はてなキーワード: ファンタジーとは
ということを最近とみに感じるようになった。
少なくとも、本当に最初に成人向けコンテンツに触れたあたりでは
まだそこまでこじれた性的指向はなかったと思う。
当時から触手やオークに女の子が襲われるシチュエーションは好きだったけど、
でも基本的にモンスターであまり意思がないので、単純にぬるぬるしてて
割と女の子も(手段はどうあれ)気持ちよさそうになるやつが好きだった。
けど歳を重ねるにつれて、どうやら自分は社会の底辺なんだということに
薄々気が付きはじめた。何をしてもどんくさくて笑われるし疎外される。
みんな愛想笑いしてるが、本心ではこんなゴミと一緒に居たくないと思ってるのだろうなと
そういうことがようやくわかるようになったあたりで、
攻め役が人権を剥奪して罵倒し暴行まがいの行為をする話に興奮するようになった。
あれこれ作中で顔なし主人公が褒めそやされてもまったく感情移入できない。
たんなるフィクションだとはっきりわかる。
ラブラブなイケメンと美女がエッチしてるのはそれはそれでいいなと感じられるし、
ある程度は興奮もする。まあ普通に絵がよければヌける。
でも罵倒されて豚以下の扱いになる話の方が十倍くらい興奮する。
肯定された気分になるのだ。人間捨てて獣みたいに這いつくばって
喋んな動物らしく鳴いてろみたいな話も、
もう一生懸命考えて口に出した言葉でみんなが変な空気になることもないと思えば
嘲笑はされるけど、それは頑張った結果嘲笑されてるわけじゃない。
そのままバカをやってバカだと笑われるだけだ。裏切りはそこにない。
頑張れやればできるなんてまったく思ってもいない言葉を吐かれて
結果できないやつだと笑われるよりよほど単純明快、わかりやすくていい。
周りは何も求めてない。クズがみじめに踊ってれば笑える。それで十分だ。
もちろん、実際にそういう行為をやりたいわけではないし、
当たり前だが痴漢も拉致監禁強姦も違法薬物も全部犯罪だしやる奴が100%悪い。
うんこしか食えなくてもケツからアルコール注がれても死なないしね。
頑張れ前向きに生きろ努力して偉くなれなんて誰も言わない。
作品名は伏せるが、配信サイトで全話ビンジウォッチング推奨している某ダークファンタジースプラッターアニメ(今期アニメ)のスマホゲーム。
漫然とやりたいし事前登録しようかなと考えていたけどフォントがフリーフォントだったのでけっこう萎えた。
前もファンタジスタドールのスマホゲームで平成角ゴシックとか使いまくっていて萎えた記憶がある。
フォントはモリサワとかフォントワークスのようなプロユースのじゃないと3ヶ月ぐらいでサ終しそうな気がする。
読めればそれでいいという人もいるだろうけど(むしろそういう人が大多数だと思う)、個人的にはゲームのフォントにももうちょっとこだわってほしかった。
まあ深夜帯のアニメは1クールで使い捨てみたいな感じになっているし、放送終了後早期に撤退する線も考えられる。
商売として割り切ればそれまでだけど、作品を好きになった人の気持ちを踏みにじるような真似でもあるし首をかしげる。
当方ダークファンタジー系は苦手だが(基本日常系しか見ない)、同作も食わず嫌いで見てなかったが、アニメ自体は意外と面白い。ゴア描写も多いが個人的にはそんなに気にならなかった。
たとえ敵同士であっても、登場人物同士の百合カップリングにも言及する人がいて意外だった。
あと7~8年ぐらい前に放送されていたカルト的人気を誇る某アニメと制作会社や監督が一緒だった。件のカルト的人気のアニメは自分も好きである。
カップルでキャッキャしながら街歩いてる人間、これまでは許され・羨ましがられていたが今後は違うぞ
お前たちは感染拡大防止意識の低い人間の屑、社会のゴミ、犬以下の畜生ということになる
社会が変わるぞ 2年閉じこもるうちにロマンチックラブイデオロギーは衰えて死に絶える 正直引きこもって自分に都合がいい恋愛ファンタジーでも見てたほうがいいよね その本音が溢れ出すことになる
男も女も生身の付き合いなんて本当は求めてなかったんだ 求めてることになってるし、生身の交際相手がいると偉いっていう価値観をガキの頃から刷り込まれ続けるからそう思ってただけ それがこれからの外出自粛で剥がれていく
カップルはもはや羨ましいものではなくなる 奇特な人、変な趣味、時代遅れの不良 そんな扱いになる
日本の夜明けは近いぜよ
ツイッターのRTで絶賛されて回ってきたこちら → https://anond.hatelabo.jp/20200405130053
フォロワーには言い出しにくいからここで言うけどほぼ間違いなく嘘の婚活創作でしょこれ。
主人公のキャラクターだけは事実で後全部嘘。こどおじのオナニー臭さが半端ない。
婚活なのに現実的な結婚生活のすり合わせがゼロで中高生レベルの貧困な恋愛だけで完結してるのもそうだし
何より
全キモオタ男性が発狂するほど大嫌いな「女に受け入れてもらうために努力する」の真逆を全力で行く、
「ありのままの気持ち悪いセクハラデブの俺を最初から好感度MAXで受け入れてくれるチョロヒロインのためなら俺も本気出してやらなくもないかなっ♡」
即対価が得られなくても地道な努力から初めてみるとかギブアンドテイクとかじゃなくて、欲しいものを過剰に先払いしてくれて200%もう俺にメロメロで関係性の優位を確信できる状態じゃないとやる気が出ないという幼稚な甘えた根性が痛すぎるよ。
案の定具体的な努力シーンをすっ飛ばして一言50キロ痩せたとだけ書いてフィニッシュしてるし、なろう小説以下じゃん。
画面の前の40歳こどおじは120キロ以上でブヒブヒシコりながら射精してるよこれは。
少女漫画のように前向きで希望に満ちた大人世界への憧れで書かれてるんじゃなくて、
「現実女ッ!現実女に好いてもらうための努力ッ!デートマナーッ!歳相応の大人の振る舞いッ!結婚生活ッ!嫌い嫌い嫌い憎い憎い憎いボクしゃん全部大嫌いだもおおおおおん!!」
というキモオタの怨念とか怠惰な願望が何より前面に出て突出してて、彼の憎むもの全部引き算して残った都合の良いきしょい幼稚な願望だけで出来てるだから哀れで哀しいんだ。
○ご飯
朝食:ハンバーガー。昼食:オクラと玉ねぎと卵と納豆炒めが具の焼うどん。夕食:タマネギ、人参、トマト、ウインナーのスープ。パン。チーズ。
○調子
むきゅーはややー。
ただ心の方はなんとか前向きになれたけど、身体の方はまだまだみたいで今度は遊び疲れでへちょりん。
まず、ワーフリの世界を巡るという設定に基づいて搭乗した、新しい「企業が支配する世界」が面白い。
メインクエスト5章機人の惑星と被ってね? と思ったのですが、企業が支配する世界はあくまで「人」のエピソードで、生まれた意味がある機人たちと違い、生まれた意味がないからこそ自由を求める展開でだいぶ味が違っていた。
繰り返された自由というフレーズは、ステラとアイクにも通ずる箇所があり、だからこそステラはバレッタの空が見たいという欲求に食い付いたんでしょう。
たびたび繰り返される「自由の弾丸」というフレーズも、自由に弾丸という言葉をくっつけてうまくこの世界を説明していてとても好き。
そんな自由を求めるバレッタと、そんな自由に羽撃く心ごと包もうとするラヴのすれ違いは、世界観における思想の対峙であるのはもちろんなんだけど、バディものとして友情もののストーリーとしても可愛かった。
女性二人なので百合という解釈もそりゃまあ出来るのだけど、バレッタもラヴも百合百合できるほどに自由じゃないからこその物語なので、百合百合する続編が見てみたいなあ。
そんなバレッタとラヴ、二人の「受け止めてみろ、相棒」という思いが重なるシーンはとてもとても熱く熱く滾った。
この世界観の面白さとキャラの魅力をバッチリ支えるのが、ドット絵キャラの演技。
特に開幕の高いビルから飛び降りタイトルが出てくるところで一気に世界観に引き込まれた。
またこの演技をラストでは二人でするという構図も、ベタといえばベタですが、ベタだけに滾った。
相当に労力がかかってるのはわかるだけに、このクオリティを連発できるならマジですごいと思う。
イベントの箱開け。10箱開けて満足。いやちゃんと20開けろよって話かもだけど、時間なかった。
それと今更ながらコスモス剣の4凸を作った。光はもちろんとして、火のオッケ編成もそろそろ形にしていきたいので。
外来語が本来と違う品詞として使われてるパターン、絶対たくさんあると思うんだけどどうも思いつかない
「ファンタジーの形容詞はファンタジックじゃなくてファンタスティック」っていうのはちょっと違うしな…
「
言わんとすることは解るし、実際そのへん適当な作品も多いけどハリーポッターに関しては違う。
あの世界はそもそも人類のほぼすべてが非魔法族(マグル)で、魔法族は隠れて過ごさないといけないくらい少数だから専用の家屋や道具を作るほどじゃない。
極少数の純血主義者を除いてほとんどの魔法族はマグルの生活様式に溶け込んで暮らそうとしている。だからフライパンに取っ手がついていたり、階段があるのはおかしくない。
基本的に既存の文化や生活様式をファンタジー的要素と両立させようとしたらこのように「魔法はごく一部の人にしか使えない」とするしかないと思う。
SFの世界観、というのがその通りで、そういう楽しさのことを、一般的にセンスオブワンダーって呼んでいると思う。
別に科学に依拠していない世界でもセンスオブワンダーはあるってこと。
ハリーポッターとか冒険してないときは割とそっち寄りだよね。チョコレートのカエルが動くシーン楽しすぎでしょ。新作の動物学者のやつはほぼずっとそれ。
ただまあ、SFでもそうだけど、センスオブワンダーに依拠した作品を書くってのは作者の手間のほうが大変なんだよな。なかなかないのも無理もない。
でも同時に、手間を乗り越えた描写が一回されたらその描写がジャンル全体に広まる傾向もあってさ。宇宙人が必ずしもヒト型ではないとか、今のSFだと普通じゃん。似た感じで、取っ手のないフライパンのアイデア、どっかで名作ファンタジーが採用したらそのまま一般化すると思うよ。
三月二十四日(火)
今日は頭痛にならなかったのでよかった。ただ、仕事中に同僚から声をかけらえることが多く、ついぞんざいな対応をしてしまった気がしたので、あとで少しフォローを入れておいた。というか、いつもよりも丁寧に接した(つもりだ)。
帰宅すると思った通りに妹がいない。妹はコロナウイルスのためにテレワークを導入しているのだが、職場まで遠いので普段はそれなりの距離を歩いている。一日に七千歩ほどだそうだ。その分がなくなって運動不足になることを嫌がり、朝はジョギング、夕方にはテニスをしている。それだけの元気が一体どこから来るのか、自分にはよくわからない。自分だったらきっと本を読んで過ごすことだろう。
休みに行く美術館を昨日いろいろと検討したが、ツイッターで出てきた広告によればバンクシーが近所に来るらしいので、そこがいいかもしれない。九月まで開催しているとのことだが、早めにいかないと混むのが目に見えている。しかもチケット制だから、どんどん予約が取りにくくなるはずだ。できたらここ二三週間のうちに行きたい。bunkamuraのほうは金曜日に仕事帰りに行けばいいだろう。エゴ・オブスクラは六月までやっている。焦ることはない。
それよりも、オリンピック延期に伴って、また美術館側が判断を慎重にしてしまい、一度開いた美術館を閉めてしまうのではないかということが心配だ。そういうことも考えられるので、できたら今週の土日に二か所くらいは足を運んでおきたい。で、バンクシーは横浜なので、帰りに有隣堂に寄ってハヤカワSFコンテストや新潮ファンタジー大賞の受賞作、それから漫画を数冊購入することにしよう。久しぶりに図書館を使わずに済ませる。それから、ふとベトナム料理が食べたくなってきたのだが、これは金曜日の仕事帰りに行けばいいだろう。
しかし、これだけ大ごとになってくると、風俗に行く気も萎えてくる。客観的に見てリスクは非常に低いと思うのだが(性病のほうがよほど危険だ)、単純にやる気がなくなってくる。いや、そもそも道徳的に行くべきではないと判断している自分がいて、だから金曜日の帰りは美術館に寄ろうと決断している面もある。そのあとにバニーガールバーかおっぱぶくらいには寄ってしまうかもしれないが(いや、さすがにそんなことはあるまい……)。あとはウイルス潜伏させたまま、祖父母に会って感染させたりしようものなら、とんでもない罪悪感があるだろう。
あと、当分海外は無理だろう。特に欧米方面は人種差別問題がある。不確実な状況が続く中で、犯人探しをしてしまう心理というのは誰にでもあるものだが、わざわざ心がすさんでいるところに足を運ぶこともあるまい。平時であっても、自分が旅行した時は街の人々は概して親切であったが、失礼な態度を取る人間はゼロではなかった。そういう目に合うのも社会勉強なので、いい経験にはなったのだが、留学中の後輩はさぞ大変な思いをしているのだろう。
今日の夜のティータイムはアーモンドクッキーともなか、それからミルクティ。
それにしても、ここで日記を書くの、いつまで続けるんだろう。小説が書けなくなったのでその気晴らしにいいのだが。