そう言うなら人はだれしも何某か「洗脳」されてるもんだよね。教育によって。
ここではジェンダーバイアスの例でいくけど、これが「洗脳」で「すべてが絶対に悪いもの」だとは俺は思わない。「男はこういう感じ」「女性はこういう感じ」みたいなものが、じゃあ本当にナンセンスなものなのかはちゃんと個別に考察すべきだと思うんだよね。実際そうであることが自然なのであれば、そういう傾向は別に口にしたって問題ないと思うんよ。「そういう傾向なんだから君たち女性はこうあれ!」とか、おかしな偏見の基につくられた「こういう感じ」が間違いなわけで。それに男性主導の歴史ってのはあったにしても、互いに思いやりを持つ人々はいたわけじゃん。みんなが好き勝手やってたわけじゃないでしょ。
例えば俺の感覚だけど、「女性には政治は分からない」ってのはおかしいと思う。学びによって普通に分かると思うし、今は単純に比率が男性多いことで「男性の意見」はどうしても納得しやすくなったり、逆に「女性であることが価値」みたいな選挙活動がまかり通ったりする。政治家なんて男女比1:1のがいいでしょ、だって大体1:1なんだから、地球の男女比が。お互いの気持ちはおもんぱかれても「そのままの気持ち」にはなれないんだからさ。
対して「女性とは子供に優しい傾向がある」ってのは正しさがあると思う。というのは子供を産む・授乳するって機能は女性にしかなくて、長く子供といることになるから当然愛着が湧きやすくなる。子供がいない人でも親はいるんだから、その親が女の子には未来の出産のことを考えて意識づけられた経験がある可能性が高くなる。そうすると相対的に女性は子供に優しくなるのは自然じゃないかと。そういう意味で、例えば保育士を(誰もそんなことは言っていないだろうが)無理に男女比1:1にする必要はないと思う、政治とは違って。別に自然なことであって、そこをトントンにする理由は別にないはず。
ただ、個々の人格は多数決とは全然別なので、「女性なのに子供に優しくないね」みたいな下げ方はおかしいと思う。女性にはそういう傾向はあるが、そうなきゃダメってわけじゃないでしょ、という。
なんだか「ジェンダーバイアス」とか「差別」とか、そういうのをラベル化して「イコール悪!あいつはこのラベルだ!イコール悪!!」みたいなのってそろそろやめないかなぁと思うんだよね。最初に「これって良くないよね」っていう事例があって、それはその通りなんだけど、そのうちそんなでもない例にまで「これも同じだ!」なんて波及して縛り付けていくのって、俺的にはむしろ悪だと思うんだよな。でもひとたび「いんふるえんさぁ」にラベル付けされたものを「それって悪くなくね?」なんて言おうものなら、すべての悪を許容する悪の一味!みたいにされちゃうのが。
ちなみに今俺は「いんふるえんさぁ」というラベル付けを敢行した。