はてなキーワード: 塞翁が馬とは
私立を先に受けて合格したら少し難易度上げて公立にチャレンジするか、妥当なレベルにするか。
そんな駆け引きがあった。
両親ともに必死で働いていた。
ともかく私立を受験させてもらえなかった、受かっても学費が払えない。
普通の家庭はそれでも念のために受験するのだが、公立一本が親の方針。
私立を受けていないので公立は確実に受かる下の下の受験しか認められなかった。
俺は頭が良かった、中学でやらされたIQテストは相当スコアが高かったらしい。
しかし、そう、頭が良いのが欠点だった、俺は猛烈に怠惰な人間だった。
なんとかなっちゃうんだもん、そりゃ世の中ナメる
アホ街道まっしぐらで大学受験にも失敗し専門学校にしか進学出来なかった。
ともかく、なんやかやで今でも生きてるが
不幸か?
能力よりも下のところで生きるの楽でいいんだわ
2,3時間労働すれば周りと同じアウトプットが出せちゃう、器用だから。
あぁこれが塞翁が馬かと
そんなもんわからんじゃん
思い通りの高校に入ってたら、悲惨な出会いや経験になってたかもしれない
逃した魚は大きい、入るはずだった高校に入れなかった事件が中学生にとって大きな人生のターニングポイント、転落の序章に感じるのもわかる
が、人生に大した影響は無い
アホはアホなりの人生だし
利口なら高校がどこだろうがどうにかなる
大した問題ではない
マスコミ大騒ぎしてるが、アホかとw
今結婚4年目です。
あの日ボロクソ言われた悔しさを糧に頑張ったで。
草
いま元増田読むとどう思うのか知りたい
価値観変わった?
あんだけキモいキモいとブッ叩かれてたからむっちゃキモいやろなーと思って今読んでみたら価値観(労働やら性差やら)は大きく変わってなかったわ。表現の仕方?修辞?は読んでて恥ずかしなったけど。
当時は本当に視野が狭くて「この人逃したらワイは孤独死や!!!」くらいのテンションで気合い入れてたから、ダメだったときはほんまに堪えてキモポエム書くことでしか精神を保てんかったんや…。
今ブコメするとしたら「言いたいことは分かるが事前のすり合わせやら妥協点を探る努力怠ったらアカンで。極論やけど誰かとしか結婚できない人より誰とでも結婚出来る人の方が強いし人生豊かやで。」かなあ。もちろん当時の俺には絶対響かんと思うけどな。
元メールの粘着質なところが4年も前の増田を今も引きずってるところと余りに印象一致してて、証拠は無いけど絶対に同一人物なんだろうなって思いました。
8年前な。あんだけキモいキモい言われたら向こう2兆年は覚えてるわ。キモいのは自覚しとるが人から言われたらそら腹立つやろ。言いたい放題したあげく都合悪なったら「引きずってる」とは恐れ入る。あと元記事にも追記書いてるから証拠は有るで。
みとけよみとけよ~
俺は小学校の時に教員が3回変わったけど3人とも「まあこんなのは使いやすい表現ってだけだ。これが正しいってわけじゃねえよ。馬鹿が休むに似たりだからって考えるの辞めたらそこでもう人生終わりだから最後まで頭使えよ」みたいな話をしていたように思う。
でもそうじゃない人って結構いるみたいなんだよな。
「こういう諺にもある通り、つまりはそういうことなのだよ」みたいな言い方をする人が。
つまり彼らが言うには「諺にもなるぐらい昔からよく合ったことなのだから、今だってまずそうなんだ」ということらしい。
いやそうでもないだろ。
人生万事塞翁が馬と言えるような転がり方をすることなんて珍しいし、七転八倒はしなければいけないって意味じゃない。
転んでもただでは起きないってのは性格の話であって、無理して利益を得ようとする人間の方がかえって痛い目を見たりする。
そういう感覚を持たず、「こういう名言があるらしい。つまり正しいようだ」という短絡的な思考でずっと生きている人がいる。
これぞまさに「休むに似たりだからと割り切って考えることを辞めてしまった馬鹿」という奴なんだろうかなと思う。
実際どうなんでしょうね。
「人間万事塞翁が馬」は、普通だと「にんげんばんじさいおうがうま」と読むが、それは間違いであり、本来は「じんかんばんじ」と読むべきである、という人々が存在する。「人間万事塞翁が馬」における「人間」とは、「人」を表す「人間(にんげん)」ではなく、人と人の間、つまり「世の中」を意味する「人間(じんかん)」を意味しているからだ、という主張である。
この「塞翁が馬(塞翁失馬)」の故事は『淮南子』を出典とする。ただし字句としては「人間万事」も「塞翁」も『淮南子』には出てこない。ではどこからきたのかというと、中国の禅僧・晦機元煕の詩の「人間萬事塞翁馬 推枕軒中听雨眠」という一節からである。あるいは中国本土では王士端の「人間万事塞翁馬 只生歓喜不生愁」のほうが有名らしいが。いずれにせよこれらの「人間」は確実に「世の中」という意味で使われている。なぜなら中国語の「人間」に「人」という意味はないからである。
ではやっぱり「人間万事」は「じんかんばんじ」と読むべきなのか、というとそういうわけでもない。そもそも、「世の中」という意味の「人間」は「じんかん」と読むべし、というルールがないからである。
「人間」の語源は「人の世界」「世の中」という意味の仏教用語「人間」である。これは漢音で読めば「じんかん」となるが、仏教用語は呉音で読むことが多いので「にんげん」という読みで広まった。実際、いまでも辞書で「人間(にんげん)」を引けば、「人の住む界域。人間界。人界。人間道。」という説明が載っている。
しかし、やがて「にんげん」は「人」そのものを指すように変化していったが、あまり使われていなかった「じんかん」は「世の中」を指す意味のまま残った。そういう流れなので、「にんげん」は人を、「じんかん」は世の中を指す、というような使い分けがあるわけではなく、「世の中」を表すのに「にんげん」と読んでもいいのであるが、それだと「人」という意味と紛らわしいので、敢えて「じんかん」と読むことが多い、という程度の話なのである。
よって「にんげんばんじ」は間違いではない。もちろん「じんかんばんじ」が間違いというわけでもないが、多数派の読み方をわざわざ否定してイキる必要はないと思う。
正しい感覚だと思います。時効だから書くけれど、あれは本当にただの内部抗争です。
元々、日本のテコンドー(以下、WTテコンドーと呼ばれる五輪種目の韓国側のテコンドーの話。北朝鮮側にITFテコンドーというのもあるがここでは無関係)は
【1】 在日本大韓民国民団(民団。会員数33万人の在日韓国人・韓国系日本人の為の団体)が韓国本国からテコンドー師範を連れてきて、テコンドーを在日コリアンを中心に広めた道場。現在では日本人師範・日本人選手も多数居るが、トップは韓国人師範である事が多い。
【2】 日本テコンドー協会(日本人のヤ●ザとか風俗雑誌の出版社がスポンサーについて作られた全日本テコンドー協会の団体)が韓国本国からテコンドー師範を連れてきて、テコンドーを日本人を中心に広めた道場。韓国から来たテコンドー師範は既に帰国済みで、指導者は日本人中心。
【3】 その他。(ソウル五輪を契機に流入してきた別ルート・あるいは独自に韓国から若い師範が来日して直接流入した道場など)
クーデター前の全日本テコンドー協会は【2】やそれに近い【3】の日本人を中心とした道場の出身者が理事の多数を占めており、明らかな日本人師範優遇で【1】や【3】の韓国人師範を露骨に冷遇する風潮がありました。また、【3】の系統の道場にいる日本人師範も【2】には良い感情を抱いていない師範が少なからず居ました。
トップの金原会長は元々は【3】に属する道場関係者が最初はタニマチとして外から連れてきた人物なので、テコンドーに関しては完全に素人です。【1】や【3】の韓国人師範としては良い感情を最初から持ちようがない状態でした。勿論、選手達も同じでした。
そういう常態なので、【1】や【3】の選手が代表に選ばれた場合も日本代表監督として【2】の指導者が選ばれている事が多々あり、選手たちや【1】や【3】の師範達は不満を抱えていました。
代表選手達は自分達を日頃指導してくれる【1】や【3】の師範に指導をして欲しいと考えていました。
そんな危うい状態で分裂したり色々揉めたりを繰り返しながら、東京五輪というビッグイベント開催直前になり、不満が爆発したのが先の事態でした。
【1】や【3】の指導者たちは【2】をテコンドー界から追放して自分たちがその後釜になる事を狙ったのですが、
結局はJOCの介入によって喧嘩両成敗。全員悪かったという事で、【1】【2】【3】全ての指導者たちが理事の座から追い出されて、テコンドー外部の人間達で理事会が作られることになります。
現在の協会では、その組織図を見るに適切な人物が適切な役職についていると言えますので、「雨降って地固まる」といいますか「塞翁が馬」といいますか、
東京オリンピックが閉幕したら死のうと思っていたのだが、あれよあれよという間に結婚していた。妻と出会ったのはほんの数ヶ月前のことだったのにも関わらず。
この北京オリンピックも盛り上がりを見せてきたところで、自殺願望もとりあえず重箱の隅に仕舞いこんでおける水準になっていることに気が付いた。
経緯を増田に簡単に書き残しておくことで、誰か必要としている人に届けば良いと思う。
僕はかなり重度の自殺願望の持ち主だ。
いや、正確に言い表すのならば、「自殺願望の持ち主だった」。
元々、どこから湧き出てくるか不明な死にたい気持ちの源泉を抱えて生活してきた。精神強者にはあまりわかってもらえないことなのだが、「生きていること自体が自傷行為」なのである。
学生時代も挫折と絶望の繰り返しで、それなりに死んでしまいたくなることはあった。なんとか資格で食っていける学位を命からがら取得し、赴任地や所属といった諸々の見通しがたった後は、気を紛らわすような生きて行くための指標を見失い、ずっと「一体、これから俺は何のために生きていけばいいのだろうか?」と迷子になりかけていた。
趣味でも、恋愛でも、誰かこの人に尽くす為に生きてゆきたい。そういった、生きる痛みを和らげ覆い隠すだけのわけが必要だった。
私にはこれといった趣味がない。何か気分がいい感じに紛れるモノを探す努力もしてみたが、一向に見つからなかった。元々根は不真面目な社会不適合者なので、昇格昇進を目指して仕事に打ち込むことも出来なかった。恋活はじめいわゆる婚活と呼ばれる活動にも参入してみた。だが、案の定誰からも愛されることは無かった。
誰からも求められず、自分は何のために生きているのかわからないまま大阪で過ごす日々は、着実に心身のHPを削っていった。
婚活で出会う女とやり取りするうちに残りギガも減りゆき、やはり自分のように価値のない人間が愛されるにはネットだけでなくリアル対面が必要なのだと思うようになった。そして、遠隔でもいいから分かりあえるパートナーと生涯を共にしたいと熱望するようになった。
いっそのこと手っ取り早く障害者手帳を取得し、ハートフル割でTwitter婚活に専念しようかと考えた。しかし手帳を申請する前段階の診断書ゲットで躓き、身動きが取れなくなってしまった。
処方薬の大量服用を試みた。失敗した。目が醒めたからだ。次はもっと致死率の高い量と血中濃度を計算しようと誓った。
いずれにしても、「実行できなかった」。自殺願望を持つ者の中でも、思い描くことと実行することには大きな隔たりがある。「俺は本当にいつでも死ぬことの出来る人間なんや!」という思いを確かにし、ずいぶん勇気づけられた僕は、急な断薬をすることにした。
サナトリウム的な保養所に連絡してサポーター氏と減薬調整を進め、彼らから「お前の寛解を認める」という言葉が得られたのは、雪がとけゴールデンウイーク目前となった頃で、私は44歳になっていた。
「寛解」という言葉の軽々しさに、「これが誤診だったらいいな」と執着心を捨てきれずにいた僕だったが、そこから次元を上昇するかのように幸福が立て続けに起こった。
元職場の上司が菓子折りを持って過去を詫びにきたり、身内が出産したり、別の身内が学会で表彰されたり、海外の親戚が帰国し、その勢いで一族での花見をやったりした。短い期間に懸賞に連続で当ったことも、一度や二度ではない。
そのわりに仕事がうまく行くようなことは無く、再開した婚活でも坑精神薬の服用歴があり厳密には完治したといえない僕のような人間を愛する異性なんているはずもなかった。
そうして悶々としているうちに、疎遠になっていたそういう友人たちのうち何人かと交流を再開するようになった。しかし僕の心の隙間は一向に満たされる気配はなかった。
もう何をやってもこの人生はなるようにしかならないと悟り、私は何を思ったか一匹の保護犬を引き取ることにした。ミニブタの飼育もはじめようと思い付いた。
そんな折、婚活仲間として意気投合し、一緒に遊んでいるうちに希死念慮を打ち明け合うようになり親しく付き合っていた友人から連絡が来た。私の数少ない、大事な親友だ。
それは、「一緒に死のう」という申し出だった。「さもなければ一人で死ぬ」という話だった。
私はその申し出を断固拒否した。その代わり、友人と
文章はここで途切れていたので、今こうして続きを入力している。
私は友人にとって特別な存在になることができた。それだけでもう、苦しんで生きた甲斐があったというものだ。そしてもう私の生きる意味も役目を遂げた。
ここから先にあるのは、更に苦しく孤独な未来しかないと思った。私自身の心ももう、本当に限界を迎えていた。
もういつ死んでもいいと思っていたが、最後にせめてやり残したことを全て終えてからにしようと思った。
さらに文章はここで途切れていたので、今度は私がこうして続きを書き込んでいる。
文章の推敲をしていると、近所に住んでいるというフォロワーの方から連絡をもらい、会うことにした。
私は彼女のことを何度も見たことがあった。見るに耐えうる程度には美しく、刺身の上にタンポポを載せるような仕事をしている人だった。
彼女は、「あなたのファンです」と言った。何故か僕が近くに滞在していることを知っていたのだという。そして彼女は、「私は、あなたの人生に責任を負う覚悟があります」と言った。
だが、僕は自分で言うのも何だがわりかし顔の造形が整っていて陰キャでコミュ障傾向にあるが自殺願望や希死念慮から起死回生を図った逞しいマッチョである。彼女のようなどこか気が抜けていてポンコツで味のある(一応誉め言葉だが彼女に文意が伝わるか定かではない)女が、僕のことなど好きになる知能を持ち合わせているはずはない。分かり切っていた。
しかしまあ、騙されても奪われるものなど無い私は、彼女の言うがままデートを重ねた。そうして数か月経った頃、気付いたときには結婚し、主夫になっていた。息子と娘も誕生した。
人生は塞翁が馬みたいな感じだ。こうなるのには奇跡のように途方もない強運が必要なのは間違いないが、しかし一つ言えることは、私は、「ぎりぎりまで生きるのを延長していた」ということだ。
私はこの人生をもはやどうでも良いと思っていたが、ひとまず「とりあえずこれをやる」というものを探し、生きるのを何度も延長した。
死ぬ前に、小説を書き上げようと思った。コロナ対策をしつつ旅に出ようと思った。ブログを書こうと思った。ふわっちやInstagramをやろうと思った。とりあえずなるべく他人と会おうと思った。
そうして何度も何度も生を僅かずつ、ほんの少しずつ延長していなければ、妻が私を見つけることは無かっただろう。
そして妻の人生もまた尋常なものではなく、私に共感を覚えるような深い悲しみを抱えている人だった。そして全てのタイミングがピックアップしたパズルの破片のように奇跡的に当てはまり、ネットの海から掬い上げられた。
自分のことを特別にして求めてくれる誰かに愛され生きることは、思っていた以上に私を楽にしてくれた。
妻は、私がナルシストでニヒリズム主義でいることを許してくれるし、妻にとって私は、今のところ良い主夫として何とかやれているみたいだ。来年の春には新しい職場で働くことが決まっている。きっと能力者扱いされると思うけれど、なろう主人公程度には大丈夫だろうと思えるくらいにはなった。
だから死にたいなんて甘えだとか、問答無用に生きるべきだとか、大事な人が悲しむだとか、生きてることに感謝しろだとか、そんなトンチンカンなことを言うつもりは金輪際ない。
一度「死ぬ」ルートに入った人間を掬い上げるのは本当に困難だし、何の代償も支払うことなく他人の人生を救うことなんて、基本的には誰にも出来ない。
だけど、もしこれを読んでいる人の中に死にたいと思っている人がいたら、死ぬ前に、何か言い訳をしてみて欲しい。
あのYouTuberが配信するから今日はとりあえず夜までは死なないだとか、映画を見まくって、芸術に触れて、ときには創ってみて、食って寝て、会いたい人に会って、未練が残らないように、ギリギリの本当にギリギリまでやることを見付けて、やり尽くして、それでも未だ死にたいと思うのなら、好きにしたら良いと思う。
その最期の一瞬までに、これを読んだあなたのことを誠実に見てくれている誰かがいて、手を差し伸べてくれることを切に願う。