はてなキーワード: ちょっといい話とは
キャバクラヨガ呼ばわりされて憤ってるらしいが、色んな記事見てもキャバクラっぽいなぁという考えは変わらなかった。
一般的にキャバクラは性的サービスを提供しない。そういった店はセクキャバ、おっパブなどと呼ばれる。
ラッキースケベ的なハプニング目的の男性や、若くてかわいい子とお近づきになりたい男性を釣るような業態は
キャバクラのそれと似たようなもんだろと思う。違うのは酒の提供がないことぐらいじゃないのか。
キャバクラへの差別意識があるのはこの経営者自身じゃないのかと思う。
モデルやグラビアの子への収入を確保することへの支援、みたいなちょっといい話っぽく言ってるのも見たが
やってることは女衒に近いと思われても仕方ないのでは。
水商売じゃないからいいって?ああそうですか、水商売は賤業ですもんねっと。←言ってないけど
それにしても元モデルやらタレントやらが、男性釣る系の商売始めるってすげー多いよな。
そいつらにありがちな、自己顕示欲と小賢しさ、過去の同業者や男性を下に見るあの感じ、なんであんな感じになるかね。
それにしてもはてなーのピュアさよ、爆サイも知らんかったぐらいだもんな。さもありなん。
あとリテラは糞。
何が言いたいかと言うと、
この部分を読み落としている人が多すぎる。
ガワだけオッサンに変えて「正義の味方が悪人を懲らしめちゃうでござるぞ~~」「モテちゃってモテちゃって男はつらいよ~~」では意味がないんだ。
それは結局、「美男美女が青臭いことを言い合うだけで何だかアニメ以上にガキっぽい」の一種だ。
どうやらそれを伝えるにはコチラの言葉が足りなかったようだ。
反省している。
今の自分の表現力だと「現実にありふれているようなどうでもいい日常の、ちょっといい話やスカっとする出来事"ですらない"なにかをどこか魅力的に描き出してくれるような作品を味わいたい」が限界だ。
なんだか世の中の物語は、やたらと脚色されていてスカっとしたりホロりとしたりクスりと出来るような作りにしようと必死になりすぎているように思う。
①ちょっといい話(これ読んでほっこりしたー、明日も頑張ろう!と思える話。一般人のアカウントから発生すること多め)
②ライフハック、専門技術の裏ワザ(ためになる話、気付いてなかったけど超便利な機能の話はやっぱりシェアしたくなる)
③二者~四者択一できるタイプのあるあるトーク(私はこのタイプ!と人にアピールできるので内容云々はともかく拡散されやすい)
※④と⑤は圧倒的に上手い、万人受けするというわけじゃなければ運に左右されることも多々 フォロワーの多い人のツボにハマるのが最重要 また、二次創作の場合は原作の認知度によって分不相応なほど評価されたり、プロレベルに上手くても殆ど評価されないこともある(原作作風との相性、生息環境との相性もある)
⑥何かを批判したり好きだったものに冷めた話、世の中への恨み節(人の議論を生むのは必ず反対意見。批判されやすい意見は殴って良いサンドバッグ認定され拡散されやすい。また、同意する意見も同時に集めることとなる)
インターネットなんて基本的にはクソのふきだまりから有用な意見を拾う場。
その中で注目を浴びたいのなら、自分自身が圧倒的な力をつけるか、批評家になるかのどちらかだ。
圧倒的な力は大半の人にはない。だから、たまにバズったりすると「ちょっと待って、通知止まらない」なんてド素人の反応を恥ずかしげもなく言ってしまうし、お友達と「お前有名人じゃんwww」と盛り上がってしまう。(一番しょうもないのはその有名人のバズってる投稿にわざわざ「お前、有名人じゃんwww」と返信して自分こいつと友達でーす俺すごいっしょアピールする奴なんだけど)
投稿は面白くても上げ方がうざいなど色々と特徴はあるものの、こうやって分析していると、直接お金を得る手段としてSNSを宣伝の場に使ってる人以外は何を投稿するのも個人の自由だなと思うのだった。
『ソシャゲライター クオリアちゃん ―恋とシナリオと報酬を―』というラノベが出た。現役ソシャゲライターの下村氏による、ソシャゲ業界を舞台にしたラブコメ、というと。
ソシャゲ大好きなヒロインと、ヒロインに憧れる主人公が、時に苦難にぶちあたりつつも、ソシャゲへの愛と希望を胸に頑張る話……と思うだろうが、実のところは違う。ヒロインはソシャゲを愛していない。ソシャゲのシナリオライティングの参考になるといった感想が見られるが、ほとんど参考にならない。
こんなことを言うと、ひねくれたやつだと思われるかもしれないが、まぁ話を聞いて欲しい。
嫌な予感がしたのは、冒頭からだ。
ヒロインは仕事の際は、キャラに入るためにコスプレをするコスプレイヤーである。その両親もコスプレイヤーだったのだが、かつて真夏のコミケで暑苦しいコスプレを無理にやった結果、熱射病で死んだという設定が明かされる。
実際にそんなことがあったら、コミケの存続が危ぶまれる大危機である。少なくともコスプレ禁止か、または、大幅な規則改定がもたらされるだろう。警察も、コミケスタッフも、コスプレイヤーも巻き込んだ、大迷惑である。
ブラックな笑いとか、ギャグ強めの話とかならいいんだが、これが「自分のやりたいことをやりきった人達」の「ちょっといい話」として語られてるんだよね。
正直、ここで危ない、と、思った。
「クオリアちゃん」の作中に登場するソシャゲは、多くのヒロインがいて、共通ルート、ヒロイン個別ルート、ヒロイン別エンディングなどが存在する。主人公は、業界の先輩であるヒロインと共に、シナリオを書いていくのだが。
これは、PCやコンシュマーのギャルゲ((ノベルゲームとも。ソシャゲでもギャルを攻略する系のギャルゲは多いが、以下、ギャルゲと言った場合、パッケージソフトのものに限定する。))のフォーマットであって、今、主流の(例えば下村氏が担当しているチェインクロニクルなどの)ソシャゲのシナリオとは、まるっきりかけ離れている。
これの何が問題なのか?
たとえば、コンシュマーのギャルゲーの場合、お客はまずお金を払い、お金に見合う内容を求めるので、ある程度、じっくりプレイしてもらえることが前提になる。一方で、ソシャゲの場合、試しにダウンロードして、ちょっと遊んで、ほとんどはそのまま止めるのが普通である。じっくりプレイする意志のないお客さんを、どううまく引き留めて、プレイを続けさせ、課金に繋げるかが前提になる。
伏線を張り巡らせたストーリーで満足感を出すコンシュマーのギャルゲに対し、ソシャゲのシナリオは、短い独立したエピソードを増やして、キャラクターの魅力を立てる、といったものが多い。また、たいていのソシャゲはRPG的な戦闘・成長システムがあり、それとの兼ね合いもある。
ソシャゲのシナリオを面白くするには色々な方法論はあるが、つきつめていえば、「どうやって課金に結びつけるか」ということになる。だが、作中では、主人公達がシナリオを書いているソシャゲが、どんなゲームシステムで、どんな課金方式なのかがさっぱりわからない。
作中のヒロインも「ギャルゲだとこうする」「ギャルゲだとこうだが……」といったアドバイスに終始している。
そして、一番驚きの事実は、ヒロインが、ソシャゲをプレイしていないことだ。
そう、この作品において、ヒロインは、ソシャゲを全くプレイしていない。
ヒロインは、ソシャゲのライティングなどを専業にしているので、ド貧乏であり、携帯なんかとても持てないのだ(シナリオ作成・メール送受信は、両親の形見のPCでやっている)。
なので、自分が仕事しているソシャゲも、実際にプレイしてないし、ゲームシステムもよくわかってない。そんな人間が、作中で「ソシャゲのシナリオの書き方」を教えているのである。
正直、作者の正気を疑う。
本作のヒロインが、なぜ、ソシャゲのライターをしているか。きっかけは、両親がギャルゲーマーで、両親のPCで、そうしたゲームに触れたから、というものだった。ソシャゲとの出会い、ソシャゲをプレイした感動などの描写は……特にない。
ギャルゲ好きの両親に育てられたギャルゲ好きのヒロインが、ギャルゲの文法で、ソシャゲを書いている(事実、主人公に教えたシナリオの書き方は、両親が言っていたギャルゲのテクニックだと明かされる)。
一体、なんでこんなことになってしまったのか。
ソシャゲというのは、まだ出来て日が浅い。故に生粋のソシャゲライターというのは、まだほとんどいないはずである。たいていは、他の業界からの出向組、特にギャルゲ出身のライターは多い。で、こうしたギャルゲ関係者の中には、ソシャゲを、ボリュームが少なく、内容の薄い、くだらないものだと見下しがちな部分がある。
本作も、そういう世界観の中で書かれているとすると、残念ながら非常に辻褄が合う。
業界話をさっぴいて、一冊のラノベとして見た場合も、本作の面白い点は山のようにあるのだが(無駄に異能力がいっぱい出てくるとか)、それは、他の人に譲る。
興味があったら手にとってほしい。
まだ個人情報とかにうるさくなかった頃の、某業界の大規模プロジェクトのお話。
年末年始にあたり、何かあったときに連絡が取れるよう、協力会社の責任者(=会議参加者)の電話番号を書いた一覧表が、プロジェクトリーダーから配られた。
そのとき、
「おいおい、この連絡先じゃ困るよ」
という声が上がった。
「この番号、別れた嫁さんとこの番号だから、ここにかけてもオレは出られないよ」
とのことだった。
それが1人や2人ではない。
「あーオレのもだ」
「ウチもだよ」
あちこちからそんな声が聞こえた。
ちなみにその業界のというより、とある業種のお客さん相手のプロジェクトでは、今でも週2・3回しか帰らない人が結構いる。
誤解を恐れずにいえば、もともと「宗教」に疑問を抱いている立場でした。
ただでさえ触れる機会が少ない上に、
「TVで知った、ちょっといい話」説教を連続して聞く体験に遭遇しました。
残念を通り越して、
「大切な人の死の前で、何をこんな話に有り難がるのか。」
という完全な不信感でした。
「オウム事件で日本人と宗教の関係は50年分後進した」と言われている通り、
事件をきっかけに、多くの日本人は「宗教」を忌避するようになったと感じます。
しかし、世界では宗教に帰依していない人の割合は半分以下、すなわちマイノリティなのです。
宗教について知らないままで、いいのだろうか。
例えば、ISのテロの問題、宗教法人税、トランプ氏の排他的発言…
知らないでは済まないのではないだろうかという思い。
例えば、以前TEDで京都のお坊さんが「日本人の宗教観」について話された際、
『クリスマスを祝い、除夜の鐘を聞き、神社へ初詣をする日本人の宗教観は、
宗教上の問題で争いが絶えない世界に対し、我々の宗教観を発信していく必要性がある』
これらを通して、
車座で三者が談笑してもらいながら相違点を理解したい、と思い、
「へぇ!そうだったのかぁ!?」とトリビア的喜びを感じて欲しい。
先の収録ではお墓に関する相談に対して、
葬儀を盛大に、は元々やらなかった事。
宗教によって違う事や、宗教は違えど同じ事に驚き…楽しかった。
そんな話を、お悩みのお答えと共に繰り広げる…。
https://www.youtube.com/watch?v=8zCMrao66EY
そんなプログラム…是非お楽しみあれ。
金曜の夜のこと。週末独特の皆が逸る気持ちを押し殺すような空気の中で昭和通りを秋葉原から草加方面に走らせていたんだ。
ちょうど上野駅前の交差点に差し掛かった時、車道に人が倒れているのが目に入った。
はっきりとした原因はわからないのだが、自転車とともに道路に倒れこみなかなか起き上がれないでいる様子だった。
上野駅前の交差点といえば、手前まで続く路駐が原因で実質2車線に限られていたところから、ゆるやかなカーブを描きつつ3方向に向かって突然車線が開けるために、流れ方次第では結構な速度で車線変更を強いられる難しい交差点だ。
やっかいなのは交差点を少し進んだ先にある右折専用車線で、道を知らないドライバーが無理やり車線変更をしてくるような場所でもあり走っている方としてはかなり神経を使う場所なのだ。
どんなドライバーたちの神経がピリピリと高まるような場所で、その人は上野公園に向かう左折車線の左から2番目に倒れこんでいた。
その時の信号は赤で、倒れている人の前には一台の車が止まっていた。倒れている位置がその車の真後ろであったため、その車にぶつかったとは考えづらい。
ドラマにもよく使われるような大きな歩道橋を持つこの交差点は車道を無理やり横断する自転車が少なくない。
恐らくは左折車線を横切って横断しようとしたところを、黄色信号に飛び込んできた左折車に後輪をぶつけられるかしたのではないだろうか。
倒れた人にいち早く気付いたのは自分で、後続車に轢かれてしまわぬようまずは倒れている人の後ろに車を止めてハザードをつけた。
それとほぼ同時に前に停まる車数台から人が降りてきて、あれよあれよと倒れた人を具合を気遣いながら自転車と一緒に安全な場所へと退避させてしまった。
そのうち一人は既に携帯電話を片手に通話を始めていて、おそらくはどこかに通報していたのだろう。それはつまりこれから先の数時間をここで過ごすことを意味しているのだ。
皆スーツや作業服を着ていて、恐らくはすぐにでも家に帰りたい気持ちでいっぱいに違いないのに。
あまりの手際の良さに、道のど真ん中を塞ぐように停まっていた自分は役目を終えたようにその場を後にすることしかできなかった。
時間で言えば信号が赤から青に変わるまでの間だったのだから、ほんとうに一瞬の出来事だったのだろう。
東京のどまんなかで実に東京らしい速度で処理される心温まる瞬間に出会えたような気がして、なんだか得した気分になってしまった。
つい先日、YOUTUBEで”ロシアの優しい運転手”という動画を見た。
老人が横断できずに困っているところを車を降りて手伝ってやったり、雪で立ち往生している車を牽引して助けてやったりするようなシーンが集められた動画だ。
感動的なコメントが寄せられる中、ロシアでそういう場面が多いのは単純に交通整備が遅れているからじゃないかと素直に受け入れられない自分がいたんだ。
しかも気になったのは、大体が助ける側の車載カメラの映像だったということだ。
日本にだって心優しいドライバーが沢山いてだけどわざわざ自慢するように動画を共有したりはしないはずだと、モヤモヤするような気持ちをひきずっていた中での出来事だったので本当に誇らしく思えてしまった。
年も明けてしばらく経ったから思い立って書く事にした。
依頼が来たら当たり障りないコメントと依頼された評価を
「それっぽく」みせたり、もちろん低評価を大漁投下する事もあった。
で、辞めた(というか切られた)きっかけは昨年の初夏。
ある作品の高評価水増しの依頼をいつも通り受けて、適当に投稿してたんだけど、
いつもとは様子が違った。
総合評価ががた落ちになった。
依頼主の方では低評価が多い事は予想していて、予め対策を用意してた。
投下して、タイミング見計らってそれをネット上で話題にする(方法はしらん)。
で、それに火がついた辺りで連絡もらって追加したアカウントで援護射撃的に
高評価レビューを投下していった。
それでも、低評価の方が圧倒的に多かった。
仕方が無いので、低評価レビューが投稿されたらそれを順次相殺する形で
高評価レビューを投下する、といういたちごっこ戦法に切り替えた。
そんな状態が2ヶ月近く続いて、なんとか拮抗状態までは持っていけたけど、
もう完璧に足が出てた(俺が)。
依頼主に追加報酬を請求したら、それ以来連絡が来なくなった。
腹が立って腹が立ってしょうがないんだけど、
筋は通しておきたいので作品名は伏せておく。
だけど、見る人が見れば一発でばれるだろうな。
はてぶ、twitterもFBも、もろもろの事象に関する反応数が加速度的に増えるにつれて
反応の内容(たとえばブコメ)が過激になってくる
この現象が、もう、すんごく気持ち悪い
反応数の急激な増加は、まぁインターネッツの宿命だからしょうがないんだろうけど
反応の内容が段々おかしなことになるのは、どんな心理なんだろうな
ちょっといい話が、FBだと涙腺決壊感動巨編へ、ブコメだと超☆社会派いい子ちゃんブコメの嵐になったり
ちょっと間違っただけのブログが、ブコメだと正義厨の罵倒の嵐になったり
まぁはてブのコミュニティが、正義面とか偽平等テイスト満載の酷さだってのは言わずもがなだけど
正義とか平等が「暴走」するのって、あまり見てて気持ちの良いもんじゃないんだなーと
ヒーローハーツは予想通り、パワーアップしたはずのヒロインがボコられる。
つーか、著者のバトル漫画のパターンて「攻撃だー」「ぐふ。ならこっちはもっと強い攻撃だー」「げふ。ならそれよりもっと強い攻撃だ」「ごふ。ならさらにその上を行く攻撃だー」・・・っていうのが一話ごとに進んでいくのが多い気がする。
テンポが良いと言えるかもしれないけど、ワンパターンとも言える。
つーか、この作品、なんであんなにランキング上位なのか分からん。
コメント見る限り、原作があったみたいだけど、初見の自分からしたら全く意味分からん。
今のところ自分の中では「グロ、鬱、理不尽」ってだけの低評価作品。
ついでに他の作品についても。
ヒト喰イ
展開が遅いけど、画は良い。
設定がきちんと練られているか、それが作中で示されるかで、評価は上にも下にも。
ゼクレアトル
一発モノのメタ漫画→メタ漫画を利用した著者の漫画論漫画→メタ漫画+ラブコメ→メタ漫画+日常系→バトルもの→練り込まれたメタ漫画
いい意味で、一体何回変身すれば気が済むんだ?と、今後が気になる。
オエカキスト!
顧問のちょっといい話が挟まれてたりするところを見ると実は、裏にいろいろと考えられてるのかもしれないけど、現時点では評価低い。
ケンガンアシュラ
リアリティは、気にしてはいけない。
雰囲気を楽しむ、楽しめる。
一見安っぽい絵柄だが、緩急の付け方が巧みで引き込まれる。
先日、会社のメンバーで「東一(あずまいち)」という日本酒を飲みながら語らう機会があった。
そこで社内のある若手の「良い所は何か」が話題になったのでちょっと書き残しておく。
年長者に対して言葉遣いなどにちゃんと気を配る。
日本の会社に多い儒教的人間関係では年長者に気を遣うことが当たり前となっているが、昨今はかならずしもそういう風にはなっていない会社も多い。
その人が年上だから敬意を払うのではなく、尊敬できる部分があるから敬意を払い、尊重するのだ。
しかしこれは裏を返せば尊敬できる部分がなければ敬意を払わないことになる。
それをそのまま通す人もいるが、露骨に老害をなじるような接し方をされれば相手も穏やかではなかろう。
人の世話を嫌がらずにやってくれる。
解っていない相手には、相手のレベルに落として説明をしてくれるなど、何かと懇切丁寧である。
また、世には「教えるのが好きな人」というのがいて、相手がちゃんと解っているかどうかよりも
教えている自分自身が教える行為を楽しんでいるだけという場合も多いが、そういう風にはしない。
例えば、すごく出来る先輩とかが「これいいよ!試してみると役に立つよ!」とか、
何か仕事術やソフトウェアの類を薦めても、やらない人は永遠にやらない。
そういうのとは違って、とりあえず人が薦めるものが良さそうなら実際に試し、実践する。
更に良いところは、本質的な理解をせずなんとなく適当に試してみるだけというやり方ではなく、
ちゃんと理解して実践しようとしていることだ。
体力と忍耐力がずば抜けている。
割と夜遅くまで起きて勉強などをしているので、翌日の朝寝坊することも多い。
そんなとき、Twitterでフォロワー達のTLに流れてくる「あたしって、ほんとバカ」などというつぶやきが非常に心和ませる。
まさにその通りで、子供もその両親も、見知らぬ他人は例えお年寄りでも信じない世の中だね。
そこで面倒な事を敬遠して、誰も助けないという人が増えるのも仕方が無いこと。
それと、助けたいと思う人が、必要以上のリスクを負わなければならない状況があるのもまた事実。
「優しそうなお姉さんが徒歩で自宅まで送る」はギリOKで、ともすればちょっといい話かもしれないが、
「優しそうなお兄さんが徒歩で自宅まで送る」は、結構多くの人がダメだと思うんじゃないか。
それじゃ仕方が無いと行動を変えて、「泣き止むまでそばで慰める」を選択したとして、それは周りにどう映るだろう。
甘いものでも渡すか?それもNGだよね。
さて、あなたはどの程度が「常識的」だと思うか?
「ちょっといい話聞きたくない?」
大学の食堂でぼくがカレー口に運ぼうとしていた時だった。湯気を立てるうどんがたっぷり入ったどんぶりの向こう側で、彼女はそう言って微笑んだ。
「いい話?」
「そう。ちょっぴり甘酸っぱい文通の話」
「いいねえ。聞こう」
「ふふん」
スプーンを皿に置いて手を組み身を乗り出すと、彼女はおほんとひとつ咳をして得意そうに話し始めた。
「あるところにひとりの女の子がいました。その子は自分が住んでいる町が好きではありませんでした。田舎だし、ぜんぜんオシャレじゃないし。女の子はすぐにでも町を出たくて堪りませんでした。だから、ある時手紙を書きました。誰にも送るつもりなどなかった手紙でした。思っていることを全て吐き出したのです。そうしないと女の子はもうダメだった。潰れてしまいそうだったのです。あくる日、女の子は手紙を詰め込んだ瓶を海に投げ捨てました。――あ、女の子が住んでいた町は海が近かったのね。瓶は長らく波に揺られていましたが、やがて見えなくなりました」
さてさて、と、一息入れて続きを話そうとする彼女を、目の前に手を差し出してぼくは制する。きょとんと驚く彼女を尻目にぼくは話の続きを口にした。
「当たり前のように、女の子は返事が来るとは思っていませんでした。海は広いのです。きっと誰にも見つからないと考えていました。むしろ誰にも見つからない方がよかったのです。けれど、どういうわけか返事は返ってきました。とある日、再び訪れた浜辺に見知らぬ瓶が埋まっていたのです。女の子はびっくりしながらも文面を読み、そしてまた手紙を書きました。誰かに届いているような気がしたのです。数日後、また波打ち際に瓶が埋まっていました」
「どうして、涼太が知ってるの?」
目を大きくして驚きを隠さない彼女に、ぼくは少し恥ずかしくなりながらも答えた。
「……あの浜辺はさ、潮流が一度近くのテトラポットにぶつかるんだ。それから海の中に潜ってまた流れていく。だから海面に浮かぶものなんかだと簡単に拾えちゃったりするんだよ」
「えっと、つまり、あの手紙の相手ってのは……」
「まあぼくも、今の今まで相手が誰と文通してるかなんて知らなかったけどね」
言って鼻を掻いた目の前で、美奈の頬は音を立てるかのようにして一瞬で朱に染まってしまった。
ムービーも男声も歌もなしの省エネ版エロゲ。単純ノベル型でゲーム性はない。シナリオは人間と魔物との交流を描いたちょっといい話系。ホラーコメディと評されるがホラーの要素は皆無。ただしヒロインは動く人形だったり幽霊だったりする。「表面は死化粧でつくろったが中身は腐ったまま」のゾンビ女とセックスするシーンもあって想像するとちょっと恐怖かもしれない。もっとも絵柄はセイントオクトーバーのきぃら〜☆そのまま(ら~☆きぃ名義)なのでグロさはない。
音楽は古典ホラーを意識した編成。曲数は少ないが作りこまれている。低予算ものにありがちな、ピアノとストリングス適当に鳴らしときゃいいんだろ、みたいなチープ感はない。
文章は下手。厨房臭い。笑いどころがオタネタばかりだったり。フォント処理の汚さも手伝って、読み進めるのがだんだん苦痛になる。シナリオも良くない。主人公は何をなすにつけ周囲に流されまくり、特に母親への依存が際立っているので、読者によってはイライラしてくるだろう。