて理屈は存在しない。いるとしたら誰か他人の身を勝手に案じてるふりしてるおせっかい。
なぜ規制撤廃の声が上がらないかというとセクハラに比べて被害者が少ないからだろ。結局マイノリティの声は取り扱われないからその結果くそみたいな法律が野放しになって日本は人権周りで遅れていく。
(増田です)なるほど疑問はその通り。質問ありがとうございます。
https://work-data.com/1959#i-2
シングルマザーの育休取得率はわかりませんが、ただシングルマザーは相対的貧困率が48%であることからして、育休取得はさらに選択肢として取りにくいというのは容易に考えられます。
ちなみにこの統計に当てはまる人が20%でも10%でも1%でも関係ないのです。
特に雇用機会の平等化というのはどんなマイノリティの事例でも等しく機会を与えるべきという考え方です。
先進国として良い国づくりをするためには「あなたは珍しい事例だから法的には雇用機会がないけど我慢してね」ではダメなのです。
そうなんだよね
でもその幻想にいつか届く日が来るかもしれない、みたいな幻想を無邪気に持ってしまってたくらい平和ボケしてたんだなって思う
マイノリティなんか顧みる余裕なんて実は誰にもどこにもなかったし、仮にマイノリティが権利を勝ち取ったって、有事の際は一瞬で反故にされて、それに声をあげることすらできなくなるのが人間の本来の姿だったんだと思い出したよ
自分と自分の大切な人が生き残るためには、なんだってやらなきゃいけないし、それをやれる醜悪な人こそ、実は本当に強くて美しい人間なんだというのは、忘れかけていたけどはっきり思い出せたね
今の世界の流れを見ると、罪もないロシア人ひとりひとりがつらい目に合うことで、そこで生じたヘイトが現ロシア政権に向かう、みたいな空気がある
高度に平和ボケした日本で、理想郷の平等社会を信じて価値観をアップデートしきっちゃった我々日本人として、なんだかそれはとても前時代的な行為のようで、価値観が揺らぐような焦燥を覚える
かつて我々の心にも存在した”差別”が再び勢力を取り戻している様子に、魔王の復活を目の当たりにしてるような気持ちになる
でも、なんだか忘れていたのだけどれど、そういえばこれが戦争だったな、という記憶もあった
戦争は駄目なこと、罪のない人々が傷つくから駄目なこと、我々はずっとそう習ってきたし、それを信じてきた
しかしそれは裏を返せば、「戦争になれば必ず誰か罪のない人は傷つくし、命のやり取りをするというのは当然そういうこと」という意味でもあったのだ、と気付く
ロシアの暴挙を許せば、必ず今後の世界でもウクライナの無辜の民が今経験しているようなことが起こり続ける
であれば、そのつらい目に合う人々をロシア人に転換することで、今後の世界を守ろうとするのもひとつの考えだろう
事態が変われば即座に命のやり取りに頭を切り替えられるヨーロッパ人はまさしくいくさ人で、平和ボケしてない民族はこうも即座に反差別の価値観を捨ててロシア人排斥に動けるのか、と、今目の当たりにしていて衝撃を受けている
増田自身は、純粋に差別はいけないこと、今後の世界は差別を捨てるほうに、マイノリティに負担を強いらないほうへ進んでいくんだと無邪気に信じていた
しかしそれは、当然今まで指摘する人もいたわけなのだが、世界が平和だから、マイノリティ許容できる体力があるからこその余裕であり、余裕がなくなれば自分たちの目の届く自分たちの仲間を守るために、その範囲外の人々にどこまでも厳しく当たれるのが、ヤハウェの民だった
田舎者の日本人は、よそ者は村八分で陰湿にいじめるメンタリティしか持ち合わせていなかったが、彼らは即座に命のやり取りに切り替えられるメンタリティだった
増田は心底恐ろしく感じているよ
反差別や融和、マイノリティなんて夢物語だったのか、と今はどこか懐かしさすら覚える
おそらく日本が攻められるようなことがあれば、一切の抵抗なんかできないだろうな、というのは今回痛感した
もうね、メンタリティが違い過ぎる
ロシア人排斥なんか、するのが正義だと言われたって、どうしてもできないよ
当の無辜のロシア人がその流れを許容すらしているのに、日本人がそれについていけないのは滑稽すぎるし、本当に駄目過ぎて愛おし過ぎて、間違いなく今後滅びゆく民なんだな、と感じた
https://twitter.com/sakamotoharuya/status/1497829494417027077
関西大学の研究グループの調査結果によると、日本の政党の中で最も「経済的弱者の味方である」と国民に感じられているのは「日本維新の会」であるという。かたや、弱者支援を訴える立憲民主党はこの点において埋没してしまっている。
立憲民主党の実績が伝わっていないのか、維新の会のポピュリスティックなイメージ戦略に影響されているのか、という話もあろうが、これは架空の何かしらに突き動かされたものではなく、実績によってこのような結果が出ているのかもしれない。
というのも、立憲民主党は弱者に寄り添う政治を訴えつつ、その弱者が自分たちの視点で弱者とラベル付けされた人々だけに限定されているように窺われるからだ。しかし、世の中はそのような“名前の付いた”弱者ばかりではなく、普通の労働者層に極端な貧困でなくとも苦しい生活を送る人が薄く広くいて、むしろそういった層が弱者のマジョリティであったりする。むろん、マイノリティを無視していいという話はないが、マジョリティに寄り添うことができなければ、弱者に寄り添う政党としての支持は高まらないだろう。
逆に言うと、維新はその層にアプローチできている。外交面などで自民よりも右寄りなことをよく言うので、その流れで右派政党ととらえられがちだが、国民の生活に関連する政策はそれなりに左派的であることは忘れてはならない。また、維新は地盤の関西地方を中心にドブ板的な活動を徹底して行っている。「弱者の味方」2位の共産党も草の根的な支援活動が徹底しているが、それと同じように、維新も庶民レベルの寄り添いを積極的に行っているのである。
でも、ごめんなさい。他の有権者の皆さん。私は間違いを犯しました。
マイノリティ当事者を国会に送り込むという理念ただ一点に共感して、参院選で投票した。
その後も、いくつかの公約に疑問を感じつつも、理念への共感をもとにボランティアや寄付などで支援してきた。
その結果、ロシアに対しての非難決議を、全会一致で賛成するという日本の意思表示のチャンスを失ってしまった。
実際、インパクトは小さいのかもしれない。
だが、自由主義の陣営にいる国としてこれは大きな損失だと思う。
選挙権を得て数十年。
これまで自分の投票した議員や候補が不祥事起こしたり、同意しかねる発言をしても後悔することなどなかった。
投票した候補が議席を得られても得られなくても、彼ら彼女らは、それなりの「いいこと」をしており、自分なりに価値を見いだせていたからだ。
どちらかの立場に付くべきじゃないだとか、ウクライナやNATO側も悪いことしているとか、そいうことじゃない。
過去の戦争による加害と核の被害を経験し、それを克服したうえで自由主義の旗を掲げた日本国として、
力による現状変更と核の脅迫に断固として拒否し、そうした行為を非難することそれ自体が目的であった。
他国向けでもある以上に、自国の存在意義の再宣言(再確認)でもあった。
そうした決議を全会一致で採択できなかった。
なんか急にリベラル様が「私達は9条があれば平和は守れるなんて言ってない! 9条は日本を縛るためのものと言ったことはあるけど!」「だから侵略させないためには、別に手を尽くす必要がある」と言っている。
日本で最高の知能が集まるリベラル様が間違いを言ってるはずがないので、自分の記憶が間違ってないか調べてみることにした。一般人から政党まで、いろいろとね。
また、憲法九条は、紛争を平和的に解決するという考えを、多くの国民に定着させてきました。こうして、他国に軍事介入しない、紛争の原因をつくらないということが、他国による日本侵略の要因をつくらず、平和を守ることにつながってきました。
このレベルの例なら私にも出せる。しかもこんな小粒ではなく大量に、だ!これを見ればリベラルどもも黙るだろう。
第11問 憲法第9条は、戦争を放棄し、戦力を持たないことを決めています。あなたは、この第9条は、日本の平和と安全に、どの程度役に立っているとお考えですか。リストの中からお答えください。
1.非常に役に立っている 29.4%
2.ある程度役に立っている 52.6%
4.まったく役に立っていない 2.3%
5.わからない、無回答 4.7%
そう、何とNHKによれば日本人の8割もが憲法9条が日本の平和と安全に資すると答えているのである!
どうだリベラルどもよ、これを見てもまだ9条が平和に役立つと言ったことがないなんて言えるか?言った人がいたとしても少数だなんて言えるか?国民の8割とはマイノリティーなのか?マジョリティーもマジョリティーなのである!
そして今明かされる衝撃の真実!大多数の日本人はお花畑リベラルかお花畑リベラルに洗脳された愚民だったんだよッッッッ!
おっといけない愚民なんて言葉は選民思想リベラル様の専売特許だったのであった。しかしまあなんて由々しき事態なんだ…。
日本は国際社会で、主としてどのような役割を果たすべきか聞いたところ、「環境・地球温暖化・感染症対策を含む保健などの地球規模の課題解決への貢献」を挙げた者の割合が63.9%、「人的支援を含んだ、地域情勢の安定や紛争の平和的解決に向けた取組を通じた国際平和への貢献」を挙げた者の割合が59.2%と高く、以下、「軍縮・不拡散の取組などを通じた世界の平和と安定への貢献」(41.2%)、
昨年度の内閣府の調査を見れば国民どもの思想を垣間見ることができる。4割が軍縮・不拡散を行うのが日本の役割だと述べているのだ。この夢想家どもがッッッ!
ちなみにCSVデータを見ると一番軍縮云々に賛同しなかったのは30代で26.1%しか賛同していない。次が18-29歳の37.3%なのでここだけ異様に低いのが分かる。不思議だね。
いや、ちょっと待ってほしい。「9条が日本の平和に役立っている」と主張したからといって「9条があれば日本は平和」と言ったことにならないはずだ。「他国に軍事介入しない、紛争の原因をつくらないということが、他国による日本侵略の要因をつくらず、平和を守ることにつながってきました」という文章を読んで「わあ、9条があれば侵略されることはないんだね!」と読解する人間はさすがにおるまい。確かに共産党は近いことを言ったこともあった気がしないでもないがこの文章だけではそうとは捉えられない。意外なことに原文を読んでも「他国に軍事介入しない」とは他国の戦争に自衛隊を派遣して怨みを買わない、「紛争の原因をつくらない」とは武器輸出をすることでイラクのような平和を脅かす集団を作るということをしてないという意味で、結果侵略される要因を作ることにならないため平和に資するのだといった程度のことしか書いていないのである。
第13問 あなたは、現在の世界の情勢から考えて、日本が戦争や紛争に巻き込まれたり、他国から侵略を受けたりする危険性がどの程度あると思いますか。リストの中からお答えください。
4.まったく危険はない 0.5%
5.わからない、無回答 1.9%
このように国民の8割が9条が日本の平和に役立っている一方で、国民のほとんどは侵略される危険性があると考えているわけだ。少なくとも国民大多数の中ではこの2つが両立しているということが論理必然的に分かる。
「9条が平和に役立つ」は「9条があれば侵略されない」ではない。データから国民全体の傾向として言えるのは「9条は平和に全く役立たないという意見の持ち主は限りなく少数派」、「多数派は9条は平和に資するがそれで侵略されないとも思っていない」といったところだろう。まあ相手の主張を0か1かで考えるのは楽だが、わりとこんな感じで程度問題だったりもする。「9条が日本を守ってきてくれた」と言う人に「どれくらい役に立ったの?」と聞いて「100%」と返ってくるかは微妙なところだ。そういうものである。
一応補足しておくと今同じ世論調査をすれば「9条が平和に役立っていない」と答える人が増えるのではないだろうか。この2017年の調査にはやはり集団的自衛権を巡る数々の議論があり「戦争に巻き込まれる可能性」が俎上に上がった余波が残っていると見るべきだし、その前に行われた2002年調査はイラク戦争直前でテロ特措法が成立するなど既存の法体系で対処できるか心配された時代であった。実際、同調査では2002年の方が2017年よりも憲法改正賛成派が多く、また9条が平和に役立つと答えている人も少なめである。ウクライナ侵略が行われている今であれば恐らく2002年調査に寄るかそれ以上に変動するかもしれない。国民世論と秋の空でただですら世論はぶれまくるのに出来事1つで更に右往左往するものだ。これは何があってもそこまで政治信条をあまり大きく動かさない我々政治厨が見逃す点で大抵国民世論に確固たる思想信条の基盤があると”必要以上”に考えがちだ。
ところでこれ1974,1992,2002,2017と調査が行われているのだが9条が平和に役立っていないと答えた人は1974年が一番多いのはちょっと面白くないですか?
個人的な意見を言えば、9条に全く平和に資するところがないとは思ってはいない。自衛隊派遣を巡って毎度国会が空転しているのを見れば軍事を増強しても他国視点だと侵略してくるとはあまり思えないというのはあるんじゃないか。専門家ぽく言うと安全保障のジレンマを軽減する信頼醸成措置的な何かになる要素はあるんじゃなかろうか。安全保障のジレンマは元々はリアリズム(国際政治学の学派の名前で一般的な意味とは異なる)が言ってたことで、信頼醸成措置は第二次安倍政権が作った「平成26年度以降に係る防衛計画の大綱」でも使われている言葉だから言葉としては存在するけど使い方が合ってるかは知らん。
なおデータで言えば一般抑止は計量するのが難しいので何とも言えないが、明日にでも戦争が始まりそうな状態から戦争をやめさせるという緊急抑止については統計分析が存在する。当然9条のデータなんて存在しないのだが、軍事同盟については緊急抑止についてのデータが存在する。代表例はHuthの研究なのだが何と相関関係はマイナスである…。まあこれは選択問題とか色々な理由で一般抑止はあるんじゃねっていうのは言われている。データで証明できてないじゃんwwお気持ち乙wwという世界ではないからね。
それ自体はどうでも良いのだが、同時に緊急抑止に関係あるのは長期の軍事力ではなく短期の軍事力だという分析結果もある(一般抑止は分らんが)。日本ではあまり聞かない議論なんだけど闇雲に軍事力軍事力言うよりその辺何が抑止に効果的なのかとかもうちょっと表で議論されてほしいんですけどね。
抑止とは、費用と危険が期待する結果を上回ると敵対者に思わせることにより、自分の利益に反する行動を敵対者にとらせないようにする努力である。したがって合理的敵対者に対してのみ働き得る機能である。
最後に1つだけ。引用した『軍事学入門』は軍事に詳しくリアリスト(国際政治学の学派の名前ではなく一般的な意味と同じ)であれば必ず通った書物だ(過言)。ちなみに自分は軍事通でもリアリストでもないダメ人間なのだが。読むと至極当然の抑止についての説明が書いてありますね?ところが最近の議論を見ているとこの当たり前の話を忘れてないか…という人がいる気もしないでもないのでここで紹介しておく。
もちろん「合理的」のニュアンスが難しいところだとは思うが。行動経済学が人間は非合理という話をした時、既存の経済学の「合理性」を拡張すれば対処できるものもあるよねって話になったりもしたんよね。その意味でこの「合理的」を「プーチンは戦争を起こす際に損得勘定もできないアホバカオタンコナス!だから軍事抑止力も意味ないんだ😭」って話にできるかは別の話。