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2018-05-20

日常ミステリ好きが【少女秘封録】を読んでもいいいくつかの理由

日常ミステリを好む方でも、2009年から足掛け10年、既刊19作にわたって続く『少女秘封録』(浅木原 忍 著)という作品を知っている方は、そう多くはないかと思う。

それも当然、これは東方Project二次創作として制作頒布されている同人誌であり、一般的知名度があるわけではない。

おっと、東方に興味はないとかいう方も、もうちょっと目を通してくれ。

詳細は後からゆっくり語るが、この作品。すこし特殊立ち位置なのだ。なにしろ、「東方Projectに関する前提知識は、ほとんど必要がない。」

どのくらい必要がないかというと、「東方はよく知っているがミステリ小説は読まない」人よりも、「東方はまったく知らないがミステリ小説はそれなりに読んでいる」という人のほうが、作中で語られるネタについて、より深く楽しめるだろうと思えるくらいだ。

ちなみに19作とはいっても、ストーリーの大きな流れはあるものの、ほとんどが連作短編集、たまに長編といった形で、各エピソードもほぼ独立していて、わりと気軽に手を取れることには言及しておく。

少しでも興味がわいたのなら幸い、もうちょっとこの語りを読んでいってほしい。

東方Project知識が(ほとんど)必要ない

さあ、まず、ここを説明しなければ始まらない。

まず、この作品は、東方の中でもやや特殊な「秘封俱楽部」の二次創作、という立ち位置であるそもそもこの「秘封俱楽部」、東方の主な舞台となる「幻想郷」とは切り離され、現実世界ベースとした世界設定になっている。

でも二次創作には違いないし、キャラも知らないし? 心配はいらない。導入となる第一作では、キャラクターを一から構築するのと変わらない丁寧さで、主役となる二人の背景をきちんと描いている。端的にいって、事前情報必要ない。

また、このシリーズの最大の特徴として、各エピソードは主役の女子大生二人と、「ゲストキャラクター」との絡みによって紡がれる。この「ゲスト」は、幻想郷の住人の「そっくりさん」ではあるが、あくまで作中の世界を生きる人々である

たとえば、「図書館魔女」が「図書館司書」だったり、「姉妹の騒霊楽団」が「姉妹バンド」だったり、「虎の妖怪」が「タイガースファンのお姉さん」だったりするアレンジのやりかたを楽しむくらいしか原作要素はない。

(もともと現実世界キャラである東風谷早苗がどういう扱いになるか気になる人は、『ヘビガエル・サナトリウム』を読むのだ)

大事ことなので繰り返すが、『少女秘封録』を読むにあたっては、東方Project原作の前提知識は、まず必要にならない。

ミステリ好きにはたまらない会話

「秘封俱楽部」を原作にしているとはいえ、それを「少女秘封録」という二次創作キャラクターとして肉付けするにあたって、もっとも大きなものは、「主役ふたりを、現代ミステリ小説マニア」にしたことだろう。

第一第一話『桜並木の満開の下』の冒頭で、語り手が手にしているのは、島田荘司『異邦の騎士』だったりする。

三月は深き紅の淵を』の感想から恩田陸論をたたかわせる女子大生ふたりとか、ちょっとゆっくり観察したいとは思わないだろうか。

探偵事務所」といわれて連想するのが巫弓彦の名探偵事務所だったり、カラット探偵事務所だったり、真備霊現象探求所だったりする会話は微笑ましくもなるだろう。

こればかりというわけでもないが、こんなふうに、マニアックになりすぎない程度に「ミステリ好き」を全面に押し出しミステリ小説、というのもちょっと貴重かもしれない。

良質な「日常の謎」

背景設定が設定だけに、物語全般としてはオカルトSFが入り混じる世界観になっている。しかし、ミステリとしてのパートはそのほとんどが「人の想い」のすれ違いによる、どこにでもある「日常の謎」である

そうやって生まれる謎に対して、主役のひとりはまっすぐ他人の心を思いやり、もうひとりは探偵の目をもって冷徹に、挑もうとする。しかしそれはどちらも、謎を解明することで、その謎を抱えるひとを幸せにしようとし、一貫している。

ひとの気持ち一筋縄はいかない。だからこそ、それに逃げずに、「探偵」として「助手」として、謎に、人に、向き合う。これは、そんな「日常の謎」の物語なのだ

手に入れるチャンス

そもそも、なぜ、このタイミングでこんな語りをしているのかといえば。

忘れてはいけない、この作品同人誌一期一会をつかみそこねたら入手が困難……

なのだが、ちょうど、ほぼ全巻の再販がかかったということで、この機会を逃すとほんとうに手に入らなくなるかも、しれないよ?

https://twitter.com/asagihara_s/status/997845336977625089

ちなみに、短編のうちいくつかはネット公開されているので、合うか合わないか、くらいの参考にはいいかもしれない。

http://coolier.dip.jp/sosowa/ssw_l/80/1247237593

http://coolier.dip.jp/sosowa/ssw_l/83/1249505488

http://coolier.dip.jp/sosowa/ssw_l/84/1250764821

2018-04-08

福島の桜

今年も桜の季節が来た。

今の日本で南から桜前線が通過しているのは、ちょうど東北付近もその一帯だ。

私は福島出身だ。

場所沿岸部、幸いな事に津波の影響はなかった。だからこうして、帰省することが出来る。

あれから、7年経ったそうだ。

私は今年、運良く桜が咲きはじめた頃に帰省したので、母と2人でドライブがてら県内の桜スポットを巡った。

久しぶりに母とあちこち行った気がする。

最初に行った公園は私が知らない公園で、桜は5~7部咲きだった。

それでも綺麗だったし、母がこんなところに連れてきてくれた事が意外だったが嬉しかった。

母はちょっと歩いた先に、ヨットハーバーのようなところがあると言った。そこは震災津波被害にあったけど、作り直されたんだと言った。

復興が進んだんだな、とそこを見に行った。釣り場や、ヨットか船の停泊所があり、近くの海辺では子供たちが遊んでいた。

私はその場所を見下ろせるところにいた。震災の時、津波で飲み込まれ映像の地形と似ているなと思った。

それから、新しく某商業施設ができるところを見に行った。

工業地帯で、道路がとても広い。

この商業施設(スーパー)がオープンしたら、この道路もいっぱいになって動かないんだろう、と母が言った。

市内に大型施設ができると道路が混雑したことを思い出した。きっとあの施設オープンしたら同じことが起こるだろうと思いながら、外壁が出来上がったその建物を見つめた。

どうやらこの複合スーパーを作るのに、地元商店街やら何やらから反発があったらしい。どのような着地になったのかはわからないが、1部では歓迎されないと言うのは、きっとどこにでもある問題だろうけど、それはここでも一緒なんだな、と思った。

私はここが、市内の活性化の場になるとか、今まで無かった何かの場になるとか、そんな事を望んでしまった。

はっきり言って市内の人間はこの施設を知らないわけはないし、控えめに言ってみんな楽しみにしているのである

市内に初めてスタバができたあの時の比では無い。

ここでも、新たな復興の形を見た。

隣接するアクアマリンとららミュウ活性化することを見込んだ配置。有難いなと思った。

観光客にはぜひ金を落としていってほしい図式が出来上がっていたので、施設並びに出店店舗にはぜひ頑張って頂きたい。

因みに、市場のようなあれの中で炉端焼きができたりするので観光客の皆さんはアクアマリンに行ったあとにぜひ魚を捕食して欲しいと思ったのでオススメしておく。

その施設工事現場を見に行ったあと、1時間ぐらいか?かけてその場所に行った。

県内、あるいは市内では有名な夜の森公園という所だ。

車でずっと走って行った。途中、山の中では桜の開花が遅いようだった。

夜の森も桜がまだ咲いていないのではと母が言う。そうかもしれないね、と私は返す。

それでも、夜の森の桜に向かった。桜を期待していたのかもしれない母には悪いが、私は咲いていなくてもそれでも良かった。

車で行く途中、母といろんな話をした。

私が子供の頃そこを見に連れて行ったこと、私はちょっとだけ覚えていると言ったこと。昔の話をするにはい時間だった。

カーナビ目的付近だというそこは、確かに並木で、桜のトンネルだった。

ピンクに覆われたトンネルは7部咲きではあっても圧巻だった。

尚且つ、車も通らない。なんなら人も居ない桜並木写真に収めるとなんの邪魔もなかった。間違いなくインスタ映えするだろう。

ただやはり、何かが違った。

その地域に入ったあたりから気づいてはいた。

人が住んでいないのだ。

家があっても、農家だとわかる家やどんなに新築に見える家があっても、人が住んでいる気配が全くない。

それはたぶん、普段生活している中で経験することは無い事だし、あの地域に入ったあの違和感や何かしらを感じるなんてことは不可能だと思える。

まり夜の森原発事故によって帰宅困難地域により、進入禁止にされている地域を含んでいた。

一部しか通行することは出来ず、廃墟となったコンビニか何かがある所には、柵でその先を閉じられていた。

柵の先と、自分今立っている差は、何が違うのかまったくわからなかったが、その柵の先もお構いなく、桜並木は続いていた。

次の週からライトアップされるらしい。

桜が散る前だといいな、と思った。

人が住まない町。アレ以来、何度か訪れた。

家がある。だが人は住んでいない。道すがら、桜はこれから咲くんだよと話した。風景でわかる、普通じゃない景色。私の地元ではないが、それはっきりとわかる。

桜は綺麗だった。

2018-03-01

帰りの電車満員電車とは言えないもの結構混んでいた。

おれは、電車の中に入って、後ろの人たちも中に入れるようにつり革を持ってる人たちの並木道の間に入っていく。

それが間違いだった。悩ましいことを考えなければならなくなる。

おれの左のつり革をもってるのは片肩にリュックを背負ったおっさん

とても疲れていた。

目をパチクリさせては、電車の中とシャットダウン世界を行ったり来たり。

そのスイッチに反応するかのように揺れる電車

そしてその揺れがおっさんリュックに伝わり小さな弧を描き、おれにちょっかいを出してくる。

1億万もらう代償に毎日いやなことされるけど何なら許せる?の迷ったあげくに許せないとの回答をするぐらいのウザさ。

しかにウザいのだが、おっさん疲れてるしなー。

それに嫌なハゲ方してるし。


おれのこのいらいらは今日の綺麗な満月を見て、空中に彷徨って行った。

2017-12-22

少女終末旅行が最高すぎたので何が素晴らしいのかを言語化してみる

少女終末旅行は素晴らしい。さっき最終話を見たばかりのワタシからすればこれはもはや自明なのだが、もしかしたら明日朝起きたワタシにとってはそれはもはや説明必要とするような感覚かも知れない。だが、ワタシはこの気持を忘れたくないので、一度言語化してみる。言語化することによって記憶は記録となる。記録を残すと思い出はより高い精度で再生する事が可能になり、明日以降のワタシも少女終末旅行の素晴らしさを忘れないでいることが出来る様になるのだ。話が逸れてきた。興奮しているようだ。落ち着け

落ち着いた。続きをかく。

ここ数話の少女終末旅行を見てワタシの記憶に蘇ったのは2つのアニメだ。1つはけものフレンズ、もう1つはテクノライズ。どちらも素晴らしいアニメだ。片方は滅びた後の優しい世界を描いた作品であり、もう片方は滅びゆく優しくない世界を描いている。少女終末旅行世界は優しくない世界の名残が各所に残る優しい世界だったからこの両者を思い出したのだろう。1つ間違いなく言えるのは、滅びるとは美しいという事だ。そして、滅びていると滅びていくが同居する、滅びかけの世界はとても美しいという事だ。

少女終末旅行世界は滅びているし、滅びかけているし、滅び続けている。そして少女終末旅行世界には世界を滅びから救う道が残されていない。人類世界が滅びることで、別の新しい世界が生まれていると捉える事はできるが、人の世が滅びることはもはや避けられない。世界に残されているのは思い出と、ほんのわずかな人間であり、そこから人類世界が蘇る未来はもはや何処にもない。

滅びている世界の中で、残されているのは人類がかつてそこにいた記録だけだ。だが、それらの記録を人類記憶として再生するための人間がもはやいない。観測者不在の世界において記録はただのデータであり、記憶に書き換わることはない。そこにオッサンやオネーサンや、2人の少女がやってくることで、かつて人類がそこにいた世界を生きる日々の思い出が生まれていく。この世界に人が居たことを証明する事が出来る存在はもはや残り僅かだ。

歯車が、兵器が、工場が、食料が、機械が、記録が、人類がこの世界にいた証拠がこれほどまでに溢れていて、自然を上から覆っているのに人間ほとんど残っていない。矛盾だ。人間の為に存在するもの世界を覆っているのに、人はもうほとんどいない。矛盾ではない。人間の為に存在するものは、人間存在していたことは証明しても、それらを築き上げた人間たちが今もそこにいることはまでは証明しない。


あの世界は屑鉄色だ。しかし、その世界で描かれる物語は暖かく柔らかい。それはそこにいる人間が柔らかいからだ。つくみずデザインの丸顔はとても柔らかい饅頭を頭に乗せたような顔をしている。ちーちゃんはとても柔らかい。ユーもとても柔らかい。2人の関係も柔らかい出会人達もまた柔らかいあの世界はあんなにも固くて冷たそうな物ばかりが溢れているのに、その世界観測する人間が柔らかいからあの世界は柔らかい

屑鉄色の固くて冷たい世界が、それを眺める人間によて柔らかくなっていく。その過程があそこにはある。


少女終末旅行が何故素晴らしいのか。それは夜に見るのに相応しいアニメからであろう。それも週末の夜に見るのにとても素晴らしいアニメだ。週末にやっているという事が素晴らしいのかも知れない。放送時間はとても大事だ。平日の夜に見る深夜アニメは、次の日が平日であるという気持ちから入り込めない。平日への逃避の気持ちから深く入り込めるという意見もあるだろうが、それは入り込み方として濁っているとワタシは考える。これはワタシの個人的意見だ。平日が終わった金曜日の夜に、一週間の仕事の疲れを抱えながらテレビを見る。季節は冬だからもう周りは真っ暗で部屋は少し寒い。だけど心は穏やかだ。膝に載せた電気毛布ほのかな暖かさと柔らかさが肌にしみる。そしてアニメが始まる。人気のない道をケッテンクラートが進む。寒空の下か、暗い工場の中を。少女達が現れる。途端に世界は晴れやかになる。晴れやかなまま穏やかに物語が進み。OP流れる。とても心地よい。そしてCMがやってくる。

物語が再び始まる。冷たい雪景色に轍を残して軍用の半装軌車が進む。少女達が取り留めのない会話をする。雪が鉄を覆う景色灰色と白の二色だ。しかし、その世界がまとう空気は春の並木道を思わせるような暖かさだ。世界は温かい世界は冷たい。硬い。柔らかい矛盾した感覚。滅びゆく世界未来のある少女少女2人の旅。未来のない世界矛盾。心地よい。コタツに入ってアイスを食べるような。心地よい矛盾

物語は進む。世界真相は少しずつ暴かれる。暴かれているようで、暴かれていないようで、暴かれていく。世界の滅びの核心が近づく。世界が滅んでいても、2人の旅が楽しいことが確信に近づく。世界は滅んでいる。間違いない。もう駄目だ。救いはない。2人一緒の度は楽しい。もう疑いの余地はない。救いはある。

滅びの美学少女の愛らしさをラッピングしているのか。少女の柔らかさで破滅の寒さを包んでいるのか。相互作用だ。相互作用しあっている。混ざることのない2つが混ざり合わないからこそ引き立て合う。深夜アニメだ。深夜アニメとはこうあるべきなのだ。言い過ぎている。だが他の言葉表現したくはない。真夜中に起きているような年齢の人間が、子供の見るような絵柄の番組を見る。内容は子供でも分かるような気がするが、大人の方が楽しめるように作られてもいる。難しい話をしているようにも見えるし、幼稚園児向けのおとぎ話みたいにも見える。深夜にやるアニメ特別時間。その特別がこの所は失われてきた。大人向けのおとぎ話、少し背伸びしたい子供のためのカルチャーオタク向け作品オタクでない人間の視聴にも耐えるような作品。本当は誰のものなのか誰にも分からなくて、きっと誰のものでもない。子供寝る時間大人も寝たほうがいい時間にやる番組狭間世界にある狭間テレビ。柔らかくて、冷たい。暖かくて、硬い。心地よい矛盾。その手触り。思い出せた。ワタシが深夜アニメを好きな理由言語化しきれなかったけど、せめて言語化出来た範囲までは記録できたはずだ。何故ならこうして言語化したのだから

とりあえず言いたいこと。ちーちゃんが凄い可愛い。ユーが可愛いのは、ユーがちーちゃん可愛いと思っているからだと思う。相互作用

2017-06-07

うろ覚え花咲かじいさん

むかしむかしあるところに、おじいさんがいました。おばあさんもいたような気がします。

おじいさんは犬を飼っていました。

名を平八といい、それはそれはとてもかわいい犬でした。

ある日、おじいさんが畑仕事をしていると、

平八が「ここ掘れワンワン!」と命令をしてきました。

平八の命令通りに地面を掘ってみると、大量の小判が入った壷が見つかりました。

おじいさんはその小判でもう一生働かないで暮らしていけるようになりました。

このことを隣のおじいさんとおばあさんに自慢したところ、

「それなら私達にもその犬を貸してくれないか」とお願いされました。

おじいさんは快諾しました。

「しめしめ。これで私達も大金持ちだ」

おじいさんとおばあさんは平八を自宅の裏庭に放ちました。しかし平八は寝転んでしまい、やがて鼾をかいて寝てしまいました。

翌日も、その翌日も平八は寝たままで、いつまで経ってもお宝の場所を教えてはくれませんでした。

「むむ!このクソ犬め!」

おじいさんとおばあさんは平八を棒で叩きました。

「キャイン!」

平八は叩かれたくないので、

「ここを掘れ!」

と渋々言いました。

「ひぃやったぁ!」

おじいさんとおばあさんは狂喜乱舞

一心不乱に掘り続けました。

すると大きな大きなつづらが出てきました。

「こりゃあ壷なんか比較にならん!わしら大金持ちじゃ!」

しかし葛篭から出てきたの小判ではなく妖怪でした。

「ひゃぁぁぁ!!」

おじいさんとおばあさんは妖怪と一週間戦いました。

そして、

「このクソ犬がぁ!」

ついには平八を叩き殺してしまったのです。

「なんてことだ……」

「ふん!このクソ犬がいけないんだ!」

隣のおじいさんとおばあさんは悪びれる様子もなく、唾を吐いて帰っていきました。

「平八……」

おじいさんは大変悲しみました。

涙を流しながら平八の亡骸を燃やしました。

燃え尽きた骨を広い、それを小さなお皿に入れました。

そして平八が大好きだった桜並木を歩いたのです。

「わしは平八と共に居たい。金はあれども大切な者はみんないなくなってしまった」

悲劇悲劇じゃあ!

おじいさんは叫びながら灰となった平八を撒きました。少し疲れていたのです。

でも、撒かれた灰は風にのり、冬にも関わらず桜を満開にしたのです。

「こ、これは!」

『おじいさん。僕はここにいるワン』

平八の声が聴こえたような気がしました。

「そうだな。いつまでも泣いててはいけない!」

おじいさんは笑顔になりました。

この気持ち、みんなに分け与えたい!

「この灰さえあれば、枯れ木だって花満開じゃ!」

おじいさんは練り歩きました。

「枯れ木に花を咲かせましょう!」

おじいさんは叫びながら練り歩きました。

村民達は静かに見守りました。

しかし!

「あ、あれを見ろ!」

「は、花がぁ!」

そうです。そうなんです。おじいさんが平八の骨をまいた木は、すべて桜の花が咲いていたのです。

この噂を聞きつけたお殿様はおじいさんと城へと招待しました。

「一体何をしているのだ?」

「花です。花を咲かせているのです」

大丈夫か?」

大丈夫です!これをごらん下さい!」

おじいさんはリズミカルに灰をまきました。

すると、城の庭に植えられていた枯れ木が

見事な桜になりました。

「す、すごい!」

「でしょう?」

「ほうびをやろう!」

おじいさんはお殿様からもの凄い金額を頂きました。

小判と合わせるともう完璧お金持ちです。

その噂を聞きつけたお隣のおじいさんとおばあさんはその灰を少し分けてくれとお願いしてきました。

大事大事な平八を叩き殺した張本人達でしたが、おじいさんは快諾しました。

「これで今度こそ……」

隣のおじいさんはおばあさんは手始めに自宅の裏庭にある木に灰をまきました。

すると花が咲きました。灰色の花が咲きました。

その花は直ぐに地面に落ち、無数の触覚が生えてきたのです。

「ひっ」

灰色の花から伸びた触角が隣のおじいさんとおばあさんに突き刺さりました。

血が垂れて、触角づたいに花に触れました。

全ての花は赤く染まりました。

「これはこれは。見事な花を咲かせましたね」

平八の飼い主であったおじいさんの言葉が、二人に聞こえることはありませんでした。

めでたしめでたし

追記

これを書いた後に答え合わせをした。

http://nihon.syoukoukai.com/modules/stories/index.php?lid=21

大体当たっていてよかった!

2017-05-25

サイバーパンクオタクの夢に終わった

今の東京の町並みをみてみろよ。

外苑前並木道、虎ノ門ヒルズ庭園渋谷ヒカリエ。どいつもこいつも雑誌で呼んだようなファッションしてお高くとまりやがって。

渋谷スクランブル交差点外国人撮影スポットになり、秋葉原なんちゃってメイド制服女子高生がチャラチャラしてやがる。

梅雨のようにジメジメしてケーブルが這い回る混沌とした九龍城のような生活が露わながらにも凝縮された世界浄化されていっている。

どんなデブでもブスでもファッションのように義体を着て、美女イケメンとなり、脳内薬物を増幅し、狂気仮想現実へと没入していけるあの世はいまや、東京には見いだせない。

2017-05-19

これからどうしよう

短大はなんとか卒業したものの思った通りの就職先がなく、今は精肉卸で配送ドライバーをしている。

堅苦しいルールもなく女性は珍しいからと重宝されてはいるけど、まわりはおじさんばかりで楽しいことは一つもない。

給料いいわけでもないけど仕事がつらいわけでもなく何となく辞める理由も続ける理由もない毎日を送っている。

飲食店開店前に配達しなければならないから、朝の6時前には積み込みを終わらせて軽トラを走らせる。

会社のすぐ近くにあるしばらく続く桜並木は毎朝の配達ルートで、ランナー散歩をする人ばかりでこの時間から仕事をしているのなんてわたしくらいのものだ。

そんな中で、先月のはじめころに彼を見つけた。

中肉中背、とくべつ顔が良いというわけではないけど、要するに一目惚れだった。

姿勢が良かったとか、父親ちょっと似てたとか、朝の木漏れ日に走る姿が素敵だったとかそれくらいの理由だ。

退屈な毎日の繰り返しに、何かしらの刺激をもとめていたのかもしれない。

彼はこの道を往復しているらしく、正面からかい合うときも後ろから追い越すこともあった。

車道歩道の境目もないような狭い道なので、わたしも気を遣って走ってはいるのだが、どんな車や歩行者に対してもしっかりと身体を避けて道を譲る姿が印象的だった。

配達に急いでいる時に限って避けようともしない歩行者ランナーが多いこの道で、彼のような存在は貴重だ。

特に愛想が良いわけでもない、それなのに誰かれかまわず道を譲る彼への興味は日に日に増していくばかりだった。

どうすれば話しかけられるのかと色々考えてみたけどなかなか良い案が思い浮かばない。

彼を追い越して途中のコンビニに立ち寄ってみたりもしたけど当然振り向いてくれるわけもない。

何の理由もなく話しかけることはこれほどまでに難しいものだったのか。

散々悩んだ挙句にふと思いついたことがあった。

追い越し際に彼にサイドミラーを軽く当てて、急いで降りていって謝ればそれをきっかけに話ができるし、あわよくば連絡先を聞き出せるのではないか

ちょっと危ないし、うまく行かなかったら最悪に嫌われてしまいそうだけど、でもきっと一生懸命謝る姿を邪険にするような悪い人ではないはずだ。

はいつも耳にイヤホンを入れている。後ろの車も気づくくらいだから大音量で何かを聞いているわけではないにしても、多少は聞こえづらいはずだ。

そう思って何度かアクセルをすごく静かな状態にして後ろから近づいてみたところ、彼は気づかない様子で避けようとしなかった。もうこれしかない。

いよいよ今日が決行の日。いつもみたいに汚れてもいい服はやめ、いつもより少し化粧にも気を遣った。

彼がいつも折り返す曲がり角はちょうど会社入り口から見える位置にある。

彼がいつも通り折り返したのを確認すると、わたしは急いで軽トラに乗り込んだ。

鍵を刺そうとしたが緊張しているのか床に落としてしまい慌てて拾い上げる。

朝日木漏れ日が輝く桜並木を彼に気づかれないようにゆっくりと走リ出す。

彼の背後にゆっくりと近づく。案の定彼はわたし存在に気づかない。

自分を落ち着かせようと一つ深い息を吐いて、ふかしすぎないようにアクセルに軽く足をかける。

これでサイドミラーだけを彼の身体にぶつければうまくいく。はずだった。

突然彼は、何かを避けるようにわたしの車の前に半歩だけ飛び出してきた。

ミラーけが当たるはずだったのに、そのせいで彼は片足を巻き込まれ道路に倒れ込んでしまった。

計画とちがう。焦ったわたしは急いでブレーキを踏んで止まろうとした。

その瞬間、景色は止まるどころか猛スピードで流れていった。

それが踏み間違いだと気づくまでにかなりの時間が過ぎてしまったような気がしたが、ブレーキを踏んで止まった距離は思っていたより長くはなかった。

ミラーを覗いて急いでバックで戻る。

声をかけるが反応はない。ただ、何となく反応がないだろうことは声をかける前からわかっていた。

特に出血が見えたわけではないが、身体の半分が明らかに低く潰れていて、手足は見慣れない方向に曲がっていた。

誰かに助けを求めようと周囲を見回すも、運の悪いことに近くには珍しく誰もいなかった。

冷やせば悪化を免れるかもしれないと、急いで冷蔵庫を開けると配達荷物の横に彼を置いた。

これ以上大変なことになってはまずいからと、ひとまず配達だけは済ませてきたのだが、これからどうしよう。

2017-04-17

日曜日の話

新生活スタートして半月が過ぎた。

前の住居から持ってきた折りたたみ自転車引っ越し等の忙しさに感けて放置していたのだが、タイヤ空気を入れて、オイルを注し、ようやく乗れそうな感じに整備した。

まだアパートの近辺もよく探索していないので、ついでに隅田川沿いの桜でも見ながらぶらつこうとコンデジを片手に繰り出した。

とりあえず、駅とは反対方面、川へ向かうような気持ちペダルを漕ぐ。

途中、小学校やら保育園やらを通ると、校庭の桜が満開からやや散り始めの感じで、そういえば、今年はまだ桜の写真を撮っていなかったなとカメラに手を伸ばす。

田舎から出てきた私にとって、東京とはカメラをぶら下げて徘徊する人間に寛大な土地…というイメージだったが、住宅街では流石に気恥ずかしい。

というか、やはり学校周りでカメラを構えるのは不審者一歩手前だよなと思い直し、やはり川辺まで堪えようと、ペダルを踏み込んだ。

勘を頼りに川を目指すと、やがて川沿いの通りに行き当たった。しかし、想像していた桜並木はなく、なんか緑の植え込みやら雑木やらが並んでいる。落胆。

こうなると、どうにか桜を拝みたくなり、近場にあるという桜堤緑地という花見の名所を目指すことにした。検索すると、それほど遠くもなさそうだ。

それにしても、この日は暖かいというよりむしろ暑いに寄った陽気であり、自転車を止めると汗が滲む。

それでも、新荒川大橋を渡れば、川辺の風が実に心地よかった。

桜堤緑地にたどりつくと、期待通りの桜並木がそこにあった。

花見客もまだまばらで、自転車を停めて暫し桜を眺めたり写真を撮ったりする。

ひとしきり歩きまわり満足したため、もと来た道を引き返す。

コーヒーで飲んで一服しようと言うところなのだが、いかんせん近場の店がわからない。

結局、駅まで戻って喫茶店に入ってしまう。ミックスサンドコーヒーを頼むが、あまり長居できる雰囲気でもなく、

疲れもでてきたので、早々に店をでた。

食後に一風呂浴びたくなり、調べてみるとアパートを通り過ぎたあたりに銭湯があるとのことで、ゆっくり向かう。

途中、サイクルショップを見かける。ミニベロ部品などはあるのだろうか。

ロードバイクやらクロスバイクやらが並ぶ店はどうも気おくれしてしまう。またそのうち見に行くとしよう。

さして時間もかからず、目当ての風呂屋にたどりつく。

なんと、この風呂屋は電子マネーで決済できた。未来だ…

風呂は露天あり薬湯ありもちろんサウナと水風呂もあり、大変満足だった。

是非また来ようと心に決め、アパートへ戻ってビール引っかけて爆睡しましたとさ。おしまい

2017-04-13

二ヶ領用水の桜並木

今はもう会社都合で転勤になってしまったが、当時川崎(最寄りの駅で言うとJR南武線矢野口稲田堤の間)に住んでいて

そこから自転車で15分くらいの会社に通っていた。

通勤路は表通りの府中街道沿いか南武線近くの二ヶ領用水沿いの道を使っていた。

4月になると二ヶ領用水沿いにある桜は見頃になり、自転車を漕ぎながら見るのもよいが

休日には家から会社のあるところ、さら登戸方面まで徒歩で散歩するのが春の楽しみの一つだった。

稲田堤駅から少し歩いたところ、焼き鳥屋が入口になっている裏通りにある団子屋(会社の帰りによく割引弁当を買っていた)で

団子を買い、それを持って散歩に行った。用水路沿いにはところどころに腰掛けがあったのでそこに座って花見団子洒落込んでいた。

用水路のせせらぎの音と桜の花、そして鴨や鯉などの生物を見ると安らかな気分になれた。

今住んでいるところでも花見スポットはあるが、それでもこの季節になると

当時川崎に住んでいた頃に見た二ヶ領用水沿いの桜並木を思い出す。

2017-04-11

金曜の夜を巻き戻したい

残業帰りに浮かれてフワフワ桜並木に寄り道して写真とってたら、生まれて初めて男に声かけられた。

会社花見が終わった後だそうで(事実かは知らん)

満開でよかったですね、桜どれぐらいの時期が好きですか、これから一緒にお花見しませんか、じゃあそこのコンビニで酒買ってきますおつまみかいます結構飲みます? なんて言われてから

その人が買い物に消えたあと、フト「あれ、これ花見ナンパっぽくない? 立派な中年喪女に対して?」と

深読みし始めて怖くなって、おまけに終電も近かったし寒かったし

私は見た目ほど酒飲めないし、おまけに翌日も朝早くから仕事あったので

その人が戻ってくる前に逃げ帰ってしまった。

 

単なる酔っ払いの兄ちゃんでも、これから先の人生

私に花見しませんかー、なんて声かけてくれたり

ビール買いにいってくれる人なんてもう現れないだろうなと思うと

もったいないことしたな、とか、そもそも何も言わず消えて申し訳なかったな、とかいろいろ思う。

 

今思えば私はその人の顔すら見てない。本当に桜を見ながら会話してた。

2017-04-10

並木ドライブ増田酢魔部位ラドを君なら草(回文

桜咲いてるわね、

並木を颯爽と走って愛でるのもなかなかいいわね。

まあ、ビールお花見とかってのは出来ないけど。

でも今の季節ならではよね。

桜なんてって思うけど

やっぱり咲いてたら見に行きたくなっちゃうのよね。

今年はなんかピンク色が弱い気がするわ、

昨年はピンク色強まって咲いていたんだけど、

毎年見比べてると、

そういう楽しみ方もあるわ。

昨年も言ったけど、

何故かしらピンク色が強い桜があったら

だいたいは

その下に何かが埋められていて事件のニオイがするのよ。

桜が散ってしまう前に

捜査をしないとまた振り出しに戻ってしまう、

来年まで手がかりをのがしてしまうの。

また1年桜の木の下での張り込みは、

あんパン牛乳のしのげないわ。

1年って長いの。

せめて桜餅にして欲しいわ。

ちがう、そんな話じゃなくって、

結局花より団子なのよね。

私すっかりアメリカ大使館お花見立食パーリー

サーモン刺身コーナーから離れられなくなっちゃったわ!

海外渡航者には有名な話だけど、

何かあったら国問わずアメリカ大使館に飛び込めって言うのは鉄則よね。

アラスカから送られてくるサーモンはとても最高よ!

鮮度が違うわっ!

来年も招待して頂けたらいいな~。

うふふ。


今日朝ご飯

桜餅美味しそうだったので和菓子屋さんで買ってみました。

季節ものに弱いのよね。

全然関係ないけど、

そこのフルーツタルトも最高なのよ。

ついついまたそれも買っちゃったわ。

週末サティで買い物して

フランスフェアやってたので、

グレープフルーツワインがとても美味しそうだったので、

今夜はそれでお花見しようかしら?

柑橘系ワイン楽しみ~。

デトックスウォーター

フレッシュミントにホッツウォーラーを入れて作る

ちょっとミントティーみたいな感じ。

まりミント多いと湿布かじってるみたいになるので、

ほどほどにね、

フレッシュミントは強力よ。

では乾杯しましょ!

レッツメイクトースト

素敵な桜に!


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2017-04-04

歴代可愛かったAV女優

1位 並木

2位 並木

3位 並木

AV女優はゆうたむだけでよかった

引退して2年か…

いまだに忘れられない

2017-03-22

朝忙しいと増田バタバタ場束堕す的意思が沿いさあ(回文

この時期は

朝っぱらから忙しいのよね。

朝っぱらの

ぱらってなによって思っちゃう

昼っぱら、とは言わないし、

夜っぱら、とも言わないし。

そう思ったら不思議ね。

東京は桜が咲いたってニュースでやってたわ。

さすが流行最先端の街ね。

渋谷道玄坂からスペイン坂にかけての

並木が好きだったなぁ。

久しぶりに行ってみようかしらと思っちゃうけど、

もうちょっと

咲きそろってる方がいいわね。

五分咲き前の桜が綺麗でオススメよ。

うふふ。

今日は手短にこの辺で。

アディオスアミーガ


今日朝ご飯

しかしたら今日はお昼ご飯ありつけないかも知れないわ。

からちょっと多めに朝ご飯

サンドイッチおにぎりしました。

最近は味付いてない海苔おにぎりラインナップが弱くって

ちょっと残念なんだけど、

仕方ないわね。

デトックスウォーター

オレンジ今日ミントを摘まんでのせてみたわ。

オレンジ果汁を炭酸で割る、

今日は朝からパンチのあるやつよ。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2017-02-12

卒業式

卒業式の日。成人式の日。入社式の日。

いつだってイベントごとの日は両親をがっかりさせた。

卒業式ー。

悲しいほど綺麗なままの卒アル

卒業式を終えた子達が集まって、門の前の桜並木写真を撮っており、その周りでは父兄が談笑している。

そんななか、たった一人で一番早く門を出てくる我が子。

そんな子供の姿を見て、母はどう思っていただろうか。

私は、彼等の立つ桜並木には、一生立つことができないだろうと思った。

成人式ー。

これも、身内だけの、小さなさな儀式

誰に見せるわけでもないのに着物を着て、誰に見せるわけでもないのに美容院スタイリングして、最後に家の前で写真を撮った。

テレビをつけると成人式話題ばかりで、華やかに盛り上がる新成人達の姿を見て、わたしは心底面食らった。

卒業式の時感じたあの予感は、あながち間違いではなかった。

入社式ー。

本来であれば入社しているはずの年に、私はそれができなかった。

真新しいピカピカのスーツを着て、意気揚々と歩く新入社員達の姿を町で見て、母は何を思ったのだろう。

これからも、何かイベントごとがある度に、家族を悲しませるだろう。そして何より私自身が挫折し、絶望しなければいけない。

華やかなイベントの裏にこうした人種もいたのだということを、記録に留めておく。

2017-02-11

教師との恋愛という罪の告白

 先生出会ったのは、わたし中学生の時です。彼は大学院卒業後、国語非常勤講師として赴任してきました。わたしと1周りほど年が離れていて、身長10cm程度高く、かわいい顔立ちをした、少し年齢不詳気味の人でした。

 当時のわたしは、授業中は寝ているか教科書の隅に落書きをしていて、学年下位をふらふらと彷徨っている、やる気のない生徒でした。そんなわたしに「やればできるから」と声をかけ、必死に授業に参加させようとする先生は、いかにも「教師になりたて」で。その熱い眼差しで見られる度に、わたしは居心地の悪い思いをしていました。どれだけ無視をしても「おはよう」と笑顔で手を振る先生、「わからないことがあればいつでも聞いてね」と教室を去る間際、席までわざわざ歩いてきて声をかけてくる先生わたしは、彼の笑顔がどうしても嘘くさく見えて、大嫌いでした。

 気持ちが変わったのは、制服シャツが半袖に変わり始めた頃でした。一週間遅れで課題を提出しに行った際に、とある難関大学過去問を意地悪のつもりで聞いてみたら、さらりと答えられてしまい、その際に知った彼の学歴の高さに意外性を感じたからです。先生はいま思い返してみても、とても頭の良い人でした。自分が頭の良いことを知った上で、きちんと、相手にあわせたレベルで話ができる、勉強を教えることのできる優秀な先生でした。彼の解説を聞きながら、初めて、答えを導き出す楽しさに気付き、勉強楽しいと思うことができたのです。

 いま思えば、わたしは彼のパフォーマンスの引き立て役のひとりでしかなかったのでしょう。後々、彼の鞄から発見した、クラスの成績表の書き込みを見れば分かります。伸びしろはあるがやる気がない、かつ、やる気になれば伸びるタイプわたしは「ちょうど良い生徒」に過ぎなかったのです。そして、幸か不幸か、彼の好きなタイプの顔立ちをしていました。

 先生は褒めるのが上手でした。たった10問の小テストで満点をとっただけでも「偉いなあ、嬉しいなあ」と、にこにこ頷いてくれました。自分で言うのもアレですが、わたし地頭は悪くなかったので、少し本腰をいれて勉強するだけで見る見る間に成績は上がっていきました。周りの教師が驚いた眼で答案を返してくるのが面白くて、わたしもっと良い点数が取りたいと思い始めていたのです。

 いや、違うかもしれません。分からない問題先生に聞きに行きたいがために勉強をしていたのかもしれません。先生担当教科の国語だけでなく、どの教科も教えることができ、また、教え方が上手だった。だから、分からないものがあれば、どの教科でも先生に聞きに行っていた。わざと分からない振りをしていると見抜かれてしまうので、本当に分からない問題を探し、解決していく内に、分からない問題は減っていき、どんどん難解になってしまった。わたし先生に会いたい、質問をしたい、話したい一心で、教科書に向き合っていたのです。

 たったの半年程度で、わたし順位は下の下から、上の上へと上がっていきました。先生は桁数の違う成績表を見比べて笑っていました。その彼の横顔を見ながら、わたしは少しだけ、意地の悪い考えを抱いてしまいました。言わなければ、幸せでいられた言葉を言ってしまったのです。

「1位を取ったらデートしてください」

 先生は、びっくりした顔でわたしを何秒か見つめた後、視線を宙に泳がせました。「お願い」。そう、一歩前に出たわたしから距離を開けるように後ずさり「1位は難しいよ?」と苦笑いしました。「無理だと思うなら、約束してください」。その時の彼の脳内には、きっと、学費免除をされている学年主席優等生の顔が浮かんでいたのだと思います先生は意を決したように「いいよ、ただし、全教科合計順位で」と小声で告げました。

 300人いない程度の学年でも、1位を取るのは簡単なことではありません。優等生は、わたし学校でも飛びぬけて頭の良い少女でした。しかし、わたしには彼女に負けない思いがある。恋心です。

 わたしは、先生とのデート権利をかけて彼女一方的勝負を挑みました。彼女の苦手科目であった生物攻略することで、大幅に点差をつけたわたしは、僅差で勝つことができました。学年末試験の結果が書かれたA4のペラ紙を持って、勝ち誇った笑みを湛えながら職員室に飛び込んできたわたしを見て、先生は少し罰の悪そうな顔をして「おめでとう」と返しました。

 誰かに見つかるのは避けたいと提案された場所は、あろうことか先生の自宅でした。少し驚きましたが、恋は盲目状態だったわたし先生からメールが届いた瞬間、秒速で返信しました。春休み、まだ蕾のままの桜並木を見ながら、ミスタードーナツの袋を下げて、先生の自宅への道を歩みました、人生で1番幸福な瞬間でした。私服姿の先生想像の何倍もおしゃれで、部屋も黒を基調とした、かっこいいものでした。

 わたしたちはドーナッツを食べながら「教師と生徒」という禁断の響きに似つかわしくないほど、平凡で下世話な話をして盛り上がりました。教室内のヒエラルキー職員室内のパワーバランスも変わらず馬鹿らしいと腹を抱えて笑いあいました。先生が録画をしていた、ただ絵面だけが派手な洋画を見ながら、作品とは全く関係ない話に興じました。

 映画を見終わった頃、先生が不意に真剣な表情で聞いてきたこと、その声音を、わたしは忘れることができません。「俺のこと好きなの?」。いつも飄々としていた先生が、こんなに真剣になるのを見たのは初めてでした。報われぬ片想い今日最後にするつもりだったわたしは、笑顔で「大好きです、結婚したいみたいな意味で好き」と頷きました。次に出てくる、哀れで馬鹿な生徒の恋心を突き放す言葉に怯えながら。

 しかし、先生の口から発せられた言葉は、予想の真逆をいくものでした。わたしのことがひとりの女性として好きなこと、これからもこうして会いたいこと。しかし、くれぐれも周りの人に気付かれてはいけないこと、それが守れなくなった時点で離れたいこと。彼の話していた言葉はよく覚えていませんが、約束事の多さだけは覚えています。「教師と生徒」の恋に怯える先生気持ちを手に取るようで、その真剣眼差しに促されるように、わたしは「はいはい」と頷いていました。

 先生が、なぜわたしのことを好きだったのかはわかりませんが、彼はよく「愛に飢えててかわいそう」とわたしを評しました。両親も健在ですし、人並みに可愛がってもらえていたはずですが、わたしは両親との関係性というものがどうしても希薄しか感じられなかった。そんな姿が、愛に飢えているように見えたのかもしれません。彼は小さなから過剰な愛、過干渉を受け育ったそうです。だから、その与えられすぎた愛を持たざる者(と彼が思うもの)に受け渡すことで、バランスを取っていたのかもしれません。

 先生わたしは、密かに逢瀬を重ねていきました。学校では、若いお気に入り教師に熱を上げる馬鹿な生徒を演じ続けました。その一方で、2人で会う時のわたしは、あまり騒ぎませんでした。先生に似合う、大人の女性に早くなりたかったので、静かに、黙っていました。

 高校生になり、バイトを始めると、わたしの身なりは少しずつ「ちんちくりんな子供」を脱却し始めました。大人になるにつれ、彼の熱が上がるのを感じ、気分が良くて仕方がなく、その感覚を味わう度に自分の箍が外れていく気がしました。己のアイデンテイティがうまく掴めなくなり、自分子供なのか大人なのか分からなくなる瞬間が増え、ぼーっとした日々を過ごしていました。誰にも言えないまま、大人になるストレスは存外厳しく、不安に泣いた日も多かった気がします。

 そして何よりも、わたしは頭が良くなってしまった、なりすぎてしまった。あんなにも尊敬していた彼の大学の合否判定は「A」しかでませんでした。学年1位は優等生からわたしの手に移ってしまった。彼が枕元で得意げに語る知識に、目を輝かせることは、もはやできなくなり、ただ黙って薄笑いを浮かべることで精いっぱいになりました。そういったわたしの変化を感じてか、彼はわたしの「人に言えない」ことに漬け込むようになっていきました。

共犯者だよ、君も捕まる」

 そんな言葉を言われる度に、わたしの頭の中はぐちゃぐちゃにかき回され、嗚咽をあげて泣くか、へらへら笑うことしかできなくなりました。誰かに言わなくては、と思いつつも、その先に待つ破滅を考えると声が出せない。何よりも「淫行教師」と「可哀想女生徒」として衆目に晒されるのが耐えられませんでした。

 わたしは、先生のことを本気で愛していました。彼の未来は輝かしいものであってほしかった。たとえその先に、わたしがいなくても。先生がどれだけ汚い姿を見せてきても、教室の隅で燻っていたわたしを救ってくれた人に他ならないのですから。それが例え、先生の株をあげるためのパフォーマンスであっても、救いだったのですから

 物語の幕引きは、あっけないものでした。先生は、自分の罪を周囲に告白してしまったのです。2度目の冬のことでした。放課後、その曜日先生学校に来ていない日だったので、早めに家に帰って漫画でも読もうといそいそ帰りの支度をしていたわたし学年主任が呼び止めました。主任は、まるで化け物でも見たような、恐ろしい、それでいて悲しそうな目でわたしを見ていました。すべてを察しました。

 先生は、主任校長にだけわたしたちの関係告白しました。校外で2人で会っていた事実を認め、これ以上関係が深くなる前に学校を去りたいと告げたそうでした。主任校長は、わたしに深く頭を下げました。そんなことしてほしくないのに、する必要ないのにと焦るわたしを2人は涙を堪えた目で見上げてきました。そして、痛切な表情で「肉体関係はあったのか」と問うてきました。「ありません、断じて」とだけ答えると、先生たちは泣き出し、再び謝り始めました。わたし校長室の分厚い壁が、この大きな泣き声を外部に漏らさないかだけが心配でした。

 先生からはその数日後、直接、学校を去ることを告げられました。彼は、わたしが嘘をついたことを責めました。勝手な生き物だと、少し幻滅したのを覚えています一方的に罪を告白し、逃げ出すのはルール違反だと怒りたい気分でした、しかし、解放されたがっている自分がいたのも、また、事実でした。わたしたちは主任校長に話したこと「だけ」が2人の間にあった関係であることを確認会話し、男と女関係を辞めました。

 先生わたしは、3学期中をいつも通りに過ごしました。終業式で言い渡された先生退職を聞き、泣いている生徒の多いこと。別れを告げ、さよならを惜しむ生徒たちを横目に見ながら職員室に顔を出さずに、わたしは去りました。先生の机に重なった書類の多さは、1日やそっとで持ち帰れる量ではないと判断たからです。

 春休みわたし毎日のように学校に通いました。先生の机が見える、職員室と質問コーナーの境目に陣取って赤本を進めました。毎日うつもりでしたが、たったの1日だけ大雨が降り、行かない日がありました。その翌日、いつものように職員室に向かうと、先生の机はもぬけの殻になっていました。わたしはその瞬間、初めて人前で叫び声をあげ、怒り狂いました。教師たちの静止の声も聞かず、わたしは何度も横に立ち、椅子にもたれかかり、無意味に引き出しを開け閉めして遊んだ、彼の机を蹴り上げました。そして、糸が切れたようにしゃがみ込み、永遠と、わんわんと小さな子供のように泣いていました。

 高校3年生の時、知り合いか先生都内の某大学で働いていると知らされました。わたしは当時の志望校よりも幾分か偏差値の低いその大学第一希望に変更し、無事に合格しました。学びたい学問でもなんでもありません、ただ、先生いるからでした。何も言わず、大雨の中逃げるように去っていった彼に、文句の一つでも言ってやりたかたからです。大学生としてあらわれたわたしを見た先生は、怯えきっていました。「お金ならあげるから」と言われた瞬間、わたしは、あの日職員室で暴れた時のように先生の鞄を投げ捨て、近くのベンチを蹴り上げました。

 なぜか彼は土下座をして、許しを乞うてきました。わたしがしたかったのは、してほしかったのは、そんなことではありません。ただ「さようなら」とだけ言いたかっただけなのです。先生は、季節が夏になる前に海外へと去っていきました、何か月か後に届いたエアメールには「許してほしい」と何度も綴られていました。

 先生は、わたしのことが恐ろしくて仕方がないようでした。大学でふとすれ違っただけで、化け物を見るような顔をして踵を返されるたびに、わたしの心は潰れました。きちんと別れを言いたいだけだったのに、いつしか、互いに恨みが募っていってしまったのです。彼はすでに日本に戻ってきているようですが、わたしは、まだ会いに行けていません。会うのが怖いのです。あの目が怖いのです。

 わたしの家には毎年、主任校長から年賀状が届きます。他の生徒には届いていないようですが、わたしにだけは届くのです。罪を共有し合う仲間ですからわたしはその年賀状に、便箋3枚程度の手紙で近況や1年の振り返りを送るのが常でした。母は、特別親しくもなかった教師への手紙を綴るわたしを眺めては、毎年、不思議がっていました。

 はじめて家を出ることになり、年賀状の送付先が変わることを告げる手紙を綴る最中わたしはぽろりと母に罪を告白してしまいました、勿論、関係については「公然事実」のみ伝えました。母は「でも、好きだったんでしょう?」と聞いてきました。そうです、わたしは好きだったのです、先生のことが。そして、今でも好きなのです。「さよなら」を言えないまま、わたし片想いの渦にまだ囚われているのです。「なら、良いじゃない、世間はどういうか分からないけれど」。そうです、他人など、どうでもいいのです。どうでもよかったのです。

 冬になり、主任校長一人暮らしになったわたし年賀状を出すことなく、立て続けにこの世を去りました。わたしのことをずっと気遣ってくれた2人は、成人し、就職が決まったことをとても褒めてくれました。彼らが、あの日以降、罪について話題に出した日は一度もありませんでした。わたしを気遣う優しい文面、文化祭に遊びに行ったわたしを出迎えてくれた笑顔、どこまでも優しい2人でした。

 2人の葬儀には沢山の生徒、教師が集まりました。その中の誰も、わたしの罪を知る者はもういません。しかし、幼き日の思い出話に花を咲かせれば、誰もが「あなたは、あの先生が好きだったのでしょう?」と聞いてきますわたしはその質問をされる度に「好きです、今でも」と答えるのです。そう答えながら、喪服姿の先生を横目で探してしまうのです。ヒールはいわたしと同じぐらいの身長、年の割にかわいい顔立ちをした年齢不詳の人。わたしは、彼がどんな姿をしていたのかも、もう曖昧しか思い出せません。一緒に撮った写真はたったの1枚しかありませんでしたし、それもどこかに消えてしまいました。

 

 はじめて会った日から、気付けばもう10年以上の月日が流れてしまいました。あの頃急速に大人になってしまったわたしは、ひどくアンバランスな心を抱えて生きていますわたしの心は未だに、あの新しいようで古ぼけた校舎に囚われたままなのです。職員室を入って右側の島、奥から3番目の灰色の大きな机、先生の足元にしゃがんで、顎をひんやりとした板にのせて、話すのが大好きな子供のままなのです。

 しかし、わたしがいまいる場所は、生きている場所は、あの箱庭ではないのです。過去の罪に囚われる時代はもう終わりなのです。だからこそ、口に出さなくてはいけないのです。だからこそ、会いたいのです。会って、言いたいのです。

 せんせぇ、さようなら

 はいさようなら

 いつか終わりを迎える日に、罪を抱えた半身の行方を知らずに眠ることが、わたしはできそうにないのです。

2016-10-15

家出してきた親友を受け入れた結果その後音信不通になった。

彼女と知り合ったのは、私が結婚大阪に転居した先の近所にある病院だった。

彼女DV男と同棲中で、目に青痰つけて出勤してきたり、首に締められた痕としか見えない内出血をつけてきたりしていた。

しかし元来彼女看護師としてのスキルは高かったこともあり、「アレは男が悪い」と皆彼女に対して同情的だった。

私は生まれてこの方父親も含め男性に手を上げられたことが無かったので殴られても首を絞められても別れようとしない彼女の事が理解出来なかったが、まだ特別親しくもなかったので「色々な人がおるもんやな」くらいの感想しかなかった。

数ヶ月して私は彼女と同じ病棟へ移動となり彼女と一緒に働くこととなった。

DV男と同棲する女」という色眼鏡で見ていたのに、一緒に働いてみると看護師としての彼女は本当に優秀で頼りになるしっかりした女性だった。

そして、それ以外の彼女はとても可愛らしく、ほっておけないような、同い年なのに妹のような、美人では無いが人懐っこい笑顔が印象的な魅力ある人だった。

私達はあっという間仲良くなった。

三十路を前にしてオトナになって初めて出来た親友と呼べる友達だった。

その後彼女紆余曲折の後DV男と結婚することになった。

曰く、DV男の両親は所謂地元の名士だったが、悪い人に騙されて土地山を奪われた上多大な借金を抱えており、世間体至上主義な両親が自己破産するわけもないので、DV男が一生かけて借金を返すのだ、と。

その為に結婚式等は出来無いが、私も一緒に働いてDV男を助けていこうと思う、と。

色々言いたいことはあったが、彼女バツイチでこども2人の親権を元夫に取られた過去があることや、今のDV男との出会いきっかけは◯ムウェイだったことやらを考えると、行くとろこまで行かないとわからないのが彼女人生なんだろう、と思い祝福した。

数カ月後、彼女は泣きながら私に電話してきた。

泣くばかりで何も喋れない彼女に、

「今どこにおるん?今すぐ迎えに行くからうちにおいで」

いう言葉が口をついて出た。

夫にも了解を得て彼女を迎えに行くと、彼女家中の衣類を全て詰め込んだような大きなカバンを2つ抱えて泣いていた。

その上、彼女妊娠していた。

結婚したものの義父母義妹との同居生活は最悪で、DV男はかばうどころか一緒になってモラハラ発言を繰り返すばかりで、もうどこにも居場所が無い。

妊娠発覚した途端に洗脳が解けるが如くこれまでの色々な「オカシナ理屈がまかり通っている」事に疑問が湧き上がってきた。

彼女実家は南の方にある離島で、離婚して独りになった母親がいるだけだが、他に頼る所も無いし一旦実家に帰ろうと思う。

そして、お腹の子は堕ろしたい、その時は付き添って欲しい、と。

彼女母親との確執について何度か聞いた事があったので、実家に帰るという選択肢ちょっと現実的では無いかなとは思った。

それに首を絞められても顔にグーパン喰らっても別れられなかったDV男と、そんな簡単に別れられるだろうか?とも思った。

しかし、その時の彼女はヘトヘトに疲れきっており、ぼーっとしてるかと思えばシクシクと泣き出したりと情緒不安定の極み状態で、何はともあれ産婦人科妊娠の確定をせねば、と病院に付き添った。

堕胎までのタイムリミットは三ヶ月弱程だった。

DV男は私の存在を知っているにも関わらず、私に電話もして来ず、職場に問い合わせもせず、ただただ彼女携帯ロミオメールを送り続けていた。

現実的対処は一切せずに、ひたすら彼女の心に毒を染み込ませていた。

「お前がいなくなってずっとあちこち探して歩きまわっているけど何処にもお前の姿が見えなくて途方に暮れている」

「僕をこんな辛い目に合わせられるのはお前だけだ」

「お前と一緒に行った桜並木は今も満開で美しいけれど、お前が居ないと桜はただの物体で何の意味も無い」

もっと他にやるべきことはたくさんあるだろうに、親には「あいつは友達の所に泊まっているか心配ない」と言い、自分友達には嫁に家出された事は隠し通し、阿呆みたいなロミオメールを一日に何通も送信していた。

初めのうちは着信には出ていなかったが、家出三日目を過ぎたあたりで彼女通話に出るようになった。

DV男が会って話がしたいと言うので、私は母に助言を受けて昼間のファミレスで私も同席し話し合う事にした。

DV男も男友達を1人伴ってくるとの事だった。

初めて会うDV男はインテリの優男風に見えた。

同伴の男友達は昔ヤンチャしてました系で無駄に態度のでかい男だった。

DV男はどこだか忘れたが四大を出た後NY一年留学した経験があり、たった1人でアメリカディズニーランドに行った事が自慢話のひとつだった。

しかし今にして思えばFランからの親のカネでNY一年語学留学だとしたら、NY一年遊んでたけど友達出来なかったから本場でぼっちディズニーしただけの話だよな・・・

取り敢えず四人でファミレスボックステーブルにつき、さぁ話し合いを始めようかといった所でDV男が最初にした事は煙草に火つける事だった。

彼女妊娠を知った上で。

私がすかさず制止したら、DV男は慌てて火を消したが何故か苦笑いしながら、

「でも副流煙を吸ってるのは非喫煙者だけじゃないんですよ?喫煙者副流煙吸ってますからね?」

と、のたまった。

はぁっ!?んなもんは喫煙者自業自得やんけ!そんなしょーもない言い訳妊婦副流煙吸わせる免罪符になるとでもおもとんかこのドアホが!

と言いたいのをぐっと堪えて、「いやー、それと妊婦の前で煙草吸う事はちょっと話の次元が違いますよね(笑)」とやんわりたしなめたら、DV男は私を見て一瞬ハッとした顔をしたものの何やらモゴモゴ言いながら話題を変えてきた。

当初の彼女の言い分は「離婚堕胎も一旦棚上げして実家に帰って少し独りでじっくり今後の事を考えたい」だった。

DV男の言い分は「実家に帰るならもう自分たち関係が修復される事は無い。だから今すぐ帰ってきて欲しいしこどもも産んで欲しい。これからは両親・妹からお前をちゃんと守る。」だった。

私は本当に彼女の事が大事ならば今は実家で心身共に休ませてあげて、別居等準備が整えてから彼女を迎えに行けばいいのではないか?と提案してみた。

だがしかし彼女の口から出てきた言葉に私は耳を疑うことになる。

別に実家に帰りたいって言うてるわけやない。」

 話 が 違 う や な い か ー い !

結局一週間程で彼女DV男の元へ帰って行った。

彼女荷物が少し残っていたので、私は彼女に「DV男と一緒に私の旦那挨拶がてら荷物取りにきて。人として最低限のけじめやと思うからそれだけはお願い。」とメールを送ったが返信は無かった。

数週間後、忘れ物を持って彼女の家の近くまで行ってから電話をかけると、こけつまろびつ彼女が出てきた。

DV男に私達と会っている所を見られたくなかったのだろう。

上下だるだるになったスウェットクロックスを履いてノーメイクにぼさぼさの頭で。

目には涙を湛えて「ごめんな、ほんまにごめんな」と私や旦那に何度も深く頭を下げ続けていた。

そんな彼女の姿を見ながら、

「あぁ、もうこの子と会う事はなくなるんだろうなぁ。」

と頭の中で考えていた。

その通り彼女からの連絡は途絶えた。

私も積極的彼女を助けようとしてくれた旦那申し訳なくて、「なんだかんだ言ってあのDV男の事が好きなんだ」と裏切られたような気持ちにもなっていた。

そのせいで自分から連絡をとることもしなかった。

機種変の折に彼女アドレス登録しなかった。

番号は変えなかったか彼女から電話がかかってくればその時関係復活すればいいと思った。

自分は動かず彼女から歩み寄って来ることを待った。

そして、電話は鳴ることなく私は夫の地元へと転居し、私達の縁は切れた。

あれから14年経つ。

無理矢理別れさせることも堕胎させることも実家に帰らせることも、どれひとつ出来無いしするべきでは無かったからしなかった。

ただネット世界に漂うDV記事を目にする度に彼女にした事出来たかもしれない事をついぐるぐると考えてしまう。

14年も経ったのに、未だに。

西原理恵子さんはアルコール依存症旦那さん(故人)に酷いDVを受けていた時のことを著書の中でよく書かれている。

その中で「DV被害者洗濯機の中でぐるぐると回り続けているようなもの。まずは洗濯機の中からつまみ出す事が先決。シェルターなりに一旦避難させてDV男との生活が異常な状態であることを認識させる。DV洗脳を解く。そうじゃないと簡単にまた洗濯機の中に

戻っていっちゃう」と言うような事を書かれていた(私の記憶によるものなので細部やニュアンスは違うかもしれません)。

私は洗濯機の中へ帰っていく彼女を引き止めるべきじゃなかったのか。

変な意地を張らず私から連絡を取ればよかったじゃないか

あの時の子は無事生まれたのか。

今、彼女は、元気に暮らしているのか。

初めてはてブに書いてるので無駄に長文になってしまいました。

駄文最後まで読んで頂いてありがとうございます

彼女の事を思い出す度に沼にハマって堂々巡りになる現状を脱したいので、何かご意見が頂けたらありがたいです。

2016-09-29

新入社員が毎年同期で結婚するジンクス

今の所、2010年入社の人たちが翌年の2011年結婚してから

2011年入社の人が、2012年

2012年入社の人が、2014年

2013年入社の人が、2015年に、

2014年入社の人が、2016年に、

と5年連続結婚してる。

ウン百人とかとる会社じゃなくて、多い年でも10人ぐらいだから、そうとう凄い確率だと思う。

なんだけど、今年の4月入社したの、たまたま全員女だから、この奇妙なジンクスも終わりが近づいてる。

と思ってたら、どうやら先進的な渋谷区感謝しにいくらしいという噂を聞いてしまった。



という百合を考えたので、プロデューサーのみなさん配役お願いします。

僕が考えた配役は、並木芽衣子さんと衛藤美紗希さんです。

2016-09-23

http://anond.hatelabo.jp/20160923163724

自分クリスチャンから普段見れない動植物が見られれば十分。

キリスト教では、動植物があることが神の存在証明の1つなので、それらを見ることには特別な感慨がある。

札幌では北大ポプラ並木が良かったなぁ。風が吹くとキラキラ光ってるように見えて、どうしてだろうと思って近づいたら裏表で色の違う葉っぱが風に煽られて激しく蠕動してるんだよねあれ。

2016-06-04

[]

コンビニたそがれ堂 空の童話を読んだ。大人のためのファンタジーって感じの小説だった。物語が交差しているシリーズが多すぎるのが財布に痛いところ。

このシリーズを始め、村山早紀小説ちょっと過剰なくらいに優しい雰囲気を醸し出しているのが特徴だと思う。文体効果を発揮しているせいだと思うし、話の内容も人の優しさや思いやりや願いを中心に据えているからなんだろう。

そのため、その時々のコンディションによって読書感が大きく変わってくることがある。もちろんどんな小説でもそうなんだけど、基本的スタンスが変わらないのにシリーズがたくさんあるから、内容に対する感想の変化を顕著に感じられるのだと思う。結構前に読んだコンビニたそがれ堂の一作目なんか、過激なところや傷つけたり傷ついたりするギズギズした箇所がなかったから物足りなく感じてしまった。今はその物腰の穏やかさこそが一番の味わいなんだと思うってるけど。

さておき空の童話感想について。空の童話という架空(たぶん)の本を共通項として取り扱った小説集だった。キーワードは他にもあって、クリスマスタイトルにもなっているコンビニ

神様が出てくる小説なんだけど、その活躍っぷりが控えめで、あくまでも生きている人々の意思尊重しているところが好意的に感じられた。キャラクター個性もいい感じに出ているていいと思う。二つ目の話に出てくる隣人の獣医さんとか、三編目の空の童話に出てくる店長と奥さんとか、脇役がちゃんと立ち位置を定めているのが素敵だった。

他にも悪の秘密結社の重役とか宇宙人とか植木から生えてくるおやゆび姫とか、イロモノもちょくちょく登場してくるんだけど、街の溶け込んでいるのが面白いところだと思う。いかにもなキャラクター普通に生活している様を、取り立てて際立たせようとしていない、むしろ意識してなだらかに表現しているところがこの作品の丸みに繋がっているんだろうな。

ただエピローグにはやられてしまった。桜並木に現れた子どもたちの姿が描かれた時、少しうるっと来てしまった。くやしい。狙いすました内容だったのに。

面白く読めたし胸が暖かくなる小説なんだけど、冒頭にも書いたように様々なシリーズを横断して人物が登場しているところが個人的に少し困る。

シリーズを始め村山早紀風早という架空の街を舞台にした小説をいくつも執筆しているのだけれど、ところどころクロスオーバーしているようなので気になって仕方がない。海馬通信とか読んだはずなのに内容を覚えてないし、天空ミラクルってシリーズがまた始まってるし、竜宮ホテルカフェかもめ亭もコンビニたそがれ堂も読めて無いシリーズがあるし、花咲家の人々に至っては買ってもない。すごく気になる。

なんかまんまと踊らされているような感じがしなくもないけど、ここまで集めてるんなら全部網羅してやる。


ポプラピュアフル文庫大人のためのヤングアダルトって風体小説を出してくれるから好きだなあ。

2016-04-24

昔懐かしい夢を見た

今の方が絶対幸せだし、戻りたいとは決して思わないけれど

でも、うまく人と話せなくて、内向的自分に自信がなくて、お金だって無かったあの時代にも

ちゃんと幸せだった瞬間があったんだって思った。

  

妹とだべりながらやるスーファミ

大人みたいでカッコイイと思ってた、いつもより遅い帰り道。

桑の実とグミの木の、秘密採集ポイントを回っておやつをゲットしたり。

すごくハマる漫画を見つけて、たまに街に出るとき一冊ずつ買ってもらったり。

肉まんを売ってる店が帰り道にあるのを発見して買い食いして、

でも人に見られたら告げ口されるんじゃないかとヒヤヒヤして。

好きな人と帰りの車両が一緒になってドキドキしたり、

私の好きな人が、私のことを好きだって噂が流れて、勝手妄想したり。

帰り道には桜並木があって、季節ごとに見事に色が違って、綺麗だなって思ってた。

  

今はもう地元を離れたし、家もなくなっているので戻る事もない。

妹は結婚して家を出た。

もう一度同じ時間が流れる事は無いんだって思ったら、なんか涙出てきた。

2016-04-10

幸せなら目を瞑って

久しぶりに宇多田ヒカルの「Time will tell」が聞きたくなって、本当はネットからすぐにダウンロードできるのだけれど、一駅分となりのTSUTAYAまで自転車を走らせる。春はあけぼの、とは言うけれど、実際わたしは春は夜のほうが好きであるふわふわした陽気と、新年度の賑々しい人の声、あたたかな街のネオンは、わたしにまるで夢の中にいるみたいな気持ちをくれるのだ。三月の沈丁花香りが春のはじまりを告げ、いつしか桜が咲き、そのあとにツツジ東京都はいわゆるコンクリートジャングルのようだけれど、よくよく見ると季節感にあふれている。思えばわたし東京で春を迎えたのは、こちらの大学入学したときのことで、もう七年も前のことになる。あのとき住んでいたのは久我山で、はじめて神田川遊歩道の桜並木をみたときは、もうなんだか、これからいいことが起こるんじゃないかというわくわくした気持ちになったものだ。たぶん久我山という場所田舎から出てきたわたしにとっては、適度に自然を感じられる良いところだったのだと思う。井の頭線に乗れば吉祥寺にも下北沢にも行けるし、賑やかさを感じたければ渋谷へもすぐに行ける。東京というところはなんと表情豊かな街なのかと、そのころのわたしは感じていた。七年後のわたしはいまだにそう思っているかというと、ちょっと感じ方は変わってきた。もちろん、一駅一駅表情は違うのだけれど、駅を出て出迎えてくれるのは、同じコンビニ、同じ牛丼屋、同じコーヒーショップと、まるで金太郎飴のようなチェーン・ストアの数々。いまでは部屋の壁紙みたいに思っているが、一時はあの感じにほとほと嫌気がさしていた。まぁしかし、今では地方にいってもどこにでも似たような大型ショッピングセンターがあり、駅前商店街シャッターで閉ざされ、という感じなので、あの閉塞感にさいなまれるよりはいくらかマシだろうとは思っている。逆に言うとわたし東京に住んでいる理由はそれくらいしかない。あとは仕事あるかないかくらいの違いだ。

TSUTAYACDを借りたわたしは、閉店間際のスターバックスドリップ・コーヒーを買って外に出た。歩道の柵に腰かけながら飲むコーヒーはまだ少し熱くて、オトナの男性ウイスキーストレートでたしなむみたいにちびりちびりと飲むほかなかった。オトナ。あれからわたしはオトナになれただろうか。陳腐な問いである。わたしコーヒーブラックで飲めるようになったとか、異性と何人か交際したとか社会人になったとか不倫をしたとか、そういう経験値的なものはそれなりに積んできているが、本質的には何も変わっちゃいないと思っている。ただ、子どもときの、あの何もかも新鮮でわくわくを感じさせるきらきらとした気持ちけが徐々に鈍く灰色を帯びたものになっていく。それがオトナになるということなら、なんとつまらないことだろうか。大学でつるんでいた友だちは私を除いて皆実家暮らしで、一般職就職して、さいきんは今の彼氏結婚すべきか否かみたいなことを口をそろえて言うし、平日は定時に退勤する生活を送り、年に一、二回は海外旅行へ行く。彼女たちの違うところは、付き合っている男の顔と、あとは旅行の行き先くらいで、こいつらもやはり金太郎飴だ。たぶん海外旅行というのは、わたしと同じように何事にも刺激を感じにくくなったオトナたちが苦肉の末に発明した麻薬みたいなものなんだろうと思っている。わたしは表面的には彼女たちと仲良くやっているつもりだが、大学を出てからはなんとなく距離を置くようになった。たぶんわたしのほうが「彼女たちとは違う」意識をしてしまったのだろうと思う。ワタシハアナタタチトハチガウ症候群。実際にはなにも違わない、わたし金太郎飴の一部なのだ。ただただ金太郎飴であることから逃れたかっただけで。

幸せとは何だろうかということを考えるととたんに頭の中は穏やかではない不安で満ちることになるから、いまではそういうことはもう考えなくなった。ただ、春の花のにおいで季節を感じるとわたしはなんとなくよい気持ちになるし、幸せとはそのぐらいの観念で良いだろうということにしている。わたしコーヒーを飲み干し、目を閉じて大きく深呼吸した。さぁ、明日からまた仕事だ。そう自分自身に言い聞かせるように自転車ペダルを踏みだした。

2016-02-01

[]尊敬するシミケンさん

さっき男優について書いてあった増田見たもんで、書こうとおもった。


いつも、後ろからアナルを広げて、さらにはすぐに舐めることもせず、じっくり堪能させてくれるシミケンさん。

並木優、天使もえなどの極上美アナルを堪能させてくれた、偉大なるシミケンさん。

シミケンさんはアナルの扱いを分かっておられる。

是非、弟子入りして、おこぼれをもらいたい。


アナル増田

2016-01-12

http://anond.hatelabo.jp/20160112200135

元増田です。トラバありがとう

ここでも蕎麦はお店で食べられるし、十割、二八の乾麺も売ってます

ただ、「つゆ」がね…

自分は藪系が好きなのですが、

あの鰹だしが効いた「辛っから」のつゆは福岡のお店でも市販めんつゆでも難しいですね。

並木藪は東京の人でも食べられない人がいるから、自分が極端だとは分かっているんだけど。

2015-11-15

神社イチョウ並木は、一色にそまってるとすごく高く感じるよねって話をすると、

ちょっと写真家気取りに構えてくる。スマホカメラじゃん、それって指摘すると、わざとらしくむくれる。

本屋行って、好きな漫画の話をすると、好みの違いでいつもどおりに揉め気味になる。ジャンプ派とサンデー派の溝は深い。

でも、なんとなく見つけた飛び猫カレンダーが思いのほかよくて、月をめくるたびに、これはっ。これはっ。とうなりはじめる。

その場で全ページを読み切ってしまって、これは大収穫だ!これ大発見だ!とか、

周囲からちょっと浮き気味にテンションあがってることに気付いて、ちょっと恥ずかしそうな顔をしてくる。

そのまま駄菓子コーナーで大人買い

ヨーグレットとか蒲焼さんとか、だいたい好みは一緒なのに、チョコパイチョコケーキについては揉める。

チョコケーキのちっこい丸いのがレーズンだったりするから嫌だ。と押し切られチョコパイに。

近くのスーパーによって、ハイボール焼酎カクテルを買う。

また駄菓子コーナーに向かう。やっぱここのは高いよね~って、なんか喜んでる。そのために来たのか。

正直どうでも良かったけど、レーズンじゃないチョコケーキを見つけて、ドヤ顔で原材料を指を指す。

でも、カゴには入れてくれず、代わりに特売の卵が入ってた。

家に帰って、チョコパイウィスキーって結構合わない。と皮肉ると、舌がお子様だから馬鹿にされる。

そんな何にもないような日曜日を過ごしたい人生だった。

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