はてなキーワード: 分社化とは
TeamsをM365から切り離すプラン変更がEUから全世界向けに拡大されたところを見ると、先行導入したEUで大した影響なかったんだろうな。
と言うわけで、引き続きSlackがMSに文句たれる流れは変わりそうにないので次を予想しようと思う。
バンドルに文句言ってバンドル解除させて、それでもダメなら価格に文句言う可能性は高い。
あとは、可能性かなり低いが「Teamsを分社化しろ」だろうか。
TeamsのSlackに対する優位性の根本は「オフィススイートとチャットツールの連携をMSが担保してる」所にある。
それぞれ別の会社が作ったものをユーザー企業の責任で繫げなきゃならないSlackには太刀打ちできない問題だ。
となると、相手も同じ沼に引きずり込むというのは戦略として無くはない。
まぁ、ほぼあり得ないしSlackがそんな文句付けたところでEUがそれを強要するのはちょっと難しいように思う。
Salesforceに買収されたことでその辺の対応が進むのかなと思っていたが、別に大した変化はないように見えるので、SalesforceはSlackにとって独立性を維持してくれるいい親会社なのかも知れない。
この増田 https://anond.hatelabo.jp/20240328145307 を読んでいて、新人歓迎会のトラウマを思い出したので書く。
新卒で就職したのは、大手電機からリストラ分社され投資ファンドに売却された地方製造業…に、グループ内人材派遣を行う人材派遣会社だった。
当時はリストラ分社化された直後で、まだ元グループ本社からの出向社員も残っていたし、元グループ会社の看板も、営業網も使えていた。
それにに加えて、リストラ分社化された後で「これで迅速な意思決定ができて伸びるぞー」と言うお題目が信じられている頃でもあったと思う。
だからか、当時入社するプロパーの入社式はそれはそれは華々しく行われていた。
いや、華々しく行われていたのを、私たち派遣会社経由組は、敷地の隅にある人材派遣会社事務所のちっぽけか打合せ室の窓から見ていた。
プロパー新人が記念写真撮影をしているのをみて、私たちはあっちいじゃないの?と少しは思うが、当時ピッチピチの新卒で疑問に思うこともなく。
派遣会社の事務所長から何かしら訓示を受けた覚えがあるが良く覚えていない。
簡単で事務的な話だけだったので、そのまま配属先となる職場から主任が迎えに来て、職場へと向かった。大部屋式の事務室である。
課長の所で軽く挨拶した後、課員に特に紹介されたりもせず、大部屋の端にガラス張りのパーティションで囲まれた「OA室」と呼ばれる部屋に連れて行かれ、ここがお前の席だと座らされた。
周りには同じく派遣できている人たちが数人いるが、みな黙々と仕事をしている。一応会釈はしてくれるが特に会話もない。部屋の中にはサーバと古めかしいブラウン管モニタがついたCAD端末がうなり声を上げている。
15インチスクエア液晶とDELLの型落ちデスクトップを渡され、いきなり赤が入った原稿に従ってWord文書を直していくと言う仕事を振られた。
当時ピッチピチの新卒で今のようにくたびれていなかった私は、緊張して違和感を感じる暇も無かったというか、違和感を感じるような知識も無かった。
それから数日して、プロパー新入社員が挨拶にやってきた。「全員集まれ」と声がかかって大部屋の中心にみんなで集まり、彼らが新人だと紹介される。実際に配属されるのは8月のお盆明けからだが、と聞かされた。
何で8月なんですか?と、少しは話をするようになっていた主任に聞いたところ、彼らにはみっちり新人研修があるのだとのこと。
すごいね。
元グループ会社から分離したけど新入社員教育は合同で行って、元グループ会社本社にて集中的に研修するんだって。
すごいね。
そうして彼らプロパーの新人が新入社員教育を受けて、定時退社している間に、自分はみんなにシェアされる雑用便利人としての立場を明確にしていった。
忙しくなると投入され、ろくにスキルも身につかない雑用をやる。どの課に所属しているのかと言うことも曖昧だった。業務調整をする上司というものが存在しなかった上に、ひとヤマを超えると別の社員の忙しい案件に投入されるため常に長時間労働であった。OJTと言う言葉すら無かったが、仕事の特性上、割り当てられた仕事が終わらなければ終わらない。やらずに放置しても誰か別の人がやってくれるわけではない。溺れながら仕事を覚えていくことになる。
このように同じ職場のメンバーとしての一体感が生まれる事も無かったが、一つだけ一帯運用してもらえていたものがあった。それが「タイムカード押し」である。だいたい19時30分を回ると係がタイムカードを回収しに来る。彼にタイムカードを渡すと、私が自分で押さなくてもかわりにタイムカードを押してくれるというサービスである。
いや、サービスしているのはこちらか。当時ピチピチの新卒であった私は、それが当たり前だと思って、深く考えなかった。いや、考えようとしなかった。
さて、この内容を何故標記の増田から思い出すに至ったのかというと、積み重なった違和感が爆発したのが、新人歓迎会だったからである。
時は流れて8月。プロパー社員の新人が正式に職場に配属された。配属されて行われるのが、新人歓迎会である。
今までも全体の飲み会らしきものは行われているのを知ってはいたが、私がいる「OA室」の人間は誘われることは無かった。しかし、新人歓迎会と忘年会だけは別らしく、出欠席の紙が回ってきた。
私は、これを自分も歓迎してくれる会であると疑わず、出席と記入した。会費は7000円であった。高い。正直、月給額面残業代込み174,000円からその金を出すのはかなり痛かった。痛かったが、仕方が無いと思った。
そうして、久々にリクルートスーツに身を包んで、会場に着いたところ、以下の様な事が分かった。
なお、記念品として贈呈されたそのハンドブックは「仕事で必要だから」と言われたので私は自分で買っていた。彼らの初任給は、私が当時付けられる限度まで残業を付けてもらうのよりも、一切残業せず3万円は高かったはずである。
偉い人のよくわからない話を聞いて、乾杯して。新人代表のよくわからない決意表明を聞いて。なんか意味のわからない余興が行われていたのはぼんやりと覚えているが、途中でなんか気持ち悪くなり、料理も食わずに会場を抜けて家に帰った。
今なら、7000円も払ったのだからせめて夕飯代ぐらいは浮かしてやるぐらいの図太さは身につけたが、当時ピチピチの新卒だった私にはそんなものはなかった。
ちなみに、頭の中をぐるぐる回っているぐちゃぐちゃを吐き出して落ち着けたのはインターネットである。もっと具体的に言うとこの増田、はてなAnonymousDiaryのおかげである。ここで無茶苦茶愚痴を書いて、みんなにそんな会社やめちまえよって同情してもらって、やっぱりおかしいよね?おかしいよね?、と整理ができた。
そうして、スキルを磨いて、勉強して、戦略的に行動する事を心がけるようになった。
みなさんのおかげです。どうもありがとう。当時の増田がどれぐらい残っているかは、まぁ、わかんないくらい昔の話ですが。
さて、その後だが、元グループ本社のブランドが使えなくなり、営業網から外され、元グループ会社が格安で担っていた間接機能を自分でやらなければならなくなり赤字に転落。
元グループ本社から出向で在席していた人々…つまり売却に至っても本社が転籍させなかった優秀な人々…が徐々に去って、さらに買収した投資ファンドからクビ切り役人みたいな連中が送り込まれ、プロパー社員のボーナスが年3ヶ月分吹っ飛ぶ、労働組合が元グループ会社の組織から外されて見捨てられる、福利厚生が自社独自に切り替わる、など労働条件の改悪、激変が続く事になる。
当然元グループ本社と共同で半年以上かけてじっくり行われる新入社員教育なんてものは翌年以降は蒸発しなくなった。新人は極簡単なビジネスマナー講座と図面の読み方みたいな軽い教育を受けて入社後数週間で職場配置されてくるようになった。
同時に、派遣社員が増える事になった。それも元グループ本社の系列のグループ内向けの派遣会社(つまり私の所属会社)からではなく、他の派遣会社からの人材が投入される。金は無いが、今までグループ本社の機能に依存していた部分を自社化しなければ行けなかったからだろう。
さらに賃金が高い社員を中心に退職推奨と言う名のリストラが行われ、その代わりに派遣社員が加わるという事が特に現場系で進行する。更にラインまるごと海外のEMSに出されるようになっていった。
しかし、プロパー社員と派遣社員を切り分けて考えると言う企業体質や文化はそう簡単に変わるわけもなかった。妙な壁がずっとある。お給料から命令系統、食堂の食券価格や給茶機の掃除当番まで妙な区別が残り続け、それが原因でか、不合理で業務効率が上がらないことおびただしい形だった。
ただ、そうして、会社は一応は黒字になった。筋肉質になったと宣伝しているがリストラは黒字になるまでやるからリストラなのであって、黒字になるのは当たり前である。
そのタイミングで、元グループ会社本社が最後まで持っていた20%程度の株式を完全に売却する事になった。完全に手切れである。私が入社して6年ほどが立っていた。
そこで、私が所属している派遣会社も完全に撤退する事になった。元グループ本社のグループ内向け派遣会社であるからである。
かつて敷地内にあった派遣会社の事務所はとっくになくなっていた。同期もみんないなくなっていた。
そして、私に提示されたのは、派遣会社から派遣元の会社に正社員として転籍しないか、今と同じ仕事を続けられるよ、という誘いだった。
もちろん、断った。
会社側は、まさか正社員になれるのに断ってくるとは思ってもみなかったようである。それはそうだ。特に人事部門などは、痩せても枯れても元大手企業の工場で地元で最も安定した職場で誰もが就職したがる、と言う御山の大将であったからだ。
だから自分たちの仲間に迎えてあげることが最高の報酬だと思っていた節があった。だからせっかく人事に交渉して入社できるようにしてやったのに恩知らずが、みたいなことを言われたこともあった。
さて、断った結果どうなったかとと言うと、派遣会社としてはもう派遣業を拡大していないこともあり同じ地域では仕事がないといわれた。そのため別の地域に転勤になるがよいか、と。もちろんOKと言った。願ったり叶ったりだ。
そうして新しい派遣先を探るからと言うことで、改めて所有している資格などを申告せよという事になった。コツコツと勉強してとりためた資格などを開示した結果、ちょうど人手不足のタイミングと重なり元グループ本社のR&Dに派遣が決まる。
引継ぎ屋マニュアル作成をこなしながら異動の待機している間に、こんどはなんと所属派遣会社がグループ本社に吸収合併される事が決まった。
本社のR&Dに派遣ではなく異動という形で、あっと間にグループ本社の正社員になることができた。神風が吹いたと言える。
そうして今ではそれなりに暮らしているのだが、そんな今でも「新人歓迎会」と言われると、あの悪夢の新入社員一年目が、悪夢のホテルでの夜が頭をよぎるのである。
だからみなさん、相手の所属がどこだとか考えずに新人には優しくしてあげてほしい。あなたにとっては毎年来る新人かもしれないけれど、新人にとってはたった一度の新人時代なのだから。
また、新人の皆さんも、なんかおかしな事があっても人生何事も塞翁が馬である。よいこともあれば悪い事もあるが、前向きに、やってきたチャンスを掴んで離さない程度の握力を常に鍛えておく事ができれば、道は開いていくのである。
頑張ってほしい。
別スレ(https://anond.hatelabo.jp/20231003203209)で以下コメがあったけど、ほんそれで、ジャニーズ事務所の中については一定洗い出してくれないと、事業会社として分社化する企業のコンプラ制度も作れないんじゃないのって思う
まったくその通り、よく「死んだ人間の罪を追求してどうする」なんて言う人がいるけど、生きている罪人がおそらく山ほどいるから、そいつらを誰がどうやって追い詰めるかが大事だろうと。
少なくとも問題が明らかになったジャニーズ事務所についてだけでもちゃんとして欲しいと思うんだけど、メディア各社は飛び火して延焼したらたまんないから早く終わったことにしたいだろうし、報道各社が報道控えてるのも芸能部門に延焼したら困るからなんだろうから、このまま、
「分社化したんでおしまい。いやー、分社化って大変なんですよ、知ってましたか?元の会社と人的・資本的な関連をなくさないと連結対象と見做されちゃうんで、切り離すためにイチから仕組み作らなきゃいけなくて、いやー、大変だったなあ」
個人向けコンピュータメーカーとして成功していたが、いろいろあって創業者が追い出される。
創業者はゲームメーカーのアタリの家庭用コンピュータ部門を買収し、コモドールに牙を向く。
優秀な開発者たちが創業者について行ったため、コモドールは経営が傾く。
しかしamiga社を買収し、このamigaはウゴウゴルーガに使われるなど
クリエイター向けに一定の地位を築くが、Windowsの時代になって倒産。
世界初のゲーム機と名高いPONGを発明し、ビデオゲーム産業を生み出す。
もともとはヒッピー文化の自由な企業だったが、映画会社のワーナーの傘下になりスーツ族の文化に一変。
かの有名なアタリショックを引き起こして会社もボロボロになる。
アーケード部門と家庭用コンピュータに分社化し、後者はコモドールの創業者に売却。
かの有名な映画会社。
アタリを買収して駄目にする。
AOLに買収され、『AOLタイムワーナー』になるが直後にドットコムバブルが弾けてAOLがお荷物に。
タイムワーナーを買収したAOLはたった2年でAOL部門に格下げ。社名がタイムワーナーに戻る。
パソコン通信サービスとして始まった、世界最大のインターネットプロバイダ。
ドットコムバブル絶頂期にタイムワーナーを買収し、世界最大の企業複合体になる。
しかしバブル崩壊で業績が低迷。タイムワーナーの一部門に成り下がり、売却される。
インターネットが世に普及した頃に圧倒的なシェアを持っていたポータルサイト。
Googleに押されて影が薄くなった頃にMicrosoftに買収を持ちかけられるが拒否。
その後も低迷が続き、アリババとYahoo! JAPANの株を管理するだけの会社とYahoo!事業を行う会社に分離。
Yahoo事業を行う会社は米国No1シャアの通信キャリアベライゾンに売却。
3年くらい前に日本の半導体産業の近況をまとめたのですが、ここ数年で政治家の先生たちが何かに目覚めたらしく状況が大きく変わりつつあるので各社の状況をアップデート。
前回の記事 https://anond.hatelabo.jp/20200813115920
熊本工場:28nm, 22nm (工場稼働時) / 16nm, 12nm (将来計画)
日本政府の補助金とソニー・デンソーの出資という離れ業により、業界人が誰も信じていなかったTSMCの工場進出が実現した。現在は建屋の建設が進んでおり、順調にいけば2024年内には量産開始となる。生産が予定されているプロセスはいずれも世界最先端に比べると古いものだが日本では最先端であり、HKMG(ハイケーメタルゲート、トランジスタの性能を上げる技術)やFinFET(フィンフェット、性能の良い3次元トランジスタ)といった技術が新たに導入される。工場で生産される半導体の主なクライアントは出資者のソニー。衰退の激しい日本の電機業界だが、ソニーはまだ世界と戦う余力を残しており年間半導体購入金額世界10位で日本トップである。ただし、PS3のCell Processorを長崎で作っていたように先端プロセッサをここで作れるわけではない。PS5のCPUはTSMCの6nmプロセス製造であり、この工場では製造できないのだ。識者の予測ではイメージセンサー向けロジック半導体を生産すると想定されている。
■ Rapidus (ラピダス)
日本政府の国策で、IBMから技術を導入し自前で最先端の半導体製造を狙う野心的なプロジェクト。量産開始は2027年を予定。
彼は日立→トレセンティテクノロジーズ(ルネサスの那珂工場の前身)→SANDISK→Western Digitalという国内外の半導体メーカーを渡り歩いた華麗な経歴の持ち主である。
以前に社長を務めていたトレセンティテクノロジーズは2000年に日立と台湾の大手ファウンドリUMCとの合弁の半導体製造会社で、世界に先駆け現在の標準となる300mmウェハに対応した先進的な工場であった。ファウンドリ全盛の今から後知恵で見れば、限りなく正解に近い経営戦略と先進性を併せ持っていたがビジネスとしては成功しなかった。工場はルネサスに吸収され、小池氏はSANDISKへと移籍することに。そんなわけで今回の国策ファウンドリRapidusの社長就任は小池氏の二十数年越しのリベンジマッチでもある。
なお、氏のポエミーなプレゼンは業界でも有名。記者会見で日本半導体衰退の原因を「驕り」と一刀両断した一枚のパワポが話題をさらったが、本人が一番驕っているのではと不安がる声もある。
■ ルネサスエレクトロニクス
日立・三菱電機・NECのロジック半導体部門が統合した日本を代表する半導体メーカー。
5万人いた従業員を1/3にする大リストラ、先端プロセス製造からの撤退、海外メーカーの買収ラッシュを経て復活。そして大躍進。
昨年の売り上げは1兆5千億円を超え、はじめて統合直後の売り上げ(ピークは2011年3月期の1兆1千億)を抜いた。もう1+1+1=1とは言わせない。
旺盛な車載半導体需要にこたえるべく、政府の補助金を得てリストラで閉鎖した甲府工場の再稼働を決定。
コロナ禍では働き方が柔軟になり、リモートワークは全国どこでもできるようになった。ルネサスは開発拠点も大リストラで統廃合しており、三菱系の伊丹やNEC系の玉川をはじめ全国にあった設計拠点を日立系の小平に集約している。地元の拠点が閉鎖されて単身赴任をしている人も多かったのだが、最近ではリモートワークを活用して単身赴任先のマンションを引き払った人も出てきている模様。
増大する車載半導体需要にこたえるべく、デンソーが出資してパワー半導体のIGBTの生産を始めた。筆者はパワー半導体は専門外で、家電芸人が語る家電の説明程度にしか話せないため軽く紹介するにとどめたい。
半導体部門を手放したがっていたPanasonicがイスラエル企業のTower Semiconductorと共同で運営していた工場。
Panasonicが台湾Nuvoton technologyに持ち分株式を売却したため、現在ではイスラエル・台湾共同運営という珍しい業態になっている。
さらに、半導体最大手のIntelがTower Semiconductorの買収を進めているため、将来的にはIntelの拠点となる可能性があり、日本でIntelのCPUが作られる世界線もあるかもしれない。
が、本案件は米中対立のあおりで中国での買収審査が長引いているため、先行きには不透明感が漂う。
■ キオクシア
日本を代表するメモリ半導体メーカー。前回からの3年で、積層数は96層 → 112層 → 162層と2世代進化した。競合他社は232層品の量産も始めている(キオクシアは開発完了 / 本格量産前)が、最近の3D NANDは闇雲に積層数を増やせば低コストで作れるというわけでもない模様。
なお世間では半導体不足のニュースの印象が強く、半導体はもうかっているとの認識があると思うがコロナ禍でのIT投資ブームが終了したメモリ業界はリーマンショック以来の大不況である。
キオクシアも例外ではなく、最新の4半期決算で1000億円単位の赤字を計上してしまった。Western Digitalとの統合のうわさがあるが、もちろん筆者は何も知らないし、仮に知っていても絶対にここには書けない。
■ Micron Memory Japan (旧エルピーダメモリ)
ルネサスと同じく、NEC、日立、三菱電機のDRAM事業統合で生まれたエルピーダメモリを倒産後に米Micronが買収。
前にも書いたが、DRAM業界はプロセスのサバ読みが横行しており、20nmを切ったあたりから具体的な数字ではなく1X, 1Y, 1Z, 1αときて、ついに1βnm世代の量産にたどり着いた。広島サミットに合わせて、社長が来日。岸田総理と会談後大々的な設備投資を発表。1γnm世代を目指して日本初の量産用EUV露光装置が導入されることが決まった。
このEUVというのは波長が13.5nmの極超紫外線(Extreme Ultra Violet)を使った露光装置で1台200~300億かかる人類史上最も高価で精密な工作機械でありオランダのASML社が独占的に製造している。もっとも、メモリ業界の大不況を食らっているのはMicronも例外ではなく、岸田総理と華々しく会談している裏で数百人規模のリストラを慣行。こういう外面の良さと裏でやってることのえげつなさの二面性は、いかにも外資だなと思う。
東芝と共同でフラッシュメモリの開発を行っていたSANDISKをHDD大手Western Digitalが買収。キオクシアの四日市工場と北上工場を共同で運営している。
Western Digitalはメモリコントローラーを内製していることで知られSSDの性能の良さに定評があり、スマートフォン向けの売り上げが多いキオクシアとは、同じ工場を運営していても得意としている販売先が微妙に異なり、住み分けがなされている。(そのため、2社統合によるシナジー効果が期待されたびたび観測気球的な記事が出回る。)
なお、もともと日系半導体メーカーが大リストラをしていた時の人材の受け皿として中途をたくさん採用していた経緯もあり、人材の流動性は高い。在籍時の仕事ぶりがよければ、他社へ転職していった元社員の出戻りも歓迎と聞く。前述のRapidus社長の小池氏は、つい先日までここの社長をしていた。余談だが、上記Micronの米国本社の社長も旧SANDISKの創業者でWestern Digitalによる買収後に引き抜かれている。こういう話を聞くと、いかにも外資だなと思う。
イメージセンサーで世界最大のシェアを誇るソニーの半導体部門。2020年、2021年は米中対立のあおりを受けて主要顧客のHuawei向けの出荷減少に苦しんだが、2022年度は大幅に売り上げを伸ばし、1兆4千億円となった。他の半導体の例にもれずイメージセンサーも国際競争が過酷であるため、対抗して人員増強を進めている。Panasonic系エンジニアを引き抜くために関西に設計拠点を開設し、各地の工場の拡張も並行して進めている。調子のいい半導体メーカーはどこも人員増強を進めているが、ここ10年ほどは理工系の学生の半導体業界人気がどん底、かつ人材ニーズも少なかっため、新卒で半導体メーカーに就職した絶対数が致命的に少なく30~40歳くらいの中堅技術者の確保にどこも苦労している模様。なお、スマートフォン向けカメラの次の飯の種として、車載用途に数年前から注力開始。最近徐々に成果が出始めている。
■ ソシオネクスト
富士通とPanasonicのLSI設計部門が統合してできた日本最大のファブレス半導体メーカー。昨今の半導体ブームの波に乗り、株式上場、売り上げ2000億突破と非常に好調。3年前は1000億程度の売り上げだったので、すさまじい成長である。もっとも、母体となった富士通・Panasonicはピーク時の半導体売上が1社で5000億近くあったので、少々物足りなさを感じなくもない。復活は道半ばである。
■ メガチップス
ソシオネクストが誕生するまで日本最大のファブレス半導体メーカーだった。もともと任天堂向けの売り上げが大半だったのだが近年は多角化を進めている。昨年の売り上げは約700億とSwitch人気がピークだった時と比べるとやや劣るが営業利益は過去最高を記録している。
かつては日本を代表するファブレス半導体メーカーと言えばここだった。昨年の売上高は54億と、3年前紹介したときの30億から伸びたものの、ファブレス上位2社からはかなり離されてしまっている。大昔は韓国のサムスン電子に自社製品が採用されたのがウリで創業者の武勇伝にも頻繁に登場していたが、今では売り上げの75%を国内に依存しており海外展開の出遅れが否めない。
■ 東芝
車載用途のパワー半導体需要が伸びており、石川県の工場に300mmウェハ対応ラインを建設。この記事でよく出てくる300mmウェハとはシリコンの基板の直径であり、大きい方が製造効率が良い。125mm → 150mm → 200mm → 300mmと順調に大型化が進み次は450mm化と思われたが、大きすぎて弊害が大きく、ここ20年間はずっと300mmが最大サイズである。
従来はCPUやメモリといった分野の製造にしか使用されていなかったのだが、ここ5年くらいでパワー半導体にも300mm化の波が押し寄せてきている。
■ ローム
何かと癖のある京都系メーカー。車載事業が好調で売り上げが順調に伸びている。次世代パワー半導体材料と呼ばれていたSiCで日本国内の他のメーカーをリード。
余談だが、筆者は学生のころSiCを実験で扱っていた。単位を落としまくっていた不良学生だったので、教授がワクワクしながら話していたSiCの物性の話はすべて忘れている。今では家電芸人並みのトークしかできないのでSiCについて語ることはご容赦いただきたい。研究から本格量産まで20年超の時間がかかっていることに驚きである。基礎研究の大変さを実感する。
■ 三菱電機
パワー半導体大手。半導体に力が入っていないシャープから福山工場の敷地を取得し、300mmウェハ対応のラインを構築。SiCのラインも熊本に作るぞ!パワー半導体には詳しくないからこの辺で勘弁な。
日本の半導体産業が衰退しまくっていたころに、トヨタが危機感を覚えてデンソーとの合弁で設立した車載半導体メーカー。コロナ禍中に行われたオンライン学会に知らない会社の人が出てるなと思って調べたらここだった。
■ TI
米系のアナログ半導体世界最大手。富士通とAMD合弁のNOR FlashメーカーSpansionから買収した会津若松工場と茨城県の美浦に工場を持つ。最近は日本法人の話をあまり聞かない。
米系のアナログ半導体大手。三洋電機の半導体部門を買収したが、旧三洋の新潟工場は日本政策投資銀行出資のファンドに売却した。現在の日本拠点は富士通から買収した会津工場。富士通が半導体事業から手を引き工場を切り売りしたため、会津若松市内には米系大手半導体メーカーの工場が立ち並ぶことになった。
■ Infineon Technologies (インフィニオン)
ドイツの大手電機メーカー、Siemenseが20年ほど前に半導体部門を分社化して誕生した。従来欧州系半導体メーカーは日本での存在感があまりなかったのだが、富士通のマイコン半導体部門を米Spansionが買収、そのSpansionを同じく米Cypressが買収、そのCypressをInfineonが買収した結果、日本市場でも存在感を示すようになった。もともとInfineon自体が車載半導体に力を入れており、有力自動車メーカーがそろう日本市場に注目しているというのもある。
■ Nuvoton Technology (ヌヴォトン)
台湾の半導体メーカー。半導体から撤退したがっていたPanasonicから、Tower Semiconductorと共同運営している工場と、マイコン設計部門を買収する。Panasonic時代は、自社家電向けの独自マイコンをメインに作っていたのだが、Nuvotonに買収された後はArmベースの汎用マイコンに設計品目が変わった。日本法人は車載やモーター制御向けのマイコン開発に特化させていく方針で台湾の開発チームとは住み分けを図る模様。富士通ほどではないが、Panasonicも半導体部門を切り売りしており、所属していたエンジニアはバラバラになってしまった。研究室が一緒でPanasonicの半導体部門に入社した友人がいたが、彼は今どこに流れ着いているのだろう?
東電の原発については:anond:20230125001423
いろいろコメントいただいたのであとで答えようと思います。言いたかったのは原発だけでなくて、石油火力も含めて様々なエネルギー源をバランスよく使うのが電気代の抑制につながるということです。
原発に言及すると荒れますね。。。なお増田自身は原子力に賛成で、この増田もそこに沿った内容になっています。その辺についてはご理解ください。
ただ、当然反対意見もありうると思いますし尊重します。あと、東電のせいで再稼働できてないという指摘も受けているのでそこについてもあとで答えます。
(追記終わり)
正直、「人件費下げろ」とか騒ぐヴァカ見ると航空会社よろしく料金と別に燃料サーチャージを徴収する方がマシではないかと思いたくなった。東電虐めは東電の能力(人材力)低下に直結し、結局、消費者の首を絞める愚行
書き方が悪くて伝わってないんですが、今回の値上げはまさにその燃油サーチャージ相当分がほとんどです。これまで顧客の払う燃油サーチャージに上限があって、それ以上の分を東電EPが持ち出しになっていて倒産しそうになっているのでそれを顧客に転嫁するように改めたというのが今回の値上げになります。
従量電灯B(上限ある方)を恒久的に廃止する動きがありますが、理由が貴殿の文章にも電力会社のものにも見あたりません。この点についてご意見が聞きたいです。/いくつもこの手の記事に目を通してるがなにもない。
非常に良い質問です。結論から言うと廃止すべきと考えます。というのも規制料金というのは自由化前から存在するメニューになり、いわゆる原価総括方式(簡単にいうと電気供給を独占させる代わりに国の認可した値段でしか売らせず、安定供給を義務付けること)の名残でしかないからです。
2016年の自由化以降、新電力が供給を一般家庭に行えるようになりましたが、その際の宣伝はそれまでの規制料金(従量電灯B)より安くなるというというものでした。なぜ安くなるかというと、自由料金と言って業者が自由に料金設定を行えること、そして何より東電などの地域電力(旧一電といいます、ただし東電、中部電は火力発電部門をJERAという会社に分社化しています)に強制的に電気を市場に出させることで市場で安く買って発電所の固定費を負担せずに済むからです。しかし発電所の固定費が重い旧一電は火発の廃止を進めたため供給が減り、市場の電力価格が特に2021年以降高値で張り付くようになりました。
そのため新電力は自由料金なので燃料費調整単価を独自に設定したりすることで(全くニュースになりませんが)相当の値上げを行ったり、あるいは新規契約を停止したりしており、規制料金と自由料金の価格が逆転しています。しかしながら規制料金は価格を自由に上げられないため、全国の旧一電が持ち出しで電気を供給する事態が起こっています。もはや独占事業者ではないのにも関わらずです。
これは将来的には電源への投資が削がれることにつながり、今の事態のしっぺ返しは電力不足などの形で将来跳ね返ることになるため、規制料金は撤廃すべきと考えます。
中電はシラッと「燃料費調整単価の上限撤廃」を叩きつけてきたが、全国には値上げしない地域もあるのか。原発稼働への国民への脅迫みたいや。
前述の通り、規制料金は上限の撤廃はされていません。中電が中部電力を指しているなら、規制料金メニューへの契約をお勧めします。
この状況、国は何もアクション起こしてないのかな?
今年の1月ー10月まで電気料金に一律7円/kWhの国からの補助金が出ており、その分電気料金が差し引かれています。
100%東電の言い分を「解説」する増田って、これもうステマだよねー。/人件費云々はまあそうだが、東電的には原発を動かせないのなら経営陣はどんどんクビにしていくべきだよねー。
「電力会社で働いてるわけではないけども、電力会社で働いてる知人が多くいる」、"電源のベストミックス"などの界隈用語っぽいの使ってることから電力会社ではないけど関係者っぽさはある。
全体的に電事連や旧一電によりすぎだなとは自分でも書いてて思いました。ただ、常々火発や原発、送配電などで働いている人たちは本当に頑張っているのにあまりにも報われなさすぎるなと感じており、筆を取ったまでです。もしそのような現場で働いている方がこの増田をご覧になられているのであれば嬉しく思います。いつもありがとうございます。
(ブコメ返答ここまで)
東京電力、家庭料金6月から29%値上げ 経産省に申請: 日本経済新聞
今日プレスリリースが出て、東電管内の規制料金の値上げが申請されました。
内容を精査するとできる範囲での合理化は行なっているし、30%という数字が一人歩きして不当に東電が叩かれすぎだと思うので解説。
増田に書いても信用されませんが、増田は電力会社社員ではありません。
そもそも、電気料金は1kWhの料金は次のような構成(kWの基本料金は今回値上げされていません)。
電気料金=小売料金+託送料金(送配電会社の取り分、10円程度)+再エネ賦課金(FIT、FIPの買取価格の原資、3円程度)
このうち、今回値上げの対象になっているのは小売料金。右の二つはどの電力会社(東京ガスとかソフトバンクとか)と契約しても同額。小売料金もさらに下のような構成。
小売料金=燃料費調整単価+従量料金単価
今後資源価格に関係なく定着する値上げに相当する従量料金単価はおよそ5%程度の値上げで、
前回の価格改定(2012年)からの物価上昇率約8%(ソース:https://ecodb.net/country/JP/imf_inflation.html から増田計算)と比較して低い水準に抑えられており、インフレ率を加味すると実質値下げと言ったほうが正確です。
また、従業員の給与は従量料金単価から捻出されており、そもそも電力の原価の1%以下。社員の給与のために値上げしているわけではありません。
これだけは知人に現場で働いている電力会社の社員が多くいるため、彼らの名誉のためにも言っておきます。
電力価格の改定に対して資源価格は圧倒的に速いスピードで変化するため、それを反映するためのシステム。
あらかじめ電源構成(LNG、石油、石炭)を織り込んでおき単位電力量あたりにかかった資源価格を高くなったら足したり、安くなったら引いたりします。実際2021年ごろは資源が安かったので電気料金が割り引かれてました。
しかしウクライナ情勢以降LNG価格がとんでもないことになっている一方で(一時は単価で50円/kWhを超えるレベル)、
規制料金(従量電灯B)には燃料費調整単価に上限が設けられており、これを突破した分は東電EP(東電の小売会社)が全額負担となります(自由料金や新電力には以前あるところもあったが、軒並み上限廃止したので顧客が全額負担です)。
そのため東電EPは一時債務超過にもなるレベルで経営が悪化しており(東電HD、小売り子会社が67億円の債務超過 増資含め対応検討 | ロイター)、今回の値上げ、すなわち燃料費調整単価の見直しは避けられませんでした。
今回の改訂を見てみると、安い石炭をかなり重視する電源構成に変わったため、資源価格に対する価格感応度は今回の改定によりむしろ下がっています。
脱炭素的にはどうなんだという意見もあるんでしょうが、しょうがないですね。みんな安い方がいいもんね。
値上げしてない二社について一応言及しておくと、彼らは手持ちの原発が全て審査に合格しています。
原子力(再エネも)はコストがほとんどが固定費で、電気の単価が資源価格に左右されにくいという利点があります。やっぱりどんどん再エネ+原発の両輪で推進していくべきですね。
という訳で原子力と再エネが6−7割を占める九州電力は値上げせずに済んでいるのですが、関西電力については原子力の稼働状況だけはなく、電源構成に理由があると思っています。
というのも通常資源価格は石油>>LNGなのですが、昨今のLNGの異常な値上がりにより石油<LNGとなっており、これまで高価とされてきた石油火力がむしろ安価な状況が生まれています。
関西電力は石油火力発電所を3GW程度(このうち相生火発については今年廃止されますが)残しており、これを稼働させることで影響を和らげている部分もあります。
また、40年経過した原発の稼働は料金に織り込んでいないため、改訂するとなるとそれらを織り込む必要があるためむしろ不利な改定になるからではと推測しています。
もっと知りたい人は
https://www.tepco.co.jp/ep/notice/pressrelease/2023/1664634_8668.html
を見てください!ソースもここです。
https://www.orangeitems.com/entry/2023/01/21/000000
昔々あるところに、やり手のシステム屋がいました。最初は自社の黒いモノリスで動くホストシステムをなんとかせいと言う事で呼ばれた言わば傭兵でした。
非常に優秀な彼は、そのシステムを自ら理解すると、バリバリと仕事を振り分けていきます。再構築部分は外に出す予定でしたが、彼を招聘した役員が「システムとは自社のノウハウであるから、内製するべきである」と言ったので、人材を採用し、組織を大きくしていきました。
そして、旧システムの再構築が終わったところで、営業と技術と話をし、システムありきで受発注する仕組みを構築、これは導入していたベンダー事例講演で大々的に紹介され、彼の名も広がっていったのです。
そうしてシステムが安定して金を稼ぐようになったところで、彼の所に辞令が来ます。巨大化したシステム部門を分社化するので、ついてはその会社の執行役員をやれというのです。
彼は反対しました。今上手くいっているのは、現場とシステム部門が近いからだ。動的にお客のニーズと製品の動向を取り込んでいるからうまくいっているのだ、と。内製化すると言うことはそこを最大限活用すると言うことではないのか、と。
しかし、会社は独立させる事を決めます。その陰には、企業戦略コンサルタントの姿がありました。
そして、彼は執行役員になりました。報酬は2千万円に近い金額を得るようになりました。会社としては彼をその様に優遇することは、今までの苦労に報いる意味もあると思っていたのでしょう。
しかし、システム部門はコストセンターとしてしか認識されなくなり、彼は、そのまま、消え入るように会社からいなくなってしまいましたとさ。
一説には、ビジネスモデルを真似した競合他社が現れた所に対応仕切れず、リーマンショックの波をもろに被って競争激化から収益性が低下、削減できるコストがないかと探したところで、当時ブームだったシステム子会社のゼロ円売却に乗っかり売却したとも伝え聞きますが、真実は誰もしらないのです。
私はかつて、DeNAで契約社員として3年ちょっとの間、働いていた。当時 (今もそうかもしれん) 、DeNAではゲーム以外の収益の柱になる事業を模索していて、いろいろとエッヂの立った謎なサービスやアプリがリリースされてはひっそりと閉じられていく、ある意味では面白いうねりの中にいた。commだとかGroovyみたく壮絶にリソースを投入してコケたサービスもあれば、Showroomのように分社化して巣立っていった成功例もあった。
そんな、会社としていろいろ試していたフェーズで、Flatというどう考えても収益化できなさそうなSNSアプリがどさくさに紛れてリリースされた。
これは閉じられた匿名掲示板的なSNSで、ローンチ直後はDeNAの従業員だけが利用できたのだと思う。
誰でもスレッドを立てることができ、コメントをみんなが投稿し、いいねで馴れ合うという、機能としてはありふれたものだった。
ただ、後に他のテック企業の人も利用できるようになり、mixiやサイバーエージェント、DMMとかの人たちと交流できたのは楽しかった (各企業のドメインのメアドを持っていないと会員登録時の認証メールを受け取れないようになっていた) 。
スレ主やコメントを投稿した人が誰なのかは分からないが、どの企業の人なのかは表示されていた。アップデートで、同一スレに複数のコメントを投稿するとそれらのコメントが同一人物の投稿だということまでは分かるようになっていたと思う。
「IT用語に『夜の』をつけてエロくする」みたいな大喜利のスレッドがあって、私が投稿した「夜の多分、大丈夫だからリリース」がスレッド内でトップのいいね数を獲得したのはいい思い出だ。
そんなFlatであったが、「全社集会の内容を教えてくれ」みたいな内容で、見るのもコメントするのもDeNAの従業員限定の設定で私が立てたスレッドがあった。全社集会は半期に一度のオールハンズなのだが、なぜか正社員しか参加できないという縛りがあって、どんな雰囲気でどんな内容が話されているのか興味があったのだ。
誰かが「内容は正社員限定の機密だから話せないし、そんなふうにカジュアルに聞くべきではない」とコメントした。私は正社員限定なのは単に会場のキャパ (社内には全員が集まれるスペースはないので、どこかのホールを借りて開催していた) の問題だと思っていたし、内容の一部、たとえば何々への貢献で誰々が表彰された、だとかはわりと普通に共有されていたので、少なくともDeNA社内では秘密でもなんでもないと思っていたので、どんな文言だったかは忘れたが「いいじゃん、そんなケチくさいこと言わずに教えてよ」みたくコメントしてしまった。
それに対して、私の態度がよくない、みたいなコメントが付き始め、それが段々とエスカレートしていった。
「お前なんかぜったいに正社員になれるわけがない」だか「そんなんだから正社員になれないんだよ」みたいなコメント。(別に正社員になりたいだなんて言ってないし、辞めた後で知ったのだが私の給与は並の正社員よりも高かった)
一番ひどかったのは「こいつ (渋谷ヒカリエの) 何階で働いてるんだろう? (自分と同じ) 23階だったら嫌だ。ぜったいに関わりたくない」というコメント。
最終的には何十人かの人から、私の人格を否定するコメントを頂戴することになった。
当時の私の精神状態はなかなかに不安定で、同僚たちの中に私と知らずに私のことをケチョンケチョンに言い放っている奴がいる、というのを意識しながら仕事をするのはなかなかに辛いものがあった。
何年も経った今、振り返ってみて、確信を持って言えるのは、私はインターネットで誹謗中傷を受けたのだということ、そして、それに対してサービスの運営も人事も、なにもしてくれなかったということだ。
当時の私はどうすればよかったんだろう。
共産党を擁護する義理はないのだが、共産党が「多様性の統一」の標語を掲げた事にあたって、独裁だと揶揄するブコメが目立つんだがこれらの人達どうも意味判ってなくない?
これって頻出スローガンだよ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/jcp_cc/status/1452192530871697413
最近だと多文化主義(multiculturalism)と文化多元主義(Cultural pluralism)の橋渡しというか良いトコ取りの標語として使われる事がある。
多文化主義っていうのは人々の属する文化が並置されて存在している状態。〇〇人っていう属性、特色を捨てる必要ないよって考え方。でもこれだと国家内がモザイク状になって対立が発生したり、特定宗教の原理主義とかはどうする?「自由の敵」に自由を与えて多文化主義の基盤を破壊するのはどうする?って問題が発生する。
文化多元主義は色んなオリジンを持つ人々が集まるが、個々人は一つの公共的モデルに集約され、主体の改変を求められるって考えだ。
人種のるつぼって色んな人種が居る事を指していると思ってる人が多いが「るつぼ」は坩堝と書いて金属を溶かす溶鉱炉の容れ物だ。だから「人種」は溶けて元の色や性質を失っている。
そして坩堝の湯(溶解金属)は型に入れられる。冷えて出来上がるのが「アメリカ人」という合金のインゴットだ、という考えに立脚している。かなりイデオロギッシュな言葉なのな、実は。
ハワイ空港の名前にもなっているダニエル・イノウエはその尤もなモデルケースだろう。
日本軍が真珠湾で奇襲攻撃を掛けてアメリカを戦争に巻き込んだので、ハワイの日系人は立つ瀬がない。そこでイノウエは自分がアメリカ人である事の証に陸軍に志願してかの有名な442連隊に配属された。死傷率300%以上という有名な部隊だ。海兵隊では新兵訓練の際に442連隊の事は必ず触れると聞く。「アメリカとは何か」を象徴するからだ。
イノウエはそこで日系人じゃなくてアメリカ人のインゴットになった訳だ。戦後は政治家となって上院仮議長まで登りつめた。
だからこれ書いてる増田はイノウエに日系人としての親近感なんて抱かない。彼は立派なアメリカ人だった。
この生き方を強いたのが文化多元主義であり人種のるつぼ論なのだ。
イノウエの例は戦争という情況が強いた極端だが、この抑圧的な文化多元主義と、バラバラで政治主体としても弱くて実効性にも疑問符が付く多文化主義の良いトコ取りしようぜって言い方で使われることがある。
あと有名なのがインドネシアの国是、「パンチャシラ」。意味は「多様性の中の統一」。
インドネシアっていうのはこれはもう完全に人口国家であって「インドネシア人」なんて人種も民族も無かった。言語も違う。旧ユーゴと似ている。
そこにまだ統一国家も無いのに「インドネシア人」という国民意識が立ち上がっていった。「国民」はトップダウンだけで出来たのでは無い。
この意識の成立の鍵になったのが植民地下での出版業で、同一言語での大量出版がやがてその頒布される広範囲で公共心や共同性を立ち上げる事になった。
これを観察して書かれたのがかの有名なベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』なのな。アンダーソンはインドネシア歴史を研究していて、そこから国民国家の成立を発見したのだな。
パンチャシラを提唱したのは国父であるスカルノで、重要な理念として憲法前文に入れられた。
共産党を叩いている人の中には旧日本軍人がインドネシア独立に協力した事を重視する人が多いはずだが、インドネシアの有名な国是を思い出さないとはどういう事だろうか?
この流れはTTP参加決定時に似ている。
民主政権がTTP参加を決定した折、ネットは大炎上した。すると炎上の仕方が厨房っぽいので一歩ずらして「そもそも米国の利権に”環太平洋”と名付けるのがおかしい」とかかしこぶる人が出てくる。
ところが「環太平洋」という概念はソ連との冷戦が終結した90年前後からある。そして実際日本の周囲では環太平洋での経済的結びつきが強化されてきた。製鉄大国で「鉄のハブ」になっている日本の最大原料輸入国(鉄鉱石と石炭)は豪州になった。
そういうの知らんのな。知らんというか20年以上知らないを継続してきたって事だ。
因みに環太平洋の当初のアニキ役は米国と日本が想定されていたが、日本に代わって中国がアニキ役になりそうな塩梅になってる。これはGDPの伸びだけじゃなくて、日本は震災で港湾が壊滅したり鉄道民営化の上に貨物分社化して海コン扱いが出来ないなんてクソ失政を重ねたせいで物流(コンテナ、航空)の拠点が中国になっちゃったせいだ。
「多様性の統一」に噛みついた人らは、物流的に日本が中国から出てるローカル盲腸線の扱いになってるのとか知ってる?
共産党を揶揄したいって気持ちは判るよ。なんせ彼らは「民主集中制」について破棄したのかちゃんと説明も総括もしていない。
プロレタリアート独裁だってソ連や韓国、東南アジアの開発独裁の評判が悪くなってから言わなくなっただけであれってどうなの?ちゃんと破棄したのって事は有耶無耶になっている。
欧州なんかは左翼ポピュリズムが押してきているが、そういう訳なのでその流れに乗るの?って事もよー判らん状態。
だから「多様性の統一って字面が民主集中制そっくりでんなぁ」とかイヤミいうのは判るが、わざわざこんな有名な語彙を出しているのに悪意の解釈しているっていうのは、単に「国民国家の成立とか、多文化主義が起こす軋轢とか、人種のるつぼの本来の意味とか、ハワイの空港が何で日系人のイノウエの名前付けてるのかとか、インドネシアの建国理念とか知らねぇし、興味も無い生活送ってるんだろうなぁ」という情報しか外部に与えんよ。
電機業界で技術屋をしているんだけど、長期的に見て車の電動化が進むのは間違いないと思っている。
そのうえで気になるのは、技術の普及タイミングってそんなに正確に見切れるかなという事。
例えばうちの業界でいうと、有機ELの登場やフィーチャーフォンからスマートフォンへの移行という技術の切り替わりを経験している。
ディスプレイ技術としての有機ELは20年以上前から有望視されていたが、小型ディスプレイとして普及したのは2017年にiPhoneXで大々的に採用されてからである。
製品自体は2000年くらいから世に出ていた(初期型のFOMAに有機ELディスプレイが積まれてたのを覚えているだろうか?)から、かれこれ15年以上たっている。
普及までに長い時間を要しているわけだが、その間研究開発で先行していた企業はどうなったか?
NECはサムスン電子に技術を売り払って撤退、東北パイオニアは資金が続かず、アクティブマトリクス型の開発から撤退しニッチなパッシブマトリクス型の製造にとどまり、世界で初めて有機ELテレビを製造したSONYですら投資余力がなく製造部門を分社化。末裔たるJOLEDは売り上げ100億程度と小規模で事業としての利益は上がっていない。
スマートフォンにしたってそう。みんなタッチパネルで操作できる情報端末の研究開発をしていた。
本家Appleは90年代からNewtonを作っていたし、Sharpはザウルス、SONYはClieといった端末で試行錯誤していた。
みんな将来の方向性は読めていた。だけど、一般人が容易に使えるようになるための要素技術がかけていたからブレイクしなかった。
例えば、狙ったところを操作できるような、タッチパネルの進化。昔のタッチパネルって強く押さないと反応せず、操作しにくくなかっただろうか?あれは抵抗膜方式といわれる方式が使われていたからだが、それが静電気で反応する静電容量式が普及することで一気に操作性が上がった。
後はCPUの処理性能。過去のLinux搭載の携帯端末なんかは処理速度が遅く、ストレスがすごくなかっただろうか?
だけどiPhoneは最初からぬるぬる動いていた。そのレベルでストレスなく動かせるにはCPUの性能が上がる2010年代を待たなければいけなかった。
というように、いくつかの要素技術がそろって初めて、スマートフォンは一般に普及した。
つまり、新しい技術が普及するにはその前提となる要素技術がそろわないといけない。
だけどそのタイミングを読むのは容易じゃない。というか不可能だと思っておいた方がいい。
だから必ずしも将来的にEV100%になるとわかっていても、今全力でそっちに突っ込むのが正解とは限らない。
個人的には後発から巻き返すだけのエンジニアリソースと資金力のあるトヨタが、ガソリンエンジンの延命や水素の開発も含めて全方位戦略を敷いているのはすごく理にかなってると思う。
そういうわけで、変化の大きい電機業界の立場から過去を振り返ってみると、EVを強く押す人は前のめりすぎるかなという印象をうけるのだが、どうだろうか?
先日、久しぶりに電機メーカーの友人と自動車メーカーを退職した友人とリモート飲み会をして盛り上がった。
自動車メーカーを辞めた友人は国立大院卒の優秀なエンジニアで、私は家電業界には詳しいが、自動車業界は疎いのでいろいろ教えてもらって面白かった。
家電業界でこの20年に起きた栄華と凋落はご承知のように、SANYO、SHARP、Panasonic、東芝等など、経済ニュースを見ていればお分かり頂けると思う。SONYや日立など業績の良い企業は、すでに家電の不採算部門をリストラできるように前もって分社化し、投資ファンドに売却してどんどん切り捨てている。
そして、自動車業界である。すでにEV変革の時を迎え、アメリカではTESLAだけでなく新興電気自動車メーカーができ、中国でも自動車メーカーがどんどん新型EVを開発している。上海モーターショーでは電気自動車が盛況になっているそうである。
彼がいた自動車メーカーは、イノベーションのジレンマにハマって身動きが取れないらしい。経営としては正しくても、ずっとエンジン自動車開発のエンジニアがどーすんねんって話で。
スマートフォン業界に詳しい私にとっては『iPhone3Gが発売されたときの国内ガラケーメーカーって事?』で納得がいった。
今後10年〜20年で自動車業界に激震が起こるそうだが、家電メーカーでは先が無いと思った企業から、優秀な順に社員が転職していった。特に東大卒や京大卒の若手中堅エース社員が次々と辞める会社は、中長期的にリスクが高いと思っていい。
自動車業界で就活中の方は、家電業界に起こった悲劇を、ぜひとも参考にして欲しい。定年退職まで、あと40年は確実に経営がもたない自動車メーカーが出てくる。
※この旧版になります。完全版は無料でnoteで公開中ですので、是非そちらの方をご覧下さい。
https://note.com/syosin_kai/n/nb97f2a0a193a
ちょっとゲームの歴史をかじったことがある人なら聞いたことがあるだろう言葉『初心会』。
とにかくこの言葉へのイメージは最悪だ。「真っ黒組織」「ゲームヤクザ」「歴史の闇」「悪の秘密結社」etcetc。
そんな初心会だが、はたしてどれだけの人が正確に初心会とはなんなのか、どのような悪どいことをしてきたのか、そして最後はどういうふうに消えていったかを語ることができるだろうか? おそらく、ほとんどいないのではないだろうか。
この初心会について、私が調べたことをゲームの流通の歴史を絡めてまとめて書き出すぞ。これで君も初心会マスターだ! ちょっと長いけど勘弁な!
もともとの任天堂は花札屋であり、そこからトランプやおもちゃを売り出したことは知っているかな? 創業は明治時代だ。
1960年代前半の任天堂は問屋を通じてテリトリー別に小売店を団体で集め、トランプやかるたの特売セールの景品といった形で温泉招待旅行などを行ったりしていた。そうした中、「ダイヤ会」という親睦会が問屋内で自然発生する。このときはあくまでローカルな親睦団体という形でしかなかった。
1973年2月、光線銃といったヒット商品が出始めたのをきっかけに、このダイヤ会を全国規模のきちんとした親睦会の形にしようとして生まれたのが初心会だ。ファミコンが生まれるずっと前だ。そしてファミコンはこの初心会に参加している問屋(59社加盟、その中でゲームに力を注いでいたのは30社ほどだったそうだ)を通じてのみ、流通させようとした。これには理由がある。
ファミコンのゲームはROMカセットだ。ROMカセットはCDと違って作るのが大変だ。発売日の三ヶ月前にはどれくらいつくるか数字を決めなきゃならない。一本つくるのに1000円以上かかる。もちろん任天堂は自前の工場を持っているわけではないから、他社の工場にお金を払って作ってもらうわけだな。(ドラゴンクエストシリーズは京セラがつくっていたらしい)
つくってもらったゲームソフトを売る。売れればいい。残ったらどうするか? ROMカセットはとにかく廃棄しづらい。体積があるから倉庫の在庫としては大変だ。処分するにも金がかかる。そのため在庫なしの売り切りスタイルであることが求められた。第一、このときの任天堂に「日本全国どこでどれほど、どのファミコンゲームが売れるか」という予測を立てる能力はまったくなかった。
それゆえ当時の任天堂社長山内は初心会の力を借りることにした。ファミコンとゲームソフトは全量初心会への返品なし買い切り制。在庫は持たず、追加の注文が重なってきたら再販というスタイルだ。ファミコンの専売権を与えるかわりに返品は勘弁してくれということだ。初心会は全国にその配下の二次問屋があるので、彼らを通じて全国の小売店にファミコンを売りだした。ちなみに当初の初心会参加問屋の意見としては「こんなもの絶対に売れない」だったそうだ。
ややこしいのがこの後、ファミコンの登場に衝撃を受けたハドソンとナムコがサードパーティとして参加することだ。当時の任天堂はサードパーティが現れることを予測していなかった。というか、まさか他社がファミコンソフトを作れるとは思っていなかった。そのためサードパーティ参加用の契約書をあわてて作る羽目になったという。(このときアメリカにてアタリがサードパーティであるアクティビジョンを販売差し止めで訴えていたが、後に和解し、サードパーティが合法化された経緯があるため、そもそもサードパーティを認めない、という選択肢はなかったものと思われる)
このときのナムコは簡単だった。ナムコは自前でROMカセットを作ることができたからだ。アーケードの雄はハードウェアを扱う力に長けていた。ナムコに対しては自社生産を認め、1本100円のロイヤリティを収めてくれれば問題ないという契約を交わした。
ハドソンが問題だった。ハドソンは能力こそずば抜けていたが、なにぶん会社の規模が小さかった。とても自前でROMカセットは作ることができず、任天堂に頼ることになった。
任天堂からしたらさらに想定外の事態だ。どうやればスマートにサードパーティ用のソフトを流通させることができるのか。任天堂はリスクを負うことなく、かつゲーム市場が適正に伸びていくための方法を模索する必要があった。
最終的な仕様は、まずサードパーティは一括して任天堂に製造委託費を払う。その中からロイヤリティを差っ引き、任天堂は工場にROMを発注する。作る数は任天堂、サードパーティ、初心会の3つで相談して決める。初心会はサードパーティが任天堂に委託したROMを全数買取、支払いする。これで決まった。
もちろんこれが全てではない。年末はクリスマス商戦を狙って多数のソフトメーカーがソフトを投入してくるので、思ったような数が生産できないので任天堂が拒絶する場合もある。初心会の見込み以上に売れると意気込んだサードパーティが、自前で在庫を抱えてリピートを狙う場合もあった。ROMカセットは作るのにとにかく時間がかかるから、リピート発注が来てもそのとき在庫がなければ応えられるのは早くて三ヶ月後だ(半導体の在庫事情によっては半年待たされることもあったらしい)。そうなればすでに需要は中古で落ち着いてしまう。そういう理由で初心会の注文数よりも多くつくるメーカーもあった。そのままリピート注文が来ず在庫になった? その場合は大特価で二次出荷するしかない。君はかつてゲーム屋でファミコン版グラディウスが新品980円で売られているところを見たことはないか? あれはつまり、そういうことだ。
この中で任天堂を非難する流れがあった。サードパーティがソフトを出すにあたり、任天堂はなんのリスクもなくロイヤリティを徴収していると。しかしこれはそもそもファミコンという当たるかどうかわからないプラットフォームを立て、リスクを負った会社が得るリターンとしてはむしろ当然ではないだろうか。不満があるならセガのように自社プラットフォームを出せばいい。ナムコも自社プラットフォームを計画していたらしいが、結局世に出ることはなかった。
ファミコン時代の流通はこういうことで決まった。このあたりの動きでは初心会があまり悪の組織っぽくなくて意外かもしれない。こんな証言がある。スクウェアの創設者鈴木尚が2003年岡山大学にてインタビューを受けたときの発言である。
>初心会っていう問屋集団が、ある時期は全くファイナンスの役割を果たしてくれてたわけですよ。あまりに量が大きくなると「すみません、お金ないんですよぉ」って言うと手形をくれるわけです。その手形を担保に銀行からお金を借りるわけです。実質的には、ある日突然ファミコン・ブームが終焉しない限りは、返ってくるだろうという。
この時期はスクウェアがファミコンに参入したての頃を指す。任天堂はROMの製造委託費を前払いで求めてくるので、どこかが銀行の代行をしなければならない。そこで初心会が(正確にはその中の一つの問屋だろうが)その役割を果たしていたということだ。
スクウェアはこの後ファイナルファンタジーで有数のRPGメーカーとして名を馳せることになるが、実は完全覚醒するまでにはもう少し時間がかかった。初代ファイナルファンタジーの初回出荷数は40万本で、これが最終的には80万本まで伸びる。次回作ファイナルファンタジー2にて70万本超えの実績を得たが、実はこれ、途中でかなり問屋内で在庫が残って大変だったという。しかしファイナルファンタジー3では初のミリオン超え(最終的には140万本)を果たす。それに伴い過去作も売れるようになって、リピードがかかったというわけだ。このあたり初心会はうまくスクウェアのバックアップに動いているように見える。
そう見えるのは、それはスクウェアが一流メーカー入りを果たしたからだった。ファミコン末期の他のメーカーはどうだったか? 1990年8月晴海にて「ファミリーコンピュータ・ゲームボーイ展示会」「スーパーファミコン発表会」が行われた。年末発売のソフト中心に初心会や小売店に対して各ゲームメーカーが披露する展示会だ。この展示会自体は1988年からやっている。
しかし1990年ではついに「受注ゼロ」のソフトが出始めたのだ。しかも一つや2つではなく、この展示会で並んだソフト(約100タイトル)のうち、3割が受注ゼロだった。この時点でファミコン市場は売れるソフトと、そうではないソフトの差が尋常ではなく離れていた。
この場合、メーカーには2つの道がある。一つは発売中止。もう一つは「任天堂には最低限の発注を行い、初心会には最大限の営業活動を続ける」というもの。もちろん初心会に対して売る気を見せるために大規模な広告活動をやれば発注はくるかもしれないが、その分当然損益分岐点はどんどん高くなる。もっとも有効なのは卸値自体を下げてしまうことかもしれない。
そうしてギリギリの攻防が続けられなんとか出荷したゲームはどうなるだろうか? 端的にいうと、人気ソフトの添え物として扱われた。初心会問屋は二次問屋や小売店へ向けて1本の人気ソフトに対してこういった不人気ゲームや、在庫の売れ残りゲームが抱合せで売りつけた。このときのレートによって「1対3」「1対4」などという言葉が生まれた。(場合によっては1対8なんてのもあったらしい)
さらにはバッタ屋ルートなるものも存在した。問屋の不良在庫を捨て値で買取、独自のルートで小売店に売る。このときの小売店はゲーム屋とは限らない。スーパー、ディスカウントストア、リサイクルショップと様々だ。なかには「お楽しみ袋問屋」なるものもでてきて、中身が見えないファミコンソフトの詰め合わせが一山いくらの世界だったそうだ。こういった不人気ソフトはワゴンセールをとてもよく賑わしてくれた。
ちなみに抱合せ販売は違法なので、公正取引委員会による排除勧告が初心会問屋に入ったことがある。ドラゴンクエスト4の頃だ。そのためかわりに「新作ドラゴンクエストの受注を行います。なおドラゴンクエストの他にあの大人気ソフト郡(大人気とは言っていない)のリピート販売を行いますので、ぜひ同時注文してくださいね」なんて手法が取られた。
これらの状況を任天堂は当然良く思っていなかった。もともと任天堂はアタリショックを目の当たりにして、「クズソフトの氾濫は市場を殺す」と認識していた。そのため、サードパーティには本数制限をかけた。が、サードパーティ自体が増えれば意味がなかった。子供向けのおもちゃであるために表現規制を敷いたが、クオリティチェックはまだこの時行われていなかった。どんどん増えるソフトと初心会の流通在庫は市場を殺す材料になりえた。どこもが不良在庫を減らそうとやっきになって価格をディスカウントしてしまえば、プレイヤーは適正価格でゲームソフトを買おう、という意欲が損なわれる恐れがある。
そこで任天堂はこの状況を打破すべくスーパーマリオクラブという組織を立ち上げる。一般のモニタープレイヤー2000人超を使い、彼らに発売前のゲームを二時間実際にプレイしてもらい、どこがどう面白いのか、つまらなかったのかを評価をする。評価は項目ごとに点数付けされ、集計されたデータは問屋や小売店に送られる。このデータは雑誌ファミリーコンピュータマガジンなどにも送られ掲載されていたので、知っている人は多いんじゃないかな。そしてこのスーパーマリオクラブはソフト売上の予測も立てるようになった。意外なことにこの素人集団の予測が的中した。後年はマリオクラブの参加者自身が慣れてきてしまい、その予測が外れるようになってしまったが。余談だがマリオクラブはこの後正式な任天堂の品質管理部門となった。さらにその後分社化が行われ、マリオクラブ株式会社となった。
任天堂としてはスーパーファミコンを機に一度市場をリセットしようと試みた。品質管理に売上予測、あまりに多くなりすぎた流通在庫。今ではピンとこない話だが、当時のゲームメーカーは「いったいどれほどのゲームが実際にプレイヤーの手に渡っているのか、どれほど流通在庫が眠っているのか」を把握する方法がほとんどなかった。商売相手は小売店やプレイヤーではなく、あくまで初心会だからこんなことになったわけだ。
当時の任天堂社長山内はこう語っている。「どれほどのソフトが売れるか、我々にはわかりようがない。流通のプロに任せるしかない」。これは初心会オンリーの流通を自己弁護した言葉と思われた。しかしこの言葉には「流通のプロでもわからないのなら、任せる意味がない」ということを含んでいる。この言葉の本当の意味はこの後判明する。
そうして新たなスタートをきったスーパーファミコン市場だったが、これは結論からいうと、なんら変わらなかった。むしろますますカオスになっていった。このあたりからいよいよ初心会の初心会らしい悪行が目立ち出す。厳密にいうとこの美味しい市場に目をつけた業者が、なんとか流通に入り込もうとし、初心会の中の一部(ここはもしかしたら一部ではないかもしれない)が彼らと手を組んだ結果なのだが。
・スーパーファミコン本体がほしい場合はアクトレイザーとの抱合せで(違法? 知りません)。しかもスーパーファミコン自体の掛け率は98%。場合によっては小売超え。別売りのケーブル(スーパーファミコンはAVケーブルが別売りだった)を売るほうが利益がでる状況だ。
・80万本の出荷実績があるサッカーゲームの第二弾が登場したとき、初心会のとある問屋一社が初回出荷数50万のうち25万を買い占めた。この25万は発売日に大量には卸さず、自前で在庫として抱え、市場在庫が枯渇して小売店や二次問屋が注文してくるのに対し、他のクズソフトとの抱き合わせ(違法? 知らない子ですね)で売りさばいた。
・とある問屋がメーカーに対して「うちは来週から社員旅行にでかけるんで、申し訳ないのですけど一週間早くソフトを卸してくれませんか?」と要望があった。それに応じて一週間早くソフトを送ると、なんとそのまま発売日よりも一週間早く小売店にソフトが並んでいた。社員旅行なんてそもそも嘘だった。
・メーカーに対してゲームソフトを大量に仕入れることを約束する見返りとして、その担当者個人の口座にリベートを送るように要求した。
(続く)
https://anond.hatelabo.jp/20210504185958