はてなキーワード: トントンとは
「できる人から辞めてく」ってほんとなんだなあってみてる。
残ってる人も「他にマッチする条件がないから仕方なく」でしかなくて、評価や待遇に納得してたり好きで残ってるわけではなさそう。(全員が全員とはいわないけど)
それで組織として対策取ってるのかというと、なんか(自分らにとって)都合のいい頓珍漢なことしか言ってねーなって感じで辟易。
正直立て直すとしたら上のやつらのクビ全部飛ばすくらいじゃないと期待感なくて、まあそれは現実的に無理だろうけど、転職って「上のやつらにNoをつきつける」って側面もあるからまあそういうことなんかなみたいな。
逆に消耗してうんざりしてる従業員全部切ってウォンテッドリーで補充でもすりゃいいんじゃないのって思ってる。
なんとかミートアップみたいなのには人集まってるみたいだし釣れるでしょ。
しらんけど。
元増田です。
この枝の議論は自分にとってとても大切な観点が書かれていたのでここメインで書き込みます。
横増田の方はかなり私の考え方に寄り添って書いていただきました。
またその方とやりとりしている方も「ファスナーは常に閉めるべき状態なのだ」と考えるあり方を提示されており、私のこだわりに添いつつ新しい考え方をもたらしてくれました。
この枝のさらに枝の増田さんが書いている、何か事態が起こった場合に反省して切り替えていくという姿勢は私のような人間には極めて重要です。
人の意見を素直に受け止めないと苦手なものは一生そのままになってしまう。何が苦手かはおそらく元の文章読んだ方ならなんとなくわかるかと思います。
私は例えば人より0.7倍スキル習得速度、物事への認知速度が遅いとしても、その分できないかもしれないけど頑張って、人より劣るけれどもスキルに経験値入れ続けることは大切だと思っています。自分のやってることに半分自信があり半分は全くないので、冗談ぽく周囲に話して、それでちょっとずつ直したり考え直したりしてます。
元の増田もそんな気持ちで議論になりそうなこだわりをヤバそうなものから共感を得られそうなものまでグラデーションでピックアップして書きました。
ということで、お皿はもう少しちゃんとやってみようと思います。
もう少し、と書いたのはいきなり完璧にやろうとすると失敗するからです。
これについてはhttps://anond.hatelabo.jp/20200116111422の指摘があたります。
これは完全に私の書き方が不十分で申し訳なかったのですが、元増田で「必要以上に」と書いてある通り除雪はします。私はかなりちゃんとやる方で、ネットの積雪予報と自分の睡眠時間を考えて、時間を定めて適切な範囲で除雪します。融雪の時期は当然朝晩の融解と氷結を見越して除雪しています。変なタイミングでちょこちょこ除雪したり、大した積雪でないのに除雪機出したり、そういうのはよくないと思うのです。田舎だとマンションの管理会社が建設業で、ユンボで除雪してもらえるのですが、その時に自家用車が駐車場にあると除雪に支障をきたすので、来そうな場合は出かける用事を作ります。一軒家の場合はお隣の除雪ペースを心に留めて動きます。
あれこれ理由をつけているだけで、自分のだらしなさを正当化しているという指摘が結構ありました。
その通りです。ただそれはいけないことなのでしょうか? ちょっと言葉は強いですがhttps://anond.hatelabo.jp/20200116133818の意見に近いです。
で、日常のいろいろなことに過度に囚われず、思考したり実践したり、あるいはだらだら休み増田も書く。動静どっちもやる。
ただし、人の意見をしっかりきいてこだわりを相対化するのは大切。
こんな人間なのでお察しかもですが小学校から中学校の時代はかなりいじめというか孤立しましたが、中学2年生の時以来つるんでくれるメンバーがいて、とっても、助かりました。そのメンバー達のおかげでこだわりの相対化へのこだわりが始まりました。
消しゴムを拾わないのは、その時間は書いたり黒板見たり集中して物事を覚える時間だからです。
物を覚えているのに消しゴムを拾うと物を覚えられない。テストで点数取れません。
誤字をすると、物を覚えるのは一時中断します。そして消しゴムの出番です。
席変えの際に周囲に説明して、俺のは拾わなくていいということを伝えるようにしてました。
なお私は上半身を前後させながら授業を聞くと覚えが体感1.8倍くらい(2倍行かないくらい)よくなります。
ただこれをあまりにひどくしすぎると周りの人に迷惑なので、その感覚をより小さな動作で得られるように中学生くらいからしています。
ちょっとだけ貧乏ゆすりする、あるいはつま先をゆっくりトントンする、左手を鼻筋に当てる、ペン回しをする(はじめ右手でやっていたのですが右手でやるとノートに差し障りが出るので、左手でペン回しすることにしています)などです。
自分でもこれヤバイと思うのですが、良い成績取るためには仕方がない。あるいは学会発表とかで論旨を掴むためには仕方がない。消しゴムもこれとおんなじです。
枝増田にあった指摘で、傘もささなそうというものがありました。
ご指摘の通りで、過度の雨(濡れすぎて外出先や職場に迷惑になる時)以外は差しません。お分かりかと思うのですが、傘は雨が止むと差さなくなるからです。
小雨の時はもちろんささないのですが、常に傘は持っています。なぜなら本降りになるかもしれないからです。
雨降ってるのに傘ささないで持って移動していることが多いです。
かなりそう思います。恋人の家でご飯作るときとかは実践の場で、自分のおかしなところを修正していく良い機会だと思いながら、ちょっとずつ自分の変なところを説明したり出したり、そして直したりしながら、かつ楽しくデートするようにしています。
ブコメありました。とってもかっこよく言うとそうだと思います。自分の性分は、性分ゆえに理由なくそうであると自信がある一方で、子供の頃から否定され続けてきたので全く自信がない。ただ修正しながらやってきて自分の性分を生かせる仕事しているだけ。アンビバレントに割り切っています。
じゃーおめー肩叩いてトントンって音でんのかよ
ベッドに入って眠ろうとすると、会いたくもない連中が思い出したくもない場面を再現するから気分が悪い。あの時できなかったことや言えなかったことがあったけど、今度はああしてやろうとか、こう言い返してやれとか考えて、その完成度を高めたり、有効かどうかの確認をしたりして、どうにか気分をすっきりさせようとする。だけど、もう過ぎたこと。変えられないんだから、今さらやっても意味は無い。同じことなんて起きない。次なんてないって、冷静な自分が冷や水をぶっかけてくるから、ますます気分が悪くなって眠れない。
そういうときは布団をはいで、時間を確認して、それから気持ちを切り替えるため、リビングへ行くことにしている。温かいお湯を飲みながら、やかましくないテレビをぼうっと見て、苛立った気分が大人しくなるのを一人で待つ。そのつもりでリビングへ行くと、既に母がいて、こたつに入って、テレビを見ていた。母の「眠れないの?」の問いに「そう」と答えて、二人してEテレのドキュメンタリーを見たりして、気分が落ち着くまでリビングで過ごした。
翌日、昨晩の話題になって、母に体調を心配された。申し訳なかった。適応障害になって、退職して、実家に戻ってからずっと心配をかけてしまっているから。
必要とされる人になりたくて仕事に就いたけれど、実際は上司に怒られてばかりで、「薄情者。」「程度が知れるな。」「お前が人生でやってきたことは、何一つこの仕事に生かせない。」等々言われ放題で、職員からはもちろん施設利用者からもその家族からも他機関の人々からも関わる人々全員から役立たずと思われていたに違いない。だから世の中に自分の居場所はないと思った。職場の周りには高い建物がいくつも建っていて、昼飯を買いに外へ出るたび、それらを見上げて、想像で自分の分身をベランダとか屋上とか、とにかく高いところに置いて、分身を落としていた。そうすると少し気持ちが落ち着いた。それでもダメなときはこみあがってしまって、トイレや外で嘔吐した。だから昼食を食べることを止めた。でも吐き気は変わらずあったから、空ゲロを繰り返した。そのうち涙もこみあがるようになった。今までなら耐えられた業務上の圧力。それは毎日のことだから当たり前に押し寄せてきたけど、そのときは堪らなくなって、涙がこみあがり、溢れる前に建物を出た。できるだけ悟られないようにしたけれど、どうだったのだろう。それから涙腺がバカになったみたいで、毎日涙が溢れてしまい、その週の終わりから休職が始まった。
半年経ち、休職の期限を迎え、退職することを選んだ。その旨を伝えるため、理事長と話したとき、話の流れから少し前に就職希望で面接に来た人についての話になった。
「この間、面接にきたのは、履歴書見たらころころ仕事を変えてて、(胸を指でトントンしながら)ここやってるわけだ。ここにある自分の考え方の問題を解決しないで、職場を変えれば問題が解決すると思ってる。そうじゃない。お前みたいに精神やって休職する奴は、また元の職場に戻れば良いんだよ。そうすれば仕事が続くのにな。」
そう話す理事長は、これから離れる元職員へ向けて、はなむけの言葉をくれてやる良い上司だろう、俺。みたいな笑顔だった。だけど俺の気持ちは励まされなかった。休職の半年間、職場に戻れる気はまったく感じられなかったが、戻らない選択をしたことで、この先、お前の未来は真っ暗だと告げられたようで、とても不安になった。退職の意思を告げるために職場へ行くくらいには回復したつもりだったが、その日からまた体調を崩した。
それで実家に戻った。布団に入ったり、風呂に入ったり、一人になったりすると、いつの間にか嫌な記憶に取りつかれている。
そんなわけで母は、眠れないでいた俺を心配してくれていた。しかし母もまた十数年にわたって鬱を患っているから、俺としては、母が昨晩リビングにいたことの方が心配だった。
こんなことってある?と母はぽつりぽつりと話しだした。
「今さらそれを言った人に『なんであんなこと言ったんだー!』って言いたいわけじゃない。」
「けど自分の嫌なところを言われて、それが言い返せないくらいその通りで」
「こういうのっておかしい?」と母に訊かれたから、「そういうことってあるよね」と答えた。
俺からも訊きたいことはあった。“誰から?”“どんな状況で?”“何を言われたの?”それらを訊こうか迷った。けど、なんのために?
聞いた上で、あーしたらいい、こーしたらいいなんて解決策でも提示しようっていうのか。それは本当に必要だろうか。話している相手がそれを欲してるとは思えなかった。何か言ってもうまくいくイメージは湧かなかった。それに話を聞いてほしいんだろうなとも感じた。逆の立場ならそうしてもらいたいし。そしてその上でできることを探した。同じ理由で眠れなかった俺にできることは、共感しかない。そう思って答えた。
だけど、怖さも感じていた。還暦をすぎてもこの苦しみを抱え続けていることは恐怖だった。俺が今抱えているものは、俺が母の年齢になっても抱え続け、怖れ、苛立ち、苦しむのだとわかってしまったから。若い頃に受けた苦しみの処理の仕方は、老いてもわからないまま。かといって苦しみのうまい抱え方も知らないから、耐えて、耐えて、死ぬまでやり過ごす。きっと俺もそうなるのだろう。これから先も嫌な記憶ばかりはっきり思い出され、リアルタイムで傷つけてくる。なのに幸せな記憶は、そのあったはずの幸福感が再生されず、過ぎ去ってしまったことの悲しさに取って代えられてしまう。
とても憂鬱だ。
しかし母は泣いていた。安心したら涙が出たそうだ。俺が共感したことに救われたと言って。
それから、もし父に言ったならば「いつまでもそんなことでうじうじしているんじゃない。そんなだから病気も良くならないんだ」と怒られてしまっていただろう、と。そして母の父親(俺にとっての祖父)であれば、口だけではなく、手も出てきたかもしれない、と話した。
彼らは己の価値基準で、相手の話に勝手に善悪の判断をつけ(それも語られる苦しみの背景も考えずに)、相手の苦しみに目を背け、見なかったことにしようとしてきた連中だ。周りがそんなだから母は疲れてしまうのだろう。
「あんたも病気で休んでるのに、こんなこと喋ってごめん。」と母に謝られた。そして「でも話を聞いてくれるのは、あんただけだよ。ありがとう。」と言われた。
ないと思ってた居場所は、実家にあると、今はそう感じている。家族にそれを感じられることは、恵まれているとも思うけれど、家族に甘えっぱなしの脛かじりな今の自分をみっともないと感じているから、このままではいけないとも思う。だから家の外に居場所を作りたい。それをやる体力気力は、まだないけれど。
AMD(Advanced Micro Devices)の創業者ジェリー・サンダース氏は『真の男はファブ(自社工場)を持つ』と言っている。
冗談のような口上で始めたが、実際問題として今の半導体業界で自社工場を持つというのは巨額のギャンブルだ。
2000年頃に導入された銅配線(180-130nmプロセス)以降、半導体の製造プロセスは『単純に縮小すればいい』というものではなくなり、
電子のトンネル効果によるリーク電流の増大対策(90-65nm)、HKMG(45-32nm)、FinFET(22-10nm)、SADPおよびSAQP(10-7nm)、EUV(7nm以降)、GAA(5nm以降?)といった新技術をその都度導入してきた。
当然ながらそれらの技術の開発と導入にも巨額の費用がかかるわけであり、その開発費用を払えずに多くの会社が脱落してきた。
7nmではとうとうGlobalFoundries(AMDの工場部門が分離された会社)が脱落することとなったし、脱落はしなかったものの“王者”インテルですら10nmへの移行では大きなもたつきがあった。(ので10nmは中継ぎですぐに7nmに移行するような計画になっている)
結果、ロジック周りの先端プロセスを利用できる会社はどんどん少なくなり、現在ではインテル以外では台湾のTSMCと韓国のサムスン電子くらいである。
Intelは一応ファウンダリー(製造委託)をやっているが基本的には自社設計のチップを作ることが中心で、つまりファブレスメーカーが最先端プロセスを使いたい場合はもはやTSMCとサムスンの2択といっていい。
そのような状態になるまで競争に生き残ってきたという点は素直に称賛に値すると思っている。
一方、サムスン電子はDRAMやフラッシュメモリ事業も行っている。
こちらの事業も2018年にはとんでもない価格高騰があった(結果、サムスン電子は2018年の半導体売上ランキングでインテルを抜いて首位となった)が、
それ以外の時期は概して製造プロセスの進化以上に価格下落が激しく(SSDやUSBメモリの価格容量比がどんどん安くなっていったことは皆さんも経験しただろう)、特にDRAMはほとんどの時期で利益はトントンか赤字だったと思われる。
こちらは結局のところ他の会社が脱落するまで我慢するチキンゲーム状態だったわけであり、それを生き残ってきたという事実は称賛に値する。
中国は国家的にこの市場も狙っているようだが米中貿易摩擦などの政治的リスクもある。
もちろん台湾(対中国)や韓国(対北朝鮮)も政治的リスクを抱えているわけであり、これ以上どこかによる寡占が進むという状況は競争的にも地政学的リスクの観点からも良くはない。
その意味で、韓国への好き嫌いはともかくとして、サムスン電子はそこまで嫌いではないというのが一人のウォッチャーの感想である。
【日本大会中止に見るONEにおける現状の日本の位置に関して思う事1】
https://anond.hatelabo.jp/20191213200434
【日本大会中止に見るONEにおける現状の日本の位置に関して思う事2】
https://anond.hatelabo.jp/20191213200448
(つづき)
そういういろんなことが原因で
試合間隔が長くなりすぎて
流れがいちいち途切れるのである
ある程度実績があり完成されている選手はそれでもまだいい
せめて年に3~4試合はしたい
成長度合いが手に取るようにわかり
見ている方も面白く興味を持って見続けられる
時間が空きすぎて毎度単発試合感で成長の度合いがよくわからない
まだ全てを出せていないし全ての局面を見れていないので
本人も自分の実力を測りかねている
このままでは彼女の成長が遅れる
気が付いたら大して試合もしていないのに歳だけ取っていた
この一番の伸び盛りなのに
甘い汁を吸おうと集まってきたものの
これからだよ
あせりなさんな」
そんな声も聞こえてきそうだが
そんな呑気なこと言っていて大丈夫ですか?
チャトリはしたたかなので面と向かって口にだしては言わないが
それが当たり前だと浮かれていたなら考えを改めなければならない
ONEがレベルの低い選手にも大枚をはたくのはあくまで投資だから
理想とか夢とかそんなきれいごとだけでONEが日本に近づいてきているわけではない
金が儲かるかどうかが全て
これを見ても分かるように
https://togetter.com/li/1441534
当初おいしい話ばかり並べていた大人たちが
全員ここにきて180度言うことが変わってきた
そして話が違うと詰め寄ると必ずこういうはずだ
https://twitter.com/Tribechonan/status/1114320999187509250
「格闘界は学校じゃねえんだぞ」
https://twitter.com/long_goodbye/status/1204092621552930816
こういう大人のやり方が正しいとは思わない
こいつら汚いと罵倒するのもいいだろう
だからこそもう一度しっかり考えてほしい
ONEに行けば簡単にお金がもらえて試合もできるわけではないということを
バブルははじけた
それ相応の見返りがONEにもないとこれまでのようなおいしい話はないのだと
市場という意味では日本はもう人口が減るだけなのでどうやっても価値はない
いろんな要素があって優劣が決められていく
だとしたら
選手たちのパフォーマンスの魅力でそれを上回るしかないのである
他の新興国よりもハンデがあるのだと肝に銘じておかなければならない
「日本人選手の試合は他の国の選手よりいつでも誰の試合でも面白いね
是非また見たい」
それは並大抵の努力ではできない
その覚悟と自覚がある選手だけがONEに参加する資格があるのだということを
他の日本人選手の足手まといになるので排除されなければならないということを
常に頭の中に入れておく必要がある
(おわり)
① オリシキを塗る分の幅だけ、エチュードハウスのペンシル型のアイシャドウで茶色く色をつける(オリシキを塗ったところは白っぽくなって浮いてしまうため)
②アイシャドウで色をつけた部分にオリシキを塗っていく(なるべくムラなく。最初は少量)
③乾かしてから、目頭のあたりなど形を整えながら重ね塗り(ガチャピンになってしまうので、二重幅を欲張りすぎない)
④皮膜が完全に乾き、目を細めたり瞬きしたりしても形が崩れないくらい安定したら、コットンで擦ってテカリを消す(商品説明には綿棒や指が良いと書いてあるがコットンの方がテカリが取れる)
⑤二重マットセラムを少量つけ、指でトントンと広げる(テカリがさらに消えるし、皮膜が柔らかくなり自然になる)
⑥まつげの根元近くの皮膜は白っぽく目立ってしまうことが多いので、こげ茶のアイライナーでまつげの根元をなぞる(ついでに目尻のアイラインも書く。3、4ミリ)
Twitterで飛び交っている「担降り」の言葉で思い出した。
ジャニーズではないが、自分が一番好きだったアーティストが結婚したときのこと。
自分にも長らく付き合っている恋人がいるけど、「彼」への愛と、恋人へのそれは違う。
どちらが大きいかと聞かれればまあトントンかなと答えられるけど、どちらがより色鮮やかな想いであるかで言えば断然前者だ。
恋人もそれを知っていて、半ば呆れ気味に話を聞いてくれるけど。
年齢差も10以上あるのだし、そもそも単なる一般人以下の私など彼に出会えるはずもない。
憧れとして見つめていた彼が誰かのものになるだけ。
恋人が、「君は彼が声をかけてくれさえすればいつでも僕を捨てる準備ができているのだろう。そのチャンスすら失ったら、それは悲しいに違いない」と言った。
そして、「そのうち彼は離婚するんじゃない?それまでは僕と付き合っててよ」とも。
本当に愛しているなら祝福すべき派と、本当に愛しているからこそ祝福できない派には越えられない溝がある。
私は、一度は祝福してみた。現在漏れ聞こえるところによると、私がかつて愛していた彼は結婚生活があまり上手くいっていないようだ。私もいい年齢なので、もはや出会うこともないわけだし、手放しで嬉しいとは思えなくなってしまったけどね。
そんな経験をもとに言わせてもらうなら、「担降り」すべきかどうかで胸を痛めるのなら、「結婚おめでとう。いつまでかわからないけどお幸せに。」そのくらいでいいんじゃないかな。
そう言うなら人はだれしも何某か「洗脳」されてるもんだよね。教育によって。
ここではジェンダーバイアスの例でいくけど、これが「洗脳」で「すべてが絶対に悪いもの」だとは俺は思わない。「男はこういう感じ」「女性はこういう感じ」みたいなものが、じゃあ本当にナンセンスなものなのかはちゃんと個別に考察すべきだと思うんだよね。実際そうであることが自然なのであれば、そういう傾向は別に口にしたって問題ないと思うんよ。「そういう傾向なんだから君たち女性はこうあれ!」とか、おかしな偏見の基につくられた「こういう感じ」が間違いなわけで。それに男性主導の歴史ってのはあったにしても、互いに思いやりを持つ人々はいたわけじゃん。みんなが好き勝手やってたわけじゃないでしょ。
例えば俺の感覚だけど、「女性には政治は分からない」ってのはおかしいと思う。学びによって普通に分かると思うし、今は単純に比率が男性多いことで「男性の意見」はどうしても納得しやすくなったり、逆に「女性であることが価値」みたいな選挙活動がまかり通ったりする。政治家なんて男女比1:1のがいいでしょ、だって大体1:1なんだから、地球の男女比が。お互いの気持ちはおもんぱかれても「そのままの気持ち」にはなれないんだからさ。
対して「女性とは子供に優しい傾向がある」ってのは正しさがあると思う。というのは子供を産む・授乳するって機能は女性にしかなくて、長く子供といることになるから当然愛着が湧きやすくなる。子供がいない人でも親はいるんだから、その親が女の子には未来の出産のことを考えて意識づけられた経験がある可能性が高くなる。そうすると相対的に女性は子供に優しくなるのは自然じゃないかと。そういう意味で、例えば保育士を(誰もそんなことは言っていないだろうが)無理に男女比1:1にする必要はないと思う、政治とは違って。別に自然なことであって、そこをトントンにする理由は別にないはず。
ただ、個々の人格は多数決とは全然別なので、「女性なのに子供に優しくないね」みたいな下げ方はおかしいと思う。女性にはそういう傾向はあるが、そうなきゃダメってわけじゃないでしょ、という。
なんだか「ジェンダーバイアス」とか「差別」とか、そういうのをラベル化して「イコール悪!あいつはこのラベルだ!イコール悪!!」みたいなのってそろそろやめないかなぁと思うんだよね。最初に「これって良くないよね」っていう事例があって、それはその通りなんだけど、そのうちそんなでもない例にまで「これも同じだ!」なんて波及して縛り付けていくのって、俺的にはむしろ悪だと思うんだよな。でもひとたび「いんふるえんさぁ」にラベル付けされたものを「それって悪くなくね?」なんて言おうものなら、すべての悪を許容する悪の一味!みたいにされちゃうのが。
ちなみに今俺は「いんふるえんさぁ」というラベル付けを敢行した。